彼女の決意
次の日、昨日の事が頭から離れなかった僕は、まず美浜さんと愛莉ちゃんと会話をさせる前に、愛莉ちゃんと話して美浜さんと帰ることを納得をさせる事は難しいとしても、ワンクッション置くべきだった。
だけど、そもそも美浜姉妹の関係性を知らなかったのだ。
保育士、ましてや常勤でもないので、何も出来ないのは当たり前だ。
ただ、母さんは直接の解決は出来なかったが、取り敢えず、愛莉ちゃんを説得してみせた。
出来ないことを無理強いさせるより余程、建設的だと感じる。
もっと視野を広くもって、色々な促し方や声の掛け方を身につけていかなければいけない。
反省と言い訳がそれぞれ頭の中でグルグルと回っている。
子どもと関わる中で素人の僕は勿論上手くいかないことが多くある。
経験が少ない僕だが上手くいかなかった事を振り返るとすぐ反省点が浮かんできて、そんなにすぐ思い付けるなら何故その時に実践しないのだと落ち込んでしまう。
「もう昼休みだぞ、遥希」
どうやら午前中を考え込む時間に費やしてしまったらしい。
その声を聞き、横を見ると優吾は近くの椅子を引っ張ってきて座るとコンビニ袋のなからパンを取り出す。
「今度は泣かせたのと子どもが噛んだ、どっちだ?」
付き合いが長いので落ち込んでいる原因をすぐに察し声をかけてくれる。
「泣かせちゃった……」
「そうか、なら何度も出てくる俺の母ちゃんの名言の出番だな。何事も経験。泣かせとけ!」
毎回のお決まりである雑な励ましだが、これくらいの扱いが心地良い。
ちなみに子どもが噛んだ時の優吾の母の名言は『考えるな、感じろ。次はもっと早く踏み込め!』になる。
妙に実践的で体育会系の名言たちである。
まさに母は強しだ。
優吾の励ましで少し気持ちが軽くなった僕は弁当を取り出そうと鞄に手を掛けようとした。
その途中で優吾の視線が僕の頭の上を向いていることに気付き、不思議に思い、後ろを振り返る。
するとそこには緊張した面持ちの美浜さんが立っていた。
「あの、市川君、話したい事があるから屋上で一緒にお昼食べない?」
周りに居たクラスメイト達が興味津々といった様子で見てくるが、そんな甘い話ではない、十中八九昨日の話だろう。
僕も昨日の事を改めて謝らなければならない。
僕は「わかった」と短く美浜さんに伝える。
そして次に僕が緊張する見越してフォローしようと口を開きかけた優吾より先に美浜さんと昼食を食べる事を伝えると、クラスメイトの視線に居心地の悪さを覚えた僕は美浜さんと一緒に足早に廊下に出て屋上に向かった。
屋上に着くと僕と美浜さんはフェンス側にあるベンチに座った。
高校の近くにある大きな公園を眺めながらそれぞれ弁当を開く。
「さっきは皆の前でお昼誘っちゃってごめんね。皆の前で話す事では無いかなと思って…… 市川君、放課後は保育園だろうから忙しいと思って」
「全然気にしなくて良いよ、昨日の事を謝らなきゃと思ってたから」
しばらくはクラスメイトの視線が気になるかもしれないが、すぐに落ち着くだろう。
「市川君が謝る事は一つもないよ。市川君のお陰で愛莉は切り替えてくれたし…… それにまさか保育園にクラスメイトがいるとは思わなかったけど、市川君がいて安心した。普段あまり縁がないし、同年代がいないと緊張してたから」
微笑みながら感謝をされる機会なんてない僕は「いや別に、大したことはしてないよ」としどろもどろになってしまう。
そんな僕の様子を特に気にもせず微笑み続けている美浜さんを見るとさらに気恥ずかしくなり、心の中で平常心、平常心と呟く。
「そういえば、市川君は保育園と名前が同じだけど、お家で保育園を開いてるの?」
「うん、保育園の隣が家なんだ。父さんが園長で、昨日途中でもも組に入って来た人が母さんで主任をしてる」
「確かに言われてみれば目元とか似てるかも」
突然覗き込まれると、また慌ててしまい、「そ、そう?」と返すのが精一杯だ。
まったく、心臓に悪い。
「それにしても、高校生でお家の手伝いって凄い偉いよね」
「僕は子どもが好きだから手伝うのは良いけど、学生の本分は勉強だからって理由で人が足りない時だけ手伝ってるだけだよ」
お弁当を食べていた美浜さんは僕の話を聞き終えると「そうだ」と呟きこちらを向く。
「今の話を聞いて思い出した。保育園で市川君を見て、ようやく昨日の成田君が言っていたことが分かったよ」
「あー、そう言えばそうだった。本当、優吾の悪ふざけには困っちゃうよ」
「でも、そうか。毎日居ないのか。市川君がいると安心するだけどな」
恋愛的な意味ではないとは分かっているが、再びドギマギしてしまう。
平常心、平常心と思いながら再び心を落ち着ける。
心を落ち着けて美浜さんを見ると不安そうな顔をしている。
昨日別れた後に何かあったのだろうか。
「美浜さん、昨日帰った後、何か言われた?僕も一緒に説明すれば良かった、ごめんね」
そう僕が言うと美浜さんは慌てて手を振り始める。
「何も言われてないよ。お父さんとお母さん、市川君にとても感謝してたから大丈夫! さっきも言ったけど、クラスメイトがいると安心するって思っただけだから」
そういうと美浜さんは手を下ろす。
「昨日はお母さんが愛梨に話をしてくれたから大丈夫だと思う。少し不安はあるけど私が頑張らないといけない事だし」
「これから、毎日美浜さんが迎えにいくの?」
「そうなの。お母さん産休が終わった後はそこまで忙しくなかったみたいなんだけど、元々仕事ができる人だったから、この四月から出世して管理職になったんだ。お父さんも仕事しているし、延長保育にするかって話にもなったけど、お迎えが遅いのは可哀想だなと思って私が迎えに行くって言ったの」
「優しいね」
「当の本人からは拒否されてるけどね。市川君は愛莉に好かれてて羨ましいよ」
「愛莉ちゃんは保育園では他の子にとても優しいから、家族には気を張らず感情がそのまま出てしまっているだけだと思うよ。大変だと思うけど、そのままの愛莉ちゃんを受け止めてあげればそのうち素直になって甘えてくれると思うよ」
「そうだよね、お母さんや保育士さん達みたいに上手くはないけど、頑張ってみる」
そう決意した顔はとても格好良かった。
しかし、その表情にどこか陰りも混じっていることをその時の僕は気付かなかった。
保育園で恋愛はアリですか? 宮田弘直 @JAKB
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