十三 豊穣なるものと杖

「では、本日よりこのグループで巡回をお願いいたします」


 班割りとスケジュールがホワイトボードの上に完成すると、司会進行の森之進もりのしんが告げた。畳敷きの大広間には折りたたみ式の長机と座布団が並べられ、青年から中高年まで餐原町さんばらちょうの男性が集まっている。皆、自警団の結成に否はないようだった。

 農家を営む老人、工務店や酒屋など自営業、店の息子で実家の手伝いをしている若者が主な面々だ。黝黒ゆうこくの美男子、克生かいは一人黒いダイヤのように存在感を放つ。

 老人の一人がごうを向かって声を上げた。


「駐在さんよお、警察はいつ来るんだい」

とつぎ育乃いくのさんの行方不明と、祭原さいばら景克かげよしさんの死体損壊罪については、これから剣熊けんくま警察署に連絡します。現状では、あまり大きく期待は出来ませんがが……」


 あからさまに森之進がため息をつく。成人女性が一日居なくなっただけでは、そう大事にはされないものだ。実際に捜査の手が入るなら、森之進は妻の不倫だの何だのと不愉快な質問を受けることになるだろう。


「何より、この二つが人を食う妖怪の仕業、では警察は取り合ってくれません」


「頼りにならねえなあ」とか、「仕方ねえなあ」という声がそれぞれに上がった。無茶を言わないで欲しいが、気がつけばとんでもない状況になったものだ。

 台風や地震で被災した時も、この町はこうして一致団結して動くのだろうか。それは好ましいことに思えるが、人を食う妖怪とやらを相手にこれか。

 その団結力が、号にはどこか薄ら寒い。

 化け物はともかく、その手下と目されている慈愛しげみをこの連中は最終的にどうするつもりだ? よってたかって暴行を働こうとした時、自分は止められるだろうか。


 懐中電灯やヘルメット、文具に食べ物といった道具を調達しに自警団は一旦解散した。集合場所や会議、および報告は公民館ではなく祭原の屋敷を使う。

 号も駐在所に戻りたいのだが、まだ慈愛や口無し様について訊きたいことが山ほどあるのでその場に残った。長机や座布団を片付けて、克生の傍に座り直す。


「克生先生、そういえばさっき弱点を調べると仰いましたが、あまり口無し様については詳しくないんですか?」

「詳しいの程度にもよるが、あれの正体は分かっている。調べるってのは、以前退治した時は具体的にどんな方法を使ったのかってことだな」


 そんな物が存在するならありがたい。夢で見た時、墓地で見た時のことを思い出すと、口無し様はとても人間が太刀打ちできる相手のようには思えなかったが……。

 号としてはあまり期待出来なかった。だが本題は別だ。


「良い方法が見つかることを願います。ところで、神主さんも克生先生も、慈愛先生は口無し様の言いなりだとのことですが、それはなぜですか?」


 以前「ここでは話せません」とはぐらかされてしまったが、今度こそ説明してもらう。克生は背筋を伸ばして正座する森之進と目を合わせた後、こちらに向き直った。


「あんた、煙草は吸うか」

「いえ、健康第一なので」


 学生時代は柔道で黒帯を取った号だ。警察官になってからも強い体を保つため……というのは建前で、金魚がどうなるか分からないので吸わないと決めている。

 克生は「つまらん奴だな」と舌打ちした。


「とりあえず、受け取れ」


 克生はジッポーライターを取り出して、強引に握らせた。ずしりと重いのもそのはずで、両面メタル貼りでエッチングも施され、ターコイズがあしらわれている。


「あの、急にこんな物渡されても――」

「でも、お前は受け取っただろ?」


 あんたが無理やり持たせたんだろと思いつつ、号はうなずいた。


「そら、これで〝呪い〟は成立だ。ごく古典的なやり方だが、〝渡す〟と〝受け取る〟ってのはまじないの作法なんだよ」


 克生が手のひらを向け、指先だけ動かして催促するのでライターを返す。


「渡して受け取る、ってのはつまりプレゼント、贈与関係だ。贈る側は相手の幸せを願ったり、お返しを楽しみにしたりさまざまな思惑を持つ。呪術ってのは、そうした日常の動作や行事に潜むもんだ。これの代表格では中元や歳暮が有名だな」

「話がよく見えんのですが……」

「黙って聞け。日本の神々は分霊ぶんれいと言って、いくらでも分身を作ることが出来る。全国各地に同じ神の社があるのは、そういう理由だ。同じように人間にも魂があり、それを分割して他人に渡すことが出来る。中元や歳暮といった季節の変わり目に、人は魂の更新を行うため目上の者に贈り物をし、受け取った側は渡されたものを吸収して自らの魂を強化する。それを贈った側に分配してやることで、目下も強化される」


 お中元やお歳暮にそんな意味があったのか? よく分からないまま、号は相づちを打つ。視線で森之進に助け船を求めたが、彼が口を挟む様子はない。

 言葉を飲み下すのを待つように、克生は紙煙草に火を点けて吸い始めた。


「だからな、贈与関係には主従の関係が発生するんだよ。親父はそれが分かっていたから、慈愛を口無しの世話係にした」

「えっ?」

「言っただろ、あいつにはしるしも力もなかったって。祭原じゃ半端者だ、だから親父は慈愛に朝晩供え物をさせて、余計な影響が出たら切り捨てるつもりでいた」


 仮にも自分の弟を物のように言うのか。克生の言うことが事実なら、景克もずいぶんと非情な人間だ。切り捨てる、とは具体的にどうするか号には判じかねたが。

 森之進が一旦立ち上がって、大きなガラスの灰皿を持ってくる。


「ライターの受け渡しとか、必要でしたか?」

「呪術に詳しくなさそうだったんでな。慈愛が口無しの世話係だった、ってだけじゃ事の重大さが伝わらんだろ」


 重大さはともかく、性根の悪さは少し分かったぞ。号が言葉を呑んだ横で、不意に森之進は克生が持つライターを指さした。


「〝ココペリが笛を吹くと、地面から緑が吹き出し、花が咲き乱れ、木々は生い繁り、 花粉は風に舞い飛び、動物たちは次々と子供を産み落とす〟」

「何だシン、覚えていたのかお前」


 克生は確か森之進を「森の字」呼ばわりしていたが、また親しい呼び方をしている。号が二人を交互に見ていると、森之進がこちらを向いた。


「少し思い出しましてね。克生のライターに彫刻されているのはインディアンの精霊ココペリです。豊作・子宝・幸運などをもたらす豊穣神。うちの神さまと同類だ」

「お稲荷さんってそうなんですか」


 確かに神社の御利益には子宝や安産と書いてあった気がするが、よくよく考えれば号は稲荷神が豊穣神であることも知らなかった。

 同時に、ゾッと背筋が冷える。緑が吹き出し、花が咲き乱れ、木々が生い茂る。それは苗床の光景、人々が草むす悪夢を思い出させた。


「まさか、どうだんさまの正体はインディアンの精霊!?」


 号の顔面に紫煙を吹きつけ、「んな訳あるか馬鹿野郎」と克生はぶっきらぼうに一蹴する。その後「外つ神なのは確かだがな」と付け加えた気がした。

 急な煙にむせていたので、号の気のせいかもしれない。森之進はうつむいて肩を震わせ、忍び声で笑っていた。

 やや空気が緩んだが、号は次に克生が口にした言葉に胸が凍りつく。


「そういえば駐在、慈愛は俺と育乃の腹違いの兄弟だ。この町の人間ならだいたい知っていることだが、お前は知らなさそうだからな」


 知るわけがない。無言で首を振る号に、克生は冷たいニヤニヤ笑いを浮かべた。


「念のため言った甲斐があるってもんだ。若くて綺麗な女に目がくらんで手を出したんだが、女が病死してな。あのクソ親父は生まれたのが男児だったから、うちに引き取ると言い出しやがった。貞淑な妻を放って酷いもんだ」


 待て、待ってくれ。祭原慈愛は不義の子で、霊的な力を持つ一族で才能にも恵まれず、化け物の世話をする捨て駒にしたと、あんたらはそう言うのか。

 やはり餐原町は、祭原家は可怪おかしい。葬儀の日は忌み事だからと納得し、今日も変事があったばかりだからと己に言い聞かせていたが、屋敷の陰鬱さは何だ。

 大勢の人がたむろしても、真っ昼間でも墨がかかったようにくらい。

 号は軽く頭を振り、ぎくしゃくと言葉を吐いた。


「慈愛先生が口無し様に魅入られたのは、化け物だけが不幸な子供に優しかったってことですか……?」


 一瞬、何を言っているんだお前はと問いたげな四つの瞳がこちらを見た。うち二つはすっと笑むように目を細めて、号に語りかける。


「それも一因かもしれませんね」


 きわ立った所も引っかかる所もない森之進の目鼻立ちは、感情が分かりにくい。それでいて、一見にこやかなように思わされる。


「慈愛くんが口無し様の言いなりなのは、彼が〝御杖代みつえしろ〟と考えられるからです。依り代という言葉をご存じなら、それと同じと考えてください」

「いや、知らないですね」


 また聞き慣れない言葉だ、御杖代も依り代も。


「少しは教養ってものを持ったらどうだ」悪態を吐きながら克生は説明した。「依り代ってのはご神体や神域のもののことだ。樹木に岩石、あるいは獣、巫女や依り童と言われる人間に神霊が寄りつけば、それを依り代と言う」

「日本ではアニミズムと言って、古くから万物に神や精霊が宿ると考えられていましたからね」森之進もいっしょになって解説した。

「……ってことは、慈愛先生は口無し様に取り憑かれているってことですか!?」


 号は観たことはないが、ホラー映画では悪魔憑きの少女が人間業とは思えない大暴れを見せたという。慈愛もそのような状態なのだろうかと思ったが……。

 克生は鼻で笑いながら、「いや」とこちらの発言を訂正した。


「素人相手でも説明が雑すぎるだろ、シン。実際、御杖代は依り代として神に仕える者という意味があるが。駐在、倭姫やまとひめのみことの巡幸は……知らんな、そうだろう。文字通り、そいつには〝杖の代わり〟としてを助けるという意味だ」

遷幸せんこう?」

「要するに、慈愛くんは取り憑かれていると言うより狂信者のような状態なのです」


 森之進が答える前、克生と一瞬目を合わせたのを号は見逃さなかった。

 こいつらはまだ、すべてを話してはいない。彼らの事情について収穫はあったが、まだまだ信用ならない連中だ。同時に、号は自らの知識不足を痛感した。

 こういう宗教だの呪術だのに詳しいツテがあれば良かったのだが、あいにくと号はそういう人物を知らない。その後は、かつて口無し様が封じられていた座敷牢などを見学し、さて帰ろうと思うと電話が鳴る。


 号が祭原家にいる情報はすでに広まっているらしく、行方不明の訴え屋敷に届いた。新巻が景克の葬儀に来ないことを不審に思った息子夫婦が、彼の家を訪ねて不在を確認。おそらく土曜から居ないのではということだ。

 事態は刻一刻と変化していく。少しの間違いが破滅に繋がっていくだろう。一連の出来事がどこに決着するにせよ、号は恐ろしい予感が拭えなかった。

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