幕間「無限回廊一〇〇層攻略・弐」
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迷宮都市中央区画にある住宅街。
官公庁や巨大企業の本社が拠点を持つ中央区画において、個人が不動産を保有する事は大きなステータスと見なされるものの、実のところ住居とするのに環境が良いとは言い難い。
迷宮区画ほどではないが公共交通機関は充実していないし、店舗も高級店ばかりで生活費は嵩む。大学以外の教育機関も少ないし、娯楽関連の店舗も多いとは言えない。みるくぷりんの存在は異彩を放っているが、それ以外の風俗店など数えるほどである。
中央とは呼ばれていても、それは発展する以前の迷宮都市があった場所というだけの名残であり、利便性や住環境、地価、提供される公共サービスなどを見ればあえてここに住む必要はないだろうという区画だ。
迷宮都市の運営上、公営機関や一定以上の規模を持つ企業はここに本拠を置かなければいけないという法律があるから廃れる事こそないが、よほどの理由がない限りは生活の拠点として候補に挙がる事はない。
技術局や情報局、労働者ギルドの本部などがあるため、手続きなどで訪れる事はあっても、日常的に足を運ぶ者……特に冒険者は少ないだろう。富豪のステータスとして物件を保有している者も、あくまで別邸というケースは多い。
「……この道で合ってるんだろうか」
そんな豪邸の立ち並ぶ中央区画住宅街を一人の男が歩いていた。
< 流星騎士団 >所属の冒険者ハウザー・ガゥラル。< アーク・セイバー >に比べてパーティメンバーの流動性が大きい< 流星騎士団 >においてははっきりとした肩書きにはならないが、リグレス率いる突撃部隊の副隊長に抜擢される事の多い冒険者だ。重装甲で前衛を張る正統派の< 騎士 >は突出する能力はなくとも全体としてハイレベルでまとまっており、前線を押し上げられる物理前衛・盾役として地味に評価の高い存在である。尚、関係者からは家名が発音し難いと評判だ。『ガ』なのか『グ』なのかはっきりしろと言われても、家名を付けたのは祖先であって自分ではない。
そんな彼が向かっているのは数少ない同郷の知人であり、現在< アーク・セイバー >に所属する冒険者、メーヴァー・ガレットの住居である。特に見栄っ張りでないメーヴァーが何故こんなところに住居を構えているかは知っていても、改めて面倒臭い地区だなと思わざるを得なかった。結構前から目的地は見えているのに辿り着けないのだ。
場所柄、豪邸が多いのは仕方ない事だろう。ここに限らず迷宮都市にはもっと大きい住宅はあるし、平均を見ても生産区画の住宅のほうが大きい。商業区画に乱立するマンションほどゴチャゴチャしてるわけでもない。
ハウザーを悩ませているのはこの区画特有の問題で、私道の多さだ。地価の高い敷地を有効活用しようとしているのは分かるが、限られた面積に私道が必要となるような豪邸が立ち並ぶ関係から、利用していい道の区別が付かない。先ほども間違って私道に踏み込んで使用人らしき女性に怒られてしまった。いっそ飛び越えていいのなら楽なのだが、こんな場所でそんな事ができるはずもない。
地図には公道しか載っていないからその道通りに進めば良かったのだが、なまじ近道になりそうな道に入ってしまったのが間違いだった。
そうして、目的地に辿り着いたのは三十分後だ。ハウザーは間違ってもこの地区に住宅は買わないと誓いながらインターフォンを押した。
『旦那様なら庭でご子息と遊んでますよ』
と使用人らしき女性に言われ、そのまま正門を通される。まさか中に入っても迷うなんて事はないだろうなと戦々恐々としたが、中は割とシンプルな構造だった。探すまでもなく、キャッチボールをしている親子の姿がある。
メーヴァーのほうも気付いたのか、キャッチボールを止めてハウザーに視線を向けた。
「よお、遅かったな」
「道が分かりづらい。ダンジョンか何かか、この地区は」
「ウチは特に奥のほうにあるからな。お前のところの副団長の実家は分かり易いんだが」
グロウェンティナ邸が分かり易いのは、立地もさる事ながら正門が公道に面しているのが大きい。この辺りに古くからある住宅は大抵そんな場所にあるのだ。こんな場所でも、内部では格差が存在するのかとハウザーは思ったが、この場合は道らしい道があとから造られたのだから当然とも言える。何せ、グロウェンティナ邸が建てられた頃は辺り一面荒野だったのだ。
キャッチボールをしていたメーヴァーの息子は挨拶だけすると自宅に戻っていき、その場には二人だけが残された。何度か会った事はあるので今更自己紹介もないという事だろう。
「まあ、高級住宅地とはいっても、不便な場所だよな。未だにもらったのを後悔してる」
「良く考えずにもらうお前が悪い」
そんな事を話しながら、二人はなんとなくキャッチボールを始めた。フォームはそれほど良くないのに超豪速球の応酬だ。
メーヴァーがこの住宅を手に入れたのは、とある個別ダンジョン攻略の初回攻略報酬である。当時子供が生まれる直前という事もあって住宅を買おうか新しく建てようか悩んでいたメーヴァーは、報酬の選択肢にあったこの邸宅にいい機会だと飛びついてしまったのだ。
中古ではあるが、高級住宅街のど真ん中に土地付き屋敷付き家具付き、なんなら使用人も継続して雇用してもいいという条件は破格だったのだ。この辺りの不動産を購入するのには審査が多く、特に外部からやってきた冒険者にはハードルが高いため、報酬でもなければ検討すらしないだろう。あと、無駄に維持費も高い。
実情としては、多数の汚職が発覚して迷宮都市を追放された実業家の自宅を処分したいという中央区画の思惑が大きかったりもする。邸宅自体は特に瑕疵はないが、空き家になった事情が事情だけに買い手が付かなかったのだ。
そんな経緯からか、屋敷には複数の隠し部屋がある事にメーヴァーは気付いていない。
「俺の職を考えるなら迷宮区画、利便性なら商業区画、環境なら生産区画だし、観光区画や実験区画以上にこの辺りに住むメリットってないんだよな。どこぞの本社勤務の幹部とかならいいかも知れんが」
「見栄を張る必要もないからな。……まあ、故郷にいた頃よりはマシだろう」
「違いない。それを言い出したら、迷宮都市のどこだろうがそうなんだが」
故郷のリガリティア帝国に比べたら、下手をすれば整備途中の龍世界のほうが住みやすい可能性すらある。
二人が特に貧民の出身というわけではない。むしろ、世襲家ではないものの帝国の騎士爵の家に生まれ、寄親がグレンやローランの実家である。次男、三男でも従士として道はあるのだから恵まれている環境だろう。
実家の邸宅だってそれなりに大きいし、今もそれは変わらない。しかし、水道がない、電気がない、風呂がない、交通手段は徒歩かせいぜい馬車、辺境に比べればマシだが飯もそれほど美味くない。各種魔道具で賄う事も可能ではあるが、それができるのはそれこそ大貴族だけである。迷宮都市の環境が桁違いなだけだが、そんなところに戻りたくはない。自分だけならともかく、家族もとなるとなおさらだ。もし、二人が故郷に錦を飾りに戻りたいなどと言い出したら、家族は泣いて止めるだろう。
名誉欲を満たすために帝国や王国の中枢に出向中の立花とか高橋という元冒険者もいるが、彼らだって命令でなければ迷宮都市から出たくなかったはずだ。
「大体、ウチの息子野球選手になるとか言ってるしな。帝国にそんな職業ねーよ」
「スポーツで生計立てられるのは確かにここだけだな」
ハウザーはグローブに収まったボールを見て言った。こんな人外の膂力があっても勝てるとは限らないのがスポーツだ。プロとして活動している選手たちは単純に尊敬できると思う。
下手をすれば、スポーツの概念すらないのが迷宮都市の外である。そういった文化は軍事に偏った帝国よりも、歴史の長い王国のほうが成熟しているだろうが、その王国でも迷宮都市から見ればどんぐりの背比べである。
スポーツ選手を職業とするにはあまりに基盤が貧弱過ぎる。迷宮都市でさえ補助金や賞金を含む大会開催費などの支援があってのスポーツ興行なのだから、単体で興行として成立していたという地球の文明性に驚くばかりだ。
「それで、懐かしの故郷談義しに来たわけじゃないだろ。地元の連中への申し訳なさで居た堪れなくなるからやめようぜ」
そんな事を気にするなら、いっそ親戚関係者一同引き取ってしまえばと思うかもしれないが、迷宮都市の制度上それは無理がある。
基本的に外から移住が許されるのは冒険者本人かその近親者で、人数も制限される。全員が冒険者になれるはずもないし、妻子以外で移住人数を増やすのには多大な功績が必要だ。加えて、移住者の責任は自分がとらないといけない。移住させた相手が迷宮都市で問題を起こせば自分の責任問題にも繋がり、最悪連座で追放されかねないのだ。
また、世襲でない騎士爵とはいえ、実質的には代を重ねている家を守らないわけにもいかない。当主になった半年後に怪我が原因で勇退した事にして迷宮都市へとやって来た元主のグレンだって、一応は次男を犠牲にして体裁を整えているのだ。
そういう問題が積み重なると、自然に自分と妻子だけが移住という形に落ち着いてしまうのも仕方ない事なのだろう。
「そうだな。そっちも用件は分かってると思うんだが」
「龍世界で何があったかについては、公表されている以上の事は話せないぞ。俺も良く分かってないし」
無量の貌攻略戦に参加した以上、それなりの情報提供はされているが、未だ正式に公表されていないような情報をバラ撒くつもりはなかった。
もし口で語ったところで、無量の貌の恐ろしさや悪辣さが伝えられる程度だ。あの戦いで得たものは言葉にできる類のものではない。そもそも無量の貌の詳細など、口にするだけでも虫酸が走る。
「もちろんそれも気になるが、俺としてはその結果何が起きたのかのほうが気になる。実体験している身だから言えるが、一発で裏四神突破は尋常ではない。お前だけならともかく、ここのところ目立った成績を上げているのはどいつもこいつもクーゲルシュライバー組だ。かといって、ウチの突撃隊長殿の変化も良く分からんときた」
先日、グレン率いる部隊は、たった一度の挑戦で裏四神を二体討伐している。その撃破に成功したパーティにメーヴァーも含まれているのだ。
情報がある程度出揃ってからの攻略とはいえ、とても信じられるものではなかった。何かしらタネがあると考えるのも仕方ないだろう。
「俺も出来過ぎとは思ったが、大部分はグレン隊長の功績じゃないか。部隊を動かす精度はともかく、あの戦況把握能力はちょっと追いつける気がしない」
それは、帝国で新兵として従軍した際に見た輝きに似ている。あの時に比べて比較しようがないほどに成長したはずなのに、差が縮まった気がしない。むしろ、離された気さえする。
「それは元々若……グレン殿の強みだろう」
「上手く言えないが、迷いがなくなった。失敗したら致命的な場面以外での戦況把握や指揮速度が上がってる。時間にしたら数秒にもならないが、それが如何に大きいかは分かるはずだ。代わりになんでもない失敗は増えたが、結果としては今のほうが遥かに動き易いな」
「それだけでアレほど変化があったと?」
「それだけかは分からないが、一因ではある。他にも色々あるんだろうが、上手くいき過ぎた事もあってその洗い出しに困ってるのが今の有様だ。反省材料が足りないんだよ」
失敗から学ぶつもりが、成功し過ぎてしまったのだ。他のクラン員が聞けば、何言っているんだこいつと言われかねない話である。
「挑戦期間の短縮機能を使わずにいるのはその洗い出しのためだと?」
「あーアレな……確かにそうなんだが」
第一〇〇層攻略の段になって突然追加された挑戦期間の短縮システム。迷宮都市のダンジョンは通常中六日空けないと再挑戦できない縛りがあるわけだが、このシステムを利用する事で第一〇〇層に限り短縮が可能だ。
第一エリアの攻略度が参照され、裏四神宮殿と中央宮殿一つあたり一日分短縮する事ができ、最短中一日で再挑戦が可能になる。この権利はそのダンジョン・アタックに挑戦した全員に与えられ、第一〇〇層攻略者限定ではあるが、他者への譲渡も可能である。
もちろん死亡によるレベルダウンのペナルティはあるし、消費したアイテムや装備の補充もある以上、膨大な資金やGPがある前提となるが、人員を絞れば挑戦回数を増やす事はできるのである。
しかし、帰還後にただ一度のアタックで急な躍進を見せたグレン組は、その短縮を行わなかったのだ。
「確信がない以上明言はできないが、グレン隊長はダンジョンマスターの罠じゃないかって言ってたな。俺は罠とまでとは思ってないが、それでもなんらかの意図は感じる」
一度あたりの攻略時間が短いのも、その疑惑に拍車をかけている。
確かに唐突ではあるし、違和感はあった。しかし、特別な層であるが故の救済処置にも見えてしまう。大部分の挑戦者はリソースの許す限りいくらでも挑戦してくれと言っているように感じられなくもない。
第一〇〇層の極悪っぷりを見るまでもなく、ダンジョンマスターの性格が悪いのは誰もが知っている事なのに、それが真っ当に見えてしまう。
「アレに関しては、どの道これまで存在しなかったものだからな。回数だけ増やしても結果が良くなるとも思えないし、隊長にしても様子見ってところだろう」
「……無駄だとでも?」
「得るものがある内ならアリだと思うが……いや、これに関しては本当に良く分からん。そういう懸念を持っているって事以外は忘れてくれ」
「それは構わんが」
ひょっとしたら焦っているのを見抜かれているのかもしれないと、メーヴァーは思い至り、口を噤んだ。大体、そういう心理戦を得意とするのがダンジョンマスターではないか。
そして、それが目論見通りなら< アーク・セイバー >と< 流星騎士団 >は見事に嵌ってしまっているのだろう。
「まったく……俺には、何をどうしたらそこまで変われるのか分からん」
ハウザーが話を切り替えたように聞こえるが、それは元々の本題だ。
「そんなに変わったように見えるか? 自覚は……ない事もないが、基本的には変わってないぞ」
「別人だ。こうして直接話してみて余計に強く感じる。しかし、どこが変わったのか分からん。微妙に不真面目なのは子供の頃からだしな」
「子供の頃から隊長と並んでクソ真面目だったハウザー君には適いませんな」
いろんな面が適当になったようにも見えるが、そうではないのだろう。ハウザーがふと思い至ったのは脱力感だろうか。余計な力が入っていないと言えば、近いのかもしれない。
「多分だが、別に何も変わってないんだろうな。俺も他の奴も、グレン隊長も」
「…………」
「変わったとすれば視点だろう。俺には、もう第一〇〇層がゴールには感じられない」
「それは……」
言葉に詰まった。第一〇〇層がゴールでない事など、ここに至った者なら誰でも認識している事だ。世間ではその先がないかもしれないなんて騒いではいるが、すでに先駆者はいるのだから間違いない。
「感じてないとは言わせない。俺もそうだったからな。グレン隊長なんて引退すら考えていたはずだ」
どこかでこれが区切りと思っていたのは確かなのだろう。自分だけではなく、多くの挑戦者にそういう意識はあるはずだ。そこに明確な線があると感じている。
「第一〇〇層に限らず、区切りの層ってのはそういう意識もあってハードルが上がってる面も大きいんだろうな」
「確かに否定はできんな」
当時は壁としか感じられなかったが、乗り越えて振り返ってみれば壁は壁でなくなっている。かつて流星騎士団が苦渋を味わった第七十五層もそうだったし、きっと一〇〇層も同じなのだろう。
「だから、俺が言えるのもそういう精神的な事だけで、参考になるかは微妙なところだ。直接のきっかけになった例の戦いを再現するのも無理があるしな」
ダンジョン攻略とは違う、死ねば死ぬ戦い。それ以上のものを失う戦い。あとのない、失敗の許されない戦い。それを乗り越えたからこその変化なのは分かる。
何故その場に居合わせなかったのかという歯痒い思いもあった。実際に体験した者が成長や実利を求めたわけでない事は分かっていても、どうしてもそう思ってしまう。
「……例の渡辺綱はどんな感じなんだ?」
「あー、そこ気にするよな」
先日の事件は、そもそもが全貌すら曖昧な情報だ。しかし、どういう形でかは分からなくとも、渡辺綱が中心人物であった事は公表されている。たかだか中級冒険者が、上級冒険者どころか亜神を含めた戦いの中で中心にいたというのだ。
そんな渡辺綱でないと倒せない存在がいた。それがどんな相手だったかは教えられていない。しかし、経緯から考えれば想像を絶する相手だろうとは想像が付く。今の自分たちでは勝てないのだろうと。
「何をやったのかは答えられんのだろうが、どんな人物かは答えられるだろう。まったく接触しなかったわけではあるまい」
「そりゃな。行きの便では話もしたし、例の戦いの中でも間接的ながらどんな指示があったのかも聞いてる。とはいえ……上手く表現できる気もしない」
「公開されている情報や人づてに聞いた話から、冒険者としてこの上なく優秀である事は分かる。冗談のように積み重ねられた実績は見えている能力以上にしか見えんが、それを含めて色々規格外な存在なんだろう。しかし、それ以上の何かがあるように思えてならない」
「実際に会ってみると普通だぞ。前世のせいか礼儀正しいし、人当たりもいい。多分、頭もいいんじゃないかな。だが、聞きたいのはそういった話じゃないよな」
「ああ」
ただ会って疑問が解消するなら会いに行けばいい。忙しいだろうが迷宮都市にはいるわけだし、特別な訪問理由がなくとも第一〇〇層挑戦者が話を聞きたいと言えば無下にはされないだろう。実際、中には訪ねた者もいるはずだ。
「例の事件を通して、俺が渡辺綱に抱いている印象は……怖い、だな。できれば近寄りたくない。未知の恐怖を感じる。人を惹き付ける魅力があるのは認めるが、それ以上に恐ろしい」
それはハウザーにとって意外な意見だった。ここまで誰に聞いても、そんな感想は返って来なかったのだ。
「アレは近くにいると自分の存在が変質しかねない影響力の渦だ。あいつだけじゃなく、巻き込まれた存在すべてが渦と化す災害みたいなものだな」
確固とした我を持っていないものが近づけば自分を見失い、何者でもなくなる。溺死して、自分が自分でなくなるというのは恐怖以外の何ものでもない。そんなところで泳ぎ切れるのは、似たような強者のみだ。
「お前たちはその渦に飲み込まれたと?」
「俺が受けた影響は些細なものだと思うがな。渦の中心部……今度設立するっていうクランのメンバーはみんなそんな感じなんだろうさ。参加してたメンバーに限ってもそんな感じだったし」
「そうなのか?」
「俺や他の上級冒険者が軒並み落ちるような作戦で、平然と生き残るような連中だ。あいつらの時点で十分怖いわ」
全員が参加したわけではない。作戦開始以前に簒奪された者もいた。しかし、少なくとも作戦に参加した者は全員生き残っている。無限回廊でも最前線に近いところで戦えるような連中に混ざってだ。メーヴァーはそれを目の前で見ているのだ。
しかも、摩耶に至っては新人が行うローテーション実習の際に面倒を見た事さえある。元を知っているだけに、現実を直視せざるを得ない。
「全員が全員やばいかは知らんが、気になるなら今度の新人戦で手を挙げてみたらどうだ? あそこの新人も出るはずだ」
「新人戦ってお前……去年、ウチの副団長がどれだけ叩かれたか知ってるだろ」
デビュー直後の新人相手にアーシェリア・グロウェンティナが立ちはだかったのは当時のメディアで随分叩かれた。ルール上禁止されていないとはいえ、対戦相手が中級冒険者からマッチングされるのが慣例な中で、彼女がやったのは新人潰しと言われても仕方ない行為なのだ。試合内容や積み重なった実績もあって下火にはなったものの、大人げない行為である事には変わりない。ダンジョンマスターからの依頼でやったとはいえ、本人もその点は否定していない。本人としては、試合後に聞いた同期の結婚報告のほうがショックだったらしいが。
「大体、今年からマッチングルール変わるらしいぞ。まだ詳細は出てないが」
「そうなのか。せっかくハウザーVSパンダとかが見れると思ったのにな」
「パンダか……そういえばあの三匹も同じクランだったか」
「中級昇格試験の規定も変わるし、やっぱりそういう時期なんだろうな。第一〇〇層攻略して、時代の波に乗りたいところだ」
迷宮都市に転換期が訪れているのを感じる。これで、第一〇〇層攻略まで加われば完璧だろう。
二人は口にはしないものの、その中に自分が名を連ねたいと真剣に考えつつ、キャッチボールを再開した。
-2-
金の毛を持つ虎獣人リグレスは一人、迷宮都市の街をぶらついていた。特に目的地があるわけではない。本当にただの散歩だ。ひたすら無心で訓練を続けていたら団長と副団長に追い出されたという経緯があるため、下手に戻る事もできない。
あの戦いのあと、自身に異常をきたしているという自覚はある。周りもそれが分かっていて指摘もされた。しかし、どうしようもないというのが本音だった。
この胸に渦巻く感情はかつて感じた事のないものだ。理解ができない。イライラする。つい雄叫びを上げそうになるほど己の獣性が刺激される。
無量の貌に簒奪された事。護るべき者を護れなかった事。認識阻害を受けて一人踊らされていた事。格下の猥褻物に罵倒され、負けた事。それらのどれもが原因だろう。しかし、原因が分かっても症状は分からない。自分の感情が理解できない。
帰還した際グレンに向けられた視線が思い出される。口には出さずとも、『お前は何をやっていた』と責めるような目だ。あまりに無様で目を逸らすほどに羞恥心を刺激された。勘違いという事はないだろう。
無限回廊第一〇〇層の攻略が進まないのは別にいい。クランとして、迷宮都市として、あるいはダンジョンマスターにとっては悲願なのだろうが、リグレス自身は元々そこまでこだわりはない。必要なのは前線に身を置き続けるという事なのだ。
成績を落としたわけではない。表面上だけなら十分に進歩したと言えるだろう。以前のままなら誰も気にする事はなかったはずだ。だが、その結果はどれも"劇的ではない"。
あんな体験をして、ほんのわずかばかり成長した、なんて事はあってはならない。停滞した現状に動けないでいるのは決して自分らしくはないのだ。猛虎リグレスは刺激的でなければいけない。
そうだ。リグレスらしさという芯が揺らいでいる。太く、固く、決して曲がる事のないはずの支柱が揺らいでいる。
あまりに意識と実態が噛み合わない。こんなはずではないのに、どうしようもない。本来在るべき理想が歪んでぼやけている。
何かできたつもりになっていたのがいけないのか。あんな危機的状況でただ救われるだけだった自分がいけないのか。やり直せるなら、今からでもあの外道の内部に殴り込み、戟を突き立ててやるというのに。そんな心の叫びですら情けないと思ってしまう。
俺は誰だ。金虎の英雄リグレスだ。誰がなんと言おうと真っ直ぐに突き進む< 流星騎士団 >の突撃隊長だ。……本当にそうだと言えるのか。自分に胸を張れるのか。こんな、性根からぐにゃぐにゃに曲がった虎が?
『……見ちゃいられねえな、おい』
本当に見れたものではない。猥褻物にすら馬鹿にされても仕方ないと理解できてしまう。なんて情けないのだ。
「……ん?」
ふと、自分の周りに誰もいない事に気付いた。確かここは中央区画の公園だ。いつの間にか地区を跨いで歩いていたようだが、こんな日の高い内から無人というのは有り得るのだろうか。
……いや違うな。こうしてちゃんと意識を向ければその理由は簡単に感じ取れた。何かがいる。
「いやいや、金虎の英雄殿が随分腑抜けたものだ」
正面から歩いてくる、ダークグレーのスーツに帽子の胡散臭い男。こいつが原因だろう。……見覚えは、ない。
「なんだ貴様は」
「おや、分からない。これはまた深刻な様子」
人を馬鹿にしたような……気持ちの悪い微笑みが一切崩れない。ある意味能面のような男だ。
こんな事を言っているが、少なくとも会った事はないはず。こんなプレッシャーを放つ存在など、忘れられるはずはない。これではまるで……。
「亜神か」
「亜神。まあ、カテゴリとしてはそうなりますね。あなたなら分かると思ったんですが……私、風獣神パロと言います。はじめまして」
次の瞬間、思わず全力で平伏していた。
「し、失礼しましたっ!?」
そうだ。この獣の本能に直接働きかけるような強大な存在感は、自分たちが崇めるべき獣神のものだ。いくら会った事がないとはいえ、それが分からないほどに腑抜けていたというのか。
「いえいえ、楽にして下さい。そもそもあなた、私の眷属じゃありませんし」
「い、いや、確かにそうですが……」
そういう問題ではないのだ。獣人にとって、獣神というだけで細胞レベルで平伏すべき存在なのだから。現に、体を起こそうとしても本能が拒否反応を示している。
本来なら正式な手順を踏んで謁見するのでさえ名誉な事なのに、こんなところで会うなど想定外というレベルではない。何が胡散臭いだ。
「行方不明だった相手にそこまで畏まれても困るんですが……じゃあ、そのままでいいんで聞いて下さい」
「はっ! なんなりと」
「刺激が欲しくはありませんか?」
「は……は?」
思わず返事をしてしまったが、意味が分からなかった。
「強制ってわけじゃないので断っても構いませんが、どうも近々の話を聞く限り利害が一致しそうだったのでね。……獣神の試練、受けてみる気は?」
「……と言われてもオ……私は炎虎様の眷属で……風獣神様の試練は」
本来、自分の主神以外の試練など与えられるはずもないし、加護を受け入れる素養もない。魔の大森林に住まう獣人とはそういうものだ。
猥褻物……いや、ガウルが複数の加護を受けているのも、相当な例外だったはずだ。アレは最初からそういう風に創られているからこそ多重の加護を受けられるのだ。
「私のじゃありません。……いや、私のも含んではいますが、おそらくは現在存在している獣神すべての試練になるはずです」
「……は?」
なんだその壮大な話は。獣人の歴史を紐解いても、試練を受けた上限は三だったはずだ。すべての試練など聞いた事もないし、想定もしない。
「知っての通り、先日世界の危機は解消されました。……ああ、情報の出どころは杵築氏なので、私が知っていても警戒する事はありません」
「け、警戒などと」
嘘だった。何せ、この風獣神、風貌だけ見れば怪しい事この上ないのである。しかし、ダンジョンマスターが情報源というのなら何もおかしな話はなかった。
ダンジョンマスター直の管理下でないとはいえ、獣神はこの星を守護するものだ。その星が危機にあったのだから、説明があるのは当然。ましてや、< 地殻穿道 >は獣神の本拠地である魔の大森林にある。
風獣神パロは長い事行方不明だったはずだが、獣神にそんな常識が通用するとも思えなかった。
「その余波といいますか……因果関係は不明なんですが、世界に歪みが生じているようです」
「はあ……」
「私が今回迷宮都市を訪れたのもそれが理由でしてね。冒険者諸君の手を借りたいのです。あなたにはその先頭に立ってもらいたい」
「あの……私や眷属の獣人だけならともかく、他の冒険者もとなると……」
「ああ、そちらは正式に依頼する事になるので気にする事はありません」
迷宮都市からの依頼となれば何も問題はないはずだ。第一〇〇層攻略に影響あるだろうが、どの道今のままではどこかで躓くのは明白である。
「調査対象は暗黒大陸中央部< 生命の樹 >。ですが、どうもキナ臭い。調査だけで終わらないと、私の勘が言っています」
「風獣神様の権能は確か……」
「《 予見 》です。先日の問題すら見れなかったような貧弱な権能ですが、ただごとではないと感じている。だから、十分に試練になるのではと思い至ったわけです。もちろん、ただの調査で済めば試練もなしですが」
さすがにそれはないだろうとリグレスは思う。パロ自身も自らの権能を疑ったりはしていない。どういう形になるのかは別としても、口にした以上、試練は発生するのだ。獣神の試練とはそういうものだからだ。
「私はあなたが何に悩んでいるのかは知りません。ですが、たとえ亜神になろうが加護が無駄になる事はない。試練そのものも、きっとあなたの背を押す力になるはずです」
「は、はい」
断る術などない。できるはずはない。そもそも、これは自分にとっても利のある話だ。遠征から帰ってきてすぐ遠征というのだって珍しい話ではない。
「し、しかし、迷宮都市を通して依頼するというなら、何故直々にオ……私を?」
「何故と言われても、今一番亜神に近い獣神の眷属はあなたでしょう?」
言われるまでもなくそうだった。だからこそ、自らの背で後輩を引っ張り上げようと奮起したのだ。そんな事も忘れていたというのか。
「《 予見 》であなたに関する何かを見たわけではない。こうして個別にお願いしに来たのも保険の意味合いが強い。ですが、正直なところ嫌な予感が拭えない。おそらくは苛烈な試練となるはずです」
「……望むところ」
フッと、風獣神パロが笑った気がした。
「よろしい。金虎の英雄リグレスよ、苦しみ、藻掻き、足掻きなさい。泥に塗れ、血に塗れなさい。その先にある栄光に手を伸ばすために」
それこそが獣神の眷属が魂に抱え持つ使命なのだ。
「ところで話は変わるんですが、転送施設?とやらに案内してもらえませんか? ちょっと同好の士に用事がありまして」
「……は? あの、地区がまったく違うんですが」
「人型の形態だとどうも方向が分からないもので。飛んだら怒られますし」
「は、はあ」
風獣神パロは方向音痴だった。
まさか、ここに現れたのは迷子になってたまたま目に入ったからというわけでは……いやいや、偉大な獣神様がそんなはずはないと、リグレスは思い直した。
-3-
ところ変わって、OTIクランハウス。
「というわけで、オーバースキルが使えたからどうこうって話ではないという事ですね」
「いや、それ以前に色々意味不明なんだが」
オーバースキルについて何かヒントがないかとパンダに案内されて渡辺綱を訪ねてみたら、ユキがオーバースキルを使っていた。しかも、解説役のディルクは平然としている。まるで、予定通りとでも言いそうな雰囲気だ。
いくら冒険者の最前線をひた走る剣刃でも理解などできない。
「意味不明とか、このクランではいつもの事ですし。なんでも理解しようとすると頭おかしくなりますよ」
「情報官のセリフじゃねえな」
「こっちにも色々あるんです」
そういうディルクの視線は遠くを向いていた。
種別を問わず、あらゆる情報を収集し、まとめて編纂し、分類、解析するのが迷宮都市情報局の仕事だ。局内部で部が分かれているように情報の詳細になる専門があるのは当然としても、その基本的なスタンスが変わる事はない。
ちなみにそこから形にするのが技術局の役割である。この二つの局は連携し、お互いに無茶振りして泥沼にはまり、時々上にいる局長から更なる無茶振りをされて職場がブラックに染まっていくのである。
その兼任局長の名はLC302-X5012。通称エルシィであり、本人はアンドロイドという事もあって膨大な仕事を捌いている。上がちゃんとやってるんだから下もやれという無茶振りが基本なのだ。できなかったら作業用ダンジョンに閉じ込められて缶詰が待っているとあって、局員たちも必死だ。健康管理だけはちゃんとされているのがまたタチの悪い話である。
尚、ディルクは年齢や立場を利用してブラック環境から逃げ回っている。いよいよとなったら『冒険者に専念するんで』と言って逃走する事を考えていた。現在頑張ってフラグ構築中である。
「実際、オーバースキルが使えたとしてもそれだけで第一〇〇層を突破できるなんて、剣刃さんも思っていないでしょ?」
「そりゃまそうだろうが……」
そんな単純なものであるはずはない。加えて、使えなくとも第一〇〇層に至っている者がいるのは知ったばかりだ。その先で挫折し、引退したのは確かだが、それは遥か先の層の話だ。つまり必須ではない。あくまで目安としてダンジョンマスターが試練を用意しているに過ぎないのだ。
そんな事を話していたら、訓練が終了したのかユキが控室に戻ってきた。
「何回か失敗したけど、上手くいって良かったー」
「それでもぶっつけ本番で決めるあたり、大したもんですよね」
「やってるこっちはヒヤヒヤもんだったけどね」
ユキとディルクは、剣刃の見ている前で先ほどのオーバースキルがぶっつけ本番で狙って行われたものという事を話し始める。ハイタッチでもしそうな勢いだ。
「ちょっと待て……いつも使ってるわけじゃなく、狙って発動したのか? ディルク、お前アレがいつもの流れみたいに解説してたじゃねーか」
「初めて発動しました」
「グレンさんの仕込みなんで」
「あの野郎……」
冗談の通じない生真面目が随分とお茶目になったもんだと、ニヤニヤしているだろうグレンを想像して張り倒したくなった。
「打ち合わせに来たグレンさんが『そろそろ剣刃あたりが来るだろうから』と」
「バレバレかよ。予知能力者か、あいつは」
「まあ、多数の材料から判断して予想したっていうのは確かでしょうね。そういうのは元々得意でしょうし」
役割上は確かにそうだが、確信を持って未来予知じみた事をするほどではなかったはずだ。失敗しても問題のない予想だからという事もあるのかもしれないが。
「それじゃ何か、わざわざ俺に見せるために、いつも使ってるわけじゃないオーバースキルをぶっつけ本番で成功させたって事か?」
「その通りです。……あ、ユキさん、そろそろ《 宣誓真言 》の揺り戻し来ると思うんで」
「あ、うん……って、うわ、気持ち悪っ!?」
ユキは突然吐きそうな顔をすると、そのまま部屋を出ていってしまった。剣刃は呆然とその姿を見送る。
「《 宣誓真言 》ってお前の切り札じゃなかったか? ダンマスも使えないとかいう」
< アーク・セイバー >でもほとんどの者は知らないが、一部の幹部とスカウトなら名前を見た事くらいはあるはずだ。
「良く知ってますね。今回はユキさんに使って、オーバースキルの発動条件を誤魔化しました。と言っても、下地ありきですから、ウチだとユキさんくらいしか該当しないんですけど」
渡辺綱は《 流水の断刀 》限定とはいえ素で使えるし、それ以外の人員は《 宣誓真言 》を使っても発動できない。観測器の力で一時的にとはいえ、その領域に踏み込んだ経験のあるユキだからこそできたのだ。
どうやって、と聞いて説明されても理解できそうにない。積み重なった疑問の根底が理解できていない以上、コレに突っ込むのは悪手だろうと剣刃は判断した。確認するなら順にだ。
「良く分からんが、とりあえずそっちはいい。問題は……」
「実はダンジョンマスターから指令が出てます。オーバーシステム周りの事に関して聞かれたら答えてもいいって話です」
「それはガルスの爺さんから聞いたが……オーバーシステム?」
「オーバースキルのツリー名です。まあ、会議室使っていいって話なんで移動しましょうか。隣ですけど」
「あ、ああ……」
ガルスとの話からずっと振り回されっぱなしである。剣刃はそろそろどうにでもなれと言いたくなってきた。
というわけで、場所は隣の部屋に移り会議室。ホワイトボードを使うためか、そこそこ広い部屋の片隅に陣取る事になった。
「それじゃ、順に解説していきましょうか」
「待て。その前に、なんでグレンが当たり前のように座ってやがるんだよ」
会議室に移動したら、そこにいる事が当然のようにグレンが座っていた。ディルクもわざわざその席近くに移動して開始しようとしているのだ。
「なんでって言われても……そもそもグレンさんの仕込みですし」
「そういう事だな」
「そういう事だな、じゃねーだろ!」
それはむしろダンジョンマスターがやるような行動だろう。間違ってもグレンのキャラではない。
「まあ落ち着け。茶でも入れてやろう」
困惑を隠せない剣刃を嗜めるように、グレンがそう言って席を立つ。向かう先は会議室付きの給湯室だ。
「お、おお。……いや、ここツナのクランハウスなんだが」
「ここ数日は打ち合わせで来てたんで、自分のカップや茶葉を持参してるみたいですね」
「何やってんだあいつ……」
普通なら歓待する側が出すものである。むしろ、呼ばれた側が用意するのは無礼ともいえるだろう。このクランに気にする者がいるとも思えないが自由過ぎる。
ちなみに、出された緑茶は普通の味だった。決していたずらで使われる摩耶汁などではない。
「それじゃ始めましょうか」
「……資料まで用意してあんのか」
気を取り直して、いざ話が始まるという段になって、目の前に冊子が用意された。意味不明な段取りの良さである。
「もう一度前提から話しますが、この件についてはダンジョンマスターから許可が出ている話です。第一〇〇層の挑戦権を持っている人であればこの資料を見せても構いません」
「持ち帰っても構わねえと?」
「取り扱い注意の対象ですが、問題ありません。ただし、説明するのはオーバーシステム周り……オーバースキルについて聞いてきた人だけに限定するのが条件です。もちろん、これに拘束力はありませんが」
第一〇〇層の鍵となるオーバースキル、少なくともそれについて調べようとしている者だけに公開するべきという事なのだろう。
「長い事冒険者やってて、こんな情報開示のされ方は初めてなんだが」
「それも一応事情があります。おそらく第一〇〇層の仕様について改定が入るはずなので、その関係ですね」
「は?」
突然の爆弾発言だった。ここまで半年かけて攻略してきたダンジョンの仕様が変わるなど冗談ではない。個別ダンジョンの仕様が変わる事は良くあるが、無限回廊に変更が入るなど聞いた事がなかった。
グレンを見ると、こちらも初耳という顔をしている。
「多分今挑戦している組が攻略したあとの話ですけどね。< アーク・セイバー >と< 流星騎士団 >、場合によっては< 月華 >もかもしれませんが、一段落つくまでは今のままのはずです」
「俺たちが気にする事じゃないと?」
「まあ、多分僕たちを対象にした仕様変更でしょう。間違いなく上方修正でしょうし」
「……それはご愁傷さまだな」
あそこから更に難易度が上がるのかと剣刃は気が遠くなった。今の仕様ですら、後発は難易度が激増する仕組みだというのに。むしろOTIが攻略したあとのほうがご愁傷さまなのかもしれないが。
自分たちは低レベルでいいと言われているようなものだが、どうしても気になるという場合はあとから再攻略してもいいだろう。同じ層を複数回攻略する事など良くある事なのだから。
そこからディルクによるオーバースキルの解説が始まった。あくまでもオーバースキルであって第一〇〇層の攻略情報ではないが、きっとこれも意味がある事なのだろう。
その情報はまとめてしまえば簡単だ。
・《 オーバースキル 》は《 オーバーシステム 》ツリーに属するスキルの名称かつ、オーバースキル発動の前提条件である。
・オーバースキルは既存のスキルが使用者ごとに異なる特性を持って発動するものである。そのため、名称を含めて同一のスキルにはならない。《 見様見真似 》などでの強制起動が可能かについては未確認。
・基本的にオーバースキルはアクションスキルでのみ発動する。しかし、一例のみ元となるスキルがパッシヴスキルであるにも拘らずオーバースキルとして発動させたケース有り。
・前提条件は上記の《 オーバースキル 》の習得、及び前提となるスキルがLv10である事。元となるスキル以外が前提となるケースもある。
・未確定だが、この前提スキルレベルはギフトも合算して判断されると思われる。加えて、《 偽装 》などで誤魔化す事も不可能ではない模様。
・固有のスキルレベルは持たない。ただし、ツリーや前提スキルの影響は受けている模様。
・《 オーバーシステム 》ツリーには魔術版である《 オーバーマジック 》やクラス特性の限界突破前提となる《 オーバークラス 》、ステータスの任意操作が可能となる《 オーバードライブ 》などが存在する。
「冊子にはこれまでで確認され、公開の許可がとれたオーバースキルの一覧が掲載されています。一部迷宮都市でフィルタリングしているもの以外は閲覧できるはずです」
「……大体見れるな」
そこには、歯抜けだが見た事のないスキル名がずらりと並んでいた。オーバースキルが既存スキルの発展型である以上、元スキルがあるのは理解していたが、想像以上に派生系があるようだ。
記述されている情報は通常のスキル名とそこから派生すると思われるオーバースキル名、その特徴。いくつかは前提条件となるスキルも記載されている。情報局に問い合わせようが絶対に出てこない情報だろう。
「当たり前ですが、これは参考情報です。オーバースキルは個人によって形が変わるので、剣刃さんが習得しても同じものにはならないでしょう」
「……使用者がツナなのに条件不明ってのはなんでだ?」
それは《 鬼神撃・腕断チ 》の解説だ。使っている本人がいるのに条件が分からない事などありえるのだろうか。
……そう考えつつ、あいつなら有り得そうだなと思い直す剣刃。
「渡辺さんの場合、多重に条件無視しているはずなので」
「多重に無視ときたか……」
何やらかしてもおかしくない存在ではあるが、そろそろ本気で理解不能だった。効果にしても、《 鬼腕特攻 》とか限定的過ぎて意味不明である。伝承通り茨木童子の腕でも切り落とすとでもいうのか。
「結局のところ、第一〇〇層の攻略にオーバースキルが必要になるというのは間違いです。表面だけ見ればそう捉えられなくもありませんが、オーバースキルは結果にしか過ぎません」
「攻略するために必要なんじゃなく、攻略できるくらい成長してれば自然と覚えるって事か」
「はい。先ほどユキさんが使ったスキルを見れば分かりますが、オーバースキルだからどうっていう話でもありませんしね」
「……そういや、結局アレはどんなスキルなんだ」
冊子の一覧にもない。
「アレは無理やり発動させただけの
「……まあいいけどよ」
ようするに、過剰な期待をするなというだけの演出なのだ。随分手が込んだ話ではあるが、タイミングが合ったというのもあるのだろう。
実際、アレを使えるユキが第一〇〇層を突破できるかと言えばそんなはずはない。圧倒的に地力が足りないはずだ。この場にいる誰も言及できないが、観測器状態であったとしても不可能だろう。
それはそれとして渡辺綱ならどうだと言い出せば、普通に考えて無理に決まっているが、何故か絶対に無理とは言い切れないという反応になってしまうのが怖いところなのだが。
-4-
「しかし、ガルス爺さんははっきりオーバースキルが鍵って言ってたんだがな」
「それはギルドマスター自身が把握できていないか、もしくは単に騙されたか……ですかね?」
「あのジジイ……」
許可が出ているとはいえ、やけに素直に喋ったと思ったらコレである。おそらく嘘は言っていないのだろうしオーバースキルだけが正解とも言ってない。あきらかな思考誘導だ。しかも、本人はすでに迷宮都市にいない。
聞かれたら説明しろ、ではなくあくまでも説明してもいいと言われてるだけなのだ。言っても良い事をすべて言わなかったからといって非難される謂われはないと本人も言うだろう。
「結局のところ、オーバースキルはただの結果。それができたからといって第一〇〇層を突破できるものではないから、地道に地力を上げて攻略しろって話になるわけか」
「いや、そうではないだろう」
剣刃の結論に対し口を出したのは、ここまでじっと話を聞いていたグレンだ。
「……鍵ではあるんだ。何かしらの形で己の殻を破る事を要求されている。その目安がオーバースキルで、第二エリアはそのために用意された負荷テストというわけだな。オーバーの名の通り、既存のシステムを超えてこいと言っている。それが第一〇一層以降に必要な事だからと。それが分かっただけでも上等だろう」
「……元々、人間を超えるための試練だもんな」
無限回廊の本質はそこにある。ダンジョンマスターが調整した試練は、それを分かりやすく、かつより厳しいものにしているだけだ。
「要するに今の剣刃さんのままでなく、殻を破ってスーパー剣刃になる必要があるというわけですね」
「テラワロスみたいに変身でもしろってか」
「実際、そういう形の超え方もあるでしょう。あのデュラハンの場合は関係なく変身してますから別の話ですが」
ユキの観測者モードもそんな感じではあるし、言及したくはないがサージェスの《 SPM 》も似たようなものだ。何せ、本人がスーパーサージェスと言っている。
また、スーパーになる必要もなく、元々人間の壁を突破しているガルスのような存在には不要な試練というわけだ。似たような超生物としてリアナーサ・エーデンフェルデという例もあるが、ディルクはその詳細を知らない。
「分かっちゃいたんだ。どう考えても今の俺たちは視野狭窄に陥ってる。視点を変える必要はあるってな。偶然にせよ、グレンの場合は上手く切り替えられたってわけだ」
「いや、上手くと言われてもな。……アレをもう一度やれと言われても御免なんだが」
無量の貌攻略戦で救出されたあとはともかく、そこに至る経過はほとんど自暴自棄で打った博打のようなものだったのだ。成功の確信などほとんどなかった。界龍に豪龍ごと隔離結界を張ってもらった上で簒奪され、外部からの救出を待つなど、博打とすら言えないかもしれない。
グレンとしても何もしないよりはマシと思っただけの事なのだ。しかし、そのわずかな違いが命運を分けた。
それで視点が切り替わった自覚はあるものの、今の時点で第一〇〇層を超えられる自信もなかった。剣刃たちには追いつけるかもしれないが、結局は第二エリアで足止めされるだろう。
それを超えるには自分に足りないものがある。それを理解しているだけでも随分違うのかもしれないとはグレンも考えているが。
「今必要なのは視点の変更。視野狭窄に陥った状態から脱却する事。言葉にすればなんて事ぁねえ話だが……」
ハードルは高い。自分だけではなく、他の全員ともなると更にだ。
幸い、それに必要な要素はある。すでにそれを成した者がいるのだから、それに続けばいい。そう剣刃は理解したが、グレン本人の前で口にしたくはなかった。
「あ、渡辺さんが帰って来たみたいですね。どうせなら色々話を聞いてみては?」
クランハウスの情報を見たのか、ディルクが言う。権限のない剣刃たちには見えないが、そういうイベントに対してアラームを鳴らすようなシステムもある。
「ああ、というか元々ツナに会いに来たわけだしな。誰かのせいで妙な事になってるが」
「ディルク君は人が悪いからな」
「お前だよっ!!」
分かっていてグレンは惚けて笑う。この反応も最近までは有り得ないと断言できるものだったはずだ。変化は大きいと剣刃は感じている。
「まあまあ、グレンさんなら間違っても悪ノリの代名詞のようなユキさんやダンジョンマスターのようにはなら……」
「グレンがそうなったら気持ち悪いってレベルじゃねーな……どうした?」
軽口を言っていたディルクの表情が固まる。
「いえ……入室許可? 誰かお客さんでも来たんですかね」
クランハウスの入室設定には色々あるが、大抵の場合はホワイトリスト制……登録した者のみに許可を出す仕組みを採用している。それに加えて万が一がないようにブラックリストも併用するのが一般的だ。
この場合、予め準備していなければ入室の際にその設定をする事になる。唐突なお客さんなどはそれに該当するだろう。今日の剣刃の場合もパンダが登録している。
「っ!?」
直後、唐突に感じるプレッシャー。それに対し、即座に三人が戦闘体勢に移行する。
「おい、なんだこりゃ。ツナは何を連れて来た?」
「分かりませんが……あれ? ……は?」
クランハウスのシステムからいち早く情報を得たらしいディルクは、有り得ないものを見たような表情を見せたまま、繰り返し情報を確認する。しかし、何度見てもそこに表示される名前は変わらない。
「ただいまー。面倒なお客さんが来たぞ。警戒しろー」
「失敬だな、渡辺綱」
戦闘体勢に移行するほどに警戒する三人をよそに、渡辺綱はお客を伴って緩い雰囲気で入室してきた。おそらくはここに三人がいるのを確認して来たのだろう。
「な……な……」
有り得ないものを見たディルクは完全にパニックだ。
「渡辺君……これは一体どういう事だ?」
「どうもこうも……会館からの帰り道に突然その辺から現れました。一応ダンマスには許可とってるらしいですが、多分不法侵入です」
一方、グレンはまだ冷静だったが、それでも気が気ではなかった。この場で一切状況が飲み込めていないのは剣刃だけだ。
「何、別に争いに来たというわけではない。未知の文明を歩いて見て回るのは考古学者のフィールドワークのようなものでな」
「だからって直接来るのかよ……自由過ぎるだろ」
常識知らずの代名詞のような渡辺綱でさえ、そのあまりに早い再会に困惑している。
「……悪い。俺にはどういう事だか分からんが、その男は知り合いなのか?」
自分たちだけで完結するなと、剣刃が一石を投じる。
「そちらは初対面だったな。失礼した。私はゲルギアル・ハシャ・フェリシエフ・ザルドゼルフ・アーマンデ・ルルシエス。君らが言うところの龍世界から来た考古学者だ」
緊張状態の中、その老人が自己紹介を始める。
それはディルクにとってあまりに良く知っている顔と名前だった。グレンは交戦経験こそないが、その脅威度も含めて情報は共有している。警戒するなというのは無理があるだろう。
認識としては一線級の要注意人物で間違いない。そんな存在が何をしに来たというのか。
「遊びに来た」
迷宮都市にこの上ない劇物が投下された。
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