第8話 出発(2)
「密輸品とか、人聞きの悪いことを言わない!」
ガートルードは少しばかり
「貝ボタンの副産品。なぜか貝ボタン工場って真珠をじゃまもの扱いするからね」
「それならわかる」
船長が答えた。ボタン工場にかわって解説してやる。
「ボタン工場にとっては平たいボタンにする材料が必要なのであって、丸い形になっている真珠はかえって使いにくいからだろうな」
ガートルードは、うん、とうなずいた。
「その真珠をもらって来て。形はまんまるじゃなかったから、細工師に頼んで形のゆがんでるところや欠けてるところを目立たないようにして。あと色の濁ってるところとかもね、銀細工で隠して。それでイヤリングにしてもらったんだけど」
そこで鼻から息を漏らす。
「でも、ぜいたくをしなければ、あのひと組のイヤリング売れば一年は遊んで暮らせる。大粒で、あれだけ形のいい真珠もなかなかないよ」
それが、人魚がステファニーお嬢様に渡したお土産らしい。
「まあ、嬢ちゃんは、人魚さんからお土産をもらったって喜んでたがな」
船長はとぼけた声でそう言ってから、おもむろにつけ加えた。
「でも、おまえも、ただでそんなお土産をくれてやるほどの慈善家ではあるまい」
「慈善家だよ」
ガートルードは言って、ふうっ、とため息をつく。
首を垂れて横を向き、流し目で船長を見る。
「ねえ。あの家族、なんでアワドの農園を離れて、アメリカなんかに行こうとしてるか、わかる?」
船長はさっと眉を寄せた。
顔を上げ、唇をぎゅっと結ぶ。
低い声で、言う。
「例の鉄砲の火薬袋の問題か。それでインドで騒動が起こった」
「うん」
ガートルードはうなずいた。
「あの人たちは、少し離れたところで騒動が起こって落ち着かないから、しばらくのあいだだけ、自分らだけアメリカに行っていよう、って考えなのかも知れないけど、今度のは騒動じゃすまないかも知れない。メーラトの決起軍がデリーに入って皇帝を担ぎ出したからね」
「そこらへんまでは知ってるが」
と船長が言う。
「でも、いま、インドの皇帝って、下々に言うことをきかせるだけの力って、あるの?」
ガートルードは唇を結んで、ふん、と鼻から強く息を漏らした。
「まあ、それはわからないってところだね。もう忘れられてるかも知れないし、もしかすると意外に権威があるかも知れない。でも、問題はアワドでさ」
あのお嬢様の家の農園がある国。
デリーからガンジス川という川を下ったところのはずだ。
「アワドは例の
「あの家族は、もうアワドには戻れない」
船長が低い声でたんたんと言う。
ガートルードはうなずいた。
「反乱が成功すればもちろんだけど、反乱が失敗するにしても、デリーからアワドまで反乱が拡大して、そのあたりが戦場になるってことになれば、農園を荒らされるだけじゃすまない。インドはこれまでとはぜんぜん違う国になる。あの家族が、スエズよりこっちでいちばん幸福な一家、なんてとんでもない、って話になるよ」
顔を上げて、遠く、水平線のほうを見る。
水平線の上には、雲が高く伸びて、その上のほうがつながり始めていた。
大嵐にはならないだろうけど、このあたりのどこかには熱帯らしい
大型の
ガートルードがぽつんと言う。
「いちばん不幸な家族になるかも知れない」
「まあ、そうなったら」
と船長が言った。
「そうなったで、なんとかやっていくだろうよ、あの嬢ちゃんなら」
* 火薬袋の問題 … イギリス軍が使用する先込め式のライフル銃「エンフィールド銃」の火薬袋に、ヒンドゥーで神聖視する牛の脂と、イスラームでけがれた存在とされる豚の脂が使われているという疑念が生じ、イギリス軍のインド人兵士「セポイ」がその使用を拒否して投獄された問題。
* メーラト … デリー近郊の街。その火薬袋問題をめぐってセポイが決起した。これがいわゆる「セポイの反乱」で、これが「インド大反乱」へと拡大した。
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます