第6話  貴方は私の目の前に

 屋敷に戻ったハウェルがコルネリアの部屋で確認した自身が送った手紙、薔薇の形に折られたそれは紫色に染まっていた。調べによると当時、手紙を運んだ青年は染職人と会っていた事が判明した。職人が誤って零した染料が溶かされた水を被ってしまった結果、手紙は白から紫になったのだ。


 ハウェルはそれを知るとすぐ、ペンを手に取りインクにつけたそれを自分の足で買った高級な用紙に走らせた。


 約十日後、コルネリアの葬儀には巫女長、マギニトの姿もあった。

荘厳な教会にはコルネリアを送る歌声が響いている。それに別れをいよいよ本格的に感じたのか嗚咽があちらこちらから聞こえてくる。


「コルネリアさまぁ…」


 彼女が生前、世話した孤児たちの縋る声もすすり泣きと共に響き始める。泣き声は主に後列から聞こえた。

列は前から血縁関係から関係者の順になっている。最前列にいるハウェルはいつもの威圧感のある表情だ。


 前例の方は貴族関係の者が多く利害関係が大半だが、コルネリアの人柄か俯いてどこか悲しそうだ。ハウェルの横にいるマギニトは姿勢を崩さずに巫女の顔をしている。


 歌が終わるとハウェルが白い袋を持ったまま棺に近づく。黒い礼服はあからさまな高級感はないが、袖や襟回りにレースの装飾が施してある。黒手袋のぴんと張った質のいい生地は綺麗な曲線の皺を描く。


 よく見ると袋に見えたものは質こそ良いがただの白い布、四隅を持っているだけのそれを人差し指と親指で一つだけの角をつまむようにして、他の指を離す。


 ハウェルの謎の行動に眉を寄せて怪訝な顔をしていた客たちの耳に届いたのは、かさかさという紙が擦れ滑り落ちる音。布が広がった途端に、薔薇の形に折られた紫色の用紙、いや手紙、約千通がコルネリアの身体を覆う。


「これだけあれば少しはもつだろう」


 ハウェルが覗き込んだコルネリアの顔は少しだけ微笑んでいるように見えた。



 コルネリア=グランクト=ユガルク、魔女として生まれた彼女は両手いっぱいの愛を抱きしめて旅立った。


 空中庭園が完成して間もなく、コルネリアはレコルドルの歌に聖者として名前が追加された。


 ハウェルは事業をより大きく展開し、それとは別に魔女についての正式な研究部門を立ち上げた。その責任者として選ばれたのはウイデオという青年で人生のほとんどを、仕えたグランクト夫妻に捧げた。巫女長マギニトはコルネリアの死から数年後、その部門を支援するという言葉を残して死去した。


 ハウェル=グランクト=ユガルクは門番としての役目もこなし生涯、亡き妻コルネリアへ手紙を書き続け、その全てを墓の周りに造られた手紙受けに落とし続けた。その後再婚することはなく、亡くなる際に全ての遺産を従業員や屋敷の者たち、そして空中庭園の維持費と研究に遺した。彼を家令ムガンク亡き後、右腕として支え続けたイラという男はグランクト家の後継者を見事選定し、最終的にグランクト家の家令として支え続けた。


 XX年後、魔女と判断されていた身体的特徴や能力はただの珍しい体質と人々に認識されるまでに研究を続け、意識改革を行った。今も空中庭園は現存しており、入れるのは特別な資格を持った花の管理人と一握りの巫女たち、そして今では格式高い家に加わったグランクト家の人間である。







「ハウェルさん、ハウェルさん」


「なんだ、コルネリア、っつ…」


 バサッという音と共に向けられる紫薔薇の花束。その勢いに思わずのけぞるハウェルの視界、花びらたちの隙間から覗くは、単に黄緑色と称すには神秘的なものを感じる瞳だ。


「…気が早いんじゃないのか」


 視線だけを動かし五本あると確認すると、そう気だるげに言いながらも包装ごと握り過ぎないようそっとコルネリアの手から引き抜く。


「そういう気分でした」


 そう言ってプラチナブロンドの長い髪を揺らして向けた顔の先は今いる遊園地の観覧車、ではなくつま先より少しばかり先に広がるガーデン。一年中を通して色んな種類の花が咲き乱れるそこは有名で、今日もコルネリアの希望によりどちらかというとそれ目当てだった。


「次は三本送りますから」


「こういうのは男がするものじゃないのか」


 そう言いながらハウェルがコルネリアに向けて差し出す一本の薔薇、こちらも紫でお見合いの席で初めて会った日から毎日一本ずつ欠かさずコルネリアに送られているものだ。


「今はそういう時代じゃあないですよ。ハウェルさんは情報に敏感なのに、こういう事についてはたまに疎いですよね」


 微笑みながら今日で百八本目の薔薇をコルネリアはいつも通り両手で受け取った。


「いやか?」


「まさか!宝探しみたいで楽しいです。一歩進むごとに私だけへの特別を見せてくれて、いずれは…」


 手を伸ばして薔薇を渡した距離分空いた空間をゆっくり綱渡りしているかのような足運びで近づくコルネリア。


「ここにあるものを見せてくれるんでしょう?」


 縮まった距離、薔薇に指を絡めた指先から掌が仕事帰りのハウェルのスーツに覆われた胸に徐々に触れていく。


「最初から見せているつもりだが」


 特に表情を動かすことのなかったハウェルはコルネリアのもう片方の手を自身の手で包み、ゆっくりと引き寄せる。


「じゃあ次は私の番でしょうか」


「こういうのは順番というものではないだろう」


 コルネリアの台詞を真似したような言い方に思わずふっと笑いを零すコルネリア、それを見てハウェルも柔らかい弧を口元に描く。


「だが、君に贈りきれてない物があるのも確かだ」


「私も貴方にまだ贈りたいものがあるんです」


 ハウェルが握っていたコルネリアの手はそこから抜け出していつの間にか、ハウェルの手と指を絡め合う形ににぎりなおされている。


「一年過ぎたらまた薔薇を一から贈る。何度でも、これから先、受け取ってくれるお前がいる限り」


「ふふっ、手が何本あっても足りないです。でもどんなにいっぱいいっぱいになっても、私も貴方に贈り続けます。ハウェルさんは私以上に贈り過ぎる人ですから、ハウェルさんが空っぽにならないようずっと隣で贈ります」


 眠っていたのかとありもしない幻想と幻聴から目を覚ますハウェル、今は自分しかいない空中庭園には髪を少し揺らす程度の風が吹いている。目の前のコルネリアの墓に何通目か分からない手紙を書いていた。


「コルネリア、俺たちが同じ場所に立っていたのかまだ俺には分からない。そもそも、自分がいた場所も分からないんだ。でも、お互いを見ていたと信じていいか?」


 横から吹いていた風がハウェルの正面、顔を撫でるように柔らかく包み込む。まるでコルネリアの返事かのように都合よくきたそれにハウェルは心地よさげに身を任せた。

 

 結婚して一年目、その日は出会った日のことだった。

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紫薔の暴君 黒薔薇王子 @kurobaranotutaga

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