幕間「無限回廊一〇〇層攻略」




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「それでは、五月度月初の情報交換会を開始致します。まずは各連絡事項から……」


 マイクを通した開始の声に、百人以上の冒険者が集まる大会議室の空気が引き締まる。

 この会議に参加している冒険者はそのほとんどがトップ冒険者であり、一部の補佐役や書記担当の事務員を除けば無限回廊第九十九層攻略者だ。

 そんな会議室に集まった面々の表情は暗く、空気は非常に重苦しい。間違ってこの会議室に足を踏み入れた者がいれば、超重力でも発生しているのではないかというほどのプレッシャーが生まれている。威嚇しているのではなく単に雰囲気だけでそんな場を作り出してしまうあたり、迷宮都市において最も亜神に近い面々の力量が窺えるというものだろう。尚、本人たちは特に何も感じていない。

 会議室中央には円卓があり、十余りの席には幹部級……クランマスターやサブマスター、部隊隊長級の冒険者が座している。司会進行役から半分に割って、向かって右側が< アーク・セイバー >、左側が< 流星騎士団 >の面々だ。円卓から離れた席もおおよそ各陣営の者に分かれている。

 会場の提供と司会者は両クランの持ち回りで、今回は会議室が< アーク・セイバー >、司会者は流星騎士団側……髪の色だけで淫乱呼ばわりされる姉妹の姉のほう、アネット・クローデである。


 この会議は毎月月初に行われている、無限回廊第一〇〇層攻略者向けの情報交換会である。定例会自体は頻繁に行われているが、そこで発生する情報格差や認識の齟齬を埋めるための全体会議という扱いだ。二クランの合同攻略が開始された翌月に実施して以降、毎月続けられている。

 この会議が多く開催されるほど攻略が滞っているという意味もあるので、長く続いていれば良いというものではないのだが、残念な事に終息の兆しは見えないままだ。会場の空気が重くなるのも仕方ないといえるだろう。


「次に、先月度で第九十九層を突破したメンバーの報告です。先月度の一パーティ六人から大幅に増加し二十一名、この内十一名はすでに第一〇〇層攻略への参加実績があり……」


 中央ディスプレイに表示される冒険者情報は、新たに第一〇〇層攻略の資格を得た両陣営の冒険者だ。ここまで毎月一桁……〇人だった月もある事を考えれば大幅増である。

 それだけ第九十九層の攻略情報が揃い、戦術が確立されてきたという事でもあるのだが、まだまだ安定した攻略は望めない。実際、攻略者が出たとしても挑戦者の八割が壊滅しているような状況ではお世辞にも安定とはいえないだろう。とはいえ、クランマスター、サブマスター級の者がほとんど第一〇〇層にかかり切りになっている状態での攻略は二大クランの底力を示していると言ってもいい。

 出席する権利を得たとはいえ、現時点での彼らは顔見せの意味が強い。第一〇〇層挑戦権を得たからといって未だ未攻略者の多い第九十九層を放置するわけにもいかない。もちろん第一〇〇層攻略隊に編成される可能性はあるし、情報共有は必須なのだが。


 この新たに増えた面々は、以前からここにいる者たちから見れば本来ライバルともいえる……のだが、それを憂慮するものはほとんどいない。単に頭数を増やせれば有利になるという時期は過ぎ去ってしまったが、戦力と可能性が増える事は喜ぶべき事であり、それによって自分の立場が危うくなる事もない。第一〇〇層攻略が見えてくれば名誉や立場などの要素が浮き上がってきて話が変わってくるかもしれないが、現時点では攻略情報を得る手段が増えるというだけでも大きなプラスなのだ。また、延々と続く地獄へようこそという歓迎だか同情だか分からない感情も多分にあった。

 円卓に座する< 流星騎士団 >突撃隊長リグレスが挑戦権を得た冒険者資料を見て何かに気付いたのか目を細めるが、口を開く事はない。騒がしい虎獣人は、ここのところ大人しいのである。


「次に第一〇〇層攻略情報について。参加者のほとんどには既知の情報ですが、細かい新情報もありますので一通り目を通して頂けるようお願い致します」


 そうして始まる本題とも呼べる攻略情報の共有。

 ここまで繰り返してきた第一〇〇層攻略戦で得られた各種情報を持ち帰り、吟味し、精査し、答え合わせのように実践して確認する。それはこれまでの攻略となんら変わりない試行錯誤である。特に深層に至ってからは必須に近い作業といえた。

 実際に攻略するのは情報を丸裸にしてからでも構わない。先駆者である以上、暗中に道を造るのは当然であるという認識だ。そうしないと自分さえ歩けないのだから仕方ない。

 互いをライバルとして見るなら隠すべき情報であるが、一時期の停滞以降はこうした攻略情報は外部に向けても積極的に公開している。こういった共同作戦でもなければ有料だし、クランの到達層やその他条件は付けているものの、準一線級のクランであれば容易に確認できる体制だ。これは、< アーク・セイバー >の方針が多く関わっている。似たような攻略層にいる< 流星騎士団 >も必然的に乗らざるを得ない。

 とはいえ、一〇〇層の情報を共有するのは現在攻略に取りかかっている二クランのみだ。攻略を完遂すれば公開されるだろうが、現時点においてはこの会議室でのみ確認できる最新情報という事になる。


 今回、ようやく出席できるようになった冒険者の一人が資料に目を通し、その顔を顰めた。その理由は直後の説明によって判明し、氷解する。


「第一〇〇層の攻略は特に強固な認識阻害がかけられています。メディアを通す際に加工される秘匿情報処理だけでなく、情報そのものを阻害する上位版のようです。特に第二エリアから見られるようになる■■■■■■■関連は一つ一つが個々にロックされています。解除の方法は色々推測されてますが、一番簡単なのは目視、あるいは影響下に入ってしまう事ですね。ただし、動画などでの確認は対象外のようです。新たに第一〇〇層に挑戦を始めた方は阻害されている情報も多く、資料が読めない状態になっているかもしれません」


 タネ明かしをすれば、■■■■■■■とは第一〇〇層の途中より保有個体が見られるようになるオーバースキルの事である。個々に強力な認識阻害がかかっているため、認識できない部分も人それぞれで違う。

 同一種でも差があるために確実ではないが、第一〇〇層に出現するモンスターはおおよそそういう奥の手を持っていると警戒すべきだろう。

 尚、ここに出席しているメンバーにオーバースキルの発動経験者は存在しない。円卓に座するクランマスターを含めてもだ。一部、事前に存在だけは知っていた者もいるが、それでさえ断片的な情報に過ぎない。

 今回より多く参加資格を得たクーゲルシュライバー組には実際に体験している者も多いが、詳細な情報は保有していないという状況である。調べても認識できないのだから既知の情報を探る事も意味はない。


( ようするに、一部のカオナシや涅槃寂静が使っていた正体不明のスキル群のようなものという事か。確かに認識できないモノが多かった )


 クーゲルシュライバーに参加していた冒険者の一人、メーヴァー・ガレットが考える。彼は特に役職などを持たず、第九十九層どころか九十八層攻略の目処も立たないために、人数合わせのような形で参加した< アーク・セイバー >所属者だ。グレンやリグレス、一部の格の問題で出さざるを得なかった者を除けば、龍世界行きの第一便に参加した参加者には彼のような者が多い。事実、自身でもその評価は妥当だろうと考えていた。

 ところが、何の皮肉か主戦場から離れた自分がこの会議に出席している。

 彼を含め、特に無量の貌攻略戦に参加した者はその身でオーバースキルを受けた経験者も多い。とはいえ、同じ括りではあってもオーバースキルはそれぞれが別物に等しく、そういうモノの存在を知っているという以上のアドバンテージには成り得ない。事前の心構えができる程度だろうし、これだけで他攻略者に優位が生まれるとも思っていない。あの戦いで得たものはそんなものではないのだから。

 思い至るのは、この第一〇〇層をはじめ、これからの層ではそういう奴らが無数にいるという事。その領域に立てていないのだから、あの戦いでろくに活躍できなかったのも当然。しかし、その縁には足を踏み入れたという事だ。つい数ヶ月前は第一〇〇層攻略という事でゴールのような気分でいたが、こんなものはただの通過点であって、先は長いのだ。

 あの腐れ外道はまだ遠いところにいる。アレを体験して折れなかった者は少なからず抱いている想いだ。


「未だ大部分に未探索領域が残されていますが、少なくとも第一エリアに関しては固定マップである事がほぼ確定しました。モンスターや罠の配置、特殊ゾーン設定などは再構成時に切り替わるようですが、構造自体は完全に固定されています」

「ダンマスや情報局への確認は?」


 < アーク・セイバー >の剣刃が問う。その疑問は以前から挙げられていたものだ。

 こういった冒険者ギルド向けに公開していない情報でも、閲覧資格さえあれば情報局は回答をくれる。基本的に有料で。


「公開条件をクリアしたのか、ちょうどこの会議に合わせて回答を得られました。推測していた通り、第一エリアの四ダンジョンは四神宮殿を模した裏・四神宮殿と呼ばれるマップであり、その構造は四神宮殿に準拠するものだそうです。完全ではありませんが、四神宮殿のマップも提供されています」


 四神の住まう四神宮殿、及び中央宮殿は一般公開されていない。足を踏み入れるだけでも許可を得る必要があり、内部を移動する際には案内人が付き、自由に歩き回る事もできない。だからそうでないかと思い至りはしても確信は持てなかったのだ。

 こうして不完全ながらも四神宮殿のマップが提供されたという事は、本物を探りに来るんじゃねーぞという警告なのだろう。強行した場合は最悪迷宮都市追放まで有り得るから誰もやらないだろうが。


「一応、焔理の奴にも確認したが、四神の巫女でも全体を把握してるわけじゃないらしいな。多分、あいつもこの提供マップと同じくらいの範囲しか知らねえだろう」


 事前に当たりを付けていた剣刃は、入団予定のある四神宮焔理に確認していた。回答としては、おそらく四神宮殿を模したものだろうが、そもそも自分でも全体の構造は知らないとの事だった。

 とはいえ、実物を許可なしに歩き回れる存在は貴重だ。話を聞く事で意外な事実が判明するかもしれない。


「そういや、アーシャはガキの頃から出入りしてたんじゃなかったか? 何か知らねえのか?」

「確かに行った事はあったけど。領主館ならともかく四神宮殿も中央宮殿も基本通り抜けるだけだし、知らないも同然ね」


 実を言えば、話を振られたアーシェリアのほうには未知の情報について心当たりがあった。この提供されたマップには昔侵入して怒られた< メイドの抜け道 >が記述されていない。裏四神宮殿のほうにもそれらしい場所は見つかっていない。

 とはいえ、子供だった頃に一度足を踏み入れた事があるというだけで、その実態は謎なままだ。今でも例の狸と狐が使っているはずなのだが……この場で口にするには不確定過ぎる。会議が終わったあとにでも、抜け道のようなものがあるかもしれないというくらいは誰かに伝えておこうとアーシェリアは考えていた。


「とりあえず、あそこが四神宮殿もどきってのは確定と。……ま、立地条件やボスが元ネタの四神っぽい連中って時点で見当は付いてたわけだが」

「そちらについても回答を頂きました。アレは能力制限をかけていない、最初に想定していた四神の姿だそうです。外見に共通点はありませんし、四神本人に確認してもここに配置されている事すら認識していなかったようですが」


 火神ノーグ、風神ティグレア、地神ヴォルダル、水神エルゼル。迷宮都市の運営に差配する彼らはダンジョンマスターによって創造された亜神だ。運営に不要という事で戦闘力は制限されているが、それはつまり制限する以前の状態が存在したという事である。無限回廊第一〇〇層、裏四神宮殿の各最奥部に鎮座するのは、たとえ姿が全然違ってもそんな本来の四神なのだ。

 抜けの目立つ資料でも、確実に攻略が必要とされるボスの情報はやはり多い。オーバースキルなどの情報は確認できない者も多いが、その能力のほとんどは丸裸にされている状態だ。

 しかし、裏四神は第九十九層まで突破してきた猛者でも容易に攻略する事はできない。四大元素という分かり易い弱点や耐性こそあるものの、他モンスターと比べても群を抜く属性レベル、耐性レベルを持つ彼らには、それだけで優位は確立できない。属性の基本とされる四大元素や五行相剋の関係も、スキルレベル差の前には無力なのである。

 現時点では対策を練って、最適な構成で挑んでようやく勝てるといった有様なのだから、お世辞にも勝率は高いとはいえない。しかも、それが四体ともなれば攻略成功率は地を這うような有様だ。もちろん倒せた場合でも無傷とはいかず、脱落者が出るのを織り込んでである。


「誰かがチビってたような昔ならともかく、今なら本物はどうにでもなる……が、こっちはな」

「オ前ハ……ナカナカ突破率ガ上ガランシナ」

「うるせえよ」


 クランマスター級で裏四神突破率トップのリハリトに言われては、剣刃もそう返すしかない。何せ、確率だけで言うのなら倍ほども開きがあるのだ。

 尚、これまでの戦績で裏四神を撃破した回数はリハリトがトップ、二位にエルミア、三位にローラン、四位にダダカが続く。その他は突破経験のあるなし程度しか語れない。ここにいないグレンに至っては突破経験すらなかった。偶然ではなく実力で突破しましたと言える者のほうが少ないのだから、大事な会議中に撃破数二位が寝てても文句は言えない。いつもの事という意見もあるが。

 とはいえ、脱落者前提、多分に運が絡むとはいえ突破は不可能ではない。これまでに何度も完全攻略はしている。問題は、裏四神宮殿はあくまで第一〇〇層にあって序盤も序盤という事。これだけの難易度を誇りながら、ただの入り口に過ぎないのだ。


「遠回りかもしれないけど、今後の事を考えると対四神戦は全員に体験はさせておきたいところだね。とはいえ、それぞれの裏四神宮殿を突破してボスまで辿り着くだけでも骨だからな……」

「最初に中央に突っ込めば見るだけなら見れるだろ」

「それは見たとは言わないと思うんですが」


 ローランの意見に対して剣刃が返した答えに会場の何人かが疑問を持つ。それは、主に第一〇〇層攻略経験のない者たちだ。それに司会役のアネットが地図を表示して補足を入れる。


「参加経験がないと分かりづらいかもしれませんが、実のところ裏・四神宮殿は構造上無視が可能です」


 第一〇〇層の開始位置は実物の四神宮殿でいうところの正面通りであり、各四神宮殿から始まるわけではない。似たような例を挙げるなら平安京の朱雀通り中央に当たる。

 つまり、中央宮殿を真正面に捉えた状態からスタートするわけで、行こうと思えばそのまま真っすぐ中央宮殿に向かう事もできなくはないのだ。通りにモンスターはいる上に門番もいるが、裏四神に比べれば安定して攻略できる相手である。

 問題は中央宮殿に入ったあとだ。そこにボスモンスターが控えているわけだが、裏四神宮殿を攻略していない場合、ここに裏四神も出現する。……一体でも突破困難な相手が同時に五体出現するのである。

 そこに控える本来のボス、モンスター名は確認できないので便宜上麒麟と呼称されるそれは、単体でも裏四神を上回る強さなのだ。そこに手下が四体加わっては手が付けられない。当然のように開幕直後に全滅する事になるだろう。鍛えられた冒険者なら、姿くらいは確認できるかもしれないというレベルである。

 尚、一番最初に第一〇〇層に偵察に入った部隊はこのルートで全滅している。四方の裏四神宮殿を先に攻略するというルートが判明するまでにも紆余曲折があったというわけだ。


「あの、質問いいスか? 資料の戦歴を見ると、合同攻略が始まる以前は人数を投入できるだけ投入して人海戦術で攻略してたみたいなのに、安定もしてない段階で人数を絞り始めた理由が書かれてないような……」


 今回会議初出席となる冒険者が質問する。それは、資料だけ読んだ場合に当然の如く感じる疑問だ。戦歴だけ見れば、攻略開始当初は挑戦権を持つ冒険者をすべて投入しているように見える。一部を除いて参加可能な者は参加しているような状態だ。実際、どちらのクランも最初に裏四神を突破した時は人海戦術に頼ったところが大きい。合同攻略が始まった直後もそのような傾向が見られる。

 しかし、年末あたり……今年に入ってからはかなり人数を絞ったメンバーで攻略に挑んでいる。攻略が安定したあとであれば情報収集などの目的で手を分ける事もあるが、今の段階でそうする必要はないように思えるのだ。


「あー、まだ未確定事項が絡むので。それを解説するために、おさらいも兼ねて第一〇〇層の基本設定から説明しましょう」


 無限回廊第一〇〇層に、それまでの層に見られるような人数制限は存在しない。確認できたわけではないが、おそらく千人だろうが一万人だろうが同時に攻略開始できるのだろう。

 これだけ見れば、どれだけ難易度が高かろうが、第九十九層までを突破してきた猛者ならば人海戦術で突破できない事もないように見える。しかし、当時から誰もが思っていた事だが、そんな単純な手が許されるはずはない。人海戦術で挑みながらも、この手段には致命的な問題があるのだろうと危機感を覚えていた。

 制限時間も問題ない。初期状態で三日、裏四神宮殿を一つ攻略するごとに二日追加という縛りは中層に比べても短いように感じられるが、そもそもそこまで攻略に時間がかかるような造りではない。また、中途半端な制限時間から、ここまでに時々見られたタイムアタック型の層でもないと判断された。

 装備やアイテムの制限もない。騎獣も召喚獣も問題なく使える。つまり制限らしい制限のない、久々に真っ当な仕様の層なのだ。だからこそ余計に嫌な予感を覚えるというのは、ここまで到達した者共通の感想である。良く訓練された冒険者は皆こんな感じである。

 ただ、攻略中の制限はいくつか存在する。

 まず、中央宮殿以外の裏四神宮殿は一人につきどれか一つにしか挑戦権がない。たとえば、水神宮殿に挑戦した者は他の宮殿に入れない。極端な話、一人で裏四神宮殿すべてを攻略する事はできない。つまり、選抜したメンバーを使い回す事ができないのである。最低でも裏四神宮殿を攻略できる部隊を別々に四つ編成しなければならないという事だ。

 もちろん直接中央宮殿に突入するつもりならその縛りはないものの、それは裏四神宮殿を攻略するよりも難易度が高いと判断された。現実問題、単体の麒麟を突破するだけでも博打に近いのだ。そこに裏四神が複数体追加されるというのは絶望と呼ぶしかない。


 無数の挑戦と情報収集によって、裏四神宮殿を突破する目算はついた。人海戦術で多大な犠牲を払った上での事ではあるが、すべての裏四神を撃破し宮殿を制圧する事に成功した。目も当てられない被害を受けたものの、中央宮殿の攻略にも成功している。流星騎士団が最初に麒麟を撃破した時など、生き残りがローランのみという悲惨な状況だったとはいえ、攻略自体は完遂しているのだ。

 実のところ、ここまでは< 流星騎士団 >が先行していた。この時点でお互いの進捗状況は把握していなかったが、< アーク・セイバー >よりも一手早い攻略だった。

 だが、これで第一〇〇層が終わりなはずはない。いくら壊滅必至の難易度だろうが、これだけで終わるならゴリ押しが可能という事になってしまう。途中にならそういう層があってもいいだろうが、区切りとなる……それこそ攻略する事自体に意味を持つ第一〇〇層にそんな甘えが許されるはずがない。そう不安を覚えつつ、ローランは中央宮殿の不可思議の門に相当する場所へと足を踏み入れたのだという。そこに待っていたのは、現実の中央宮殿にあるのとほぼ同じ転送ゲートだった。

 もちろん、そこで終わりではなく次があった。第二エリアだ。


「……あの時は本気で心が折れかかったね」


 生き残りは純後衛の自分だけ。満身創痍で継戦能力は皆無と言っていい。この層で出現する雑魚モンスターですらまともに仕留められなそうな貧弱な戦力だ。攻略が続くというのなら、今回は威力偵察のようなものにしかならない。だからこそ、そのすべてを目に焼き付けるつもりで先に進んだ。

 転移した先は闇に浮かぶ平らな台だ。それと同じものが見渡す限り無数に存在する。足を踏み外したらどこまで落ちていくか分からないが、台の間は移動不可能というほどの距離ではない。

 そして、そこに謎の光る球体が無数に浮かんでいた。最初はその数に意味があるとは思っていなかった。

 後に球体の数に意味を見出したのは< アーク・セイバー >のエルミアだ。睡眠中でなければ優秀なのは誰もが認めるところである。


「その時は何もできないまま終わったけど、何度か辿り着く事で法則は分かった。その球の数は、第一〇〇層の挑戦人数と同じなんだ。……それがすべてボスに変わる」


 ローランの独白じみた言葉に、何人かが息を飲むのが聞こえた。

 つまり、これが人数を厳選しないといけない仕組みという事だ。人海戦術でそこに辿り着いても同じ事をやり返されると。

 それはここにいるほとんどの者には周知の事実だが、聞く度に理不尽だと叫びたくなる話だ。


「変わるのはシャドウ……って言っていいのか分からないけれど、ランダムな模倣個体。模倣対象はおそらく第一〇〇層攻略達成者の当時の姿だ。具体的な名前を言っても認識阻害がかかるだけだけと、何十人ものダンジョンマスターを見た時点でどうしようもないと判断した」


 外見こそ凡庸でも、権力も腕力もまさしく天上人である。そんな存在がたくさん並んで襲いかかってくるなど悪夢でしかない。

 確認していない者には認識阻害がかかるが、正確に言うのならそこに出現する個体はダンジョンマスターになる直前の杵築新吾、那由他、アレイン、アルテリア、メイゼル、ガルス、エルシィ、ゴブタロウ、ヴェルナー、テラワロス、狐と狸のメイドコンビ、それら攻略達成者に加えて神話に残る亜神から再構築されたらしき偽神群。それらの中からある程度ランダムに、挑戦者の戦力傾向を加味した上で手強いと判断する個体が実体化する。

 たったそれだけの情報を掴むのに一体どれだけの労力を費やしたか。思い返したくもないほどに苦難の道だった。


「おまけに、そこで挑戦者側の誰かが死ぬと、その分敵側の人数が補充される。必然的に少数精鋭にせざるを得ないというわけさ」


 少数精鋭にしても限度はある。仕様上少なければ少ないほどいいが、中央宮殿を突破する戦力は必須になる。通常ルート……裏四神宮殿の攻略を考えるなら最低でも四人は必要だ。その上で、極力脱落者を出さずに第二エリアに突入しないと勝機はない。なにせ、そこで待っている相手は一対一で勝てる気がしない強者ばかりなのだから。


 この難関をどう突破するのか。合同攻略が始まり、第一エリア攻略が軌道に乗り始めた今でも光明は見えない。

 停滞とまではいかずとも、牛歩のような進捗具合に気力を持ち続けていられるのは、ここまでに味わった苦難があってこそだろう。

 ここがゴールでない事は上級冒険者なら百も承知だが、一つの区切りはつく。次の段階へと進める。だからこそ、ダンジョンマスターは先人の築き上げたものを乗り越えろと言っているのだ。


 そして、この仕様を知った者ならほとんどの者は思い至る。

 これは、攻略達成者が増えるほどに難易度の上がる極悪なシステムなのだと。




-2-




「つっても、問題はそれだけじゃないんだけどな。トライアンドエラーが通用しない相手っていうのは実に厄介だ。積み上げた情報が役に立たないんだからよ」


 ほとんどの人間が退出したあとの会議室で剣刃がぼやく。おそらく合っているが、影響を考えると軽々しく口にできない問題である。この場に残っている幹部級の者ならともかく、他の者はどう受け取るか分からない。


 剣刃が言っているのは、未だ攻略できていない第二エリアに出現するシャドウもどきの事だ。

 本来、訓練場などで用いられるシャドウは事前に設定された行動を組み合わせるだけの存在だ。元となった人格を基準として高度な再現行動をとりはするものの、その実良くできたAIという程度のものでしかない。

 また、彼らはHPを削り切れば消滅する、装備の特殊効果は限定的でアイテムの使用もしない。そういう戦術しかとらない。反面、モデルよりも反応が良かったりする事もあるが、基本的には劣化版にしかならないのだ。

 それを基準に考えるなら、第二エリアのアレはシャドウなどではない。もはや別の存在と言ってもいいだろう。それはもはや、新たに創り出された分身にも等しい。

 何せ、彼らは成長するのだ。スペック自体に変化はないといっても、挑めば挑むほどにこちらの手の内が暴かれて対処能力が上がっていくのは悪夢という他ない。アイテムを使えば装備も変わる。場合によっては騎獣すら出現する。シャドウならそんな仕様は有り得ない。

 おそらくだが、時間が経つほどに洗練される第一〇〇層攻略に適応せさるためのシステムなのだろう。


「しかも、連携プレイが上手い。ほとんどノータイムで最適行動をとってくるのは、自動思考の優位な面だな。思考速度で追いつけるのはそこで寝てる奴くらいじゃないのか?」


 ダダカが相変わらず寝続けるエルミアを指して言う。

 シャドウもどきは全体が一つの生命体であるかのように動く。誰がどんな能力を持ち、どんな戦術をとるか、完全に理解した上でそれを最大限活かそうと行動する。それはチーム戦に挑むパーティなどとは別次元の連携だ。

 模したのがすべて同一人物でない以上、長所短所の差はある。単純に考えて他人の欠点を戦術でフォローするのは容易でないのだが、それを可能としてしまう人材がいるのも問題だ。杵築新吾とアルテリアの異様なフォロー能力が連携を強固なものにしている事は挑戦した誰もが感じる事だろう。実際、汎用性が高いのか出現する事も多い。いつ挑戦してもダンジョンマスターの数は多いのである。超うざい。


「あいつら指揮いらねえしな。全員が阿吽の呼吸で動いてやがる。絶対あの狐と狸の本物はあんなに仲良くねーよ。そもそも、あいつらが亜神とか」


 それは完全に隠蔽されていた情報である。四神宮殿やダンジョンマスターなどの運営側に接触する機会があればまず会う事になるメイド二人だが、彼女らが第一〇〇層の攻略達成者などとは誰も聞いた事がなかった。

 普段はそんな素振りすら見せていない。ギルド職員のモンスター三体もそれに近いが、こちらについてはある程度認知されているのにだ。というか、誰も名前さえ知らなかった。


「一対一で勝てる相手ならいるんだがな。個々の能力は決して劣っているわけではない。問題は向こうの連携でそれを封じ込められているという事だ。後衛など絶対にワシらに近寄って来ない」


 手数だけなら当時のダンジョンマスターさえ上回っているはずだとダダカは自負している。しかし、それが活かせない。邪魔さえ入らなければ倒せる相手はいるのにだ。

 セオリーで考えるなら、最初に落としたいのは後衛タイプだ。那由他やエルシィ、ヴェルナーは放置するには危険過ぎる。しかし、確実に近付こうとすればカバーが入る。ほぼ唯一といっていい盾役のメイゼルに問答無用で止められる。

 もっとも、どれだけ反応が良かろうと予想のつく行動が大半な連中よりも、ダンジョンマスターやアルテリア、テラワロスのような何やってくるんだか予想できない相手のほうがやり辛いし危険だ。

 となると、戦力を集中させるのは純前衛なアレインとガルス、ゴブタロウあたりになるのだが、彼らは彼らで手に負えない。

 つまるところ、油断できる相手などいないのだ。ひょっとしたらシャドウ以外の偽神が実体化したほうが勝率が上がる可能性すらある。それはそれで裏四神と大差ない個体なので厄介なのだが。


 ここに幹部級が残っているのは、新しく増えたメンバーを考慮に入れてダンジョンアタックのチーム編成を検討するためである。

 焦点は、今回新たに加わった二十一人をどうするかだ。人海戦術をとっていた初期ならとりあえず全員連れて行くという事ができたが、今はそうもいかない。裏四神宮殿のどこに挑むか、その次の中央宮殿での構成を含めてほとんど詰将棋のような編成をしている今は再編成も一苦労である。下手に組み込めば裏四神宮殿の攻略ですら不安定化しかねないのだ。

 ならば現在予備戦力化している人員や今回の二十一人をまとめて放り込むといういうわけにもいかない。それでは戦力化にどれだけ時間がかかるか分からないのだ。第二エリアを想定するなら上手くハイローミックスさせて全体の底上げを行いたい。しかし、そこまでの余裕はないといった状況である。

 前向きに考えるなら、じっくりと腰を据えて挑むべきなのだろう。しかし足踏みのような現状で踏み切るには勇気のいる選択だ。何より、どうしても後続クランの影が気になる。


( でも一番気になるのは、渡辺さんたちのOTIと…… )


 漠然とした不安を抱える面々の中で、はっきりとそれを理解しているのはアネットだった。

 半ば無理やり第五十層を突破している今、追撃を気にするような場面ではない。常識的に考えるならそうだが、常識的に測っていい存在でないのは誰もが分かっている。クラン発足だけでもあと半年はかかる。年末までに追いついてくるのもさすがに無理があるだろう。

 しかし、一年先はもう分からない。当たり前のように最前線を張っている可能性すら有り得るとさえ感じてしまう。それをローランが看過できるはずもなかった。

 自分たちが死にもの狂いで切り開いてきた道を、舗装されているとはいえこんなわずかな時間で追いかけてくるかもしれない。そう考えさせる時点で恐ろしい。

 形のない不安を抱えたまま、本命である編成の話題よりも愚痴に近い言葉ばかりが出てくる幹部会議。それは……あるいは雑談に近いものだった。

 ほとんどは第二エリアに出現するボスの理不尽さへの文句である。下手に知ってるモデルがいるだけに、先達者に鬱憤が溜まっているのは間違いない。


「お前はなんかねえのか? 帰って来てから妙に大人しいが」

「…………」

「何もねえって事はねえよな。同じ帰還組がこうも揃って第九十九層突破してるんだからな」


 そんな中で一向に発言しようとしないリグレスに剣刃が話を振る。誰もが分かっていて突っ込まなかった事に踏み込んだ。


「……あまりに不甲斐ない真似をしたから反省してるだけだ。戦績は落としていないはずだが」

「そりゃま、そうだがよ」


 むしろ、戦績は格段に向上している。クランマスター同士が一緒の班になる事は少ないから直には見ていないが、評判も悪くない。安定性に欠けるという評価は上がっているが、それは元々だ。それはいいのだが、煩い虎が大人しくなると気持ちが悪いのである。そして、それ以上に、この状況に対する突破口があるのではないかと期待もしてしまうのだ。


「オレだって、猥褻物にああも虐められれば一時的に消沈くらいはする」

「……猥褻物?」


 何故かそこに反応したのはアーシェリアだった。返答はないが。

 何人かは猥褻物の正体に気付いてもいたが、特に内容に関係なさそうなのでスルーである。


「ヴェルナーも似たようなものらしいが、現在進行系であいつの影に踊らされてるから近寄りたくない」

「タチ悪いからな、あいつの戦い方」


 第二エリアに出てくる個体でタチ悪くないのはいないわけだが、ヴェルナーは上位に入るだろう。筆頭はもちろんダンマスだ。

 たとえば抜けない程度の壁役を残し、それ以外がヴェルナーだとする。そこにいるだけで多重の《 ヴァンパイア・テリトリー 》で全員が急速に消耗し、シャドウ側は吸収した魔力で回復を続ける。少し時間を与えれば、半ばミイラ状態と化した挑戦者たちの頭上から隙間のない《 真紅の血杭 》が降り注ぐわけだ。もちろんこんな単純な編成になる事はないが、それはそれ以上に厄介な編成という事でもある。

 こんな、誰もが思いつくような単純な構成ですら突破口が見つからない。現実は更に複雑だというのに。


「まあ、気にするなという事だ。しばらくすれば元に戻る。今だって、必要な事があれば口も出してるだろう」

「例の帰還組の躍進については?」

「それは本人に聞いたほうが良いだろう。想像はつくが理解はできん、何せオレは救出対象の側に過ぎんのだからな」


 というよりも、聞いてどうにかなるようなものではないのだ。どちらかといえば、これは個人の精神的な問題が大きい。あの状況で折れずにいたものは何かしら強い影響があっただろうとリグレスは思う。

 そして、おそらく何よりも強い影響を受けたのは……。




「ああ、やはり会議は終わってたか」


 半分愚痴な話し合いを続けていると、不意に会議室の扉が開いた。現れたのは龍世界から帰還した直後らしきグレンだった。

 今日帰るという連絡はあったものの、帰港時間が安定しないので席だけ用意していたような状況だったのだ。


「会議が終わったのはついさっきだが、さほど進展はねーぞ」


 細かい新情報は無数にあるが、全体としては進んだと言い難い。第二エリアを攻略するために、第一エリア攻略の体制を見直しているのはグレンが龍世界に行く前からなのだから。


「といっても、ほぼ三ヶ月分だからな。……アネット、資料もらえるか?」

「はい。持ち出し厳禁なので、ここで読んでもらう事になりますが」

「構わん」


 グレンは資料を受け取るとそのまま席に座り、読み始めた。しかし、剣刃は構う事なく話し始める。


「大使の仕事はもう終わりか? 随分大変な目に遭ったって聞いたが」

「大変な目には遭ったが、大使の仕事自体は恙無く完了したぞ。今後も冒険者向けの窓口は継続する事になりそうだが、向こうとのパイプが繋がっているのはむしろメリットだろう」


 龍がこちら側の無限回廊を攻略するという話は上がっている。その逆もあるが、どちらにせよその窓口役というのは大きな意味を持つ。

 ひょっとしたら即戦力の龍が< アーク・セイバー >に出向してくるなどという事も有り得るだろう。その分、面倒も多いだろうが。


「大変な事の詳細は?」

「聞いてるんじゃないのか? 当事者もそこにいるじゃないか」


 グレンの言う当事者とはリグレスの事だ。視線を向けたら目を逸らされたが、記憶を喪失しているわけではないはずだ。


「聞いても意味不明だった。つーかリグレスも他の奴もちゃんと理解してねえだろ」

「それは私だって同じだ。確か渡辺君がダンジョンマスターに直接報告しているはずだから、しばらくすればある程度は整理された情報が提示されるだろうさ」


 そう言うと、グレンはそのまま資料に目を落とした。

 その話は聞いている。しかし、詳細な情報は一向に回って来ない。資料をまとめるのに難航しているのか、それともあらゆる意味で表に出せない情報なのか。当事者でない者はおろか、当事者でも判断はつかない。




「……なるほど。やはり課題は第一エリアの人数だな。第二エリアのほうはどうなんだ?」


 しばらくして、資料を読み終えたグレンが話に加わる。


「第一エリアの人員見直しのため、挑戦回数自体が減っています。麒麟攻略時の損害状況を見て、生き残ってる責任者が判断するので」


 偵察する戦力にもならないようでは撤退するしかない。


「今月は結構資格者が増えたから、そいつらをどうするか今話しあっているところだ。まずは現場見せねえと始まらねえしな」

「ならその新人連中は私が預かろう。二十一人だったか? それだけいれば形にはなりそうだ」


 グレンの提案に、その場にいた全員が固まった。


「マジで言ってんのか? まだほとんど第一〇〇層の経験がねえ連中だぞ」

「私も四神撃破経験はないからな。似たもの同士、仲良く裏四神見学ツアーといこう」


 言ってみれば、それは攻略の底上げをするために捨て石になっているのと等しい。当たり前だが、第九十九層を攻略した直後の冒険者が戦力になるはずもない。

 普通ならば複数の部隊に分けて徐々に慣らしていくのがセオリーだろう。グレンが当面の目標とする裏四神撃破にとっても足枷にしかならない。

 三ヶ月のブランクに加えて四神撃破経験がないとはいえ、グレンの戦力は幹部級の中でも遜色ないものだ。普通ならば本命の攻略部隊のどれかに入ると考えるだろう。


「どちらにせよ、このまま第二エリアを突破できるとは思えん。何かしらのブレイクスルーは必要だ。なら、やっていない事に手を出すのもアリだろう?」


 グレンの視線がリグレスに向く。その目は、お前がいながら何をやっていたと責めているようでもあった。

 心当たりのあり過ぎる虎は睨む事さえできずに目を逸らす。


「まあ、案外そのまま攻略してしまったりしてな。私はともかく他の連中は勢いがあるから、もしもという事もあるぞ」


 いや、ねーよ。と誰もが思ったが、口を開く者はいなかった。


「それは冗談としてもだ。……この二十一人の中には見知った名前も多い。どう変わったか少し興味もあるしな」

「お前がいいなら構わんだろうが……」


 剣刃が他の参加者を見渡しても、反対意見はないようだった。どの道大した問題はないのだ。試しにやってみるだけでも経験にはなるだろう。


「実を言うと、少々焦ったほうがいいかもしれんしな。ちょうどここに来る直前にギルドのほうにも寄ったんだが、なかなかのニュースが飛び込んできたぞ」

「ニュース?」


 タイミング的に会議に出ていた面々は知り得ない情報なのだろう。


「リグレス……どうやら追いついて来たみたいだぞ」


 その極めて単純な言葉を受けて、名指しをされたリグレスの脳裏に様々な可能性が浮かび上がった。

 最初に浮かぶのは記憶に新しい渡辺綱やガウルたちの姿。しかし、いくらなんでも有り得ない。有り得ない事が有り得ない連中ではあるが、さすがにそれはない。

 他にも心当たりはある。わざわざリグレスに対して名指しで言う意味を持つ対象は少ない。しかし、渡辺綱たちほどではないにせよ、そちらも可能性としては考え難いのだ。

 何せ、彼らの攻略階層は未だ第九十五層なのだから。そこから一層攻略したとしてもニュースと呼べるものか……。


「一度のアタックで第九十五層、第九十六層、第九十七層の一括攻略。似たような事をやった流星騎士団なら、有り得ないとは言うまい。失敗したが、本当は第九十八層も攻略するつもりだったようだな。明言はしていないが、ひょっとしたら一度で追いつくつもりだったのかもしれない」

「……夜光」

「そうだ。ここにきて、< 月華 >が一気に追い上げてきた」


 まだ第九十八層、第九十九層は攻略されていない。しかし、それでもたった二層である。足踏みしている内に追いつかれかねない距離なのは間違いない。

 そして、それはこの共同攻略体制の継続にも関わる問題でもあるのだ。




-3-




 < 月華 >だけではない。他にも異様な躍進を続けるクランがいくつもあると気付いたのは、情報が出揃ってからだ。

 その形はクランによって異なる。< 月華 >ほどではなくとも攻略層を引き上げたクランや細かいレコードをいくつも更新したクラン、メインとなる層ではなく下部の人員が躍進したクラン、個人を見ればランク昇格者が異様に多い。獲得GPも前年度同月比で有り得ない数値を叩き出している。各ランキングの変動も大きい。

 それは全体として見れば調子いいやつがいるなという感想が出てくるくらいだろう。しかし、その調子いい奴のほとんどがクーゲルシュライバー組だと気付けば話は変わってくる。

 もっとも、躍進した者だけではなく調子を落として後退した者も多く、更には冒険者そのものを廃業する者もいた。どちらにせよ、大きな変化があったという意味では共通している。


 肝心のOTI……渡辺綱の周りでは特に動きは見られないのが不気味といえるが、本人にしてみればまともに動けない状況なので当たり前でもあった。



 道場中央にて立ち会う二人の間に火花が散る。常人の目では一切動いていないようにしか見えない両者の間では、無数の剣戟が繰り広げられていた。

 一方は居合いで剣速を叩き出す剣刃。一方は刀ではなく長剣二本を腰に佩いた老人……ガルスだ。

 傍目から見ると分かりづらいが、完全に遊ばれているような状況だ。


「真面目にやれやっ!! クソじじいっ!!」


 頭に血が昇った剣刃が距離を詰める。しかし、そんな状態の相手に遊んでいる側が本気を出すはずもなく、剣ではなく足払いの洗礼が待っていた。


「ぬあああっ!!」


 足が浮いた直後に無手による、無駄に派手な空中コンボが炸裂し、剣刃が轟沈した。その姿だけ見ればトップクランのクランマスターのものとは思えないものだ。なかなかに貴重な光景である。




「嫌じゃよ。お前弱いし。儂に挑むなら挑む力量付けてからにしろと言ったろうが」


 ガルスはそのまま倒れ込む剣刃の背中に腰を下ろす。剣刃がそのまま立ち上がろうと考えても何故か体が動かなかった。


「たまーにギルドマスター室で寛いでみたら強引に拉致られて、何やるんだろうかと期待してみれば、やる事が模擬戦というのは相変わらず芸のない。ネタには意外性を期待したいところだな」

「ネタじゃねーんだよっ!!」


 剣刃は真面目に今の状況を打破できないかと苦悩して行動に移したのだ。


「といっても、け……け……お前さんの腕じゃあな」

「爺さん、俺の名前覚えてねーだろ」

「女子の顔と名前に脳の容量を割いている故に、無用な情報は刻み込まん主義じゃ。辛うじて顔は覚えてるから、期待していたような気がする」


 あんまりといえばあんまりな話ではある。冒険者ギルドのマスターが、所属冒険者の中で上澄み中の上澄みの名前を覚えていないというのだ。


「それでなんだったか。本当に模擬戦だけのつもりかな? それなら儂、このまま帝国に出立するんじゃが」

「……帝国?」

「愛人の一人が死んだらしくてな。葬式に出んと」

「あんたの場合、いちいち葬式に出てたらキリねえだろうがっ!!」


 大陸に何人愛人いるのか分からないような老人なのだ。いちいち葬式に出てたら移動時間だけで何もできなくなりそうだ。迷宮都市製の移動手段を加味してもだ。


「ばっかっ!! お前、むざむざ新しい愛人作るチャンスを捨てるなどありえんじゃろ!」

「メインは葬式じゃなくてつまみ食いじゃねーかっ!?」


 自分の愛人の葬式に出てる関係者をつまみ食いするという極めて不謹慎な計画だ。


「大丈夫、儂、自分の血統には手を出さない主義。見分け、つく」

「最低過ぎる……」

「ガルス族血統ピラミッドの頂点に立つ男だからな。わざわざ自分の足元を歪にする事はあるまい。まあ、異母兄弟姉妹が知らずにくっつく事は良くあるあるじゃが、それは知らん」


 色々問題のある話だが、すでにそうなっている以上止めようもない。こんな状況になったのは剣刃の生まれる遥か以前の事なのだから。そもそも、直接関係のない問題だ。


「で、どうする? 一応ギルドマスターっちゅう立場もあるから、話があるなら聞いてやらんでもないぞ。このまま」

「ざけんなっ!!」


 次の瞬間、剣刃が猛烈な勢いで立ち上がった。ガルスはその勢いで空中に飛ばされ、そのまま着地し、座り込む。

 思い出せばなんて事のない、以前にも喰らった合気の一種だ。ダンジョンマスターから直接抜ける手段を伝授されている。体が動かないなら、真下に向けて魔力を放出すればわずかに体勢が崩れる。そうなれば普通に動けるという仕組みだ。


「ほほ、実はお前さんこれを喰らうのは初めてじゃないな?」

「マジで覚えてねえのかよ!」


 冗談なのか本気なのか掴み切れないのがこの老人の困ったところだ。そして、半分くらい本気な可能性があるのがまた困ったところだ。


「まったく……藁にも縋る思いで第一〇〇層攻略の糸口を探してるんだ。話聞いてくれるなら模擬戦を強要したりしねえよ」


 そう言って、剣刃はガルスの向かいに座り、胡座をかいた。


「第一〇〇層? ……おお、< アーク・セイバー >かっ! なんじゃ、お前剣刃ではないか。いや、もちろん覚えておったぞ」


 絶対忘れてたぞ、この爺さん。


「なるほど、追像の中に儂が混ざってたから、なんかヒントないか探りに来たっちゅうところか」

「追像っていうのがあのシャドウもどきの事ならそうだな」


 第一〇〇層で《 看破 》が通る相手は少ない。というよりも、挑戦者が持つ《 看破 》のスキルレベルが足りない。現在のところ《 看破 》が通るのは雑魚モンスターの一部、それも歯抜けのような情報ばかりだ。

 専門職がいれば話は別なのだろうが、第九十九層を突破した専門の鑑定士などいないというのが現状である。ボスモンスターに《 看破 》など論外で、下手をすればそれをトリガーにカウンターされかねない。

 もっとも、それは第一〇〇層に限った話ではなく、かなり前の層から正確な看破情報はないまま攻略しているのだが。


「それは分かるがなんで今頃なんじゃ? お前さんたちが第一〇〇層に踏み込んだのは去年末の話だろうに」

「ここに来てケツに火が付いてんだよ」

「それはまた見たくない絵面じゃの。女性陣ならまだ需要もあるだろうが。儂の曾孫とか」

「ケツを見せに来たわけじゃねえよ」


 火のついた臀部を見て性的に興奮するのはかなり高度な変態だろう。いないと言い切れないのが迷宮都市の困ったところだが。


「少しでも現状を打破できるきっかけが欲しいんだ」

「別に構わんぞ」

「虫の良い話ってのは分かってるが……あれ?」

「だから、アドバイス程度なら別に構わん。元々、第一〇〇層には強力な認識阻害がかかっとるからな。教えちゃマズい情報は勝手に遮断される」


 確かに第一〇〇層にはそれまでよりも強い認識阻害はかかってる。しかし、こうも簡単に許可が出るのは剣刃にとっても納得し難い話だった。


「自力で突破できるなら一番だが、あの層に限っては聞かれたら話をしてもいい事になっとる。ただ、今は少し事情が変わって、クーゲルシュライバーの第一便に乗ってた連中は駄目だと」

「グレンやリグレスたちは駄目って事か……理由を聞いても?」

「超存在に触れた事で認識阻害が外れてる可能性がある。新吾の権限は今以って第一〇〇層管理者のものに過ぎんからな」


 それはつまり、ダンジョンマスターの認識阻害さえ外れかねない何かを体験してきたという事だ。概要を聞く限り有り得ない事ではないと思うが、実際に対処するほどには問題視していると。

 実のところ、剣刃にも心当たりはあるのだ。


「ちなみに、あの時何があったかは儂も良く分からんぞ」

「爺さんはダンマスのほうに参加してたんじゃなかったか? つまり当事者だろ」

「参加はしてたが、予備戦力扱いだしな。というか、本戦力のはずのウチの孫でさえ部外者に近い。辛うじて巫女様は直接絡みがあったそうだが、儂などいつの間にか終わっていたという認識じゃ。物言いが気に食わん亜神は何柱かぶん殴ったが、魔の大森林に何泊かの旅行に行ったようなもんじゃ」

「まあ、知らねえのをわざわざ聞く気はないが」


 それならば、関係者に直接聞いている。そのルートからの情報提供も制限されているから、ダンジョンマスター発の公開待ちなのだ。


「なら本題だが、お前さんたちはどの程度まであそこの仕組みを把握しとるんだ?」

「裏四神宮殿は一人頭どれか一つしか挑戦できない。宮殿を制圧しないと中央宮殿に裏四神が追加で出現する。第二エリアでは挑戦者と同数のシャドウもどき……追像が、最適な編成で出現する。追像は第一〇〇層攻略達成者の当時の姿で、スペックは変わらないものの戦闘経験を積んで成長するっぽいってところだ」

「なかなか詳細まで掴めとるようで結構。つまり今は第二エリアに向けて人数調整の段階か」

「ああ、人海戦術で突破するとえらい目に遭うのは身を以て体験してるからな。といっても、生半可な人数じゃ裏四神宮殿も中央宮殿も突破できねえ」


 共同作戦を始めてからほとんどの期間はこの調整に費やされている。


「まあ、あんまり減らしても次で潰されるんじゃがな。人数調整は概ね正しい方向だ」

「……ちょっと待て。今、嫌な言葉が聞こえたんだが、マジで? 次あんのか?」

「ここは制限かかっとらんのか。マジじゃ。第一〇〇層は三エリア制になっとる」


 悪夢のような第二エリアの次がまだあると。懸念はしていたが、事実として突きつけられるとキツイ情報である。その時になって知るよりは心構えができる分マシかもしれないが、アレ以上何をさせるつもりだというのか。


「まあ、アドバイスをするとは言ったが、実のところ第一〇〇層に攻略の抜け道の類はない。トンチのような手で亜神化したところで、そんな奴は新吾もいらんだろう」

「そりゃそうなんだが、真っ向から馬鹿正直に挑み続けろって話なのかよ」

「その通り。しかし、お主らにはまだ決定的に足りんものがある。……足りんよな? 儂、まだ報告受けてねーし」

「なんの事か分からんが、足りねえものがあるのは分かる。それが覚悟とか忍耐力とか不屈の精神とか言われたら困るが」

「そんな抽象的な話ではない」


 おそらくは、年単位で取りかかるつもりなら今のままでも攻略はできるだろう。しかし、焦るなと言われても焦るのが今の状況なのだ。根本的なところから足りないと言われてもまっさらな状態から始めるような迂回は厳しい。

 時間をかけていたら本気で渡辺綱が追いついてくる。そんなのは格好悪いってレベルじゃない。


「お主らも肌で感じとってはいるだろうがな。……第二エリアは第三エリア突破のための負荷テストのようなものじゃ。必須じゃあないが、ある一つの要素を手に入れるために用意された舞台のようなもの。本人の資質によるところが大きいが、これがあるかどうかで第二エリア、ひいては第三エリアの攻略で命運が分かれるだろう」

「……やっぱりオーバースキルか」


 以前から存在は示唆されていたが、第一〇〇層になって突然モンスターが使い始める特殊なスキル群。今のところ、力負けする原因の多くを占めているのはコレだ。


「正解。無限回廊は仕様上半ば自律して進化するシステムといえるが、スキルもクラスも一種の型に嵌った状態といえる。MP操作を使って特性変更を行おうが、それは元々の特性強度を変更しているだけで、結局のところ型に嵌った状態から逸脱するわけではない。今お主らに求められているのは、そこから更に逸脱する事。それは型に嵌ったものを鋭利に研ぎ澄ませ、内側からその殻を破れるかどうか……いわば形のない自分の流派を作り上げるに等しい。自分にしか扱えない一人流派だがな」

「そのための負荷テストが第二エリア、という事は第三エリアはその試験ってところか」

「そうじゃ。とはいえ、土台が出来上がっている者は多くいる。あとは本人次第じゃろ。条件だけでいうなら、お主はすでに習得しててもおかしくないしな」

「俺が?」

「儂の見立てでは、一番近いのはダダカ、次いでお主とローラン、他もそこまで差があるわけではない。……まあ、中には前提条件すら無視して発動させてしまう意味不明な奴もおるようだが」

「あいつに関してはもう別枠の存在って考えたほうがいいんじゃねーかって思っている」


 渡辺綱がオーバースキルを体得しているのは、上層部であれば周知の事実だ。条件無視をしているのはおそらく《 因果の虜囚 》の効果なのだろうが、その時点で他者の参考にはならない。


「聞いていいのか分からんが、コツや心構えのようなものは……」

「知らん」

「……まあ、そうだよな。自分でなんとかしてこそって話か。ここまで教えてくれただけでも……」

「いや、そういう意味ではなく、単純に知らん。儂はオーバースキルなど使えんしな」


 ここまでの話がひっくり返るような情報が飛び出してきた。


「……あんた、第一〇〇層達成者だよな? それも、一般に知られてないとはいえ、最初の六人って呼ばれてる内の一人だろ。……いや、あんたの時は無限回廊は別の形だったとか、そういう事なのか?」

「それもあるがな。極端な話、儂には必要ないのよ。必要のない者には習得できないものでもあるし、そんなものに頼らずとも壁を突破できる奴はできるという事だ。もっとも、そのせいで儂は最初の六人から脱落した。脱落して尚必要と思えない時点で無理があると諦めた。特に必要でもないのにギルドマスターの席をケツで磨いてるのもそういう事じゃ」

「必要なくはねーだろ、サボんなよ」

「嫌じゃ、儂は自由に生きる」


 ここにいるのは、本来必要なものに頼らずに素のまま人間の壁を突破できる魔人であり、そうであるが故に取り残された敗残者なのだ。もし、当時の能力のまま剣刃たちと同じ立場に立っていても、同じように攻略してしまうだろう。

 殻を破らずに大空を飛べる雛鳥は、宇宙まで飛び出せずに留まった。つまり、ガルスもまた参考にならない特殊例という事である。本当の意味での規格外だ。

 そうして、ガルスはそのまま愛人の葬式へ……または新しい女漁りへと向かった。

 それを見送った剣刃は、実のところあの怪物ジジイは宇宙まで飛び出せなかったのではなく、人の生を謳歌するために自らの意志で留まったのかもしれないなと思っていた。


「……はっちゃけ過ぎだよな、あの爺さん」


 尚、謳歌し過ぎという意見はあとを絶たない。




-4-




「それで、次の藁に縋るべくここに来たと。そういう流れになるわけだな」

「いや、なんでお前がここにいるのか分かんねえんだが」


 存在自体が有害だが、有力な情報提供者であるガルスが旅立ったところで、次に剣刃がやってきたのは通称OTIのクランハウスだ。未だ発足してないために仮名称でしかないが、すでに仮登録はされているので間違いでもない。

 しかし、謎のパンダに案内されて会議室内に設置された簡易応接室で待っていたところ、現れたのは何故かグレンだった。一瞬、迎えに来たのかと勘違いしてしまった。


「次の便で来るらしい龍世界のお客人を饗すためのパンフレット作りの打ち合わせだな。そうしたら剣刃が現れたというので覗きに来た」

「お前そんなキャラだっけか」

「まあ、私もまだまだ成長期という事だ。老人と呼んで差し支えない年齢のサイガー殿やお前の師さえ成長期を謳っているのだから、何もおかしくはないな」

「おっさんたちの行動も理解不能に近いがな」


 四月下旬、唐突に挨拶に現れた師グワルは、新人のような行動力で、同じような行動力の同志を連れて龍世界へと旅立って行った。どうも、半年くらい帰って来ないつもりらしい。

 唐突にクランを辞めた者がそのメンバーの中に多く含まれていたので一時期問題になったのだが、嵐のような即断即決の展開だったためにどこのクランも対応できずに見送る事になったのだ。連絡手段の乏しい異世界に行ったのは苦情を封殺するためではという本末転倒な疑いもかけられている。参加者に知り合いの多い剣刃は、特に何も考えてねえんだろうなと思っていたが。あの手の輩は前しか見ないのだ。


「大体、お前新メンバー引き連れて調整しないといけない時期じゃねーのか」

「とりあえず玄武と青龍は攻略したからな。メンバーは今頃調整している最中だろう。私の出番はそのあとだな」


 あの日、明言せずとも半ば啖呵を切る形で新メンバーを引き取ったグレンは、その直後の攻略で裏四神の内二体の攻略に成功していた。層自体が未攻略のために動画などのデータはないが、ほぼ初見にも拘らず残る二つも四神までは辿り着いていたり、二拠点の攻略に失敗しているにも拘らず白虎、朱雀を引き連れた麒麟に吶喊したりと無謀な事をしていたりする。

 そこまで惜しいのならそのまま次の攻略に挑んで第一エリア突破を目指したくなるのが人の心だが、グレンは調整期間を設け、通常の中六日サイクルで次の攻略に挑むらしい。

 何故初見に等しい、未調整の人員でそこまで攻略できたのかについての回答は『特に変わった事はしていない』だ。ますます異世界に何があったのか気になるというものだろう。

 それに、グレンは《 看破 》が効かないはずのボスの名前を明言していた。名前自体は想像のつくものではあったが、ガルスの懸念を裏付けるものかもしれない。


「まあ、放っておいても大丈夫そうなお前はいい。打ち合わせって事はツナはいるって事でいいのか?」

「いや、私の打ち合わせの相手は龍人三人だ。渡辺君はクランマスター講習でギルド会館のはずだが」

「じゃあ、なんで俺はここに案内されたんだよ」

「それを私に聞かれても困るのだが」


 あの受付をやっていたパンダはなんなのか。ちゃんと渡辺綱に会いに来たと言ったはずなのに。言葉が通じると思っていた時点でおかしいといえばおかしいのかもしれないが。


「まあ、せっかく来たんだから、ここの訓練でも見学していったらどうだ? 最新式のシミュレーターらしいぞ」

「……そうするか」


 なんでクラン設立もしてねえのに最新式が設置されているのか疑問だが、何かの報酬とかそういう事なのだろうと剣刃は飲み込んだ。自分たちでも良くある事だし、受付パンダの対応に比べれば些細な事である。




 そうして、他所のクランハウスであるにも拘らずグレンの案内でシミュレータールームへとやって来た剣刃。

 グレンはさっさと打ち合わせに戻ってしまったが、そこで待っていたのは真新しいシミュレーター施設と、ディルクだった。


「どうも剣刃さん、お久しぶりです」

「よお、ウチに見学に来て以来だったか? ダダカの奴からここに入るって聞いた時はビビったが、言われてみればありそうだよな」

「そうですね。多分正解でした」


 実際、ディルクがいなければあの特異点は成立せず、この星は崩壊していただろうから、結果論で言えば唯一の正解ともいえるだろう。


「しかし、ここの受付はどうなってんだ。ツナに会いに来たって言ったのに、不在とか関係なしにそこの応接室に通されたぞ」

「受付? そんなのはいませんが……ああ、マネージャー」

「いや、パンダだった」


 パンダのギルド職員はいないはずなので、アレは必然的にマネージャーではないという事になる。


「たまたま通りがかったパンダに遊ばれたんじゃないですか? どのパンダです?」

「どのって……」


 そんなにいるのかよと言いたいが、この様子だといるんだろうなと思い至る。しかし、剣刃にはパンダの見分けなどつかなかった。第十層ボスの最強格であるビッグ・ボスくらい違えば見分けられるだろうが。


「まあ、考えても仕方なさそうだからパンダはいい。……さっきグレンに、せっかくだから訓練見学していったらどうだって言われて来たんだが」

「ええ、聞いてます。僕が解説役をします」

「お前ら、そんな解説が必要な訓練してんのか?」

「それほどでもないですが、それ以外にも色々あるじゃないですか。……無限回廊第一〇〇層の攻略についてとか」

「……そういや、てめえは情報局にも所属してたんだったな」


 目の前の少年は冒険者以前に迷宮都市情報局の情報官なのだ。本来なら中級冒険者が知り得ない情報も知っている。ある意味、ツナに聞くよりもオーバースキルについて詳しい可能性すらある。


「それじゃまず本題の訓練からですね」

「そっちが本題なのか」

「そりゃそうですよ。第一〇〇層の話はウチに直接関係ないですし。所属しているのはほとんど中級で、クラマスの最高到達層は第五十一層ですよ」

「お前らをそんな表面上の情報で見ていいはずはねえんだが、確かにそうだな」


 実力的にも迷宮都市のルール的にも普通ならまだまだ駆け出しと言っていい肩書きなのだ。それはそれとして、いつの間にか追いつかれてそうなイメージは拭えないが。


「まず、シミュレーターの説明からですね。ウチで使ってるのは複数体のシャドウを実体化できる最新式のテスト版です。元々遠征のボーナスって名目で最新版設置してもらったんですが、今のは更に新しいやつですね」

「あー、技術局に体験スペースあるやつか。シャドウを含めたチーム戦ができるとかいう」

「結構バグもあるみたいなんですが、訓練用としては問題ないという事で使わせてもらってます。レポート提出の手間も大した事ないですし」


 冒険者ギルドにもない本当のテスト機だ。もちろん< アーク・セイバー >でも保有していない。


「……追像と似たようなスペックだったりしないよな?」

「まさか。アレは第一〇〇層に儀式魔術の陣を組んであるからできるのであって、シミュレーターでどうこうっていうのは無理でしょう」


 こうして恐る恐る出した第一〇〇層の情報に普通に返答してくるあたり、情報官の立場というものが理解できるというものだ。


「ただ、これは使う度にリアルタイムで使用者の情報が蓄積されていくので、その点は近いかもしれません。あくまでAIの範疇ですが、その点も従来品より高度ですし。現在の普及版は、シャドウの設定更新するのにいちいち専用の処理が必要なんで面倒なんですよね」

「そりゃ楽だな」


 普通の冒険者はそんな度々更新が必要になるほど強さが変わったりはしないのだが、剣刃をはじめトップ冒険者も同類のようなものなのでツッコミは入らなかった。戦闘の中で成長する怪物がデフォなのだ。


「今使ってるのはユキさんで、パートナーシャドウに摩耶さん、対戦者側にティリアさんとガウルさんのシャドウというチーム戦になってます、最終的には六対六まで想定しているらしいですが、まだ三対三が限界らしいですね」

「いいな、ウチにも欲しい」

「技術局の窓口は紹介できますよ。そこからの交渉は大変でしょうけど」


 なんのために来たのだか忘れそうだが、目の前のシミュレーターは普通に欲しかった。


「現在、ウチではクラン内のランク戦という事で、一対一から三対三までの組み合わせの勝敗表をつけるようになってます。純後衛でもチーム戦なら自分の立ち位置を活かせるというわけですね。負けず嫌いが多いので、なかなか白熱していますよ」

「お前やツナはどれくらいの位置なんだ?」

「僕とセラと渡辺さんはまだ諸事情で未参戦。あと、ベレンヴァールさんと龍人の三人もエラーでシャドウ登録ができないためにこちらも未参戦です。今参加している中だとやはりガルドさんがトップですね。チーム戦なら水凪さんも強いですし、やはりレベル差は馬鹿にならない」


 ガルドと水凪は全体で見てもレベルが離れているので当然といえば当然である。見せられた顔写真付き対戦成績表を見ると、そのレベル差を覆しているケースがあるあたり、渡辺綱の同類だなと剣刃は思っていた。パンダでさえ結構勝ちを拾っている。


「……なんでランキング下のほうの奴の顔写真は目線入ったり加工されてたりするんだ?」

「ユキさんが伝統と言い出して押し切られました」


 剣刃には心当たりがあったが、関連性を考えたくなかった。< アーク・セイバー >には今でもその名残が残っているのだ。


「そんなわけで、ウチはこういう業界最先端の訓練を行っているわけです。もちろん地味な訓練もたくさんありますし、ギルドの公開訓練も受けてますが」

「俺たちが< ウォー・アームズ >にいた頃は模擬戦ばっかりやってた記憶があるんだがな。時代が違うっていうか、お前らにコネが多いだけか」

「僕の伝手は確かに関係あるでしょうね。あとはラディーネ先生とか。一番大きいのはダンジョンマスターの伝手ですけど」

「その伝手は普通のクランなら持ってねえな」


 こうして考えると、ダンジョンマスターに迷宮都市運営関係者、冒険者学校や大学などの教育機関、情報局に技術局、龍世界とも繋がりがあり、< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >のようなトップクランにも顔が利くというあきらかに規模や歴史にそぐわない部分が見えてくる。決して額面通りに見てはいけないクラン筆頭だろう。

 剣刃が、『あれ、ひょっとしたらウチより伝手多くね』と考えてしまうのも仕方ないと言えよう。あえていうなら、企業関連が弱いだろうか。


「そういや、ユキはなんか見慣れない武器使ってんな。ありゃ小太刀か?」

「ええ、最近使い始めたそうです。例の件の報酬扱いでダンジョンマスターからもらったらしくて、元は< 膝丸 >らしいですよ」

「ツナとユキで兄弟刀使ってんのか。ダンマスの趣味だな」

「もらった経緯は良く分からないですけど」


 特に適性がないっぽい刀をユキが使うのは意外に感じるが、ダンマスが合わせて用意したというなら理解できなくもない。小太刀なら小剣扱いで使う事も無理ではないだろう。


「いやー、ユキさん強いんですよね。最近色々覚えたらしくて、相手の懐に飛び込んでからラッシュかけられたら手も足も出なさそうなんですよ。参戦した時のために研究してるんですが、対策がちょっと思いつかない」

「あの手のタイプは近づかせないのがセオリーだが……無理っぽいな」

「ですよねー」


 ユキは開いた距離を詰める方法をいくつも持っている。小手にはアンカーショットが仕込まれ、サブウエポンとして装備した縄や鞭を移動用に使いもする。そもそも移動用のスキルが豊富で、今回は使っていないがホバーボードも自在に操るのだ。ディルクとしては何故自在に操れるのか分からないホバーボードが一番怖いと思っていた。


「最近では平気で< クリア・ハンド >を足場にしたりしますからね。注意してないと、空中でいきなり軌道が変わったりします」

「ああ……やってんな」


 画面の向こうでは今まさに< クリア・ハンド >を利用したトリッキーな動きでシャドウとの距離をゼロにしていた。こうして見ると不気味極まりない戦闘である。


「そして距離がなくなれば独壇場。《 死線を縫う猟人 》のせいでゼロレンジの攻撃も避けられますし、《 瞬の間隙 》で隙も見逃さないと。その癖、絶妙なタイミングで距離をとって、ヒットアンドアウェイへ移行するわけです」


 クラススキルで発現しないような、保有者の少ないスキルを当たり前に保有しているあたり、もう子供扱いはできないだろうと剣刃は感じていた。正直、今ならどうとでもなりそうだが、夏に手合わせした時とはすでに別人である。

 ここは一度全力で叩きのめして、後々でかい顔されないためにマウントをとっておいたほうがいいかもしれない。


「確かに一撃当たりの威力は低いという弱点はありますが、手数が多い。……で、少しでも油断してると」



――Over Skill《 クリムゾン・ファントム 》――



「は?」


 あまりに予想していなかった展開に、剣刃の目が点になった。

 目の前の画面では、ユキがラッシュをかけてシャドウを仕留めにかかっている。あまりに速い攻撃速度に、シャドウ側は対応できていない。ラッシュ速度自体はそこまでではないし、単純なスキル性能だけ見れば類似例は他にいくらでも知っている。しかし、問題はそこではないのだ。


「ああして決めにくると。いやー、厄介ですよねユキさん」

「いや、ちょっと待て! なんだありゃ!? 聞いてねえぞっ!!」


 あきらかな狼狽だった。

 対するディルクは、そんな剣刃に対し『見学して良かったでしょ?』という視線を向けていた。


 尚、半分くらいはグレンの仕込みである。



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