第5話 ステファニー嬢と人魚(2)

 ハンフリー航海士が言う。

 「人魚っていうからには、やっぱり浅いところにいるんじゃないですかね?」

 船長が

「根拠は?」

と簡潔に問うと

「そりゃあ、半分人間ですから、やっぱり陸が恋しいんじゃないですかね?」

と航海士は笑いながら答えた。

 ところが、ステファニー嬢は

「いや。鯨だってもともと半分は陸の生きものだったわけですけど、鯨はけっこう深い海を好みますから、そうとは限らないんじゃないでしょうか?」

とていねいに言い返す。

 「へっ?」

とハンフリー航海士は奇妙な顔をした。

 「鯨って、半分は陸の生きものなんですかぃ?」

 お嬢様は、あたりまえのこと、というように言う。

 「雌が、子どもを寄り添わせて、乳をやって育てますからね」

 「へえ」

 航海士はすなおに驚いてみせた。

 「二十何年生きてきて、そんな話は初めて知りましたぜ! お嬢様」

 そんな議論を交わしながら、ときには海図と実際の海を照らし合わせて、島の側に遠浅の海が広がる場所、深い場所と人魚捜しをして行く。しばらく探して見つからなければ、次の場所へ移って行く。

 しかし、そのお嬢様にも、あのアリソン嬢に襲いかかったのと同じものが襲いかかった。

 帆を張って進んでいるあいだはお嬢様も心地よさそうにして、持って来た双眼鏡で海を探したり、ふなばたに座って風を浴びたりしているのだが

「このあたりでしょうか?」

と言って船を停め、いかりを下ろすと、試練の時間が始まる。

 お嬢様も、最初のうちは気丈に双眼鏡で水面を探しているのだが、そのうち、やっぱり気分が悪くなってくるのだ。

 しかも、日が傾いて海がいでくると、風に当たることができないだけ、よけいにつらい。

 大型の機帆きはんせんで大洋を横断したときとは違う。

 大型船の揺れには慣れて船酔いしなくなったとしても、風に当たることもなく同じ場所で不規則な揺れにさいなまれると、やはり気分が悪くなってしまうというものだ。

 それでもステファニー嬢はがんばった。

 だが、日が暮れてくると、海は暗くなる。

 いくらがんばっても、双眼鏡を使っても、海は見えなくなっていく。

 ステファニー嬢は船長に言った。

 「すみません。あきらめます」

 船長はステファニー嬢を斜めに見下ろしただけだ。何も言わない。

 「いや、その」

 ハンフリー航海士が、とりなすように、でもぶっきらぼうに、訊く。

 「お嬢さんが人魚を見たい理由、っていうのを教えてくれませんかね。そうかんたんにあきらめていいものかどうか」

 ステファニー嬢はうつむいた。

 ぼそっと言う。

 「自然淘汰とうた、ってご存じですか?」

 お嬢様らしくない言いかただった。

 「最近、議論されてるあれですな」

 船長が何の感情も交えないように答える。

 「食糧そのほか、人間が生きるために必要なものの量が決まってるのに、人間はそれ以上に増える。したがって、一部分は死んで世のなかから消えて行くわけだが、そのとき、いろんな性質の人間が等しい割合で消えるのではなくて、まあ、言ってしまえば、この世のなかに不似合いな人間から先に消えて行く、という」

 「それが動物でも同じじゃないか、という説です」

 お嬢様は、うつむいたまま続ける。

 「でも、不似合いというのは環境が合わないわけだから、消えてしまう前に、違う環境に移れば、生き延びられるかも知れない。だから、わたしは考えたんです。陸の上で生きるのが不似合いで、そこから消されそうになった人間は、いっそ、海に生きることを試してみるんじゃないか、って。だったら、人魚というのがいてもおかしくない、って」

 「うん」

 船長は相づちを打った。

 「それはいい考えかただ。だが」

とそこまで言ったとき、横でハンフリー航海士が

「船長っ! あれっ!」

と大声を立てた。

 凪の時間にそんな大声を立てる必要もなかろうに、という場違いな大声だった。

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