第7話 出発(1)

 昼下がり。

 大型機帆きはんせんエンプレス・オブ・ジュンガリア号がセントローレンスの港を離れて行く。

 あのステファニーお嬢様の一家も乗っている。コリンス船長も、この大富豪一家を見送る人たちの列の後ろのほうにいたので、それは確かめた。

 島が多い海域で、風が不規則になるのを嫌ったのか、エンプレス・オブ・ジュンガリア号は帆を巻いて盛大に石炭を焚き、白色と黒色が混じった煙を空へと放出している。

 外輪で盛大に水を打って航行する。

 外輪が水を叩く規則的な音はもう聞こえないが、船体と外輪の残した航跡は港のなかにもまだ残っていた。

 エンプレス・オブ・ジュンガリア号は、ここからマニラへ、それから太平洋を横断して北アメリカのサンフランシスコまで行くという。

 コリンス船長の船パーシャンハウンド号を繋留けいりゅうしてある桟橋さんばしの横で、その機帆船が去って行くのを、船長とガートルードが並んで見送っている。

 「すまなかったな」

 船長が言う。

 「手間を取らせた」

 ガートルードは含み笑いした。

 言う。

 「まあ、あんたが謝ることじゃないでしょ。ハーディングって代理領事が、大富豪の覚えをめでたくしたいと思ったのと、あとは、わたしたちに対する牽制?」

 「大英帝国の外交官ともあろう者が、ここでは現地人の警察隊なんかに頼らなければならないけど、完全に信頼しているわけじゃないんだぞ、というアピール、かな」

 「まあ、大英帝国基準で正しいことばっかりやってるわけじゃない、っていうのは、自分でわかってるけどね」

 「帝国なんてそんなもんだよ」

 船長も薄ら笑いを浮かべて言う。

 「何もかも本国と同じように、とか言ってたら、帝国なんて治められるわけがないんだから」

 そして、船長は、隣に立つ女の脚をじろじろ眺める。

 今日は警察隊の制服のシャツを着て、キュロットを穿いている。

 「それにしても、あのうろこと尾びれはいったい何だい? 何せ、うちの船の連中まで、人魚ってほんとうにいたんだ、なんて感心してるぐらいなんだから」

 今度は、ふふん、と声を立ててガートルードが笑う。

 「もらって来たんだよ。フォルモサ島で」

 ガートルードはしばらくフォルモサ島に行っていたというが。

 「フォルモサ島でもらって来た」だけでは、何なのかよくわからない。

 フォルモサ島にはほんとうに人魚がいるのだろうか?

 「もらって来た、って、何?」

 「アジアのこのあたりじゃ六月ごろに祭りがあってね、チン国では、家族が揃って、餅米で作ったでっかいちまきっていうのを食べたりするんだけど」

とガートルードはおもしろそうに話し始める。

 「日本の江戸ってところでは、その日に、支配身分の家は紋章の入った旗を屋敷に飾って祝うんだって。ところが庶民にはそれが許されない。でも、最近は庶民も豊かになって力をつけてきて、何かやりたいっていうんで、紋章の旗は禁止だからって、でっかい鯉の旗を飾るようになったんだって。チン国の商人がそれを手に入れてフォルモサ島に持って来てて、なんかおもしろそうだから、って、干し海鼠なまこと引き換えにもらって来たんだけど」

 「それで、それを下半身に穿いて、海の少女マーメイドになった、ってわけか」

 船長もやっぱり笑い声を立てずに笑った。

 ガートルードが自慢げに言う。

 「でも、海のなかでも布がぐにゃっとなったり脱げたりしないようにするの、たいへんだったんだよ。尾びれなんか、竹の骨組みを通して。日暮れに間に合わなかったらどうしようと思った」

 「いやあ。それは感謝するけど」

 船長が言う。

 「でも、あの子にはけっこうなお土産をやったそうじゃないか」

 しばらく口を閉じ、まわりの様子をうかがってから、言う。

 「あれも、密輸品か?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る