第8話

「シッ!!」


 海を断つ、正拳突き。モーセの奇跡の如く、水底を晒して割断する。

 気合一閃と共に放った弟子、星の一撃。この一撃は、今までのものを凌駕する、乾坤一擲のものだと打って理解した。

 それを直に受け止めた師、龍司は驚いた。

 、どころじゃない。と表現した方が正しいくらいに桁違いなものになっていた。


 二日の間を取って再開した鍛錬。今日は海上に出ての組手だ。

 久しく、というほど間を開けた訳でもないのに、弟子である星の雰囲気が別人になっていて、その変化にまず驚いた。

 蛹から羽化した蝶、とばかりに別物。男子三日合わざれば刮目して見よ、という言葉とはこういう意味かと納得した。


「ハハ、一体どうしたこの野郎」


 体に余計な力みがない。四肢の末端まで脱力が行き届いていてかつ、それでいて揺るがない芯が存在している。巨木の力強さと柳の葉のしなやかさを両立させるという矛盾を、成り立たせてしまっている。

 その立ち振る舞いから放たれる一撃は、龍司相手でも域にある。

 今の正拳突きを受け止めた手のひらが、未だに痺れる。

 これまでの星であるならば、指一本で受け止めてもそんなことはならなかった。

 その上で、自分に向けられる技の全てに容赦がまるで見られない。殺せるなら今殺す。そういった殺意が隠れていない。


 星が変わった原因、と考えられるのは一つだ。






「……■■■ピーー!した?」






 海の上を走っていた時に波に躓いて、盛大に海の上で転げまわり、そのまま水中に沈んでいった。

 その反応からして図星かと理解し、納得した。


「はあ、やっとか」

「うるせえこのボケッ!」


 いつかの焼き直しのように、水面に這い出て飲んだ海水を吐く。


「……つか、なんでわかった」

「勘」

「あっそう」

「朝から晩まで盛ってたんだろ。サルめ」

「よし、殺す」

「やってみろ色ボケ」


 再びの激突。広い海での鍛錬は、遠慮なしに力を振るえる。

 今の自分の全力を知り、そしてその先を求め続ける。

 望む未来が、必ずそこにあるのだから。






「ただいま」

「おかえり」


 日が暮れた頃に、帰宅。

 嬉しそうに出迎えてくれたユキに、星もまた笑みが零れる。

 帰る家があって、そこに好きな人がいる。それがどれほどの幸せであるか。

 大きすぎて、幸せすぎて、少し、溺れそうになる。


「もう、汗だらけ潮だらけ泥だらけ。お風呂沸いてるから、入ってね」

「ありがとう」

「一緒に入る?」

「……うん」






「ふふ、やっぱりちょっと狭いね」


 星とユキが並んでも入れる程度の大きさのある浴槽ではあるが、狭さを感じてしまう。

 自然と、密着せざるを得なく。距離は近くなる。

 当然お互いが裸で、肌を合わせている状態だ。

 その近さが暑く。そして、熱くさせる。


「……なんていうかさ」

「ん?」

「俺に好きな人ができて、その上で結ばれるなんて、想像ができなかったからさ。だからちょっと……まだ現実感がない」


 ユキに出会う前までの自分は、先のことなど何も考えなかった。

 ひたすらに力をつけて、わがままに力を振るって──そしてその末はきっと、意味もなく多くの人を不幸にすることを選んだのだろう。

 こうして今、好きな人と一緒に風呂に入るなんてことはあり得ないことと思っていた。


「私もね。あんまり、実感がないの。暗殺しにかかって、返り討ちにあって、殺される。私の人生はそれで終わるはずだったの」

「……何が起こるか、わからないか」


 何が起きるかわからない未来と、巡りあわせ。

 だからこの幸せも、温もりも。一時だけの泡沫のそれかもしれないという不安を抱いてしまう。

 そう思うと、湯船の中で繋いだ手に、力が入ってしまう。


「大丈夫」

「ユキ……」


 星の不安を感じ取ったのか、ユキは軽く唇を重ねた。


「私たちならきっと、大丈夫」


 微笑んで、大丈夫だと星を励ます。

 根拠のない自信でも、彼女が言うのなら大丈夫かと思わせてしまう力がある。

 そういった意味では、これが惚れた弱味というやつかと納得してしまう。


「……あ、おっぱい揉む?」

「雰囲気が台無し」

「大きくしてるのに?」

「……後でね」


 ──この日の夜も、二人は燃え上がった。

 どれだけ人間離れになったとしても、性欲の奴隷である限り所詮人間でしかないのだと改めて自覚する、周星の十四歳の夜だった。






 夜空の星と月、雲を肴に安酒を呷る。喧騒から遠く離れた、人の足が入り込めない山の頂上で唐原龍司は上機嫌だった。

 いつになく今宵の酒は、美味く感じる。いつもの量産品の酒に違いないのに、格別に思えてしまう。

 酒の味を最も変えるのは己の気分だと、経験則で知っている。


「……俺が、師匠面ねえ」


 らしくなさ過ぎて笑ってしまう。もう、星が弟子入りしてから数年が経っているというのに未だこのネタで面白可笑しく思ってしまう。

 だというのに、弟子の飛躍が嬉しいと感じてしまう。そんなな感性が自分の中に残っていたことに驚いている。


「見たか、ババア。面白ぇぞ、この人生」


 あの今際の際の言葉が、いつまでもまとわりついて離れなかった。最早呪いといっても過言ではなかった。

 だが、いつか弟子が自分を超えて、殺す。東京の復讐の凶器として、命に手を掛ける。自分の弟子は、必ずやり遂げる。その信頼だけは置ける。

 最期がある、ゴールが用意されている。そのいつかに、こんなにもワクワクしている。

 あの虐殺に、意味はあった。意味ができた。こんな楽しいことはない。


「……さて、鉄は熱いうちに、って言うが……」


 弟子のさらなる成長に、もう一押しが欲しい。

 女を得たことによる覚醒は喜ばしいが、それでもまだまだ自分に届くには時間がかかる。

 今のペースで十年、がいいところ。自分はそんなに気が長くはない。




 何かないかと思案していると……自分以外の人の気配を察知する。

 その方向に顔を向ければ、そこに襤褸を纏った人影がいた。




「……気づかれるなんて」

「いや、大したもんだ。その距離まで悟らせないのは優秀だよ。それに……」


 ──四肢をぶった切られて日が浅いのにもうここまで来れるなんて、才能以上のモノを得たな。


 慰霊塔にて、星とユキを狙った刺客。は自分並はあるとされた者が、死の淵から才能以上のモノを得て蘇ってきた。

 斬られたはずの両手足は生身。たった一日で繋げなおして立っている時点で、人外の域にある己にとっても狂気の沙汰。しかもここへと来るためには神速通カソクを使わなければならない。再び手足がもがれてもおかしくなかったはずだった。


「約束だ。力をよこせ」


 持っていた大きいバッグを龍司へと放り投げられる。

 チャックを開ける前から鼻に伝わる、血の臭い。




 ……開けてみれば、知った顔の首が二十余名分が入っていた。

 全て、皺だらけ白髪だらけの老人のもの……元老院のものだった。






「……いいな、お前」






 上機嫌も、上機嫌。最高の気分。こんなにも美味な酒は飲んだことはない。

 二人目の弟子を、今宵迎え入れた。

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