第2話
オフィスの時計が19時を指した瞬間、一秒の狂いもなく藤堂は席を立った。
「それではみなさん、お先に失礼します」
「おつかれ」
「お疲れさまでした」
「いいなあ、藤堂さんは。今期もすでにノルマ達成だもんなー」
「ご苦労さん。みんなも藤堂みたいに早く帰りたいなら、与えられたノルマをこなして早く身軽になれ」
「はーい、わかりましたよー」
笑顔で会社を出る藤堂。
だがクルマに乗った瞬間、ニコニコ顔の営業マン、藤堂義彦の姿は消える。
彼の向かう先は、「光明山 陰徳寺 月光院」
藤堂が本堂に入ると、住職の三日月和尚たちは護摩のお焚き上げしている最中だった。
経を唱え、燃え上がる炎の中に護摩木をくべる和尚たちがいた。
額からは汗が迸っていた。
藤堂はそのまま奥へと進み、その部屋の襖を開いた。
そこにはスポーツジム顔負けのトレーニング機器がズラリと並んでいた。
スーツを脱ぎ、サウナスーツに着替えた藤堂はいつものようにランニングマシーンのスイッチを入れた。
今日のBGMはランニング速度に合わせ、『Welcome To The jungle』にした。
体が次第に温まって行く。
それから腹筋、上腕二頭筋 背筋、大腿筋などを鍛えていった。
藤堂に必要な肉体は、筋骨隆々のボディビルダーのそれではなく、黒ヒョウのような俊敏さとしなやかさのためのインナー・マッスルだった。
そこへ護摩供養を終えた和尚がやって来た。
「後で私の部屋に寄って下さい」
「わかりました」
藤堂はサウナに入り、最後の仕上げを終えるとシャワーを浴びて新しいシャツに着替えた。
和尚の部屋の襖の外から声を掛けた。
「教主様、お呼びでしょうか?」
「お入りなさい」
100畳敷きのその部屋の奥に和尚はいた。
「シリウス、蒼き狼よ。 こちらにおいで」
「はい」
藤堂は和尚の近くへと
「先日の仕事は実に見事でした。ターゲットはあまり苦しむこともなく地獄へと旅立ったはずです。
先ほど、御護摩も焚いて差し上げたところです。
案じることはありません、遅かれ早かれ人は死ぬのですから。
そしてあの人間の場合、生きても後、数年でした。
彼はあまりにも多くの人から恨みを買い過ぎました。ふぉっほっふぉ」
「はい」
「そこで次の仕事の依頼が来ました。
今度は財務省主計局長 柿崎誠。この資料を記憶して下さい」
藤堂は数ページの資料を読むと、それを和尚へと返した。
「かしこまりました」
すると和尚はその資料をダンヒルのライターで火を点け、火鉢の中へと捨てた。
藤堂が「教主」と呼ぶその和尚の元へ行くと、和尚は藤堂の額にキスをした。
「主よ、この私の蒼き狼に祝福を与えたまえ」
実はこの寺は、十字軍の時代から続く暗殺集団、『silver way』の日本支部のアジトであった。
三日月和尚は組織の人間たちから「教主」と呼ばれていた。
そして仲間同士、誰も本名も素性も知らなかった。
藤堂は「シリウス」と呼ばれていた。
「それでは失礼いたします」
「頼みましたよ、わが愛しきシリウスよ」
藤堂は寺を後にした。
赤い月 菊池昭仁 @landfall0810
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