第9話

 ……八月十四日の昼、鍛錬中の出来事。


「……なあ、師匠」

「ん?」

「明日さ、休んでもいいかな」

「…………珍し」


 弟子である星の、休みが欲しい発言に龍司は瞠目した。

 自分の都合で休んだことはままあったが、弟子の要望で休んだことは一度としてなかった。


「……デートか?」

「ああ」

「この色ボケめ」


 色に狂って拳が鈍るのなら半殺しにしているところだが、日に日に鋭さが増していくばかり。その成長曲線は指数関数的に向上していっている。

 昼に鍛錬し、夜に抱く。そんな生活サイクルを星はこの夏休みで繰り返していた。

 色に溺れて強くなるのであれば、どんどん溺れてくれていい。

 なんだったら鍛錬よりデートして強くなるんだったらその方がいい。


「何だったら連休にするか?」

「……いいのか」

「俺も休みが欲しいのよ」

「あ、そう」


 結果、八月の十五日と十六日は休みとなった。





 八月十五日は、飛鳥雪──ユキの誕生日である。

 彼女から素性を聞いた時の日付を星は覚えていて、予定を空けられないかを先に聞いていた。

 彼女からは既にオーケーをもらい、そして師匠からも許しを得られた。


「デートプランは計画済み。後は──」


 デート前夜、星は明日のために計画を練りに練った。場所、時間、行動、シチュエーション……綿密に練り上げ、複数のサブプランも用意してある。

 残りの問題は今手に持っているスマートフォンに表示されているものにある。


「……台風接近。上等だよ」


 スマートフォンに映る明日の天気予報は、一日中激しい雷雨と強風が伴うでしょうとあった。

 夏のこの季節、台風がやってくるのは別に珍しいことではない。太平洋高気圧や偏西風の影響によって低気圧が押し出される場所が日本付近になるという結果に過ぎない。

 だが、星は我慢ならない。

 彼女の誕生日は、晴れやかな日であってほしい──否、晴れていなければならない。


 が、邪魔をするな。


「行くか」


 ユキが寝静まったのを見計らって、こっそりと家を出る。

 空を見上げれば雲行きは既に怪しく、今にも一雨降りそうな気配を肌で感じる。


「出し惜しみは、無しだ」


 全力で、空を走る。

 超人技、神速通カソクが、今回は全開。初速から音速超え、マッハ3オーバーを叩き出す。

 上へ上へ、そしてそのまま成層圏まで辿り着く。


 本気で、全力で、拳を放つために、全身の力を溜めに溜める。

 師に対するように技巧を込めたではなく。なりふり構わない、


「試すのは、初めてだ」


 ──欲するは、この雲を晴らす一陣の風。


天津風イナサ!!」






 ──この瞬間、世界は揺れた。






「……よし、うまくいった」


 雲一つない、空の光景。

 いつもより近い星空と月に満悦の笑みを浮かべた。


「痛って……」


 初めての技は体の負担もかなりのもの。拳を放った右腕は筋繊維がズタズタになり、骨にも骨折や罅が走っている。

 一日程度で回復する怪我ではあるが、痛いものは痛いし、しんどいものはしんどい。

 今のままでも空を走って家へと帰ることはできるが、地上付近までは自由落下を選んだ。


「……よっと」


 地上百メートルの高さで自由落下をやめて空を走り、家の近所で地面に降りた。

 疲れと痛みを訴える体を引きずるように歩いていると……家の前に、ユキが待つように立っていた。


「……おかえり」

「ユキ」

「明日、雨かなと思ってたんだけど……晴れそうね」

「……あー、その」

「ありがとうね、誕生日プレゼント」


 家に帰って時計を見れば、既に日付は変わっていた。

 日が昇れば晴天。力で手に入れた晴れの日が、最初の誕生日プレゼントとなった。






「どう?」

「似合ってる」

「これはどう?」

「似合ってる」

「これは?」

「似合ってる」

「……語彙力」

「ごめん」


 日が昇って、昼。

 ユキとの誕生日デート。デパートの婦人服の売場で二人だけのファッションショーをしていた。

 極まった容姿とスタイルの彼女が着こなせば、一流モデルですら裸足で逃げ出すオーラを出す。

 星の頭の中の貧相な褒め言葉のレパートリーでは、似合ってる以外を出せないくらいには彼女は綺麗過ぎた。


「俺、服の良し悪しは全然わかんねえし。ユキ綺麗だから、全部似合ってるように見えるし」

「……もう。だったら」


 ユキが指さしたのは、女性用下着売り場。


「あっちの方が、興味ある?」

「うん」

「えっち」

「色に溺れてる自覚はあるよ」


 星はユキに夢中だ。心も体も、彼女に魅了されている。彼女が隣にいない今と未来を想像できない、したくない。

 同時に、彼女もまた星がいないことに耐えられない。共に歩く未来を信じて疑わない。

 共依存、といっても過言ではない関係だ。


「ユキのことが、大好きだ」

「私も、星のことが大好きよ」


 惚気合う二人。互いが互いの好意を信じている。


「行こうか」

「うん」






「……なんとまあ、浮かれてんなあの二人」


 同じデパートのフードコートに、龍司がジュースを飲んでいた。

 監視をするためにここへと訪れたわけではなく、たまたま同じデパートに来ていたことを察知し、彼らに悟られないように別の階でやり過ごしている。

 気配を研ぎ澄ませれば、誰が何をしているかを手に取るように把握できる。このデパートの敷地程の範囲であればどこに誰がいて何をしていて、何を喋り何を思っているかまで、詳らかにできる。

 唐原龍司という化物が可能にする超人技の氷山の一角だ。


「だからまあ、そう殺気立つなよ」

「していない」


 向かいの席に座る、龍司の連れ。ノースリーブのサマーパーカーを着て、フードを目深に被った者。

 ……晒されている褐色の肌の両腕には、縫合の痕が見えている。

 かつて慰霊塔にて星を襲撃し、龍司へと弟子入りした暗殺者その人である。


「苛立っているだけだ。修行以外でお前に呼び出されて、こんな所にいることにな」

「お前も星も、可愛くねえ弟子だこと」

「……そう、弟子だ」

「あん?」

「私が弟子入りして半月経つ。なのにお前は昼に奴の、夜に私と修行の時間を分けている。何故だ?」


 自分に技を叩き込んだ老人たちを殺して龍司に弟子入りして、半月の時間が経過した。

 そしてその間、星と顔を合わせたことはない。

 否、師が合わせようとしなかったが正しい。


「かち合ったら、お前が死ぬから。んで、お前が死ぬのはまだ早いから」


 星は殺すと決めたなら必ず殺す。生きていたと知れば、必ず追いかけて殺す。

 殺しへの忌避感こそ強いが、それを上回ってしまえばそこに躊躇はなく、例外はない。


「……私の才能は、奴を上回っている」

。断言していい。才能だけある奴なんてどうとでもできるんだよ。昨日の晩、台風が晴れたの見たろ。お前、同じことできるか?」

「……」

「単純に、お前は基礎スペックが足りねえ」


 星と比較してしまえば、未熟も未熟だった。


「やりあうんだったら……もう半月。来月だ」

「……いいだろう」

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狩野川カンフーブリッジ @Soul_Pride

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