第22話 変わらない日々

 十二月三十一日。二十三時五十五分。新年まで、残り五分を切っていた。喧騒にまみれた都会とは違い、年越しであっても、田舎は静寂に包まれている。家の明かりは点いておらず、まるで人が住んでいないかのように静かだ。


 冥と小百合の二人は、静かに眠る田舎の風景を坂道から眺めていた。




「静かだな。都会じゃ、明日の朝まで人の声や物音が途絶える事は無かったんだがな。この日だけは、私のような人間も休めた。暗い廃墟の隅に身を寄せて、圧し掛かる疲れに委ねて眠りについていた。完全に眠るわけじゃなく、いつでも動けるように意識は現実に繋ぎとめて」 




「今はどう?」




「睡眠なら普段から十分とってるさ。仕事は完遂したし、飯もたらふく喰えた。やる事が無くて、退屈だと思えるくらいには、気が緩んでるよ」




 冥はタバコを口に咥え、吸い込んだ煙を肺に溜め込み、一気に空に向けて煙を吐き出した。陽が出ている時よりもハッキリと見えるタバコの煙は、夜空へ浮かんでいくと、徐々に透明になっていく。


 冥は思った。あのタバコの煙のように、徐々に存在が薄れていき、最終的には誰の目にも映らなくなるのだろうと。その実感はあった。都会にいた時と比べ、感覚や動きが鈍り、日に日に劣化している。常人離れから常人へ。常人から凡人へ。凡人から、死人へ。その末路に至る道は、決して長くない事も、冥は分かっていた。次に死亡しても、冥の権限がある人物がいない今、再起する事は不可能である。 


 それでも、冥は田舎を選んだ。この何も無い退屈な場所で、自分の生涯にピリオドを打つと決めていた。




「あんたはどうなんだ? 私との生活に、そろそろ嫌気がさしたか?」




「まさか。私はずっと独りだったのよ。そんな私が、傍にいてくれる人を邪険にするだなんて。そんなの、身勝手過ぎる」




 小百合は首に巻いていたマフラーで口元を隠し、唇を噛み締めた。今の冥も好きであったが、それは妹に対する親愛のような愛情であった。死んでしまった冥に対する好きは、恋人に対する愛情。同じ姿、同じ声、同じタバコの臭い。どれも同じなはずなのに、同じ想いを覚える事が出来ない。


 小百合は思った。胸に釘打たれた恋心を果たす事も、塗り替える事も出来ないと。今の冥と過ごしてきた数ヶ月で痛感させられた。何度も恋を覚えようと、何度も愛を囁こうと、何度も手に触れようともしたが、結局出来なかった。


 だから、小百合は妥協した。愛していた冥を記憶に焼き付けたまま、今の冥と共に過ごす。例え冥から誘われたとしても、小百合は体を差し出すが、心は譲らない。小百合の想いと感情は、死んでしまった冥の物だからだ。




「まぁ、いつまで続くか分からない共同生活だけどさ。出来るだけ長く続くように、努力するよ」




「うん。私も、善処する」




「ヘヘ。そんじゃ、家に帰るか! 新年から風邪ひいたりしたら、縁起が悪いしな」




「帰ったら、年越し蕎麦食べる? 一応、お餅もあるけど」




「餅と蕎麦って合うと思うか?」




「ん~、別々で食べた方が良いんじゃない?」




「そうだ。明日、家の中を掃除しまくるから、少しは手伝えよ」




「え~……」




「家主なんだから、少しは家の面倒を見ろよ。せめて自分の部屋くらいは綺麗にしろよな」




「あーあ。せっかくお昼まで寝ちゃおうと思ってたのに」




「それはいつもの事だろ」 




 二人は縦に並んで坂道を上っていく。前を歩く冥は上った先にある家を見ていた。後ろを歩いていた小百合は冥の後ろ姿を懐かしんでいた。


 これから寒い冬は徐々に薄れていき、白い世界が色変える。雪が溶けて春が訪れれば、枯れた木に花が咲く。そのすぐ後に、日照りが続く夏が訪れる。長い夏が終わると、秋が訪れ、すぐに冬の季節に移り変わる。


 様々な変化を見せる四季とは違い、これからの二人の暮らしに大きな変化は起きない。同じような日々が続き、同じような会話を繰り広げる。平穏であり、退屈な毎日が約束された二人の暮らしは、消え行く田舎と共に世界から忘れ去られていく。


 


 ある日、女が田舎にやってきた。都会化計画の視察に来た女は、誰も住んでいない家に足を踏み入れた。人の気配は無かったが、何処の部屋も綺麗に保たれている。何処も清潔に保たれていたが、縁側だけはタバコの臭いがこびりついていた。


 一度外に出て、家の隣にある小さな倉庫の中を覗くと、そこには二本の白百合が床に置かれていた。それはまるで、墓に添えられる花のようだった。


 倉庫から出た女は、改めてその家を一望しながら、タバコを吸い始めた。住んだ憶えも無いのに、どこか懐かしさを感じる妙な感覚に、女は涙を流した。

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箱庭に咲く百合の花 夢乃間 @jhon_

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