色彩戦争

珊瑚水瀬

色彩戦争

私には色がない。私の身体の表皮から骨の髄まですべてが透明な膜で覆われていて、自分がその膜から出ようとしても跳ね返されてしまうようなそんな気持ち。

 他者を見ると確かに色がある。どうやって生きているかが色に現れる。陽だまりのような黄色、空いっぱいに広がる鮮烈な青、地底を這いずり回ってきたマグマのような赤。しかし、私が素敵だと思って手を伸ばそうとすると、消えていってその人の中に戻っていく。

 私には色がないと気が付いたのは、ふと振り返ると人間でできたがれきの山の残骸を自分の後ろ側から覗いたときからだった。これまで屍の上を幾千もの間踏みつぶしてきた骸がころころと私周りに積みあがっていた。そうやって私は自分と言うものを確立していったから、沢山の残骸が怒りの目だけをこっちに向けて私を見ている。私はそれをただ無視することでしか自分の心を守る術を持っていなかった。


 従わなければ死ぬ。そうするしかなかったから。


 それが自分の意思ではなく他者の意思によって行われた残酷な人間の道具であったのだから。


道具には色はつかない。道具には意志を持たない。


 何度も口笛のようにそのフレーズだけを口ずさみながら、私はそこから自分で考えることをやめた。私と言う人間は初めから存在しなかったのだとそう言い聞かせることによってこの死体と一緒に眠り続けて、夜が明けると不安で飛びのく心臓に矢を突き刺し、戦場へと向かう準備を何度も何度も何度も繰り返して、そのうちただ戦勝した結果だけが残った。誉だけが自分の存在だというように勲章の首飾りを外せなくなった。

 これがなくなれば私と言う存在は本当になくなってしまう気がしたから。


戦争から帰って戻り得た世界は平和だった。

誰もが自分のために、誰かのためにぬるいながらも幸せな毎日を享受していた。

誰もあの日の血なまぐさい戦いの成果は、あの時の苦しさはまるで何もなかったかのように。

 傷ついた兵士達だけが、自分の枠からもう出られないかのように自らを規定して、線を引いて、私はこの世界と関与しないてでもいうように自分と言う存在を守っていた。

 街を歩くと人が色を付けているのを不思議に思った。それらの色を今まで見たことがなかった。正確には世界がカラフルに見えた。

 人に色があることを初めて知ったのだ。色づいた人間は、それぞれ自分の好きなことを探し突き詰め、生きているのを証明するかのようまた色を自分に塗りたくり、それを確固とした自分のものへと変えていく。その作業を行っている列に並んでみたりもしたが、私の番は待てども回ってくることはなかった。

 色のお店にもたくさん訪れた。しかし、だれもどの色を付ければ良いかわからなかったから、店中のものを引っ張り出した。どこの店の店主も首をかしげて、残念ながら、お嬢さんには売るものがない。とまで言わしめられた。


では、どうしたらこの絵の具が私に手にできるのか。どうしたらこの真っ白なキャンバスに何者かを描くことが出来るのか。


 私は、街を歩き回るにつれて、自分と言うものがすでに消滅しかかっているのではないかと恐怖を抱いて、ずっと巻いて離さなかった首の飾りに触れた。その時、生ぬるく酷く気持ち悪い感触に襲われた。血みどろの鉄据えた臭いが鼻を突いて、夏の蒸し暑さを示すようにカゲロウだけが私の周りを取り囲み、最後の助けは一向にやってくる気配もなく死を待つだけのあの最悪な季節。一瞬光が私を劈いたように脳に響き手を離した瞬間にそれは幻覚であったと気が付いた。

 その時、自分を縛っているものがこの首飾り自身で、この証こそが私が色がない原因なのではなかろうかと首を傾げた。

 ああ、そうだ。あの日の戦友たちの悲痛な泣き叫んだ姿を忘れられず、ずっと、あの日の記憶を頼りに生きてきたから、私はこの記憶に囚われたままなのであると。    しかし、それは外したくても、その戦果を忘れてしまう事は、私たちの死んで行った友人のことも忘れることになりそうだから、外すに外せなくなっていた。

 私はいつしか、それこそが私の色なのではないかと気が付いた。よく見たらこの色を身に着けているものは誰もいない。私は透明と言う色を色のあるものとは違い、ずっと持ち続けているのではないだろうかと。

 そうだ、私は色がないのではない。透明と言う一つの色の形態なのだと初めて理解に至った。それから、もっと透き通るように、世界にいるかいないのかわからないくらいの純度を高めて、私は私だけの色を作り上げようとした。

 友人からもらった、いくつもの……思い出は、私の色へと昇華させようと首飾りをそのまま口に運び、ごくりと飲み込んだ。すると、私の色は少し濁りを加えたが、やはり透明には変わりがなかった。そう、これこそが私の色であったのだから。

 私は、私を忘れていたかのように今までの過去を振り返った。道具として使われてきた人生は、私が拒否もできたのにそれを一身に受け止めてきたのは私の方であったのかもしれない。いやそうするしかなかった。しかし道具で甘んじていたのは確かに私の意思である。そうであるなら、我々は自然と敵対してもうしなくていいのだということを仲間に知らせなけれいけない。


 もう本当に戦争は終わったのだと。


 私はあの日の戦火からまだ帰ってきていなかったのだ。私はずっと戦火の中に生き続けて時計の針を進めることなくそれを守ることにしていたのだから。

まだ、しかし、私のように時計の針が進んでいない人が必ずいる。

他の人の時計を直してあげられるのは、何にでもなることが出来るまだ透明である私しかいない。

 そう思って歩き始めた道は誰も見たことがない大自然の中を駆け巡ることになりそうだが。それも悪くない。その日から私は自分の色を付けることをやめた。

 誰かの色を付けるために私は誰かにこの色を確かに付けることを始めよう。

 私と言う存在はこの透明な自分に色をつけることを終止符を打ち、鬱蒼とした森の中へと消えていった。


 

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色彩戦争 珊瑚水瀬 @sheme

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