第2話 ガートルード(1)
セントローレンスの港の正面はヨーロッパ人が主人の街だ。
アジア人や
そのヨーロッパ人の街の端を区切るのが
その南側はオールドフォートという。そのことばどおりの古い街で、こちらにはアジア人や島嶼人が暮らしている。
清国人がやっている料理屋はヨーロッパ人街にもオールドフォートにもあるが、その料理の値段は、ひと桁か、ときにはふた桁違う。もちろんオールドフォートのほうが安い。
そのオールドフォートのさらにはずれをコリンス船長は足早に歩く。
その煙をかいくぐり、
騎兵隊の士官のような
着ている服は
少年は、相手がコリンス船長だとわかると「にっ」と笑って道を空けた。
「彼女、帰って来てる?」
と船長が少年に訊くと、少年は、うん、とうなずいた。
砂浜では、薪が焚かれて、そのうえに載せた大鍋で湯が煮えている。
さっきの香ばしい香りとは違う、むせるようなにおいが渦巻いている。
「よーし、もう上げるよ。次、用意しとして」
そんな大声を立てていた女が、船長が寄って来るのを見て、その鍋のそばを離れた。船長のほうに来る。
下着なのかいちおうシャツなのか、オレンジ色の袖なしの服を着ている。
女は
「ちょっとやっといてね。すぐ戻るから」
と言って、船長をさっきの煎り蝦蛄の屋台の下に連れて行く。
船長が女に言う。
「何をやってるんだ?」
「干し
言って、ごまかすように笑う。
船長は顔をしかめる。女の服にそのむせるようなにおいが染みついていたからだろうか。
どうでもいいことのように女に訊く。
「密漁?」
「まあ、そうだけど」
と女はごまかし笑いを続けた。
「でも、いいじゃない? イギリス人は海鼠なんか
「おれに言うなって」
船長は軽く顔をそむけた。
「ともかく、見られてたぞ、密漁してるの」
女は
「だれに?」
「昨日入港したでっかい
「ああ」
女はあいまいに笑った。
「エンプレス・オブ・ジュンガリア号、かな」
「よく知ってるな」
船長がさらに女から目を
「まあいちおう警察官ですから」
女が人なつこそうに言う。
「密漁もやるけど、警察官」
言って笑う。
「でも、わかりゃしないでしょ? あそこが禁漁だなんてこと。客船の船客には」
「人魚がいる、だと」
船長がぼそっと言う。
「はいっ?」
女が目を丸くする。
「
船長は黙って答えない。
女は、ぷっ、と笑った。
「少女って歳じゃないでしょ?」
「そういう問題じゃない」
船長はたしなめるように言い返す。
「まさにその少女のお年頃のお嬢ちゃんが見てたんだと。フォールセット伯爵令嬢だそうだ」
「ふうん」
女は関心なさそうに言う。
「アワドの砂糖王だね。インドの」
関心はなさそうだが、知ってはいるらしい。
「つまり、その砂糖王の嬢ちゃんが無邪気にも人魚を見たって言いふらすと、だれかが、ここで女が泳いで密漁してるって気がつく、ってこと?」
「まあ、そういうことを思わせぶりに言って、あんたに圧力かけたいんだろう。ハーディング代理領事殿は」
「暇な人」
「そういうもんだよ」
船長の答えに、女は軽く肩をそびやかした。
「まあいいわ。やるけど。人魚のまねぐらい」
と女はさばさばと言う。
「昼間にやるといくらなんでもばれるから、夕方、日が暮れてから暗くなるまでね」
「まあ、その砂糖王のお嬢ちゃんの根性が夕方まで続くか、って問題はあるがな」
「ま、意地でも続けさせるでしょ。女の子ってそういうもんだ、って」
女は言って、ふふんと笑い、
「じゃ、わたしは、その準備をして来るから」
と、砂浜の鍋のほうに戻ろうとする。
その女に
「ああ、ガートルード!」
と後ろから船長が名まえで呼びかけた。
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