十四 口無本地

「祭祀のことは徳と敬とにあり、心敬を致さずんば、神いづくんぞけん」


――神に真心を捧げるのが祭祀である、その真心は敬いと慎みの心を持つことから生まれる、これを無くしては神は受け容れてくださらない――


『日本後紀』桓武天皇詔、延暦18年(799年)



 なんてくらい家だ。昭和五十九年、冬休みに医大から帰省してきた克生は改めて、実家の陰鬱さに悪寒を覚えた。

 雪に埋もれた前庭は午前の光に照らされて、清潔なまでに輝いているというのに、玄関は白銀にぽっかりと開いたクレバスのようだ。

 それは雪焼けより黒い彼の肌とは根本から異なる、禍々しい闇の色だった。


 一日も経てば慣れるが、数ヶ月離れてみると屋敷は妙に辛気くさく、絡みつくような暗闇が常にわだかまっている。採光も照明も問題がないのに、いつもそうだ。

 気の進まない帰省だったが、二十歳を迎えた今年は大事な話があると父に厳しく言い含められていた。母や妹の顔を見ておくのも悪くはないだろう。

 京都の神職養成学校に通っている森之進もりのしんも帰省してくるはずだが、正月は実家の手伝いで忙殺されること間違いなしだ。


「最近の若い者の間では、『イッキ、イッキ』とはやし立てて酒を一気飲みさせるのが流行りと聞くが、お前はそんな馬鹿な真似はしておらんだろうな」


 父の景克かげよしは顔を合わせるなり、そんな小言を言う。

「しませんよ」と克生は否定したが、すでに経験済みだった。過酷な医大生活の合間、たまには羽目を外さなくてはやっていけない。

 母からの手紙では、好きだった演歌歌手の都はるみが春に引退したとかで意気消沈していたそうだが、そのまま大人しくなってくれれば良かったものを。

 景克の言う大事な話とは、夜、夕食後に部屋に呼び出されて始まった。古びた色つやや渋みで趣ある畳の上に座布団を敷き、父子二人で向かい合う。


「克生よ、霊術の研鑽は積んでいるか?」

「学業ぐらいには励んでいますよ」


 落ち着きなく首の後ろを擦りながら景克に答えた。

 昨年、東北大で日本初の体外受精児が誕生したように、医療も科学も日々進歩している。先人の知識を詰めこみながら、最新の知識にも目ざとくあらねばならない。


しかと人体の仕組みを覚えろ……霊術は漠然と使うよりも、患部を把握して力を送りこむ方が覿面てきめんに効く」


 例えば風邪に対して霊術を使う場合、いたずらに熱を下げれば良いというものではない。熱は殺菌のための防衛反応であり、抗生物質のように全身のヴィールスウィルスにも対処してやらねばならない……のだが、巧く力を配分しなければすぐに息切れだ。

 従って、実際に施術する際は複数人で行うか、咳で傷ついた咽頭粘膜の修復、白血球の補助などに絞らねばならない。結局は現代薬学の方が効率が良いが。

 そういった話を、克生にとっては耳にタコが出来るほど聞かされてきた。


「極めれば不老不死も夢じゃないとか?」

「老いを遅らせることならば、あり得る。だが細胞を修復し続ける体力気力を維持できなければ、しょせん夢物語だ」


 速く終わらないかと背後の出口を意識しながら口を挟んだが、父の長口上はまだまだ始まった所だった。霊術はかつて大正期の日本で大流行したが、それはご一新後の廃仏毀釈に祈祷ご禁制、西洋医学の普及といった政策によって多くの拝み屋や修験者が廃業に追いこまれた。それまで秘術と呼ばれていた陰陽道、密教、鎮魂帰神などが出版され、やれ千里眼よ念写よ降霊術よとオカルトに熱狂し――。

 まとめると、祭原家の霊術はそれら「いんちきオカルト」とは全く異なり、古く伝統ある神秘の力だという話が一時間ほど続いた。


「さて、お前もようやく成人したわけだが」


 景克が本題に入る姿勢を見せ、真面目に聞いていますと取り繕った上辺を克生は被り直した。遺産の話には早すぎるし、卒業後の進路についてだろうか。

 父の部屋にはろくな思い出がない。時代がついた畳も、壁も、家の中で一等冥くて大嫌いだ。嫌悪感の理由が腹の内に溢れないよう、克生は必死に堪えた。


「幼いころ、地下の口無し様にお前を引き合わせたことを覚えておるか」

「あの時はビックリしましたからね。忘れるわけがありませんよ」


 連れて行かれたのは七五三の日だったから、七歳だったと覚えている。ホコリを被った仏像かと思ったものが動き出してしゃべったのだから、心底肝を潰した。

 数日は夜尿症がぶり返して、悪夢を見たものだ。


「あの座敷牢は、今もあるのですよね?」

「無論だ。順を追って話そう、まずお前は成人の仲間入りを果たし、まことに祭原の一員たる資格を得た。本家の者として、将来の当主として我らが秘奥を伝授する」


 だからここで改めて、霊術の話を聞かされたのか。納得と同時に、克生は高揚感で思わず天井を仰いだ。すぐ正面の父に向き直り、熱い視線で言葉を待つ。


「克生よ、医術の究極は何だと思う?」


 景克は説明する代わりに簡単な問いでテストした。不老不死は先ほど否定されたから、答えはそれ以外だ。


「死者の蘇生でしょう。言葉だけだと荒唐無稽だが、医学が発達していない時代には、仮死状態の人間が早すぎる埋葬をされて悲劇を産みました。心臓マッサージに除細動器、麻酔、臓器移植、医術は死を遠ざけるよう進歩してきましたから」

「そうだ、克生。我ら祭原の真骨頂は、本物の死者蘇生」


 可能なのか、そんなことが。自分で答えておいて克生は不安がこみ上げたが、父は自信満々だ。そもそもよみがえった死者とは、どのようなものなのだ?


「我らが霊術の源が、どうだん様なのはお前も知っているだろう。あれは、どうだん様より生まれた分霊が、人の形を取った化現けげん。いわば現人神あらひとがみだ」


――あの化け物が!?


 克生は座布団の上で、思わず膝を浮かせて絶句した。仮にあれが人の形を取ったどうだん様その方ならば、祭原はとんでもない無礼を働いていることになる。


「お前が驚くのも無理はない。だがな、分霊は分霊でも、あれはどうだん様から切り離された悪性腫瘍のようなもの。和魂にぎみたま荒魂あらみたまともまた違うが、迷い神とでも言うべきか……人の身でありながら、仮死状態になりながら百年以上も生きている」


 あれが人の血肉を求めるのも、狂った禍つ神である証左、と景克は続けた。味方を変えれば零落した本尊でもあるので、地下に閉じこめるしかなかった、と。


「死者蘇生の秘術を知る前に、どうだん様と祖先の関わり、口無し様が誕生した歴史を語ろう。これは知るだけで責任を伴うことであり、次代に伝えるべきことだ……」


 その夜、父子は長い間を話しこみ、語り明かした。終わる頃には克生の心身に、屋敷が持つ闇がいっそう染みついて、瞳の奥に青白い炎となって残る。

 この世ならざる知識と力を知り、我が物にした者の法悦と野心の火だった。



「鉢植えが枯れたんだ」


 河野こうのごうが駐在所に帰っていき、二人きりになったタイミングで森之進はぽつりと言った。いや、克生が物思いにふけっていて、呼びかけを聞き落としたらしい。


「株分けし過ぎたんじゃないか? 俺は止めとけって言ったのに、おかげであいつは少し可怪おかしくなっただろ」

「嘘に過剰反応するぐらい、大したことじゃないさ」


 普段のにこやかな顔立ちを歪め、森之進は吐き捨てる。毒薬を吐き出すように、あるいは融けた鉛のように苦く重い念を込めて。

 森之進が言いたいことは克生も分かっている、妻のために用意した〝鉢植え〟がすべて枯れたということは、彼女の身に何かが起きたということだ。


「その気持ちは口無しにぶつけろよ。慈愛も育乃も、あいつが殺したんだからな」

「分かっているさ……願わくば彼女が居なくなる前に、仇を討てれば良かったんだけどね。悲しむのはその後だ……鉢植えが全滅しても、終わったとは限らない……」


 どろりと、妄執の淀みに濁った瞳で一点を見つめながら、ぶつぶつと森之進は呟く。こいつも育乃もすっかり可怪しくなったな、と克生は他人事のように思った。

 育乃も慈愛も十六年前に命を落とし、祭原の秘術で今生きている。

『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王が発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という言葉は進化に関する仮説の一つにも引用されるほど有名だが、死者蘇生もそれと同じだ。一度始めたら二度と止められない。

「そういえば、訊こうと思っていたことがあったんだ」と、不意に森之進が独白を断ち切ってこちらに向き直った。


「どうして景克先生をそのまま死なせたんだい」


 景克が院長室で倒れたていたのを見つけたのは克生だ。発見した時にはすでに手遅れだったが、遺体の損傷具合は死者蘇生は充分適していた。


「老い先短い七十三の爺さんだぞ、もう充分生きただろうが。俺にとっちゃ、得にも損にもならない……いや、当主の座は早くもらったがな」

「せめて親孝行だ、と言い訳してくれても良かったんだけどね」


 克生が父親をあまり慕ってはいなかったことは、森之進も知っている。だが蘇生を選択しなかったという判断は、年齢を考えてもそれほど不可解な判断ではない。

 二人はそこで話を打ち切って、それぞれの仕事にかかった。

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