第41話 2年後
「あれ? 今日は沙良ちゃんが帰ってくる日だよね? 空港まで迎えに行かないの?」
三森家の朝。
アメリカから帰国し今年から父誠司の経営する会社ではない職場に就職した将生は、沙良の帰る飛行機の到着時間が近いというのにゆっくりと茶を飲み出掛ける素振りのない両親を見て思わず言った。
「ああ、そのつもりだったのだがね。……どうしても自分が行くというものだから……」
「まぁね、彼はある意味沙良ちゃんを支えてくれた恩人でもありますもの。それに……、ねぇ? あんなに分かりやすく惚れ込んでいられたら、こちらとしては応援したくもなるじゃない?」
父誠司と母綾子はお互いの顔を見合わせて、何やら生温かい微笑みを浮かべた。
「……そうなの? 2人は認めてるんだ、『彼』のこと。でも僕は彼のこと、まだよく知らないんだよね。
……舞は『沙良の相手は今度こそ自分が認めた人でないと許さない!』って息巻いてたけどね」
そう言って苦笑する息子将生に、誠司は頷く。
「ああ、佐原舞さんか。彼女には沙良の事で本当にお世話になった。ずっと沙良に寄り添ってくれて……、確か彼女も沙良と一緒に今日帰国するんだったね」
「……そうだね。あぁ、母さん。僕はコーヒーだけ飲んだらもう行くから」
「あらなぁに? 休日なのにもう出掛けるの? 少しくらい朝食を食べていったら?」
しかしバタバタと出掛けていった将生を見送ってから、綾子は言った。
「……ねぇ、誠司さん。もしかして将生は彼女でも出来たのかしら。今の、デートにでも行く感じじゃない?」
「……そうかもしれないね。まあ、また時期がくれば紹介してくれるさ」
◇
「あれ? 今日は清本はどうしたんだ?」
確か、朝は席に居たはず。自分の席で黙々と仕事をする鈴木に外から帰った同僚が何気なく尋ねた。
「あー……。ヤツは、なぁ……。
うん、有給だな。本当は明日のはずだったんだが、日を勘違いしてたとかなんとか。ここんとこ大きい事件に追われてバタバタしてたからなぁ……。
朝に間違いに気付いたらしくて慌てて有給取って帰っていったよ」
鈴木はパソコンから目を離さず答えた。
鈴木は最近老眼のせいで特に苦手なパソコンを睨み付けながら、清本に急遽押し付けられた急ぎの書類を入力中だ。
……まあ、こんな時くらいは大目に見てやるさ。
そしてチラと飛行機雲が浮かぶ窓の向こうの空を見た。
◇
「ふわー! ただいま、日本! ああこの独特の湿気! これぞ日本だわー!」
飛行機から降りた瞬間、ブワッと生温い温度と湿気に包まれた。友人舞の言葉に沙良も頷き苦笑した。
「本当ね。帰ってきたなぁって思うわ」
そして2人は手続きを済ませ、到着ロビーへと出た。沙良と舞は周りを見渡す。
「沙良ちゃん! ……舞!」
──そこには仕立ての良いジャケットを羽織った爽やかな青年。
青年は2人に呼びかけ微笑んだ。
「将生さん!」
「将生!」
沙良と舞は彼に駆け寄り……、そして舞は将生に抱き付いた。
「……ただいま! 将生」
「お帰り、舞。……会いたかった」
2人が熱い抱擁をするのを見て沙良は微笑んだ。
舞と将生はこの2年、沙良という共通の守るべき存在を通じて知り合い愛を育んでいたのだ。
沙良の大好きで大切な2人が心を通わせた事。それは、自分という存在に自信を失くしていた沙良にとってとても嬉しい事の一つだった。
アメリカに留学して2年。色々な事があったが、たくさんの事を学べ少しは成長出来たのではないかと思う。
……しかし。
感動の再会だという事は分かるがいつまでも抱き合ったまま離れない舞と将生に、周りの目も痛くなってきた沙良は『コホンッ』とわざとらしい咳払いをたててみた。
途端に我に返った2人は、少し恥ずかしげに、それでいて手はしっかりと繋がれたまま沙良に向き合った。
「舞、将生さん。感動の再会は家に帰ってからにしましょうか。……将生さん、悪いんだけど私も車に同乗させてもらっていいかしら?」
当然将生は2人の迎えに来てくれたと思っていた沙良は将生に冗談ぽくそう言った。
「あー……。沙良ちゃんの迎えは僕じゃないんだよね」
少しバツが悪そうにそう言った将生に、沙良はキョトンとする。
「え? あとから伯父様たちが来てくださるの? 確かまだ舞と恋人になった話をしてなかったんじゃなかった? この場で話をするの?」
それにしては報告をする前にもしも先程の熱い抱擁を見られていたら、舞が恥ずかしかったんじゃないかしら?
そう思いながら将生を見ると、彼はクスリと笑った。
「沙良ちゃん。……『彼』に今日帰国するって話をしてあったんでしょ?」
悪戯っぽくそう言った将生に、隣の舞は「ああ」と頷く。
沙良も将生が誰の話をしているのかに気付いた。
「…………話は、してあったんだけど……。なんだか日を勘違いしてたみたいで。それにお仕事で忙しいでしょうし……、迎えなんて頼んでないわよ?」
沙良は少し言いにくそうに答えた。
……いや、本当はほんの少しだけ、期待はしていた。だって、沙良が両親の初盆や法要の時に帰国した時は『彼』は都合のつく限り会いに来てくれていたから。
今回の帰国を知らせた時も、『必ず空港まで行きます!』と返事が来たものだから。『忙しいでしょうし無理はしないで欲しい』と返したもののそれでも必ず行くという『彼』に、全く期待しないという方が無理なのではないだろうか。
「それでも来るでしょ。父さん達に『自分が行く』って宣言してあったらしいし。
……ほら、噂をすれば」
将生がそう言って視線を向けた先を、沙良は少しの不安と期待の思いで目を向けた。
───そこには、人にぶつかりそうになりながらも、必死でこちらに向かって走る1人の男性。
沙良は、その男性から目が離せない。
そして、その男性は大きく息を吐きながら沙良の前に辿り着いた。
「……沙良さん……ッ! ……その、すみませんッ。……遅くなってしまって……」
そう言って清本は大きな身体を曲げて頭を下げた。
「……お忙しいでしょうから大丈夫ですって、お伝えしたのに……。こんなに、息を切らして……っ」
沙良は、その男性……、清本を気遣いながら急いで鞄から取り出したハンカチを渡す。
すると清本はパッと太陽のような笑顔を見せ、そのハンカチを受け取り握りしめた。
「ありがとう、沙良さん。……そして、お帰りなさい」
ハンカチを大事そうに持ちつつも汗を拭こうともせずに、清本は沙良をジッと見つめながら言った。
「……ただいま。ありがとう、ございます……。あの、忙しい中来てくださって……。お仕事、大丈夫だったんですか?」
確か出発前にした連絡では、彼は時差の関係で日を1日勘違いしていたようだった。今日は仕事だったのではないのだろうか?
そう心配して清本を見ると、「大丈夫です!」と満面の笑顔で返された。……その『大丈夫』の陰で鈴木が頑張ってくれていたとはまた後日知る事になるのだが。
そして清本は少し照れくさそうに沙良から視線を外し、将生と舞に向き合った。
「佐原さんもお帰りなさい。……、えーと三森さんもこんにちは。もしかして、沙良さんのお迎えに?」
清本は少し戸惑いつつ問いかけた。
「こんにちは。清本さんが沙良ちゃんの迎えに来てくださると父から聞いてます。……僕は、舞の迎えに」
将生は笑顔で挨拶してから舞の肩をしっかりと抱いた。
「……ッあぁ……、なるほど、そうでしたか。今度是非、皆で色々お話させてください!」
「そうですね。今度是非」
清本と将生はお互いに笑顔でそう言った。
「……それじゃあ、沙良ちゃん。僕は舞を送るからいったん先に失礼するよ。清本さん、沙良ちゃんを宜しくお願いします。行こう、舞」
将生は沙良に爽やかにそう告げて清本に礼をし、舞の荷物を持って手を繋いで歩き出した。
「……えっ!? そうなの? ちょっと待って、将生! ……沙良ごめん! また連絡するから!」
舞は早足の将生と一緒にあっという間に行ってしまった。
「えー、と……。行っちゃいましたね、沙良さん」
「そう、ですね……」
……将生はもしかして、自分達に気を遣ってくれたのか? それともただ舞と早く2人きりになりたかったのだろうか? 少し考えてしまった沙良だった。
◇
沙良と清本を置いて将生と歩き出した舞は少し不満げにため息を吐いた。
「……今度こそ、私が沙良の相手をしっかり見極めて見届けるつもりだったのに……」
「沙良ちゃんが自分で考えて出すべき答えだから、これでいいんだよ。沙良ちゃんの人生だしね。それに清本さんは悪い人ではないと思うよ。この2年間離れていても沙良ちゃんの深い所を支え続けてくれた訳だしね。……まあ勿論、これからも見張……見守っていくつもりではあるけど」
「それは勿論! ……そうよね。沙良がここまで元気になれたのは清本さんのあの根気良さのお陰ではあるものね。彼は、信頼のおける人だわ。
……私、将生が数ヶ月早く日本に帰るって決まった時、あの2人を見ていたから耐えられたっていう部分もあったのよ?」
「舞……。僕もそうかもしれない」
2人は足を止め、微笑み合った。
「……ところで舞、僕ら2人の山場もこれからなんだけど大丈夫? 今から、舞の自宅に送り方々ご両親にご挨拶だし、また後日うちの親にも会ってくれるんだよね。今日沙良ちゃんの迎えに清本さんが来なければ今している所だったけど」
「うっ……、そうなのよね。……その点も、清本さんには感謝だわ。私思わず将生に抱きついちゃって……。ご両親に見られてたらすごく恥ずかしいところだったもの……。
それに三森のお義父様には沙良の事でお会いはした事はあったけど、あの時は必死だったし失礼な事してなかったかしら……。ああ緊張する」
そう言って不安になる舞に将生は言った。
「ふふ。僕は両親が来ないと分かっていたからたっぷり舞を堪能したけどね。
……僕も舞のご両親への挨拶は緊張するけど、楽しみでもあるんだ。だって、舞を育ててくれた大切なご両親だからね」
「……ッ! そうよね。……それに私は将生のご両親がとても愛情深い方たちだって事、沙良の件で知ってるもの。……うん、大丈夫!」
人の為ならドンと逞ましいが自分の事ではそうでもない舞に将生は微笑んだ。
◇
「沙良さん……。もう一度、言わせてください」
将生達が行った後、清本は沙良を空港の飛行機の離発着を見渡せる場所に連れてきた。
ここには近くで飛行機を見て喜ぶ子供達、家族連れやカップル達がまばらに思い思いに過ごしていた。
そして清本は至極真面目な顔で、沙良を見つめながら言った。
「……俺は沙良さんが、好きです。……苦しいことも嬉しいことも、ずっと沙良さんと共有したい。貴女と、一緒に生きていきたい。……結婚を前提に、お付き合いをしてください」
前回沙良が帰国した時。
アメリカに帰り間際の沙良に清本は愛の告白をした。『返事は次に帰国した時までは聞かない』と言って受け付けずに。
それ以来、お互い猛烈に意識しつつも知らぬふりをして、やり取りを続けていた2人。
沙良は、一つ息を吐く。
……今、私の心は真っ直ぐに清本さんを見ている。
この2年、苦しい時も辛い時も悲しい時も……そして嬉しい事があった時も、ずっと2人はそれを共有してきた。
───私は自分のあの『一年』を許す事は決して出来ない。けれど、何度もそんな私を許し認めて来てくれたこの人とこれから歩いていく自分を……許そうと思う。
沙良は、頬を染め自分を真っ直ぐに見つめる清本を見つめ返した。
「清本さん。ずっと、支えてくださってありがとう。貴方がずっと私の心に寄り添って、声をかけ続けてくれたから……。私は私を認めることが出来たの。
……私はあの一年の自分の事は、一生許せないと思う。けれど……。これからの自分を、好きでいられる自分にしたい。そしてそれは……、許されるなら清本さんと一緒に……、ッ!!」
沙良は全ての言葉を言い終わる前に、清本に抱き締められていた。
「沙良さん……! 沙良さんッ! 俺は……俺も! 貴女と一緒に生きていきたいです! ……俺は初めて沙良さんを、貴女の真っ直ぐな目を見たあの時から……!」
感極まった清本はそう言いながら沙良をぎゅうと抱きしめ続けた。
沙良は初め驚いたものの、震えるように喜びを現し沙良を大切に囲い込むように抱き締める清本の、背中にそっと手を添えた。
それに気付き、清本は更に深く沙良を抱き締めた。
───愛しくて愛しくて、ずっと護っていきたいと、そう強く願った。
《完》
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お読みいただき、ありがとうございました!
本見りん
失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話 本見りん @kolin79
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