四 眠れ、眠れ、生(ひとぐさ)よ
喪家として飾り付けられた祭原邸の大きさと、人の多さに気圧されながら、
(これだけ人がいても、葬式だからか何となく暗いな)
誰も彼もが故人を悼んでいるからだろうか、内側から発せられる陰気が空間に充満しているようだった。そんな空気の中で、少女がはつらつと駆け寄ってくる。
「おまわりさんも来てくれたんだ。いたみいります」
「逆だねえ、
「昨日は顔出せなかったし、お焼香だけでもと思ったんだけど、祭原にはないね」
「知らないの? おじいちゃんちは、神社でおそうしきするんだよ。だからおショウコウもないの。玉グシっていうのをあげるの」
号も馬鹿ではないので、周囲に神葬祭での礼儀について聞き回っておいた。無地の香典袋に黒白の水引で、「御神前」と書いたものを受け付けに渡している。
神式の葬儀では玉串
「へえ~、オレにはちんぷんかんぷんだ」
「ふっふっふ、おまわりさんはイッパンテキ日本人てやつ? クリスマスにケーキ食べて、神社に初もうでする?」
「そうそう、お盆には休みを取って……って警察にそんなのはないけどね。餐原町は土葬も多いから、びっくりするよ」
そんな会話を交わし、二人は人の流れに乗って別れた。
葬儀のため解放された大広間は、ぐるりと注連縄に囲まれている。中は至る所紋付きの白布で飾られ、正面に祭壇がしつらえられていた。
中心となる写真の景克は、いかめしい顔つきだ。なぜ自分がこうも小さな枠に収められねばならないのか、と迷惑そうな表情だった。
開会に際し、喪主を務める景克の長男・
号は何度か彼が赤いジャガーを乗り回しているのを見た程度で、言葉を交わしたことはない。ただ、良くも悪くも話題に事欠かない人物ではある。
(まさに、オレなんかとは住む世界が違うって感じだ)
三十半ばを過ぎても、克生は
その上端正な顔立ちで、涼やかな切れ長の目と
式を執り行う神主の
手と口を水ですすぐ
親族席には景克の妻・
遅刻しているという可能性もなくはないが、彼女が顔を出すと信じている者がどれだけいるものか。森之進は
「
和歌を詠むような音階や調子をつけた、独特の発声が厳粛に響き渡る。
式次第の中、特に長くなるのは弔辞・弔電の奉呈奉読だった。景克の三人の姉たちが「私たち姉妹より先に弟が逝ってしまうなんて……」悼み、病院関係者や町の有力者たちが、こぞって生前の功績を讃え、逝去を惜しむ。
玉串拝礼が終わり、おのおの退出の段になって、号は慈愛に声をかけた。克生と比べると、同じ端正な目鼻立ちでも、印象の違いが大きい。
白皙の弟と
「河野さん……今朝は、ありがとうございました」
軽い会釈には、早朝に慈愛を家に送り届けたことだけでなく、号が青年団と共に墓穴を掘っていたことに対する礼も含まれる。厳しい肉体労働だった。
餐原町にはいまだ広く土葬の習慣が残っており、景克も当然それにならう。
「景克先生は、本当に突然でしたね。あんなにたくさんの人を救った先生が、あっけないって言うか……」
「医者などと言っても、人の命ばかりは神さまのものですよ。死ぬべき時に死ねなかった人間は、かえって不幸だ」
(神さま、か)
では、なぜひびきは、彼女は死なねばならなかったのか。妻があんたらの病院で見たものはただの幻覚か、それとも何かしたのか?
胸を突く衝動を抑えて、号は「……そうかもしれませんね」と同意した。
「ところで。昔から、薬草はよく治療に使われていましたけど、死んだ人を生き返らせる薬草、なんてのもあったんですかね。ああいや、そういう伝説って意味で」
我ながら(何言ってんだ)と思う話題転換だ。もう少し言い方というものがあるだろうと悔いたが、意外にも慈愛は乗ってきた。
「
今朝の無愛想ぶりと雲泥の饒舌さだ。号は返って腰が引けそうになる。
「いやあ、不勉強でもうしわけない。雨月物語なんて、学生時代に授業でちょっと聞いたくらいですね。懐かしいなあ」
なぜ慈愛が会話する気になっているのか、皆目見当がつかない。やはり、今朝は単に機嫌が悪くて、今はその時の態度を反省しているのだろうか。
だがこれはチャンスだ。思い返せば、どうだん稲荷の由来をすらすら語ったり、金魚の神社に興味を持った風だった。少なくとも、この種の話が好みなのだろう。
「反魂の樹って、人間を苗床にして育てたりしますか?」
飛躍した質問なのは号も分かっている、だが人が苗床にされるというひびきの言葉、草花が繁茂した新巻の夢が、直感的に号の中で結びついた。
慈愛は怪訝な顔をしたが、不快感はなさそうなので号は胸をなで下ろす。
「いえ、そのような話は聞いたことがありませんね。なぜ?」
「それはもちろん、呪いの植物って感じじゃないですか、そんなモン」
眼鏡の奥で、はっと慈愛の目が見開かれた。そしてニヤリと笑う。
「気が合いますね」
短い言葉には、これまでの語調と違って明らかな親しみが含まれていた。初めて慈愛が気を許したと感じるには、充分すぎる反応だ。
「死んだ人間が生き返るなんて、気味が悪いものです。ほら、ゾンビ映画だのキョンシーだの不謹慎なものですよ。姪は好きですけれどね、テンテンとか」
慈愛は夏休みになると放送される、ホラーコメディ映画のアクションヒロインを挙げた。七歳ぐらいの女の子が活躍するのだから、それは子供も好きだろう。
しかし号としては、微妙に話がズレたと気が気ではない。
「それだけ人間は死を恐れているってことですよね。反魂の樹や反魂香なんて実際にあったら、どれだけ大枚をはたいても手に入れようとするやら」
「本当に生き返るならそうでしょうね。でも、よみがえった死者がその人自身だと誰が証明できますか? 『ペット・セマタリー』ですよ」
「あー……すみません、何ですか、それ」
「アメリカの作家が書いたホラー小説とその映画です。死体を埋めると動き出してしまう呪われた土地を題材に、人間の愛と悲しさ、愚かさを描いた傑作ですよ」
号はかなり慈愛の趣味が理解できた気がした。同時に、父親の葬式で出すタイトルかとも思ったが、話を振ったのは自分なので黙っておく。
「……近くにペット・セマタリーがあったとしても、何者も埋めてはならない。愛する者をもう一度葬りたくなければ」
突然、号はぞわりと肌があわ立つ感覚を覚えた。
金魚が腹で生まれる予兆ではない。何か恐ろしいことに気がつきかけて、そのひらめきを見逃しながら、おぞましいものの気配だけが本能を脅かしたような。
「あってはならないんですよ、反魂も、蘇生も」
慈愛の眼はもはや号を見ていない。自分の内側に視線を向け、一言一句ざわつく何かを噛みしめて口にしている。それがかえって嫌な確信を与えた。
――あんたは、よみがえった死者を知っているのか?
眼鏡の奥で瞳がナイフのように光り、切り裂くべきものに突き立てる瞬間をうかがっている。うがち過ぎだと思うには、慈愛の表情は押し殺した憎悪が滲んでいた。
ふっとそれが打ち消され、彼の視線が廊下の向こうへ行く。
「そろそろ出棺の時間ですね」
気がつけば、広間や廊下を埋め尽くしていた人並みがすっかり
「移動しましょうか、河野さん」
「変な話で足止めして申しわけありません、慈愛先生」
共に玄関へ足を進めながら、号は軽く頭を下げた。
「それじゃ堅苦しいでしょう、慈愛で構いませんよ」
おや、どういう風の吹き回しだ。先の印象から慈愛は人付き合いが嫌いなのかと思っていたが、今の会話は彼の気に入る所だったのかもしれない。
ではお言葉に甘えて、と号は承知した。
この男はきっと、ひびきが訴えていたものについて、妻の死について何か知っている。号の勘は、慈愛の一瞬見せた険しい表情に補強されていた。
「言久は悲しき祭原景克大人命の
祭原家前庭では、出棺に際してまた祝詞が奏上された。
景克の棺桶は一族の手で運ばれ、総出で野辺送りされる。埋葬地はどうだん稲荷近くの
「……神霊は
森之進は厳かに奏上を終えた。
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