五章

 ミルヘイムの街が、建国祭の喧騒で賑わいを見せている。

 人々は喜びと興奮に満ちた表情で大通りを進む。大通りを更新する楽隊が大音量で奏でるのは、古い伝統的な音楽。路地には屋台がずらりと並び、そこでは美味しそうな食べ物や工芸品が販売されている。大道芸人も磨いた技をここぞとばかりに発揮して、群衆を楽しませている。

 子供たちは駄菓子や風船、露店の玩具を手に取り、笑顔で走り回っている。羽目を外しているのは何も子供たちだけではない。大人たちは歓喜の声を上げ、まだ真昼間だというのに、思い思いに酒を呷っている。

 アリアたちも、行き交う人の波濤の中にいた。

「うっわー、祭り! って感じだね」

「日ノ本の祝祭も良きものでしたが、これは大したものですな」

 はにかみながら感想を口にすると、隣のヤクモも笑っていた。

「欲しいものがあれば遠慮せずに言え。せっかくの祭りだからな。存分に楽しむといい」

 相変わらず感情の起伏が少ないが、心なしかウルヴァンも浮ついているように感じる。アリア自身が浮ついているからそう感じるだけかもしれないが。

 アリアのお腹がぐうと鳴る。お腹は正直だ。

「じゃあ、あれ食べたい」

 指差した方にあるのは、肉や野菜を小麦粉の薄い皮で巻いた料理を提供している露店。

 ウルヴァンは頷くと、紙幣をアリアに握らせた。

「ありがと!」

 お礼を言い、早速とばかりに露店へ向かう。受け取った料理と飲み物の入った杯を手に、ウルヴァンたちの元へ戻る。

 早速一口。香ばしく焼かれた肉と新鮮な野菜の風味と食感。それらが食欲を増進する甘辛いたれで味付けされており、薄い小麦粉の皮と相まって、重層的な旨味を醸し出している。

 続いて飲み物を呷る。炭酸が心地よく、口の中を洗い流してくれる。これでまた料理の次の一口を美味しく味わえる。

「ウルヴァンさんの料理も最高だけど、こういうお祭りで食べるものはまた一味違うね」

 ある程度食べ進めたところで、ウルヴァンに料理を差し出す。

「ウルヴァンさんも一口どう?」

 そう勧めると、なぜかウルヴァンは渋い顔をしていた。

「俺は腹を空かせていないため要らぬが……まさかアリアも、美人の食べかけには価値がある、とか言い出すことはないだろうな?」

「ん~? なんだかまたよくわからないこと言ってる」

 何がどうつながったのかわからないが、ウルヴァンは意味のわからないを口にしていた。

「でも、美人ってのは悪くないね。もしかして私、ウルヴァンさんの好みだったり? いやー、まいっちゃうね」

「アリアは一般に見目麗しいと言えるだろう。だが、前も言った通り、私に幼女趣味はない」

 褒めているつもりなのだろうが、手放しに喜べない一言をいただく。

「はいはい、一〇〇歳超えてるウルヴァンさんからすれば、私なんて幼女みたいなものですよね」

 口を尖らせて文句を言う。

「諦めた方が良いでござる。ウルヴァン殿は、女性を慮るということが理解できないのでござる。朴念仁という表現すら生温い。無遠慮傲慢陰気の鬼畜でござるからな」

 ヤクモはそう言って、いつの間にか買ってきていたりんご飴を齧っていた。

「そこまでいくと、ただの悪口ではないか」

「気づけて偉いでござるね~、よしよし」

 ウルヴァンの不満に、神経を逆撫でするようなヤクモの物言い。

「めでたい日に喧嘩はやめようよ。みっともないよ、二人とも」

 アリアが諫めると、渋々といった形で両者矛を収めてくれた。本当に相性が悪い二人だ。ある意味で似た者同士の、同族嫌悪的なものなのかもしれない。何でもいいが、こんな人がごった返している中で悪目立ちされても困る。

「この喧騒も懐かしい。最後に立ち会ったのは、数十年ぶり程か」

 祭りの熱に浮かされた人々の大混雑の中、ウルヴァンが穏やかな笑みで言う。

「あっさり言うけど、数十年ってすごい時間だよ? 私もヤクモさんも生まれてすらいないでしょ。やっぱり長生きすると、時間間隔が大らかになるのかな」

「アリア殿、この男の感覚を常識で語ってはいけないでござるよ」

 何気なしに呟くと、ヤクモが横から口を出して来た。

「俺とて、時間に無頓着というわけではない。前回来た年のことも詳細に覚えている」

「じゃあ、いつでござるか?」

「三八年前だ」

 ヤクモの質問にウルヴァンが即座に回答するも、アリアは呆れ顔で口を開く。

「いや、それ確かめようがないじゃん。水掛け論にしかなんないよ」

 ヤクモがはっとして、ウルヴァンを睨みつけている。

「そう睨むな。そんな姑息な真似を俺は好まない。当時の建国祭には、当代随一と言われる碩学者にして術式博士であるヘイムダルクが来訪するという話を聞きつけてな。祭りそのものはともかく、彼とは一度術式理論について語り合いたいと常々思っていたので、都合が良かった。事実、その際の議論は非常に有意義と記憶している。属するコルダッド学派は決して主流派とは言えない立場だが、彼が提唱したドメトクライ理論は興味深いものだった。術式は世界単位で見た場合、決して熱力学第一法則に反するわけではないことを——」

「あー、はいはい、わかったわかった。話が長いでござる」

 感慨深そうにウルヴァンが語っているところ、ヤクモが鬱陶しそうに止めに入る。アリアとしても今聞いて楽しい話ではないので、困った笑みを浮かべるしかなかった。藪から蛇、というか、まさかこんな長い話につながるとは思わなかった。

 重低音が耳に届く。そちらを見やると、青空に花火が上がっていた。色のついた煙が意思を持っているかのように、花、動物、文字を青空の画布に描き出す。

「すっごーい!」

「昼花火でござるか。なかなか乙なものでござるな」

 人目も憚らず声が出ていた。隣のヤクモも感動を露にしている。

「あれも術式によるものだろう。火薬を生成し、順々に発火させていくだけの術式だが、あのように芸術にまで昇華させるのは職人芸だな」

 一方で、冷静なウルヴァンの分析。

「素直に綺麗とか風流とか言っておけば良いものを。もう少し風情というものを味わうようにすべきではござらぬか?」

 ヤクモが苦言を呈する。言いたいことはわかるが、言う相手が悪い。

「こう言うと今更だけど、術式って本当にすごいんだね。できないことの方が少ないんじゃないかな?」

 ウルヴァンとヤクモに術式を教わり始めてから一週間以上が経過し、アリアは様々な術式を身に着けた。アリアは理論よりも感覚的に術式を理解している。そのため、実際には多様な制約が課せられていることは分かっていても、未だに術式がどんなことでも可能にする魔法の技に感じられてしまうのだ。

 自惚れのようだが、簡単に習得できてしまうのも良くない。第四階梯以上の術式を試したことはないが、逆に第三階梯以下の術式は苦も無く発動できてしまうのだ。自分の限界が見えていないからこそ、不可能などないだろうという錯覚に陥ってしまう。

「どこまでいっても術式とは、人類の歩みに裏付けられた技術に過ぎない。往々にして、術式の発展とは科学の発展に遅れてやってくる。無数の科学的検証が、今の術式体系を支えているのだ。決して人が辿り着けない領域まで一足飛びに連れて行くような奇跡の業ではない」

 ウルヴァンは示すのは、長く術式を扱い続けた者だからこそ語れる現実だった。もちろん、アリアとて術式が何でもできるなど楽観的な見方をしていたわけでもないが。

「そういった意味でも、俺は呪を好まない。あれは人の理解を越えた領域へ足を踏み入れてしまう可能性を秘めている。理性の制御が及ばぬままにその力が暴走し、取り返しのつかない事態をもたらした例など枚挙に暇がない」

 ウルヴァンの言葉に、背中の印が疼いた、ような気がした。

「呪など、この世界に不要なものなのだ。貴様もそうは思わぬか、イエルゴ=バクゥよ」

 はっとして、アリアはウルヴァンの視線の先を追う。そこには初老の男性と山を思わせるような巨漢の二人組が、こちらを見据えていた。見間違えようもない。イエルゴとガドウェントだ。

「そう殺気立つことはない。祝祭の日に騒ぎを起こすほど私は無粋でもないよ」

 腰の刀に手を掛けていたヤクモに、飄々とした様子でイエルゴが言う。暢気に麦酒の入った樹脂の杯を手にしている。

「ところで、ウルヴァン君だったかな? 呪は不要というけれども、私はそう思わないね」

 イエルゴの瞳はアリアを見ていた。

「そこのアリア君の呪は、私の願いを叶えてくれる。不要だなどと、とんでもないことだ」

 優しそうな瞳。しかし、アリアは感じ取ってしまった。その奥に秘められた、暗く燃える執念。それが自分に向けられているという事実に、底冷えするような思いに駆られる。

「貴様自らお出ましとはな。随分と不用心なことだ」

「出てきても問題ないと判断したからこそここにいる、とは考えないのかね? それに、不用心は君たちも同じだろう」

「その通りだ。同じ理屈で我等もここにいる」

 ウルヴァンの挑発にも、イエルゴは余裕を崩さずに返す。

 ウルヴァンが一歩踏み出すと、応えるようにガドウェントが前に出る。

「心配ないよ、ガドウェント君。彼も本気でやり合うつもりはないだろう」

 向かい合うウルヴァンとガドウェントは一触即発といった面持ちになっている。

「私としても、無用な争いは避けるに越したことはないと考えている。大人しくアリア君を差し出してくれれば助かるのだがね」

「叶わぬ願いだ」

 イエルゴの言葉をウルヴァンは一笑に付した。

「お主はなぜアリア殿に執着するのだ? まさか、アリア殿の呪ならば、死んだ娘を生き返らせることができるとでも思っているのでござるか?」

「そうだけど」

 冗談めいたヤクモの問いに、さも当然といったようにイエルゴは答えた。

「もしかして、君たちはその子の呪について何も知らずに、その子を守っているのかい?」

 僅かな驚愕交じりにイエルゴが問いかける。

 こちらが沈黙を保つと、イエルゴは哄笑。周囲の人の視線を集めるが、イエルゴは気にした様子もない。

「全く滑稽な話だよ。運命すら捻じ曲げる力、その重大性も理解せずに、アリア君を守っているというわけか」

「貴様の目的が、娘の蘇生にあることは分かった。だが、そのような妄念にアリアが巻き込まれるのは不愉快だな」

「自分の理解の及ばぬ事象だからといって、早々に切り捨てるのは了見が狭いと言わざるを得ないね」

 ウルヴァンとイエルゴが言葉の矛を交わす。

「死者は生き返らない。それを願うことを、妄念と呼ばずして何と呼ぶのか」

「いいや、生き返る。その子の呪さえあれば、メーテラは生き返るのだ」

 イエルゴは断言する。強く握りしめられた拳が、その確信を示していた。

「君たちもいずれは真実に辿り着くだろうが、別に隠し立てすることもない。全ての答えは、ロスバルクスにある」

 ロスバルクス。

 アリアは覚えていた。それはウルヴァンと出会ったその日、報道で聞いた街の名前。住民が一人残らず消え去った街だ。

 刹那、激しい眩暈に襲われる。現実との境界も曖昧なままに、断片的な記憶が浮かんでは消えていく。その中には、ドロシー、そして父の姿もあった。

「アリア!」

 ウルヴァンの声により、意識が引き戻される。逞しい腕がアリアを包み込んでいた。足元がふらつき、倒れる寸前だったことに気づいた。

「大丈夫……大丈夫、だから」

 ウルヴァンに心配ないことを伝え、自らの足で立つ。

「おやおや、本当に大丈夫かい? 君に万が一のことがあったら僕としても困るんだよね」

 麦酒を呷りながらイエルゴが言い放つ。

「教えて……! あの街……ロスバルクスでは何があったの⁉」

 確かな記憶は戻ってきていないが、あの街で暮らしていたことは朧気ながら思い出した。あの日映像で見た、アリアの故郷であるロスバルクスの惨状。それはすでに他人事ではなくなっていた。あの街には、ドロシーや父がいたはずなのだ。

「教えてあげても良いけど、君は知らない方が良いと思うよ?」

 紳士然とした笑みを浮かべ、イエルゴは冷たく呟く。瞳に宿る執念の炎がゆらりと揺らめいたような気がした。

「貴様は確かに我等の欲する情報を持っているようだ。ここで全て吐いてもらうとしよう」

「困ったな。騒ぎを起こすつもりはないと言ったけれど、そちらがそう来るならば、こちらも自衛しないといけなくなってしまう」

 イエルゴが不敵に笑った。同時に、これまで沈黙を貫いていたガドウェントが動きを見せた。

「随分と回りくどいが、ここで死合うということでいいのだな」

 その巨体が前に出るだけで、圧力を感じる。ウルヴァンもそれに応じようとしたところを、ヤクモが引き止める。

「拙者にお任せあれ。アリア殿を苦しめる彼奴等を斬り伏せるのは、拙者の役目でござる。ウルヴァン殿はどんと構えておれ」

 ヤクモの纏う空気が変わる。抜き身の刃のような凄絶さをもって、ガドウェントと相対する。

「我、刃の理を紡ぐ者なり」

 ヤクモの詠唱とともに術式が展開。宙に出現した五つの楔。高速演算によって楔が解けていく。四つ目の楔が消失したところで、ヤクモへかかる負荷が大きく上昇したことを感じ取った。

 術式の勉強をする中で、ウルヴァンから聞かされていたため、それが何なのかアリアは理解していた。曰く、第五階梯以上の術式は高位術式と呼ばれ、第四階梯以下の術式とは難度も威力も一線を画する。

 奥義の第五階梯、超越の第六階梯、神変の第七階梯。第五階梯からはほとんどその咒士の固有術式となり、そこに到達することはそれすなわち超一流の証左となる。

「はおおおおおっ!」

 ヤクモが咆哮。世界の抵抗力を跳ね除け、最後の楔が砕けた。

 術式が発動。瞬間、ヤクモを中心として、拡張現実が変質していく。半円状に広がる効果範囲に、ガドウェント、そしてイエルゴが巻き込まれた。イエルゴの顔には驚愕と焦燥。

「我が”虚法刃圏”の奥義、とくとご覧あれ」

 ヤクモが腰に差した大小の刀を抜き放つ。彼我の距離は開いており、その場で抜いた刃がイエルゴたちに届くはずもない。

 だが、それは常識の思考の枠内に過ぎなかった。

 イエルゴの高級そうな襯衣が鋭く切り裂かれ、その下から薄く血が滲んでいる。

「良い反応だ。もっと深く切りつけるつもりだったのでござるが」

 ヤクモが感心の声で言う。隣にいたガドウェントが突き飛ばしていなければ、ヤクモの斬撃はイエルゴに命中していただろう。

ガドウェントは体勢を崩したイエルゴを引っ張り上げ、ヤクモの術式の効果範囲外に逃れていた。巨体だが、それに見合わないほどの俊敏な動きだった。

「驚いたね……限定的な空間掌握による斬撃範囲の拡張といったところか」

 イエルゴが分析の目を光らせる。アリアも、ヤクモの術式がいかなるものかを理解していた。

 ヤクモが展開した術式は、イエルゴの分析の通りだ。その空間内であれば、どこにでも斬撃を届かせることができる。文字通り、一部の隙も無い。間合いを完全に支配する恐るべき奥義だった。

 祭りに浮かれていた人々が、騒動に気づき、逃げ出していた。好奇心で見物する野次馬、それ以外にもその場に留まる者たちがいた。

 おそらく、イエルゴの手の者だ。各々が剣や槍といった武具を携帯し、四方からこちらに向かってくる。迫りくる恐怖に、アリアは身を竦ませる。

「アリア殿、心配無用でござる」

 優しくヤクモが呟いた。

 振るわれる刃は、神速。アリアには視認すらできない速度で、ヤクモの大小二本の刃が振るわれる。その様は、流麗な舞のごとく、美しかった。

 距離を無視する斬撃が、イエルゴの部下たちに殺到。手にした武具は細切れにされ、全身に刀傷が刻まれていく。死んでいる者はいないが、ヤクモの間合いに入った者は漏れなく戦闘不能に追いやられていた。

「天下の往来でなければ、貴様等など細切れにしているところでござる」

 ヤクモは斬り伏せた者たちへ吐き捨てた。

「相手の術式の性質も見切れぬのか、あんたの部下は」

「この場合は、あの侍の腕前が異常というべきだろう。第五階梯の術式なんてお目にかかること自体珍しいのだから」

 ガドウェントがイエルゴに対して苦言を呈し、イエルゴは呆れたような苦笑で応えていた。

「しかし厄介だね。彼女の間合いに入れば、不可視の斬撃。かと言って、遠間からの狙撃術式はアリア君を巻き込む可能性があるから使えない。更に言うなら、斬撃の雨を潜り抜けても、ウルヴァン君という強力な咒士が控えている。僕程度ではこの布陣を突破する方法はとても思い浮かばないね」

 イエルゴが現状を述べる。彼の言う通り、ヤクモとウルヴァンの守りは盤石と言っていい。

 それでも、イエルゴは余裕の笑みを浮かべた。

「でも、君なら何の問題もないだろう?」

「無論だ」

 ガドウェントが静かに答えた。

 大気が震える。ガドウェントが拡張現実への介入を開始した。

「金の理、鉄の叡智、鋼の魂」

 ガドウェントの詠唱によって、出現した楔は五つ。ヤクモと同様の第五階梯の術式だ。

「させぬ!」

 ヤクモが叫ぶとともに、”虚法刃圏”の術式範囲が半円から変質していく。総面積は変わらないが、ガドウェントを取り込まんと直進する。

「我が身は総て闘争のために」

 それよりも早く、ガドウェントの術式が発動。ガドウェントの全身を、鋼鉄が覆っていく。一瞬遅れて、”虚法刃圏”が到達。刹那、ヤクモが刃を振るう。

 鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が響き渡った。不可視の斬撃を受けても、ガドウェントの纏う鋼鉄には跡すら残っていない。数回切り付けたところで、無駄だと悟ったヤクモが小さく舌打ちする。

「我が刃は鉄をも切り裂くのでござるが」

「あれはチタン合金を理想強度に限りなく近づけた鎧で、馬鹿みたいに固い。しかも、受ける術式を低減させる効果もあるようだな。中位術式程度は意にも介すまい」

 術式の組成から、ウルヴァンがガドウェントの術式を読み取る。

 ガドウェントの矢のような突進。一瞬でヤクモとの距離を詰めていく。反応したウルヴァンがアリアを抱きかかえ、後ろに飛んだ。

 間もなく、ガドウェントがヤクモに肉薄。丸太のような剛腕が、唸りを上げてヤクモに迫る。

 ヤクモはガドウェントの脇に潜ることで回避。返す刀で斬撃を叩きこむが、ガドウェントの頑強な鎧には傷もつかない。

 ガドウェントの攻撃が続き、ヤクモは防戦一方になる。鎧を纏っていても、ガドウェントの動きは俊敏だ。怒涛の攻めを器用に躱しているが、ヤクモの方から攻め手がない。圧倒的にヤクモの不利だ。

 ヤクモが展開していた”虚法刃圏”を解除し、ガドウェントから距離を取る。

「お前の力は認めよう。だが、相手が悪かったな。俺の”剛轟錬鍛鎧”の前では、何者も無力だ」

 ガドウェントは勝ち誇るでもなく、淡々と告げた。

 ヤクモの術式は、文字通り間合いを支配する。反則級の術式だが、ガドウェントの術式、”剛轟錬鍛鎧”には通用しない。ヤクモと同様、第五階梯の術式を操るガドウェントは超一流の咒士であり、ヤクモにとって天敵と言える相性の相手だった。

 アリアを守ろうとしてくれているウルヴァンは、手助けに入れない。このままではいずれヤクモが押し切られる。

「これで終わりか? 俺を楽しませることができないなら、捻り潰すぞ」

 優位に立っているにも関わらず、ガドウェントは余裕を見せて追撃に移らない。ヤクモの攻撃を無効化できる以上、焦って攻める必要はないのは確かだが、傲慢には違いない。

 ヤクモが手にした刀を二本とも腰の鞘に戻し、背中の大太刀に手をかけた。抜き放たれた刀身が、眩く煌めく。

「”虚法刃圏”は我が奥義なれど、我が全てにあらず。貴殿には我が秘奥をもって応えよう」

 ヤクモから鮮烈な闘気が放たれる。離れたところにいるアリアですら気圧されるような迫力。

 それを見て、巌のようなガドウェントがはじめて喜悦の笑みを見せた。

「そこまでだ」

 しかし、そこに割り込む第三者がいた。

 現れたのは、小麦色の肌をした妙齢の美女。金の髪と紅の瞳は幻想的なまでに美しい。

「セラフィか、なぜ」

 ウルヴァンはその人物を知っているようで驚きを露にしていた。

「おや、見知った顔もいるね」

 セラフィと呼ばれた美女は、こちら、というよりもウルヴァンの方を見て微笑んでいた。

 気づけば、白服の集団が周囲を取り囲むように展開していた。統制の取れた動きから、彼らの練度が窺える。その胸元には天秤と剣が交差した紋章が刻まれていた。

「まったく、こんな大通りで第五階梯まで使うお馬鹿さんたちがいるなんてね。これ以上やるなら、さすがに見逃すわけにはいかない。私の顔に免じて、この場は収めてもらうよ」

 セラフィが呆れ声を漏らす。状況がつかめず、アリアは混乱するばかりだった。

 小さく息を吐いた後、ガドウェントが背後に振り返る。

「退くぞ」

「そうしようか。今日は挨拶だけのつもりだったし。ここで彼等まで敵に回すのは楽しくないね」

 イエルゴが同意する。ガドウェントとともに、何事もなかったかのようにその場を離れようとしていた。

「いずれその子はもらい受ける。賢い判断を期待しているよ」

「余計なお世話だ。二度とその面見せるなでござる」

 去っていくイエルゴに、ヤクモが毒を吐く。

 彼らの姿が見えなくなったところで、セラフィがこちらに歩み寄ってきた。

「やはり君とは縁があるね。またこうして出会えるとは、運命を感じずにはいられないよ。こういう状況じゃなければ、より良かったのだけど」

 演劇めいたことを言うセラフィに、ウルヴァンは不審の目を向けていた。

「国際咒士警吏局とは、とんだ大物が現れたものだな」

 ウルヴァンはセラフィたちの素性を知っているようだった。

「すごい人たちなの?」

「ああ、すごいよ。陳腐な言い方だけど、正義の味方さ」

 答えはセラフィ自身から返ってきた。

「術式犯罪を取り締まる国際機関だ。加盟国の多さで言えば国際連合に次ぐ巨大組織で、そうそうお目にかかれるものではない。偶然通りがかったということもないだろうが、イエルゴに目を付けていたのか?」

 補足するようにウルヴァンが言うと、セラフィは困ったような顔をしていた。

「そういう事情を話す前に、まずは御同行いただきたいのだけど、いいかな? さすがにこれだけの騒ぎを起こした君たちを放っておくこともできなくてね」

「国家主権の問題から、貴様等は逮捕権を持たないはずだ。これは任意同行ということになり、俺たちには従う理由がないが」

 ウルヴァンが答えると、周囲を取り囲む白服たちが殺気立つのを感じる。騒動の当事者であったイエルゴたちが去っていくのを止めなかった理由も理解できた。

「私たちは年々増加する術式犯罪の脅威に対抗するため、多少の無茶は効いてしまうんだよね。素直に従ってくれた方が互いのためになると思うよ?」

「うわっ、その発言は正義の味方じゃないよ!」

 思わずアリアは反発していた。

「そう言われると苦しいね。何、悪いようにはしない。君たちの事情もある程度理解しているつもりだ」

「……ウルヴァン殿、ここは従いましょう。今は争う時ではございませぬ」

 そう提案したのは、意外にもヤクモだった。

 少しの間思案した後、ウルヴァンは口を開いた。

「付き合ってやる。祝祭の邪魔をするくらいなのだから、良い珈琲くらいは置いてあるのだろうな?」

 それを聞き、きょとんとした後、セラフィは楽しそうに笑った。

「君には奢ってもらった恩もあるからね。期待してもらっていいよ」


 さして広くもない殺風景な室内の空気は、どこか淀んでいるように感じられた。

 セラフィに連れて来られたのは、ミルヘイム市の警察本部だった。執務机を介して、アリアとウルヴァンはセラフィと向かい合っている。

 窓の外からは祭りで賑わう街の音が聞こえてきて、ため息を吐きたくなるが、ウルヴァンに悪いので控えた。

 ヤクモと言うと、ガドウェントとの戦闘で刺激を受けたようで、鍛錬のためにいったん別行動を取っている。

 ウルヴァンは珈琲を飲み、何やら満足そうに頷いている。アリアももらった甘い飲料水で喉を潤す。

「先に言っておくけど、私が望むのは対等な情報交換だ。はっきり言って職権を越えた行為だけど、私なりの誠意のつもりさ……単刀直入に言えば、私たちの目的はロスバルクスの事件の調査が目的だよ」

 セラフィが切り出したのは、核心だった。

「街の人間がいなくなるなんて異常事態に対し、未だに原因はその糸口もつかめない。連邦警察も非協力的だったんだけど、やっと折り合いがついてね。明日にはロスバルクスへと向かうことになってる」

「警察同士なのに仲良くないんだ」

「組織間の棲み分けというものは面倒なのさ。君も大人になればわかるようになるよ」

 疑問を素直に口に出すと、セラフィは自嘲の笑みを浮かべていた。

「ただ、私たちもこれまでミルヘイムで遊んでいたわけじゃない。独自の調査を続けるうちに、重要な手掛かりを発見するに至った」

 セラフィの視線が真っ直ぐにアリアに向けられる。こちらを覗き込む紅の瞳は、全てを見透かしているかのような妖しさを秘めていた。

「それが君だよ、アリア=エヴァージェンス」

「えっ、はい? エヴァージェンス?」

 よくわからず生返事すると、セラフィが目を丸くしていた。

「なぜ不思議そうにしてるんだい。君の家名じゃないか」

「貴様、アリアのことを知っているのか?」

 ウルヴァンが問うと、セラフィは困惑した様子を見せた。その理由に思い当たり、アリアは説明することにした。

「私、記憶喪失なんです。ロスバルクスで暮らしていたことは今日思い出したんですけど」

「記憶喪失……そうか、それは災難だったね。何か他に思い出せることはないかい? 特に、一か月前の事件について何か心当たりとかあると助かるんだけど」

「いえ、残念ながら」

 今となっては、アリアの方が知りたいくらいだった。ロスバルクスで何が起こり、そしてドロシーや家族の無事を確認したい。

 ウルヴァンが徐に口を開いた。

「なぜ貴様等はアリアのことを知るに至った?」

「そうだね。事の経緯をおさらいしようか」

 セラフィが説明を始める。

「直接向かうことが叶わない以上、私たちはそこに住んでいた者たちの行方を追うことにした。地道だけど、何もしないよりはいいからね」

 セラフィは肩を竦めてみせた。暢気そうに見えて結構苦労しているらしい。

「そんな中、本当に偶然のようなものだけど、ジェイバーが何者かに襲撃されたことを知ったんだ。黒組織の争いとなると、無視するわけにもいかない。というわけで一応調査してみてびっくり、下手人は見知った人物だった。いやぁ、驚いたよ」

 身振り手振りでセラフィが驚きを表現している。何というか、世話しない人だ。

「なるほど、貴様と出会ったのはその帰りだったな」

 ウルヴァンがどうでも良さげに言う。

「ついでのような調査だったけど、調べれば調べるほどきな臭くなっていってね。バクゥ一家程の黒組織が、一人の女の子をしつこく追い回しているなんて、異常に過ぎる。ロスバルクスの捜査を優先しつつも、そちらにも力を入れることにしたんだ」

「うんうん、私も異常だと思いますよ。あの人たち、絶対変態さんだよね」

 軽口を挟むと、セラフィは声を出して笑ってくれた。

 正直に言って、アリアは内心穏やかではなかった。祭りを楽しんでいたところに、イエルゴの来襲。そして、自分が滅びた街ロスバルクスの出身であるという事実。親しい人たちの安否を想うと、軽口でも挟まないと不安に押し潰されそうだった。

「イエルゴの狙いであるアリアちゃんの背景を追うことにした。すると、なんと君はあのロスバルクスに縁があるらしい。こう言うと君には悪いんだけど、君が“印付き”であることも承知している。それが、同時期に起こった二つの事件を結び付けている可能性を想定していたんだよ」

 申し訳なさそうにセラフィが呟く。別にアリアは気にしてもいないのだが、セラフィを気遣うほどの余裕もなかった。

「まあ、君が記憶喪失ということで、残念ながらそちらの線で事件を追うのは難しそうだ。明日からのロスバルクスの調査も、粗方は連邦警察の方で完了しているはずなんだ。それでも、使用された術式の痕跡を一向に掴めていないようだから、行き詰った感が否めないね」

 セラフィは重々しく息を吐く。

「無駄足になる可能性が高いってこと?」

 アリアがそう聞いてみると、セラフィは苦い顔をした。

「そうだね。それでも、私たちは行く。一万人もの人間が消えて、何もわかりませんでしたで済ませるわけにはいかないんだ」

 セラフィが矜持を語る。

「どのようなものかは想像もつかないけど、これが何らかの術式によってもたらされた結果であることは間違いない。同じようなことがこれからも繰り返される危険がある以上、これを見過ごすことはできない」

「そちらの事情はわかった。ところで、貴様等はイエルゴの目的について何か知っているか?」

 ウルヴァンが問いかけると、セラフィは当惑の声を漏らす。

「それが良くわからないんだよね。黒組織の長ともあろう者が、少女一人に拘う理由がない」

「そうか」

 ウルヴァンはイエルゴの狙いがアリアの呪にあることは告げなかった。余計な混乱を招くのを嫌ったのだろう。

「しかし、貴様等の情報網も大したものだ。アリアの素性までは突き止めているのだからな」

「あ、あ~……まあね、一応結構でかい組織だし。それに、アリアちゃんの父親はちょっとした有名人なんだよ」

 セラフィはなぜかはぐらかすように答える。それよりも、後半の言葉が気にかかった。

「有名人って、お父さんのことを知ってるんですか⁉」

 食い気味に聞くと、セラフィは顎を小さく引いた。

「君の父は、ユルゲン=エヴァージェンス。優秀な研究者だったよ」

「エヴァージェンス……そうか、術式法医学のユルゲン教授だったか」

 ウルヴァンも知っていたようで、得心したように呟いた。

 電子端末を取り出し、何やらミミルとやり取りしていた。ややあって、話を再開する。

「ミミルに調べさせたところによると、彼はロスバルクスの出身らしい。取り戻した記憶もアリアがそこの出身であることを示している。イエルゴの言う通り、全ての答えはそこにあるらしいな」

 ウルヴァンが確信とともに言う。

「君たちはここにしばらく滞在するといい。ここならば、イエルゴの手も及ばないから、安全は保障される。アリアちゃんが記憶を取り戻したとき、すぐに話を聞けるし、こちらとしても助かる」

 確かに警察署にまで乗り込んでくるような真似は普通しない。だけど、あのガドウェントの強さを見た後ではそんな楽観的なことは言う気がしなかった。

「悪いが、その提案はお断りする。奴等はどこだろうとアリアを追ってくる。そして、あのガドウェントがいる以上、安全な場所などありはしない」

 ウルヴァンの言葉は、アリアの抱いた感想と同じものだった。

「アリアよ」

 ウルヴァンが呼びかけてくる。

「全てを知ることが良いこととは限らない。知らぬままでいた方が良い事実もある」

 実感の籠った声でウルヴァンが告げる。

「君はどうしたい?」

 試すような問いかけ。答えは決まっていた。

「ロスバルクスに行きたいです。私はあそこで何があったのか……みんながどうなったのかを知らなくちゃいけない」

 ウルヴァンの言う通り、知らないままでいた方がいいのかもしれない。それでも、ここで立ち止まるわけにもいかなかった。アリア自身のため、アリアを守ってくれるウルヴァンやヤクモのため、そしてこれまでアリアを守ろうとして命を落とした人たちのため。

「そういうことだ。明日は我等もロスバルクスへ向かう」

「んーいや、さすがに民間人を入れるわけには」

「別に許可を取ろうと言ったわけではない。止められようと我等は行くぞ」

 不遜なウルヴァンの物言いに、セラフィは頭を痛めているかのように額に手を当てる。

「ここまで話しておいて部外者扱いするのもちょっと違うか……一応便宜は図っておくけど」

 止めても無駄だと判断したらしいセラフィが白旗を上げる。

「こちらで確保しておくから、今日は近場のホテルで宿泊してくれ。私と別行動で明日ロスバルクスに現れようものなら、不審者扱いで面倒なことになるからね」

 話を終え、部屋を出る。

「ウルヴァンさん、ありがとね」

 扉を閉めるのと同時に言う。ウルヴァンは不思議そうな顔をしていた。

「感謝される程のことはしていない」

「ううん、改めて言いたかったの。悪者たちに追われる私を守ってくれるだけじゃなくて、私の今後のことまで考えてくれてる。それが本当に嬉しいんだ」

 心からの感謝を口にする。

「私って幸せ者だよ。みんなに守ってもらえて、今もこうして無事でいる。いや、こんな事態に巻き込まれていること自体は不幸かもしれないけどさ。ウルヴァンさん、ヤクモさんといっしょならどんな困難だって乗り越えていけるような気がするんだ」

 それでも、不安は大いにある。

「だから、きっと大丈夫。そう、大丈夫なんだ」

 その言葉は、自分に言い聞かせるように。

 突然、背後から抱きしめられる感触。慌てて振り返ると、そこにはヤクモの顔があった。

「そうですとも! アリア殿には拙者がついておりまする。何も不安がることはございませぬ!」

 主人に抱き着く大型犬のようなヤクモの様子に、アリアは自分の不安が馬鹿らしく思えてきて、何だが笑ってしまった。

「ヤクモさん、ちょっとジメジメしてるね」

「はっ! これは鍛錬後故、失礼しました!」

 飛び跳ねるようにヤクモが離れる。どれだけ激しい鍛錬をしたのかわからないが、ヤクモの体は全身汗まみれだった。

「馬鹿みたいな元気は貴様の取り柄だな。いや、みたいではなく実際に馬鹿なのだが」

「うがーっ! 貴様はどこまでも!」

「ヤクモさん、ここ警察署内だから暴れるのはまずいよ」

 今にもウルヴァンに飛び掛かりそうなヤクモを窘める。いつも通りのやり取りに、アリアはどこか落ち着くものを感じる。

 何も変わりはしない。これから、アリアの未来に何が待ち構えていても、この小さな幸せは奪われはしない。


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