裏Epilogue「存在証明」




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 それは夢幻の如き体験だった。

 よく似ているけれど、少しだけ違う日常。よく似ているけれど、根本的に違う環境。よく似ているけれど、まったく違う関係。最初こそ、ほんの些細な巡り合わせの違いが大きな変化をもたらしたかのようにも見えていたが、実態はまるで異なる世界。

 私が夢に見ていたものは妄想でも平行世界でもなく、本来在るはずだった世界……その残骸。強固な因果が流出し、崩壊の定められた悪夢の世界。

 対して、私のいるこちらの世界はそれを改変しつつ上書きした結果であり、唯一の悪意が生み出した呪いと渡辺綱の怨念の如き妄執によって書き換えられた裏側の世界。

 私の体験した夢幻は、そういう表裏の関係で成り立つ世界の真理の一つであり、もう一つの視点を通して見た断片なのだ。

 それは幸せで、平凡とは言えないが充実した日々。それが未来まで続いているものと疑っていなかった。繋いだ手から感じるものは、確かな安心感だったから。

 しかし、私にしても彼女にしても、わずか一年にすら満たない関係は本人たちの意思とはまるで異なるところから崩壊したのだ。


 ある日、なんの前触れもなく日常は終わりを告げた。地震や嵐と比べるにはあまりにも大規模な災害が突如として巻き起こった。

 大地は砕け、海が割れ、大気は嵐と呼ぶにも生温い暴威となり、地上は一瞬にして地獄へと変貌した。明確な敵などいない、極めて突発的で理不尽な災害。後に『大崩壊』と呼ばれるようになる災害は、開始からわずか数時間で地上の生命を死に至らしめたのだ。

 星が崩壊する中、その上に住む者たちは避難という言葉すら頭に浮かばないまま死んだ。自分の身に何が起きたのか理解できず死んだ者が大半で、状況認識できたわずかな人たちにとっても正確に理解できる者は皆無に等しい。あるいは、それは結果を見る事がない分幸せな終焉だったのかもしれない。

 大崩壊によって、文字通り星が崩壊した。隔絶した文明を誇る迷宮都市ですら簡単に瓦解した。どれだけ災害対策をされた街であろうと、そこに住む冒険者の力があろうと、星が砕けるほどの災害の前では無力だった。

 しかし、わずかな時間とわずかな救いは存在していた。迷宮都市はあらゆる手段を以て対応し、逃走し、避難を始めたのだ。

 私がどうやって避難したのかは覚えていない。ただただ混乱を極める中で、私は唯一人死に抗うべく走り続ける。それはツナ君が私に見せた冒険者の姿であり、生き方を体現したものだっただろう。そうやって生き足掻けば、その先には当たり前のようにツナ君が立っていると信じていたから。


 そうして逃げ延びた先は四神宮殿。遥か天空にある浮遊島。地上が地獄と化した中で、ここに避難した者だけが無事だった。

 その四神宮殿すら長くは保たない。その時は知る由もなかったが、島を制御する四神が消滅した事によって、私が辿り着いた頃には緩やかに落下を始めていたらしい。

 島ごと落下すれば、待っているのは当然の如く死。落下せずとも、星が崩壊すれば死は免れない。如何に島が強固な障壁に守られているとはいえ、そこに留まっていれば先にあるのは絶望だけだ。

 ……そう、水神宮殿の避難所から目にしてしまった地上の光景は絶望と呼ぶのに相応しいものだった。


 沈没する船から逃げ惑う鼠の如く、転送装置を駆使して次に逃れたのは月。

 生活環境のまるで整備されていない月に避難し、重力制御による星の崩壊現象の静止が行われて、私たちはようやくわずかな余裕を取り戻せた。

 その状況を創り出すまでにどれだけの苦難があったかは分からないが、正に人知を超えた神業で生み出した奇跡とも呼ぶべきものだったはずだ。

 しかし、それだけの奇跡を起こしても生き延びる事ができたのは迷宮都市にいたわずかな数の命だけだった。

 ……そして、そのわずかの中にツナ君はいなかった。


 誰が死んでも彼だけは死なないという考えがあった。

 すべてを知った上で考察するならば、それは定められた死だったのだろう。渡辺綱の死という現象は星の崩壊と密接に結び付いており、原因であるれは強固に定着した因果であったはずだから。

 加えて、パーティメンバーも全員安否不明。避難所に親交のあった者の姿はなく、迷宮ギルド、魔術士ギルドの職員ですらほとんどが死亡を確認されている有様で、せいぜいが多少顔の知っている者がいるという程度。……私は唯一人、生き延びてしまった。

 私だけではない。周囲の者はほとんどが同じ状況に置かれていた。家族や友人・知人が一人でも残っていれば奇跡と呼べるほどに、悲惨な被害状況だったのだ。

 そのほとんどは生死不明で、死んだ事さえ確認できない。確かに無限回廊や個別ダンジョンに潜る者、あるいは逃げ込む者もいたはずだが、彼らが無事であったかどうかの回答は得られなかった。ダンジョンマスターの後継者であるエルシィから後に聞いた推測によれば、おそらく内部で発生した次元断層に落下した可能性が高いとの事。内部の環境を根幹地に依存するダンジョンは、顕著に災害による変化を反映してしまうのだそうだ。

 少なくとも、その後数年の間で無事に合流できた者はいない。結果、最終的に記録として残されたのは行方不明という無機質な扱いだった。


 そんな地獄を直視し、あらゆる事実から目を逸らした私が陥ったのは、精神崩壊。狂気に縋り、精神的な盲目に陥って、脆い自我を護ったのだろう。

 その間、何もできず、何も考えず、ただただ無為に治療施設での日々を過ごしていたらしい。そうして、猛スピードで生活環境が整えられる月にあって、私は一歩も前に進めないまま数ヶ月が過ぎた。


 自分を取り戻すきっかけになったのは出産だった。

 妊娠自体は知っていた事ではあったし、崩壊前から病院での診察も受けていた。しかし、絶望的な現実に目を逸らしていたのだろう。流れてもおかしくない命は、迷宮都市の医療技術で辛うじて生まれ落ちたのだ。

 自らが生み出した新しい命を見て、触れて、ようやく私は大崩壊という悪夢に向かい合う事ができた。私の指を握る小さな手に感じる未来が、現実へと引戻してくれた。

 名はエリカ。エリカ・エーデンフェルデであり、渡辺エリカ。直接的な意味はなく、ただ私の名に似せた上で日本名としても違和感のないように名付けた。


 リリカ・エーデンフェルデは立ち上がった。先の見えない栄光の残骸の中で、再び無限回廊へと潜り始めた。

 その頃になると流失してくる記憶も早回しで、視覚情報ですらひどく断片的なものになる。私が見ているのも俯瞰情報に等しく、また彼女が気付いていない細かい情報も多く抜けがあったように感じる。

 あの悪夢の中でもう一人のリリカが何を考え感じていたのか想像は付くが、この私と精神性が乖離し過ぎていて共感にはほど遠いものになっていたのだろう。それでも、この時点ではまだ私たちは同じものではあった。

 決定的な乖離は魔術士としての素質が開花した事による行動の変化。彼女は地獄のような体験を経て、私には想像もつかないような成長を果たしていた。結果、あきらかに理解できない行動が増え始め、私が受け取る情報量も激減していった。


 この時、彼女は義眼によって何かを見ていたはずだ。

 それは世界の真相か、求めていた魔道の深淵か、《 魂の門 》の先にあるものか、特異点を発生させたこちらの世界か、それとも、エリカ・エーデンフェルデの生きる世界に未来はない事か。

 私の素養からかけ離れた情報は受け取れず、そのまま抜け落ちていく。断片的な情報ですら拾う事が困難なほど、私たちの間には差が生まれていた。

 異なる者となったリリカ・エーデンフェルデは唯一人冒険者としての活動を再開し、変わり果てた無限回廊をひたすら潜り続け、ダンジョンマスターとしての権限を継承したエルシィと何かの情報を共有する。その果てに何かを確信した上で、彼女は《 魂の門 》を開き、消失したのだ。


 もう一人のリリカ・エーデンフェルデが何を思い、《 魂の門 》を潜ったのか、正確なところは分からない。

 私が受け取ったのは感情の伴わない断片的な記録だけなのだから、彼女がその時々で何を考え、何を思い、行動に至ったのかの指標が存在しない。果たしてそれは生まれたばかりの娘を置いていくほどの意味がある事なのか。あやふやな記憶の中で、門を潜る前後は特に曖昧だ。

 ツナ君を失った、未来に絶望していた、そんな理由だけで選択できる行動ではないはずだ。なにか意味があり、確信がある。同じリリカでも、私には理解できない何かが。


 情報が足りない以上は推察でしかないが、彼女とエルシィはおそらく世界の真相に気付いていたのだと思う。近い未来で計画が頓挫する事や、エリカが過去へと向かう事、ひょっとしたら今ツナ君たちが戦っている盤面ですら見通していた可能性すらある。

 エリカ・エーデンフェルデがこの世界にもたらし、ツナ君の手に渡ったデータ媒体は、ダンジョンマスター・エルシィによってなにかしらの手が加えられていた。そして今、ツナ君の《 土蜘蛛 》にもリリカ・エーデンフェルデの干渉が感じられている。


 彼女たちはエリカやツナ君、超常の者たちすら飛び越えてこの世界へと干渉し、在らざる未来を創ろうとしていたのかもしれない。




-2-




 リリカ・エーデンフェルデは二人いる。

 それは、道の途中で表と裏に分かたれた、基を同じくするもの。けれど、このリリカ・エーデンフェルデには決して有り得なかった可能性。そして、もう少しで完全に消失するもの。

 ツナ君の《 因果の虜囚 》のように明確な差があるわけではなく基本的に同じ存在だというのに、そこへ至る道は最初から閉ざされていた。

 夢で見て、ただの妄想だと赤面するような体験は数ヶ月で過ぎ去った。夢を通じて共有される未来は、徐々にそのボヤケた境界線を鮮明にしつつ、加速していく。その傾向は時期を追うごとに強く、クーゲルシュライバーが旅立った直後あたりからより顕著になっていた。取り繕う相手が留守だから、誤魔化す必要がないから、あとは手の届かない場所で決着のつく事だからと言わんばかりに。

 手の出せないところで進行する状況はあまりに歯がゆく、強烈な無力感を以てこの身を焦がしていた。



「……ここが分水嶺か」


 豪華で賑やかで、少しだけ形式張った中級冒険者昇格式典。この、ただの一行事の裏側で世界の命運が決まろうとしている。

 ツナ君が対存在であるイバラに勝利し、世界の改変を行う事ができなければ、この星は多数の平行世界と同様に砕けるだろう。そんな瀬戸際にある。

 しかし、ここにいる私は部外者のようなもので、干渉する術はない。深い関わりを持つのはあくまでもう一人のリリカ・エーデンフェルデなのだ。


「は?」


 漏れた呟きが聞こえたのか、料理を持って戻ってきたアレクサンダーが反応した。立食形式でどれだけ食べても構わないのに、タダ飯に手を出そうとしない私を見て困惑しているのが分かった。

 その向こう側には……見分けが付かないけどマイケルとミカエルもいる。……タキシードになるとよけいに見分けがつかないのは困ったものだ。鳴き声のような何かで区別するしかない。必然と、パンダの中では普通に喋れるアレクサンダーとの会話が増えるというものだ。

 ……そういえば、この三匹は本来ここにいるはずのない存在。ある意味では在り得ざる者の一つといえる。


「調子悪いんですか? 何か嫌いなもの食べたとか」

「いや、ツナ君たちは何してるんだろうなって」


 誤魔化すように口にして、手に持っていたジュースを呷り、口に蓋をする。……ちょっと酒精が混ざっていたらしく、むせた。

 誤魔化しではあったが、別に嘘でもない。世界の命運が気にかかるのは、イコールツナ君たちの動向が気になるという事でもあるのだから。

 今の私に分かるのは、ひどく断片的な情報でしかない。私自身が得た経験ではないし、超常の知覚から得た情報はすでに人間のソレとは異なるものだ。魔術士だから、《 魂の門 》の継承者だから、同じ存在だった者だから辛うじて拾えているだけで、普通なら断続的で断片的な情報を繋ぎ合わせる事は難しいだろう。

 在るべきはずだった未来の事についてもそう。私にはエリカ・エーデンフェルデが娘であるという認識すら希薄なのだ。

 もう一人の私が娘を愛していた事は分かる。けれど、それは自分の感情と乖離したもので、一切の共感がない。おそらく、私がエリカと邂逅しても親近感以上の感情は得られないだろう。それほどまでに母の愛は私にとって遠い感情だった。


「予定だと、今日あたりで復路に向けて出港でしたかね? 渡辺さんの場合、無事出港できないとか普通に有り得そうですが」


 何気ない軽口は見事に正解だ。とはいえ、さすがに二つの世界の命運がかかった戦いに身を投じているとは思っていないようだが。

 渡辺綱の周りでは何が起きるか分からないというのは、クラン員どころか彼を知る者に共通する認識となっている。実際、ツナ君を取り巻く事象は無茶苦茶を通り越して意味不明な領域に突入している。

 その中でも、現在進行形で発生している問題はその極みにあると言っていい。


「四神練武の時もそんな感じだった?」

「そんな感じでしたねー。ほとんど戦力外の私でさえ、無茶やってた自覚ありますし。……無限回廊深層にいるはずのモンスターに尻尾千切られたり」


 同一チームで戦った事のあるアレクサンダーは肌で知っている。そういう、失敗していたら冗談で済まされない事を平気で乗り越えてくるのが渡辺綱だと知っている。

 今、ツナ君たちが戦っているのは、そんな認識さえも遥かに飛び越えた超常の戦いなのだ。感情など伝わってこないが、もう一人の私でさえ困惑しているに違いない。識っているのと、いざ目の当たりにするのとではまるで違うものなのだから。


「ジェノサイド・マンティスや最後のモンスターハウスに比べたら、さすがに浅層はヌルいと感じるんですよね。ひょっとしたら、私たちなら三十一層の壁も軽く超えちゃったりするのかなんて自惚れたり。< 荷役 >が何言ってんだって話ですが。……私、数ヶ月前まで引越屋やってたんですがね」

「自分を卑下する事はない」


 単純に評価してもアレクサンダーは強い。スキル構成はサポート特化であるにも拘らず、戦闘力は下級冒険者の前衛を軽く凌駕する。

 純前衛のマイケルに比べたら戦闘力が一段落ちるのは確かだが、それは比べる相手を間違っている。とはいえ、ウチに彼の比較対象がいないのも確かだが。あえて言うなら、方向性はまったく違うがラディーネだろうか。


「がう、がう!」

「くまー」


 視界の端では、好き嫌いするミカエルに野菜の山を突き付けて注意するマイケルの姿があった。すでに慣れた……慣れてしまったが、冷静になってみればあきらかにおかしい光景だ。

 だって、こいつらパンダだし。


「……いや、アレクサンダーがいないと本気で困る」

「あはは……」


 あの二匹とだけパーティを組めと言われたら、どこかで投げ出す確信がある。言葉が理解できるといっても一方通行。個々の性格は置いておいても、緩衝役は絶対必要だ。多分、アレクサンダーがいなければ、一ヶ月と保たずミカエルは炭になるに違いない。

 見えていた未来、見えている現実、それらに比べてあまりに身近な事で悩む自分が可笑しく感じられた。


「そういえば、リリカさんは新人戦どうするんですか?」

「新人戦?」

「えーと、まだちょっと早いですが、六月末にそういうデビュー一年未満の冒険者向けのイベントがあって」

「新人戦自体は知ってる」


 去年のツナ君たちの試合は見てるし、今年は自分がその対象だという事も知っている。

 中級冒険者に昇格してて新人もないだろうとは思うが、過去に前例はいくらでもあったはずだ。わざわざ新人戦後にデビューを合わせる冒険者だっているのだから、準備期間が一年弱あれば、中級昇格する冒険者だっているだろう。


「いえ、私たちは多分パンダチームで出場する事になると思うんですが、ディルクさんたちが単純に三人チームを組めるのかなと」

「……一切考えてなかった」

「何か特例処置が適用されるような気がするんですがね」


 六人パーティなのだから、パンダ三匹で組むなら必然的に私はあの二人と組む事になりそうだが、アレクサンダーが懸念しているように新人の枠で出場してもいいものかは疑問が残る。

 というか、あの二人が新人か。……三対一だとか中級冒険者が云々以前に、違和感しかない。対戦相手が平均的な中級冒険者では、一対一でさえ……いや、逆に中級冒険者三人相手でも封殺しかねないというのに。

 いや、並の中級冒険者じゃ、パンダ三匹の時点ですでに厳しいような……。


「それとは別に、ベレンヴァールさんや空龍さんたちの扱いも気になります。あの人たちも新人扱いだったりするんですかね?」


 特例も特例だが、おそらくルール上は新人戦に出場しても問題ないとは思う。好奇心の塊のような龍三人なら、おそらく出場したいというだろうし。

 ……厳密にいえば龍人三人は未だ扱いは宙に浮いた状態のはずだが、問題になりそうな存在すべてがウチ所属になりそうなのも困った話だ。そろそろマネージャーが倒れるかもしれない。仕事量的な意味ではなく、心労で。


「私は最悪ソロでも構わない」

「まあ、そうでしょうね。実際そうなりそうですし。あるいは私たちの誰か一人と組むとか?」

「……ソロでいい」


 アレクサンダーならマシだけど、変にコンビネーションを構築するならソロのほうがいいはずだ。パンダたちも三人で動くほうが慣れているだろうし。

 確か、新人側は三人までのチームであって、それ以下の構成でも問題はなかったはずだ。私一人なら、中級冒険者相手でも一応真っ当な試合になるだろう。相手が対策していない場合は非常に地味な試合展開になるだろうけど。

 どの道、新人戦までに何らかの検討がされるはずだ。迷宮ギルドか、更にその上で。


 だが、どれもこれもツナ君たちが星の崩壊をどうにかした上での話だ。特異点の改変が成功しない事には、その先の未来などありはしないのだから。




-3-




 そして、どうやら未来は続いたらしい。

 不安がなかったといえば嘘になる。実際一度負けた上でのやり直しなのだから、必勝など望むべくもない。私が達観していたのだって、現実味のない情報に理解が及んでいなかっただけの事なのだ。

 ツナ君たちは勝利した。対存在だというイバラとは痛み分け、無量の貌も滅びたわけではなく、皇龍とゲルギアルの戦いも再び行われるだろう。しかし、やるべき事は果たし、未来は繋いだのだから、それは勝利と呼んでいいはずだ。私が受け取っていた情報が完全に止まったのも、すべてが終わったという証拠の一つなのだろう。

 クーゲルシュライバーの出港は遅れているらしいが、彼らも数日後には迷宮都市に戻ってくるはずだ。そこには、異常な激戦を超えて成長した者たちの姿があるに違いない。ツナ君たちはもちろん、わずかにでも関わっていれば、いい意味でも悪い意味でも影響は免れないはずだ。

 ……そして、そんな劇的な変化があったのは、あの場にいた者だけではないらしい。




「……うーん、ミーナさんもちょっと見た事ないなぁ。一応ギルド長にも聞いてみるけど、迷宮都市でも初の事例かも」


 魔術士ギルドの魔術実験室。

 魔術士ギルドにおける直属の上司であるミーネミーナは、私の向かいの椅子へと座り、眉を顰めて一枚の紙を見つめていた。それに記述されているのは、つい先ほどまで行っていた私の魔術適性試験の結果だ。


「ぶっちゃけると、《 魔術適性 》の計測値が変動する事自体はそこまで珍しい話じゃないのよ。大きな環境の変化……女性なら妊娠や出産の前後とかで変わる事はある。いや、お前には縁遠い話だろとか言い出したらミーナさん泣いちゃいそうだけど」

「言わないけど」


 この上司は何故唐突に自虐的になるのだろうか。いや、男性関係に飢えている事は知っているが。


「あとは手術で臓器移植した前後とかで変わったって例もあるし、性別変更した人も影響があるとかないとか聞いた事がある。けど……まあ、それにしたって微量でそこまでの変化じゃないし、ましてや適正値が1.00超えてスキルとして発現するケースはない。……なかった」


 迷宮都市では……特に冒険者であれば必ず一度は受けている魔術適性試験。これは、自分がどんな魔術に適性があるのかを調べるもので、スキルに表示されないような細かい適性を調査してくれる。

 元々 魔術適性 というスキルツリーは多くあるスキル群の中でも特殊な扱いで、各適性スキルのスキルレベルがLv1を超える事がない……というのが常識だった。何故ならば、これはギフト同様に生来のもので、後天的にはほぼ変動する事のない……あったとしても微量であるからだ。

 ちなみに、過去存在した最高適性はディルク君の《 情報 》の1.82らしい。こんなところでも彼は天才ぶりを発揮している。


「ところが、この結果では目に見えて適正値が激増していて、1.00を超えたものも多い」


 私の《 魔術適性 》が上昇している。そう感じたのはつい先日の事だ。原因は……まあ、一つしかないだろう。

 在るべき世界のリリカ・エーデンフェルデ。《 魂の門 》で分解され、消失した彼女から流失したのは情報だけではなかったという事なのだ。

 気付いたきっかけは義眼の精度が極端に上がった事。《 魔術適性 》という直接判別の難しいものだけならすぐに気付く事はできなかっただろうが、日常的に使用している義眼のほうは分かり易い。

 といっても、この眼が見せるものは在るべき世界のリリカが見たものとは比べるべくもないものだろうけど。


「そして、何よりSLv2だよ。理屈の上ではないはずはないって言われてたけど、出ちゃったかー」


 元より私の《 魔術適性 》の数は多く、Lv1代後半のものも多かった。単純に一人分の適性が上乗せされたわけではないだろうが、そこへ何らかの追加が行われた結果、限界を突破する適性が複数現れたのだ。

 おそらく、私だけに起きた現象ではないだろう。Lv2に到達した事例があるかはともかく、クーゲルシュライバーが帰還すれば《 魔術適性 》が急激に変化してる者も多く確認できるはずだ。魔術が苦手といっていたツナ君だって間違いなく増加はしているだろうし、《 魔術適性 》スキルが発現する可能性だってある。


「まー、未知の部分が多い分野だからね。こういう事もある。予算は増えそうだけど、私、調査でしばらくは家帰れないかも」


 ご愁傷様という他ない。多分、クーゲルシュライバーが帰還すればもっと忙しくなるだろう。

 あるいは、もっと上……イオギルド長や情報局が対応する案件かもしれないが。


「そうやって残業ばっかりしているから<出会いの場をみすみす逃し続けるのだーとか考えてるんでしょ。ミーナさんには分かるんだぞ! わざわざセッティングしてもらった合コンで失敗したしーとか」

「考えてない」


 《 魔術適性 》には一切関係ないが、以前要求された合コンは一応完了している。

 セッティングだけして私は参加しなかったのだが、協力してもらった相手が良かったのか、参加者にはなかなか評判が良く、何人かは正式にカップルが成立しそうな関係が続いているらしい。顔の広いクローシェはこういう事にも強いのだと素直に感心してしまった。

 つまり、合コンとやらの結果は成功の部類にあったという事で、私は命令された理不尽な役割をきちんと果たしたといえる。

 だから、そんな中でも当たり前のように撃沈したミーネミーナの男関係がどうなろうと知った事ではないのだ。ちなみに、その直後から残業時間が増えたらしい因果関係については特に興味がない。


「あと、実は《 魂の門 》のスキル化にも成功した。あとで調査を手伝ってほしい」

「……マジで? ミーナさんを独り身でいさせるための罠とかじゃ……」


 言いがかりも甚だしい。

 とはいえ、こちらには積極的に協力してもらいたい。これが使える者が増えれば、無限回廊の攻略に影響する事は確実なのだから。これもまた、もう一人のリリカの影響なのだろう。


「パンダでいいなら紹介する」

「いや、さすがにガチ獣はちょっと……ミーナさんの守備範囲が広いっていっても、せめて獣人くらいがいいなー。あと、贅沢って言われるかもだけど、蟲人もちょい厳しい」


 それで贅沢と言うつもりはない。本気で紹介する気もないが。


「種族的に近ければいいならゴリラとか」

「ご……ゴリラかー。うーん」


 何故そこで悩む。

 < 森の賢人 >のゴリヲ氏とは何故か交流が続いているから紹介できない事もないけれど、本当に紹介したらゴリラ側も困惑するだろう。あるいは、同じ見た目でもゴリヲ氏なら問題なさそうだけど、残念ながら彼は既婚者だ。迷宮都市動物園職員の妻がいる身である。何回かノロケ話を聞かされた。


「くそー、これはそろそろ入ってくる新卒を狙うしかないという事なのか……。でもなー、ウチってば女性比率多いんだよなー。若いライバルだらけだー。奴らの危機意識がない内になんとか出し抜くしかない」

「そんな事より、本題の対応をお願い」

「そんな事じゃねー!」


 そんな事言われても困る。


「どっちの案件も、本格的な調査はギルド長が帰ってきてからかなー。クーゲルシュライバーにはリリカのところのクラマスも乗ってるんでしょ? 中級昇格直後で色々スケジュール調整も必要だろうけど、長めに調査期間を調整してもらう必要ありそう。あ、でもまだクラン設立したわけじゃないんだっけ?」

「設立はしてない。けど、スケジュール調整だけならマネージャーいるから」

「マネージャーか。冒険者でないミーナさんにはすごく遠い世界の話に聞こえるなー。そっち経由ならもう少し出会いとかあったのかも。苦難を共にしたパーティ内でのラブロマンス的な」

「女性冒険者も晩婚化の問題はあるみたいだけど……」


 といっても、迷宮ギルドのほうは結婚支援とか色々してるみたいだけど。口にすれば面倒な話になりそうなので言わないが。


「どっちも変わらないか。これじゃミーナさん転職したくなくなっちゃう」

「そんな理由で転職されても」


 こんな有様ではあるが、魔術研究者としてのミーネミーナは優秀なのだ。だから、急にいなくなると困る。




-4-




 クーゲルシュライバーが戻ってくる予定日。

 クランメンバーのほとんどが発着場へと迎えに行く中、私はそのニュースを中央区画にある公園から眺めていた。遠く離れた巨大な公園からも容易に見る事のできるビルの一面を使った巨大モニターでは、クーゲルシュライバーの特徴的な船体が映っていた。


「君は迎えに行かないのかな?」


 ぼんやりと遠くの映像を眺めていると、公園の散歩道を一人歩いて来た青年が声をかけてくる。

 さすがに偶然通りがかったとは思えない。ここ最近の彼の動向を知っていれば、そんな事はありえない。


「フィロス……君だっけ?」


 "私たち"にほとんど面識はない。顔合わせ程度はしているし、お互いの事はそれなりに把握しているが、在るべき世界のそれとはまったく違う関係だ。

 だから、意味はないのだろうなと思いつつもそう言った。


「呼び方は任せるよ。あっちでも最後まで君付けだったしね」


 隠すつもりもない。その上で、私がある程度把握していると確信した口調だ。

 剥製職人とやらの影響がある事は知っているが、私についてはどれほど知っているのか。


「……何か、私に用?」

「いや、偶然。見かけたから声かけたんだけど、実はここ良く通るんだよ」


 どうにも疑わしい反応だった。彼も疑われているとは思っているらしい。


「用事がないってわけじゃないけど、本当に偶然なんだよな。さっきまで、この公園の敷地の向こう側にある企業で打ち合わせしてたんだ。RWWっていうんだけどね」

「企業?」

「スポンサーってやつだよ。主に装備の提供と試作、あと広報に関しての仕事とかの契約を締結してるんだ。< アーク・セイバー >は通してるけど、将来的には僕が立ち上げる予定のクランに契約を継承する事を前提としてね。君のところのユキやサージェスも、似たような契約は締結してるはずだけど?」


 いまいち良く分からないが、そういえばそんな事を話していた気もする。ウチは内部にラディーネがいるから、そういう話は少ないとかなんとか。


「まあ、色々縛りは多いんだけどね。宣伝とか」


 ……いつかの魔法少女のコスチュームみたいなものだろうか。あまりいい印象がないのだけど。


「資金的な話って事?」

「どっちかといえば、欲しい装備の開発・提供が目的かな。たとえば、この< デュアル・エンチャンター >は《 魔装刃 》や各属性刃の効果を倍加できたりするし、ゴーウェンは噴射機構付きの< ブーステッド・クラッシャー >っていうハンマーを開発してもらったりね。そういう、普通じゃない新しい装備のテストも兼ねた話だよ」

「……なるほど」


 多分、理解したと思う。ついでに、私にはあまり関係なさそうな話だ。

 在るべき世界のフィロス君を前提に考えると違和感はあるが、それでも長く冒険者を続けていればそういう話だってあったかもしれない。


「それで、ないわけじゃない用事というのは?」

「どこまでツナに打ち明けるか、かな。君がどれくらい把握しているのかは知らないけど、その情報の中にはツナや僕も知らないものが混ざっているはずだ」

「……何故、そう思うの?」


 確かにある。少なくとも、ツナ君はもう一人のリリカ・エーデンフェルデの干渉には気付いていないと感じていた。


「剥製職人が流し込んできた情報の中に、大崩壊以降の君の動向はほとんど含まれていない。だけど、リリカ・エーデンフェルデが何もしなかったとも思えない。行方不明って結果は何かあったって言っているようなものだ」


 おそらく、それは私しか知らない情報だろう。この件に関わった中で、超常はおろかツナ君でさえも把握していない話。


「言わないほうがいい話って可能性だってあるから、詳細を聞き出そうってわけじゃない。だけど、その意味を考えずにツナへ伝えるのだけはやめたほうがいい」

「……そんな事は分かってる」

「まあ、たまたま見かけたから話してるだけで、そこまで心配してるわけじゃないよ。今、ここにいるって事はそういう事なんだろうしね」


 理由としてはそれが半分。もう半分は……多分、自分の気持ちに整理がついていないから。

 彼はただ良く考えて行動しろと言っているだけだ。実際、それは正しいと思う。私が知ってる事をただ打ち明けるのは無責任に過ぎる。しかし、ただ胸に秘めておく事も辛い。


「何が最善なのかなんて誰にも分からないよ。ここから先は未知そのものなんだからさ。だからこそ、選択に意味があるんだ」




-5-




「< OVER THE INFINITE >だってさ」


 二人きりで話したい事があると、クランハウスのシミュレータールームへと呼び出され、まず告げられたのはそのクランネームだった。

 あまりに直球で、あまりにらしいツナ君のセンスに、少しだけ泣きそうになった。


「ちょっと長い気がするけど」


 そんな感情を噛み殺して、由来を知らないはずの私なら言うであろう言葉を返す。それは今回の戦いであった事を端的に説明されただけなら、決して繋がらない言葉だったから。ツナ君のスキル一覧を見ていれば同じ名前のスキル名が発現していたと気付くだろうが、それも目にしてはいないのだ。


「普段は略称を使うとかじゃないかな。OTIとかそんな感じ?」

「……クランネームに異議はないけど、用事ってその事?」


 強烈な意味が込められた名前である事は確かだが、それが本題とは思えなかった。

 おそらく彼女は気付いている。どの程度かは分からないが、いつか話した夢の話以上に私が在るべき世界の情報を抱えていると。

 それは多分、フィロス君のような情報に基づいた確信ではなく直感のようなもので、ある意味ではより鮮明に把握しているのだと感じる。


「いや、違うよ。ちゃんと言っておかないと、どうもバツが悪い気がしてさ」


 しかし、私はまだ躊躇している。これを明かすべきは今ではない。まだ時期尚早であると。

 いつまでも隠せるものではないし、隠す気もないが、これを告げる事は確実にツナ君の負担にしかならないから。


「きっとリリカは特別なんだと思う。でも、負けないから。宣戦布告」

「え? ……いきなり、なんの話?」


 一瞬混乱した。何を言っているのか分からなかった。

 しかし、その宣言をする目を見て理解してしまった。それはきっと、在るべき世界のリリカがしていた目だったから。


「< OVER THE INFINITE >って言葉はさ、多分存在証明なんだ。確かに在った、今もここに在る、そういうツナの主張なんだと思う」

「う、うん」


 それはエリカ・エーデンフェルデがいたという証明だ。それを決して忘れないための戒めでもあるのだろう。

 責任感の強いツナ君が、自分の罪はここにあると宣言しているような、そんな苦しい覚悟のようなものだ。


「でも、この名前だけじゃなくて……そこにも在るんじゃないのかな、在るべきだった世界の存在証明」

「……そこって?」


 ユキちゃんが間合いを詰めて、私の胸を指差した。


「ここ」

「…………」


 そこに在ると確信している。どれだけの情報を持っているかではなく、もう一人のリリカ・エーデンフェルデがそこにいると言っている。

 確かにそれは在るはずのない存在証明なのだと。


「そんなものは……ない。ここに在るのは情報の欠片だけ」


 だけど、それを認めていいものなのかは判断できなかった。

 在る事を誤魔化すつもりはない。しかし、それは決して私そのものではないのだから。


「それをどう扱うかはリリカ次第。……でも、ツナはきっと否定しない」

「…………」


 だから言えない。この情報が何かの命運を決めるわけではない。ならば、それは必要な事ではなく蛇足だから。ツナ君にとっては重荷にしかならないものだから。


「でもまあ、気長にいこう。ボクらの道はまだまだ続いているみたいだし」


 それが正解かどうかなんて分からない。フィロス君の言うように、決まってなどいない。ならば、私は私の在り方で選択するべきなのだろう。


 エリカ・エーデンフェルデの存在証明は残った。

 在るべき世界を生きたリリカ・エーデンフェルデの存在証明はこの胸の内にある。


 この感情は彼女だけが持っていたものかもしれない。私のものと言い切れない。

 ならば、私自身は一体どこにいるのか。

 それはきっと、これから形にすべき命題なのだろう。



 リリカ・エーデンフェルデの存在証明はまだ始まってもいない。



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