最近株価の暴落がつらいので書いた短編

アールグレイ

第1話

『空前の投資ブーム! 乗り遅れるな!』 『現金はリスク!? インフレに強い資産を持とう!』


 そんな刺激的なキャッチコピーが、SNSのタイムラインや電車の中吊り広告、さらには行きつけのカフェにある雑誌の表紙でも、ここ数ヶ月、恋の目に飛び込んでくるようになった。投資には全く興味のなかった恋だったが、最近、推し活にお金がかかりすぎてバイトをいくつも掛け持ちしても追いつかない状況に頭を悩ませていた。

 追い打ちをかけるように、先日、仲の良い友人とのランチでこんな話を聞かされた。

「あのさー、最近うちの彼氏が投資してるんだけど、大儲けですごいらしいよ? 高級レストラン連れてってくれたり、ブランド物のバッグ買ってくれたり」

「へー、でも投資って怖くない? 元本割れとか、大損する人もいるって聞くけど……」

  「いやいや、そんなの昔の話だって! 今は投資初心者でも簡単に始められるし、7割の人が勝ってるらしいよ」

 友人の彼氏が投資で成功したという話、そして最近の投資初心者の勝率が高いというデータ。半信半疑ながらも、恋の心は大きく揺り動かされる。推し活のためのお金を稼ぐ近道になるかもしれない。それに、投資の知識があれば、なんかカッコいいかもしれない。

「投資かー、ちょっとやってみようかな」

 決意を固めた恋は、スマホで証券口座について検索してみる。証券会社がたくさんあって最初は戸惑ったが、いくつかの比較サイトを参考に、初心者でも使いやすそうな大手証券会社に絞り込んだ。口座開設に必要な情報を入力し、本人確認書類をアップロードする。思ったよりも手続きは簡単で、数日後には口座開設完了のメールが届いた。

 初めての投資。期待と不安が入り混じる中、恋は少額から始めることを決意する。投資信託や個別株など、様々な選択肢がある中で、まずは少額から買える小型株を選択し、恐る恐る買い注文ボタンを押した。

 画面に表示された「注文完了」の文字。それは、恋の新しい挑戦の始まりを告げる合図だった。


 次の日、恋は期待と不安を胸に証券口座にログインした。すると、画面いっぱいに表示されたのは、目を疑うような光景だった。

「え、嘘でしょ……!?」

 恋が購入した個別株の評価額が、昨日の購入時よりも大幅に上昇し、含み益が10万円を超えていたのだ。

 混乱する恋は、慌ててその会社の情報を検索する。すると、なんと昨日がその会社の決算発表日だったことが判明する。しかも、発表された内容は、増収増益に加えて増配まで決定という、まさにサプライズ尽くしの好決算だった。

 株価はストップ高。つまり、その日のうちに買えるだけの買い注文が殺到し、これ以上株価が上がらない状態になっていた。

「もしかして、私って投資の才能あるのかも……?」

 初めての投資でいきなり大成功を収めた恋は、興奮と高揚感を抑えきれずにいた。この成功体験は、恋の価値観を大きく揺さぶり、投資への興味を一気に加速させる。

 それからの恋は、推し活に使っていたお金を投資に回し、毎日のように株価をチェックするようになった。

 恋の投資スタイルは、ニュースやSNSで話題の銘柄に飛びつき、短期的な値上がり益を狙う。いわゆる「投機」と呼ばれる投資スタイルだ。

「また勝った! これで新しいグッズ買えるじゃん!」

 連戦連勝を重ねるたびに、恋の自信は深まり、投資にのめり込んでいく。しかし、その裏では、リスク管理や長期的な視点といった、投資において本当に大切なことが抜け落ちていたのだった。


 そんなある日、恋の運命を大きく狂わせる銘柄が現れた。それは、政府が成長戦略の柱として掲げる、次世代エネルギー関連企業「グリーンエナジーイノベーション」という会社の株だった。

 世界的な脱炭素の流れを受けて、グリーンエナジーイノベーションは、太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー事業に積極的に投資しており、その将来性は大いに期待されていた。

 国策銘柄ということもあり、投資家の期待感は日に日に高まり、株価は連日のストップ高を記録していた。SNSや投資系掲示板では、「グリーンエナジーイノベーションはテンバガー(10倍株)間違いなし!」「億り人への道が開かれた!」といった書き込みが溢れかえっていた。

 恋は、この熱狂の渦中に飛び込むことを躊躇しなかった。投資系インフルエンサーのYouTubeチャンネルを片っ端からチェックし、SNSで流れてくる情報をくまなく収集する。さらには、有料のオンラインサロンにも加入し、専門家やベテラン投資家たちの意見に耳を傾けた。

「この銘柄、もしかしたら一生に一度の大チャンスかもしれない……」

 恋の心は、日に日に高揚していく株価とともに、どんどん大きくなっていく。そして、ついに決断の時が来た。

 恋は、これまでコツコツと貯めてきた貯金だけでなく、バイト代や推し活資金、さらには生活費にまで手をつけ、全財産300万円をグリーンエナジーイノベーションの株に注ぎ込んだ。

 しかし、恋の欲望は満たされるどころか、さらにエスカレートしていく。株価は、恋の期待を裏切ることなく、さらに上昇を続ける。1週間後には、含み益が300万円を超え、恋の口座残高は600万円に達していた。

「もっと、もっと儲けたい……」

 恋は、証券会社から信用取引の限度額保有資金の3.3倍の2000万円まで資金を借りて、さらに買い増しを繰り返す。それでもまだ足りない。恋は、信用取引で買った株を担保に、さらに資金を借りて株を買う「信用二階建て」というハイリスクな手法にまで手を染めてしまう。

 この頃には、恋の生活は完全に投資中心になっていた。大学の授業はサボりがちになり、バイトも辞めてしまった。友人からの誘いも断り、四六時中株価チャートを見つめる日々。


 しかし、そんな無謀な賭けも、永遠に続くわけではない。ある日、グリーンエナジーイノベーションの工場で火災が発生したというニュースが流れると、株価は突然暴落し始める。連日のストップ高で膨れ上がっていた期待は、一瞬にして崩れ去った。

 信用取引の損失は、あっという間に膨らみ、追証の嵐が恋を襲う。証券会社からは、追加保証金の入金を求める電話がひっきりなしにかかってくる。もはや、自分の力ではどうすることもできない状況に追い込まれた恋は、最後の手段にすがることを決意する。

 それは、奨学金に手を付けるという、絶対にやってはいけない禁断の行為だった。奨学金は、本来学費や生活費に充てるためのお金であり、投資に使うことは言語道断だ。しかし、恋は正常な判断力を失っていた。

「これさえ乗り切れば、また株価は上がるはず……」

 恋は、藁にもすがる思いで、奨学金100万円を全額出金し、最後の賭けに出る。しかし、その願いもむなしく、株価はさらに下落し続ける。

 全てを失った恋は、呆然とパソコン画面を見つめることしかできなかった。

 恋は、藁にもすがる思いで、よく見ていたファイナンスサイトの掲示板を開いた。そこには、グリーンエナジーイノベーションの株価暴落に関するスレッドがいくつも立っていた。

 同じように損失を出した投資家たちの悲痛な叫びや、これからどうすればいいのかという不安の声が並ぶ中、目についたのは、心ない野次馬たちの嘲笑のコメントだった。

「電車止めんじゃねぇぞw」 「メシウマすぎる」 「情弱とバカしか買ってない銘柄だしね」

 画面に並ぶ無慈悲な言葉の数々に、恋は怒りと悲しみで体が震える。いてもたってもいられず、反論のコメントを書き込む。

「まだこれから上がるはずだ! 国策銘柄なんだから、絶対に大丈夫!」 「一時的な下落に過ぎない。今が買い増しのチャンスだ!」

 しかし、そんな必死の抵抗も虚しく、掲示板にはさらに辛辣な言葉が浴びせられる。

「まだ粘ってるのかよ、こいつアホだな」 「現実見ろよ、もう終わりだよ」

 そんな中、一際目を引くコメントがあった。

「いや、この株はまだまだ上がるよ。一時の値動きに騙されるな」 「国策銘柄なんだから、絶対に安全だって」

 都合のいい意見ばかりを信じたがる恋は、この言葉を心の拠り所にする。

「そう、まだ上がるんだ。絶対に諦めない」

 損切りして損失を確定させれば、まだは一命は取り留めたかもしれない。しかし、恋は正常な判断力を失い、希望的観測にすがる。

 株価は、恋の願いとは裏腹に、だらだらと下落を続ける。そしてついに、証券会社から最後通告が届く。

「本日中に追証金1000万円をご入金いただけない場合、強制決済させていただきます」

 もうどこからもお金を借りることはできない。恋は、全てを失ったことを悟り、絶望の淵に突き落とされる。

「はは、ははは」

 乾いた笑い声が、静まり返った部屋に響き渡る。

「あっははははは!」

 恋は、狂ったように笑い続ける。それは、自分自身への嘲笑であり、絶望の叫びだった。



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