赤い月
菊池昭仁
第1話
上野
土曜日の午後のカフェは恋人同士や年配の女性客が殆どだった。
小百合は綺麗にデコレートされたフルーツケーキに躊躇いがちにフォークを入れた。
「小百合、そろそろでしょ?」
「そろそろって結婚のこと?」
「そう、ジミー君とは進展してるんでしょう?」
藤堂のことをみんなは「ジミー」と呼んでいた。
藤堂義彦35歳。彼は中堅ハウスメーカーの営業マンだった。
藤堂と小百合は同じ職場で、小百合はインテリアコーディネーターをしていた。
声をかけたのは小百合の方からだった。
営業成績は普通で、支店長になれるような強引さは彼にはなかった。
それはまるでワザと成果を抑えているようですらあった。
藤堂は当月のノルマをクリアすると、それ以上の接客をしない。
仕事にミスはなく、淡々とスマートに仕事をこなしていた。
お客様からも業者さんからも、そして同僚たちからの受けもとても良かった。
「藤堂さん、たまにはウチにも寄って頂戴」
「ありがとうございます。御主人様はお元気ですか?」
「おかげさまでね? 主人も藤堂さんに会うのを楽しみにしているのよ」
お洒落に気を使うというわけでもなく、かと言ってダサくもない。
時計は高性能ではあるが国産時計で、タークスーツにモノトーンのネクタイを締め、クルマはプリウスの白。
髪型も普通に七三分けにしている。
全体として目立たない「地味」な男。
それゆえ藤堂は周りから「ジミー」と呼ばれていた。
だが小百合が藤堂に惹かれたのは、その眼鏡の奥にある、深い悲しみに満ちた瞳にあった。
いつもニコニコしていて知識も豊富、会話も面白い藤堂は人気者だった。
そんな藤堂だったが、なぜか幼い子供にはまるでお化けでも見るかのように怯えるように泣かれてしまう。
「どうかなー? 私はそうなるといいと思っているんだけど」
「付き合って3年だもんね?」
「彼と一緒にいると凄くラクなのよ。何でも出来る人だから。
やさしいし、浮気するような人ではないしね?」
「それとなく言ってみたら? 「里美、今度結婚するんだって」とか言ってさ」
「えっ? 里美、雄介君と結婚するの?」
「来年の春にね? ほら」
里美は自慢げにクスリ指の小さなダイヤの婚約指輪を私に見せた。
それに気付かない私に業を煮やした里美が、そこに話を誘導したのだった。
「おめでとう里美! よかったじゃないの!」
「ありがとう小百合。ねえ、よかったら式にはジミー君と一緒に出席してよ?」
「えっー、ジミーも? それはどうかしら? 彼、シャイだから」
「営業マンなのにね?」
「ホント、営業マンなのにね?」
「あはははは」
「うふふふっつ」
おそらく藤堂はこう言うはずだ。
「ご祝儀は出すけど、僕は遠慮しておくよ。里美ちゃんは君の友だちだしね?」
藤堂はそんな男だった。
小百合は少し温くなったカフェ・オ・レに口をつけた。
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