幕間「個性の証明」




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 迷宮都市の社会システムは極めて歪である。大陸各地に見られる都市の構造と違うのはもちろん、モデルとなった日本の社会体制と比べてもまったく別モノになっている事は、一般公開されている資料を比較しただけでも分かる事だ。

 それはこの世界独特の環境によるものであったり、ダンジョンマスター杵築新吾や迷宮都市領主那由他の考えを反映されたものであったり、都市運営で続く中で改良されていったりしたものであるが、最も大きな違いは人が人として豊かになるためのシステムではないという事だ。すべては冒険者が無限回廊攻略を進める上で必要だから提供されているものであり、一定以上の結果が出ているからこそ継続しているものという事である。

 街内で提供されるサービスや商品が冒険者向け、一般向けに分化している事からもそれは読み取れるだろう。

 ただ、それは単に冒険者が優遇されているというだけではない。単純に分けざるを得ないという事情も大きく反映されている。

 分かり易い例を出すならば医療だ。種族や性別、年齢の違いによる差よりも、冒険者かそうでないかの差は大きく、求められるものも変わってくる。内科や外科といった分野の違いよりも先にその違いによって区別されている。

 冒険者向けの病院と一般向けの病院が異なるのも、こういった区別によるところが大きい。特に利用制限があるわけでもないが、単純に考えて冒険者に一般人向けの診療や治療では足りないし、逆の場合は過剰といえるだろう。元々は診療時に判断していたが、冒険者の人口が多くなれば専用の病院を用意しようというのは当然の流れなのかもしれない。


 そうして分化した先でも提供サービスの模索は続き、最適化されていく。その中で最も大きなものは死亡時の転送対応だろう。確実に一般向けには必要のないサービスだ。

 冒険者は日常的に死ぬ。デビュー直後は生きて帰れるほうが珍しいし、慣れてきても一度のダンジョン・アタックで一人くらいは死ぬ。脱落者が出たタイミングが撤退を決めるタイミングである事も珍しくなく、そこからパーティが瓦解するのも珍しくはない。新しいダンジョンや層に挑む時は当然のように死ぬし、身の丈に合わない難度のダンジョンを攻略すれば当然簡単に死ぬ。華やかに見える最前線の攻略組は、死にっぷりも華やかだ。

 中堅冒険者が日常的に行う訓練的な狩りであっても、安全マージンを多くとろうが、パーティ内の連携がしっかりしていようが、不慮の事故が起きればあっさりと死ぬ。

 そうして死んだ者がどこに行くのかといえば、冒険者用の病院である。より正確に言うならば、病院内に設置された転送専用のフロアだ。クラン機能などで個別に転送先を設定していない限り、死亡した冒険者はここへ転送される仕組みである。

 そこでは専任の医療スタッフが二十四時間常駐しており、マニュアルに従って冒険者をベッドへと運ぶ。死んで、起きたらベッドの上というのが冒険者の認識だが、その間のフォローをしてくれるのが病院スタッフなのだ。彼らがいなければ、死亡者は自力で目覚めるまで転送ゲートの描かれた部屋で全裸のまま放置されるのだから、どれだけありがたい存在かが分かるというものだろう。

 実際それを理解していない冒険者は少ない。サービスを受けた事のない冒険者は、登録だけしてトライアルも突破していないルーキーの一部か渡辺綱だけだ。


 迷宮都市の表舞台ではなく、普段目立つ事はないが、冒険者の活動を支える者は多い。彼ら医療スタッフもその一部を担っているというわけである。




「冒険者の搬送はぶっちゃけしんどいけど、こうやってすごいもん見せられるのは役得かもねー」


 ダンジョン・アタックに失敗して、目覚めた先ではいつもの看護師が変な視線を向けてきた。女性冒険者が死亡した場合、その搬送を行うのも女性スタッフだ。搬送先だって性別で棟が分かれているし、種族によってもエリアが異なる。だから、当然あたしの担当も女性である。

 ちなみに良く分からない性別の場合は基本女性が担当する事になっているらしいが、これは長いサービス提供期間の中でどちらがいいか調整した上での制度らしい。女性冒険者は男性スタッフに見られたくない。男性冒険者は別にどちらでも気にしないと意見が多く、ならば問題のなさそうな方に任せるのがいいだろうという結論だ。

 もっとも、男性だろうが女性だろうがここのスタッフが転送されてきた冒険者に性的な感情を向ける事は少ないだろう。肉体労働な上に件数が多過ぎてほとんど作業になるのが普通らしい。

 なのに、あたしの担当スタッフらしい彼女は会う度に視線を胸に集中させてくる。見たければ自分のを見ればいいし、別に同性愛者ではないはずなのだが。……大きさは少々違うけども。


「役得なの?」

「なんていうか雄大な山脈を眺める登山家になった気分? 別に女の子に興味があるわけでもないし、普通にスタイル良い人を見ると嫉妬するわけだけど、そこまでいくともはや圧倒されるというか別の生物に見えるというか……というか、また大きくなった?」


 珍獣的な意味なのか……。いい加減慣れっこだけど、胸の大きさで同じ人間ではないと言われるのはどうなんだろうか。あと、あたしの胸は登るものではない。


「……少し。というか、それで痩せようとしたら更にカップ数が増えたというかなんというか」

「すげえな、おい。……マジで別の生き物なんじゃ。普通、そこから減るような気がするんだけど」

「い、遺伝だし」


 母さんが同じように昔から大きかったのは間違いない。私はそれに似過ぎてしまっただけなのだ。

 体重減らそうとしても胸だけ減らない。女性なら喜ぶべきところなのかもしれないけど、私の場合はちょっと極端だ。ついでに、筋肉もあまり付かない体質らしい。ステータスの補正を受けるとはいえ、冒険者にとっては……特に前衛にとっては結構問題だ。


「女同士でこんなモノ見ても面白くないでしょ」

「男共だって巨大チンポを見たらすげーって思うように、女も巨乳見たらすげーって思うのは分かると思うんだけど」


 女しかいないからといって、チンポ言うな。言ってる事はまあ、分からなくもないけど。


「そんなんついてて前衛とか意味分からん。クーパー靭帯切れそう」

「そりゃそのままなら痛いけど」


 実際、対策しないとめちゃ痛い。あたしの場合は対策しててもその対策ごと壊れるので、深刻な問題なのだ。


「やっぱりなんか対策してるとか?」

「体の一部分が軽くなるアイテムをスポンサーから提供してもらってて」

「あー、CM見たかも。< 反重力ネックレス >だっけ? 高いみたいだけど、ちょっと欲しい」


 < 反重力ネックレス >は肉体の極一部のみを指定して軽量化させるアイテムである。これを装備する事で壮絶なデッドウェイトの重量が半減されるのだ。ずっとテストしてて、つい最近正式に販売も始まっている。冒険者向けだが、一般の女性にも結構売れてるらしい。しかし、これにはデメリットがあって……。


「……でも、跳ねるよね?」

「すっごく。私の場合、ガチガチにしてる時はいいけど、ダメージ蓄積するとえらい事に……」


 自分のモノなのに別の生命体か何かにしか見えない。そういう状態だともう限界が近いので戦績としては大差ないが、あきらかに機動力は落ちる。

 ちなみに、ニーナには違う意味で好評だった。アダルティーな業界でも大口の販路が確立されたとかなんとか。スタイルが崩れ難くなるという事で、迷宮都市のマダムたちにも好評だ。より、直接的にいうと垂れ難くなる。


「でも、子供の頃に見たアルテリアさんって、あんまり強調されてたイメージがないんだよね。露出度も低いし」

「いつ見てもメイド服なんだよね」


 私に言わせればアレこそ異次元の生命体である。なまじ姉妹の中で一番似ていて比べられるから余計にそう感じてしまう。冒険者としてだって、現役時代の動画を見ても完全に意味不明だし。


「それで、サローリアちゃんは調子悪いのかね? 前からあんまり時間経ってないけど」


 不良看護師が雑談しているだけかとも思ったけど、どうやら気にしているのはそこらしい。確かにレベルダウンのペナルティが治った直後にこれでは不調を疑われてもおかしくはない。


「ここでは、そういうの聞かないって暗黙の了解があったような」

「実は就業時間過ぎてたりするので、今の私はオフだ。そんなルールは知らねー」


 じゃあなんで看護服着てここにいるんだよって話ではあるが、就業時間中に請け負った冒険者の対応は区切りが付くまで請け負うという、これまた暗黙のルールがあったはずだ。生き返って目を覚まして、そのあとどうするかの確認をとってようやく終わりというわけである。そのまま病院で一泊する人も珍しくないから、その手続きなどが必要なのだろう。


「転送も減ってくる時間帯だから、助っ人に呼ばれるって事もなさそうだしね」


 カーテンの隙間から除く窓の外は真っ暗だ。私がダンジョンに入ったのは確か夕方だったから、目を覚ますまでに二時間ほどかかったらしい。

 ダンジョンは基本的に二十四時間開いているからいつでも挑戦できるわけだが、アタック開始は朝か昼というパーティが多い。生活習慣的に多人数で調整する場合はそのほうが合わせ易いのだろう。その流れでアタック終了時に昼になるから打ち上げなどのセッティングをしやすいという利点もあるそうだ。逆に、あたしのように少人数かソロの場合は、混み合うその時間帯を避ける傾向もある。


「……調子。調子悪いなぁー。めっちゃ行き詰まってるかも」

「何? マジな話? それなら、面倒だからスルーしたいんだけど」

「おのれ……」


 ちょうどいいから愚痴ろうと思ったらコレだ。会う度に思うが、適当な性格である。これで看護師としては優秀らしいから困ったものだ。


「まあいいや。じゃ着替えだけ出してもらえれば」

「え、今預かってる予備服なかったと思うけど……ここに来る前に確認したし」

「あ……」


 そうだ。前回、死んだ時に補充しておかないとって思ってそのままだ。なんて間抜け。

 冒険者用の病院では、死亡時に着用するための衣服を預けておく事ができる。クランに所属していれば担当のマネージャーが補充するし、パーティでも持ち回りで対応している事が多いらしいが、私のような立場だと自分で用意して預けておく必要があるのだ。

 ……死んだあとの気だるさもあって後回しにしていたのを忘れていた。


「じゃあ、売店か……」


 売店ではそういう人向けに服の購入もできるが割高だし、如何にも大量生産品ですといった無地のデザインはダサいとしか言いようがない上に、見る人が見ればダンジョンで死んだ人なんだと分かってしまうので敬遠されがちだ。しかし、裸で帰宅するわけにもいかないのだから、それも仕方ないだろう。


「いやいやいやいや、ちょっと待て。まさか、入院着で行く気? どんな企画モノよ、それ。売店のある一階ロビーは男女共用だからね」

「企画モノ?」

「というか、あんたに合う下着が売店に売ってるはずないでしょうが。大人しく着替え持ってきてもらいなさいよ」

「……確かに」


 最近利用してなかったから忘れてたけど、売店ではスタンダードな着替えしか売っていない。一般的なサイズなら一通り取り揃えているはずだが、残念ながら私の体型は規格外と言わざるを得ない。

 色々アレな私でも、さすがに無地のシャツにノーブラで外歩く勇気はない。また週刊誌の餌食にされかねない。


 とはいえ、こんな時間に電話して怒られないだろうか。ニーナなら確実に起きてるけど、予約入ってるって言ってたし。

 一応駄目元でニーナに連絡してみるが、やはり繋がらない。詳しい規定は知らないが、確か前に就業中は電話禁止とか言ってたような……。

 となると……着替え持ってきてくれそうな相手が少なすぎて落ち込む。というか、改めて自分の交友関係の狭さに落ち込む。この女友達の少なさよ。

 母さん……は駄目だ。『メイドなら自力でなんとかするのです』とか言われそう。メイドじゃないのに。

 とりあえず、一番来てくれそうなクロちゃんに連絡を……。


『あー、うん、なんか久々だけどそういう事もあるよね。でも、下着とかどうするの? 前と違って実家じゃないからサイズ合うの持って行けないよ』

「なんか厚手の上着でもあれば……パンツは売店の買ってきて」


 ブラないと歩くのも大変なわけだけど、残念ながらそれは慣れてるし。本当、難儀な体してるな、あたし。


『分かった。けど、ちょっと時間かかるよ? あたし、これからちょっと用事あって< 流星騎士団 >のクランハウス行かないと』

「姉さん関連? どれくらいかかりそう?」


 最悪、今日はここに泊まって明日持ってきてもらうって手もあるけど、下着なしの入院着だけで一泊は避けたい。せめてパンツくらいは欲しい。


『紹介してもらったのはお姉ちゃんだけど、用があるのは< 流星騎士団 >の鍛冶師さん。時間は……分かんないけど、多分二時間くらい?』

「も、もうちょっと早くならない?」


 それだと、ほとんど深夜だ。


『いや、そんな事言われても。なんならお姉ちゃんにお願いして……』

「いえ、クロちゃんでお願いします!」


 姉さんに会うと、また関係ない事でお説教が始まってしまう。特に今は第一〇〇層攻略でピリピリしてるって話だし。死んで落ち込んでるところに追加ダメージは受けたくない。




「どうするか決まったかねサローリア君。私はもう上がりだけど、泊まりならパンツくらい買って来てあげてもいいよ」


 クロちゃんとの電話を切ると、入り口付近に私服に着替えた看護師さんがいた。


「クロちゃん……あ、妹に来てもらうから」

「いや、言い直さなくても君たち三姉妹の事はさすがに知ってるから。有名人め」

「吐き捨てるように言われても、あたしはあんまりその知名度に寄与していない気がするんだけど」


 大体両親か姉さんのせいじゃなかろうか。いや、ネタ的な意味で知名度がある事は否定しないけど、それだって羨むようなものではないし。


「三人とも十分知名度あると思うよ? 妹さんだって、あっという間に中級昇格決めてメディアで扱われる事も増えたし」

「あー、それはそうかも」


 そういえばもうクロちゃんも中級なんだ……。いくらD級以降の昇格が大変だからといっても、このままだとあっさり抜かされそうな気が……。


「タイミングのせいか埋もれてるけど、あっという間にランク上げてきそうだよね。私の現役時代のランクを軽々と突破されると才能の差ってものを感じる。お姉ちゃんとしても気が気でなかったり?」


 病院スタッフの資格に冒険者経験があるのは知っている。詳しく聞いた事はないが、彼女はE+が最終到達ランクだったはずだ。自然とこの手の話題にも対応できる。


「か、看護師としての暗黙のルールは」

「もうオフだし」

「……どう、なんだろう。立場も環境も違い過ぎて分からない」


 比べられる事は慣れている。環境が違うのも分かっている。しかし、こうして目前に迫るのを感じると、どうしても焦りが生まれる。

 あたしはどうするつもりなのか。どうしたいのか。


 そもそも、なんのために冒険者をやっているのか。




-2-




「ほんとごめんね。つい、忘れてて。さーなんでも頼むがいい」

「ファミレスでなんでもと言われても……」


 その後、クロちゃんに着替えを届けてもらって退院。ギルドに寄って下着を着替えて、お礼のレストランへとやって来た。深夜も近い時間帯なので、二十四時間営業のファミレスだ。

 別にケチるつもりはなかったのだが、開いてる店がないのはどうしようもない。お酒飲みに連れて行くわけにもいかないし。姉さんみたいにお酒好きでもないし。


「別にいいけどね。同じ冒険者として分からなくもないし。確かに死んだあとって何もかもが億劫になるよね」

「そう、そうなの。ついあとでいいやーって感じで」

「そんな感じで部屋も散らかしてたり? お姉ちゃんから抜き打ち検査してきなさいって言われてるんだけど」

「ゔっ……」


 だ、大丈夫、そんなに……汚くは……ないはず。帰ったらゴミ出ししないと。


「そういえば、何しに< 流星騎士団 >に?」

「なんて不器用な話題変更……。姉の話術力のなさに不安になるんですが」

「い、いいでしょ」


 姉さんだって似たようなもんだし。いや、あっちは場数踏んでそれなりになっているという話も聞くけど……、あたしだって、そこまでではないはず。

 総合的な女子力だって、まだ勝っているはずだ。そう信じている。クロちゃんにはすでに負けている気がしないでもないけど。


「最近ユキちゃんとかツナ君とか、周りに話すの上手い人が多いから余計に感じる。あと、サージェスとか」

「そうなの?」

「それぞれ方向性は違うけど上手いよ。日本語慣れしてるってのもあるだろうけど、根本的な部分はあんまり物怖じしないしないタイプっていうのがあると思うんだよね。……まあ、半裸で戦う癖に恥ずかしがりなサロちゃんに求めてはいけない資質というのも分かってはいるよ?」

「半裸言うな」


 半裸かもしれないけど。


「姉の話術力のなさには目を瞑ってあげるとして……鍛冶師の人を紹介してもらったのは、装備作るためだね」

「装備? あそこって外部向けにそういうサービスしてないよね? 将来の入団を見越して特別にとか?」


 大手クラン所属で外部向けに装備を売り出している鍛冶師は多い。ほとんどが内部で使わない数打ちを放出しているだけだが、中には特注の注文を受け付けているところもあるし、それを専門に行うクランもある。

 ただ、< 流星騎士団 >は鍛冶師の所属人数が多くない事もあって基本内部のみで完結していたはずだ。姉さんも一応鍛冶師ではあるけど、装備を一から作ったりはしないはずだし。


「いくらお姉ちゃんがいても……というか、いるからこそそんな特別扱いはしてくれないと思う。いや、今回も特別扱いではあるんだけど、あたしがどうこうってより素材のほうが問題でね……欠片だけど、コレ」


 そういってクロちゃんはテーブルの上に何かの欠片を出してみせる。小さすぎて良く分からないが金属ではない。竜種の鱗に近いような。

 こんなギラギラ光る素材は心当たりないけど。


「……モンスター素材?」

「モンスターって言っていいのか知らないけど、龍鱗」


 装備の作成に使われるモンスター素材として、竜種はどの部位も優秀らしい事は知っている。もちろん用途や目的に合わせた材料を使うのが一番だが、全般的に性能が高くなる事もあって汎用性が高いのだとか。

 とはいえ同じ竜でも素材としてピンキリで、下級冒険者でもレッサードラゴンなどの素材を手に入れる機会はあるから、クロちゃんが持っていてもおかしくはないけど……これがそういうレベルのものでないという事は見れば分かる。多分、あたしでも使わないような高レベル帯の素材だろう。


「討伐指定のエンシェントドラゴンとか? オークションか何か?」

「いや、なんて言っていいものか分からないけど……観光土産?」

「か、観光?」

「うん」


 どんな観光だ。遠征で竜退治したとかなら分からなくもないけど、こんな如何にもレアですって感じの鱗を持ったドラゴンなんて依頼が出るもんだろうか。遠征依頼以前、その地域が壊滅してるんじゃ……。


「ニュースでやってるでしょ? 異世界行きの交流団って」

「やってるね。第一便が終わったとかなんとか……まさか、コレ異世界の竜のモノとか?」

「……まあ、正解。向こうのトップに近い五龍将の星龍っていう龍からもらったんだって。Lv200オーバーかつ素材分類不可、まったくの未知といっていいレベルの新素材。検疫は済んでるけど、交流団でも持ち帰って来たのはコレのみ。こんなもんもらっても持て余すに決まってるでしょ!」

「何故突然キレるの」

「いやだって、あっちに何もない事を知らずにお願いしちゃったけど、何もないなら船の売店とかでお饅頭でも買って『お土産なんかあるわきゃねーだろっ!』って突っ込まれる展開を想像してたら、出てきたのがコレだよっ!? あまりに意味不明な展開に困惑して受け取っちゃって、そのまま制作に回しちゃったけど、今になって理不尽ぶりに混乱してきた!」

「それをお姉ちゃんに言われても……」

「いや、そりゃそうなんだけどさー。本人たちも色々あったみたいでコレの重要性とかまったく気にしてなさそうだったし、そもそもあたしにどんな反応を期待してたんだっちゅう話だよ」


 とりあえず、説明されても意味不明なレベルでレアな事は分かった。本来なら技術局か大学の研究室に渡して調査するようなものであって、一冒険者がどうこうするものではないのだろう。


「それでトップクラスの鍛冶師さんに委ねると。渡しちゃって大丈夫なものなのかな」

「分かんないけど、ユキちゃんはダンジョンマスターから許可ももらってるって言ってたから、逮捕されたりとかはないと思う」

「逮捕って……」

「どっちにしろ、鱗のままじゃ使い道ないし、加工に踏み切った判断は間違ってない……はず、多分」


 記念品として飾っておくとかじゃ駄目だったんだろうか。……持ってても、いろんなところから寄越せって言われそうだから、実は正解なのかも?


「でも、オーダーメイドなんて高いんじゃない?」


 あたしはスポンサーから提供してもらったりしてるけど、普通に買ったり作ったりしたら結構な値段のはずだ。

 高レベル冒険者の装備なんて、わずかに性能が違うだけでも桁が変わるって世界なのに。


「素材のサイズが大きいから、余った分は好きにしていいって条件でお願いした。あー中級上がったばかりなのに、身の丈に合わない装備使う事になりそう。……サロちゃんみたいに装備ロストする事考えたら怖くて怖くて」

「何故そこであたしを引き合いに出す」


 そりゃ装備全損させる事はめちゃ多いけど。

 死ぬよりも先に防具が全損する事など珍しくはないから、質屋などの救済処置もあたしにとっては無意味に等しい。死亡時に装備していたロスト品だけでなく全損した物を買い直せたりしたら助かるんだけど、そう甘くはないのである。

 そのせいもあって、あたしが使う装備は基本的に平均以下の性能の物ばかりだ。デザイン重視で性能は二の次のスポンサーだから、高性能のものを用意してって言っても無理だろうけど。いや、ほんと、スポンサーさんごめんなさい。販促モデル頑張るから、スポンサー降りないで。


「でも、なんかすぐに追いつかれそうな感じだね。一年後には抜かされてたりして」

「まだそんな事気にする時期じゃないでしょ。あたしだってD級以降のランクの壁がどれだけ分厚いかは知ってるつもりだし」


 トライアルを突破して冒険者デビューをすればGランク。

 無限回廊第十層まで単独攻略してFランク。

 無限回廊第三十層攻略でEランク。

 規定GPを稼いで中級昇格の資格を得てE+ランク。

 個別発行される昇格試験を突破して、中級冒険者になればD-ランク。

 ここから上になると獲得GPや冒険者としての実績によってD、D+と昇格するが、同時に一定期間の実績が足りなければ降格もする。D+の昇格条件に無限回廊第五十層攻略もあるが、これは実績を稼ぐつもりで活動していれば当然のように達成できる条件で、実績を確保するほうがよほど難しいと言われている。自己申告の目標、発行されるクエストの達成率、マイナス査定もあるし、何よりCランク昇格試験に失敗すればそれだけでD+からDに落とされる。維持すら困難だから、ちょっと調子が悪ければすぐにD-だ。Dランク冒険者の七割以上がD-というのも頷ける話である。

 ちなみにCランクも一緒で、やはりほとんどの冒険者はC-に留まっている。私のように。そりゃ、その上のBが事実上のトップ層だから仕方ないとはいえ、Cランクではマイナス取るのだって本気で大変なのだ。


「ツナ君たちは特別発行されたクエスト攻略してたらしくて、もうDに昇格したみたいだし、お姉ちゃんが気にするならあっちじゃない?」

「条件が違うから抜かされる事自体は仕方ないと思うけど……え、もう? 早過ぎない?」

「今年中にはクラン創設する気らしいから、秋にはC昇格してそう」

「……五十層は?」

「もう攻略済みだって。今は第五十層攻略達成者増やそうとしてるみたい」


 ゾッとした。

 自分が歩いて来た道の困難さを良く理解しているから。遠く離れていた新しい波が目前に迫っている事が感じられたから。

 何よりも……クロちゃんがそれをまったく疑っていない事に戦慄すら覚えた。彼らがそれを確実に超えている事が半ば事実として捉えられている。同期として近くにいて、姉さんやあたしの苦難を知っていて、その難度を低く見積もるはずなどないのに、当たり前のように言うのだ。


 不意に、足元が崩れていく幻覚を見た気がした。

 きっと見ようとしなかっただけで、とっくの昔に崩れ始めていたのだろう。……ああ、きっとこれが< 流星騎士団 >や新人戦を見た冒険者の感じたものなのだ。

 それはまるで……お前は何をやっているのだと刃物を突きつけられているような焦燥感。


「速度じゃ追いつけそうにないから、こっちは地道にやってくとして……問題はマイケルにすら置いてかれそうだという事実よ」

「マイコー?」

「なんでサロちゃんはマイケルをマイコーと呼ぶのか」


 いやだって、ダンジョンマスターがそう呼んでたから癖になってて。


「マイコーマジヤバイ。もう劣等感刺激されまくり。如何に自分が凡人の地味子ちゃんかって自覚せざるを得ない」

「そんな馬鹿な」


 本気で言っているのだろうか。冒険者学校の卒業こそ遅れたものの、デビュー一年未満で中級昇格なんて華々しいというレベルではないんだけど。


「マジでやばいんだって。妻子持ちになったせいなのか、なんかこう……あの間抜け面から決意のようなものを感じるというか」

「いや、そっちに対してではなく」


 というか、模様に騙されがちだけど、パンダって基本熊だし。基礎スペックじゃ人間と比較にならないってレベルじゃないから。タイミングがかち合って比較対象になるのは仕方ないにしても、才能や環境次第では十分上を目指せるはずだ。


「あのね、前から言ってるけどクロちゃんが才能ないって事は絶対にないと思うの」

「そっち? あたしだって、中級までこれたわけだし、才能ないとまではいわないけどね。……そこそこ?」


 駄目だ、完全に目が曇ってる。以前からトップに囲まれてたせいで自分を客観視できていないのが、更に悪化してる。デビューすれば評価されて治るかと思ったのに、ツナ君たちと同期になったせいで変な事になってる。

 クロちゃんの他者評価はかなり精度が高いのに、何故自分の事になると精度が低くなってしまうのか。これで謙遜じゃなさそうっていうのがまた無茶苦茶だ。このままだと余計なトラブルを招きそう。

 ……というか、ここまで目を曇らせているのは例のツナ君のせいなのではなかろうか。どんだけなの、渡辺綱。





-3-




「うーん……」


 それから数日。あたしはギルド会館で受けた検査の結果を見て唸っていた。検査といっても、定期検診などではなく、いつでも受けられるクラス適性の検査だ。

 スキル、装備、パーティメンバーや訓練環境、今の停滞している状況をどうにかするには改善するべきポイントはいくつか考えられる。

 その中でも手っ取り早く変更できそうなクラスに手を出そうと考えるのは別にあたしだけではないだろう。とはいえ、クラスを変更するなら長期的な計画が必要になる。だから、これも参考までに受けた検査だったのだが……。


「あら珍しい。お久しぶりです、サローリアさん」

「あ、どうも。サーシャさん」


 結果の紙を持って唸っていると、知り合いに声をかけられた。おそらくだが、同じくクラスの適性検査を受けに来たのだろう。

 彼女はサーシャ・グロウェンティナ。同期ではなく先輩だけど、同じC-ランクの< 槍戦士 >。同じ名字で、あたしと良く間違われて困っている人。

 半分くらいは姉さんのせいなんだけど、この人にとってその姉さんは憧れらしいので、文句を言われるのはいつもあたしになるのだ。


「今日はお一人ですか? いつもの淫魔とは別行動?」

「ニーナの事なら今日は仕事……かな?」


 彼女はニーナの事があまり好きではないらしい。

 風俗嬢という本業もだが、何よりそれを楽しんでいる様子が理解できないのだとか。ニーナとしても理由があって今の立場があるのだから、一概に悪いと決めつけるのはどうかと思うけど、一般的なイメージ……特に女性のそれが悪くなるのは仕方ない事ともいえる。ニーナはニーナで彼女の反応を楽しんでる節があるから、どっちもどっちだ。

 お互いに淫魔、偽物と言い合う仲はもう少しどうにかならないものかと思うけど。


「良く誤解されるんですけど、実はニーナとは正式なコンビってわけでもなくて、向こうがあたしに合わせてくれてるだけというか」

「え、そうだったの? てっきり固定で組んでるものかと」


 組んでくれる人が少ないから自然とそうなってるだけである。だからどうしてもスケジュールの合わない時はソロ活動になる。というか、あたしが甘えてるだけでソロが基本というべきか。


「ひょっとして、ここにいるのもコンビ解消に向けた一貫とか?」

「……うーん、半分はそうかも」

「あら、半分冗談だったのだけど」


 冗談で済まないレベルで今後の展望を考えなければいけないのが今なのだ。正直困ってる。


「最近ちょっと行き詰まってて……なんかいいクラスでも生えてないかなーと」

「まあ、良くある話ですよね。……最近多いみたいですし」

「多い?」

「新クラスや新スキルです。例の異世界の話が出始めてから急に増えたとか。私がここに来たのもその確認で。といっても、特に変化はありませんでしたが」

「そうなんですか」


 無限回廊やそれに付随するシステム周りの事は良く分かっていない事が多い。ダンジョンマスターですら未知の事が多く、旧来のスキル一つとっても未だに新発見があるほどだ。

 あまり表沙汰にはなっていないが、スキルやクラスなどは無限回廊で繋がった世界の情報を収集して自動生成されている可能性もあるという。その説が正しいとするならば、異世界と繋がった事で新クラスや新スキルが生まれる事も不自然ではないだろう。


「じゃあ……これもその流れか」

「ひょっとして、新しいクラスが?」

「はい。< 魔装士 >ツリーの下に< 幻装器手 >と< 幻装札士 >っていう謎クラスが」


 どうも、完全に未知の、迷宮都市に情報のないクラスらしい。現時点ではあたしのユニーククラスになる。

 当然の如く、詳細は分からない。名前から判別するのもちょっと難しそうだ。この二つが関係性のあるクラスっぽいのは分かるけど。


「なるほど。それで悩んでいたと。既存のクラスを上書きするのは勇気が入りますものね。ましてや未知のクラスなんて」


 クラスの変更はいつでもできる。そのクラスで得たスキルも失われる事はない。しかし、肝心のクラスレベルは失われるし、そのクラスで得ていたステータス補正やスキル補正も失う事になる。補正が微小だとしても、繊細な動作を求められる戦闘においては致命的な差を生みかねない。特に習熟期間が長いクラスであればあるほど、影響は大きく、気軽に変更する事はできないものだ。

 あたしの場合、< 魔装士 >ツリーの三つ目はあまり活用できているとは言い難いから余計に悩ましいところだ。


 はっきりいってあたしの冒険者としての現状は停滞していると言わざるを得ない。理由は分かっている。このままだと改善の見込みは薄い事も。確かにこのままではジリ貧だ。だから、この変化がいいきっかけになる可能性はある。効果の検証や駄目だった場合にクラスレベルを戻すのに時間がかかるくらいしか問題らしい問題はないのだが……踏ん切りが付かない。

 しかも、今はペナルティ中だから、検証する時間はあるのだ。それが悩ましさを際立たせている。


「サーシャさんは、冒険者としての目標とかありますか?」

「何を今更、私の目標はアーシェリア様のような冒険者になる事ですよ」

「……そうだった」


 聞く人を間違えた。


「目標が何か?」

「あたしの目標ってなんなんだろうって思って」

「いや、それは本人が決める事では?」


 それはそうだ。というか、これはサーシャさんに問いかけたわけではない。


「最近、自分がなんで冒険者やってるのか良く分からなくなって」

「では私と同じようにアーシェリア様を目標に」

「いや、姉さんとは環境が違い過ぎるし」


 それにサーシャさんの前で言うのは憚られるけど、"誰か"を目標にすると、劣化コピーにしかなれない気がして良くない気もする。

 第一、あたしと姉さんでは立場も適性も違い過ぎる。この呪いのようなスキル群の有無だけでも大きな差だ。

 ならばと近い活動をしている冒険者を参考にするにしても、あたしに近しい冒険者はほとんどいない。あえて言うなら、ソロで上級冒険者なバッカスさんだろうか。あんまり参考にならない気がするんだけど、アレ。




-4-




 多分、目標はあるのだ。あたしは、それがあると認識している。

 だからこそニーナがいなくても先に進むつもりでいるし、ここまで来れたのだと感じている。

 ただ、それは漠然とし過ぎていて、輪郭を持っていない。上手く言葉にできない。ぼんやりしているから、その目標に向かう道だってぼんやりしている。だから停滞したままなのだ。

 この焦燥感は、変わりつつある迷宮都市の中にあって、取り残されるのではないかという不安からくるものなのだろう。


「あれ?」

「ん?」


 そんな事を考えつつギルド会館の廊下を歩いていたら、また見知った顔に出くわした。今度は、最近やたら耳にする事の多い渡辺綱君だ。

 クロちゃんをして別次元の存在と認めざるを得ない、迷宮都市の空気を根こそぎ吹き飛ばす、ついでに掲示板では血も涙もない鬼のような扱いを受けているラスボスの如き少年が、極普通に自販機で飲み物を買っていた。

 いや、会った事はあるんだからどんな感じの子か知ってはいるんだけど、その姿はあまりに周辺の評判と乖離している。


「あ、どうも、お久しぶりです」


 久しぶりに学校の先輩にでも会った学生のように会釈をされた。あまりに普通な反応に思わず苦笑が漏れる。

 分からないなー。こうして会うと、前と同じように普通な年下の男の子にしか見えないのに……あれ、おかしいな。前はこんな感じだった? どこがとは言わないけど、なんか雰囲気が違うような。

 自販機から出てきた飲み物を飲みつつ応対する姿にわずかな違和感を覚える。これは、男子三日会わざれば刮目して見よっていうやつだろうか。……そういえば背が伸びてるような……まだ伸びるのかーって、成長期か。


「こんにちは。講習か何かかな?」

「いえ、なんて言えばいいんだろうな……実験ですかね?」

「実験?」


 冒険者がギルド会館でする事は、幅広くはあるものの大体決まっている。中でも、こうして地下の訓練施設が並ぶフロアならクラスごとの実践講習あたりが一般的だろう。しかし、返ってきた答えは一般的な中に含まれないものだった。


「クラン設立しやすくなる点数稼ぎとして、レポート提出するんですけど、そのための実験です」

「クラン作るって話は聞いてたけど、そういう事もやるんだね」


 クラン自体縁遠いところにあるから、完全に未知の話題だった。姉さんがクラン作ろうと奔走してた時は、ちょうど今より疎遠な時だったし。


「必須じゃないですけどね。やれば審査が有利になるぞーって課題がいくつもあるらしくて、これもその一つです。今、リハビリ中なんで内容も合わせてちょうどいいかなーと」

「リハビリ中なの? ひょっとしてダンジョンの無死亡記録が止まったって事?」


 彼がダンジョンで死亡した事がない唯一の例外である事は有名だ。その記録が途絶えたのなら、もう少し騒ぎになっていそうだけど。


「いや、ダンジョンでは死んでないです。あれ、あそこはダンジョン扱いなのか? いやでもそもそも巻き戻してるしな……というか、そもそも死んでレベルが下がったわけではなく」

「どっちやねん」


 要領を得ない返答だった。説明ができていない事もそうだけど、そもそも本人も内容を把握できていないような印象を受ける。会話が上手いんじゃなかったんだろうか。


「まあ、上手く説明できないですけど、例の異世界行きで色々あって、スペックガタ落ちしてるんです」

「う、うん」


 良く分からないままだが、なんか色々あったっぽい事は知っているから、そういう事もあるんだろうと飲み込む。多分、説明されても理解できないような類の話なんだろう。


「そういえば、クロちゃんが頭抱えてたよ。お饅頭を頼んだつもりなのに、絶句するレベルのレアアイテムを渡されたって」

「ははは、それは大体ユキのせいなんで、俺はノータッチで。あいつは……下手したら星龍も、困る事が分かってて渡したんだから、気にしなくていいんですよ」

「その五龍将?って人……じゃない、竜?と仲良くなったんだ。なんか向こうでは偉い立場だって聞いたんだけど」

「偉いというか、向こうのトップ冒険者的な感じですかね。皇龍がこっちでいうダンマスなら、あいつらは……< アーク・セイバー >のクラマスみたいな感じ? ちょうど五人……五体だし」


 つまり偉いって事じゃないか。この子の交友関係は一体どうなってるんだろうか。


「あ、なんか飲みます? 仕事扱いでメダルもらってるからおごりますよ」

「あ、うん。じゃあ……紅茶」




 紅茶をおごってもらって、休憩用のソファに腰かけてから気付いたが、良く考えたらツナ君と二人で話すのは初めてだ。お互いに距離感が掴めないでいる。


「あーしんど」


 向かいに腰掛けたツナ君がおじさんみたいな声を上げた。


「その実験ってそんなにハードなの?」

「俺がリハビリ中で不調って事もありますけど、ハードですね。いや、レポート書くだけならほどほどでいいっぽいんですが、ついムキになっちゃって」


 詳しく説明を受けてみれば、彼がやっているのは冒険者向けトレーニング施設のプレテストのようなものらしい。

 ギルド会館地下二階にはそういった用途向けの訓練施設も多数設置されていて、冒険者が申請すれば利用できるようになっている。その新作の事前テストというわけだ。

 ただ、これらの施設を利用するには各施設向けの許可を受けた上でGP、あるいは利用料が発生する。誰にでも開放される訓練場とは少々毛色が違った。

 あたしはこの手の訓練施設には詳しい。なんなら、ほとんどの利用許可さえ持っている。訓練相手が少ないが故にそうなってしまったという悲しい事情もあるのだけど。


「俺が今試してるのは、空間把握能力の訓練です」


 一定の範囲から出ずに、射出される矢を避けるか撃ち落とすか掴むか、とにかく無力化しつつ制限時間被弾せずに切り抜けるという地味な訓練らしい。

 ただ、HP0開始、レベル及びステータスの補正は無効化、補正のある装備品も使えない、素の状態での挑戦となる。代わりに飛んでくる矢も< 幻痛 >効果はあるもののダメージ判定はない。接触判定のみだ。

 他の訓練施設のようにダンジョン扱いではなく、普段着でも挑戦できるという事で、あたしも挑戦する事になった。

 ……いや、なんで自然な流れで挑戦する事になってるんだろう。


『最初から一分はLv0。実際に矢が飛んでくる感覚と自分の移動範囲を掴む準備運動です』


 マイクを通したツナ君の声が響く。

 訓練場は二十メートル四方くらい。その中で移動が許されるのは足元の光るラインに囲まれた半径一メートルもない円の範囲だけ。私服かつスカートだから気をつけなきゃと思っていたけど、この範囲ならミニスカでもない限りは捲れる事はなさそうだ。接触判定もあくまで肉体のみで服は無効らしいし。

 一応手ぶらではない。武器・防具の使用はできないものの、専用に用意されたスティックと小さな盾は使ってもいいらしい。

 そうしてLv0の訓練が開始された。小手調べというのは間違いじゃないようで、避けるだけなら誰でもできそうな矢が正面から数本飛んでくるだけで、スピードもない。前衛なら掴み取る事も容易だろう。こういうものという感覚を掴むだけの時間だ。


『以降、一分ごとにレベルが上がります。ミスの許容回数はレベルごとに一回。個人的に、最初の壁はLv3ですね』

「えっ?」


 三分で脱落する事を想定してる? そんな難易度なの、これ?

 最初の一分が経過し、天井から吊り下げられたミニスクリーンの表示がLv1に変わる。


 ……やば。


 一瞬にして、自分の見積もりが甘かった事を認識させられた。

 レベルが切り替わった途端、四方八方から矢が飛んでくる。数は数え切れないほどたくさん。


「うぅわわわわわっ!!」


 規則正しく並ぶように、同じ間隔で射出される矢は極めて避けづらい位置を狙って飛んでくる。あっちを避ければこっちが避けられずという風に、動きを誘導するような戦略性のある攻撃だ。複数の遠距離攻撃手段を持った敵が連携しているような、人体の可動域を意識した射撃である。

 冒険者の身体能力があるならゴリ押しはできるが、ここではその恩恵は存在しない。なに、それはCランクまでくれば良くある事だ。特にあたしは慣れている。

 まだ大丈夫だぞ。


 Lv1に切り替わって三十秒。まだ息は切れていないが、嫌な疲労感があった。そして嫌な予感もした。これは、意識外のところから強襲をかけられる時の感覚に良く似ている。


「っ、下ぁ!?」


 壁にある射出口で錯覚させられたが、アレはおとりだ。実際には三百六十度ではなく上下も含めた全周囲が矢の射出範囲。

 不意を付くような足元の矢を最小限の動きで回避。これはやばい。集中しないと、あっという間にゲームオーバーだ。


 一分経過。スクリーンがLv2に切り替わる。

 Lv1との違いは歴然。単純に矢の数が違う。そして、それに騙されがちだが、正確だった矢の射出間隔と着弾位置にズレが発生していた。周囲は完全に矢の壁と化して迫りつつある。

 集中。集中。集中。回避可能な隙間は……ない。どこにどう逃げても、この範囲内では回避不可能だ。

 しかし、挑戦者にできるのは回避だけではない。小さなスティックと盾、そして掴む事も許されている。それを駆使してようやく切り抜けられる小さな道が見えてくる。

 空間把握能力の訓練とは良くいったものだ。確かに矢の位置や角度、速度を即時に把握できないと一瞬で詰む訓練である。

 ミスは許されない。一手ミスをすれば一瞬でハリネズミにされる。ミスの許容回数などただの気休め……あ、かすった。……こういうギリギリの判定のために用意された許容回数ね。なるほど。


「って、無理無理!」


 脳が焼け付くような集中状態を維持してギリギリ。こんなもの、ずっと続かないのはあきらかだ。

 Lv2も三十秒が経過して、ふと、視界に嫌なものが映っている事に気付いてしまった。

 完全ではないけれど、迷彩処理のされた矢が混じっている。現時点でレベルが変わっていないという事は、それはここまででも射出されていたという事で……当たっていないのはランダム性ゆえの運によるものだろう。

 迷彩化された矢を警戒すると、どうしても注意力が散漫になる。結果、精神的な疲労が加速する。肉体的にはまだまだだけど、脳はそろそろ悲鳴を上げている。

 無我夢中で矢を避けつつ。ミニスクリーンに表示された時間を見ると一秒しか変わってなかったりする。時間が進まない。


 Lv2の一分間を切り抜けたのはほとんど運だ。いつ終了してもおかしくはなかった。

 そうしてスクリーンの表示がLv3に切り替わる。


「はぇ?」


 その瞬間、視界から光が消えた。


「なんじゃそらーっ!!」


 あまりの事態に集中が切れたあたしは、あっという間にハリネズミになった。実際に突き刺さっているわけではないが、< 幻痛 >のせいで痛い。


[ GAME OVER ]




「できるかこんなもんっ!!」


 訓練室を出たあたしは、おもわずスティックでツナ君を殴りつけていた。耐久度が高いだけのおもちゃのような棒だからダメージなど欠片もないが。


「ですよねー」

「そんなあるある的なノリで誤魔化されないから」

「いや、俺が設定したわけじゃないんですけど」


 あれが最初の鬼門ってその先はどんな地獄なの……。素の状態で回避するとか、空間把握とかそんな問題ではない気がするんだけど。

 真っ暗闇って事は音か気配で探れって事だよね。一本二本ならともかく、あの数の矢を。


「ツナ君はアレをクリアしたって事?」

「今のところLv7で止まってます。百回近く先に進めないからしんどくなってきて」

「ひゃ……」


 確かに他の訓練に比べれば肉体的負荷は小さいけど、そんなに繰り返してやるものだろうか。廃人になりそう。

 クランを設立した人たちはみんなこんな苦行を耐えていると? いや、実験レポートだからみんな同じというわけではないだろうけど。


「そんなにやらないとレポート書けないの?」

「いや、そんな事は……最近空間把握能力が向上する機会があって、その確認も兼ねてってところですね。というか、どっちかというそれがメイン」


 最近空間把握能力が向上する機会って何? 何がどうなればそんな事になるの? そんな自覚できるようなものじゃないでしょ。

 やっぱり変だ、この子。最初から普通じゃないとは思ってたけど、こうして近くにいるといろんなものが変質していくのを感じる。価値観や常識が仕事をしていない。あたしやクロちゃんだって普通のカテゴリに含まれないけど、コレは次元が違う。こんなのが近くにいれば、そりゃ価値観だっておかしくなる。


 ……これなら、ひょっとしたらあたしの停滞した空気も変えられたりとか思うのは、あまりに楽観的だろうか。


「よし、ここはお姉さんが実験に付き合ってあげましょう」

「は? 一体どんな風の吹き回しで。いや、被験者多いほうがレポート書くには助かりますけど、いいんですか?」

「……いいの。どうせデスペナ中だし」


 なんならレポート自体を手伝ってもいい。こう見えても姉さんよりは頭いいつもりだし。

 それは淡い期待感だ。何かを変えなくては進めない。踏み出せない一歩を進めるためのわずかな身勝手な期待。一歩を踏み出してしまえば、あとは勢いに乗ってしまえばいい。そんな勢いを感じていた。


「確かにサローリアさんをモニタリングするのは眼福ですけど」

「……着替えてくる」


 気恥ずかしさもあるけど、なんだろうこの違和感。以前会った時のような野獣じみた視線が感じられないような……。


「というか、恥ずかしいのに体のラインがはっきりする服着てるんですね」

「……えーとね、あんまり言いたくないんだけど……ゆったりとした服着るとデブに見えるのよ」

「……ああ」


 巨乳の弊害である。ウエスト細いのに、そう見られないのは嫌なのだ。胸を強調する事と天秤にかけざるを得ないくらいに。

 こういう話題を切り出してくるって事は勘違いかな?


「なんかバイト代とか払ったほうがいいですかね?」

「そんなの別に……じゃあ、あたしの新クラス検証に付き合って」

「新クラス?」

「変な新クラスの適性があるみたいなの。完全に未知だから何すればいいんだろうって状態だけど。とりあえずギルドからカメラ借りて撮影したりとか?」

「ほー。そういえば俺もなんか新しい適性クラス増えたりしてるのかな」


 そんなポンポン増えたりするものじゃないと思うけど、最近の事情とツナ君のアレな感じの前には否定はできなかった。


 足りなかったのは取っかかり、きっかけ、そういう最初の一歩を踏み出す要素。ツナ君がそこにいたのはただの偶然で、あるいはその偶然が彼の持つ何かなのかもしれないと感じていた。




-5-




「……つい勢いでクラス変更する事になってしまった」


 気合と勢いでLv3まで攻略したあと、Lv4の難易度に絶望して、気分転換も兼ねてあたしのクラス検証をする事になった。

 クラス変更のパネルを押して襲いかかってくる微妙な後悔と不安。実は育てたクラスを変更したのは初だから、その不安も重ねがけだ。いざ押してみたらなんてことねーって感じでもあるけど。

 いや、メインツリーとはいえ、どうせほとんど使っていない第三クラスだ。きっかけがなかっただけで、いつかは手を出さなければいけなかったと思う。

 変えずにいたとしても未知が未知のままじゃ、あの時変えておけば何かが違ったかも、なんて後悔したりするに決まっているのだから。


 クラス変更で予想以上に悩んでいたのか、ツナ君と一時的に別れてから結構な時間が経っていた。あちらはもうギルドから借りたカメラのセットも終わってる事だろう。

 急がなければいけないのだが、検証のために借りた訓練所の前で足が止まる。

 さっきの矢避けの訓練と違って、ここはダンジョン扱いだ。いつもの《 マイクロサイズ 》や《 ミラクルフィット 》の影響範囲である。完全に未体験というわけではないが、やはり男性の前でアレは恥ずかしいものがある。

 いや、なんか前よりも野獣度が減ってたみたいだし、意外となんとかなるかも。よ、よし、行こう。




「ご、ごめんね、いざとなったらクラス変更で悩んじゃって」

「いや、こっちもカメラ借りる手続きで手間取ったんで、そんなに待ってないですよ。めっちゃバカでかいカメラですけど、これでいいんですよ……ね?」


 カメラのセッティングをしていたらしいツナ君の視線がこちらに向き、その動きが止まった。まるで凍りついたように。


「えー、えーと、やっぱり変だよね。あたしもめっちゃ恥ずかしいし」


 私を見ての反応だから、呪いのスキルによる影響を目の当たりにしてびっくりしているのだろう。

 しかし、思っていたのと反応がちょっと違う。実際どうなるかは知らないにしても《 マイクロサイズ 》や《 ミラクルフィット 》の存在自体は知っていたはずだ。というか、前にパスタ屋であたしが説明したし。


「え、ちょ……マジで?」

「ほんと呪いみたいなスキルでねー。男の人と組めないの分かるでしょ?」

「そりゃ……まあ。でも、それでダンジョン・アタックは無理があるというか……というかマジすげえ、どんだけだよ《 マイクロサイズ 》」

「?」


 やっぱり反応がおかしい。単に露出度が上がった格好に対するそれではない気がする。

 最初に気付いた違和感は胸の重さだ。いつもの< 反重力ネックレス >を装備しているはずなのに、妙に重い。

 《 ミラクルフィット 》のせいで、ダンジョン内では常に何も着けていないような感じになるからなんとも思ってなかったけど、これはまるで本当に何も着ていないような……。

 いやいや、まさか。この入口の横にある更衣室で着替えたばっかりだって。


 鼓動が早まる。怖くて動かしづらくなっている首を無理やり下へと向ける。


 ……あたしは何故か全裸だった。


「ひょえぅあっ!! な、な、な、なんじゃこりゃーーーーっ!!」


 それは< 反重力ネックレス >どころか、見事に何も着けていない生まれたままの姿である。そりゃツナ君だって固まるよ。


「あ、えーと撮影でしたっけ? それじゃ始めましょうか……すげえな、意味分かんねえ」

「いやいやいや、ちょっ、ちょっと待って! なんで撮影始めようとしてんのっ!! どう考えても異常事態でしょうっ!? 全裸で訓練始めるバカなんてどこにいるのっ!!」

「ウチにサージェスという同類がいまして」

「あんなのと一緒にすんなっ!! うわーーーーーーーーんっ!」


 大惨事であった。




 涙目になって蹲るあたしを見てようやくツナ君もおかしいと気付いたのか、もしくは気付いた事にしたのか、一度訓練所から出ていってくれた。

 状況整理しようとするが頭が回らない。大混乱だ。これはいつかの新人戦以来の大失態といえる。原因が良く分かってないのがまた良く似ている。

 大体、服と装備はどこに消えたの? 《 マイクロサイズ 》っていっても、見えなくなるほど極小サイズになるスキルじゃないんだけど。《 ミラクルフィット 》で究極の着けてない感に発展したとか? そんな馬鹿な。フィットし過ぎじゃ。


 結果から言えば、装備は訓練所を出てすぐのところに転がっていたらしい。一応ツナ君もこれ以上あたしを辱める気はなかったのか、カゴにメモ付きで置かれていた。

 ますます意味不明だが、とりあえず原因は絞れた。というか一つしかない。ここに来る前に変更してきた< 幻装器手 >のせいだろう。スキルならまだしも、装備が脱げるクラスってなんやねん。




「はーーーーーっ」


 当たり前だが検証は中断。状況整理のために飲み物を買ってロビーで落ち着く事になった。


「すいません、こんな時どんな顔すればいいか分からないの」

「なんか妙に反応が淡白じゃない? こっちは全裸見られてるんだけど」

「そんな事言われても。いや、眼福ではありますがね。つい急いでカメラを回してしまうくらいには」

「消せーーーーっ!!」


 なんちゅうもん残してるんだ。というか、あの訓練所自体の自動撮影機能もそのままだ。あとで消さないと。


「ちなみに俺の反応が淡白なのはですね、最近ちょっと色々あってそっち方面の気力が激減しているというか、一種の賢者モードというか……それはそれとして俺の内部メモリーには多重ロックをかけて保存しておく所存ですが……」

「それも消しなさい」

「んな無茶な。鋭意努力という事で一つ……」

「忘れろ」

「が、頑張ります」


 ああああ、もう、すべての記憶と記録を抹消して十分前に戻りたい。めっちゃやり直したい。この世は何故こんなにもあたしに厳しいのか。


「しかし、蒸し返すようですけど、どう考えても原因はクラスですよね?」

「……そうね。こんな事になるクラスなんて聞いた事ないけど」


 だからこそ未知の新クラスなのだろうが。あまりに未知過ぎた。


「検証どうします? さすがにこのまま俺と続けるのは問題ありますよね。いや、続行だっていうなら他のスケジュール放り投げても参加しますが」

「いや、さすがにこのまま続行はない」


 強制的に全裸になる事が分かってて男の人と検証とか、痴女ってレベルじゃない。いや、今でも十分……って、ああもう。


「だからといって、このまま続けるのは……いっそ封印?」

「単にデメリットだけのクラスとは思えないですけどね。スキルも、強力なものはデメリット抱えてたりしますし」

「どんな有用でも、装備外れたら意味ないと思うんだけど」

「全裸でも平然とダンジョン攻略しそうな奴はいますが」

「そんな例外中の例外は参考になりません」


 アレはもう違う生き物だと思う。何度か動画を見る機会もあったけど、知れば知るほど意味が分からなくなる。情報が入り込むだけで常識を汚染するウィルスのようなイメージさえ覚えるほどに。

 しかし、そのサージェスでさえどこかのインタビューでこんな事を言っていたのだ。


『ええ、最近は私の変態性も確実にレベルが上がってきたという実感がありますね。しかし、上には上がいるもので、研鑽を怠るわけにはいきません。私ではまだまだリーダーのいる頂には届かない』


 リーダー……つまり、目の前にいる渡辺綱である。アレが届かないという頂とは一体……。


「な、なんスか?」

「いや、なんでも」


 彼が変態かどうかについては別にして、一種の異常性を感じるのは確かだ。それは多分、彼の関係者も認めるところだろう。あたしも、こんな短い時間で妙なペースに巻き込まれてる感がある。

 ……ほんと、なんだろこれ。慣れたらいけないような危機感を感じるんだけど。


「うーん……良く考えたら、アレって俺の元々の能力なのか。……試してもいいんだろうか」

「何かあるの?」

「ちょっと《 看破 》してもいいですか?」

「《 看破 》? 別に非公開情報はないはずだけど。クラスの情報解析なら、専用のオプションつけた《 鑑定 》とかじゃない?」

「そっちのほうがいいのはそうですけど、単に俺が習得してないんで」

「まあ、いいけど。……どうぞ」


 《 偽装 》や《 隠蔽 》関連のスキルは今無効になっているはずだ。とはいえ、《 看破 》したところで大した情報が出てくるはずもない。せいぜいがステータスカードで分かるような情報ばかりだろう。

 ツナ君がそれを分かっていないとは思えないから、これにもきっと意味があるのだとは思うけど……まさか、またエロ展開が待ってたりしないよね。怖いんだけど。


――――《 看破 》――


 ジッと見つめてくるツナ君の目は単に《 看破 》を発動させただけには見えない。

 それはまるで、あたしという存在の深淵まで覗き込まれているような……。


「……えっと」


 あまりに長いんで声をかけてみたら、制止された。なんか変なものでも見られてるの?


「……ん、これか?」


 と、不意にツナ君が指を動かす。宙に何かがあって、それを広げるような動作だ。


「……え?」


 すると、そこに突然ウインドウが表示された。《 アイテム・ボックス 》でも《 ステータス・ウインドウ 》でもない。まったく未知のものだ。


「え、ちょ……何それ」

「良く分かりません」


 なんじゃそら。


「多分、< 幻装器手 >のオプション的な能力ですかね。繋がりがあるんだから、多分……ちょっと待ってください」

「ええ……」


 そう言ってツナ君は再びトランスじみた状態へと移行する。これは一体、何が起きてるの?

 めっちゃ説明が欲しいんだけど、邪魔したらまずそうだし……。


「カード? マテリアライズするあのカード? ……なんだ、これ、ミニサイズのダンジョンを内包してる?」

「何か分かったの?」

「サローリアさん、マテリアライズ前の装備品のカードって今持ってます?」

「カード? あったかな。……多分、個人ロッカーには入ってると思うけど」


 何をしたいのかは良く分からないが、使っていないカードなら地下一階のロッカーに入っているはずだ。なければギルドショップで買うという手もある。ロッカーもショップもすぐそばだから、どちらでも問題はない。

 地下一階に移動してロッカーを開き、中を確認してみれば、やはり換金しても端数にしかならなそうなカードが何枚か放置されていた。いつ手に入れたものかも良く覚えていない。

 ロビーまで戻って来てカードを渡すと、ツナ君は再びあの謎ウインドウを開き、何かの枠へと"置いた"。それはまるでそうするべきものだったかのように、きっちりと収まっている。


「な、何それ?」

「多分、これで装備した事になるはず。もう一回訓練場に行ってもらっていいですか?」


 装備といっても、今の格好が変わっているわけではない。この状況でそう言うという事は、おそらく例の全裸になるタイミングでの事なのだろうけど。


「い、いいけど。覗かないように」

「覗きませんよ。どんだけ空気読めない奴ですか」


 まあ、ツナ君は多分そういうタイプだろう。真面目な場面ではちゃんと真面目に対応する人だ。


 そして、まさかと思いつつ訓練場に入ってみれば、今度は全裸ではない。素肌に直接革鎧を装備してて、《 マイクロサイズ 》の影響か面積も相変わらず縮小しているけど、たしかに装備している。

 なんだ……これ。カードのまま装備するクラスって事?




「詳細は分かりませんけど、装備とスキルと拠点?的なカードの置く場所があるみたいです。ちょっとどころじゃなく他のクラスと毛色が違うみたいですけど」


 行ったり来たりだが、再度ロビーに戻って報告。どういう事なのか、ツナ君はクラスについてある程度の情報を得ているらしい。

 詳細というには曖昧だが、知る方法のない情報をどうやって得たというのか。


「えっと、ツナ君は何を見てそれを知ったの?」

「良く分かりません」


 またかい。説明できないのか、したくないのか、それも良く分からない回答だ。


「まあ、要検証ってところでしょう。でも、多分外れクラスではないと思います」

「何を見てそう思ったのか……」

「勘」


 こっちは分からないではなく、勘かぁ……。ツナ君が言うと嫌な説得力を感じるのは何故だろうか。なんか怖いんだけど。

 まあ、想定とはまったく違う結果になったけど、必ずしも全裸になるわけじゃないなら検証に時間を割いてもいいかもしれない。ここまで毛色の違うクラスなら、きっと補助金も出るだろうし。

 ……カードの装備品限定になると大変そうだな。《 カードライズ 》使える知り合いとかいないんだけど。アレ持ってるのって大抵専門職なんだよね。


「サローリアさんの冒険者としての目標は知らないですけど、今より先を目指すなら駄目元で未知の分野に手を出すのも選択じゃないですかね」

「選択……うん、選択か」


 別に今決めろって言われてるわけではない。どうにもならないなら元に戻せばいいのだから、新しい力になるかもしれないモノに手を出してみる価値はあるはずだ。

 輪郭を持たない目標と可能性はあたしに、あたしだけの未来を見せてくれるかもしれない。




 上手く言葉にできないけれど、あたしは冒険者として高みに行きたいとか、姉さんに勝ちたいとか、無限回廊を踏破したいという目標を持っていない。

 それが輪郭を持っていないのは、きっとそれがまだ形のないものだから。

 あたしはきっと、あたしにしかできない事があると証明したいのだろうと……自分の事ながら、他人事のように思っていた。


 そのための中期目標として、とりあえずソロナンバーワン……バッカス超えでも目指してみようか。





-?-




 この未知のクラス< 幻装器手 >と、同時に発現したクラス< 幻装札士 >がソロ冒険者サローリア・グロウェンティナの快進撃に繋がるのはもう少しあとの事。

 それは在り得ざる世界が新たに手にした選択肢の一つであり、無数に散らばるピースの一つ。

 けれど、今はまだその全貌を知るモノは存在しない。



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