ガラス

世界の半分

            *

冬は寒い。


当たり前だろうが、一面を白く染める雪と、この冷気は人間が生きる世界でないように感じられてしまう。

早朝となるとさらに寒い。

『冬はつとめて』

枕草子は余程朝に強かったのだろう。


深く積もった雪に薄い布のような履物で包んだ足を踏み入れると、雪同士が軋み、音が鳴る。

雪解けの冷たさが足に染みる。

太陽の光を反射する白い床には私の足跡ただ一つが残った。

白は眩しかった。


目をつぶる……





落ちた。

永遠と、ただ暗闇に吸い込まれ、落ちた。

苦しい。

仄かな浮遊感と、不安。

その全てが重なり、消えていった。

闇に小さな流れ星がつう、と落ちた。

やがて、雨が降ってくる。

一つ一つの雨粒が暗闇の中で光る。

割れて散った宝石のようで、

万華鏡を覗いた時に広がる幻想的な世界のようで。

私は一つ、虹色に光る雨粒を手に取った。

水なのに手にいっぱい広がり、雫の形を帯びる。

冷たくも暖かかくも無くて、確かにそこにあるのだが空虚を掴んでいるような気分だ。


赤、青、赤、青と色が変わりゆくそれは、静かな声で「覗いてごらん」と言った。

私にはそう聞こえた。

雫の表面に出来た波紋が、私を見つめる。

そっと、雫を覗いた。

刹那、ガラスが割れるような高い音が響く。

洞窟の奥底で出来た宝石の結晶が落ちて、粉々に割れた音……





口から白くなった息が漏れ、全身に鳥肌が立った。

目を開いているはずなのに、物の輪郭が見えない。

辺りは

赤(あか) 紅(あか) 朱(あか)

鼻の奥を金臭い(かなくさい)香りが稲妻のように刺した。

知っている。この感覚は確かに知っている。

平和の対義語。それを具現化したもの。

手を開いて辺りを仰ぐ。

あたりを染める色以外に感覚がない。

思わず目を閉じた。

此処は色しか存在しない、私が居てはいけない世界なのだ。

瞼の裏もまた、赤く染まっていた。





しばらく、目をつぶっていた。

赤に染まってはならない現実が、何故か赤く染まっていた。

いや、違うのかもしれない。

現実は、常に赤く染まっているものなのかもしれない……





瞼の裏に映る色が変わった。ゆっくりと、赤が変わっていって、緑、青と変わっていく。

目を開く。


恐怖に埋め尽くされた頭を冷やすように、青色が広がっていた。

青は海のように流れている。

穏やかに、全てを許容するように。

あの日に見た海にそっくりだ。

心を洗われるような、目が痛くなるほどの青。

あの青に今、触れている。

あの日に見た、あの海は美しかった。

この世界もまた、美しい。


どこかで悲鳴が聞こえる。

美しい青の世界のその真髄に埋まる宝石は、今にも割れそうな勢いで鼓動を繰り返していた。

鳥のさえずりのような人間の叫びが、その音無き声が木霊した。





『世界がひっくり返る。』

この言葉はこの現象の事を指すのかもしれない。

青の世界がうねり始め、ひゅうひゅうと風の音を伴っている。

青の悲鳴と赤の風。


混ざる……


混ざる……




目を開けるとそこは何ら変哲のない雪景色。

薄らと瞼の裏には、虹が出ている。

私は雫に映る世界から脱したのかもしれない。

今起こったことは、長いようで本当は刹那、誰かの叫びなのかもしれない。

もしこれが誰かのSOSだったとしても、僕にはどうしようもないわけだが。

ふと手を見ると、

そこにはガラスの破片。





きっともう誰にも語ることはないと思います。

信じてくれないですから。


それでも僕はまだ、持っている。


机の上の紫色の布の上。

あの色の世界の存在を唯一示すもの。

割れた面に様々な色が反射し、光る。

ガラスの破片。       

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ガラス 世界の半分 @sekainohanbun17

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