幕間「漢たちの饗宴」
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迷宮都市には『次郎三郎』という名の居酒屋がある。迷宮ギルド直営の居酒屋であり、所属冒険者であればタダ同然の値段で焼酎が飲めるという、低ランクにとってはありがたい飲み屋だ。
ただし提供されるのは甲類焼酎、あるいはそれを割ったもののみで、ツマミも日替わりの一種類しかない。その日替わりすら店主の気まぐれで、最悪塩のみが提供される事もある。……岩塩だった事もある。
その店主はオーガ。しかし彼女がオーガである事を知る者は少なく、名前もまた知られていない。というか、本名があるのかさえ不明である。……そう、質屋の店主と兼任なのだ。
その日も『次郎三郎』は通常営業日。世間は異世界だなんだと賑わってはいるが、底辺冒険者にはそんな事はあまり関係なく、店は重苦しくジメジメとした空気を漂わせている。
元々この店で飲む者は口数が少ない。代わりに店内BGMとして流れているのは来客している冒険者の動画である。ピンポイントな敗北動画は店長が趣味で編集したものだ。一応許可はとってあるものの、その許可も半ば脅迫めいた方法で得たものである。中には本人ではなく、そのパーティメンバーによる数の暴力で許可を得たものもある。それはきっと、見合っていなかったのだから諦めろ。買い戻すなんて無理だ。そんなところで飲んだくれてるんじゃねーよ。というパーティメンバーの優しい声援なのだろう。
しかし、失った装備を諦められないからこそロストマンなのだ。彼らは今日もまた自分が失った装備が質流れしていないかどうかを確認しつつ、共通の店長であるババアに馬鹿にされながら、裏にあるこの店で安焼酎を飲み続けるのである。それがロストマンの抜け出せない日常といってもいい。
そんな中、不意に店の扉が開いた。
「らっしゃい。好きなところ座りな……って、久しぶりだね」
ドアを開けて現れたのは、微妙に陰はあるもののこの店の雰囲気に相応しくない立派な冒険者の姿。それも、迷宮都市の冒険者なら大抵は名前を耳にした事はあるというほどの有名人だ。
私服ではあるが、あきらかに纏う空気の違う冒険者の登場に店内の客は一瞬だけ視線を向けるが、すぐに眼の前のコップに意識を戻した。……アレは同志ではないと。
「最近は質屋のほうも世話になってねーからな。ババアも元気そうでなによりだ」
今ほど明確に底辺冒険者の酒場というイメージはなかったが、かつてはこの店を利用していた時期もあった。ロストマンなんて言葉ができる前ではあるが、質屋の世話になった事も、装備を買い戻せなかった経験も数え切れないほどだ。そういう意味では原点回帰といえなくもない。このババアはその頃から一切変化がないが、迷宮都市なのだからそんな事もあるだろう。
「ジジイにババア呼ばわりされたかないんだけどね」
「つっても、あんた誰からでも『質屋のババア』って呼ばれてるじゃねーか。あと、俺はまだジジイって年じゃねーよ」
「リザードマンは短命種なんだから、ジジイでいいと思うけどね。平均寿命ならもうくたばっててもおかしくないだろうに」
妖精種はおろか、人間に比べてもリザードマンの寿命は短い。小人や蟲人より長いとはいえ、亜人の中では短命よりな種族である。
とはいえ、旧クレストでリザードマンの緑鱗族といえば大部分は寿命を迎えられない種族だったし、迷宮都市では寿命それ自体が意味のないものである。極一般的に短命とされているというだけだ。
ババアの種族であるオーガは良く分からないが、モンスターである以上はあまり寿命に縛られたりはしないだろう。
「で、わざわざこんな底辺の吹き溜まりになんの用だい? バッカスじゃあるまいし、金がないってわけでもないだろうに」
「自分で底辺言うのかよ」
「何言ってんだい。底辺冒険者を眺めるのが好きだからこんな飲み屋やってんだよ。装備ロストして金使えない冒険者が、肝臓に悪そうな焼酎飲んでくだを巻くのを観察したいのさ」
悪趣味極まる話である。店内で俯く冒険者から歯ぎしりの音が聞こえてくるようだった。
しかもこのババアはそれを隠そうともしない。客に対しても平気で負け犬やら底辺冒険者やらロストマンと呼びかける。
しかし、迷宮都市でここ以上に安くアルコールを摂取できる場所はない。装備を失った下級冒険者など貧乏人の代名詞のようなものだ。ソロならばともかく、パーティメンバーのいる身で活動資金に手をつけるわけにもいかず、自然ここに行き着くわけである。実際ボランティアのようなもので、採算度外視の道楽だから余計にタチが悪い。
迷宮都市の外を知っている冒険者であれば、ただの甲類焼酎でさえ上等過ぎると言っていい代物なのだ。ならば、落ち込んだ時に飲む場所としては十分ともいえる。味を気にするようなものでもないし。
この暗黒の縁にあるような店について、ロストマンの一人である、とある中級冒険者は語る。
『あそこは正に敗残者の行き着く先だな。あそこより下となると牢屋の中くらいしかねえんじゃねーかってくらい、ひでえ空気なんだ。いや、牢屋のほうが健康的かもしれない。質屋でロストした装備の行方を眺めてるのもアレだが、あそこは更に深い蟻地獄のような場所だからな。でも、そういう状況に陥った時は自然と足が向く。なにせ、周りは金のない敗残者だらけ。負け犬しかいないから、地味に居心地がいい。金の事でピリピリしてるパーティメンバーよりも分かり合えてしまう仲間がいる。加えて、どれだけ煽られようが物理的な喧嘩にはならない。煽り筆頭の店主が化物みたいに強いのを知ってるからだ。とにかく、あそこは極めて異様なバランスの上で成り立っている底辺冒険者の吹き溜まりなんだ。逆に、どれだけ居心地が良かろうが一度抜け出した奴は絶対に戻りたくないと奮起するわけだ。……冒険者を追い立てるために狙ってやってるんだとしたら、恐ろしい話だよな。え? なんでそんなに詳しいのかって? そりゃ、彼女できる前はあそこの常連だったしな。……もう、ぜったい戻らねえぞ』
質屋と並び、悪名しかないような場所であっても存在する意味はあるのだという。それは、この淀みを経験した冒険者に共通する意見だ。
誰も質屋のババアに感謝などしていない。隙があれば殴り殺したいとさえ考える冒険者は多い。しかし、その存在価値は認めるしかないのだ。そうして、質屋のババアは今日も悪趣味な高笑いを続けるのである。
もっとも、それはあくまで底辺に分類される冒険者の話。才能があると言われるような者であれば一足飛びに通り過ぎてしまうような、そんな位置にある淀みの空間なのである。
そして、それは古豪のリザードマン、グワルにとっても同じ話だ。今日だって、別に安酒でくだを巻きに来たわけでもない。
「二階で予約入ってるだろ? もう来てんのか?」
「ああ、待ち合わせの相手はあんただったのかい。あっちも珍しいけど、相手があんたってのも想像してなかったね。犬猿の仲って有名じゃないのさ」
「犬と猿じゃなく、羊と蜥蜴だけどな。たとえられた事はねえが、相性悪いってのは違いねえ」
「ついでに熊もいるけどね」
「そっちはもっとだ。別に呼んでねーんだけど、勝手について来たんだろ。また、俺が殴りかかるかもってな」
熊は< ウォー・アームズ >の副団長であるところの熊獣人ヴェルギム。羊は< ウォー・アームズ >団長の大羊人クィグ。蜥蜴は< ウォー・アームズ >幹部のグワル。彼らが不仲である事は、クラン内どころか、ある程度年季の入った冒険者であれば誰もが知っているほどの関係だ。一緒に飲み会など、罰ゲームか何かとしか思えない組み合わせである。少なくとも、クラン員であればこっそりと席を外す程度には周知されている事実だ。
「身内同士なら、なんでウチなんだい? < ウォー・アームズ >なら自前で飲み屋くらい持ってるだろうに」
「客の詮索しねーのがこの店の主義じゃなかったのか?」
「そんな主義は掲げた事はないね。ここにいる連中を詮索しないのは、そんな事をしなくても知ってるからだよ」
ババアの情報網は決して侮れない。現役冒険者どころか、下手をすればギルド職員よりもゴシップネタに詳しいのである。そもそもロストした装備はババアの手の内にあるのだから、ある意味最も真理に近いともいえるだろう。少なくとも脇の甘いロストマンを煽るネタに困る事はない。
そもそも、さっさと装備を諦めて欲しいパーティメンバーは仲間の情報さえ平気で売る。それは仲間に立ち直ってほしいという友情なのだ。その友情はロストマンを更に苦しめるわけだが。
「それに、ここじゃ一人前の冒険者は客扱いじゃないんだよ。自他共にクズって認める奴だけが客なのさ」
「ひでえ言い草だ。まあ、原点回帰って奴だな。古き良き……じゃねえな、古き悪き時代を思い出して反省しようって話だよ」
「反省会場ってわけかい」
少なくとも楽しく飲める場所ではない事はババアも自覚している。しかし、それなら分からなくもない。かつて苦渋を味わった底辺時代を思い出すのには最適な場所だろう。ただ、グワルやクィグが利用していた時期はまだそれほど特色がはっきりしていたわけでもない。単に、昔を懐かしんでというだけの話だろうとババアは当たりをつけている。
……つまり、過去を懐かしむような節目を迎えているという事なのだろう。
「まあ、大体事情は分かったよ」
「相変わらず聡いな。見かけに依らねえ」
「まだボケるには早いのさ」
そもそも、モンスターであるオーガはボケるのだろうかともグワルは疑問に思ったが、特に興味のある話題でもないのでババアとのお喋りを切り上げる事にした。そうしてリザードマンが一人二階へと上がっていき、店は再び澱んだ空気の漂う底辺の巣窟へと戻る。
店内のモニターで粋がった自分が敗北する様を見せつけられ、嗚咽するように泣いている客は新入りのロストマンだ。それを見て、ババアがニヤニヤと観察を続ける日常は変わる事はない。
-2-
居酒屋『次郎三郎』の二階は閑散としていた。
半個室がいくつか並ぶそこは本来団体客が利用する事を想定したスペースなのだが、この居酒屋の客層はそれにマッチしていない。自然と閑古鳥が鳴く事になる。
駆け出しの冒険者が打ち上げに使う事はあるが、それなら多少高くともまともな居酒屋を利用するのが普通だ。たとえ安かろうが、わざわざ趣味の悪い居酒屋で別料金を払ってまで……というのはなかなかいない。
とはいえ、まったく客がいないわけでもない。とにかく酔えればいい者、金を極力使いたくない者や小遣いの少ない家庭持ちが利用する事もあるし、質屋でクーポンが配られる事もある。ネタとして来店する者だっているだろう。あるいは、底辺冒険者時代から通い続けて自然と足が向くようになるような猛者だっている。
今日、この一角を利用するのはそのどれでもないわけだが。
「……なんでこんなところに突っ立ってるんだ? お前」
「気にするな。俺の事は置物とでも思っておけ」
グワルが階段を昇ると、巨体の熊獣人が立っていた。< ウォー・アームズ >の副団長であるヴェルギムである。
いる事は先ほどのババアとの会話で知っていたが、わざわざ通路で待ち構える必要はない。おそらくはクィグに追い出されたのだろう、とグワルは推察する。
「睨み利かせなくても、別に暴れたりはしねえよ」
「団長もそう言っていたが、念のためだ。特に、お前と団長の場合は、影響力的にクランが半壊しかねない」
「まあ、好きで突っ立ってる分には構わねえけどな」
「……そうさせてもらう」
別に何かしようというわけではないのだから、この熊の懸念しているような事にはならないだろう。
ついでにいうなら、今回の飲み会に誘ったわけでもない。お世辞にも仲がいいわけでもないのだから、気を使うつもりもなかった。
「あー、お前にも一つ聞いておきたい事があったな。……てめえ、いつから知ってた?」
言葉は少ないが、グワルの言っている事は明白だ。ヴェルギムもすぐにその意図を含めて理解できた。
それは簡潔にしてしまえば、< ウォー・アームズ >が自ら中級ランクまでの踏み台になっていた事についての確認。つまり、今回の騒動の根本的な部分である。
「団長の就任直前、副団長として誘いを受けた際に聞かされた」
「……そーかよ」
それは、ヴェルギムの気質を知る者であれば容易に想像がつく回答でもあった。現団長であるクィグとヴェルギムは、相性の面で言えばそれほど近しいわけでもない。なのに、真っ先に副団長として指名され、それを受けたという事はそれなりの理由があるという事なのだ。
あるいは、ヴェルギムが団長になっていればクランはまた別の形になっていただろうが、ヴェルギム自身はそれを良しと判断したわけだ。
「だが、聞かされずとも気付く者は気付くだろう」
「気付かなかった俺は間抜けって話かよ」
「違うな。お前は気付いていないフリをしていただけだ。目を逸して、そんなはずはないと誤魔化していただけだ」
「…………」
冷静になって振り返ってみれば、いくらでも心当たりはあった。気付くのに必要な情報は足りていた。それは、いくら迷宮都市の中枢に近いとはいえ、迷宮都市に来て一年未満の渡辺綱が容易に察していた事からも明白だ。
ちゃんと調べれば誰でも想像がつく。これはその程度の事実でしかなく、気付いていないのはよほど興味がないか、現実を直視できないかという事でしかない。
ソリが合わずとも、グワルが如何にクランの事を考えていたのかはヴェルギムも良く知っている。そんな男が気付かないはずもない。
グワルが足掻いていたのも、それに気付いていながら事実から目を逸し、本質を捻じ曲げようとしていたに過ぎない。だから、いつかは爆発するという事も分かっていた。それが、つい先日だったというだけの事なのだ。
「アレイン元団長もアルテリア元団長も、そういう点では極めてドライな気質があるからな。それが、最良だと判断したのなら実行する。それを請け負ったのが団長であり……実際、それは機能してしまっている」
「軌道修正の必要もないって事か。てめえが副団長なのも、問題が起きた時のための保険だったんだろ?」
「……そうだな。そういう面では意味がなかった事ではあるが。我が団長殿は、優秀だったという話だ」
大羊の獣人クィグは、その見た目と同様に極めて温和な性格だ。冒険者であるにも拘らず争い事を好まない。競争を望まない。世間では昼行灯などと呼ばれ、馬鹿にされても一切気にしない大らかさで< ウォー・アームズ >の団長として仕事を果たしている。しかし、その裏では前団長から受け継いだものを見事に果たしているのだ。すべてを知った今なら、最適な配置とそう認めざるを得ない。彼以上に役目を果たせる者はいないと断言できるほどに。
グワルにしてみれば、まったくもって不愉快な話である。
「それで、それを知って暴れて冷静になったお前はどうする? 今日はその話なのだろう?」
「決まってんだろ、辞めるんだよ」
「……冒険者をか?」
それは何も不自然な話ではなかった。冒険者としてやる事をやったあと、恩を返し終わったなら、クレストに戻って今も大陸に散らばる亜人の救済をしたいと以前から言っていたからだ。
そうなれば、色々な影響も出るだろう。グワルを追って出ていく者、同じように引退する者、所属を変えるまでせずとも活動方針を変える者は多いはずだ。本人はどこまで自覚しているかは知らないが、少なくない影響があるだろうとヴェルギムは考えている。
「< ウォー・アームズ >をだ。冒険者辞める気はねーよ」
しかし、どうやらそれは杞憂だったらしい。グワルの結論は、想像以上に穏当なものになるかもしれない。少なくとも最悪よりはかなりマシな結果に落ち着きそうだ。
「それだって、来年以降だ。今日はそれまでのスケジュール調整の意味合いもある」
「引き継ぎなどもあるだろうから、時間を置くのは助かるが……」
「お前らに気を使ってるわけじゃねーから勘違いすんな。こっちにも事情があるんだよ」
話しているのは極めて後ろ向きな内容であるにも拘らず、それを口にするグワル自身にはそんな雰囲気はない。むしろ、前向きにさえ見えるほどに、活力に満ちているようにも見えた。
クランで暴れた時期……異世界に行く前後で大きく変わったように見える。
「……異世界とやらで何かあったのか?」
「とびっきりの事があったよ。そんな中で何もできない自分に気付かされちまった。大事に抱えた古い矜持を理由に立ち止まったままなのは情けねえって、反吐吐くほどに思い知らされた。あんなのはもう御免だ」
ヴェルギムにしても、異世界行きで何かがあった事は知っている。だが、詳細は知らされていない。それはクィグにしても同じだろう。
しかし、それが尋常でない事で、少なくとも頑固なグワルの性根を変えるほどに重大な事件であった事は理解できた。
当事者であっても、説明を受けても尚理解し難い超次元の戦いがあった。
理不尽に立ち向かう者がいた。砕け散っても、尊厳を踏み躙られても更に前へと進む者がいた。心折れて立ち上がれなくなった者もいる。自分の限界に見切りをつけた者もいるだろう。しかし、そのどれであっても進んではいる。後ろ向きに見えても、挫折であっても、決断の後に出した結果であれば、それは前進なのだとグワルは思う。
そんな中にあって、前にも後ろにも進めない自分はあまりに情けなかった。停滞こそ、自分が最も嫌うものであったというのに。
「お前らの言い分も立ち位置も理解した。それを無理に変える事はしねえし、意味がねえ事も理解した。だが、俺は変われずにいられない。それが結論だ」
「……大したものだな」
ヴェルギムは、目の前の男の在り方に戦慄さえ覚えていた。一体、何があればこうも変わるのか。こうして自分の結論を語る姿は、かつて< ウォー・アームズ >が最前線であった頃のものと同じものに見えた。
「情けねえのも、みっともねえのも承知の上だ。その上で足掻く様をそこで見てろ。後悔させてやるからよ」
「後悔はせんと思うが……まあ、楽しみにはしておく」
自分やクィグの在り方はすでに完成されていて揺らぐ事はないだろう。しかし、それは決していい事だけではない。
激動の流れに身を委ねる冒険者で在り続けるのならば、むしろ変える余地の残る未完成のほうが正しい姿なのかもしれないと、そう思った。
-3-
「というわけで、辞める事にしたわ」
「いきなりだね。君らしいといえばらしいけど」
二階フロアの端にある座席に目当ての姿を見つけ、対面に座るなり、挨拶もなしにグワルはそう切り出した。
「だが、聞こえてただろ?」
「聞こえてたけどね。……まあいい、何か飲もうか」
「何かって言っても、ここは甲類焼酎しかねえぞ」
「二階は持ち込みアリなんだよ。《 アイテム・ボックス 》に色々入れてきたから、よほど変わったものじゃなければ出せる」
「そうだったのか……とはいえ、焼酎の気分だったしな」
ここ、『次郎三郎』の二階席は基本セルフサービスだ。一種類しかないツマミを含め、水割りを作るのもセルフである。なんと、テーブルに焼酎用のサーバーまで置かれているのだ。テーブルから立ち上がれなくなるまで飲み、閉店時間に合わせてババアに放り出されるのは風物詩となっている。
もちろん店員もいないし、呼ばなければババアも上がってこない。そんな場所なのだから、持ち込み可でも特に問題は起きないという事なのだろう。
その事実を知らず、焼酎の気分でいたグワルはとりあえず水割りを作り、大量に盛られている塩辛を手にテーブルへと戻って来た。飽きたら何かもらえばいいだろう。
そうして、リザードマンと羊獣人の飲み会は静かに始まった。二階フロア全体を見ればうるさい客もいるが、ここは静かなものである。
「というわけで言い直すが、< ウォー・アームズ >は辞める事にした」
「今更止める気はないけど、辞めたあとはどうするんだい?」
必要なら教官職の紹介もできるし、クラン内には冒険者以外の仕事もある。まったく関係ない仕事だって、クランの伝手はいくらでもあった。しかし、それを打診する意味はないだろうとクィグは口には出さずにいた。
グワル個人の伝手があればどうとでもできる話だし、先ほどヴェルギムにも言っていたように、辞めるのはクランであって冒険者ではないのだから。
「君が辞めるとなったら、追って出ていく者は絶対に出る。それを無理に止める気はないけど、展望がないまま放り出すのはちょっと無責任だから聞いておきたい」
「そんなにいるかね」
未だに良く組むペルチェとトポポはともかく……いや、トポポはアレで思考が主婦のそれになっているから、考えなしにクランを飛び出しはしないだろう。それなら冒険者引退のほうが有り得そうだ。
他にも顔が浮かぶものはいるが、確実にそうなると思える者はちょっと出てこない。なんだかんだで、ちゃんと考えてるはずだ。
「とりあえず、君がクランを作るなら確実に出て行くのは十人くらいはいるね。誘えば倍増するだろう」
「クラン作る気はねぇよ。追ってきてもパーティ組むかどうかすら分からねえって言っとけ。そんな考えなしはいらねえってな」
「そこら辺を加味しても、マルテルとアルドラッドは追いかけて行きそうだ。あとはギギドラも」
「ギギも? というか、何考えてるんだか分からねえ連中ばっかだな」
不器用過ぎてエセドワーフと呼ばれる巨漢の変人マルテル。偏屈でグワルに心酔するハイエルフのアルドラッド・ベルマ。何を考えているのか本気で分からない蟲人のギギラギギドラ。やっかい者の在庫処分でもしてるのか疑われそうなメンバーである。
「ま、そいつらの説得はお前に任せるとしてだな。別に先の事がはっきり決まってるわけでもない。結局は年末次第だな」
「年末? 今年の?」
「ああ、今日呼び出した理由の一つだ。今年の年末のクラン対抗戦の枠は俺にくれ」
「枠といっても……ああそうか、もうシードじゃないんだったか」
「とうとうシード落ちしたから、出場するにもクランの枠は必要なんだよ。他に出たい奴もいるだろうし、俺のわがままだってのは分かってるが通して欲しい」
毎年年末に行われているクラン対抗戦。それに出場するにはクランに所属している事が大前提だ。
シード権持ちであれば例外として個人出場も認められているが、その権利は去年で失った。個人ランキング次第ではまだ分からないが、今の自分の成績では引っ繰り返る事はないだろう。だから、グワルが出場するには基本的に< ウォー・アームズ >からという事になる。そうするには、最終的な決定権を持つクィグから許可を得る必要があった。
もちろん新規にクランを立ち上げるなり、別のクランに所属してそこからという手もあるが、それはどうしても折り合いがつかない時にとる手段と考えている。渡辺綱が引導を渡すと言ったのは< ウォー・アームズ >のグワルに対してなのだから、まったく関係ないクランの所属で出場するのは興ざめというものだろう。
「分かった。元々特に問題ない話だし、クラン内ではそう伝達しておく」
「理由は聞かないんだな」
「君なりのケジメか何かだろう? そうでなくとも、クランに対して多大な貢献実績のある君のわがままなら聞かないわけにはいかない」
「ケジメ……まあ、ケジメだな」
グワルの立ち位置は本人が思っているよりも重い。ただひたすらクランのために活動してきた冒険者を無下に扱う事は、クランマスターとしての立ち位置すら揺るがす事に繋がりかねないのだ。それが理不尽なものであるならともかく、それほど参加に意欲的でないクラン対抗戦の出場権ならば何も問題はなかった。
「去年、王都から拾って来たクソガキが俺に引導を渡すって張り切ってるからな。クソロートルとしては応えてやんねえと」
「ああ、渡辺綱君か。……なるほど」
何がなるほどなのかは言わない。しかし、クランマスターであればある程度の情報は持っているだろうし、クラン設立に関してやグワルとの関係も把握しているだろう。
「後輩に道を譲るための儀式ってところか」
「んなわきゃねー。返り討ちにするに決まってんだろ。ついでにいうなら、夜光もリグレスも剣刃の馬鹿も薙ぎ倒して優勝掻っ攫うつもりもある」
「……それは」
さすがに無茶なんじゃないだろうかという言葉は飲み込んだ。しかし、実際不可能だとは思う。
レベルが大きく離れてしまった今でも、グワルの実力と経験があれば予選は通る可能性はある。それだって難しいだろうが、決して不可能ではない。
しかし、その先の決勝トーナメントを勝ち抜くのは無理筋に近い。特に今名前を挙げたシード組は、グワルが勝ったのがいつなのか思い出せないほどにボロボロの対戦戦績だったはずだ。
渡辺綱にしても、今ならいい勝負にはなるかもしれないが、年末となるとかなり怪しいだろう。ここまで一年もかからずに打ち立てた実績はクィグでなくとも、冒険者であれば把握していないほうがおかしいほどのものだ。それから更に倍となると想像すら難しい。
だから、普通に考えるならこれはグワルの強がりとしか捉えられない。話を聞けば、ほとんどの者はそう考えるはずだ。……おそらく、本人だって不可能だと考えている。
「言っておくが本気だぞ。優勝したらロートル舐めるんじゃねーって叫んでやるからよ」
「いや、ウチの代表として出るのならそれは勘弁願いたいんだけどね。しかし、本気といっても……」
「そりゃ無理だと思うだろうな。正直なところ、今のままなら現状のツナ相手でも厳しいだろうよ」
まだ実力差はある。経験の差もある。しかし、アレはそういう積み重ねなど軽く飛び越えていく怪物だ。先日の戦いで見せたという超常の力などなくとも、そういう冒険者である事をグワルは良く知っている。
それどころか、誰が相手でも厳しい。そもそも、実力の底上げが続く迷宮都市にあって、個人戦にエントリーしてくる奴らは実力派ばかりだ。予選を勝ち抜けるかどうかすら怪しいだろう。……今のままなら。
「だから、ちょっと修行に出てくる。今入ってるクラン関係の仕事は年末まで全部キャンセルしたい。それがもう一つの相談だ」
「無理……じゃないが、引き継ぎも?」
「どうしてもっていうなら、そっちは年明けてからでもいい。辞めるのを取り下げる気はねえが、別に年末でスパッと辞めなきゃいけない理由もねえしな」
不可能ではない。冒険者としての本分……ダンジョン・アタックは結局のところクラン内で調整が付く話ではあるし、取材や講演、テレビ出演のような仕事も、直前でなければキャンセルは可能だろう。
しかし、全部というのは少々異常な事態だ。冒険者をやっている以上、普通なら時間は作れる。制度としてそうなっているのだから、一切時間が作れないという事はない。遠征に行くにしても、それほどの長期間迷宮都市にいないというのは考え辛い状況である。収入だって激減するだろう。
グワルの言い方は、そういうものを含めて一切合切を遮断して修行に専念するように聞こえた。
「何をどうするつもりかな。そこまで言うならノープランではないんだろう?」
「山籠もりならぬ、異世界籠もりだ。龍の世界で圧倒的格上に揉まれつつ、向こうの無限回廊攻略してくる。戻るのは対抗戦直前……あ、いや、シードじゃねーから登録期間前か……面倒だが十一月だな。それまで戻って来ねえ」
「……は?」
それは、クィグとしてもまったく想像していなかった話だ。確かに交流は始まりはしても、ようやく第一便の往復が終わったところで、お互いの関係はほぼ白紙と言ってもいい。担当者の中には一ヶ月程度滞在する者もいると聞いているが、さすがに半年以上の滞在など誰も想定していないはずだ。
「もちろん、適当に言ってるわけじゃねえ。この話はダンジョンマスターやアレイン団長にも通してるし、向こうの代表にも許可はもらってる。まあ、いきなりだから無茶な話に聞こえるだろうし、いざ行ってみればもちろん問題もあるだろうが、向こうで修行ってのは変わらねえだろうな」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。少し想定外過ぎた。いや、駄目と言ってるわけじゃないんだけど」
それならば確かに仕事などできるはずがない。将来的にどうなるかはともかく、今現在においてはメールの一本、行き来するのでさえ難儀するような場所なのだ。
「こっちで無限回廊の五十層付近をウロチョロしてても差は開くばっかりだからな。それくらい無茶な事をしないと届きそうにねえのよ」
「それは……まあ」
しかし、混乱する中でクィグは目の前の男に妙な既視感と納得感を感じていた。
ああ、これはかつてダンジョンマスターやアルテリア団長が何かを始める直前のものと同じだ。周りを盛大に巻き込んで、いつの間にか落ち着くところに落ち着いている感覚に似ていると。さしずめ、今の自分はアレイン団長のポジションか。
きっと何を言っても止める事はできないし、止める意味もない。その資格すら自分にはないのだとも感じていた。
「なーんか面白ぇ話してんじゃねーか」
と、混乱の極みにあったクィグを差し置いて、パーティションを隔てた向こう側から声がかかる。
「ワシにも一枚噛ませろや」
そう言いながら顔を見せたのは、偶然そこに居合わせたらしい、鉄腕サイガーだった。
-4-
「こんなところで何やってんだ?」
無骨でゴツい両腕の義肢。グワルほどではないにしろ、古豪と呼ぶのに相応しい男がこんなところにいるのは不自然だった。まさか付けて来たわけでもないだろう。
「ワシ、ここの常連」
「んなアホな」
「いや本当だぞ。連日ってわけじゃねえが、新人のネタ……情報を拾いに聞き耳立てに来てんのよ。趣味悪いって言われそうだが、ババアよりマシだろ」
どうやら本当のようだった。グワルを追ってきたにしてはすでに出来上がっているし、向かいで飲んでいるらしいドワーフはすでにノックダウン状態だ。……というか、そのドワーフにも見覚えがあった。
「なんでオーギルまで」
こちらもまた、歴戦と評価していいベテランだった。純粋な冒険者でない故に最前線で見るような顔ではないが、鍛冶屋オーギルと言えば十分に有名といえるだろう。
ついでに言えばどちらもクーゲルシュライバーに乗って異世界へと行き、無量の貌攻略戦で奮戦した仲間だ。特にサイガーなど、最後の最後まで前線で踏ん張っていたらしい。
「こいつは偶々店の近くで見つけてワシが引っ張って来ただけだがな。今後の事について話してたのよ。そしたら、隣から面白そうな話が聞こえてくるじゃねーか」
「俺と意気投合しねえでも、直接打診すればいいじゃねーか。てめえも十分過ぎるほどに当事者だろうが」
あの土壇場で何もできなかった自分と違い、目の前の男は本当の意味で戦い抜いたのだ。そういう意味では、グワルよりもよほど相応しいといえるだろう。
「まーまー、クラン辞める仲間同士、傷を穿り返し合うのも悪くねえだろ」
「舐め合うんじゃなく穿り返すのかよ。……って、お前もクラン辞めるのか」
「ワシの場合はもう辞めてきた、だな。帰って来たその日に辞表叩き付けた。電話やメールがうるせえから全部着拒したらすっきりしたぜ」
無茶苦茶だった。周りの迷惑など一切考えない、とてもベテランとは呼べない無責任ぶりだ。ひょっとしたらここにいるのもそれが理由じゃないかと勘ぐるほどに。
クィグが『まさか同じような事はしないよな?』という意味合いの視線を向けてくるが、同類と見なされるのは勘弁願いたかった。
「辞めるなら、ちゃんと説明しろよ」
「やだよ、面倒臭え。大体、アレを話して誰が理解できるっていうんだ? あんなもん、実際に立ち会わなきゃ意味分からんだろ。つーか、正直中心で胡座かいてたワシも分かってねーし」
「いや、それは俺もそうだがな……」
あの場において、状況を理解していた奴など一割もいないだろう。攻略戦の中心であったサイガーたちでさえ、すべてを知っていたわけではないのだ。
下手をすれば中心であるところの渡辺綱でさえ正確に把握していない可能性だってある。何もできなかった自分など、推して知るべしといったところだろう。今ここで詳細をクィグに説明しろと言われても、理解してもらえる気がしない。
「つーわけでだな、キャリアハイ更新のためには何かせんといかんなーって思ってたところなのよ。だから、一枚といわず、噛ませろ」
「…………まあ、いいんじゃねーの」
予定外ではあるが、問題があるわけでもなさそうだった。強いていうならサイガーのクラン……いや古巣である< メタル・ブリッツ >だが、そちらに関しては完全に部外者だ。グワルが気にするような事でもない。
クィグは完全に取り残されている感があるが、そっちについても知った事ではなかった。
『あー、二階の諸君! 一階の馬鹿がヤンチャして暴れ出したから、降りて来る時は覚悟するように。これから制裁ショーだよ!!』
そんなタイミングで、突如フロアにババアの声が響き渡る。同時に、飾りと化していた巨大モニタも点灯した。追うように、大音量で不吉なBGMが流れ始める。
「やっべぇ、『ババア・処刑のテーマ』だ! おい、オーギル起きろ!」
「んぁっ?」
「今日は当たりだ。ババアのプロレス観にいくぞ! じゃ、グワル、またあとでな!!」
と言って、サイガーは状況の分かってないオーギルを引き摺って一階へと向かった。
一方、二階の巨大モニタでは巨躯の冒険者相手を担ぎ上げ、エアプレーンスピンをかける巨大ババアの姿が映し出されている。ここに来る際には今にも死にそうだった客も何故か盛り上がっていた。
三半規管を狂わされるこの技は、甲類焼酎で出来上がった冒険者には強烈なダメージを与えるだろう。投げ捨てられた男はしばらく立ち上がれないはずだ。しかも、追い打ちをかけるようにエルボードロップが決まる。
野次と歓声が飛ぶ中、ババアの高笑いが響き渡った。
「いやはや、僕らの時代にはなかったねぇ、こういうの。時代は変わったって事かな」
「……こんな事で自覚したくなかったけどな」
確かに冒険者相手にプロレスを始めるババアのショーは盛り上がるのかもしれないし、法律的にも問題ないから実施されているのだろうが、時代の移り変わりを感じるにはちょっとアレなイベントでもあった。
そして、追い打ちをかけるように画面の端から現れたサイガーが、まったく関係ない冒険者へと飛び蹴りをかけた。そして、そうこうしているウチに大乱闘だ。今一階に降りていくのはちょっと危険だろう。関係なくとも巻き込まれる可能性大だ。
「あー、そうだ。忘れそうだから今の内に言っておくが、俺結婚する事にしたわ」
「…………え?」
店内に歓声と絶叫と悲鳴が響き渡る中、もののついでとばかりにグワルが切り出した。間違ってもついでで報告するような話ではない。
「なんだよ、意外か? 相手はてめえも知ってるだろ」
「いや……そうか、結婚してなかったのか。てっきりもうしてるものだとばかり」
クィグが記憶を遡ってみれば、確かに書類上は未婚だったかもしれない。
「ずっと一緒に暮らしてたしな。事実上夫婦みたいなもんだったが、いい区切りって事でケジメつける事にした。それで何が変わるってわけでもねえが」
「リザードマンの習慣は知らないけど、そういうものだとか」
「いや、単に奴隷時代の感覚が抜けてねえだけだろうな。俺たちみたいに冒険者やってるならまだしも、一般人じゃ染み付いた感覚を忘れるってのは簡単じゃねえんだろ」
グワルの伴侶は同じく緑鱗族のリザードマンであり、旧クレスト時代から続く関係になる。一人で生きる術も活力もなかった彼女をグワルが拾ってそのままここまで来てしまったという事なのだろう。
とはいえ、周りからは完全に夫婦と見られていたはずだ。下手をすればダンジョンマスターあたりも勘違いしている可能性がある。
「まあいい事なんじゃないかな。式とかはどうするんだい?」
「今更そんなもんしねえよ。新婚旅行代わりに向こうへ連れては行くつもりだが、今と変わりゃしねえ。ま、指輪くらいは作ろうとは思ってるが」
「ああ、それでもいいから、何かしらはしてあげるべきだと思うよ」
何もなしというのはさすがに不憫だ。事実婚状態だったとはいえ、グワルを長年支え続けてきたのは間違いないのだから。
『あああっ!! 暴れんじゃないよ、酔っぱらい共!! ここでの制裁はアタシの特権なんだよ!』
『今なら悪評ポイントも無効だって知ってるんだぜぇ、ババア! そら、ワシの鉄拳が火を噴くぞ!!』
そう言った直後、サイガーの鉄腕から本当に火が放射され、ババアとはまったく違う場所にいた冒険者が燃やされた。一階は大混乱だ。
それは男たちと底辺冒険者の飲み会。若干一名、ババアも紛れ込んでいるというか主催者だが、そういう日常の延長にある漢臭い饗宴だった。
この饗宴が本来有り得ない風景であった事を知る者は少ない。
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