雨音の世界の中で

檸檬 塩

雨音の世界の中で

 七月じょうじゅん。今日は雨が降っています。靴箱にはカラフルな色が並んでいて、少しだけお祭り気分になれました。

 眺めながら上靴を履いていると優香ちゃんから、「陽奈早く」と言われてしまったので急いで履くことにしました。

 四年生の教室は2階にあると聞いて最初は少し不安だったけど、頑丈な壁だったので今はもう怖くありません。一緒にきた友人と階段を登っていきます。

 私のクラスは階段を登って一番奥、三個目の教室です。

 教室が一つだけある右側を今日もなんとなく確認して、左を曲がりました。

 上靴のキュッキュッと響くはずの音も、周りの話し声で掻き消されています。

 教室のドアの近くまで行くと、今日もまた、いっ君が頭に浮かんできてしまいました。

 いっ君の家は私の家の斜め前にあります。幼馴染という関係です。登下校の時私は家の前を通るんですが、いっ君は毎朝早いので会えず、時々私はかんしょうにいたります(もしかしたら『い』じゃなくて『ひ』かも)。

 ちょっと硬いドアを両手で開けると、いつもどおりガラガラと大きな音を立てられました。教室内を確認すると、今日はいっ君は自分の席に座っていました。

 いつもどおり「おはよう」と言うと、今日も周りの友達が私たちをヒューヒューとか、夫婦みたいとか、馬鹿にしてきました。でも私は気にしません。そんなことにいちいち腹を立てていたら子どもみたいだからです。

 それに恥ずかしいけど、実はちょっと嬉しい気持ちにもなってしまうのです。


 五時間目、算数の授業です。外から聞こえる雨音で、教室は満たされています。

 私は計算が得意なのでいつも早く解き終わって、いっ君のことをつい眺めてしまいます。これだけで楽しいのです。

 私の席は窓際の後ろから二つ目で、いっ君は斜め前の席。まだ解けていないプリントを見て、教えたくなってきてしまいました。

「ねえ、この問題分かんないんだけど教えて」

雨音だけで満たされていた世界に、声が確かに聞こえました。

 私といっ君は考えていることがよく似ています。こういうのを、息が合うと言うと知っています。

「いいよ! この問題は工夫してみると簡単に計算できて……」


「……そうそう、そこを、うん!」

「できた! お前やっぱ頭いいな、ありがとう!」

この一言はいつも、私を世界一幸せにしてくれます。

 いっ君にまた自然と目がいきます。また世界は雨の音だけになりました。

 何故か物足りなくなってしまいました。


 帰りの挨拶が終わりました。いっ君に「またね」だけ言って、今日は早く帰ります。ピアノのレッスンに行かないといけないからです。

 靴箱から絵の具のような色の長靴を取り出して、前が一部透けている傘を開きました。

 雨はまだ降ってます。四日後には梅雨明けだそうです。

 今日は傘の音を聴きながら、帰ることにしました。

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雨音の世界の中で 檸檬 塩 @remonsyouyu1914

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