第7話 息継ぎ

息があがる。肺がはちきれそうだ。

無理矢理脚を動かして走る。

あの竹林へ。

廻茱(えしゅ)が瀕死になるまで傷つけられるなんて、そんなこと許せるはずがなかった。逸る鼓動は抑えられなかったが、理性は別の言葉も囁いている。それなら、帯孔(たいこう)なら良いのか?と。本当は、廻茱が無事でいられるのなら、今までのように生意気に笑っていてくれるのなら、なんでも良かった。でもそれはいけない。いけない判断だ。穢児とはいえ、帯孔も子供だ。子供が戦場で使い潰されるなんて、そもそもがあってはならない話なのだ。

なぜ僕は今まで、穢児というシステムに目を向けてこなかったのだろう。いずれ来るこの悲劇を、知らなかったわけじゃない。なのに、まるでそれは来ないものかのように日々を笑い過ごして、未来に向き合わなかった。皇子が。この国を統べることになるこの僕が。…大罪人だ。

僕が止めなくてはならない。廻茱も帯孔も、どの穢児も、戦地で傷つかないように。もう手遅れもいいとこだ。僕にできることなんて殆どない。権力さえもないに等しい。でも、自分の中に、唯一事態を変えられるものがあるとしたらそれはやはり皇子の地位だけだった。

廻茱に会いたい。

ずっと互いの身分を棚に上げて、ありのままの自分で過ごしてしまってごめんなさい。穢児というシステムを、見なかったことにしてごめんなさい。

穢児を使う方向で固まるまで、軍議を放置してしまってごめんなさい。どうしてもあなたを、行かせたくない。もうあなたの血は見たくない。僕が頑張るから。どれだけ蔑ろにされても、どれだけ踏み付けにされても、無視されても嫌がらせを食らっても。唯一あるこの権力を死に物狂いで使って、廻茱をそこから逃すから。

あなたに会いたい。

会って、抱きしめて、大声をあげて今までの全てを謝りたい。

「廻茱…」

深呼吸する。でも。これだけの罪を犯して、泣いて縋って許しを乞うなんて、そんな甘えは許されない。許しは乞わない。その罪を背負って、国の長として。この状況をひっくり返す。それが僕の、人としての責務だ。

努めて冷静に。冷徹に。

廻茱と話をして、知らない情報を手に入れる。そして、そして。謝ろう。許しを乞えなくても、謝ることだけはしなくてはいけない。そのときに泣かないように、凛としていられるように、がんばらなくては。自信はないけれど。できるできないじゃなくて。しなくてはならないことがある。

悪臭立ち込める館を見上げると、黒々とした屋根に、何かがきらきらと銀に光っていた。なんだろうと思って見ていると、きらきらしたものはすっと高くなり、それは一足飛びに僕のいる塀まで足をかけ、軽やかに竹林の闇に着地した。

「聖苑か」

墨のような暗闇からぬるりと頭を上げ、こちらを見やった白い顔。思わず心臓が跳ねた。諦め、憂い…そういったものが彼の顔を作り物の人形のように見せている。

心臓がどきどきするのを感じながら、僕は確かに尋ねた。

「損傷程度とは?」

廻茱は一瞬悲しそうに瞳を開いたが、すぐ首を傾げて嘲るように吐息を吐いた。

「君は、九割なんだろ?君の体が九割怪我を負うまで働かせるっていうことなのか?」

絶対そんなことにはさせないと僕が続けようとしたとき、廻茱が薄く笑った。

「九割までなら壊しても、次の日使っていい、の意味だ」

頭が真っ白になった。驚きのあまり声も出なかった。そんなことは…そんなことって…。そんなことを考えるなんて…なんていう悪魔なんだ?九割も壊れてしまったら、もう、それは生きていると言えるのだろうか?子供をそこまで厳しくやりこめて、また次の日も怪我をさせに出すというのか。あまりのことに、怒りを通り越してショックのあまり呆然としてしまう。

「そんな…」

何も言えずにいる僕たちの間には、木枯らしが吹き、枯れた笹の葉を舞い上げた。

廻茱は気だるげに体を壁に預け、重い頭を上げた。その様はまるで、月に息継ぎを求めるようだった。

「聖苑…。俺は、戦争に行きたい」

鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。僕は今日、廻茱を戦争に行かせないために来たのだ。廻茱に戦争の選択肢をもたらしたことを謝りに来たのだ。それなのに…なぜ。

思わず口を開きそうになったが、やめてしまった。廻茱は力無く腕を垂らし、疲れきり、枯れた声は喘ぐようで、こんな彼になんと言うべきか分からなかった。

「九割くらい、造作もない。削られたところで。俺は頭を潰されても死なない。どれだけ傷つけられるかなんて、どうでもいいんだ…」

銀の光を受けて煌めく髪と鼻梁。柔らかい影を落とす唇。水墨の優しい影で形取られたふくよかな頬。僕の、僕の愛したーー…。

「もう、こんなところにはいたくない。どう傷つけられてもいい。人の世に行きたい…」

何を思えば良いか分からなかった。ただ、困

惑して、ただ、真摯にいなくてはと、必死だった。

「お前のいる…人の世に…」

胸を穿たれた気がした。

僕のいる、人の世?

…僕たちは、違った世を生きていたのか?

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