第3話 ガートルード(2)
「はいっ?」
袖なし服の女ガートルードが振り向く。
歳はともかく、その肩幅の広さはあまり「
髪が長いのは「
そのガートルードに船長が訊く。
「しばらくどこか行ってたらしいけど、どこ行ってたんだ?」
「あ?」
振り向いたガートルードの顔があどけない。
「なに? わたしがいなくて寂しかった?」
無神経を装ったつもりかも知れないが、ガートルードの声にははにかみが混じっていた。
船長が朗らかに言う。
「いちおうあんたは警察隊長だからな。あんまり長いあいだいなくなる、っていうのもよくないだろう?」
ガートルードも伸びやかな声で答える。
「ツォアンチウってとこの商人にくっついて、フォルモサ島のヴァンカってとこまで行ってたの」
「フォルモサ島ねえ」
船長が憮然と言う。
「ルソンの北だな。おれもまだ上陸したことはない」
「まあ」
とガートルードは続ける。
「ヴァンカで、その、日本が門戸閉鎖政策をやめる話の詳しいとこも聞いてきたし、それだけじゃなくていろいろと清国のことも琉球のことも日本のことも訊いてきた」
ガートルードはことばを切った。
ガートルードは、もしかすると、祖先が日本から来たのかも知れないという。
だから、日本について詳しい話を聞いてきたのか。
それとも別の理由があるのか、それとも何の理由もないのか。
船長が何も言わないからか、ガートルードはまた続けて言った。
「あと、アメリカが、琉球とかフォルモサ島とか、そっちに興味持ってるらしい、ってこともわかった」
「はあ」
船長がさっきよりもっと憮然と言った。
「アメリカが?」
「うん。アメリカは太平洋を自分の海にするつもりじゃないかな? あんたの国と
「まあ、そのへんの話は聞いたことはあるが」
と、船長が、あまり関心なさそうに答える。
ガートルードがさらに早口で言った。
「それに、日本が門戸閉鎖政策やめたら、その薩摩とかが先頭切って琉球からフォルモサ島のほうを
ガートルードの話を聞いて、船長はふうっと鼻から息を吐いた。
「なんか、もうちょっと、こう、みんなで幸せになれる方向に行かないものかねぇ」
「せめて一人の女の子だけでも幸せにするために人魚のまねするんだから、ぜいたく言わないの!」
じゃ、と短く言って、ガートルードは鍋のところまで戻る。
鍋のところも通り過ぎようとしたがふと足を止め、その鍋を見ている男女に向かって
「あーっ、だからあんまり煮すぎない! ただでさえここらの干し海鼠は買いたたかれるんだから、
と大声を立てている。
「人魚だから海鼠と仲がいいのかと思ったら、そうでもなさそうだな」
そう小声で言った船長の前に、
用が終わったなら帰れ、ということらしい。
「おっ」
船長は少年に軽く右手を挙げてあいさつすると、
* ツォアンチウ … 泉州。現在の中華人民共和国福建省泉州市にある港町。
* フォルモサ島 … 台湾島。ポルトガル語でIlha Formosa(「美しい島」)と呼ばれたことによる。
* ヴァンカ … 漢字表記「艋舺」。現在、台北市万華区にその名を残す。。
* アンナン … ベトナム中部のこと。漢字表記「安南」。当時のベトナム王朝グエン朝はベトナム中部のフエ(フランス語でユエ)に首都を置いていた。
* ナポレオン皇帝 … フランス皇帝ナポレオン3世(1852~1870年在位)。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます