アナトミー

@kakukakuhituji

アナトミー



 昔から大きな声を出す人が苦手だった。

 大きな声で誰かを叱りつけたり、大きな声で泣き叫んだり。大声に感情を乗せることが酷く下品に感じたのは、彼らがそれに酔っているのだと思ってしまったから。少しの不快感を大袈裟に誇張しているのにすぎないのだと。

 逆に、感情を無理に押し殺そうとして漏れてしまう怒りや、我慢できず溢れてしまう涙には上の人たちより壮絶な感情を感じた。

 私にとって内に秘めることは美徳であり、激情だった。

 そんな私が読書を趣味とするようになったのは必然だったのかもしれない。

 小説は、形だけを言ってしまえばただの文字の集合体である。音もないので声もない。

 ただ、敷き詰められた文章には五感に訴えかけるなにかがあった。

 登場人物たちが本の中で怒声を放ったり、慟哭したりするのを、私はそのままに受け入れられた。感情を揺さぶられた。

 本を読むときだけは、斜に構えることをせず、登場人物と向き合うことが出来た。

 特に好きな作品だったのは、『雷雨ライフ』という作家のファンタジーだった。

 多感な中高生に向けて描かれる、登場人物たちの苦悩。異世界モノだが、彼らの抱く悩みは異世界特有のものではなく、あくまで少年少女たちが日常的に抱くようなものばかりだった。

 そのなかで、私と似たキャラクターがいた。大声が苦手で、自分からなにかを発信することが苦手で、ボソボソ喋る魔王だった。

 ──こんなのが、魔王?

 最初は不思議に思ったけれど、同時に納得もできた。

 内に秘め続けている激情は、やがて爆発するのだ。

 私はそれにこそ価値を感じている。周囲が「こいつは主体性がなく流されているだけの弱者なのだ」とレッテルを貼った相手に、恐怖を抱く瞬間に胸がすく。

 結局、この魔王は討伐されてしまった。ただ、息を殺し殺意を殺し、魔王が油断した隙を狙った、声の小さな女の子に。

 きっと作者は、私と同類なのだ。私はどうしてもそれを伝えたくて、ファンレターを書いた。同時に、SNSの読書アカウントで作品名と作者の名前をタグ付けし、ファンレターに書いたものを要約した感想を綴った。

 雷雨ライフ先生の目につけばいいなという下心が、根底にあった。先生はわりとエゴサをするタイプらしく、タグ付けされた肯定的な感想には反応を残している。

 ただ、私の投稿にはついぞ、なんの反応もなかった。


 まあ、目につかなかっただけかもしれない。

 私はそんなことを思いながら、雷雨ライフ先生のサイン会に向かっていた。どんな人なのだろうと、田舎から都会に出るための始発の電車で浮き足立っていた。頭の中では限られた時間内で感想を伝えられるよう用意してきた文言を何度もなぞったし、三時間揺られる間、作品を読み返した。

 そうしてサイン会に並んでから、私の耳に飛び込んできた甲高く耳障りな声。

 一体だれのものなのか、一列に並んだ人の影からひょっこり顔を出し先頭を見る。


「え〜! 全部読んでくれたんですかあっ!? ウレシ〜!! あ、あやかちゃんってもしかして、いつもタグ付けして感想くれるAyakaちゃん!? わ〜やっぱりぃ!? いつもありがとね!!」


 私は愕然とした。もしかしたら会場を間違えたのかもと周囲を探ったが、そこらじゅうに、これまで刊行された作品の表紙がポスターとなって飾られている。

 間違いなく、あのケバケバしい派手髪とキンキン響く耳鳴りのような声をした女が、雷雨ライフだったのだ。

 私の頭の中の雷雨ライフ先生は、黒髪をたなびかせ、切れ長の瞳と少しほっそりした神経質そうな眉を持つイメージだった。女性だろうという点は合っていたが、ここまで想像と乖離した人物だとは見当もしなかった。

 モヤモヤした気分を抱えながら、私の番が回ってきた。けれど私は微笑みを崩さず、SNSのアカウント名を名乗る。すると彼女は一瞬目をすがめてから、大きく口を開けた笑顔を湛える。


「ファンレター読みましたよ! すごく細かく感想書いてくれてありがとうございます〜!!」

「いえ、あの、次の作品も楽しみにしてます」

「わーい! 頑張って書きますね〜!!」


 私はサインを書いてもらった本を受け取ると、そそくさとその場をあとにした。

 せっかく三時間もかけてやってきたのに、観光する気にもならない。

 すぐ駅に向かおうとすると、私のユーザーネームで呼び止める声があった。スーツを着た、サイン会のスタッフの一人だった。


「雷雨ライフがあなたとお話したいと。お時間ありますでしょうか? あと三十分ほどで終わる予定です」

「えっ!?」


 素っ頓狂な声を出した私は、あわてて口を押さえ頷いた。さっきまで曇っていた心は、瞬時に晴れやかになる。気にしないよう努めていたが、自分の投稿にだけ反応がないのを気にしていたらしい。特別扱いされることに、優越感を感じた。




「すみません、お待たせしましたー」


 雷雨ライフ先生が指定したのは、サイン会場となった書店の隣にある、落ち着いた雰囲気のカフェだった。

 先に注文していたコーヒーは既に底をついている。彼女が注文するのと一緒に、私もおかわりを頼んだ。


「ここのショートケーキ美味しいんですよ〜! もちろん奢るので、苦手じゃなければ食べてみませんか?」

「あっ、えと、ぜひ……」


 彼女は「じゃあいつもので!」と、店主に笑顔を向けた。


「ここ、いつも執筆する時に使わせてもらってるんですよ。お客さんの邪魔にならないよう端っこで、締め切りヤバいときは閉店ギリギリまで粘っちゃうんだ」


 私は彼女のゴテゴテした爪が示す方を振り向き、そこでノートパソコンを弄る姿を想像した。


「てか、急に呼び止めてごめんね。あなたとどうしてもお話したくて。住所遠かったよね? 時間大丈夫?」

「全然大丈夫です」


 私は食い気味に答えた。それに彼女はカラーコンタクトを着けた灰色の目を丸くし、くしゃりと笑う。


「なら良かった。……どうしてあなたを呼び止めたのか、気になるよね?」


 その問いかけに、私は小さく頷いた。雷雨ライフ先生は数秒おいてから、小さなバッグに手を伸ばす。そこから出てきたのは、私が送ったファンレターだった。


「ワンチャン来てくれるかなと思ってね、持ってきたんだ」


 私は恥ずかしさと幸福で、どんな顔をしたらいいか分からなかった。けれど、彼女の次の言葉で私の気分はどん底に突き落とされる。


「これさ、あなたは自分と魔王を重ねたって言ってたよね。それで、アタシを理解者だって。普段は読者の感想にケチつけることしないんだけど、これだけは許せなかったんだ」

「……え?」


 ──いま、許せないって言った?

 聞き間違いだと思った。けれど、彼女の顔から笑顔が消えていたから、それは聞き間違いなんかじゃないのだと、理解した。

 理解した瞬間、変な汗が噴き出す。


「私、友達を殺されてるの。ちょうど、ここに出てくる魔王みたいなやつに」

「……は?」


 喉から出た声は、震えていた。


「そいつは周囲の環境に対してぐつぐつ憎しみを募らせて、発散する先をアタシの友人に選んだ。その子、癌だったんだけど、殺される半年前に寛解したばっかりだったんだ。抗がん剤と三回の手術に耐えて、死の恐怖からやっと解放された子だったの。それなのに、そいつはあの子が『幸せそうだったから』って理由だけで殺したんだよ。……あなたがファンレターを書いてくれた作品ね、魔王はそいつがモデルなんだ。勇者のモデルがアタシの友人。ここまで言えば、分かるよね? あなたは私を理解者と表現したけど、同類だと思ったんでしょう?」

「……そ、れは」


 私は拳を強く握り、口を噤んだ。そんな話を知っていれば、あんなこと書かなかったのに。


「じ、じゃあ、どうして魔王を討伐したのは勇者じゃなくて、魔王と同じような性格の子だったんですか?」

「……あれは、アタシの願望だよ」


 雷雨ライフは不気味に笑顔を浮かべて言った。


「あいつはひとつも反省していなかった。それどころか、心神喪失を訴える始末。結局、来年には刑期を終えて出てくる」


 彼女は運ばれてきたショートケーキの苺にフォークを突き刺した。


「だから、同じイカれた奴に殺されろって。そう思ったんだよ」


 彼女は私をじっと見つめた。

 私は灰色に隠されたマグマのような激情を感じ取った。

 目は口ほどに物を言うという。

 おしゃべりで、オーバーリアクションをする彼女がひた隠しにする殺意に、私は魅了されてしまった。


 だから、私は殺した。

 雷雨ライフの友人を殺したという男を。


 奇しくも、決行した日は雷の轟く豪雨の最中だった。




 被告人質問に、私は雷雨ライフの存在を明かさなかった。

 内側に秘めることは美徳なのだ。

 いつか彼女は、私をモデルに小説を書くだろう。

 小説家とは往々にしてそういう生き物なのだ。

 けれど、モデルというには順序が逆になるだろう。

 きっと私は、彼女にとって初めての立体的な作品なのである。

 彼女が私を描くとすれば、それはモデルではなく解剖だ。内側に秘めた激情が腫れ上がり、体じゅうに散らばったそれの向かう先が、どこに到達したのかを知るために。

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