ブラックベリーシンドローム

いとうみこと

ブラックベリーシンドローム

「美和っ」

 急に後ろからハグされて私は立ちすくんだ。無邪気な笑みを向けてきたのは石井ルカ、褐色の肌に白い歯が眩しく映る。

「ごめん、驚かせて。なかなか話せなかったから嬉しくて」

 ルカはそう言うが、特別彼女と親しいわけではない。中学で委員会が同じだったことと、この高校へ進学したのが私たちふたりだけという事実があるに過ぎない。そもそも、アフリカ系アメリカ人の母を持ち海外生活の長かった陽キャのルカと、真面目一筋陰キャ眼鏡女子の私とでは話が合うはずもなかった。

「急にどうしたの?」

 高校に入って一ヶ月、クラスの違うルカとは殆ど話す機会がなかった。

「美和はさ、ブラックベリーシンドロームって知ってる?」

「ブラックベリーシンドローム? 何それ、新しい病気?」

「ふふふ、近いうちにわかると思うよ。後はよろしくね」

「はあ?」

 首を捻る私を置いて、手をひらひら振りながらルカは立ち去った。そして翌日から学校へ来なくなった。


 何かと目立っていたルカが学校へ来なくなって程なくルカに関する噂が流れ始めた。初めは、変な男と歩いているのを見たとか、街で会った時に濃いメイクをして派手な服を着ていたとかその程度だったのが、そのうち反社と付き合ってるのを知っているとか、堕胎のために休んでいるとか冗談では済まされない内容に変わっていった。家庭の事情でという教師の説明など何の抑止力にもならなかった。


 そんなある日、ルカのクラスの三人の女子が私の机を取り囲んだ。

「小野田さんってさ、ルカと同じ中学だよね」

「そうだけど、それが何か?」

 三人は顔を見合わせるとニヤニヤしながら頷き合った。私はそれだけで不快な気分になったが極力顔には出さないようにした。すぐにそのうちのひとりがゲスな顔で訊いてきた。

「ルカってさ、中学の時から黒い噂があったってホント?」

「黒い噂?」

「だからあ」

 別の女が甘えた声を出す。

「ワルいオ・ト・コ、とか」

 きゃあっと手を叩き合う彼女たち。私はガタンっと音を立てて立ち上がり彼女たちを黙らせた。

「私の中学でルカの悪口を言う女子はいない。それが答え!」

 三人はあんぐりと口を開けて私を見ていた。


 ひと月ほど経って、ルカが再び学校に現れた。廊下の向こうから私を目指して歩いてくるルカの前には自然と道ができた。あちこちからヒソヒソ声が聞こえる。

「美和、久しぶり」

 ルカは人目もはばからず私をハグした。中学ではお馴染みの光景だったがここでは悪い噂を増幅させるだけかもしれないと私は思った。

「留守の間どうだった?」

「どうって、何が?」

 ルカは意味有りげにふふっと笑った。その顔は相変わらず無邪気だったが、僅かな期間で少し大人びた気がした。

「私ね、学校やめることにした」

「え? 嘘でしょ」

 悪い噂がルカの耳に入っていたたまれなくなったのか、私はふとそんなことを思った。その気持ちを読み取ったようにルカは言った。

「やりたいことができたの。多分そのうち美和にも見てもらえるから楽しみにしてて。美和が私のベストフレンドだってこと忘れないでね」

 ルカはそれだけ言うとひと月前と同じように手をひらひら振りながら颯爽と立ち去った。長い手足が印象的だった。


 それから程なくして学校中が騒然となった。あのルカが世界的なファッション雑誌の表紙を飾ったのだ。そしてその頃私のスマホにルカからのメッセージが届いた。そこにはこう書かれていた。

「私はブラックベリー。肌の色でたくさんの差別を受けてきた。でも、美和は私の中身だけを見てくれてたね。ありがとう、私のベストフレンド」

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ブラックベリーシンドローム いとうみこと @Ito-Mikoto

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