言葉の力

@renjutsuki

第1話 現代と昔の好きという言葉の重さについて

 私は恋愛的な意味で用いられる、好きだとか愛しているだとかいう言葉があまり好きになれない。例えば日本の明治大正時代の近代文学や外国の中世の文学などを見てみると、好きだとか愛しているという言葉に、所謂一種の恥じらいも含んだりしながら、本気の思いが読者である我々にひしひしと伝わってくるのである。実際にこんな思いをしながら涙を流したりしていたのだろうなと。

 しかしながら、現代を生きる我々に当時の彼らほどの熱量を持っていないと言っているわけではない。ただ、今ほど娯楽や情報で溢れかえっていない、当時の恋愛の立場が高く、相当な情熱を注ぎ込んでいたのではないだろうかというあの時代に強い憧れを持ち、私が勝手な想像しているだけではあるのだが。近代文学の、たまに執拗ささえ感じる程の愛とそれに基づいた相手中心の行動が私は好きで、これは当時の環境でしか味わえないのだろうかと思っている。

 現代の恋愛の好きや愛しているという言葉を軽んじているわけでもないが、私はどうにも好きになれず、一度、近代の情熱的な恋愛に身を投じて愛とその他の多くの感情の間で揺れ動いてみたいと考えている。

 これはあくまで個人の感想である。

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