蝉から生えたところてん

鷹野ツミ

ひと夏の思い出

「……えーっと、その……」

 初対面の女性に大変失礼な反応をしたと思うが、写真と違いすぎる。

 俺はごめんと告げ、逃げるように喫煙所へ駆け込んだ。

 駅からほど近い場所だったが追い掛けてはこないようだ。

 ため息と共に煙を吐き出し、出会い系アプリを消した。色々とやる気満々だったので結構落ち込んでしまう。

 屋根が無いため照りつける太陽が汗を滲ませる。やけに蝉がうるさい、と思えばすぐ側に蝉が居た。こんな場所に居たら煙草の臭いで死ぬのでは?

 なんとなく見つめていると「僕の彼女に何か用? 」と突然声が飛んできた。

 ブラックコーデのピアスだらけの男はブラックデビルを開けながら近付いてくる。俺はぽかんとあほ面を向けるしかなかった。彼女? 誰のことを言っているのか、今この炎天下で喫煙所に居る奴は俺とお前と蝉だけだが。

 男は蝉を肩に優しく乗せると怪訝な顔でブラックデビルを咥え、甘ったるい煙を吐き出した。

 ああ、その蝉が彼女なのか! と納得できるわけがない。ヤバい奴だ。さっさと帰ろう。

 横目で彼らを見つつ立ち去ろうとして気付いた。

 蝉から何か出ている。ところてんのようなものがニョロニョロと出ている。

「うわ……」思わず口からこぼれた言葉に、男が鋭い視線を向けてきた。そして見せ付けるように蝉と熱い口付けを交わしている。蝉の口がどこなのか知らないが俺にはそう見えた。

 何を見せられているんだ俺は。

 ところてんがニョロニョロと男の口周りを撫でていて鳥肌が止まらなかった。


 変なものを見た衝撃とブラックデビルの臭いと照りつける太陽と、なんだかもう頭痛がしてくる。

 フラフラと喫煙所を出たところで何かを踏んだ。


 蝉だった。


「うっ……最悪……」

 しばらく呆然と立ち尽くした。残り続ける足下の感触と崩れた蝉が俺の思考を止める。


「痛いわ。とても痛い。怪我をしたわ。痛いわ」

 耳にこびりつく声だ。すぐ近くから聞こえ、まるで俺に話しかけているような言葉だった。

 辺りを見回し、首を傾げていると俺の顔数センチの距離に知らない顔があった。

「おわっ! 」思わず仰け反った。

「怪我をしたわ。痛いわ」

 驚く俺をよそに、その女性は怪我のアピールをしてくる。

 確かに血塗れだ。交通事故にでも遭ったのかと思うほどに。

「あのー、病院行った方が……」

「ワタシのこと踏んだのはアナタよ? 放っておくつもり? 」

 ぐっと腕を掴まれ、俺が怪我をさせたのか? という思考になる。よく分からない申し訳なさが込み上げてきたところで、踏んだとはまさかと思い足元を見れば蝉の姿はない。

 そして腕の違和感。俺の腕を掴んでいるのはついさっき見た、ところてんだった。女性の肘あたりからところてんが生えている。

「あーっ! 離せバケモノ! ところてん! 」

 訳の分からない叫び声を上げてしまった。

「え……アナタ、ワタシの姿が人間の形に見えない? 」

「とても見えませんね! 」

「なんと、まあ……」

 ところてん女がおしとやかに驚き、ニョロニョロと蝉の形に戻っていく。俺が踏んだ形跡もなくなっている。

 そのまま遠くへと飛んでいってしまった。

「……な、なんだアレ。研究所とかに持っていくべきだったか? 」

「研究所ってどこだよ」

 俺の独り言に返事があった。振り返ればブラックデビルを咥えたピアス男がそこに居た。彼女だという蝉はしっかりと肩に乗っている。

 俺がぽかんとしている間に男が話し出す。

「あれはね、夏に現れる生物なんだ。蝉に寄生して、それを踏んだ人間に美女の幻覚を見せる。幻覚はあの生物が死ぬまで消えることはない。ちなみに寿命は一週間」

 非常にファンタジーだ。すんなりと頷けるのは俺が実際に見たからこそだ。

「僕以外に本体のニョロニョロが見える人と初めて会ったかも」

 甘ったるい煙が顔にかかる。吸うなら喫煙所戻れよと思うが、ピアスだらけで少し怖いので強く言えなかった。

「あの生物と出会ったのは三年前でさ──」

 男はところてんとの出会いを語りだしたが、首絞めセックスも幻覚なら容赦なくできるという内容しか耳に入ってこなかった。

「──ほとんどの人が幻覚を本物の美女だと思い込んじゃうでしょ? でも一週間経てばただの死んだ蝉になっちゃうから、みんな結構なショック受けるんだよねー。中には蝉見てたら勃つようになったっていう変態もいるけど」

 いや、ところてん本体が見えてるのにセックスできるお前も変態だろ! とツッコめたら笑いを取れそうだがそんな勇気はなかった。

「ところてんはさ、何で俺のところに来た? 」

 一番気になることを聞いてみる。男の話からして、ところてんは多数居ることになるが、俺は今まで見たことも聞いたこともなかったのに何故突然現れたのか。

「んー、君、現在進行形で彼女募集中? 」

「え、あー、まあ。そうだけど」

「だから君のところに来たんだろうね」

 意味が分からなかった。が、数秒考えてまとまった。

 彼女が欲しい男の前に現れ、蝉を踏んだ罪悪感を与えさせ、美しい女性の姿で迫り、男に手当や世話をさせ、自身の寿命まで男を弄ぶ、ということなのだろう。ほぼ当たり屋ってことでいいか。

 ところてんは人間の男に恨みがあるのか、何故蝉に寄生するのか、目的はどうにも分からないがひとつ思う。

「なんかサイテーじゃね? 」

「ひと夏の思い出にサイコーじゃない? 」


 またねとブラックデビルを一本渡された後、俺はピアス男と別れた。肩乗り彼女からところてんがニョロニョロと出て、それが俺に手を振っているように見えて気色悪かった。


 蝉についての本でも読みに行こうかと太陽の熱気に纏われながら歩く。

 途中、嫌なものが視界に入ってきた。


「アナタ、ワタシのこと放っておくつもり? 」

「い、いやあ、そんな……じゃあその、とりあえず、ウチくるかい? 」

「嬉しい。行きますわ」


 あの中年には、ところてんは見えていないようだし、突然現れた女性に動揺して、蝉を踏んだことも既に頭にはないのかもしれない。


 俺は転がる蝉に気をつけながら、出会い系アプリを入れ直した。

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