ガラス
世界の半分
*
冬は寒い。
当たり前だろうが、一面を白く染める雪と、この冷気は人間が生きる世界でないように感じられてしまう。
早朝となるとさらに寒い。
『冬はつとめて』
枕草子は余程朝に強かったのだろう。
深く積もった雪に薄い布のような履物で包んだ足を踏み入れると、雪同士が軋み、音が鳴る。
雪解けの冷たさが足に染みる。
太陽の光を反射する白い床には私の足跡ただ一つが残った。
白は眩しかった。
目をつぶる……
*
落ちた。
永遠と、ただ暗闇に吸い込まれ、落ちた。
苦しい。
仄かな浮遊感と、不安。
その全てが重なり、消えていった。
闇に小さな流れ星がつう、と落ちた。
やがて、雨が降ってくる。
一つ一つの雨粒が暗闇の中で光る。
割れて散った宝石のようで、
万華鏡を覗いた時に広がる幻想的な世界のようで。
私は一つ、虹色に光る雨粒を手に取った。
水なのに手にいっぱい広がり、雫の形を帯びる。
冷たくも暖かかくも無くて、確かにそこにあるのだが空虚を掴んでいるような気分だ。
赤、青、赤、青と色が変わりゆくそれは、静かな声で「覗いてごらん」と言った。
私にはそう聞こえた。
雫の表面に出来た波紋が、私を見つめる。
そっと、雫を覗いた。
刹那、ガラスが割れるような高い音が響く。
洞窟の奥底で出来た宝石の結晶が落ちて、粉々に割れた音……
*
口から白くなった息が漏れ、全身に鳥肌が立った。
目を開いているはずなのに、物の輪郭が見えない。
辺りは
赤(あか) 紅(あか) 朱(あか)
鼻の奥を金臭い(かなくさい)香りが稲妻のように刺した。
知っている。この感覚は確かに知っている。
平和の対義語。それを具現化したもの。
手を開いて辺りを仰ぐ。
あたりを染める色以外に感覚がない。
思わず目を閉じた。
此処は色しか存在しない、私が居てはいけない世界なのだ。
瞼の裏もまた、赤く染まっていた。
*
しばらく、目をつぶっていた。
赤に染まってはならない現実が、何故か赤く染まっていた。
いや、違うのかもしれない。
現実は、常に赤く染まっているものなのかもしれない……
*
瞼の裏に映る色が変わった。ゆっくりと、赤が変わっていって、緑、青と変わっていく。
目を開く。
恐怖に埋め尽くされた頭を冷やすように、青色が広がっていた。
青は海のように流れている。
穏やかに、全てを許容するように。
あの日に見た海にそっくりだ。
心を洗われるような、目が痛くなるほどの青。
あの青に今、触れている。
あの日に見た、あの海は美しかった。
この世界もまた、美しい。
どこかで悲鳴が聞こえる。
美しい青の世界のその真髄に埋まる宝石は、今にも割れそうな勢いで鼓動を繰り返していた。
鳥のさえずりのような人間の叫びが、その音無き声が木霊した。
*
『世界がひっくり返る。』
この言葉はこの現象の事を指すのかもしれない。
青の世界がうねり始め、ひゅうひゅうと風の音を伴っている。
青の悲鳴と赤の風。
混ざる……
混ざる……
*
目を開けるとそこは何ら変哲のない雪景色。
薄らと瞼の裏には、虹が出ている。
私は雫に映る世界から脱したのかもしれない。
今起こったことは、長いようで本当は刹那、誰かの叫びなのかもしれない。
もしこれが誰かのSOSだったとしても、僕にはどうしようもないわけだが。
ふと手を見ると、
そこにはガラスの破片。
*
きっともう誰にも語ることはないと思います。
信じてくれないですから。
それでも僕はまだ、持っている。
机の上の紫色の布の上。
あの色の世界の存在を唯一示すもの。
割れた面に様々な色が反射し、光る。
ガラスの破片。
ガラス 世界の半分 @sekainohanbun17
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