四章

「良い街だ」

 ミルヘイム中心部に位置するホテル・エレアーデは、この街でも有数の高級ホテル。その最上階の一室、窓の先に広がる世界を睥睨する男がいた。

「この街もこのホテルも合格だ。一流たる私、イエルゴ=バクゥに見劣りするものじゃない」

 紳士然とした初老の男——イエルゴ=バクゥがゆっくりと振り返る。

 視線の先には、先にウルヴァンに敗北した、バクゥ興業の若頭であるジェイバーが控える。ウルヴァンに砕かれた両腕はすでに回復している。高位咒士の肉体が有する、常人とは一線を画する再生能力が成せる業だった。

 ジェイバーは歴戦の戦士であったが、それでもこのイエルゴという人間が恐ろしかった。イエルゴがジェイバーを凌ぐ咒士である以上に、純粋にイエルゴという人間の性質が恐ろしくてたまらないのだ。

 イエルゴは自分の意に添わぬ者に容赦がない。逆らった者は全員凄惨な死を迎えている。

 このミルヘイムへとイエルゴが来訪することを、事前にジェイバーは聞き及んでいなかった。故に、頭目の思惑が読めず、緊張に身を強張らせていた。

 先日、標的であるアリアという少女の仲間と思われる咒士の襲撃を受け、あえなく敗北したことはイエルゴには伝えていない。イエルゴは無能を何よりも嫌う。敗北の事実を伝えることは、自らの命を危険に晒すことに他ならないからだ。

「私が、わざわざこの地まで足を運んだ理由がわかるかね?」

「いえ……」

 ジェイバーは答えられない。どのような回答も、イエルゴを納得させることができないと感じ取っていたからだ。

 やれやれとイエルゴが首を横に振る。

「困ったね。ガドウェント君はどう思う?」

 部屋の隅に悠然と佇んでいた男へとイエルゴが問いかける。

 それは、巌のような巨漢だった。丸太のように太い腕、鉄板でも仕込んでいるのかと思うほど厚い胸板。文字通りの鋼の肉体を纏っている。

 恐るべきイエルゴの問いにも、ガドウェントと呼ばれた男は黙して語らない。

「そういえば、君は寡黙な男だったね。まあいい」

 イエルゴはジェイバーに向き直る。

「あのアリアという娘の捜索は君に任せていたわけだけど、なかなか進捗が芳しくないようだからね。私自身が足を運ぶことにしたのさ。それだけ、今回のことは重要な案件なんだ」

 一大組織の長であるイエルゴが自ら足を運ぶということの異常性。イエルゴがなぜこれほどアリアという少女に入れ込むのか、ジェイバーには見当もつかない。だが、イエルゴは成果を挙げないジェイバーを咎める意図であることは理解した。この先、少しでも迂闊な言動は許されない。

「あの少女には、厄介な護衛がついています。東洋の剣士と……得体の知れぬ男が」

 襲撃者のことに触れるべきか悩んだが、後でその存在が発覚することで、情報を伏せていたとみなされてしまう危険性があった。

 ジェイバーは慎重に次の言葉を選んだ。

「ですが、私に任せていただければ何の問題もありません。必ずや、あの少女を手に入れ——」

「ところで」

 強めの口調で、イエルゴがジェイバーの言葉を遮った。

「君はその得体の知れない男とやらに負けたと伝え聞いてるんだけど、本当かい?」

 ジェイバーの心臓が跳ね上がる。

「ああ、なぜ、という退屈な問いはいらないよ」

 蛇のような瞳が、ジェイバーを射すくめていた。

 イエルゴは狡猾で抜け目のない男だ。ジェイバーが敗北したという噂を聞きつけていたとて、何ら不思議ではない。

「私は、君を疑いたくはなかった。君は私に尽くしてくれているからね。だから、ちゃんと君の口から事実を確認したいんだよ」

 イエルゴは凍えるような冷たさを纏っていた。偽りは通じない。全ては筒抜けなのだ。

「申し訳ございません!」

 ジェイバーは地に跪き、頭を垂れた。

「私は一度敗れ、無様を晒しました! しかし、次こそは必ず!」

 確かに一度は不覚を取った。あの咒士は恐るべき敵だ。それでも打倒せねば、組織の若頭としての面目を保てない。

 どのような手段を使おうと、今度こそ目的を果たす必要があった。

「残念だ」

 イエルゴは失望の息を漏らす。その意図がわからず、固唾を呑んでジェイバーは主の言葉を待つ。

「私はね、一流が好きなんだ。この服と靴に腕時計、身に着けるものは当然のこと。そして、私自身も紛れもなく一流の人間だ」

 誇るでもなく、ただ事実を淡々と述べるようにイエルゴが告げる。

 豪奢な机の上から杯を取り、イエルゴは中の酒を嚥下する。そして、満足そうに息を吐いた。

「この酒も極上だ。私の故郷たるフレンセア共和国が誇る最高品質の葡萄酒だ。今日はこれを目的を達成した勝利の美酒としたかったのだがね」

 言葉の端には、ジェイバーへの非難が窺える。針の筵の上で座らされているような思いを味わいながら、ジェイバーは耐えるしかなかった。

「一流の部下も一流でなくてはならない。若頭にまで上り詰めた君たちには、その地位に応じた責任というものがある」

 物腰こそ柔らかいが、イエルゴは決して見た目通りの温厚な人間ではない。イエルゴを不機嫌にさせたことで、命を落とすことになった人間などいくらでもいるし、ジェイバー自身も飽きるほど見てきた。

 全身総毛立つ思いに駆られ、次の言葉は反射的に出ていた。

「お許しください! 二度と失敗は犯しません……なので、もう一度私に機会を!」

 平伏して許しを乞う。

「ジェイバー君、顔を上げなさい」

 穏やかな口調。ジェイバーが顔を上げると、柔和な笑みを浮かべる主の姿。

「勘違いしないでほしい。私は失敗を咎めるつもりでこのようなことを言っているわけではないのだよ」

 ジェイバーは胸を撫でおろす。最悪の事態も想定していたが、少なくとも今日のところは穏便に終わらせることができそうだ。

「ただ、一つだけ許しがたいことがある」

 一転、イエルゴの声には剣呑さが伴っていた。油断していたジェイバーは体を硬直させる。

「一流とて、敗北はする。私も無数の敗北の果てに、今の地位を築き上げた。敗北から得るものがあるという欺瞞を私は好まないが、積み重ねた敗北が私を構築する一要素であることは確かだ」

 イエルゴの言葉には、裏社会を生き抜いてきた者の重みがあった。

 イエルゴ程の解像度ではなくとも、ジェイバーにも理解できる。小競り合いから組織総出での争いまで、形は問わず、無数の闘争があり、その全てにイエルゴは勝利したわけではない。だが、それでも最後に笑うのはイエルゴであり、闘争の果てに裏社会で盤石の地位を築き上げてきたのだ。

「だけど、その度に私は、なにくそ負けるものか、と自分を奮い立たせたよ。負けたままでは許せない質でね。そのためならどんな労力も惜しまなかった」

 昔を懐かしむイエルゴの表情の裏に、ジェイバーはうすら寒いものを感じずにはいられなかった。

「敗北してそれに甘んじるような人間は、決して一流ではなく、そこに至る資格もない……ところで、君はどこぞの咒士に敗北しておきながら、なぜこんなところで私に頭を下げているんだい? 私の呼び出しを優先してくれただけなのかな?」

「いえ、それは……っ!」

 イエルゴの言わんとしていることをジェイバーは理解した。

 謝罪をしている暇があるなら、敵を探し出して雪辱を果たし、あのアリアという少女を手に入れろという単純なことだ。

「君は一流だと思っていたが、私の見識が誤っていたようだね。そのことが本当に残念でならない」

 穏やかな物腰は変わらずとも、確かな怒りがイエルゴから発せられていた。

「というわけで、君はもう不要だ。一流でないのなら、私の部下には要らない」

 すでに釈明の余地はないと判断したジェイバーは、術式を起動。”錬金”の術式で、管の付いた槍を高速で発現させる。

 イエルゴは格上の咒士だが、未だに術式を発動する気配がない。その油断が、ジェイバーにとっては最大の好機。

 部屋の隅に佇む巨漢もおそらく手練れだろうが、それでも十分に勝機はある。

 槍を構え、最速の突きを繰り出そうとした刹那、世界が震える。

 眼前には巨漢が立ち塞がり、その拳がジェイバーの腹部に撃ち込まれ、体が宙に浮く。そのまま弾き飛ばされ、部屋の壁に叩きつけられた。強烈な衝撃に、肺の中の空気を一気に吐き出し、そのまま地に崩れ落ちる。

 咒士として屈強な肉体を持つジェイバーだったが、とても耐えられるものではなかった。

「が、は……っ!」

 ありえない速度だった。近・中距離系の咒士として俊敏性には自信を持つジェイバーが反応すらできないなど、今までに経験したことがなかった。

 巨漢は悠々とジェイバーに近づいてくる。先ほどの一撃で、ジェイバーの抵抗力はすでに削がれていた。

 衝撃。ジェイバーの意識が闇に堕ちていく。


「流石だね、ガドウェント君。この私ですら、冷汗を隠せない」

 イエルゴ=バクゥはジェイバーを苦も無く打破したガドウェントの技に舌を巻く。

 非難こそしたものの、ジェイバーの腕前自体は確かなものだ。そうでなければ、イエルゴも若頭という組織の重要な地位に置きはしない。

 ジェイバーがイエルゴに注意を向けていたのも無関係ではないだろうが、それでもジェイバーに抵抗を許さずに殺害するガドウェントの腕前は、イエルゴから見ても異常に過ぎた。

「長々と茶番を見せられ続けられているからな。いわゆる一つの鬱憤晴らしだ」

 巨漢は退屈を顔面に貼り付けていた。

「茶番、とは?」

「最初からこのジェイバーという男は切り捨てるつもりだったのだろう。それを一流がどうのこうのと、言葉を連々と並べ立てて、茶番にしか見えんぞ」

「ガドウェント君には信じてもらえていないようだけど、さっきのは私の本心だよ」

 眼前のジェイバーを見下ろすイエルゴの瞳には、寂寥の色があった。

「彼も昔はこうではなかった。野心に満ち、組織で這い上がるために腕を磨く男だったよ。それが、地位を手に入れたことで保身に走るようになった」

「何もおかしなことではない。普通の人間は皆そうするものなのだろう?」

 ガドウェントがそう言うと、イエルゴは満足げに笑った。

「君がいてくれて本当に良かったよ。でなければ、仮にも若頭まで上り詰めた者を切る判断はできなかった」

 ガドウェントは元からバクゥ興業に所属していたわけではない。本人は流れの咒士と称しているが、その戦闘力は常軌を逸している。イエルゴ流に言うならば、超一流だ。

 イエルゴ自身も高位咒士に名を連ねる者、武闘派集団の長であり、自らの実力に誇りを抱いている。だが、ガドウェントの力は熾烈な裏社会の闘争で勝ち抜いてきたイエルゴですら、寒気を禁じ得ないほどのものだ。

「この仕事が終わったそのときは、君が望むものは何でも与えよう。富も権力も名声も、このイエルゴ=バクゥにかかれば思いのままだ」

 裏社会の権力者であるイエルゴに、手に入らないものなどない。今、彼が望むものを除いては、という留保は付くが。

 しかし、ガドウェントは相も変わらず退屈そうにしているだけだった。

「富、権力、名声。俺にはどれも退屈、いや無意味というべきか」

「ほう」

 イエルゴから興味の吐息が漏れる。

 およそ人が欲しがるものを要らないという。特に、誰よりも、何よりもそれを求めて這い上がってきたイエルゴには理解しかねる。

「そうは言うが、私の気が収まらない。君が欲しいものを教えてくれれば、どんな手を使ってでも入手してみせよう」

 イエルゴにはこのままガドウェントを取り込んでしまいたいという意図があった。この男の力があれば、バクゥ興業はさらなる発展を望める。ジェイバーを排したのも、その権益をそのままガドウェントに委譲するためという目的も兼ねていた。このような勧誘など前例はないが、それほどまでにこのガドウェントという男の力は垂涎ものだった。

 イエルゴの誘いに、寡黙なガドウェントは微かに相好を崩した。

「かつて愛した女がいた。そいつを生き返らせてほしい」

 ガドウェントの願いに、イエルゴの眉が跳ねた。

「冗談だ。俺に愛した女などいない」

「……その冗談はあまり面白くないと、苦言を呈させてもらうよ」

 引き攣った笑みでイエルゴが答える。

「俺には俺の目的がある。そのために、あんたの道楽に付き合っているだけだ」

「ならば、君は何を求める? まさか何の欲も存在しないとは言うまい」

「あんたには分からんよ。誰にも分かるはずもない」

 諦観が込められた言葉を吐き、ガドウェントは部屋の入口へと向かう。

「どこへ行く」

 その大きな背中へイエルゴが問いかける。

「腹が減った。飯を食ってくるから、後始末は頼むぞ」

「このイエルゴにそんな尊大な口を叩けるのは、君くらいのものだよ」

 イエルゴが苦笑する。

 ところで、とガドウェントが振り返る。

「あんたは、今のこの状況に違和感を覚えていないのか?」

 意味のわからない問い。イエルゴには答えようもなく、適当に答えるしかなかった。

「質問の意図が分かりかねるというのが答えだね。違和感も何もありはしないよ」

 ガドウェントの視線に、憐みの色が含まれた。

「そうか。気づかぬならば、そのまま気づかない方がいい」

 去っていくガドウェントを尻目に、イエルゴが呆れの息を吐く。衣嚢から電子端末を取り出し、操作。部下に頼んでおいたガドウェントの素性に関する報告書を立ち上げる。

「ドーマ連邦第三特務分隊、通称”鬼の巣”か。よくもまあ、こんな前時代的な組織が存在したものだよ」

 すでに一度目を通してはいるが、再度報告書を読み上げていく。ガドウェントがかつて所属していたとされる軍の部隊、第三特務分隊に関する情報が記載されていた。

 生来から呪という力を宿し、術式に対する素養の高いとされる”印付き”のみで構成された特殊部隊。その原型となる組織は一〇〇年以上も前から存在したという。ドーマ連邦の表裏問わず活躍してきたが、ドーマ連邦はその存在を公認してはいない。

 ”印付き”は大多数の国民にとって差別すべき対象ではあり、それが国防の要を担っているなどと認めるわけにはいかないのだ。

 それでも、”印付き”の精鋭部隊の練度は他部隊と比較しても群を抜いており、紛れもなくドーマ内でも最強の一角とされる存在だった。

 続いて、ガドウェントに関する情報に目を通していく。

 ガドウェント・バリー大尉。第三特務分隊に所属し、数多の武勲を打ち立てたが、三年前に除隊されている。同時期に第三特務分隊の隊員から不審な死者が出ており、ガドウェントの仕業ではないかという推測が報告書に添えられていた。

 どこで事情を知ったかは知らないが、イエルゴに接触してきたガドウェントは自ら協力を申し出てきた。

 歴戦の武人であるガドウェントの助力はありがたいが、彼は必要最低限の褒賞以外は受け取ろうとはせず、明らかに何らかの思惑を腹に抱いている。それがイエルゴにとって良いものか悪いものかはわからない。

「構わない」

 電子端末を握るイエルゴの手に力が入る。決意の光が瞳に宿っていた。

「どんな手を使おうと、何を犠牲にしようと省みることはない。私にもかつてあった唯一の光を取り戻すために、私はあの少女を手に入れる」

 電子端末が映し出すのは、”印付き”の少女、アリアの画像だった。


 強烈な爆風が工場内を吹き荒れ、廃棄された機械を振動させる。

「指導を開始して一週間。ここまで練度を高めてみせるとはな」

 ”撞破爆”の術式を発動したアリアは、ウルヴァンの賞賛に笑顔で応える。

「二人の教え方が良いからだよ」

「またまた、謙遜は不要でござるよ」

 ヤクモも我がことのように喜んでくれている。

 この一週間、、他にやることもなく。護身にも役立つだろうと、毎日のように術式の講義を受けていた。

 さすがに街中でドカンバタンと騒ぎを起こすわけにもいかないので、足繫く郊外のこの工場へと通っていた。

 これまで教わった術式をおさらいするように順々に繰り出していく。七つ程発動したところで、負荷が大きくなってきたのを感じ、中断する。

「本来、誰しも術式ごとの向き不向きがあるのでござるが、アリア殿の適性は驚異の一言。まるで乾いた砂が水を吸収するかのようでござる」

「確かにな。器用万能といったところか」

 術式にも類型が存在し、個人個人で適正というものがあるらしいが、アリアにはあまりわからない感覚だった。

 その理論さえ見えてしまえば、どの術式も発動するのに大した違いはなく、特別どの術式が得意とか不得意とかはなかった。

「発動回数は連続して七回。こればかりは才能で埋められぬ経験の壁か」

 ウルヴァンが呟く。

 術式とは世界を騙す技術であるため、様々な制約が科せられる。例えば、世界の修正力を越えられなかった場合、ウルヴァンが身をもって証明してくれたように、その代償を払うことになる。

 術式の連続発動は、世界を騙し続けるということに他ならず、徐々に咒士への負荷が大きくなる。無理をして発動し続ければ、修正力の逆流による負傷の危険は大きくなる。

「平均的な咒士ならば十回までの連続発動は、ほぼ負荷を生じることなく発動するでござるな。まあここらへんは慣れの問題でござるから、今は特に気にすることはないでござるよ」

 ヤクモが激励の言葉をかけてくれる。

「でも拙者はむしろ安心したでござるよ。こうも簡単に成長されては、嬉しい反面、己の不甲斐なさが身に沁みまする」

「良い心がけだ。少しは精神的にも成長してくれ」

「うがーっ! 一言多いのでござる!」

 ヤクモがウルヴァンの失言に食ってかかる。この一週間で何度も見た光景だが、見飽きない。

「……それにしても」

 とりあえず怒りを発散させたらしいヤクモが眉間に皺を寄せている。何かしらへの不満がありありと見て取れた。

「拙者は別にいいのでござるが、年頃の女子であるアリア殿がこんな鉄臭いところで毎日術式の研鑽をするばかり……いくら何でも気が詰まるというものでござろう」

「それは、まあ、そうかもしれないけど」

 ヤクモの指摘にアリアも考え込む。狙われている立場であるために、外出もこうしてウルヴァンとヤクモがいなければままならぬという状況。

「みんなに守ってもらったから、私は今こうして無事でいられる。これ以上を望んだらバチが当たっちゃうよ」

 この平穏を得る前に、幾多の犠牲があったことを忘れてはいない。子供っぽい贅沢を言っている場合ではないのだ。

 よよよとヤクモが泣いていると、ウルヴァンが静かに口を開いた。

「いや、ヤクモの言うことにも一理ある。アリアを守ることが我等の役目だが、ただ守ればいいというものでもない。ただでさえ、刺客に狙われ続けるアリアには多大な精神的負担を強いてしまっているのだ。少しくらい息抜きをせねば、いずれ精神に不調をきたす恐れがある」

「うむ、拙者も同じことを言おうと思っていたでござる」

 ウルヴァンの分析に、ヤクモが便乗し、しきりに頷いている。

「都合のいいことに、明日にはミルヘイムでは建国祭がある」

「そういえば、何やら準備してる人見かけたけど、祭りの準備だったんだ」

 工場までの道中、街がやたら活気づいている気がしたが、気のせいではなかったらしい。

「でも、人混みもすごいんだよね? 危なくないかな?」

 アリアは懸念を拭えない。

 ウルヴァンたちといっしょにいる間は安心して過ごすことができているが、敵は今なおアリアを探し続けているだろう。決して安全が保障されているわけではないのだ。

「我等と共にいて、不安があるか?」

 ウルヴァンがそう問いかけてくる。そう言われてしまえば、答えには迷わない。

「二人のことは誰よりも信頼してるつもり……記憶喪失で言うのも変な話だけど」

 そう言うと、ウルヴァンは微かに、ヤクモはにかっと笑ってみせた。外から鴉が飛んできて、ヤクモの腕に止まる。その鴉はこくこくと頷いているようにも見える。

「ほらっ、カラスケも『某も頑張ります』と言ってるでござるよ」

 鴉の言葉を代弁しているようだが、本当にそう言ってるかはよくわからない。

 ヤクモが慈しむようにカラスケを撫でると、カラスケはそれを気持ちよさそうに受け入れている。

「そういえば、ヤクモさんのカラスケも術式で言うこと聞かせてるんだっけ?」

「はい」

 ヤクモが頷く。確か、使役術式とかウルヴァンが言っていたことを覚えている。

「私もそれ使ってみたいんだけど、教えてもらってもいい?」

「それはやめておいた方がいい」

 制止の声はウルヴァンからのものだった。

「えー、どうして? 私も犬とか猫と仲良くしたいよ」

「理由は、単純に難しいからだ。使役術式は、世界だけでなく、使役しようとする対象の脳も欺く必要がある。鴉のような高度な知能を持つ生物は、改変に対する抵抗力が高く、容易に操ることはできない」

「かと言って、知能の低い生物を使役したところで、こちらの命令を理解できず、意味がないのでござる」

 ウルヴァンの話に、ヤクモが割って入る。

「つまり、ヤクモさんはすごいってことだね」

「えへへ、それほどでもあったりなかったりでござる」

 照れるヤクモは、まんざらでもないという顔をしていた。

「アリアの資質は疑いようもないが、使役術式は俺には扱えず、万が一のときに解体ができない」

「残念ながら、拙者も器用な方ではないため、解体はちょいと厳しいでござる」

 アリアが失敗したときに、この二人でも止めることはできないということだ。残念ではあるが、避けられる危険は避けるべきだろう。

「この使役術式ってさ、人間にも使えたりするの? ああ、いや、もちろんそんな使い方するつもりはないんだけど」

 慌てて手を振って否定する。

「うーん、理論上は可能なのでござるが、机上論に近いでござる。研究自体が禁忌とされることも相まって、実際に使える咒士を拙者は見たことがありませぬ」

「いや、可能だ」

 ウルヴァンが断言した。

「ベアトリスという超級の咒士はそれを可能としていた」

「残夢の魔女でござるな」

 ヤクモも心当たりがあるようだった。

「誰? すごい人なの?」

 気になったので、聞いてみる。

「背信の使徒ゼルギリウスには、弟子がいた。ゼルギリウスが討伐された後、弟子たちもそのほとんどが殺されたが、ゼルギリウスの教えを受け継ぐ者の血は、深い憎悪と共に脈々と受け継がれてきた。ベアトリスはその宿業を背負う末裔だ」

 ウルヴァンが語るのは、あまりに血生臭い歴史だった。

「……あえて言わずにおいたのだが、アリアの夢に出てきた、銀の女がいただろう?」

「えっ? う、うん」

 ウルヴァンが唐突に話を変えたので困惑する。

「あの似顔絵は、ベアトリスと瓜二つだった。実際に目の当たりにした俺が驚愕するほどにな」

 銀の髪に黄金の瞳をした、あの女性の姿が俄かに脳裏に浮かぶ。だが、それは夢が引き起こした偶然でしかありえない。おそらく、覚えてはいないが、ベアトリスの顔写真を見たことがあるのだろう。それがたまたま惹起されて、夢に出てきたに過ぎないはずだ。

「ちょっと待つでござる。確かウルヴァン殿は、その女性、つまりはベアトリスを殺したと言っていたでござるな? それは有り得ませぬ」

 ヤクモは理解できないといった顔をしていた。

「ベアトリスは、その出自と強大さ故、世界的な知名度を誇りまする。しかし、彼女の死は一〇〇年前の出来事でござる」

 アリアはヤクモの疑念の意図を察した。ウルヴァンはどう見積もっても、二〇代後半といった見た目だ。本人の言を真に受けるなら、すでに老人の見た目をしていないとおかしい。

「俺の呪にはそういう副作用があるらしい。俺の外見は青年期の頃から何ら変化していないだけで、実際の年齢相応ではない」

 ウルヴァンの言葉に、アリアもヤクモも驚きを隠せずにいた。

「じゃ、じゃあウルヴァンさんって今何歳なの?」

「一〇〇などとうに超えている。通常の人間からすれば、人生二周目といった具合だな」

 アリアは開いた口が塞がらない。

「な、なるほど。ウルヴァン殿の強さの秘訣もそこにありましたか」

 一方で、ヤクモは納得の表情を見せていた。

「術式の精度・威力は、世界に対する理解の深さで決まります。ただぼんやり過ごしていては意味はありませぬが、咒士として世界に触れ続けた時間は、それだけで大きな意味を持つのでござる。故に、肉体の衰えという要素を排除すれば、長命の咒士ほど強力な傾向にありまする」

 アリアにもわかるように、ヤクモが説明を入れてくれる。そういえば、前にもウルヴァンが歳を経た咒士ほど強力だと言っていた覚えがある。

「俺自体は凡庸な咒士であったが、俺の運命は凡庸なものではなかった。研鑽に研鑽を重ねた結果、今の俺がある」

 言葉の端に、ウルヴァンの自信が滲み出ていた。その姿がより一層頼もしく見える。

「しかし、なぜウルヴァン殿がベアトリスを殺すことになったのでござるか?」

 ヤクモが問うも、ウルヴァンは答えない。というよりも、答えていいものかと逡巡しているようにも見えた。

「やめとこ。楽しい話題じゃないよ、人が死んだのどうのって」

「……失敬。アリア殿の言う通りでござるな」

 アリアがそう言うと、ヤクモも同意する。硬質な空気が和らいでいく。

「そのベアトリスって人はすごい咒士ってことなんだよね? 人を洗脳できるなんてぞっとしないや」

「ああ、恐るべき相手だった」

 ウルヴァンは真剣な顔で肯定し、続ける。

「通常の人間相手ですら、洗脳なんて芸当はまず不可能だ。それにも関わらず、ベアトリスは咒士だろうと、己の思惑通りに嵌めることができた」

「俄かには信じられませぬな」

 ウルヴァンの言葉に、ヤクモが苦い顔をする。同系統の術式を扱うからこそ、その凄さがよくわかるのだろう。

「高位の咒士であれば、支配は免れることができる。それでも五感を狂わされ、拡張現実への介入にも影響を受けるため、咒士にとっては天敵に近い。使役術式、いや奴のそれは洗脳術式と呼ぶべきか。それを抜きにしても、ベアトリス自体が当代随一の咒士であるため、打倒は至難の業だ」

「術式が発展した現代においては、個人の強大な武力が戦局を一変させてしまうようなことはままありますが、残夢の魔女はその極みのような存在でござるな」

 ウルヴァンとヤクモの評からしても、ベアトリスがアリアの想像もつかないような強大な咒士であることが伝わってくる。

「でも、ウルヴァンさんは勝ったんだ。それってめちゃくちゃすごいことだよね」

「運が良かっただけだ。一〇〇回に一回の勝機を掴んだに過ぎぬ」

 アリアの賛辞に、ウルヴァンが誇るでもなく答えた。そこに謙遜の色はなく、淡々と事実を語っているだけに過ぎないようだ。

「ベアトリスは異常な例に過ぎるが、研鑽を積めば、アリアは世界の深奥に至る可能性すら秘めている。それを望むかどうかはアリア次第だが、今は我等の技を学んでおいて損はない」

 ウルヴァンが優しく微笑む。父性を感じさせる大人の笑みだった。

「うん。こうやって二人に教えてもらうのは楽しいし」

 いろいろな術式を使えるようになるにつれて、自分がどこまで成長できるのか興味津々だった。

「さて、いったん昼食にするとしよう」

 ウルヴァンが切り出すと、待ってましたというようにヤクモが相好を崩す。

 鞄から取り出された箱を開くと、パンの間に肉、野菜、卵、その他さまざまな具材を挟み込んだ料理がいっぱいに詰められていた。

 お腹も減っていたので、さっそく一つ手に取りかぶりつく。ハムとチーズ、トマトにレタスが混然一体となって至高の口福を作り上げる。

「本当にウルヴァンさんは料理が上手だね」

 バクゥ一家に狙われている身として息苦しい日々が続くが、ウルヴァンの作る料理だけはアリアの心の清涼剤となっていた。簡素なものから手のかかるものまで、どれも例外なく美味しく、それでいてウルヴァンの料理の引き出しも多い。食べる者を飽きさせない配慮が伺える。

「こればかりはウルヴァン殿を褒めるしかないでござるな」

 普段は噛みついてばかりのヤクモも素直に感心している。

「ウルヴァンさんは良いお嫁さんになるよ」

「……反応に困る発言はよせ」

「あはは、照れてる?」

 アリアの冗談に、困り顔になるウルヴァンは少し面白かった。

「女だから云々古臭い価値観を押し付ける気はないが、貴様も良い歳なのだから、料理の一つや二つ覚えておいた方が良いぞ」

「ヤクモさん、料理できないもんね」

 ウルヴァンに続いて、ヤクモに意地悪な笑みを向けてみるが、当のヤクモは一切気にする素振りを見せない。

「家事の一切は家人に任せていました。故に、料理などしたこともないでござる」

 それだけ言って、再び食事に戻る。口いっぱいに頬張る姿はげっ歯類を思わせる。お手伝いさんに家事を任せるということは、ヤクモは立派な家の出身なのだろう。

「そういえば、ヤクモさんが自分の国にいたときのことって聞いたことないや」

 ヤクモと出会ってからそう短くない付き合いになるが、敵に追われる中で、落ち着いて話を聞く機会に恵まれなかったのだ。

「日ノ本にいた頃でござるか……」

 ヤクモが遠い目をする。昔を懐かしむ者の顔だった。

「大して面白くもない話になるでござるが、良いでござるか?」

「ならばよせ」

「それでは、一つお耳汚しを」

 ウルヴァンの制止をなかったことにして、ヤクモが語り始める。

「まあ細かい点は割愛するでござるが、拙者は由緒ある武家の出身でござる。サカモト家と言えば、日ノ本でも藤堂藩兵法指南役として、名の知れた名門だったのでござるよ」

「ひょーほうしなんやく?」

「固有の名詞はやはり伝わりにくいでござるな……すごく強い武士だけが就ける役職でござる」

 おうむ返しすると、ヤクモが解説をしてくれる。とりあえずすごいということだけはわかった。

「いろいろあって、藤堂藩は幕府……要するに、日ノ本の政権に喧嘩を売ったのでござるが、そこからは大変でござった」

「ん~? いろいろあって、で済ませるにはちょっと話が大きすぎる気もするんだけど?」

 そう言うと、ヤクモはからからと笑っていた。

「どれだけ力を蓄えようと、たかが一つの藩が政府に挑んで勝てるはずもないでござる。拙者とその郎党が局所的な勝利を収めることができても、大局的には惨敗でござった」

 ヤクモが瞑目する。その裏では、当時の戦場の様子がありありと浮かんでいるのだろう。

「ヤクモさんには負けることが分かってたってこと?」

「はい。されど、主がその道を選んだならば、どこまでも付き従う。武士とは、どこまでも主君の剣として生きることを定めとするが故」

 ヤクモが語るのは、極まった忠の在り方だった。日ノ本の価値観を知らないこともあるが、その熾烈さにアリアは思わず唾を呑む。

「主君が死んだ後は、仇討ちに数多の戦場を駆け回りました。この身が朽ち果てるまで戦い続けるつもりでしたが、そんな拙者を拾ってくださった方がいました」

「それが今の雇い主さんってことだね」

 ヤクモが頷いて肯定する。どんな人物かはわからないが、ヤクモを筆頭とした護衛を派遣して、アリアのことを助けようとしてくれている。死に急ぐヤクモに手を差し伸べたことと合わせて、善良な人なのだろう。

「その雇い主さんは、なんで私なんかを助けようとしてくれてるんだろう? あ、ヤクモさんは答えられないって言ってたから、ただの独り言ね」

 これまで特別気にしたことはなかったが、善良という言葉で済ますには少々度が過ぎている気がしてきた。アリアを守ることでどのような見返りがあるのか知らないが、その正体に興味がわかないと言えば噓になる。

「正体を明かせぬなど後ろ暗い事情があるに決まっている。貴様の主君とやらがもう少し協力的ならば、事の進展も望めるだろうに」

 ウルヴァンが皮肉めいた言葉を投げると、ヤクモが苦い顔をする。

「拙者とて好き好んで情報を隠しているわけではない。あの御方の御心は拙者には図ること叶わず。そも、拙者はあの御方の顔さえ見たことはありませぬ」

「えっ?」

 呆けた声が漏れる。すぐに疑問が口を衝いて出た。

「顔も知らない人に仕えるのってなんというか……さすがに変じゃない?」

「やんごとなき身分の御方であるらしく、従者といえど顔を晒すことができぬのでしょう。そのあたりの背景は拙者も聞かされておりませぬ」

 しかれど、とヤクモが続ける。

「あの御方には、他人を惹きつけるものを持っておりまする。魔性といってもいいでしょう。生き恥を晒してでも、あの御方の力になりたい。この命を懸けてもいいと信ずるからこそ、拙者は日ノ本を離れ、この地に参ったのでござる」

 故郷を捨て、新たな主に忠誠を誓う。それまでの過程にどれだけの葛藤があったのだろうか。アリアには推し量ることもできない。

「ヤクモさんはすごいね」

 そんなありきたりな言葉しか出てこない自分が恥ずかしく感じられたが、ヤクモは眩しいほどの笑顔で応えてくれた。

「ふふん、そうでござろう? もっと褒めてもいいのでござるよ?」

 ひとしきり満足そうにした後、ヤクモは食事に戻る。


 お腹いっぱいになり、食後の休憩を取っていると、アリアの電子端末が振動。

 手に取ると、画面から表示される立体光学映像が道化の仮面を象る。

「こんにちは。皆様に愛し愛され幾星霜、俺様ミミルでございます」

「図々しい。暇なのでござるか?」

 ヤクモが吐き捨てると、道化の仮面が横に振られた。

「俺様もそう暇じゃなくてね。重要な話があるから連絡してるんですよ」

 重要な話と聞き、身が引き締まるような思いになる。ミミルの情報こそが、現状の停滞を破る最大の手掛かりなのだ。

「端的に言いますが、重要なのは二つ。イエルゴがこのミルヘイムに来ていること。そして事実確認中ではありますが、どうやらジェイバーは殺されているみたいですぜ」

 アリアの喉が唾を飲み込む。示されたのは、衝撃的な事実だった。

「イエルゴはホテル・エレアーデの最上階を貸し切っていました。付近の監視映像も見てみましたが、エレアーデに入ったジェイバーの姿がそれ以降確認されなくなっているので、信憑性は高いです」

「状況からするに、内部の者による殺害か。あるいはイエルゴ自身が手を下した可能性もあるな」

 ミミルの報告を聞き、ウルヴァンが分析する。

「イエルゴ自身が凄腕の咒士ですからその可能性は十分にありますね。ただ、一つ気になることが」

 新たな立体映像が表示される。どうやら監視映像を切り出しているらしく、画質が荒い。しかし、ミミルの操作によって画像の解像度が上がっていく。

 映し出されているのは、紳士然とした初老のイエルゴと巌のような大男。

「イエルゴの隣にいるこの大男ですが、ちょっと旦那にとっては因縁浅からぬ相手ですぜ」

 思わせぶりにミミルは続ける。

「第三特務分隊と言えば、旦那にはすぐわかるでしょう」

 第三特務分隊。その単語に、ウルヴァンが眉根を寄せる。

「お嬢ちゃん方に説明しておくと、ドーマには”印付き”を集めた特殊部隊があるんだ。それが第三特務分隊。泣く子も黙る鬼の集団だよ」

 ミミルの説明を聞いて、疑問が湧いてくる。

「この人はそこの関係者ってこと? でも、軍人さんがなんでイエルゴに協力するの?」

 裏社会の大物と軍部の人間が協力関係にあるなんて、政治とかそういうものに疎いアリアにもとんでもないことだということはわかる。

「この男はガドウェントって言うんだが、同じく第三特務分隊の仲間を殺害したことで除隊されている。わざわざ軍の情報を引き出すのは、少々苦労したぜ」

 どう考えても危険人物だ。ため息の一つも吐きたくなるが、アリアはぐっとこらえた。

「同胞殺しなど、軍部が許すはずもない。監獄に入れられ、そこでガドウェントは不幸な事故に遭っているはずだが」

「返り討ちにしたんでしょうね。こうして往来を堂々と歩いているのは、相当な馬鹿か、もしくは」

「暗殺など意にも介さぬ、自信家ということになるな」

 ミミルの言葉の先をウルヴァンが紡ぐ。

「実際、ガドウェントはおっそろしく腕の立つ軍人だったようです。”撃摧”なんておどろおどろしい異名まで付いているそうですよ。九五年のガレンサッド独立紛争において、中隊を一人で壊滅させたなんて記録が残ってました」

「中隊ってどれくらいの規模なの?」

 ヤクモに問いかける。

「おおよそ一〇〇から二〇〇といったところでしょうな。三桁を下ることはありますまい」

「それを一人で? 怪物じゃん」

一人で戦局を左右するような怪物が敵である事実に、頭が痛くなる。 

「因縁というのは、付いて回るものだな。まさか、第三特務分隊とは」

 どうやらウルヴァンはその部隊のことについても知っているらしい。

「……あくまで思いつきに過ぎないんだけど」

 アリアは思い浮かんだ考えをそのまま口にする。

「ウルヴァンさんが得意術式って言ってた”撞破爆”って軍用の術式なんだよね?」

 ウルヴァン自身がそう言っていた覚えがあるので、間違いないだろう。

「それでいて軍の部隊に因縁があるってことは、ウルヴァンさんも元軍人で、しかも”印付き”だから第三特務分隊に所属していた……なんてことはないよね?」

「概ねその推測は正しい。正確には、俺が所属していたのは特務急襲部隊と言い、第三特務分隊の原型となった部隊だ」

 ウルヴァンはあっさりと肯定した。ものすごく重要な話であるはずなのだが、こうも軽く扱われるといちいち驚いているアリアの方が馬鹿みたいに感じられてしまう。

「事態が複雑化していくばかりだが、未だに相手の動機が一切わからん。なぜイエルゴはアリアを狙い、それにガドウェントが協力する理由があるのか」

 ウルヴァンの顔に思慮の色が浮かぶが、推察するにはあまりに材料が足りなすぎる。

「関係あるかはわかりませんが、一つ気になる情報が」

 そうミミルが切り出した。

「イエルゴには一人娘がいたようですが、半年前にイエルゴに恨みを持つ者によって殺されています。そいつ自身はオーウェン商会という、これまた裏社会の組織の一員だったようです」

「裏社会でのし上がった者は、その過程で無数の因縁、怨恨を纏うことになる。それ自体はそう珍しいことでもないが」

 ウルヴァンは冷静に評した。

「妻に先立たれたイエルゴは、娘を溺愛していたようです。その証拠に、オーウェン商会の会長であるオーウェン以下組織の構成員は漏れなく虐殺されています。それどころか、関係者にも不幸な事故に遭っている人間が多数いますね」

 事実から見えるのは、凄まじいほどのイエルゴの怒り、そして執念だった。

「そんなことして、警察は黙ってないんじゃないの?」

「黒組織など共倒れしてくれれば良い、というのが本音だろうな。残念ながら、公権力は屑同士の争いをわざわざ止めようとするほど正義感に満ち溢れてはいない」

 アリアの問いに、ウルヴァンが返す。

「だが、悲しみの絶頂にいるイエルゴが、アリアを狙う理由は依然としてわからない」

 ウルヴァンの言う通り、イエルゴの娘の死が、アリアと結びつく意味がわからない。そこで、アリアは思いだした。

「前にドクラが言っていたけど、イエルゴの狙いは私の呪。だとすると、それが関係しているのかな」

「もしかして、アリアの嬢ちゃんの呪を使えば、娘が生き返るとでも思ってんですかね?」

 ミミルが口にしたそれを、アリアは冗談と笑い飛ばすことができなかった。それはウルヴァンとヤクモも同様だった。

「あれっ? どしたの皆さん」

 この中で唯一事情がわかっていないミミルの暢気な声。

「アリア殿が以前見た、友人が生き返ったという夢。急にきな臭くなってきましたな」

 ヤクモが重々しく零す。

「イエルゴがそのような夢物語を信じていると仮定した場合、やはり解せないのは、奴がアリアのことをどのようにして知り得たかだ」

 ウルヴァンの疑問は、アリアの疑問でもあった。

「答えは本人に聞くのが一番。イエルゴを斬り伏せて、知り得る限りの情報を吐き出させれば解決でござる」

 ヤクモは獰猛な笑みを浮かべた。確かに、一足飛びで事態は解決するだろうが、危険すぎる。

「そもそも、イエルゴは今もまだエレアーデに滞在しているのか?」

 ウルヴァンが聞くと、道化の仮面が横に振られた。

「いえ、拠点を移したみたいで、その後の足取りは追えてませんね。明らかに動きが慎重になっています」

「ジェイバーを襲撃したことで、向こうも動きが悟られていることを察したのかもしれぬな」

 ウルヴァンが続ける。

「だが、そう焦る必要もない。イエルゴもずっと息を潜めているつもりはないだろう。激突の時はそう遠くはない」

 イエルゴはガドウェントという強力な咒士も味方につけている。ウルヴァンとヤクモの実力を知っていても、まともに衝突すればどのような結末になるのかアリアには想像もできない。

「心配することはない」

 それを察したように、ウルヴァンが声を掛けてくる。

「我等を信じろ。敵は強大なれど、我等とて劣るものではない。俺とて、中隊の一つや二つ、潰したことぐらいある」

「あ。拙者も拙者も」

 天気の話でもするかのような気軽さでウルヴァンが言い、ヤクモも便乗する。

「安心しな、嬢ちゃん。おかしいのはそっちの二人の方だ」

 アリアは開いた口が塞がらない様子でいたが、さしものミミルも呆れの声を漏らしていた。

「拙者はアリア殿を守護せし刃。この身朽ち果てようとも、その使命を果たすのみ」

 そう告げる東洋の武士は、この上なく頼もしく見えた。

 この二人がいれば、この先どのような困難が降りかかろうとも乗り越えられる。アリアはそう信じることができる。

 背中に違和感。アリアに刻まれた咎人の紋章が、疼いているかのように熱を発していた。

 脳裏に浮かぶ、ドロシーの死と蘇生。そして、イエルゴの過去。

 ウルヴァンが不可能と言っているのだから、死者は生き返らない。そう理解しているのに、何か言いようのない不安が胸を過る。この身に宿る呪は、不吉を運んでくるような気がしてならなかった。

 気の滅入ることばかり考えていても仕方がない。結局こういうのは気の持ちようでどうにでも変わるのだ。

「さっ、練習の続きやろ! もっと難しい術式教えてよ!」

 不安を押し切るように、声を出す。その様を見て、二人も穏やかに笑っている。

 背中の熱は消えてはくれない。


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