エピローグ

 部屋を包むのは静寂。大いに盛り上がった建国祭も過去の話で、街は日常に戻っていた。

 ウルヴァンはミルヘイムの活動拠点である雑居ビルの一室で、珈琲を片手に本を読んでいた。

 振鈴が鳴る。少しの間の後、扉が開かれる。入ってきたのは、セラフィだった。

「やあ、お邪魔させてもらうよ」

 ロスバルクスの一件から数日経つが、その後の経過について話したいとのことで、セラフィから連絡があった。ウルヴァンも聞かねばならないことがあったので、来てもらうことにしたのだ。

「それにしても、男女が二人きり……今日は盛り上がっちゃうかもしれないね」

「戯言を言いに来たわけではないだろう」

 ウルヴァンが言うと、こほんと咳払いしてセラフィが真面目な顔になる。

「まずバクゥ一家についてだけど、あの日ロスバルクスに現れた者は全員逮捕して、後は各自裁判を待つばかりになってる。イエルゴが死んだことで、裏社会はまた動きを見せるだろうね」

「そうか」

 大して興味もなさげにウルヴァンが返す。

「幹部級の六人は無惨な死体で見つかった。少しやりすぎだったね」

「急いでいたのだから仕方あるまい」

 過剰防衛と言えなくもないが、手心を加える余裕もその気もなかった。第一、裏社会の人間相手に気を配っても仕方がない。

「ロスバルクスが滅びた原因はわからなかったけど、あの日異常な術式波長が検出されたのは確認できた。それが確認されたのは君たちの向かった方角だったんだ」

「そうなのか」

「……何があったのかは、話してくれないみたいだね」

 残念そうに、セラフィは肩を落とす。

「アリアちゃんの記憶も戻ったそうだけど、そっちも手掛かりにつながるような情報は出てこなかったし、また調査のやり直しだね」

「こちらからも聞きたいことがある」

 今度はウルヴァンから話題を持ち出した。

「今回の事件は、作為的だ」

 セラフィが怪訝そうに眼を細める。

「作為的、とは?」

「まず、俺がアリアと最初に出会ったとき、あの子は激流に身を投げ出して追手から逃げていた。意識を失い、川辺で倒れているところを俺が発見したが、なぜ激流に呑まれても川辺に逃れていたのか。それも、意識を失った上で、だ」

 ウルヴァンはこれまでの日々を追想していく。

「次に、アリアの記憶が戻る過程も今思えば不自然だ。アリアが重要な記憶を少しずつ取り戻していったのは、俺と出会って以降だ。まるで、俺たちにその時々で示唆を与えるようにな。ついでに言うと、最もアリアが忌避するであろう呪の記憶は最後の最後にやっと思い出した」

「ちょっと待ってくれ。さっきから何の話をしているのかよくわからないのだけど」

「まあ聞け」

 ウルヴァンがセラフィを制して続ける。

「この事件の裏には、事態の全てを操ろうとする者の意思を感じた。滅びたロスバルクスから、アリアの呪の情報がどのようにして漏れた? アリアの素性を知り、ヤクモを派遣した主君とやらは何者だ? ガドウェントが口にした雇い主とやらは誰だ? そして、一度発動したアリアの呪はなぜ止まった?」

 ウルヴァンが疑問を並べ立てる。

「盤面に出てこない何者かの意思が一向に見えてこない中、事態を振り返ってみると際立っておかしな点があった」

 ウルヴァンは唇を噛み締める。

「アリアは二度の明晰夢を見て、それはアリアの記憶との一致を見せた。その夢の中に、アリアの記憶には本来存在しえない魔女ベアトリスがいた」

 セラフィの眉が跳ねる。

「洗脳術式を使えるベアトリスは記憶を操作することも可能だろう。アリアの記憶が段階的に戻っていったのも、ベアトリスがアリアの記憶を封じ、適度な時期に戻るようにしていたからだ」

「それはおかしい。ベアトリスは遥か昔に死んでいる」

 セラフィの疑問は至極真っ当なものだった。

「そうだ。俺がこの手で殺した。だが、洗脳術式によって記憶を操作することが可能なら、他人に自らの記憶を転写し、自分自身を複製することも可能なのではないか?」

 推測を重ねる。

「アリアの呪も、ベアトリス程の超級の咒士なら、止めることを可能とする。逆に言えば、ベアトリス程の咒士がいない限りは、アリアの呪を止めることは叶わないだろう」

 ウルヴァン自身もそれを可能としたが、不死性に裏付けられた成功だ。さすがに特殊事例すぎる。

 セラフィからすれば本来意味の分からない話をされているにもかかわらず、黙って聞いている。

 ウルヴァンは続ける。

「極めつけは、ガドウェントの最期の行動だ。奴は高位の咒士でありながら、銃を所持していた。奴が口にした通り、拡張現実への介入を介さない分、不意打ちとしてはそれなりに使えるが、逆に言えば不意打ちにしか使えない」

 強力な術式と呪を持つガドウェントにとって、拳銃などに頼る場必要がない。しかし、あの場面、ヤクモへの不意打ちのときだけはそれが意味を持った。

「思えば、あれは保険だったのではないか。仮にガドウェントが俺に敗れ去っても、手負いのヤクモを殺害し、アリアに呪を発動させようとする保険だ」

 核心には至らない。解明すべきことはまだまだある。

「アリアの呪を暴走させることで、世界を崩壊させようとしたわけでもないだろう。これだけ周到に準備を進めながら、それを止めることができる俺の存在を失念していたというのはありえない」

 だが、とウルヴァンは続ける。

「万が一、俺が失敗したときの保険も用意していたはずだ。何があってもアリアの呪を止めることができるようにな」

 ウルヴァンは不快さを隠そうともしていなかった。

「その保険は、ロスバルクスの近くに控えていなくてはならない」

 我ながら回りくどいと思いながら、ウルヴァンは結論を告げる。

「貴様のことだ、セラフィ。いや、残夢の魔女ベアトリスよ」

 押し黙っていたセラフィの纏う雰囲気が変貌していた。

「君の論法にはいくつかの飛躍がある」

 魔女と化したセラフィの黄金の瞳が、試すようにウルヴァンを覗き込む。

「君の推測が事実で、一連の事態が私の筋書き通りとするなら、あまりにも偶然性に頼りすぎている。洗脳術式で舞台を整えるにせよ、少なくとも君は自由意志で動いていた。台本が破綻する可能性はいくらでもあったはずだ」

「それは、最初から筋書きが決められていた場合の話だ」

 ウルヴァンは即座に切って捨てた。

「貴様は大まかな流れを作ったのみで、後は即興劇のように事の推移を見極めていただけだ。辿り着く可能性のある結末も複数想定していた中で、今回はこのような結末に行きついたに過ぎないのだろう」

 ウルヴァンには確信に近いものがあった。ベアトリスという機械仕掛けの神ならば、筋書きなどいくらでも修正が利く。

 ベアトリスが小さく息を吐いた。

「とても論理的な帰結と言えないね。結論ありきの回答だけど、まあ正解だ。ヤクモの主君も、ガドウェントの雇い主も、溺れたアリアを救ったのも、はじめて発動したアリアの呪を止めたのも私だ。ああ、ヤクモは何も知らないから疑わなくていいよ」

 答え合わせをするかのように魔女が告げる。

「それと、もう一つ。イエルゴがアリアちゃんのことを知った経緯に、私は関与していない。彼の脳を少しばかりいじって、脚本に利用したのは事実だけどね」

 魔女の唾棄すべき行為が、ウルヴァンの不興を招いた。

「君がジェイバーに襲撃をかけたあの日に出会って、私は本当に驚いた。微かにでも私の正体に感づいていたようだからね。だからこそ、先の結論に辿り着いたのだろう? 君が私を忘れずにいてくれて、本当に嬉しかったよ」

 アトリスが美しくも妖しく笑う。

「貴様の目的はなんだ?」

 凍り付く舌で、ウルヴァンは尋ねる。

「一度私を殺した君ならば、理解してくれていると思ったけど、説明が必要か」

 いかにも残念そうに魔女の口から吐息が零れる。

「アリアの呪は、世界の摂理に反する。あれを放置しておくことは、いずれこの世界を崩壊させることになりかねない」

 語る魔女は、賢者の叡智を瞳に宿していた。

「あの門を開くことでどれだけの犠牲が出すことになろうと、死者蘇生は人類の究極の夢だ。アリア自身がそれを望まずとも、愚かな人間たちが、運命があの子を地獄に導く」

 ウルヴァンが不快気に顔を歪める。それはおそらく起こりうる未来だ。

「アリアの父であるユルゲン教授の命を奪ったのは、イエルゴと同じく裏社会に生きる者たちだ。私や君にとっては取るに足らないような存在が、アリアから全てを奪う引き金を引いた。その事実こそが彼女の未来を暗示している」

 深い憂慮に顰んだ暗鬱な顔で、ベアトリスは続ける。

「あの子を守る力が、意志が必要だった。それが君だよ、ウルヴァン。君はこの戦いの中で、アリアをかけがえのないものと見なすようになった。もう君は、あの子を見捨てることはできない」

「そんなことのために、貴様は……!」

 ウルヴァンは愕然としていた。眼前にいる魔女の言葉の何一つとして理解ができなかった。

「これは君のためでもある。君は呪によって死を奪われたことで、人生の熱を失っていただろう?」

 魔女の黄金の瞳がウルヴァンを覗き込んでいた。

「ヤクモとアリアは実に可愛らしいよね。性格的にも、君とは相性が良さそうだと思っていた私の見立ても間違っていなかったようだし。可憐な二人と過ごす日々は、彼女たちのために戦うのは心が躍っただろう?」

 ウルヴァンは衝撃に撃たれたように硬直した。ウルヴァンたちの心すら、ベアトリスの手のひらの上で転がされているだけだったのだ。

「特にアリアは、不幸な境遇に愛くるしい見た目。これほど庇護欲を誘う存在もなかなかない。物語の主人公のような気分を味わえたんじゃないか?」

「貴様は」

 怒りに震えるウルヴァンが、振り絞るように言葉を発する。

「他者の心をその手のひらで転がし遊ぶ、存在すら許されぬ怪物だ。俺が撃ち滅ぼした一〇〇年前から何一つ変わっていない」

「そうかもしれないね」

 寂しげにベアトリスが笑った。

「ゼルギリウス様は、自らが生み出した呪が生み出す悲劇に無頓着だったわけではない。あの人は術式に対する狂気と生来の優しさの間で揺れ動いていた」

 ベアトリスは過去を懐かしむように語る。記憶の転写は、ゼルギリウスが存命の時から繰り返されていたのだ。

「その意思を継ぐ私が、呪で世界が滅ぶなんてことを認めるわけにはいかない。どれだけ他者の心を弄ぼうと、踏み躙ろうとね」

 ベアトリスは精神の怪物だった。

 沈黙が場を支配する。

「そろそろアリアたちが戻ってくるだろうから、お暇するよ」

 そう言って、ベアトリスはその場を去ろうとする。

 ウルヴァンは一つだけ言っておくことにした。

「地獄に堕ちろ、クソ野郎」

 振り返るベアトリスの顔には、驚き。そして、小さく笑った。

「意外と子供みたいな悪口も言うんだね」

 ベアトリスが歩みを再開し、扉が閉じられる。

 最後の戦いを終え、ウルヴァンは息を吐く。数分も経たないうちに、再び扉が開かれた。

 姿を見せたのは、アリアとヤクモだった。ヤクモは術式治療も受け、すっかり快調となっている。

「セラフィ殿が来ていたようでござるが、どのような用件だったのでござるか?」

「ロスバルクスの事後報告だ。実に下らなかったがな」

「下らない?」

 ウルヴァンの答えが気になったのか、アリアがきょとんとしていた。とても言えることではないので、ウルヴァンは続きを口にしない。

 アリアたちも大して興味はないようで、追及してくることはなかった。

 アリアたちが手にしている袋を見る。大量の食材がぱんぱんに詰め込まれていた。

「さすがに買いすぎではないのか? 消費できないだけの量を買うのは無駄だ」

「いや~、それがね」

 アリアがにやりと笑う。

「ヤクモさん、最近こっそり料理の練習をしてるんだよ。ウルヴァンさんに食べさせてあげたいんだって」

「あ、アリア殿!」

 なぜかヤクモが顔を真っ赤にしていた。よくよく見ると、手のあちこちに小さな傷がある。

「……何を企んでいる。今ならば、不問にしてやるが?」

 そう問いかけると、ヤクモのこめかみに青筋が浮かぶ。

「こ、この男は……!」

「駄目駄目、ヤクモさん。わかってたじゃん。ウルヴァンさんはこういう人だよ。はっきり言わないと伝わらないよ?」

 アリアはアリアでよくわからないことを言っている。

「う~……がー!」

 ヤクモが突然獣のごとく叫びを上げた。

「退屈せぬな」

 ふと、ウルヴァンは笑っていた。

 アリアを中心として書かれたベアトリスの劇によって、三者三様に深く心を傷つけられた。

 特に、アリアは笑顔を見せてはいるものの、今なお自身の呪と背負わされた宿業から開放されたわけではない。

 そして、アリアの呪はこれからも彼女に絶望を与えようとするのかもしれない。

 だが、そうはさせない。それが魔女によって導かれた運命であっても、ウルヴァンはアリアと共にいることを選んだ。この子の平穏を守るために戦うことを誓う。

「そうだ、大事なこと言い忘れてた」

 向けられたアリアの笑顔は、太陽のごとく眩しかった。

「ただいま!」

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不死なる餓狼のメメントモリ 高橋邦夫 @kokoro127

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