第13話 人魚さんの内緒話
「だれにも言わない、って人魚さんと約束したことだけど、まあ、もういいでしょ」
アリソンが黙っているのを見て、ステファニーは目を細めて笑った。
言う。
「人魚なんか、いない、って」
「ええっ?」
アリソンが驚きの声を上げた。
小さい子どものころから、サンフランシスコで別れてロンドンで再会するまでの期間を除いてずっといっしょにいたアリソンがこんな声を立てるのを聞くのは初めてだ。
「でも、人魚に会ったんでしょ? しかも、あのスクーナー船の航海士も会ってるって」
「あの人、オール持ってたから、後ろ向いてたの。だから、間近では見てないはず」
「それはそうかも知れないけど」
とアリソンは言う。
「でも、泳ぐところは見てる、って話だし」
「それは、わたしもね」
とステファニーは声を低くした。
「人魚さん本人が、人魚はいない、って言わなかったら、信じてたと思う。いまもよくわからないんだ」
ステファニーは正直に言った。
「艶々した黒いうろこと、ぴんと張った尾びれで、ほんとに、自然に、力強く、って感じで泳ぐんだもの。いまでも、あれがほんものの人魚でない、なんて信じられないくらい。でも、その人魚さんが、内緒だよ、って言ってくれたのが、人魚なんかいない、自分も人間だ、って話だった」
「はい」
アリソンはまだ判断がつかないらしい。
「それに、たしかに、別の種類の動物だとしたら、へんなところもあるんだよ。だって英語しゃべるんだもん」
ステファニーは得意そうに言う。
アリソンは、少し考えてから
「でも、オウムだって人間のことばのまねをするんだし、もっと高等な動物なら人間のことばを使いこなすことはできるんじゃない? 最初は人間のことばをまねて、やがて、自分で使いこなす、って。人間の子どももそうやってことばを覚えるでしょ?」
と言う。
「おお」
ステファニーは感激の声を漏らした。
「それは鋭い!」
少女のころ、まだ幸せだったころ、二人ともおませだったステファニーとアリソンはこんな会話をよくしていたものだ。
「でも」
とステファニーは話を続ける。
「人間の少女だって、人魚に劣らず海を泳げるんだ、って、人魚さんは言ったんだよ」
ステファニーは、言って、アリソンが入れてくれたお茶を飲む。
アリソンも同じようにお茶を飲んで、穏やかにステファニーの顔を見つめた。
「このあたりの海は禁漁だからだれもやらないけど、って。で、そのとき、もし機会があったら、日本に行ってみて、って言われた。そこには、海に十ヤードも二十ヤードも潜って、自在に魚や海の生物をつかまえる少女たちがいるはずだから、って」
「それで、日本に?」
アリソンが言うと、ステファニーは、うん、とうなずいた。
「でも」
とアリソンは尋ねた。
「滞在日数も限られてるし、どうやって、その人魚のような女の子たちのいる海岸を探すんです?」
ステファニーは、何も言わず、謎めかして笑った。
アリソンも目を細めて笑う。
ステファニーが言う。
「それも、その人魚さんとの内緒話で、聞いたんだ」
ステファニーは、うん、とうなずいた。
「もちろん、その村にいまもその人魚のような女の子がいるかどうかわからないけど、横浜からそこの県の海岸まで鉄道で行ける、っていうことは、いちばん新しい旅行案内で確かめた」
「上海で?」
「いや」
とステファニーはいたずらそうに笑って見せた。
「ロンドンを出る前」
アリソンが驚く。
「じゃ、最初から横浜行くことわかってて?」
「いいや」
ステファニーは小さい子どものように首を振った。
アリソンは、小さくうなずくと、
「ずっと、日本の情報は詳しく調べてたんですね、お嬢様」
としっとりした声で言って、お茶を飲んだ。
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