雨になりたい

天井 萌花 / お祭り自主企画開催中!

向日葵のようだから

 しとしとと降り続く雨が、アスファルトの道路をじっとりと湿らせる。

 浅い水溜まりを踏んでしまい、ぴしゃっと濁った水が跳ねた。

 もう兄以外誰に会う予定もないのに、湿気た空気が髪を濡らすのがどうしても気になってしまう。


 家に帰ってすぐに着替えて部屋を除湿したというのに、なぜ俺は再び外にでたのか。

 傘の弱点を突くように斜めに降る雨に、新しいシャツを濡らしているのか。

 答えは簡単。

 いつまでも帰って来ない、双子の兄を迎えに行くためだ。


 兄は隣のクラスで、SHRが終わるのがうちのクラスよりかなり遅い。

 だからいつも俺より10分程度遅く帰ってきて、明るい声で「ただいま」と言うのだ。


 そんな兄を待つこと早30分以上。

 美術の居残りでもしているのかと疑い始めた頃、スマートフォンにDMが届いた。

 兄と同じクラスの友人から、『今日お前の兄貴変だったぞ』と。


 短いメッセージに『様子を見てやってくれ』という言外の意図があることはすぐにわかった。

 言われなくとも、兄がおかしければ何とかしたいと思うが。


 学校にスマートフォンは持って行かないため連絡は取れないが、帰りが遅いのとその異変が関係していることは予想がつく。

 兄はいつも寄り道なんてせずに、真っ直ぐ帰ってくるからだ。

 用事がある日も一旦家に帰ってきて、俺に連絡してから出ていく。


 それがないのは、俺と顔を合わせられない理由でもあったからだろうか。

 どうせ、何か小さなミスでもやらかしたのだろう。

 小テストの点がよくなかったとか。それか誰かと喧嘩したか。


 兄はいつも明るくて元気な、眩しい人だ。

 だがその代わり、つまらないことで凹む。

 歳の数だけ一緒にいた相手のことなど、透けるようにわかりきっていた。


 今だって、俺は兄をすぐに見つけられる。

 家から学校の方向に5分、ひたすら歩いて。

 そうして見えた小さな公園に兄の姿は見えないが、お構いなしに足を踏み入れる。

 濡れた砂が靴底に纏わりついて、少し嫌な気分になった。


「――兄さーん?」


 すこしわざとらしく、大きな声を呼び掛けてみる。

 まるで兄がここにいると気づいていないように。

 遠くに向かって、呼びかけるように。


 滑り台も砂場も通り越して、ドーム状の、中がトンネルになっている遊具に向かう。

 絶対、兄はここにいる。

 殆ど確信に近い予想を抱いて、そろりとトンネルの中を覗いてみた。


「……見っけ!」


「わっ!?」


 薄暗いトンネルの中を見ると、案の定俺とそっくりな顔と目が合った。

 ほらね、当たりだ。

 手早く傘を畳んでから、トンネルに入って兄の隣に座る。


「何でわかったんだ?」


 俺が座ったのを見てから、兄は戸惑ったような顔で聞いてきた。

 見つかるわけがない。なんなら俺が探しにくるわけがない。と思っていたのだろうか。


「俺が嫌なことあった時来るのが、ここだったから。」


 気まずそうな兄に視線を合わせて、安心させるように笑って見せる。

 ここは俺にとって、大切な思い出の場所。

 わからないわけがなかった。


「いっつも兄さんが俺を見つけて、こうして来てくれたでしょ?」


 明るくて社交的、友達も多い。

 そんな兄と違って、俺は狭い交友関係の中で必死に息を吸うような、そんな人間だ。

 今では多少ましになったが、幼い頃なんて人見知りが激しかった。

 意思疎通が上手く出来ないせいで、誰かと揉めてしまうことも珍しくなくて。

 そういう時はいつも決まって、ここで隠れて泣いていた。


「……そうだな。」


 その度に兄が俺を見つけ出して、こうして隣に座ってくれた。

 話を聴いたり、励ましてくれたりして、優しく涙を拭ってくれたんだ。


 だから兄も、凹んでるならここにいるんじゃないかと思った。

 俺だけがいつまでも抱えていると思っていた思い出は、兄の中にも仕舞われていたようだ。


 あの日の兄の姿をなぞるように、なんてことないように本題に入る。


「友達から『今日お前の兄貴変だったぞ』ってDM来たんだ。何かあったの?」


 ポケットから取り出したスマートフォンを、ひらひらと振って示す。

 ついでに兄の分も持ってきてあげたらよかったな、なんて今更気が付いた。

 数分前から、煩く振動していた気がする。


「……まあ、色々あってな。ちょっと凹んでたんだ」


 苦い顔で言った兄は、俺に何か話してくれる気はないのかもしれない。

 やっぱり見栄っ張りで、強く兄らしさを求めているようだった。


「色々って……大丈夫?」


「ああ、気にするな」


 心配を表に出して聞いても、何も話してくれなかった。

 何をしたのかは全くわからないけど……なんとなく、対人関係かな、と思った。

 テストの点などならば、開き直って笑いながら示してくる気がする。

 頑なに口を割らないのは、それほど言い辛い内容なのだろう。


「気にさせてくれたらいいのに。兄さんらしいけど」


 ふっと息を吐いて、つるつるとしたトンネルにもたれかかる。

 少し湿気たコンクリートは、ひんやりと冷たかった。


「兄さんはさ、いっつも明るくて、元気でかっこよくて……すごいなって思うよ」


 ――ずっと前遊びに行った、大きな公園覚えてる?


 もしかすると俺には、励ます才能はなかったのかもしれない。

 いつも励まされる側でこんな経験はないのだから、当然かもしれないが。

 我ながら下手だなと思いながらも、思っていたことを話すことにした。


「そこに咲いてた、おっきい向日葵の花あったじゃん」


「ああ」


 小1の夏休み、父が車で少し遠くの公園に連れて行ってくれた。

 その公園には色とりどりの花で彩られた、これまた広い花壇があった。

 花壇の真ん中に1輪だけ、普通よりも大きな向日葵の花が咲いていた。

 真っ直ぐに太陽を見つめるそれは、どの花よりも輝いていた。


「あれが兄さんみたいだなって、ずっと思ってるんだ」


「あれが僕? どういうこと」


 兄が不思議そうに首を傾げるので、「冗談じゃないよ?」念を押しておく。

 じっと兄の目を見つめると、ますます向日葵に似ていると思った。


「太陽みたいに眩しくて、ずっと上を見てるかっこいい花。一度見たら記憶に残って離れなくなって――心の内側を、あったかく照らしてくれる花。兄さんって、そんな感じの人だよ」


 俺の言葉を聞いて、困ったような顔をしている。

 きっと自分を過少評価して、抱えきれない褒め言葉を持て余している。

 全てを拾ってもまだ足りないほど、素敵な人なのに。


 兄のいいところは、俺が一番よくわかっている。

 本人よりも、よっぽど。

 一番近くで一番多く、向日葵のような笑顔を向けられてきたのだから。


「だから何かあっても、兄さんなら大丈夫だと思う! 来る途中に咲いてた向日葵だって、雨でもへこたれてなかったもん」


「……ありがとう」


 まだ納得いっていないのだろう。

 礼を言う声は、少し沈んでいた。

 だから俺はわざと、大袈裟に明るく笑ってみる。

 いつも、そうして俺の悩みを笑い飛ばしてくれたみたいに。


 兄の手を掴んで、トンネルの外に引きずり出す。

 いつの間にか雨は止んでいて、空から少しずつ雲が流れ始めていた。

 隙間から覗いた晴れ間が、世界の明度を上げている。


「雨止んでるー! 気づかなかったね」


 空を見上げてから、兄に笑いかける。

 兄の視線は俺を通り過ぎて、どこか遠くを見ていた。


 視線を辿ると、花壇に小さな向日葵が植わっているのが見えた。

 さっきまでの雨など忘れたように、じっと空を見上げている。

 その顔は、明るく笑っているように見えた。


「冷蔵庫にプリンあったよ、帰って一緒に食べよ!」


 そう言って帰宅を促しても、兄は何も反応しなかった。

 何か考え事をしているのか、じっと向日葵を見つめている。


 考え事の内容など、流石にわからないが……きっとその内容こそが、兄を悩ませているのだろう。

 まだ考えているということは、俺では解消してあげられなかったということか。


 やっぱり俺に、兄の――向日葵の真似事はできないようだ。

 それはわかっていた。わかっていても、何かしたかった。

 向日葵にはなれずとも、向日葵を咲かせる手助けができたらと思った。


 丁度、知らない間に止んでいた今日の雨が。

 向日葵の根の張る土を濡らして、綺麗な花を咲かせるための糧になるように。

 目立たなくても、大層なことはできなくても……ほんの少しでも、俺だって兄の支えになれるはずだ。


 眩しい兄は、いつも俺を明るい場所に引っ張っていってくれたから――。

 無力な俺は、そんな優しさを少しでも返せるように――雨になりたい、と切に願った。

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