邂逅

小日向葵

邂逅

 帰宅中に後ろから声を掛けられた。知っている声、昔馴染みの声。


 一方的に別れを告げて、去って行った声。




 「久しぶりね」


 彼女は快活に言う。突然の別れからもう三年になるだろうか。


 「……やあ」


 突然の邂逅に、それ以上の言葉が出ない。


 「良かったらそのへんで軽く飲まない?」


 言葉とは裏腹に、彼女の瞳は冷たい光を放っていた。拒否は認めない、と言った風に。


 僕と彼女は少し歩いた先にある、ビルの二階の居酒屋に入った。すぐに二人用のテーブルへと通され、彼女は生ビールを二つと枝豆を注文する。


 「元気にしてた?」

 「それなりに」

 「まだあそこに住んでるの?」

 「ああ」


 久しぶりに再会を果たした元恋人との会話とは思えないくらいに、言葉の端々に殺気が覗く。若い男の店員が、生ビールのジョッキを二つと枝豆の乗った籠を運んで来た。しかし彼女も僕も、それを手にしない。


 「それ、ずいぶん可愛い絆創膏ね?」


 僕の首筋を見て彼女が言う。リサが血を吸った跡を隠すためのカモフラージュ。


 「手近にこれしかなかったんだ」


 ビールの泡がじりじりと減って行く。ジョッキ表面に浮いた水滴が、つつつと尾を曳いて落ちていく。


 「私の兄が亡くなったことは知ってたわよね」

 「三年前のあれだろう」


 かつて薄暮の銀座で、外国からの観光客に紛れた吸血鬼が暴れた事件があった。警官だった彼女の兄はそこで殉職している。その一週間後に、彼女は僕に突然別れを告げて街を去った。


 「あれから私ね、仕事を変えたのよ」


 食べるでもなく、籠から手にした枝豆を弄びながら彼女は言う。


 「兄の敵討かたきうちをしてるの」

 「かたきって、あの時の吸血鬼はその場で退治されただろう」

 「ふふ、そうじゃないの。吸血鬼の存在そのものが敵」


 多分色々と調べられているな、と僕は思った。だがしかし、決定的な証拠は何も表には出していないはずだ。通販でトマトジュースをまとめ買いしているくらいしか。僕の生活に変化はない。


 彼女は胸の内ポケットから名刺ケースを取り出し、黒いプラスチックのカードをテーブルに置く。白く印刷されているのは彼女の名前と、知らない携帯電話の番号だけ。


 「電話欲しいな?」

 「特にないと思うよ」

 「だと、いいんだけど」


 僕はそのカードを拾い上げて、席を立った。


 「あら、もう帰るの?」

 「悪いけど、明日も早いんだ」


 伝票を取ろうとする僕の手を彼女は制して、うっすらと微笑む。


 「ここは払っておくわ」

 「……それじゃ」


 僕は足早に店を出て、地下鉄の駅に向かう。一瞬、尾行の事を考えて何度か乗り換えでもしようかと思ったけれど、彼女には僕の家は知られているのだと思い出し。余計なことは辞めた。


 なんてこった、ヴァンパイア・ハンターだって?





 職業として吸血鬼を狩るには、二種類の方法がある。保健所に勤務して研修を受け、吸血鬼駆除資格免許を取るのが一般的に知られている方法で、もう一つはバウンティ・ハンター等と同じく自称である。後者の場合は探偵事務所が箔付けにと名乗っている場合が多く、実効性に欠ける上、周囲へ損害が出た場合のカバーもない。ごろつきが十分な証拠もなく踏み込んで来て部屋を荒らされたとしても、不運の一言で片づけられてしまい泣き寝入りを強いられる。


 海外には、そんな趣味的ヴァンパイア・ハンターに対する研修施設がある国もあって、資格免許を持たないハンターは大抵どこそこの養成機関卒業を名乗って営業をする。


 前者と後者に共通するのは、基本的に依頼がなければ動かない、動けないということだ。


 保健所であれば、住民の依頼で動く。保健所の動きに不満があれば、私財を投じてフリーのハンターに依頼をする。だいたいそんな感じで、もし彼女が後者の場合、どこかから依頼があったと見るのが正しいだろう。


 報酬の出ない狩りをする者はいない。僕は、そう思いたかった。





 駅前のケーキ屋は閉店作業中だったので、僕はコンビニに寄ってチーズケーキをふたつ買う。朝出掛けに頼まれた買い物で、特に店の指定は無かったのでこれでいいだろう。


 家に帰り着いて、笑顔で出迎えたリサはそのコンビニ袋を見るなり笑顔を引っ込めて仏頂面になった。


 「文句があるなら食べなくていいんだぞ」

 「そりゃ最近のコンビニスイーツはレベルが高いですけれど」


 テーブルの上に目をやると、ビーフシチューにサラダが用意されていた。珍しく夕食の準備をしてくれていたのか、と少し嬉しくなったが、確かにコンビニのチーズケーキに不満が出ても仕方がない。


 「悪かったよ。駅前のケーキ屋の閉店時間までに、間に合わなかったんだ」

 「全く、似合わないことするもんじゃないわね」


 スーツを脱いで手を洗い、僕は食卓に着く。甘いシチューの香りが鼻孔をくすぐる。


 「それで……どこの女と遊んできたのよ」


 シチュー皿の中の牛肉をフォークでつつき回しながら、仏頂面のリサが言う。


 「遊んできたわけじゃない」

 「女は否定しないんだ」

 「昔の彼女だよ」


 すっ、と音を立てずにシチューを飲むリサ。その目は嫉妬に燃えている。


 「違う。あれは今、ヴァンパイア・ハンターをしている」


 リサはそれを聞いても、平然と瞳の炎を燃やしたまま僕を睨む。


 「で?あたしは尻尾を掴まれるような間抜けはしていないはずよ」

 「僕もそう思う。近所に出た吸血鬼の話がまだ解決してないはずだし、そっちじゃないかと踏んでるんだが」

 「はずはずじゃお話にならないわね。で?」


 ことり、と音をわざと立てるようにしてスプーンを置くリサ。


 「で?」

 「あんたはどうするのって話。あたしを売って、元鞘に収まるつもり?」

 「そんなこと」

 「吸血鬼風情にはコンビニスイーツがお似合いってことかしら」

 「リサ」


 僕は正面に座るリサの手を掴んだ。震えているのが伝わってくる。


 「誰もそんなこと言ってない」

 「元カノなら人間よね?共に生きて子を成して共に年老いて共に死ぬ。あたしがあんたにあげられないものを、全部持ってるじゃない」

 「僕がいつ、そんなものを欲しいと言った?」


 僕はリサの手を放し、自分のスプーンを手に取る。


 「いいからまず食べろよ。話はその後だ」


 ビーフシチューの牛肉は、安物とは思えない程にしっかり煮込まれてトロトロになっている。野菜は後から加えたのだろう、煮崩れすることもなくその形を律儀に保っていた。サラダも冷たくて野菜に張りがある。僕の食べる様子を見て、リサものろのろと食事の続きを始めた。



 飄々としていたはずのリサが、最近どうも余裕に欠ける。それはきっと、失いたくないものを見つけてしまったからだと思うのは自惚れだろうか?だれど、僕には彼女の寂寥感がなんとなく判る気もする。後ろ盾のないプライドを維持する辛さ。



 空になった食器を洗ってから、ソファに移動したリサのためにチーズケーキを皿へと移して運ぶ。熱い紅茶には何も入れない。


 「本格的じゃないか、これ」


 チーズケーキを一口食べて僕は驚いた。長いことコンビニの生菓子は買っていなかったのだけれど、ここまで上等なものを売るようになっていたのか。


 「まあまあね」


 憎まれ口を叩きながらも、チーズケーキをフォークで小さく切って口に運ぶリサ。


 「でもまぁ、あんたに身の証を求めるあたしの方がどうかしてるのは判ってるよ、ごめん。男女の仲が永遠なら、そもそも元カノなんて言葉があるはずもないし」

 「うん」

 「ただね、あたしは怖いんだ。どこまでもあんたを信じていたいし信じたい。でも、根本が違う二人なんだから、いつかどこかで破綻するんじゃないかって。五百年の大半を一人で生きて来たことよりも、たった半日の孤独が怖いんだ。どうしたらいいと思う?」

 「僕には判らないな」


 正直に僕は答えた。吸血鬼関連の文献をいくつか当たってみたけれど、受け継がれなかった能力を後天的に付与する方法と言うものは見つからない。そもそもが不老不死であるはずの吸血鬼が、後世のためにそんな文書を残すはずもないのだ。


 「何か、方法があるといいんだけどな」

 「それは……そうなんだけど」


 リサの皿とカップも空になったのを見計らって、僕はソファから立ち上がる。キッチンでさっと洗って戻ると、リサはいつの間にか最近お気に入りの、幼いデザインの寝間着に着替えていた。


 「ん」


 抱っこを要求されたので、僕は彼女の細い体を抱き上げる。


 「今日は……ぎゅっとされたまま眠りたい」

 「ご希望通りに」

 「……しないからね」

 「いいよ」


 リサを運んで、その体をベッドに横たえる。彼女はとろんとした瞳で僕を射抜く。


 「ねぇ、多分だけど」

 「ん?」

 「きっとあたし、あんたのこと愛してると思うんだ。あんたの気持ちは言わなくていいよ、ただあたしがそう思ってるってだけだから」

 「そうか、ありがとう」


 僕は照明を落としてベッドに入り、ご希望通りに彼女の体を抱きしめて目を閉じた。




 次の朝、荷物を残してリサは部屋から姿を消した。





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邂逅 小日向葵 @tsubasa-485

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