第8話 窒息

息子にあれほどの行動力があるとは思わなかった。軍議に聖苑(せいえん)が飛び込んできた時は、驚きと同時に来る時が来てしまったと、悲しみと諦めを抱いた。

穢児(えじ)を戦争に向かわせることには初めから最後まで、反対していた。穢児計画は始まってからまだ数年しか経っていない。穢児は最年長でも10歳になるかならないかだろう。それを戦争に連れて行くなんて、人としてあるまじき行為。国がそんなことを許した前例は決して作ってはならなかった。しかし。今回の戦で負ければ、隣国が大軍を送り込んでくることは明白だった。大戦になる。ここで勝たねば、今回の戦の比にならない犠牲が出る。

いつだって、命の天秤を傾けるのは皇帝の運命なのだ。誰かを選び、誰かを切り捨てる。全ては選べない。その悲鳴と怨嗟を理解した上で、天秤の一方に指を添え、ゆっくりと下げる。人を地獄に落とすのが、私の。そして、聖苑が継いで行く運命なのだ。

しかし、しかし。まだ聖苑は背負わなくて良い。いや、背負って欲しくない。皇帝は、切り捨てることを後悔してはいけない。後悔して良いほど人の命と人生は軽くないからだ。それでも本当は切り捨てたくなかったと泣き叫ぶ人生は、聖苑にはまだ送らないで欲しい。だってまだ八つなのだ。どうか、どうか。苦しまないで。私が全て汚れ役はやるから。怖いことは全て私が引き受けるから。何も知らないでいて。あなたは人としての楽しみを謳歌して。皇子でいる期間でしかそれは許されないことだから。

しかし、それももう難しいようだ。私は失敗ばかりだ。『損傷程度』。聖苑なら勘づいたことだろう。本当は穢児を向かわせなくてはならなくなったことも、知らないでいて欲しかった。だから頑なに軍議に出さなかった。知ったら優しいあの子は傷ついてしまう。しかしもう、それも知られてしまった。

あれから聖苑は部屋に篭りきりになってしまった。部屋の前には、豪華だが腹に優しい献立の盆が置いてある。食事を拒否しているため、頻繁に女中が体調を考え献立を変えながら食事を促しているのだ。

「聖苑」

声をかけても返事はない。

「聖苑、入るわよ」

扉を押し開けると、聖苑の小さな背中が見えた。飾り格子のついた窓から入ってくる光以外、なんの灯りもつけていない。その中で、小さな背中は机に向かい、一心不乱に筆を書き進めていた。喉が詰まる。聖苑は、落ち込んで寝込んでいるのではなかった。机の脇には分類分けされた紙がいくつも置いてある。悲しかった。不憫でならなかった。聖苑は、食事も睡眠も取らず一心不乱に状況を打破する政策を考え続けていた。まだ、八歳の子供が。

「母君」

聖苑が振り返る。やつれたその姿に、胸が締め付けられる。しかし窪み始めたその双眸は強すぎる力でこちらを締め付けるように見つめている。

「なにかしら」

「まだ、決定打に欠けますが、僕は国に貢献する策を考えついています」

睨みつけるように必死に見上げる息子。胸を裂かれるような痛みに耐えながら、私は彼の前に座る。これ程の覚悟と忍耐で挑んでくる息子に、応えない訳にはいかなかった。

「…聞きましょう」

聖苑は身の回りの紙を数枚手に取り、消耗した体を必死に奮い立たせ、言葉を紡ぐ。

「穢児を、国の所有物にします」

「はい」

「穢児の賃料は高すぎてバカにできない。これを煌月院(こうげついん)から丸ごと奪えるなら、それに越したことはありません」

「はい」

聖苑は別の紙を選び、繰り返す。

「穢児に謀反を起こさせます」

「謀反?」

「そうです。穢児は普段、躾師(しつけし)のカグによって制御されています。なので躾師全員を、『戦争に使う穢児についての会議』という名目で集めてください。まず、カグという枷を外します」

薄ら寒い思いがした。躾師全員を集めるなんて、できるわけがない。普段の聖苑ならそのくらい分かるはずだ。それが分からない程に、息子は衰弱し、傷つき混乱している。

「僕が廻茱と共謀します。廻茱に事前に謀反を起こすよう穢児に計画を伝えさせます。そして、躾師がいなくなったら、穢児を全て宮内に招き入れます」

「……」

聖苑の表情は段々と険しくなっていく。自分で自分がいつも以上にうまくできていないことを分かっているのだ。衰弱で心まで弱り、自分の計画を人に話しているうちに自信がなくなってきたのだろう。それでもやらねばならないという覚悟があるから、心の中で不安との葛藤が起きているのだ。

「穢児たちには、貴族に身の安全と食事を要求させます。貴族に攻撃はさせませんが、それなりの気迫は見せてもらおうと思っています。その、そこはまだ、具体的に何をさせるかは思いついていませんが、もう、すぐに思いつきます」

俯き、紙を握る手に力が籠る。

「え、穢児たちは虐待を受けています。助けなくちゃいけない。我が国では人間も含め国にある全てが皇帝の所有物であるというほ、法律がありましたよね」

声が震え始める。

「躾師の虐待は、皇帝の、所有物への、」

言葉が止まってしまう。

たまらない気持ちになる。ここ数日、この子がどんな思いで、どんな覚悟で過ごしていたか。

聖苑はしゃくりをあげる。

「所有、物、へのっ、毀損行為であり、それは、それはっ…」

ぼたぼたと紙に涙が落ちる。胸が潰れる思いだった。あなたをそんな目に遭わせたくなかった。

「それは、皇帝への、…っ、は、反逆行為であり、ば、罰する必要がありますっ…」

全て私のせいね。

「……」

聖苑の言葉はそこで止まってしまった。泣き声を出さないように必死に我慢している息遣いが、私の全身を針のように刺す。

「こ、これから、続きができますっ…必ず」

震えながら必死に訴える小さな体。ここまで彼を追い詰めたのは、全てこの環境を作った私だ。もう、彼は休む時だ。

彼を追い詰めたのは私なのだから、介錯は私がしなくては。

私は落ち着いた声で問う。

「我が国と煌月院…この関係性で、私たちが彼らを罰することができるのでしょうか?」

聖苑は数秒固まり、そして手に持った紙を取り落とした。

「あっ…は、ぁ…ぁあ、あ…っ」

絶望した瞳からとめどなく涙が溢れ出る。

「それはなんですか?腕を切ったのですか?」

机の上には見慣れない小刀があった。

「ひ、ぁあぁ!」

遂に聖苑は大声をあげて床に伏して泣き出した。

「僕は、僕が、気づいていれば…!母君、僕は、廻茱が傷つくのが、僕のせいだってこと、この前知ったんです!この、この前!なんて酷い罪…!せ、背負いきれなかった…背負いきれなくて、僕、せめて、廻茱と同じように、血を流せば、で…でも、全然っ…僕は…!」

泣きじゃくる我が子を優しく抱きしめる。すると、安心したのか、もう話せないほどに大きな声で泣き縋った。

「もう十分です。十分な、見事な働きでした」

いつもより少し細くなった体が全身全霊で自分に縋り付く。

「恨みなさい。聖苑。この母を」

どうして運命はいつも私たちを苦境に立たせるのだろう。

「全て、母の采配のせいです」

どうして必死に善行を積もうとしても、それは覆されるのだろう。

「私は煌月院に負け、穢児というシステムを歪んだ形で完成させてしまった。私は戦況に負け、穢児を使うことを止められなかった」

熱くなった息子の小さな体を抱きしめる。

「全て、負け続けた母のせいです」

聖苑の泣き声は小さくなっていった。べしゃべしゃになった顔を手拭いで丁寧に拭う。真っ赤な顔で、ハの字の眉で、大きな瞳で聖苑は私を見上げる。

「恨みなさい」

机の上の小刀を持ち、聖苑には握らせる。

「は、母君…?」

腕に押し当てる。

「あなたの好きに切りなさい」

私だって、私だって。腕を切ることで天秤を下げた人々の償いになるのなら、いくらでも腕を切りたい。私だって、私だって。小さな子供に仕事をさせるために穢と掛け合わせるなんて、そんなこと許したくはなかった。息子が許したくなかったもの全て、私だって本当は、許したくはなかった。

聖苑は震える。

「できません…」

「あなたは悪くない。全ての罪は母にあります」

「そんなことない!!」

驚いて見やると、聖苑は必死に訴えた。

「皇帝の血が流れているのだから、全ての皇帝の罪は私の罪!母君のものだけにはしない!」

「それは傲慢です、弁えなさい…」

「嫌だ!!」

聖苑は小刀を投げ捨て、私の腹に必死に抱きついた。

「父君が亡き後、なぜ母君が即位せねばならなかったのですか!!女なのに!叔父に障害がなければ、母君は即位せずに済んだのに!!そもそも、母君は帝王学を学んでないのに!!なんで重責を押し付けたんだ!!」

「やめなさい、聖苑、仕方のないことです」

宥めようとしても、一層聖苑は頭をお腹に押し付けて首を振る。

「いやだ!いやだ!なにもかも嫌だ!!なぜ病床の母君ばかりがいつも頑張らなくちゃいけないの?ひどい…ひどい!なんで僕に何も教えてくれないの?なんで僕に権利を分けてくれないの?僕だって皇帝の血を引いているのに!」

「聖苑!」

悲鳴じみた声が私の胸を抉りつんざく。

「なんでだよ!なんでだよぉ!母君が女だからなんだよ!女だったら皇帝を軽んじていいのか!?ばかしにて…!ばかにして!!きらいだ、きらいだ、みんなきらいだ!!」

「聖苑っ…」

「みんなだいっきらいだ!!ばかぁ!!!」

目頭が熱い。大声で泣き叫ぶ聖苑の姿が歪んでいく。ああ、そうなの。そうなのね。聖苑に言葉にされて初めて自覚した。荷が重い仕事を強制させられたこと。女であるが故に軽んじられていたこと。病床ながら努力した全てが水泡に帰してきたこと。全て全て、私も傷ついていたのね。

「っ…」

堪えきれず、涙が頬を伝う。

「なんでだよぉ!!」

つんざく悲鳴をあげ叫び泣く聖苑を抱き、皇帝になってから、初めて私は涙を流した。


そして、私たちはまた負けた。

一緒に練った政策は一部しか取り入れられず。

帯孔(たいこう)という子供を戦地に送り込むという業を、また一つ背負った。

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声煙 深山周 @SyuMiyama

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