四 眠れ、眠れ、生(ひとぐさ)よ

 祭原さいばら本家は人でごった返していた。六十人以上の一族と、町議会議員に商工会幹部、地元企業のトップも交え、のべ百五十人近い人間が参列するのだ。

 喪家として飾り付けられた祭原邸の大きさと、人の多さに気圧されながら、河野こうのごうは芳名帳に記帳して上がり込んだ。


(これだけ人がいても、葬式だからか何となく暗いな)


 誰も彼もが故人を悼んでいるからだろうか、内側から発せられる陰気が空間に充満しているようだった。そんな空気の中で、少女がはつらつと駆け寄ってくる。


「おまわりさんも来てくれたんだ。いたみいります」

「逆だねえ、美登里みどりちゃん。それはご愁傷様でした、への返事だよ」


 景克かげよしの孫にあたる美登里は、どうだん稲荷と駐在所が近いこともあって顔見知りだ。おそらく彼女は、号の名前もきちんと覚えてはいないだろうが。


「昨日は顔出せなかったし、お焼香だけでもと思ったんだけど、祭原にはないね」

「知らないの? おじいちゃんちは、神社でおそうしきするんだよ。だからおショウコウもないの。玉グシっていうのをあげるの」


 号も馬鹿ではないので、周囲に神葬祭での礼儀について聞き回っておいた。無地の香典袋に黒白の水引で、「御神前」と書いたものを受け付けに渡している。

 神式の葬儀では玉串奉奠ほうてんを行うが、全員分は用意できないから気にしなくて良い、などなど。しかし小学四年生が得意げに説明するのを、止めようとは思わない。


「へえ~、オレにはちんぷんかんぷんだ」

「ふっふっふ、おまわりさんはイッパンテキ日本人てやつ? クリスマスにケーキ食べて、神社に初もうでする?」

「そうそう、お盆には休みを取って……って警察にそんなのはないけどね。餐原町は土葬も多いから、びっくりするよ」


 そんな会話を交わし、二人は人の流れに乗って別れた。

 葬儀のため解放された大広間は、ぐるりと注連縄に囲まれている。中は至る所紋付きの白布で飾られ、正面に祭壇がしつらえられていた。


 三方さんぽうという白木の台に酒瓶や魚、果物などが供えられ、遺影はおびただしい花に囲まれている。トルコギキョウ、カスミソウ、カーネーション、様々な形の白。

 中心となる写真の景克は、いかめしい顔つきだ。なぜ自分がこうも小さな枠に収められねばならないのか、と迷惑そうな表情だった。


 開会に際し、喪主を務める景克の長男・克生かい鈍色にびいろの衣冠装束を着て現れた。

 号は何度か彼が赤いジャガーを乗り回しているのを見た程度で、言葉を交わしたことはない。ただ、良くも悪くも話題に事欠かない人物ではある。


(まさに、オレなんかとは住む世界が違うって感じだ)


 三十半ばを過ぎても、克生は餐原町さんばらちょうの王子として燦然と輝いていた。田舎とはいえ家柄も羽振りも良く、学生時代は学業もスポーツも優秀。

 その上端正な顔立ちで、涼やかな切れ長の目と黄金こがねいろ光沢つやを持つ浅黒い肌に、多くの女性が惑わされただろう。肌の色濃さで、存在感そのものが際だって見える。


 式を執り行う神主のとつぎ森之進もりのしんも克生と同様、鈍色の衣冠装束姿で現れた。

 手と口を水ですすぐ手水ちょうずの儀を行い、雅楽を担当する伶人れいじん・参列員・会葬者・関係者その他一同が着席し、神葬祭における告別の儀・葬場祭の開始となる。


 親族席には景克の妻・美智代みちよ、長女の育乃とその娘・美登里、そして次男の慈愛しげみがいたが、克生の妻は欠席していた。

 遅刻しているという可能性もなくはないが、彼女が顔を出すと信じている者がどれだけいるものか。森之進は大幣おおぬさを振って場を清め、祝詞を奏上した。


言久いはまくは悲しき祭原景克大人うしのみこと御前みまへに、帰森之進慎み敬ひてまおさく。汝尊ながみことや千九百九十二年六月十七日二十時、今年七十ななそ三歳みつぢ一世ひとよの限りと身罷みまかりましぬ。あたらしくとも惜しく、かなしとも哀しき事のきはみにぞ有りける……」


 和歌を詠むような音階や調子をつけた、独特の発声が厳粛に響き渡る。

 式次第の中、特に長くなるのは弔辞・弔電の奉呈奉読だった。景克の三人の姉たちが「私たち姉妹より先に弟が逝ってしまうなんて……」悼み、病院関係者や町の有力者たちが、こぞって生前の功績を讃え、逝去を惜しむ。


 玉串拝礼が終わり、おのおの退出の段になって、号は慈愛に声をかけた。克生と比べると、同じ端正な目鼻立ちでも、印象の違いが大きい。

 白皙の弟と黝黒ゆうこくの兄。克生が綺麗にカットされた傲慢のダイヤモンドなら、慈愛は人の手を入れないまま、風雨と年月に磨かれた気難しい原石だ。


「河野さん……今朝は、ありがとうございました」


 軽い会釈には、早朝に慈愛を家に送り届けたことだけでなく、号が青年団と共に墓穴を掘っていたことに対する礼も含まれる。厳しい肉体労働だった。

 餐原町にはいまだ広く土葬の習慣が残っており、景克も当然それにならう。


「景克先生は、本当に突然でしたね。あんなにたくさんの人を救った先生が、あっけないって言うか……」

「医者などと言っても、人の命ばかりは神さまのものですよ。死ぬべき時に死ねなかった人間は、かえって不幸だ」


(神さま、か)


 では、なぜひびきは、彼女は死なねばならなかったのか。妻があんたらの病院で見たものはただの幻覚か、それとも何かしたのか?

 胸を突く衝動を抑えて、号は「……そうかもしれませんね」と同意した。


「ところで。昔から、薬草はよく治療に使われていましたけど、死んだ人を生き返らせる薬草、なんてのもあったんですかね。ああいや、そういう伝説って意味で」


 我ながら(何言ってんだ)と思う話題転換だ。もう少し言い方というものがあるだろうと悔いたが、意外にも慈愛は乗ってきた。


反魂香はんごんこう、というものがありますね。反対のハンに、魂のお香と書きます。反魂香の材料は反魂の樹で、焚けば死者を蘇らせるとも、香の煙に死者の姿が見えるだけとも諸説があり……『雨月物語』などさまざまな物語に語られています」


 今朝の無愛想ぶりと雲泥の饒舌さだ。号は返って腰が引けそうになる。


「いやあ、不勉強でもうしわけない。雨月物語なんて、学生時代に授業でちょっと聞いたくらいですね。懐かしいなあ」


 なぜ慈愛が会話する気になっているのか、皆目見当がつかない。やはり、今朝は単に機嫌が悪くて、今はその時の態度を反省しているのだろうか。

 だがこれはチャンスだ。思い返せば、どうだん稲荷の由来をすらすら語ったり、金魚の神社に興味を持った風だった。少なくとも、この種の話が好みなのだろう。


「反魂の樹って、人間を苗床にして育てたりしますか?」


 飛躍した質問なのは号も分かっている、だが人が苗床にされるというひびきの言葉、草花が繁茂した新巻の夢が、直感的に号の中で結びついた。

 慈愛は怪訝な顔をしたが、不快感はなさそうなので号は胸をなで下ろす。


「いえ、そのような話は聞いたことがありませんね。なぜ?」

「それはもちろん、呪いの植物って感じじゃないですか、そんなモン」


 眼鏡の奥で、はっと慈愛の目が見開かれた。そしてニヤリと笑う。


「気が合いますね」


 短い言葉には、これまでの語調と違って明らかな親しみが含まれていた。初めて慈愛が気を許したと感じるには、充分すぎる反応だ。


「死んだ人間が生き返るなんて、気味が悪いものです。ほら、ゾンビ映画だのキョンシーだの不謹慎なものですよ。姪は好きですけれどね、テンテンとか」


 慈愛は夏休みになると放送される、ホラーコメディ映画のアクションヒロインを挙げた。七歳ぐらいの女の子が活躍するのだから、それは子供も好きだろう。

 しかし号としては、微妙に話がズレたと気が気ではない。


「それだけ人間は死を恐れているってことですよね。反魂の樹や反魂香なんて実際にあったら、どれだけ大枚をはたいても手に入れようとするやら」

「本当に生き返るならそうでしょうね。でも、よみがえった死者がその人自身だと誰が証明できますか? 『ペット・セマタリー』ですよ」

「あー……すみません、何ですか、それ」

「アメリカの作家が書いたホラー小説とその映画です。死体を埋めると動き出してしまう呪われた土地を題材に、人間の愛と悲しさ、愚かさを描いた傑作ですよ」


 号はかなり慈愛の趣味が理解できた気がした。同時に、父親の葬式で出すタイトルかとも思ったが、話を振ったのは自分なので黙っておく。


「……近くにペット・セマタリーがあったとしても、何者も埋めてはならない。愛する者をもう一度葬りたくなければ」


 突然、号はぞわりと肌があわ立つ感覚を覚えた。

 金魚が腹で生まれる予兆ではない。何か恐ろしいことに気がつきかけて、そのひらめきを見逃しながら、おぞましいものの気配だけが本能を脅かしたような。


「あってはならないんですよ、反魂も、蘇生も」


 慈愛の眼はもはや号を見ていない。自分の内側に視線を向け、一言一句ざわつく何かを噛みしめて口にしている。それがかえって嫌な確信を与えた。


――あんたは、よみがえった死者を知っているのか?


 眼鏡の奥で瞳がナイフのように光り、切り裂くべきものに突き立てる瞬間をうかがっている。うがち過ぎだと思うには、慈愛の表情は押し殺した憎悪が滲んでいた。

 ふっとそれが打ち消され、彼の視線が廊下の向こうへ行く。


「そろそろ出棺の時間ですね」


 気がつけば、広間や廊下を埋め尽くしていた人並みがすっかりけていた。弔問客として立ち会わなければいけないと言うのに、つい話しこんでいたらしい。


「移動しましょうか、河野さん」

「変な話で足止めして申しわけありません、慈愛先生」


 共に玄関へ足を進めながら、号は軽く頭を下げた。


「それじゃ堅苦しいでしょう、慈愛で構いませんよ」


 おや、どういう風の吹き回しだ。先の印象から慈愛は人付き合いが嫌いなのかと思っていたが、今の会話は彼の気に入る所だったのかもしれない。

 ではお言葉に甘えて、と号は承知した。

 この男はきっと、ひびきが訴えていたものについて、妻の死について何か知っている。号の勘は、慈愛の一瞬見せた険しい表情に補強されていた。


「言久は悲しき祭原景克大人命の御柩みひつぎを此れの処に舁据かくすまつりて御前に謹みうやまひ告け奉らく……」


 祭原家前庭では、出棺に際してまた祝詞が奏上された。

 景克の棺桶は一族の手で運ばれ、総出で野辺送りされる。埋葬地はどうだん稲荷近くの満天星どうだん樹海内なので、途中からは霊柩車だ。


「……神霊は荒玉あらたま須佐毘すさび給ふ事もなく、和魂にきみたまおだひしく天地あめつちの神の美惠みめぐみまにま玉鉾たまほこの道の長手つつがなく、〝花之はなの食國をすくに〟に出立いでたたせせと謹み敬ひまをす」


 森之進は厳かに奏上を終えた。

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