第10話 四十年後(1)
「いやいや」
ステファニーは、寝ぼけていてしっかりしない声で言った。
「アリソンはわたしのご主人様なのに、お嬢様って呼んじゃだめだから」
「二人きりですよ。こういうときぐらい、お嬢様と呼ばせてください。昔のとおりに」
優しく言う。
ステファニーは、笑って、うん、とうなずいて、身を起こした。
声をかけてくれたのは、
四十年前には、セントローレンスのスクーナー船で船酔いして、「すみません」を繰り返して船を下りた歳上の少女だった。
いまでは、アリソンが主人で、ステファニーはその付添役、ということになっている。
立場が逆転し、ステファニーはお嬢様から使用人へと
あの年、北インドの大反乱で、フォールセット伯爵家のアワドの農園が壊滅したからだ。
デリー近くは騒乱で物騒だから、と、避暑も兼ねてアメリカに一時避難する。それだけのつもりだった。ところが、その騒乱が本格的な大反乱になり、アワドまで巻きこんでしまったのだ。
その夏の収穫を見込んで農園を拡張し、製糖所も新設したばかりだった。それに加えて、ステファニーの父フォールセット伯爵は、アワドの国が取り潰されて、その領地が東インド会社領になったことを前提に、いろいろな投資をしていたらしい。
サンフランシスコに滞在しているあいだに、伯爵の破産は確定した。
伯爵はあきらめなかった。翌年になってアワドの反乱は鎮圧されたからだ。不法占拠された農園を取り戻して、もういちどやり直せば、何とかなる。そう思ったらしい。
しかし、そのときにはもうその土地は別の会社の手に渡っていた。しかも、大反乱を引き起こした責任を問われて東インド会社は解散されることになり、東インド会社の支配が続いていることを前提にして行った伯爵の投資はまったく回収できなかった。
インドに残った使用人の消息はまったくわからない。そのなかで、唯一、破産後まで付き添ってくれて、一家の世話をしてくれていたのがアリソンだった。
でも、そのアリソンもサンフランシスコで解雇しなければならなかった。
一家はイギリスに帰るしかなかったが、帰ってみるとロンドンに持っていた住居も人手に渡っていた。
慣れない貸し間生活で、酒浸りになった父フォールセット伯爵は、酔って階段を下りようとして転落し、その傷がもとで死んだ。
男子の
ステファニーと母はさらに狭い貸し間に移り、その一室で、二人で文字どおり肩を寄せ合って暮らした。
その生活費にあてるお金も尽きそうになったころ、その消息を、ロンバード街の銀行に務めるマシュー・フェアフィールド卿の妻になっていたアリソンが探り当てた。
* 東インド会社 … イギリス東インド会社。1600年設立。イギリス国王の特許状に根拠を置く商業会社であるとともに、統治機構・軍も持ち、19世紀、「大反乱」の直前にはインド(今日のパキスタンとバングラデシュを含む)の統一へと進んでいた。大反乱の結果、会社の活動が停止され、清算を経て1874年に解散した。
* ロンバード街 … ロンドンの中心地「シティー」の一街区。ニューヨークのウォール街が擡頭するまでここが「世界金融の中心地」だった。
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