6-3
コーニス照明のスタイリッシュな室内。
本革のひとり掛けソファに裸のまま座り、アリスティドは壁掛けのテレビを観ていた。
大きな画面は何分割かされ、生き残ったラミナからダイレクトに送信されてくるスカーラエビル周辺の映像を、それぞれ映し出している。
アリスティドはリモコンを操作し、ある映像を拡大した。
巨木が青白く燃えている様である。
青く発光する花が満開に咲き誇っているようでもある。
これを眺めながらやんわりアームレストに肘をつき、顎を支えた。
「見ろよ。〈アリスティドの火〉を操ってやがる」
ソファの後ろに控えていたエアロンが、訝しげに言う。
「アストルムシリーズにそんな性能が?」
アリスティドは口をムニュムニュさせて「ん~」と唸った。
そして、凄むように笑った。
「信太陽子め。〈魔法使い〉を混ぜたな」
黒い枝を掻き分け、あるいは払いながら、カペラは奥へと進んだ。
外部の明かりが届かないほど絡みあった枝のあいだを、青い火が巡りきらめき、黒い影がくるくる踊っている。
深い海の底にいるようだ。
瀕死の深海生物のごとく枝が蠢き、パキパキか細い音を立てて左右に分かれると、ほっそりした肢体が現れた。
アギトは力なく項垂れていた。
長い髪が表情を隠している。
抑揚のない恨めしげな声。
「私を燃やしても意味はない。私は本体から分離した株のひとつに過ぎない。ナヅキにはなんのダメージもない」
これを見上げ、カペラは閑かに訊いた。
「〈煤の王〉はどこだ」
「知っている者などいない。誰も知らないんだ」
アギトは顔を上げた。
黒銀色の髪がさらりと分かれ、白い鼻筋があわらになる。
髪に隠れて目元は見えないが、きっと美しい顔立ちをしているのだろう。
「なんのために〈煤の王〉をさがす?」
周囲の枝を軋ませ、身を乗り出す。
縋ろうとするように、両腕を掻きながら。
「殺すためか? なぜ? 人間のためか? 人間はおまえを不要と断じて廃棄しようとしたのに。ベガは銷失した。リゲルも銷失した。信太陽子は何も言わない。おまえを縛るものはもう何もない。おまえが人間のために動く理由はない。おまえは人間がいなくても、ひとりでも、生きていける。〈煤〉の中でだって生きることができるのだから」
アギトはカペラに向かって手を伸ばした。
その嫋やかな手で、カペラの頬を撫でる。
「〈煤の王〉を殺したがっているのはおまえじゃない。人間だ。そうだろ」
アギトの手に自分の手を重ね、カペラはもう一度訊いた。
「〈煤の王〉はどこだ」
アギトはにやりと笑った。
「おまえに〈煤の王〉は殺せない」
アギトの顔が、黒銀色の髪が、そして白い手が、青い火に呑まれていく。
端から崩れ、風が生まれ、〈煤〉がかき混ぜられ――
カペラだけがそこに立っていた。
細い枝が溶けるように崩れ、太い枝もぼろぼろ崩れていく。
巨木が徐々に崩壊し、〈煤〉が青白く燃えながら舞っている。
スピーカーを通して運転席から切羽詰まった報告が入った。
『大量の〈煤〉が降ってきます、ここは危険です、後退します!』
言うが早いか指揮車は急加速で移動を始めた。
宇野真希葉はそばのグリップを掴んで慣性に耐えた。
周辺をうろつくアクガレを轢かないように、右へ左へ、細かくハンドルが切られ、車内はほとんどシェイク状態だ。
エンジンの唸りと振動の中、エンゲルブレヒトは淡々と指示した。
「アイラス、本作戦中のベガの音声をすべて完全に削除だ。一バイトも残すな」
『確認しました。ベガの音声を削除します』
足を踏ん張りながら、宇野真希葉は黙っていた。
自分では止められないとわかっているからだ。
その代わりのように、エンゲルブレヒトを睨む。
「アイラスが覚えてなくても、私が覚えていますから」
エンゲルブレヒトは宇野真希葉を見つめ返した。
そして、首を傾けてククと喉を鳴した。
「アイラス、使者は使命を遂げた。認証ワードは〈アルケミラモリス〉」
『エンゲルブレヒトさん、確認しました。Bxパックを起動します』
宇野真希葉は瞬いた。「え?」
「我らは
『三、二、一、起動。お疲れ様でした』
オーダーメイドのスーツに包まれた胸のあたりから、白い業火が迸った。左の襟に付けられたウンブラ財団のピンバッジは一瞬にして融けた。二千度という高温は人間の肉など瞬時に沸騰させてしまう。エンゲルブレヒトを肉色の蒸気に変え、周囲の空気さえ焼き、精密機器をショートさせる。
一番近くにいた笹本は、エンゲルブレヒトとほとんど同時に焼却されて、悲鳴すらなかった。
今井は悲鳴を上げたが、一瞬で喉が焼かれてしまった。半端に焼かれた半身を庇うように椅子から転げ落ち、狭い床をのたうち回る。
宇野真希葉は本能と高温に圧されるように後退り、ほとんど無意識のうちに後部ドアを開けて、外に転がり出た。
炎を噴き上げながら走行する指揮車から、〈煤〉と亡者が満ちる世界へ。
「ダメなのだ。指揮車がなんも言わねーのだ」
「アリスティド放射光でウラグが燃えるとは聞いたことがないヨ」
「信太陽子はこれを狙ってアストルムを造出したのかなあ?」
「カペラのシュマリ器官はたしかにヘンだヨ」
「もしかしてベガも同じことができたのかなあ?」
「なんでなんも言わねーのだ、全員死んだのだ?」
尖兵型を殲滅した屋上で、千々岩、百々縄、九々庭は並んで立ち、わちゃわちゃ好き勝手しゃべっていた。
数十の尖兵型を銷失させたため、あたりには夥しい〈煤〉が立ちこめている。
百々縄が広い翼を丁寧に折り畳んだ。
「スカーラエビルを中心とした一帯は局地的に煤嵐のようになってるヨ。とても人間が耐えられる環境ではないヨ。巻きこまれたなら、身動きが取れなくなってるのかもヨ」
「もしかしてこれ我らが助けにいかないといけねーやつなのだ?」
千々岩はヤレヤレとかぶりを振り、イヤホンを外すと、指先でくしゃりと潰した。
「あーっ、激しい戦いの中で壊れてしまったのだ! そもそもサイズが合ってないのだ!」
イヤホンの残骸を、そのへんにぽいと投げ捨てる。
この状況下でBxパックを起動できる者などいない。
「なんの役にも立たなかったのだ。やっぱあんな小娘をチーフにしてるようではダメなのだ。SAKaUも使えねーのだ。何が対媒棲新生物・即応強襲部隊なのだ。即応も強襲もしてねーのだ」
左腕の長大な砲身がさらさらほどけ、縮小していく。
撤退のため身軽になりながら、千々岩は、もうひとつぼやいた。
「我らを信用しすぎなのも問題なのだ。我らが今ここで反旗を翻したらどうするつもりなのだ?」
九々庭が踊るように腕をふりふりさせる。「反旗翻しちゃう?」
「まだなのだ」
千々岩は顔を上げ、二千メートル先のスカーラエビルを見やった。
巨木が青く燃えながらゆっくりと崩れゆく。
「我らはまだ何も掴めていないのだ。我らは知る必要があるのだ。ウンブラのことを、そして〈魔法使い〉のことを」
スカーラエビルの屋上のふちに立ち、夜景を遠くに見る。
〈煤〉に煙る街の灯は、曇天の星空のようだ。
崩壊していくアギトのそばは、強烈な煤嵐の只中にいるのと変わらない。厖大な質量の解放と共に猛風が巻き起こり、大量の〈煤〉は瀑布のような激しい流れとなって、地上へ流れ落ちていた。
ごうごうと風が吠えつけても、頭の中の声ははっきり聞こえた。
(これからどうする?)
「〈煤の王〉を止める」
ああ、そうだな。
そう。
靴を取りにいかなければ。
グレーのスニーカーは安全な場所に隠してある。
あれを履いていかないと。
うん。
じゃあ、行こうか。
逆巻く〈煤〉の中、力強く頷く。
煤の王/toy soldier 42℃ @42do
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