第6話 ステファニー嬢と人魚(3)

 もっとも、船長は、ハンフリー航海士の突然の大声には慣れていたので、驚いたのはお嬢様だけだったかも知れない。

 「どうした?」

 船長がとぼけた声で訊く。

 ハンフリー航海士が大声でわめく。

 「いや、人魚と決まったわけじゃありませんが、でも、しっぽが! いや、しっぽというより、でっかい尾びれテイル・フィンが!」

 「どこ?」

 ステファニー嬢が立ち上がった。

 ふなばたに手をつき、右手で双眼鏡を持つ。

 すぐに目に当てられるように準備しているのだろう。

 たしかに、探険慣れしている。

 「いや、あっち」

 ハンフリー航海士は大ざっぱに指さした。その方向にステファニー嬢は双眼鏡を向ける。

 しばらくその方向を探す。

 「たしかに波立っている」

 双眼鏡をのぞいたままステファニー嬢が言う。

 その声に、失望をあらわにしていたさっきまでの声の調子はない。

 船酔いに負けそうになっている声でももちろんない。

 「人魚でないにしても何かいるのは確かですね」

 「浅いほうの海だな」

 船長がどうでもいいことのように言う。

 そのとき、またハンフリー航海士がわめいた。

 「あれ!」

 で、お嬢様を振り向く。

 「見ましたか?」

 「いや」

 お嬢様は首を振る。

 「双眼鏡の視野の外だった。あ、でも」

 双眼鏡を横に動かしていく。

 船乗りがやるような、むだのない、落ち着いた動かしかただった。

 「やっぱり波立ってますね。しかもその波立ちが動いて行く」

 双眼鏡から目を離して、お嬢様は航海士に言った。

 「あの下に、確実に何かがいます!」

 その声と同時に、その海面が割れて、何かが姿を現した。

 双眼鏡を使うまでもなかった。

 髪の毛であるらしい、頭のところから伸びた長い毛に、日焼けしたような体の色、そして、黒いうろこで覆われているらしい下半身と、大きな黒いひれ……。

 たぶん尾びれ。

 「ボートを下ろせ!」

 コリンス船長が大声で命令した。

 たちまち船員どもが行動を起こす。船上に吊って固定してあったボートの索を伸ばしてお嬢様のすぐ横に着水させる。

 「ジェフ、行ってやれ。うまく行くとお嬢様と人魚が接触できるかも知れん」

 「アイっ!」

 「お嬢様もすぐにボートに移乗してください」

 「でも」

と、お嬢様は言い返した。言い返したけれど、体はもうふなばたを越える準備に入っている。

 その体勢で、お嬢様が尋ねる。

 「危険は? もし、鯨や、いや、鮫だったりしたら?」

 「だいじょうぶです」

 船長が落ち着いた声で言った。

 「ジェフ・ハンフリー航海士にオールを委ねている以上、どんな獰猛な動物が襲ってきても、ほんの少しの心配もいりません」

 「わかりました」

 お嬢様は思い切りよくボートへと跳んだ。

 続いてハンフリー航海士が乗り込む。船員たちはボートをつないでいた索をはずした。

 オールのひと掻き、ふた掻き、三掻きでボートは行き足がつく。

 舳先側ではお嬢様が双眼鏡を構えている。

 「もうちょっと右です……左……けっこう早く移動しています。あ、またうろこの下半身が」

 お嬢様の沈着な指示で、ボートは、人魚らしい生物を追って、可能な限りの最短の航路で近づいて行く。

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