Epilogue「続く世界」




-1-




 顔のない街。顔のない学校。いくつかの救出劇を経て辿り着いたのは、地球の日本らしき風景が広がる心象世界だった。

 何度も聞かされた事がある。写真や映像で見た事さえある。迷宮都市のモデルになった日本の風景だ。

 一見すれば平和な、無量の貌の内部である事を忘れてしまいそうな風景。しかし、そんな風景に薄ら寒さを感じずにはいられない。あまりに精密に、克明に表現された世界は、この心象世界の元となった記憶が一切色褪せていない事の証明だったから。


 本来、種族を超えた転生で前世の記憶が残る事は稀で、ミユミがその数少ない事例の一つという事は知っている。しかし唯一の悪意が、無量の貌が出現した地獄の中にあって、部長と共に抗い生き抜いた経験が強烈な印象として刻み込まれた結果というのならば、そういう事もあるかもしれないと考えていた。

 だが、それにしてもこの記憶は鮮明に過ぎる。ほとんど経年による劣化程度にしか記憶の破損がないように見える。決して忘れないという怨念じみた妄執が、死の瞬間に感じていたであろう無念が、世界を地獄に変えた未知に対する怒りが、ミユミの根底にこびり付いているのを感じる。


 かつて、私たちはミユミに冒険者を志した理由について聞いてみた事がある。それはなんて事のない、冒険者を続ける上では当たり前の疑問だ。長年固定パーティを組んでいれば、一度か二度は踏み込んだ話をしていて当然。私たちのように、より上のランクを目指すならば必須に近い話題ともいえる。

 ミユミの場合、ただ単に生活のためというのは考え難い。それにしては現在のCランクだって些か過剰だ。加えて、冒険者業に並行していくつも企業を立ち上げ、ちゃんと軌道に乗せる商才もある。そもそも、ダンジョンマスターが後見人なのだから、援助を受けようと思えばいくらでも受けられたはずだ。だから、冒険者を続けるのには明確な理由があるものだと……その時の私は思っていた。


『良く分からないけど、探してるものがあの先にある気がする』


 しかし、返ってきたのは漠然とした、ひどく曖昧な答えだった。

 ミユミがそう答えたのを、当時の私は言い難い理由でもあるのかなと考えていた。しかし、それはきっと言葉そのままが回答だったのだ。

 無意識か意識してかは分からないが、ミユミはきっと地球を地獄に変えた存在を探していた。それが神の如き超常の存在だとしても、理解不能なものだとしても、無限回廊という未知の先にならばその手掛かりがあるのではないかと考えていた。あるいは、手掛かりがあるとするなら無限回廊しかないという消去法だったかもしれない。

 そして、事実その答えはあった。


『……本当にいたんだ』


 あの時、人工衛星で無量の貌を前にした時に呟いたのは、それが探し求めていた怨敵であったからこそ出た言葉なのだろう。

 ミユミは初めから一貫してそれを探していた。カタチこそ違えど、部長と同じように復讐の対象を探し求めていたのだ。

 この心象世界はそんな埒外の怨念によって構築されている。一見平和そうに見える風景の奥には、壮絶な意思が込められている。

 ここに至るまで複数の心象世界を見てきたが、そのどれもがあやふやなもの。こんな鮮明な光景が映し出された世界などなかったのだから。


 ミユミや部長が通っていたという高校へ足を向ける。もちろん正確な場所など分かるはずがないし、心象世界において物理的な住所が同じなはずもないが、そこに向かうと意識すれば辿り着けるだろうという確信があった。そこは、おそらくこの世界の中心に違いないのだから。


 そうして、気がつけば目の前には古ぼけた学校の校舎。顔のない学生が帰宅するフリをする中を逆行していく。学生服だらけの中、冒険者の格好をした私はあきらかに不自然で浮いているが、そもそもカオナシがそんな事を気にするはずもない。誰に咎められる事もなく、校舎の奥へと足を踏み入れた。

 ミユミがいるとするなら、それはサラダ倶楽部の部室以外に有り得ない。部室がどこにあるかなど分かるわけもないが、人の気配だけを頼りにあたりを付けていく。


 私は、こんな怨念の塊のような世界からミユミを救い出さねばならない。それはきっと想像以上にハードなものになるだろうという確信があった。

 そもそも、この世界に囚われているミユミは岡本美弓であって私の知るミユミではない。当然、面識もないし、彼女が当時どんな人間だったのかも良く知らない。

 もしもここにいるのが私でなく部長ならば、と考えずにはいられない。それが現状において贅沢な望みだと知っていてもだ。

 そんな不安材料だらけの中、私はミユミを救出しなければならないのだ。


 気が付けば目の前は廊下の行き止まりで、資料室のような、物置のような、そんな印象を抱かせる部屋の扉があって……マジックペンか何かで『サラダ倶楽部』と書かれた紙が張られていた。

 ……間違いない。この向こうにミユミがいる。その気配を感じる。


 果たして、この先に待ち受けているのはどんな試練か。息を飲みつつ扉へ手をかけた。





「ふんぎゃーーーーっっ!!」



 扉を開けると、中ではポニーテールの女子生徒が、メガネをかけた男子生徒にプロレス技をかけられていた。技名は知らないが、なんかこう……地味に痛そうな関節技だ。


「ひー、ごめんなさーいっ!! あっしが悪かったのは認めますから……って、痛い、痛いっ!!」

「痛いか、そうか俺の心はもっと痛いんだ。分かってくれるよな?」

「分かりません!!」

「正直で結構。お前にそんな理解力は求めていない!」


 ……これは一体全体、どういう事なの。


「ほ、ほら、レタスセンパイ。お客さんです……って、ええ! 金髪!? というか、なんか耳長っ!? 意味分かんないですけど、こ、コスプレの人が待ってますから!!」


 断じてコスプレではない。私にいわせれば、そちらのほうがコスプレに見える。


「ふん。まあいいだろう、これに懲りたら実在青年の同人誌など描くんじゃない」

「へ、へへー。今度は許可をとってからにします」

「いや、そもそも描こうとするんじゃない。人がいねーのをいい事に好き放題しやがって。なんで俺が渡辺とホモらなけりゃならんのだ」

「それは需要と供給のメカニズムが出した真理でありまして……あ、すいません、なんでもないです」


 メガネのセンパイから逃げるようにして、私の後ろへと隠れるポニーテール。多分、これがミユミの前世なんだろうけど……なんで推定レタスセンパイがいるんだろうか。ビジュアル的には見覚えがある。間違いではないだろうが、本人がこんなところにいるはずはない。だけど、心象世界が生み出したものだとしてもカオナシであるはずなのに。


「あー岡本後輩よ、なんかお客さんが戸惑ってるだろ。人を盾にするんじゃありません」

「ご、ごめんなさい。えーと、金髪エルフさん?」


 そう言って私の顔を覗き込む推定ミユミは、私の背よりも頭二つ分くらい上にあった。いつものチビッ子しか知らない身としては違和感しか感じない。


「クラリスです」

「え、マジで外人さんなの……どうなってんのこの耳」


 ええい、引っ張るな。


「それで、そのクラリスさんはどうしてここに? ここはサラダ倶楽部っていう意味不明な活動しかしていない謎の部活だぞ」


 自分で謎の部活って言うのか。……いやまあ、聞いてる限りでは確かに謎の部活みたいだけど。

 ……いや、そんな事はどうでもいいのだ。なんなんだ、この状況は。アホらし……。


「無責任。部長一人に任せっきりで、こんなところで遊んでるなんて」

「ほへっ?」


 ミユミに向き合って、そう告げる。何を言っているのか分からないという風だったが、それが私の感想だった。


「新入部員のクラリスです。サラダネームはパイン。この馬鹿トマトを引き取りに来ました。連れて帰っていいですか? レタスセンパイ」


 イレギュラーらしきレタスセンパイに向き合って、要件を伝える。

 背後ではミユミが困惑した雰囲気を出しているけれど、理解できないのならそのまま連れ出してしまえばいい。


「え、えーと、まさかの新入部員とな……てーか、パインサラダとか」


 お前が付けたんじゃ。


「おう、いくらでも連れて行っていいぞ。ついでに、もう戻ってくんな」

「え、ちょ……」


 レタスセンパイの即断に更に混乱するミユミ。私も、その返答にはちょっと混乱気味だ。


「こんな終わった部活にしがみついてんじゃねーよって事だ。ここは何もないただの残骸なんだからな」

「…………」


 ああ、そうか。これはレタスセンパイの記憶なのだ。ミユミの中に辛うじて残された、記憶の欠片。それが、夢の住人として形を成している。


「かくいう俺だって、自分の名前すら分からない不良品だ。そんな俺でさえまだマシ。他の連中なんて……見てみろよパインたん」

「パインたん言うな」


 まさか初対面でパインたん呼ばわりされるとは。これが歴戦のサラダ倶楽部部員だというのか。


「ドレッシングにキャベツにハムにキュウリにマヨネーズに、あとついでにブロッコリー。どいつもこいつもただの人形だ」


 良く見れば、部屋の隅にはズラリと人影が並んでいた。そのどれもがカオナシ。見分けなどつか……ない。


「あの……すいません、この人たちなんでキャベツやらドレッシングの容器やらを持ってるんですか?」


 そのカオナシたちは自己主張でもするように野菜や調味料を手にしている。


「顔がないからキャラ付けだ。分かり易いだろ」

「めっちゃ雑!?」

「ついでにいうと、こいつらはそこら辺の教室から運んできた無関係の生徒だ」

「部員ですらないのっ!?」


 一体、私は誰を紹介されているんだろうか。


「辛うじてポテトは顔があるものの、ほら見ろ何故か土佐犬になっている。いや、俺が忘れてるだけで闘犬の選手だったりしたのかもしれんが」

「いや、多分ミユミの記憶違いです」


 あー、そんな立派な化粧まわし着けちゃって、ポテトセンパイ……って呼んでいいのか分からないけど。


「何より、ここにはお前の敬愛する渡辺綱はいないぞ」


 その言葉に、私の肩に置かれた手が強張ったのが分かった。見上げれば、そこには無表情になった岡本美弓。

 この岡本美弓が状況を把握しているとは思えない。前世の情報だけを簒奪された以上、部長が今何をしているのかなんて知らないはずだ。だけど、何かを理解してはいる。そういう反応だった。


「そいつは最初から分かってんだよ。ここが偽物の世界だって理解した上で、ぬるま湯に浸かって遊んでただけだ」

「だけど……これは私の大事な……」

「お前が大事にしているのは、こんな偽物なのか?」


 鋭く、厳しい言葉だった。


「こんな、名札代わりに野菜抱えてる人形が大事だとか笑わせる」


 だけど、その雑なキャラ付けはレタスセンパイがやったんじゃ……。


「過去の記憶が大切なら、こんな残骸なんかにしがみつかず、それを取り返すために行動するべきだ。名前も顔も分からねえヤツらを大切だとか言う前に、やるべき事があるんじゃねーのか。ええ、トマトさんよ」


 突き付けられているそれは正論だ。だけど、それを取り戻すのがどれだけ困難か知ってしまった以上、私は簡単に同意できなかった。


「良く分からん顔の化物を殺せって言ってるわけじゃないぞ。たとえば、そこにいるパインたんはお前の大切なものじゃないのかって事だ。あとどれだけ後輩がいるかは知らんが、お前はそいつらからも目を逸らすのか?」

「あ……」


 漏れた呟きは私と美弓のどちらのものであったのか。

 ふと、横を見れば……私の良く知るハーフエルフのミユミがそこにいた。


「私にサラダネームとか言ってパインとか付けたのはミユミでしょ。キャロットだって、パセリだって、セロリだって一員のはずでしょ」

「めっちゃいるな、おい」


 余計な茶々を挟まないでほしい。


「ミユミがいなかったら、みんな悲しむよ。私だってそう。何より、部長は一人で苦しんで、今も戦ってる。……目を逸らすな、岡本美弓」

「……パインたん」

「いや、パインたん……でも、なんでもいいから。どうせ言っても聞きゃしないんだし」


 世界が割れる音がした。それは心象世界が崩れる音。

 涅槃寂静ともカオナシとも戦ってない。待っていたのは気の抜けるコメディではあったけど、私はミユミの手を握っている。私たちの大切なリーダーの手を。


「レタスセンパイ、お世話になりました」

「おー、先輩だから後輩の世話は焼かないとな」


 私がそう言うと、レタスセンパイはこちらに背を向けて手を振った。


「レタスセンパイ……それじゃ、また」

「またじゃねーよ。もう来んな」

「なんで、あたしには辛辣なんですかっ!?」

「そりゃお前……それがサラダ倶楽部のカーストだからな。どうせ今も大差ねーんだろ」


 確かにそうだ。無言で同意していると、ミユミから非難の視線を向けられた。


「じゃあな、後輩ども」




 レタスセンパイがそう言ったのを最後に、世界は跡形もなく崩れ落ちる。

 私はミユミの手を握ったまま。暗く、深い闇の底へと沈んでいった。





-2-





「……という事があったんです」


 世界の改変が終わり、時間が巻き戻り、あとは迷宮都市に帰還するだけという段になって、俺はクラリスからそんな報告を受けていた。

 途中の光景は見ていたし、最終的に無事救助できたという事も知っていたが、まさかそんなコメディが繰り広げられていたなんて。

 ……というか、レタスさんそんなヤツだったかな。あんま良く覚えてないんだが。

 実際のところ、どこまで元の人格を再現していたかは微妙なところだろう。美弓の中にレタスの顔の記憶がある事は確かだが、そこに人格を再現できるだけの情報が含まれているかどうかは分からない。

 ……だがまあ、もちろん本人だっていう可能性はあるし、否定もしない。そのほうが、救われる。


「全然覚えてないんですけど。何故、あたしは夢の中でまでプロレス技をかけられるのか……」


 ぐったりとテーブルに突っ伏している美弓は、報告の内容に納得がいっていないらしい。

 本人にしてみれば、最後の記憶は空龍を突き飛ばしたところで終わっているらしく、気がつけば時間が巻き戻っていたらしい。

 《 土蜘蛛 》で改変を行う際、龍世界の情報も観測していたが、美弓は戦闘で発生したクラックに挟まれて気絶していたはずだ。その間の記憶もないのなら、あるいは前世と今の魂は個別に存在しているという事なのかもしれない。クラリスの報告内容を聞く限り、線引きは難しそうではあるが。


「というかー、肝心な時に活躍できないとかー、マジ最悪って感じなんですけどー。なんでパインたんのほうが目立ってんじゃー」

「そんな事言われても、こっちだってめっちゃしんどかったんだから」


 ベレンヴァールじゃないが、実際クラリスは大したものだと思うぞ。普通、ゲルギアルみたいな化物を前にして啖呵を切れない。

 かといって美弓が何もしていなかったわけでもない。把握している者は極少数……正確には俺だけかもしれないが、美弓がいなければ破綻していた場面はいくつもあったのだ。通常モードに切り替わった今、それを口にすると調子に乗るかもしれないから言わないが。

 ……いや、これは俺が怖がってるだけだな。




「そういえば、結局出港はいつまで延期になるとか聞いてます?」

「正確なところは分からんが、セカンドからは二、三日って聞いてるな」


 こちらに残るつもりだったが急遽帰還する気になった者が多過ぎるせいで、クーゲルシュライバーは未だ出港できずにいた。まあ、あんな事があれば当たり前ではあるが。

 記憶が残ったかどうかは別にしても、魂の根底に刻まれた恐怖には抗い難い。それは、無量の貌に対して闘志を燃やす冒険者でも同じ事だ。少なくとも物見遊山や観光目的で残る者は少ないだろう。残る人は、基本的に何か理由があって滞在するのがほとんどである。

 俺としても、皇龍や界龍にはもう一度挨拶しておきたいから、二、三日増えたところで構わん。


「杵築さんは?」

「ダンマスはもう帰った。機嫌悪そうだったから、しばらく煽りにいかないほうがいいぞ」

「そんないつも杵築さんで遊んでるみたいな……」


 でもお前、ダンマスが作ったトランプタワー壊したりするじゃん。


「向こうに戻ったら、報告やらなんやらで嫌でも顔合わせる事になるんだがな。那由他さんとかにも会わないといけないんだが、お前的に気をつける事とかある?」

「トマトちゃんメモに対策をまとめてあるんで、あとで打ち合わせしましょう」

「え、そんな対策が必要なのか」

「基本的には優しい人ですが、ペースが独特なのと……地雷がいくつか埋まってるんで、それに触れると簡単に沸点を超えます。そこら辺をクリアすれば、ただの引き籠もりです」


 どんな評価だ。というか、年末はその対策すらなしに顔合わせるところだったんだが。実はこいつが一番実像を理解してるのか?


「まー、杵築さんが一緒なら問題はないと思います。一種の精神安定剤なんで」

「お前、一応養女的な立場なのにそんな立ち位置なのか」

「那由他さんに限らず、三人とも微妙に距離感が掴み難いというか……距離が近いというか、世話焼きすぎというか、抱きつき過ぎというか」


 神がかった距離感を持つ美弓がこう言うという事は、かなり面倒臭いという事だろう。

 あるいは、トマトアラートが反応しないタイプの相手なんだろうか。エルシィさんだけ見ても反応に困る相手というのは分からないでもないが。というか、ここまで結構情報集めてきたつもりだが、はっきりした人物像が浮かんでこないのはすごいな。


「なので、あたし用の精神安定剤としてパインたんに同席してもらおうかと」

「どうしよう、普通に嫌なんだけど」


 嫌そうな顔してるが、重要参考人なのは確かだしな。連れて行かなくても、向こうから同席を求められる可能性はある。


「諦めたほうがいいかもな。多分呼ばれる」

「えー。じゃあ、代わりにコレ持っていっていいから」


 と、クラリスは何故かレタスを取り出した。


「おお……レタスセンパイ。変わり果てた姿に……って、なんでこんなものが?」

「いつの間にか《 アイテム・ボックス 》に入ってた」


 ちなみに、クラリスが出したのはレタスセンパイではなく野菜のレタスだ。出自不明のレタスとか、あまり口にしたくない食材である。

 原理は良く分からんが、レタスさんのお土産という事だろうか。美弓の心象世界にいたレタスが本物か幻か、ますます判断の難しくなる話だな。





-3-




「世話をかけたな、渡辺綱」


 延期されていたクーゲルシュライバーの出港を前に、俺は再び人工衛星へとやって来ていた。

 眼の前には空龍と色違いの、皇龍の分体。特異点の発生時とは違い、この場には二人しかいない。いや、分体である事を考えると一人……なのか?


「ヌシには返し切れぬ借りができた。どうやって返済すればいいか困るほどに大きな恩だ」

「気にしなくていい。俺たちの同盟はそういう関係で成り立つもんなんだろうさ」

「それでも、言わずにはいられん。何より、これだけの恩を受けて何も言わずに済ませるほど、妾は厚顔無恥ではない」


 あの戦いを経て、皇龍もまた何かが変わったように思える。こうして分体と話していても、どこか人間味のような個性を感じずにはいられない。


「俺もゲルギアルに借りを作ったまんまなんだよな。これもどうやって返すべきか」

「お互い難儀な事よ」


 俺とイバラと同じく、皇龍とゲルギアルの戦いもまた決着は見送られた。そう遠くない内に再び激突するのは確実だとしても、それまでには借りを返しておきたいところだ。殺された事を差し引いても、あいつから借りたものは大き過ぎる。


「ああ、借りはまた別にしても、空龍たち三人をウチのクランで活動させてもいいかな」

「構わん。むしろ願ってもない事だ」


 このままだとなし崩し的にクランに参加する事になりそうだったが、保護者の許可がもらえるならばそのほうがいい。

 世界同士の交流における代表としての役目がある以上、常時ってわけにもいかないが、このまま所属が宙ぶらりんってわけにもいかないからな。


「そういえば、お前が滅びなかったカラクリっていうのは結局なんだったんだ? 秘密だっていうなら聞かないが、空龍を迷宮都市に長期間留めるとまずいとか、問題や懸念があったら教えてもらいたいんだけど」

「特にそういった制限はない。そもそもアレも、ゲルギアル相手にはバレた手の内だ。二度は使えんだろう」


 やはりというか、皇龍が滅びなかった事、空龍を逃がそうとした事は確信的だったらしい。ゲルギアルが一手届かなかった皇龍の奥の手という事だ。


「実のところ、妾とあやつの間には相互補完を行うラインのようなものが繋がっている。妾が滅びても、空龍が生きていれば自然と補完され復元される。逆もそうだ」

「つまり、皇龍を滅ぼすには同時に空龍もまとめて滅ぼさなければならないと」

「そうなるな。空龍自身は知らぬ、妾にしても偶然の産物であるが、上手く働いたようだ」


 二度はゲルギアルに通用しない。カラクリがバレたのなら、その線ごと断ち切る術がヤツにはある。

 成功確率が不確かなぶっつけ本番だとしても、強力な能力ではあるな。この先にはそういった次元の戦いが待っていると考えると気が遠くなりそうだ。

 というか、逆にも作用するなら空龍も滅ぼせないという事になるな。


「次の手を考えねばならんな。今度はゲルギアル・ハシャを真っ向から滅ぼせるように」

「そうだな。俺もイバラをどうにかする手を考えないと」


 無限回廊四四四層での再戦が待っているといっても、俺もあいつも< 地殻穿道 >の時のままであるはずがない。

 イバラは確実に、あの時以上の力で以て俺の前に立ちはだかるはずだ。


「妾や龍に手伝える事があれば言うといい。同盟の利点というやつだな」

「分かった。最大限に活用する」


 イバラはその特性上、誰とも同盟できない。逆に、俺は俺がとれるすべてで以て挑むと決めたのだから、これもまたその一つだ。

 そうしないと、そう在らないと同じ土俵に上がれない。俺たちはそういう関係なのだから。


「これからもよろしく頼む、我が同胞よ」

「ああ、よろしく、我が同胞」




 そうしてクーゲルシュライバーは出港し、俺たちの短くも果てしなく長い世界交流は一旦幕を下ろした。

 といっても、往復便はこれから頻繁に出る事になるし、俺もこちらに来る機会は多いだろう。界龍と約束した迷宮都市案内もそう遠い未来の話ではない。奥さんを伴って見送りに来てくれたグレンさんにしても、一ヶ月後くらいには迷宮都市に帰還し、無限回廊第一〇〇層の攻略に参加する事になるはずだ。


 そうやって、二つの世界が交流する事が当たり前になっていく。それもまた、俺たちが創り出す世界のカタチの一面なのだろう。

 悪くはない。改変した世界は悪い事ばかりではないと、そう証明しなければならない。





-4-




 その後、迷宮都市に帰還した俺たちは、冒険者業よりも何よりもまず報告をまとめる事に忙殺された。

 大量のレポートをまとめ、考察し、対策を検討する。クランマスター研修の勉強も併せて行わなければいけないので、冒険者なのか事務員なのか分からないような毎日が続く。

 数日後にはダンマスや那由他さん相手に直接報告をする場も用意されているが、こちらもこちらでハードな事になりそうな気がしてならない。とりあえず美弓は縄で縛ってでも同席させねば。




 その日、俺は事前に連絡をとって、とある民営の訓練場へとやってきていた。息抜き兼食事がてら、今回の一件についてフィロスと摺合せをする予定だ。


「おつかれ」


 久々に会ったフィロスは、こちらの状況を把握しているにも拘らず、気軽な労いの言葉をかけてきた。待ち合わせが訓練場という事もあって、模擬戦をした感想くらいにしか聞こえない。


「めっちゃ大変だったんだが」

「知ってるよ。でも、まあツナだしね」

「それでなんでも済ませようと思うなよ。ユキさんが真似するだろ」

「残念だけど、ユキの真似なんだよね」


 それじゃ仕方ないな。


「とりあえず、忘れない内にこれ返しておくわ」


 と、俺は《 アイテム・ボックス 》から取り出したスキルオーブをフィロスへと放る。その数は一つだ。


「使ったのは一つか。……君だけ?」

「ああ。スキル習得だけじゃなく、色々使いはしたが、ユキはいらないとさ」


 フィロスは受け取ったオーブをそのまま握り潰した。しまったわけではなく、単純に粉砕したという事なのだろう。

 在るべき世界でフィロスから受け取った《 因果への反逆 》だが、結果的にそれを習得したのは俺だけだ。メリットがあろうが大量のデメリットも抱えるとなると、即習得というわけにもいかない。ユキが下した決断もまた英断ではあると思う。


「乗り切れはしたんだから、役目は果たしたって事さ。必要ないなら、ないほうがいいものではあるしね」

「呪いみたいなもんだからな」

「みたいなものではなく、正しく呪いだよ、これは」


 フィロスがどんな苦渋を味わったかは想像するしかないが、その言葉は唾棄すべき相手へ向けられるものとして俺の耳に響いた。


「誰もいないが、すぐ出れるのか?」

「しばらくしたらルーニーが来るから、出るのはここの鍵渡してからだね。なんなら、食事の前に模擬戦でもするかい?」

「いや、いいや。実はまだまともに動けねーし」


 イバラと戦っている最中は無視していたが、実のところ俺の体と魂は重症というレベルではない。動けない事はないが、冒険者としての活動や模擬戦はしばらく難しいだろう。感覚としては、全快までは二、三ヶ月ほどかかりそうだ。

 加えて、あのブースト状態とのギャップが激しい。常時、深海の中にいるような重さを感じる。


「君なら、その状態でもそれなりに戦いそうだけどね」

「必要ならやるけどな。実際イバラ相手にはそうしたわけだし」


 でも、模擬戦はしたくない。


 俺が早く来てしまったのか、単に待ち人が遅刻しているだけなのかは知らないが、そうやって俺たちは立ち話を続けた。

 内容としては今回の一件の詳細や、今後の事について。食事しながらの予定ではあったが、別に今話しても問題はない。


「あー、そういえば飯食いながらじゃ、こいつは出せないな」


 《 瞬装 》で《 アイテム・ボックス 》から出したものを掲げる。


「……なんだい、それ」

「俺の腕」

「は? ……ああ、それが前世の君の腕だったっていうものか。なんていうか……グロいね」


 人の腕にグロい言うな。実際グロいけど。


「ずいぶん歪だけど、剣なのかな」

「多分な。イバラが持ってた時は大太刀みたいだったけど、持ち手に合わせて変わるらしい」


 俺の手の中にあるものはせいぜい両手剣サイズ。形状としては剣か、刀か、それ以外の良く分からないものか。地球で俺が振るっていたのも大体こんなサイズだったと思う。

 《 鑑定 》も上手く通らず、ただ< 渡辺綱の左腕 >とだけ伝えてくる良く分からない物体だ。


「これさ、やっぱり俺の腕だったらしい」

「……最初からそう言ってたと思うけど?」

「説明は難しいんだが、俺はこいつがない事でバランスが崩れてたみたいでな。微細なものなんだが、魂と実体がズレたままだった」


 再び< 渡辺綱の左腕 >をしまう。代わりに取り出したのは、< 紅 >。それを、数十メートル離れた訓練場のカカシに向けて投擲した。


「……そういう事か」


 < 紅 >は見事カカシの中心近くへと突き刺さる。これまでの俺なら当たらないか、当たっても中心から外れたところに突き刺さっていただろう。それを見ただけでフィロスは納得したらしい。察しがいいね。

 ちなみに、本調子じゃないのに想定していた以上に上手くいって、実のところほっとしている。


「微妙な魂のズレが、空中戦や遠距離戦におけるバランスを狂わせていたって事なんだろうな。苦手分野を克服したぜ」

「ちょっと気になってはいたんだ。超多段連携みたいな精密動作の極地みたいな事を成功させるのに、空中戦が苦手なのはなんでだろうって」

「片腕なくて、それに気付いてもいないならバランスはズレるわな。つまり、今の俺は真・渡辺綱というわけだ」


 それを取り戻した事で、ようやく渡辺綱になったという事でもある。

 元々大雑把な戦い方がメインだったから気にしてなかったが、ユキみたいな戦闘スタイルだったらもっと違和感を感じていたはずだ。


「なにが真・渡辺綱なんですか?」

「うおっ!?」


 突然背後から話しかけられた。確かに気を抜いていたが、今の俺が容易に背後をとられるというのはなかなかに難易度が高いと思うんだが。

 ……フィロスの表情を見る限り、なんか邪魔してやがったなこいつ。


「お、おりんりん様」

「なんやそれ」


 立っていたのは燐ちゃんだ。未来の燐ちゃんでもs1でもない、この世界の燐ちゃん。

 思わずシャドウの姿が蘇るが、眼の前にいるのは執念の塊のようなそれとは似ても似つかない少女の姿だ。

 ……コレがアレになるとか信じられねえ。環境が変わった事で結果に変化はあるだろうが、それでも根本的な才能は同じなはずだ。……いや、同じ姿にしてはいけないのだろう。


「あーいや、なんでもない。……燐ちゃんはなんでここに?」

「なんでというか、学校終わったから? うち、放課後はいつもここにいるけど」

「だからギルドの訓練所じゃなく民営の施設使ってるのか」


 未だ冒険者でない燐ちゃんはギルドの冒険者用施設を利用できない。剣刃さん宅にも道場があるから違和感が先行していたが、良く考えてみれば当然の事かもしれない。


「安くはないけど、必要経費かな。ウチの師匠とかもいるから、< アーク・セイバー >の施設使うのもね」

「ああ、お前が半殺しにしたっていう」

「物理的な説得と言ってほしいな」


 いくら実力者相手でも、冒険者の力を一般人に向けるのはどうかと思うぞ。しかも、それが育ての親とか。


「渡辺さん、暇ならうちと模擬戦しましょ」

「駄目、僕が剣刃さんに怒られる」

「ぶー」

「ぶーじゃなくて」


 仲いいね、君ら。

 後遺症がなければ模擬戦くらいやっても構わないのだが、フィロスが言うように剣刃さんからは止められている。

 s1はどちらかといえば俺よりの戦闘スタイルだった気もするが、正統派で成長させるつもりならあまりいい影響はなさそうだというのも分かるので、現時点で手を出すつもりもない。燐ちゃんが冒険者になるのなら、確実にどこかで立ち会う事にはなるだろうし。


「まーいいですけど。最近ちょっと調子悪いし」

「そうなのか?」


 天才故のスランプとかそんな感じだろうか。デビュー前でLv1の癖に中級冒険者相手に勝ったりするとか聞いてるんだが。


「なんかこー、ズレる? 上手く言えんのやけど、刀振るたびに違和感が付きまとうんです。土亜も、電波受けたみたいに誰かが呼んでるとか言い出すし」

「…………」


 フィロスのほうに視線を向けると、無言で頷いた。……理屈は分からないが、何かしらの影響を受けているのだろうか。


「中二の頃にありがちな病気だな。俺も現在罹患中だ」

「いや、中二病とかでなく」


 迷宮都市の冒険者はみんな中二病みたいなもんだが。じゃないと、あんなキラキラした鎧とか露出度マックスなプロテクターとか着てられない。

 日本人が無理にしてるコスプレじゃなく、実際に似合っているから特に問題はないのだ。中には本気で痛々しい人もいるが、そういうのは置いておくとして。


「模擬戦はともかく、燐ちゃんと立ち合うとしたら、新人戦とか? そういうちゃんとした場のほうがいいだろ」

「君が相手とか、新人の心が折れそうだね」


 資格はあるんだから別に問題はないはずだ。そもそも俺たちの時だって、本気で大人げない人が相手だったわけだし。それをやられた俺がやっちゃいけないという決まりはないだろう。


「もしくはクラン対抗戦だな。このままならウチは年末までに設立間に合うし」

「お父ちゃんとかが出てるヤツですか。じゃあ、それで。フィロスさん頑張ってください」

「……そっちはあまりの勉強量に僕の心が折れそうなんだけどね。というか、他に足りないもの多過ぎて、今年はちょっと無理があるんじゃないかな」

「えー」


 量もあるが、日本語ネイティブじゃねーとキツイ内容も多いしな。むしろ、迷宮都市来て一年経ってないのに参考書読める時点でビビるわ。

 ウチだって余裕があるわけじゃないし、人数やらGPやら資格やらのハードルで、本来はそうポンポン設立できるもんでもない。スケジュール的にも厳しい。でも、フィロスなら、来年あたりには普通に立ち上げてそうな気はする。

 というか、今年の年末に出てこられても、予定しているイベントが多過ぎるから正直困る。夜光さんと戦う約束然り、おっさんに引導渡す役目然り、約束はしていないがリグレスさんだって待っている気がする。


「そういえば、そのクランの名前はもう決めたのかい?」

「候補はあるから、それが通ればほぼ決定ってところだな。団長とはいえ、無理やり決めるわけにもいかんし」


 とはいえ、よほどの事がない限り決まりだろう。変な名前ってわけでもないし、ちゃんと意味もある。少なくとも頼光四天王よりは遥かにマシだ。




-5-




「< OVER THE INFINITE >だってさ」


 二人きりで話したい事があると、クランハウスのシミュレータールームへと呼び出したリリカに対して、雑談がてらその名を告げる。

 それはツナが設立するクランの名前。現段階は候補だけど、多分これを覆す気のある人は少ないと思う。


「ちょっと長い気がするけど」


 由来を知らない"はずの"リリカが言う。それは、言葉の印象だけで聞けば自然な事。


「普段は略称を使うとかじゃないかな。OTIとかそんな感じ?」


 別にオチが付くわけではない。あと、地味にorzっぽくも見える。


「……クランネームに異議はないけど、用事ってその事?」

「いや、違うよ。ちゃんと言っておかないと、どうもバツが悪い気がしてさ」


 クランネームに関しては、また別にツナから伝達があるはずだ。ひょっとしたら、律儀に名前募集したりするかもしれないけど。




「きっとリリカは特別なんだと思う。でも、負けないから。宣戦布告」

「え? ……いきなり、なんの話?」


 それはそうだ。普通ならこれで伝わるはずはない。だけど、ボクは気にせず進める。何故なら、その必要はないから。


「< OVER THE INFINITE >って言葉はさ、多分存在証明なんだ。確かに在った、今もここに在る、そういうツナの主張なんだと思う」

「う、うん」


 エリカ・エーデンフェルデがいた証明。なかった事にしてはいけないという決意の表れ。そういうものだと思う。


「でも、この名前だけじゃなくて……そこにも在るんじゃないのかな、在るべきだった世界の存在証明」

「……そこって?」


 リリカの前に立ち、指を向ける。それが示すのはリリカの胸の内だ。


「ここ」


 根拠はないに等しい。感じるのも、勘とも呼べない違和感程度のものでしかない。しかし、不思議と確信に近いものを抱いていた。

 それは確かにそこにあると。だからこそ、宣言するべきだと思ったのだ。その上で、ツナの隣を譲るつもりはないと。


「…………」


 そして、それは正解だったようで……リリカの雰囲気がわずかに変わった。幾重にも偽装していた仮面が解けたような、誤魔化す事を諦めたような変化。

 ……ほらね。


「そんなものは……ない。ここに在るのは情報の欠片だけ」


 返ってきたのは否定。しかし、それは肯定に等しい否定。リリカはきっと、それが自分自身のものだと肯定できないのだろう。


「それをどう扱うかはリリカ次第。……でも、ツナはきっと否定しない」

「…………」


 いや、"できない"。それはツナの背負った業の中で、最も重いものだから。


「でもまあ、気長にいこう。ボクらの道はまだまだ続いているみたいだし」


 ツナが穿った道は続いている。対の待つ約束の場所、怨敵の鎮座する深淵、あるいは更にその無限の先へと。

 ボクたちの道は続く。私たちの道は続く。後悔さえしなければ、答えはその中で見つければいい。


 ……私はもう、後悔はしない。




-6-




 こうして世界は続く。ここよりの道はすべてが未知となる。

 在るべき世界を否定し、多くのものを失い、渡辺綱が償い難い原罪に目を向けてようやくスタートライン。

 その道にエリカ・エーデンフェルデは存在せず、因果の獣も消失した。強大なる敵はそのまま、無数の因果を喰らう事で積み上げた切り札ももう残っていない。

 しかし、道は続く。続く道を抉じ開けた。それは確かに次なるステージへ続く道なのだ。


 確定した因果をなぞり、否定するためだけに演じられた舞台は終わりを告げる。




- 第六章「終わる世界、続く世界」完 -



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