石炭チョコ産業革命

紬寧々

石炭チョコ産業革命

 人々はいつの時代も何かと戦っている。


 過去を振り返ると、人々は自国を強くするため、あるいは家族や友人、そして己の尊厳を守るために戦ってきた。


 現代では、人々は少子高齢化あるいは人口急増などの人口問題や地球温暖化、酸性雨などの環境問題と戦っている。


 集団に限ったことではなく個人でもそうだ。受験生であれば、志望校に合格するために己と戦っている。皆が何かと戦っているのだ。


 かく言う俺は何と戦っているかというと、


 だ。


 包み隠さず言うのであれば────


(うんこ行きてぇええええええええええええ!!)


 会社帰りの電車に揺られながら、苦悶の表情を浮かべていた。

 なぜここまでお腹が痛いのか。その原因は明確にある。それはほんの30分前のことだ。


「先輩っ! 少しお時間いいですか?」


 会社で資料作りをしていた僕の背中に声をかけられた。椅子を回して振り返ると、そこには最近入社してきたばかりの後輩が立っていた。手を後ろに回して妙にソワソワしている。


「いいけど、どうかした?」


 問い返すと、突然床と平行になるくらい思い切り頭を下げてきた。そして手に持っていたものを目の前に突き出される。


「いつもお仕事を教えていただきありがとうございます。お菓子を作ってきたので、良かったら召し上がってくださいっ」


 受け取ると、それは赤いラッピングがされたお洒落なお菓子袋だった。


「これを俺にくれるのかい?」


 後輩はガバっと顔を上げて答える。


「はい! 日頃の感謝の気持ちを込めましたっ」


 粋な計らいに涙が出そうになった。


(毎日の仕事を頑張ってきて良かったぁ)


 貰ったからにはやはりその場で食べて感想を言うのがマナーというものだ。早速食べよう。


 袋を一旦太ももの上に置き、封をしていた白色のリボンを外す。開けると、少し変な臭いがした。


(なんか焦げ臭いような……。まぁ手作りだし、これも愛嬌か)


 違和感を感じたが、気にせずに中からを取り出した。

 だが、俺の目にはが見えなかった。

 なぜならば自分が履いている黒色のズボンと同化していたからだ。


(な、なんだこれは……)


 禍々しいオーラを放っているは全くと言っていいほど光を反射していない。

 まさか、お菓子に塗料でも塗ったのか!?

 ペンタブラック? それとも黒色無双かな?

 そんな光吸収率99.4%の物体について尋ねてみることにした。


「これは……何かな……?」


「チョコクッキーです!」


 チョコクッキーだとッ!? これが!?

 衝撃的なビジュアルだが案外美味しいのかもしれない。そう思い、恐る恐る一枚食べてみる。


 ガリッ。バキッ。ボリボリ。


 食べた瞬間、口の中の白をロンされた。これは飛んだな。しかし軽口を叩けるのもここまでだった。


(石炭じゃねぇか!!)


 これを人間が食べていいのか!?

 擁護できないレベルで不味い。チョコクッキーなのにチョコが入っていないんじゃないかと疑うレベルで苦かった。もしくは、カカオ100%中の100%なのかな?


「こ、これは美味しいな……。味見はしたのか?」


 なんとかお世辞を言いつつ、率直に浮かんだ疑問を聞いてみる。


「味見はしていませんよ? レシピ通りに作りましたから美味しくないはずがありません。それに先輩にあげたものは形の良いものを選りすぐってきたので、見た目も味も完璧だと思います!」


 見た目も味も石炭なんだよ!!

 こいつはどうかしているのか!?

 だが、せっかく俺のために作ってくれたんだ。残すわけにはいかない。


 口の中をブラックホールだと思い、次々と袋の中の黒一色を食べていく。鋼の精神で食べ続け、あっという間に中身は空になった。


「お、美味しすぎて、すぐに食べちゃったよ」


 蒸気機関にでもなった気分だ。今なら産業革命を起こせそう。やっぱりチョコレート革命のほうがいいなぁ。

 そんな中、俺の脳内ジェームズ・ワットが警鐘を鳴らしてきた。


「良かったです! そこまで気に入っていただけたのでしたら、良ければもう一つ食べてください。自分用に残しておいたのですが、全部先輩にあげますっ」


(WHAT!?)


 一切の陰りもない澄み切った満面の笑みを向けられる。泣きそうになってしまったが、申し出を断れるはずがない。


 天使のような悪魔の笑顔ってこういうことだったんだな……。

 色と味がマッチしているミッドナイトのような

 物体をお腹の中がシャッフルするまで食べ続けた。


 そうして今に至る。


(うっ……。電車の揺れがお腹に響く……)


 本当は椅子に座ろうと思ったのだが、あいにくとこの時間帯の電車は会社や学校帰りの人が多く乗るので空いていなかった。


 仕方がないので、駅についたらすぐ出られるようにドア近くのつり革にぶら下がっている。

 最寄り駅までは残り10分…………耐えるしかない!


 決意を固めた俺は、絶えずお腹を刺激する痛み

 から意識を逸らそうと視線を上の方に向ける。


 ドアの上方に取り付けられているモニターには、どこかの有名企業のCMが流れており、可愛らしいペンギンのマスコットがリモートワークについて語っている。

 いつもはなんとなく面白いので見てしまうが、今は無性に腹が立つ。


(なにが"社会のリモート化を推し進めるぺん"だよ! そんなに何もかもリモート化したいんなら、リモートトイレでも作るぺん!)


 ぎゅるっ……。


 うっ……駄目だ。あんまり気張ると漏れてしまう。落ち着け、落ち着くんだ。モニターには駅まで9分という表示があった。


(まだ時間がかかるな。ここはあれだ、スマホで動画でも見よう)


 ポケットからスマホをとりだし、動画アプリを起動する。適当にスクロールして良いものがないか探していると、可愛らしいネコのサムネを見つけた。


 癒し系の動画なら気晴らしになるかもしれない。そう思い画面をタップすると、目的の動画の前に広告が表示される。最近はスキップできないものが多くて嫌になるなぁ。文句を垂れ流しつつも広告を見る。


 内容は、電車の中でお腹が痛くなったサラリーマンの男が下痢ポーテーションなる能力でトイレへ瞬間移動するというものだった。


(ふっざけんなぁああああああああああああ!!)


 思わずスマホを床に叩きつけてしまいそうになった。

 何だよこの広告! 今の俺と全く同じ状況じゃねぇか! 狙ってやってんのか!

 ていうかこれ下痢止めのCMだよな? 

 その下痢止め俺にくれよぉおおお。


 ぎゅるぎゅるっ……。


 うっ……やっぱり駄目だ。気張ってはいけない、リラックスするんだ。スマホの時計を確認すると、最寄り駅まで残り5分ほどだった。

 よし、あと半分だ。


 お腹の痛みを堪えるのに精一杯で動画を見る気力もなくなった。


(何かをしようとするから駄目なんだ。何もせずに周りの音でも聞こう)


 そうすればあっという間に時間なんて過ぎるはずだ。つり革を持つ手の力を少しだけ緩める。

 そして目を閉じ、普段は意識することのない電車内の音に耳を傾けてみた。


 電車は駅に向けて進み続けている。線路を走るときのカタンコトンと揺れる音が小気味よい。

 母からあやされていた時もこんな感じだったのだろう。不思議と心地よさを感じる。


 周りの音に癒されていると、自分の右側から和気あいあいとした会話が耳に入ってきた。


「またメリーゴーランド乗りたい!!」


「ふふ、また乗りましょうね」


「パパはもうヘトヘトだよ……」


「いつになくはしゃいでいたものね」


 家族で遊園地にでも行ったのだろうか。そんな微笑ましい会話を聞いているとお腹の痛みが少し和らいだ気がした。


(家族か……。たまには実家にでも帰ろうかな)


 最近会っていないお袋たちのことを思い出している間にも会話は続いていた。


「ママーお腹すいた! 今日のご飯はなにぃ?」


「何か食べたいものでもある?」


「うーんっとね、カレーが食べたい!」


 カレーだとッ! 今その単語は駄目だッ!


 心の中での静止も届かず、なおも会話は続く。


「僕もカレーが食べたいな。ママが作るドロッドロのカレーはいつも美味しいからね」


 ドロッドロのカレーだとッ!! 


 ぎゅるぎゅるぎゅるっ……。


 駄目だ! もう何も考えてはいけない。

 無だ、無になるんだ。

 そうして、ただお腹の痛みを我慢するだけの時間が流れた。

 その長さたるや、ハシビロコウが数十回は動いたのではないだろうか……。


(もう、無理かもしれない……)


 諦めかけたその時、天使のさえずりが聞こえてきた。


「次は戸入といれです。お出口は左側です。ドアから手を離してお待ちください」


 車掌のアナウンスとともに電車の速度がゆっくりになり始めた。


(ようやく駅までたどり着いたぞ)


 電車が駅のホームに入り完全に停車するのを待つ。お腹はもう限界に差し掛かっていた。

 早くしないと俺のお尻が堕天してしまう。


(もう少しでドアが開く!)


 そうして開かれた楽園への扉。












 スタートダッシュを決め、目にも止まらぬ速さで飛び出す。













 そのままの勢いで漏れそうになるお尻を抑えながら階段をダッシュで駆け上る。













 光の速さで改札を抜けると、通りを一直線に走り抜ける。













 突き当りの角を左に曲がると男子トイレだ!













 目的地に向かって全力で突き進む様子はさながら、オリンピック100メートル決勝でトップを走るランナーのようだった。













 そうして近づいてくるゴールテープ。













(ついにたどり着いたぞ! 

 俺の探し求めていた楽園が)













 自分の持てる最後の力を振り絞り角を曲がると

 目の前には────













(えっ……………)













 長蛇の列ができていた。


 あまりの衝撃的な状況に声すら出ない。


「いやートイレの個室込みすぎだろ」


「後ろの方に並んでる人、絶対漏らしてるって」


 そんな話をしながら男子学生二人がトイレから出てくる。その顔は憐れむようでいて、口の端からは笑みが漏れていた。


(笑ったね? その心笑ってるね!?)


 もはやボケないと精神を保てそうになかった。


「どうしてだよぉおおおおおおおおおおお!!」


 絶望の声とともにうんこも漏れた。


 最初に自分で明言したじゃないか。


 人々はいつの時代も何かと戦っているのだと。



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