8月の雨の日の話

 この事件は確か、去年の8月29日。夕立に見舞われた街の一軒のコインランドリーで起きたものである。




 「くっそ、なんで今日に限ってこんな大雨になるんだよ」

悪態をつきながら一人、街の大通りを駆ける。本当に急な雨だったもので、折り畳み傘の一本も鞄に入れてはいなかった。あぁ、こんなことになるなら、あの生真面目な友人のようにいつも鞄に傘を入れておくべきであったと少しの後悔を抱きながら足を進める。確か、この先にカフェが併設されたコインランドリーがあったはずだ。同じ大学の女子たちが廊下でそんなことを話しているのを耳にしたことがある。そこなら、雨が止むまでの待ち時間を潰すことくらいはできるだろう。

 まっすぐ前を見る。視線の先にはすでにそのコインランドリーの大きな看板が雨を浴びながら立っている。俺は足早にその店を目指した。




 店に入り、店内を見渡した時、たまたま来ていたというあの生真面目な友人と目が合った。

「は?お前、なんでそんなずぶ濡れなわけ?」

「うっせ、急に降ってきたんだよ」

もっともなことを言われ不機嫌気味に返答した。曰く、友人自身は家にある洗濯機の不調からこの店を訪れ、乾燥が終わるまでの時間を併設されたカフェで過ごしていたとのこと。乾燥の終わった服を貸してもらうタイミングでそう言われた。嫌味なようなことを言いながらもこうしてよくしてくれるところには全くもって頭が上がらない。

 ふと、店内を見渡す。店には俺と友人を含めた数人の客と3、4台ほどの洗濯機と乾燥機が稼働している。乾燥機のうちの1台には俺の服が投げ込まれている。服が乾くまでの間することもないのでとりあえずカフェでアイスティーを注文し友人が座っている席の向かいに腰掛けた。彼はこの暑さの中、何食わぬ顔でホットコーヒーを口にしている。

「こんなバカ暑い中、よくホットコーヒーなんて飲もうと思ったな」

「そう?確かに暑かったけど、この店の中は冷房がよく効いてるからね。ずっといるとむしろ寒いくらいだよ。それこそ、お前の部屋ほどではないけどね」

「別にいいだろ、俺の部屋のエアコン設定くらい俺にさせてくれ」

「お前のお母さんから連絡が来てたんだよ。お前、実家で暮らしてた時も部屋の冷房設定18℃にしてたらしいじゃん。そんなんじゃ体調崩すよ」

いつの間にか母によって友人に伝えられていたらしい。いつの間にそんなことを伝えられていたのかと悩んでいるところに自動ドアの開閉音が鳴り響く。そちらをちらりと見ると、入ってきたのは1人の女性だった。が、どうにも様子がおかしい。顔が青白く中身の見えない大きなランドリーバッグを重たそうに抱え足早に店の奥へ進んで行った。

「おい、他所様の顔ジロジロ見てんだよ」

友人が俺に注意する。

「……なぁ、あの女の人、なんか様子おかしくないか?」

「はぁ?お前、何言ってんの?」

俺の発言に納得がいっていないのか呆れたようにそう返す友人は少し肌寒そうにカーディガンを羽織り始めた。程なくして、俺が頼んでいたアイスティーも客席に運ばれた。ひと口含むと紅茶の茶葉の香りが広がり、冷たい液体が喉を潤していく。

「やっぱ、紅茶といえばダージリンだな!」

「それ、ウバっていうスリランカ産の茶葉だぞ」

……どうやら違ったようだ。


 それから数分がたった。この間に俺のグラスの中の紅茶はなくなり、氷だけが店内の照明に照らされながら溶け始めていた。友人はいまだにホットコーヒーをちびちびと飲んでいる。

「……なんか変な音しないか?」

冷め切ったであろうコーヒーの入ったカップを置き友人はふと小さくそう言った。耳を澄ますと確かにおかしな音が聞こえてくる。

「確かに。どっかからゴンゴン聞こえてくる……。なんだ?故障でもしたのか?」

「でもここ、1ヶ月前にリニューアルされたばかりだから壊れたなんてことないと思うんだけど……」

「どこの台からなんだか……」

「お前、そこだけ聞いたらパチンコの台みたいだな」

「パチなんかいったことねーよ。てか、話逸れてんじゃねーか」

呆れながらそう言う俺に友人は軽く「ごめんごめん」と謝った。全くもって誠意を感じない。

「なぁ、音の出所、探してみないか?」

名案だと言わんばかりの笑顔で友人は言った。

「はぁ?この店の機械から出てるってことだけ分かってりゃそれでいいだろ?なんでわざわざそんな面倒なことを……」

「とか言って、実際は怖いんだろ?」

「そ、そんなんじゃねぇし……」

「よし、じゃあ決まりだな」

顔をにやけさせながら友人は席から立ち上がった。こいつは完全に俺を揶揄って遊んでいる。若干の苛立ちを感じながらも俺も席を離れ彼とともに音の発生源へと向かった。


 一歩一歩、足を進めるたびにゴン、ゴンと何かが洗濯ドラムに強くぶつかる音が大きくなっていく。嫌な予感が背中を伝って全身に広がってゆく。対して友人は、どこかワクワクした様子で足を進めている。なんなんだこいつは……。俺はこんなにも危機感を抱いているというのに。

 嫌な予感を隠すようにぐるぐると頭の中で友人に対するあれこれを巡らせる。が、それでも頭の中で渦巻くこれは何であろうか。不安?緊張?恐怖?それともその全てであろうか。手にかいた嫌な汗をどうすることもできないまま拳をつくり恐怖を緩和しようと試みながら友人の後ろを歩く。そうして、ほんの数秒、自身の感覚にして数十分。急に前を歩いていた友人がぴたりと止まった。目の前には未だ稼働している一台の洗濯機が異音を立てていた。中には洗濯物であろう色とりどりの衣類とゴンと音が鳴ったタイミングで人肌らしきものが見えている。

「……は?」

友人が一言声を漏らした。俺はというと、恐怖のあまり何も言えずにただ立ち尽くしていた。

「なんだよ、これ……。赤ちゃん……じゃ……」

「で、でも、人形だって可能性も……ほら、メルちゃんとかかもしれないだろ……?」

「い、いや、でも……こんなに重たいものがぶつかるみたいな音がすることって……」

などと話しているうちに洗濯機は稼働をやめた。中のものが重力に従って落ちている。明らかに山になるほどの衣類が入っていたわけではないのにも関わらず衣類は傘増しされたように盛り上がっている。近くに中身を取りに来る人の気配もない。

「……開けてみるか?」

友人が小さく呟く。

「人の使ってるとこ開けるなんて失礼だからやめておいた方が……」

「大丈夫だって。俺たちだってここの利用者なんだ。自分の使ってる乾燥機と間違って開けてしまったっていう体でいけば問題ないって!」

そう言って、俺の忠告を無視した友人は勢いよく蓋を開けた。

 「なんだ、ただの洗濯物の山じゃん」

どこか残念そうに口を尖らせ、友人は言った。目の前には本当に衣類の山しかない。だが、それならば、俺たちがさっき見た人肌のようなものはなんだったのだろうか。少なくとも今目の前にある物たちにそのような色のものはない。

「その洗濯物の中……とかじゃないか?」

俺がそう言うと友人はまたこの山に興味を持ったようだ。

「え?じゃあ……」

友人は洗濯機の中を漁り始めた。さながら、某ゲームのゴミ箱を漁る主人公のようだ。人様の使っている洗濯機を漁るやつなんて、好奇心に負けたこの友人と下着泥棒くらいではないだろうか。そんなことを語っている俺も、異音を立てて回っていたこの洗濯機の中身が気になっていた。もちろん、気になると言ってもこの恐怖を早く和らげたいというのが本音だ。友人はわざわざご丁寧に一枚一枚取り出しては、これじゃない、これじゃないと投げるように洗濯機の中に戻していたが、やがて中の銀色が見え始めた頃友人の衣類を取る手が止まった。彼はぴたりと静止し、その場から動かない。

「おい、何があったんだよ……?」

俺の声に友人はびくりと反応し、こちらを振り返って言った。

「お前……メルちゃんなんて可愛いものじゃないぞ、これ」

「……え」

友人が俺の方を振り返り、そう言った時、彼の後方に見てしまったのだ。たくさんの打撲痕を抱えた水で膨れた子供を。俺の腑抜けた一文字はだんだんと下がっていく周りの空気に溶かされてしまった。

「こ、これ、やばくないか!?おい!お前、スマホ持ってただろ!警察よべ!」

「お、おう……」

自分だって持っているだろうにそんなことすら忘れ、友人は警察を呼ぶよう俺に言った。震える指でボタンを押しているせいで何度も打ち直す羽目になったがなんとか警察を呼び、この子供は運ばれていった。

運ばれるのをただ茫然と眺める俺と友人。どこからか、カラン、と氷の落ちる音がした。……この店はこんなにも寒かったのだろうか。


「いや〜、まさかお前が見てた女の人が犯人だったなんてな〜」

友人は帰り道、のんびりとした口調で言った。第一発見者である友人とそのそばにいた俺は警察に事情聴取に応じるよう言われたため、少し離れたところにある市内の警察署を訪れた。流石に人のところだとわかって開けただなんて言えないから二人揃って「間違えて開けたらそこに死体がありました。」と言っておいた。犯人についてもすぐにわかったらしく、俺があの時おかしいと感じた客の女性だったようだ。あの子供も実子だったらしく、家計の云々から捨てる場所を考えた結果、あの場所を選んだとのこと。洗濯機の中なら、「自分が気を抜いた隙に子供が入ってしまって……」なんて言い訳ができたとでも思っていたのだろうか。まだ1歳ほどの小さな子がどんな間違いであの床から離れたドラム式洗濯機の中にどうやって自分から入るのだろう、というツッコミは流石にしなかった。対応に精一杯だった俺にその時はそんなことを言えるほどの精神的余裕はなかった。

 友人と帰り道を歩く。……なぜだろう、俺は何かを忘れているような……。

「そう言えばお前、乾燥機に入れた服、取ってなくね?」

「あっ。」

どうやら俺は自分の気力と一緒に乾かしていた服までおいてきてしまったようだ。

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個人的にこれはヤバいって短編たち 以夜 @iyo-hakmu

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