第21話「奇跡の刹那」





 因果の虜囚イバラとは、極めて不安定な存在だった。

 "根源図"の因子に侵された渡辺綱の左腕より生まれ出でし者という出自こそあるものの、根本的に個として成立していない。渡辺綱が己の対として連想した茨木童子のイメージが元になった事は間違いないが、それは名前と種族に反映されている程度で、存在の骨格にすらならないあやふやなものにすぎない。

 何せ、当の渡辺綱本人がモデルとなった茨木童子の明確なイメージを持っていない。元となった存在や出来事はあるのだろうが、本人は民話に残る伝承が実際に起きたものとは考えておらず、その大部分を架空の存在として認識している。故に、優先されたのは己の天敵という漠然なイメージだった。

 そんな歪な存在に求められたものは『最善』。可能性を無視し、過程を排除し、結果のみを識り、それを体現する者。唯一の悪意を滅ぼすための最善存在こそがイバラに与えられた使命だった。

 ただし、それはあくまで矮小たる存在である渡辺綱の理想に依るもの。力がない。知識がない。何より渡辺綱が渡辺綱で在る定義すらも曖昧。そんな何もかもが足りない渡辺綱が最善のカタチを識るはずもなく、定義できるはずもない。故にイバラは個足り得ず、存在できない。脆弱なる人間の対として生まれたイバラは、同じように脆弱極まる基盤の上に在った。

 己が何者であるかを知らない。己が何者であるか定義されていない。在るのはただ、唯一の悪意への理由なき敵愾心と使命感。求めるべき『最善』が存在しないまま、それだけが膨張していく。


 イバラは渡辺綱が行く道の何処にでもいて、何処にもいない。

 必要な場に出現し、渡辺綱にとっての何かを壊し、決して交差する事のない裏側で道を作り続ける。それが、己の存在を創るために必要なものと、自動的に行動する。

 唯一の悪意に辿り着くためには対存在たる渡辺綱との邂逅と闘争は必須であり、絶対的条件として定められている。そんな不可能を実現するために極めて歪な正答が用意され、過程に存在するいくつもの矛盾を無視した正答をイバラは実現する。根本からして矛盾している事も、矛盾が矛盾を呼ぶ歪なカタチも、己が最善である事の足かせにはならない。

 イバラの最善は破壊によってのみ実現される。何かを壊す事によって己の最善を成す。やがて来る刹那の邂逅と、その先に続く道のために。


 誕生直後に、左腕の主である渡辺綱を喰らった。いや、喰らう事で発生した。

 わずかに得た力で向かったのは、その渡辺綱が転生する世界。……その、遥か昔。長きを生きる亜神ですら、口伝による伝承としてしか記録が残らないような古代。

 そこで出会った亜神を殺害し、喰らい、力を得、その主である獣神姫を存在ごとバラバラにした事によって神代の支配体制は崩壊した。

 同じように、人として星の支配を確立しつつあった迷宮都市を襲い、その主を喰らい、必要な権限のみを奪い取った。阻むものは人であろうがモンスターだろうがすべて喰らい尽くした。

 そこにいるのは< 鬼 >として定義されてすらいない未知の暴威。実態なき力の奔流。当たり前だ。この世界で種族としての< 鬼 >が定義されるのは、遥か未来においての事なのだから。

 ただただ破壊を繰り返し、あとに残るのは一面の荒野と化した不毛の大地だけ。そうして文明を崩壊させた後に遥か地の底へと赴き、長い長い眠りへとついた。

 やがて生まれる渡辺綱が死す時のため。渡辺綱が積み上げたものを土台ごと壊すため。壊すべき土台を築き上げるために。


 イバラにとって、破壊は実現するための手順の一つに過ぎない。

 これから何をするべきかは識っている。しかし、その手順が何を意味するのかは知らないし、識る必要もない。手順を積み上げるために理由や過程は不要なものであり、必要な最善手であるから何かを壊すのだ。

 永き眠りも、遥か未来で行う大破壊も、そこから延々と続く渡辺綱の煉獄の始まりに過ぎない。やるべき事は星を壊すために、一人の女を殺す事だけ。たとえ、渡辺綱が死した遥か未来にやるべき事が残っていたとしても疑問に思う事はなく完遂するのみ。

 決して出会う事のない渡辺綱の先に在り、後に在り、裏に在り、賽の河原で積み上げられた石のようにただただ大切なものを崩し、壊し、踏み躙り、練磨を繰り返す。そうして破壊の果てに造られた道を辿り、宿敵である渡辺綱と殺し合う事でようやくイバラという個に至れるのだ。


 イバラの最善は如何なる可能性をも凌駕する。それが己の進む道に必要な事であるのなら、破壊というカタチであらゆる可能性を創り出す事ができる。そうできている。

 回りくどい遠回りに見えるのもすべてが最短距離であり、そこに一切の無駄は存在しない。それが無駄でないのなら、必要な最善手であるのならば、そこに至る回答を識っている。回答がある以上、過程にどれだけ矛盾を孕んでいようが矛盾足り得ない。

 それが必要ならば、どれだけ格上の超常だろうが滅ぼし排除するのがイバラの本質だ。

 それが正答ならば、イバラは亜神を滅ぼし、因果の虜囚すら喰らい、星を壊し、世界を飲み込むだろう。

 唯一の悪意に至れる道筋は未だ見えないが、元よりそこに疑念はない。そこに至るために用意された最善を体現し、歩み続けていれば分かる事。渡辺綱を滅ぼし、その先に道が続いているのなら、やがて辿り着く正答であるはずなのだから。


 その唯一の例外こそが渡辺綱。脆弱にして矮小たる対存在。正答が存在しない者。このどこまでも真っ直ぐな道の途中で、やがてイバラの対に至るはずだった男が目の前に立っていた。

 最善のみを識るイバラにとって、それは有り得ぬ出来事。あまりにも早い邂逅。あまりにも早い試練。渡辺綱は脆弱なる存在そのままでイバラの前に立ちはだかった。お互いに練磨の足りない未完成にして不完全な存在が、出会ってしまった。

 対を前にして己の内に湧き上がる感情はすべてが未知。唯一の悪意への敵愾心と使命感以外の何かが溢れ出してくるのを感じる。あえて定義するのならば、それは歓喜と呼ばれる感情だった。


 敵愾心と使命感以外の感情を知らぬ、歩むべき過程を知らぬ、最善以外の回答を知らぬ。しかし、渡辺綱から突きつけられたのは最善以外の可能性。

 不完全な渡辺綱が、不完全な個のままに渡辺綱を定義し、イバラへと牙を剥く。その在り方こそが渡辺綱であると吠え、立ち上がる。

 ならば、イバラも最善を体現しなくてはならない。己の対たる渡辺綱を超え、滅ぼし、次の正答へと至る道を歩み出すために。



 この邂逅によりイバラもまた個として成立した。

 決戦場に響き渡る雄叫びは、イバラの産声に他ならない。




-1-




 過度の強化により、全身の筋肉が、神経が、臓器が、血管が、骨格が唸りを上げて膨張し、軋み、過剰再生を続ける。自身の身体で起きているすべてを把握できるほどに拡大された知覚は、それらすべての情報を鋭敏な刃物のように鮮明に伝えてくる。制御する脳は人に在らざる高速処理を実現するため、沸騰しているかのように高温で煮えたぎる。収まり切らぬ魔力が止め処なく排出され、嵐のような渦を巻いているのが視認できた。強化された知覚と精神によって、狂う事すら許されぬ地獄の強化。おそらく、この場で制御を失敗して肉体が破裂したところで即座に元に戻るだろう。

 あきらかなオーバースペック。人の身に収まるはずのない過剰な強化。Lv1000オーバーの超常がもたらす《 強化魔術 》は紛れもない劇薬だった。

 ……望んだ以上の援護だ。それがこの場において何よりの正解。何よりの援護。気を使う余地があるのなら、そのリソースは戦力へと割くべきだ。

 今、優先すべきは苦痛に悲鳴を上げる事ではなく、己の身体制御を試みる事でもない。とるべき選択肢は何よりもイバラへの強襲。あまりに明確な回答だ。これはそのためだけに望んだ力なのだから。


 駆ける。ほんのわずかな距離を、物理的な限界を無視し、肉体の限界を超えて。

 その刹那、俺はイバラが持つ超常の知覚力を飛び越えて認識の外へと至った。一撃だけならばどんな攻撃でも成立する、完全なる認識外へと。

 イバラならばどれだけの速度を出そうが即座に対応し、適応してくるだろうが、この決戦場において今だけ、今この瞬間だけならばS6もイバラも置き去りにできると確信した。この場に俺に追いつけるものはなく、反応できる者すらいない。絶対的なアドバンテージが成立する。それほどまでに強烈な強化を受けている。

 これだけの超速ならば、《 土蜘蛛 》による位置の書き換えなど不要。そもそも、未知の強化が続く中では位置と因果の計算が不可能に近い。この強襲は、そこに在ったと因果を書き換えるよりも速く、鋭く、イバラを襲うだろう。

 しかし、自身の呼吸すら制御できない状況でスキルなど発動できるはずもない。まともに刀を振るう事すら不可能。だから、ただ前へと突き出した。

 < 髭切 >の切っ先がイバラへと突き刺さる。狙いを定めたわけではないし、イバラに心臓があるのかどうかも分からないが、その刃は奇しくも左胸を深々と抉った。そして、この絶好の機会にそれだけで終わらせるつもりもなかった。


「あ゛あ゛っっ!!」


 崩壊と再生を繰り返しながら暴走を続ける肉体を無理やり動かし、天へ昇るが如く一閃。刃が甲冑ごと肩口から抜けた。

 強靭な筋肉と堅牢な甲冑を易々と切り刻む感覚は、超常の膂力の元に生まれる未知のものだ。武器に振り回されるという言葉そのままに、俺が振るっているのか、振るわれた< 髭切 >に引っ張られているだけなのか判断の難しい、あまりに大雑把で不格好な攻撃はイバラに巨大な爪痕を残す。

 おそらく、目に映る裂傷はイバラにとって致命傷にはなり得ない。しかし、その一撃でイバラの根源たる何かに傷を付けたと感じた。物理的な手応えはなく、ただ魂で、対たる天敵に癒えぬ傷を負わせたと理解した。

 それほどに圧倒的アドバンテージを経て尚コンマ以下の世界。ここでようやくイバラが反応した。わずかに遅れてs1、それに続きs2が俺に続く追撃の体勢に入る。俺を直接知覚し続けているs6ならば真っ先に反応を見せると思ったが、直接的な動きはない。


 胸から肩を斬り裂く勢いそのままイバラの頭上へと飛び出した俺は即座に次の一手を検討。身体の制御が利かずとも、異常なまでに加速した思考は働かせる事ができる。あまりに速い思考が脳を焼くが知った事ではない。

 両断とはいかなかったが、それでも左胸から肩にかけての裂傷を抱えた左腕での反撃は不可能と判断。《 回帰する茨肢 》で回復するとしても、秒単位の時間を要する以上、反撃の一手には含まれない。《 廻刀・飛燕円舞 》によって舞い続ける大太刀も至近にはなく、s3の浮遊盾がガードすべく警戒を続けている。ならば、警戒すべきは右腕と< 髭切 >さえ砕きかねない歯。その二つを最大限に警戒しつつ、我武者羅に< 髭切 >を振るう。無茶苦茶な体勢。技巧の欠片もない空中戦。そんな状況で繰り出した攻撃が致命打になるはずもなく、強化された膂力と速度だけを以てイバラに裂傷を刻み付ける。

 一閃、二閃、三閃。すべてを超越した時間の中にあって、未適応状態のイバラは止まっているも同然。その乱雑な剣閃のすべてが命中した。

 ただ刀を振るうだけで、ここまで多大な代償を支払って刻み付けた傷を凌駕した。


 対しイバラは、この神速の領域に在って尚把握できない歩法で……引いた。選択したのは防御でも回避でも反撃でもなく退避。追撃をかけるs1とs2を意に介さず、ただ空中にいる俺と距離をとった。

 それは、ちょうど俺の射程から半歩だけずれた位置。おそらく、今の俺の速度に対してイバラがギリギリ反応可能な距離だった。

 その選択は、熱く煮え滾る脳に氷柱を差し込まれたような悪寒を走らせるものだった。決して消極的な意味でとられた選択ではない。圧倒的格下に対して臆病ともとれる行動は俺の予想からかけ離れたものであり、最も恐れるもの。わずかにでも俺に対する侮りがあれば決して取れない行動を、イバラは極当たり前のように行った。

 ここに至って尚上方修正しなければならないイバラの戦闘能力に戦慄する。そして、わずかな時間でも与えれば即座に学習し、多大なアドバンテージが消滅するという確信が更に補強された。


 牽制としてs5が空中に多数展開したビットから放たれる射撃を弾きつつ、イバラは瞬時に胸から肩にかけての裂傷を復元する。警戒していた《 回帰する茨肢 》すら使う必要もなく、ほぼノータイムで傷口が塞がった。俺と戦った数分前までのイバラでは有り得ぬ現象だ。スキルなしとはいえ、俺が< 髭切 >を使って与えた傷であるにも拘らず、瞬時に回復するのは正しく異常事態。

 イバラはここまでの戦闘経験だけでも目に見えるカタチで進化している。それはすでに邂逅した時のものとは別モノと評価するべきなのだろう。

 駄目だ。こいつにこれ以上の時間と経験を与えるわけにいかない。俺が限度を超えた無理をして強化を受けているというのに、イバラは素のままそれを上回ってきかねない。

 時間がない。俺の限界という意味でもあるが、それ以上にイバラの進化が危険過ぎる。


 そんな俺の考えを読んだのか、あるいは同じ解答に至ったのか、s1、s2、s4の前中衛組が無理を押してイバラへと肉薄し、s5が長距離砲とビットで援護に回る。

 ほぼ密着状態ともいえる、牽制ですらわずかな距離しか発生しない至近距離。そんな中を無数の刃と打撃が飛び交い、わずかな隙間をすり抜けるように遠距離攻撃が放たれる。己の手足のみで行おうが意識が混線しそうな完璧な連携を、S6はそれが当たり前と言わんばかりに実現している。


 リアルといえば聞こえはいいが、シャドウは自身が魔力の塊である事を無視してモデルデータの行動を模倣し、本人そのままの姿を再現するもので、それだけのモノでしかない。HPが減少した事で連動して発生する能力や装備の劣化は考慮されず、HP全損で消滅する事も考慮せず、ただ実物と同じように次の一手に入るのが俺が知るシャドウの行動原理だ。俺がシミュレーターで戦った時も、その特性を利用した事は否定しない。

 しかし、目の前で繰り広げられているのはただのシャドウでは有り得ない光景だった。それは己がシャドウである事を識り、それを前提とした戦術。意味不明な事に、この奇跡は実体ではなくシャドウとして最適化された行動を実現している。


 s3が合わせて置いてくれたらしい浮遊盾を蹴り、再度イバラとの距離を詰めた。

 弾丸のような加速をつけた剣撃は不発。この一秒にも満たないわずかな時間で見切ったといわんばかりに大太刀が< 髭切 >の刃を阻む。怒涛のように続くS6の攻撃も、防御、回避、受け流しと有効打を与えるに至らない。即座に回復する程度の傷は与えたが、それは回復速度を考慮して影響がないと判断した上でのものに思える。

 だが、反撃は許さない。まだ手番はこちらのものだ。


 < 髭切 >を振るう。動かす度に筋肉が根刮ぎ崩壊しつつ再生されるような異常な感覚の中、限界を超えた知覚でその動きを補正していく。

 この打ち合いの中で《 廻刀・飛燕円舞 》の対処は不可能と判断、s3に対処を委ねる。近接牽制はs2とs4。後方からの援護はs5とs6。正面に立つのは俺とs1。そのすべてをイバラは一人で受け切っていた。

 イバラが振るう大太刀の一方をいなし、弾く。俺とイバラの体格差、体重差、何より膂力差では真正面から受け切る事は強化を受けた今でも困難だし、できたとしてもそれをする意味はない。

 刀を振るう度に、大太刀を弾く度に、衝撃で肉が弾け、血管が破裂するが、それもすぐに元に戻る。s1はもう一方の大太刀を平然と捌いているのだから、如何に俺だけが格下か分かろうというものだ。

 だが、戦えている。鳴らす事が叶わないと感じた剣撃の音が、鼓膜を破壊するかのように鳴り響いている。


 決して止まってはいけない。これ以上、奴に手番を渡してはならない。その瞬間、この拮抗状態は崩壊する。

 加速する。肉体の限界を超え、己の制御できる限界を超えてもまだ速く。超常の強化をまるごと受け入れ、暴走した状態でも押し切れれば俺の勝ちなのだと。

 無数に振るわれる剣閃は嵐の如く周囲を巻き込んで吹き荒れる。その剣筋は至極単純なもの。認識さえできれば、次の手、その更に次の手が読めるほどにありふれたもの。だからこそ速く、鋭く、互いの認識を超えるほどに加速していく。


 俺とイバラが打ち合いを続ける一方で、S6たちシャドウの援護が追いつかなくなりつつあるのを感じている。

 次元を超えた超速の最適化。イバラが太刀を振るうごとに、俺が< 髭切 >を振るうごとに、互いがそれに合わせて進化を続け、更なる領域へと踏み込んでいく。

 一人では決して叶わぬ、ただ強敵を屠るのでも薄く、好敵手と呼ばれる者と高め合う事すら児戯に等しい、これ以上は決して有り得ないと感じるほどに強烈な成長を身体の芯で感じている。

 我は彼であり、彼は我であるという一体感と、二律背反し反発しあう関係は、一本の磁石が己の磁力に反応して高速回転する様を連想させた。己が進化し、その進化に反応して相手が進化する。俺たちは、我々は、お互いに己の進化を実演する事で、天敵であり対存在だと訴えていた。

 だが、足りない。那由他さんの強化に無理やり最適化する分を含めても、あきらかにイバラの進化速度のほうが上回っている。真っ当な成長で競うには、生物としての基盤があまりに違い過ぎた。


 どこかで賭けに出る必要がある。しかし、そのタイミングがない。

 前に出て攻勢をかける必要があるのはイバラも同じなのだから、それをさせまいとしているのは極当然の事だ。

 そして、その拮抗が破られる時がきた。


――Action Skill《 付喪の遺言 》――


 打ち合いを続ける中、《 廻刀・飛燕円舞 》で回転を続けていたイバラの大太刀が崩壊し、その質量と内に秘めた魔力を炸裂させた。




-2-




 混戦状態の中、s3の浮遊盾を複数消滅させる力場が、ほぼ死角となった位置から発生した。

 未知のスキルではない。《 付喪の遺言 》自体はディルクが習得し、ゲルギアル相手に発動する場面に立ち会った事すらある。

 それは《 付喪の洗礼 》というスキルで事前付与を行い、耐久全損の際に合わせて自壊させる、という極めて厳しい条件の元に発動するもの。武器そのものと秘められた魔力、蓄積された耐久ダメージを炸裂させる事で爆発を生み出すスキルだ。

 ……そう、決してとっさに出せるスキルなどではない。戦局に合わせての対策というのなら、他にとれる手はあったはずだ。どの時点からかは知らないが、イバラはこういう戦局になる事すら考慮していたというのか。極小の可能性すら予測した上で最大効果を狙うような、そんな未来予知のような先読みで動いているとでもいうのか。

 俺の知らないイバラの引き出しの一つであり、ここまで肉薄して尚埋まる事のない決定的な差は、彼我間で絶対的に存在する実力差に他ならない。

 俺やs1が爆風によって吹き飛ばされた距離はほんのわずかなもの。発動に合わせて爆風を斬った事でダメージらしいダメージもない。しかし、あまりに致命的な隙が生まれた。

 それは、この極限の剣劇が次のステージへ移行する事を意味している。


――Over Magic《 封獄・茨格子 》――


「ッ!!」


 駆け抜けた危機感に、とっさに後ろへと距離を取った。

 発生したわずかな空隙で、イバラがその手に持つ二振りの大太刀を地に突き刺すと、交差した< イバラの阿太刀 >と< イバラの吽太刀 >がトゲを持つ植物へと姿を変えていく。

 それは《 茨鬼道縛鎖 》で生まれた茨と接続されると、瞬く間に決戦場内を覆い尽くした。それまでの侵食速度の比ではない。俺たちが打ち合っていた場所は、一瞬で茨の壁が形作られている。

 格子状の茨が張り巡らされたのは床、壁、天井の表面だけではなく、空間すべて。極めて行動の制限される茨の檻が完成した。

 ……いや、違う。この檻は未だ内側に向けて成長を続け、完成し続けている。


 本能が警鐘を鳴らす。張り巡らされ、成長を続ける茨はすべてがイバラそのものであり、この《 領域魔術 》はイバラにとっての絶対なる空間を作り出すものだと。

 トゲから覗くのは……死毒。s4から受けた毒を自らが生成し、無数の茨を触れただけで溶解する死のトラップと化している。

 前後左右から急速成長を続ける死の茨が迫る。その一つ一つの速度は決して対応できないものではないが、イバラ本体を警戒しつつ迫る茨のすべてを切り刻むのは不可能。最低限のみを対処し、イバラへと至る道筋を駆ける。

 しかし、この茨の檻は決して防御のためのものではない。展開された茨のすべてがイバラと接続された肉体の一部であり、領域内であれば直接遠隔攻撃を可能とする。おそらくは知覚すら共有した、死角なきテリトリー。

 駆ける先で、無手となったイバラが地に向かい右拳を突き出したのが見えた。同時に、異なる場所に展開された茨が膨張し、巨大な手となって襲いかかる。

 ターゲットはs4。常に死角へと移動し、強襲を狙っていたs4が唐突に発生した巨大な茨の手によって鷲掴みにして捕らえられた。s4を捕らえた手はそれは拘束だけを意味するものではない。触れるものすべてを死毒に侵す手は、掴んだs4を即座に溶解させる。


 HPを失えば消滅するシャドウの特性のまま、s4はイバラの手に握り潰され、魔素の霧となって消滅した。

 あまりにもあっけなく、一切の感情が働かぬ間にS6の一角が脆くも崩れ去った。


「くっ……」


 割り切れ。決して感情に振り回されるな。後悔なら、勝ったあとにいくらでもすればいい。贖罪なら、更にその先で果たすべきだ。

 ここで起きた奇跡が、ただイバラに蹂躙されるだけのものと認めてはならない。そんな不実な結果は、シャドウだろうがデータだろうが許されるものではない。

 今はただ前を……イバラだけを見据えて加速する。俺を取り巻くすべてで、あいつを凌駕するために。


 わずかでも触れれば致命傷となる茨が無数に迫る中、微かな可能性の道を切り開き、進む。過剰なまでに強力な膂力と速度では精密性を欠く対処しかできないが、致命的なズレは《 土蜘蛛 》で以て無理やり補正する。

 その中でこの檻が持つ本質を理解した。この領域は俺に対して用意されたものではない。強烈で致命的な一手だが、こんなもので俺が仕留められるとはイバラが考えているはずもない。これはS6を排除するための一手であり、その時間を捻出するために俺の行動を制限する一手だ。

 《 茨鬼道縛鎖 》とは異なり、切り裂いても即座に成長し補充される茨の檻。拘束だけでなく、伸縮・成長による物理的な攻撃すら行う上に、死毒によって能動的・受動的を問わない追加特性を備える劇物によってs3の展開する浮遊盾が、s5のビットが貫かれ、次々と失われていく。魔力で構成されるシャドウが武装を失う事は、直結する本体のHPが失われる事に等しい。それに加え、遠距離での牽制が事実上封じられた事で、イバラの行動の選択肢が際限なく広がっている。


 拮抗した状況を抜けた先にあったのは一方的な蹂躙。たった一手。《 封獄・茨格子 》を発動させてしまった事で、戦局が大きく傾いてしまった。

 突き放された差を埋める事ができない。広がった距離を詰める事ができない。茨を切り裂いて道を造る事は可能でも、その道筋は完全に予測され、誘導されている。道の先に道がない。造れない。切り裂いた先には茨に絡め取られる未来しかないと《 土蜘蛛 》が告げている。そんな因果は有り得ないと断定されている。

 ゼロでなければ可能性を引き寄せる俺に対し、イバラがとった対策は可能性をゼロにする事。限定的とはいえ可能性を有り得ぬと完全に潰す、あまりに単純で強引な一手。無限に伸びた樹形図の如き可能性の道を、延々と続く一直線の道に造り直すような所業。あるいは、《 封獄・茨格子 》とはそういった可能性すら含めて、閉じ込めた者を封鎖する檻なのかもしれない。

 行く道がすべて潰されたわけではない。しかし、残されたそれらは誘導された道であり、進めば進むほどに可能性が潰されていく。この茨の檻は因果すら含めて、雁字搦めに縛り上げようとしている。

 今なら《 土蜘蛛 》で強引に抜ける事はできる。イバラの後ろに俺を存在させる事も可能だろう。しかし、それはあまりに危険。おそらくは、イバラはそれすら考慮し、対策している。ここに至るまでで、存在の書き換えは何度も見せてしまっているのが致命的だ。初見ですら対応してきかねないような化物に、同じ手が何度も通じるはずもない。

 何らかの行動に挟み込んで発動させるならまだ通用するだろう。しかし、これ以上見せればその手すら封じられる。それすら、成立してあと一度が限度と考えるべきだ。《 土蜘蛛 》だけではない。目先の対応に追われ、何かを使えばイバラに観測され、その可能性を潰される。

 刻一刻と進む時間はイバラの味方だ。時間を与えれば与えるほど、奴は進化を続け、こちらは手を限定されていく。秒単位で封鎖範囲が広がる檻は、一手誤るだけでもS6と俺を圧殺するだろう。

 こうして迫る茨を切り裂き、生き永らえているのでさえ引き出しを失い続ける時間稼ぎでしかない。




――Action Skill《 システム・オーバーロード 》――


 その状況で動いたのはs5だった。s3の構築した盾の集合体に隠れ、わずかな隙間から自身の数倍はあろうかという巨大な砲身を固定化し、イバラへと向けている。

 解析すれば、それは都市すらまるごと焼き尽くす威力を秘めた必殺の砲撃。それに"対植物特攻効果"を乗せて放つもの。

 放てば命中するだろう。何せ、その攻撃範囲は前方すべて。前に捉えてさえいれば確実に巻き込む事ができる。対鬼の効果がなくとも、イバラに深手を与えられる兵器だ。……しかし、"深手を与えられる"兵器でしかない。

 《 土蜘蛛 》の解析能力が、俺に未来予測じみた光景を見せていた。s5はそこから次に繋がる一手を持っていない。s3はアレを撃たせるのが限界だろう。s6の援護を受けてさえ、茨の檻を穿ち、イバラへと至る道を造る事が限界だと。

 もうあとはない。ここで決めろという意思さえ感じさせる捨て身の一手なのだ。


 イバラもまた、それを脅威と感じたのか、発動を阻止すべく動き始めている。

 無数の茨がs5を護るs3へと向けられた。多数の浮遊盾が結合する防御壁もそのすべてを止めるには至らない。すでにs5のビットもなく、迎撃はs6の魔術によるもののみだ。

 自身も動き始める。無手とはいえ、周囲のすべてがイバラそのものであり、凶器であるなら、むしろ戦闘力は上がっていると考えるべきだ。二本の大太刀が植物のそれだったらしい事を考慮するなら、下手をすれば周囲のすべてを大太刀に変化される事すらやってきかねない。


――Action Skill《 獣神纏憑 》――


 狙いが集中した事によってわずかに発生した間隙でs2がその姿を変えた。これまでのような部分的な変化ではなく、シャドウのシルエットそのものが大きく変わり、黒い炎の虎が顕現する。

 その身から放たれるのは太陽すら焦がす劫火。襲いかかる茨を燃やし尽くし、その毒までも蒸発させる高熱が視界を揺らがせる、あまりに強大な力。

 炎の虎が一直線に動き出したイバラ本体へと駆け抜け、肉薄する。イバラでも足を止めざるを得ない、秒を稼ぎ出す猛攻だ。

 代償もなしに使えるような力ではない。アレがただの変身であるはずがない。s2もまたその身を捨てて道を切り開こうとしている。

 s2とs5が切り開こうとしているのは、正しく勝利へ繋がる最後の道。託されたのはs1と俺。ここで決めなければ終わる。正真正銘、最後の賭けともいうべき挺身なのだ。


 繋がる可能性の道を予測しても、イバラ本体へと駆け抜ける道はあまりに細く、険しい。s2が造り出した炎の道さえ、抜けた先から即座に修復されているような有様だ。こんな中、s5の砲撃に合わせるのは至難極まる。タイミングすら、コンマ以下ずれるだけで崩れ去る。

 しかし、その可能性の道は確かにある。

 身を翻し、俺が駆けるのは俯瞰してみれば逆走ともいえる方向。s1の駆ける道ともまったく異なるその道は、唯一タイミングを合わせられる可能性だ。s1もまた、独自の嗅覚か経験か己にとっての最善の道を選択している。そんな細い道を、茨を切り裂きつつ走り続けた。


 次の瞬間。大量に襲来する茨により、s3の盾がすべて粉砕された。勢いこそ削がれたものの、止めるには至らない。

 盾を失ったs3がとった行動は、その身を投げ出す事。


――Action Skill《 ルナ・シールド 》――


 文字通り自身を盾と化すスキルによって、s3は茨に貫かれつつも軌道を逸らし……その姿を霧散させた。S6の一角がもう一つ崩れ去った。

 無駄ではない。s3が稼ぎ出したわずかな時間は、確かに次へと繋がる一手を完遂させた。

 s5を貫こうと迫る茨の前に立ちはだかったのはs6。s3が身を挺して稼ぎ出した時間は、s6が迎撃の体勢を作り上げるためのものだった。

 スキル名の出力されない魔力の奔流が茨を塵と化し、周囲に成長を続ける茨だけでは決して足りぬ絶対なる迎撃空間を構築した。s2に阻まれたイバラは直接的な手を打つ事ができない。

 だから、再びイバラの巨腕が遠隔で再現されるのは必然だったのだろう。

 迫る茨の手を前にs6は何かを振りかざした。おそらくそれは迎撃のために繰り出される何かだと思わせるもの……。

 ……しかし、s6は何もしなかった。突き出された手はそのままに、その身を茨の腕に差し出し、貫かれる。


 意図の分からない行動に困惑した。確かにs6の背後にあったs5の砲撃準備は整っている。これ以上の時間稼ぎは不要だっただろう。だがわざわざ消滅を受け入れる必要もないはずだ。

 微かな疑問を残しつつも、稼ぎ出した時間によって準備の整ったs5の銃口が破裂したような唸りを上げ、光を放つ。前方に存在するすべてを薙ぎ払い、茨を枯らし、イバラとその足を止めるs2を飲み込むように。


――Action Skill《 フルバースト 》――

――Over Magic《 炎虎焦獄殺 》――


 追い打ちとばかりに、自身の残りHPすら注ぎ込み、すべてのエネルギーを放出するs5。それを撃ち切れば、即座に消滅を免れない自滅の砲撃。

 対してs2が射線上にいるのも想定通り。次を考慮していないのも同じ。炎の虎と化したs2はその身を概念の炎に変えて、空間にある俺たち以外の存在を燃やし尽くすべく広がった。

 正に捨て身ともいえる二つの攻撃はイバラの足を止め、即座に蒸発する高温で燃やし尽くし、その身体を大きく穿つ。


 駆ける。s5の放つ光の、そのわずかに後ろを追うが如く。

 広間すべてを灼熱地獄と化した概念の炎だが、俺たちには影響を及ぼさない。劫火に包まれ、蒸発を続ける茨の道をs1が駆ける。

 s5とs2が魔素に還元され、その姿を失ったのを感じる。トリガーになったらしき《 土蜘蛛 》と繋がるラインが途切れたのが分かる。それでも、二人が作り出したものはそのまま俺たちの道となった。

 決して振り返らない。躊躇う事すら不実。ただ前を向いて宿敵を滅ぼす事こそが、唯一託された事だと胸に刻み込むように。

 強烈な多重攻撃ではあったが、イバラは決して滅びていない。ヤツが滅びるはずもない。蒸発するほどの高熱に燃やされ続けようが、身体の大部分を消滅させられようが未だ健在。視界に映らなくとも、駆ける先に奴がいるのは良く分かる。

 《 封獄・茨格子 》もそうだ。概念の劫火によって燃え続け、その力を封じられたが、それは拮抗しているだけ。まだ術式は健在であり、抑え込む概念の炎がなければ息を吹き返すだろう。

 ここが最後。ここで決めなければ次などない。迷宮都市世界は崩壊し、ピエロは高笑いを続け、特異点で起きた事象はほんの少しだけカタチを変えて同じ結果に収束するだろう。大きく違うのはイバラの勝利というその一点のみ。渡辺綱の道は潰え、ここに至るまでに犠牲にしたすべてのものが、イバラが次のステージへ至るための糧となる。そんな未来は許容しない。


 駆ける先に巨大な人影が立ちはだかる。当然とばかりにこちらを睨みつけるその身は未だ炎に覆われ、《 鬼鋼甲冑 》は半分以上が砕け散り、下半身にその一部を残すのみ。

 イバラは左腕を覆う腕甲と燃え盛る体躯のみで俺たちを迎え撃つ。




-3-




 穿たれた道。燃やし尽くされた道。その先に在るイバラへと一歩早く到達したのは俺。しかし、その手を届かせたのはs1だった。

 黒い刀のカタチをした影が俺の背を追うように投擲され、脇をすり抜けてイバラへと突き刺さった。頼みの綱である得物を投げ捨てるかのような所業は、確かにイバラの右腕へと命中し、突き刺さる。

 それは、あまりにも出来過ぎた連携。俺の意図を汲み取る行動だった。


――――Form Change《 人鬼の左腕 》――


 迫る俺を迎撃すべく、イバラの左腕に残った腕甲が姿を変える。

 それは左腕を覆い隠すように大きく、鋭く、イバラ自身の体躯に迫る無骨な大太刀へと変化した。大きさこそ別物でも、それはかつての地球で渡辺綱が振るった異形の左腕を模したものに見えた。

 大きく振るわれる左腕は神速のそれを超越し、俺の右半身を大きく切り裂く。しかし、それは予測済みであり、想定した一手。

 消し飛んだ先から過剰再生を続ける右半身を無視し、イバラの右半身を狙うべく歩を進める。


「ぁあああっ!!」

――Action Skill《 旋風斬 》――


 跳躍し、回転し、< 髭切 >の一打をイバラの右半身へと強引に叩きつける。


――Skill Chain《 旋風斬・二連 》――


 そこで止まらず、抉るように、穿つように深々と斬りつけた< 髭切 >を左腕のみで更に押し進めるが、片手ではイバラの体躯を抜く事はできない。……そんな事は分かっている。


――Skill Cancel――


 だから、この一手はここまでだと止める。< 髭切 >をイバラの胴へ突き刺したまま、俺はその手を"離した"。


――Over Skill《 夢幻刃・雅 》――


 そこで追う一歩を走り抜けたs1が見知らぬ脇差で放つ《 夢幻刃・雅 》。鬼特攻なき武器での攻撃は、イバラにとって脅威足り得ない。

 ここに至るまでのわずかな時間で、イバラとs1の間には巨大な実力差が生まれている。鬼特攻効果を持つ"本物"ならばともかく、それを再現しただけの模造品では致命打は生まれない。ましてや、ただの脇差では《 夢幻刃・雅 》とはいえ、傷を付ける事さえ困難だろう。


――Skill Cancel――


 ……当たり前だ。最初からそれは牽制でしかないのだから。


 スキル中断によって身を投げ出された俺は、その勢いに抵抗する事なくイバラの右半身方向へと飛び、< 髭切 >を手放して空手となった腕を伸ばす。

 《 夢幻刃・雅 》の刃華に隠れるように飛び込んで来たs1もまた脇差を手放しつつその手を伸ばす。

 俺が再生中の右手を伸ばしたのはs1が最初に投擲し、突き刺さったままの影刀。s1が手を伸ばしたのは、俺がイバラの右胸へと叩きつけた< 髭切 >。


――Action Skill《 旋風斬・花吹雪 》――


 一手早く、s1の斬撃がイバラの右胸から左腹にかけてを切り裂き、更に続く回転撃の乱打で裂傷を増産した。一撃一撃は浅いが、確かなる対鬼特攻効果、対イバラ特攻効果が上乗せされた< 髭切 >による斬撃は、イバラの意識を一瞬だけ誘導するのに成功する。


――Action Skill《 瞬閃 》――


 そのタイミングで再生完了した右手で掴んだ影の刀を、俺は勢いそのままに振り抜いた。

 突き刺さるイバラの胴体を鞘に見立てた抜刀術を発動し、イバラから抜き放った刀を再度イバラへと叩きつける。

 生まれた剣閃がイバラに刻み付けたのは、本来ならば有り得ぬ威力。渡辺綱という対イバラの効果をもってしてもここまで大きなダメージは稼げない。当然、そこに上乗せした材料はある。


[ スキル《 瞬連閃 》を習得しました ]


「あああああっ!!」

――Action Skill《 瞬連閃 》――


 打ち付けた刀身から繋がる再度の抜刀術による追撃。深く、深く斬りつけたその刀身に煌めくのはシャドウが模した闇ではなく、金属の輝き。

 ……そうだ。それは有り得る可能性だった。星が崩壊したあと、所有者である剣刃さんが死したとしても、刀そのものが失われたわけではない。保有していた刀を娘である燐ちゃんが継承していたとしてもおかしくはない。

 迷宮都市において、《 鬼特攻 》効果を持つ武器は希少なものだ。常に使用していたかどうかは別にしても、無限回廊四四四層で未知の鬼と対峙したならば、鬼に対して特攻効果を持つそれを使うのは当然ともいえる。

 もちろん今目の前にいるs1が無限回廊四四四層を再現しているとは限らないが、ここまでの戦いでその片鱗は何度も目にしていた。

 今、俺の手に在り、イバラを切り裂いたのは《 土蜘蛛 》によって顕現した< 童子切安綱 >。その可能性なのだ。


 その一瞬、イバラが見せた困惑は、未知のものに対して適応するための隙。俺がこの戦闘の最序盤において《 土蜘蛛 》を使用した時のものと同じものだった。

 隙と呼ぶにはあまりに短い刹那。本来ならば認識する事さえ困難なそれは、この瞬間において致命的ともいえる隙となる。


――Over Skill《 命断刃ノ壱・大鎌 》――


 その隙を活かすべく、s1は< 髭切 >で以て次の一手を始動。

 命を刈り取る鎌を模した剣閃がイバラの首を狙う。俺がシミュレーターで見た《 命断刃ノ壱・烈火 》とは異なる始動技。そして、そこから続く二撃目も異なる軌道を描いた。

 首を断ち切れなくとも問題はない。それは剣先を引っ掛けて次へ繋ぐための動作をも含むのだから。


――Over Chain《 命断刃ノ弐・蓋砕 》――


 初撃の反動を利用した、柄による頭部への打撃。イバラはわずかに残った甲冑の兜部分でそれを防ぐが、s1はそれごと砕き切る。

 まともな相手ならば、跡形もなく頭蓋骨を粉砕するであろう死の打撃だが、それすら続く第三撃の繋ぎでしかない。


――Over Chain《 命断刃ノ参・狂落 》――


 再度、打撃の反動に合わせてs1の体が跳ね上がる。相手の頭上をとり、真下にある対象の頭部目掛けて< 髭切 >を突き出す一撃は、《 命断刃ノ弐・蓋砕 》で砕いた頭部を完全破壊するためのトドメの刺突。執拗に頭部を狙い続ける連撃に、イバラはその歯で以て迎撃の体勢に入る。

 その動作に、俺はイバラの即応能力の限界を見た。

 ここまでイバラはありとあらゆる攻撃に対して即応してきた。《 土蜘蛛 》による位置変更でさえ、数回と保たずに無力化された。未知の行動に対し、初見ですら最善に近い行動で即応できるのは恐るべき戦闘勘と評価せざるを得ない。しかし、それでも初見の攻撃に対して完全な対処は行えていない。未知そのものともいえる俺たちの連携には一手だけ遅れている。

 だからこそ、続く一手を予測するに至らない。


――Skill Cancel――


 トドメとなるその動作はフェイクだ。< 髭切 >の刃は、イバラに突き刺さる事なく、s1の蹴りを加えて落下した。

 交差するように俺の手から投擲される< 童子切安綱 >を空中のs1が掴み、俺もまた落下する< 髭切 >を握りしめた。

 どれだけフェイントを重ねようが、初見の技だろうが、イバラの即応能力は上回れない。未知によって一歩先んじ、当てる事はできても滅ぼす事はできない。

 だから、突きつけるのは絶死となる攻撃の同時発動。


――Over Skill《 鬼神撃・首断チ 》――

――Over Skill《 鬼神撃・腕断チ 》――


 イバラに対し究極の二択を迫る。己の根源たる左腕か、あるいはその首か。

 普通に考えるなら左腕を捨てる。再生能力がある以上、戦闘力の低下に直結しない部分を犠牲にするのは必然。しかし、ソレが俺の死そのものである《 渡辺綱の左腕 》である以上、単純な二択にはなり得ない。また、首を落としただけで死ぬとは思えない。酒呑童子討伐の伝承のように落とした首が襲ってくる可能性だってなくはない。

 しかし、この盤面においてどちらを失っても致命的なのには変わらない。今、俺とs1で迫っているのはそういった選択だった。


 そんな二択に対し、イバラが防ぐ事を選択したのは首。

 s1の放った< 童子切安綱 >は首に届かず、イバラの歯によって迎撃され、受け止められた。それだけではない。可能性を具現化したものである以上、限定的とはいえ《 不滅 》を持つ< 童子切安綱 >をイバラは噛み砕く。元々がs1のHPによって構成されていた刀だ。それが粉砕された事によってs1に多大なダメージが発生し、s1の存在そのものが揺らぐ。

 視認した事でようやく認識する。イバラが< 童子切安綱 >を噛み砕いたのはこの戦いの序盤で< 髭切 >が受けたものとまったく同じ力だと。《 逆襲の歯断 》と名付けられたそのスキルは、己に特攻効果を持つモノへの特攻効果を付与するもの。自身を滅ぼすモノを逆に滅ぼすという、捨て身のカウンタースキルだ。


 一方、俺が放った《 鬼神撃・腕断チ 》によって、イバラの左腕が腕甲ごと肩口から落ちた。

 < 人鬼の左腕 >によって巨大な大太刀と化しているものの、これは俺が死の根源と感じた< 渡辺綱の左腕 >であり、イバラの存在そのものであるはずだ。これを失う事は正に存在の根幹を揺るがすのに等しい。だからこそ、二択を突きつける事ができた。


 しかし、その左腕に刃を通す手応えに、俺は異様なものを感じていた。……コレは俺の死ではないと。

 即座に理解する。コレはあの時俺がただ一発で滅ぼされかけた< 渡辺綱の左腕 >ではない。落ちる腕はただの鬼の腕であり、強力ではあっても、それ以上の力を感じさせないものだった。

 胴体から離れた事で解析が可能になったのか、俺の視界に映る腕甲から微かに読み取れるのは、詳細不明だが何かしらの《 隠蔽 》の力。< 渡辺綱の左腕 >がそこに在ると認識させるための力。

 イバラは己の切り札がここにあると見せつけ、認識を固定化させていた。

 まったくのブラフではない。それならば、俺を滅ぼしかけた《 渡辺綱の左腕 》も発動できない。ズラされたのはほんのわずかな認識だ。

 < 渡辺綱の左腕 >はこの腕そのものではない。そこに繋がっていた場所……イバラの肩口から覗いているモノこそが< 渡辺綱の左腕 >なのだ。

 骨ではなく肉でもない、およそ人の持つ器官には見えないソレは、俺が前世で振り続けた異形のカタチ。俺が落としたのは、その力を伝達するために用意された末端部分に過ぎない。


 俺を騙し切ったイバラが次の行動に移る。肩口から覗くソレを右手で掴み、引き抜き、そのまま一閃。

 振るわれた異形の大太刀< 渡辺綱の左腕 >によって、s1の胴体が真っ二つに切断された。




-4-




 最後まで抗ったs1の影が消滅する。奇跡が霧散する。

 しかし、イバラの動きは止まっていない。s1を両断したその勢いのまま、最後に残った俺へと究極の死が襲いかかる。


――Over Skill《 鬼神撃・綱断チ 》――


 極限まで加速した認識時間に在って、更にスローとなった灰色の世界の中、イバラの右手によって異形と化した< 渡辺綱の左腕 >が振るわれる。二重に渡辺綱の死を体現したその攻撃をこの身に受ければ、再生する間もなく消滅するだろうと確信させる一撃。

 あまりに決定的なミス。限界を超えた死闘の中、ここでしか有り得ないという場面で、イバラが最初から仕込んでいた偽装が俺たちのソレを上回った。

 絶対に渡してはいけない手番を渡してしまった。奇跡の体現であるS6はすべて散り、残るのはこの身一つ。それも、イバラが< 渡辺綱の左腕 >を振り下ろせば砕け散るような儚いものでしかない。

 あまりにも用意周到。あまりにも揺らがない。強大なる力が最善の戦術を体現し、何手もの先を予見した上で化かし合いを仕掛けている。

 ここに来て思い至るのは、その姿は俺自身の延長線上にあるものだったという事。勝利のためにあらゆる手を尽くすのは渡辺綱の在り方と同じものなのだ。


 静止したような時の中で、脳だけが必死に次へ繋がる手を導き出すべく高速処理を続けていた。

 状況は手詰まりに近い。迫るイバラに対し、《 土蜘蛛 》を使った回避は可能。しかし、それは悪手。俺にはそこから続く手がない。

 イバラが繰り出したのは正真正銘最後の切り札だ。しかし、それはあくまで今この瞬間における切り札に過ぎない。懸念していた通り、この怪物は時間を許すほどに、経験を許すほどに進化を続ける。

 故に、今この時を以てしか届き得ない。

 《 暴食の右腕 》の力は失われ、全身を概念の炎で焼かれ、左腕を失っている。ダメージを受ける端から再生を続けてはいるが、その蓄積がまったく影響のないものであるはずもない。《 封獄・茨格子 》のような大技を使った代償が皆無なはずもない。こいつを滅ぼすのには今において他はない。


 引けば終わり、進んでも終わり。手は出し尽くした。限界などとうに超えている。

 ならば、ならばせめて、イバラに対して……この愚直にして高潔なる鬼に対して、俺のすべてをぶつけるべきだと思った。

 右手の< 髭切 >を握りしめる。静止した時間が動き出し、前へと向かうべく足を踏み出した。

 ……その直後の出来事だった。


 この完全なる、必殺ともいえる状況にあって、イバラの体躯がブレるのを見た。そのブレに反応し、振り切ろうとするイバラを見た。

 見間違いなどではない。確かに一瞬だけ動きが止まった。お互いに命を断つべく踏み出したこの瞬間において、わずかな時間が生まれた。

 そこで、俺は見てしまった。有り得ぬはずの魔力の流れ。武器技や魔術、通常動作まで、行動すべてに干渉し、阻害するs6の真骨頂ともいえる魔力の流れを。


「エリ……」


 叫びそうになるのを堪える。俺にその資格などないと。

 しかし、確かにその気配を感じた。すでに消滅したはずのs6の気配が。同時に、それに合わせるように《 アイテム・ボックス 》内にあったデータ媒体が跡形もなく崩れ去るのも感じていた。

 ……そうだ。思い返せば不自然でしかない。他の五人に比べて、s6だけはあまりにも消極的だった。それは、神域の学習能力を持つイバラに対し、切り札を隠し続けるための偽装だったのではないか。最後の最後、今この瞬間のために積み重ねたs6の"嘘"なのではないかと。

 イバラの体躯がブレる。あまりにわずかな、しかしあまりに巨大な隙が生まれている。


 泣くな、渡辺綱。このチャンスを無駄にする事など決して許されない。誰が許したとしても俺が許さない。振り返らず、前だけを見ろ。

 もう、この激突よりあとの事は考える必要はない。限界まで力を振り絞り、押し切れば勝ち。足りなかったら負ける。そういうシンプルな状況。ならば、やる事は眼の前の天敵に己のすべてをぶつける事だけだ。


「イバラぁああっっっ!!!!」


 吠える。

 己の在りかを示すように。燃え上がる決戦場に存在するすべてに伝わるように。お前の天敵はここにいると。


[ スキル《 剣皇結界 》を習得しました ]

[ スキル《 超速抜刀 》を習得しました ]

[ スキル《 虚空抜刀術 》を習得しました ]


 全身を、これまでの戦闘経験が駆け抜けていく。極めて濃密な情報の中から、今必要な上澄みのみを掬い上げるように。


――Action Skill《 強制起動:瞬連閃・八光 》――

――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス■の修正 》――


 起点の一手。四神宮殿でただ一度だけ見た、夜光さんのユニークスキルを再現し、一手遅れたイバラへと打ち込んだ。

 《 因果を喰らう獣 》による強制起動。《 土蜘蛛 》によってマイナスレベルの代償を塗り潰し、効果のみは劣化しないように世界を誤魔化す。それは《 虚空抜刀術 》によってのみ成立する八連撃。s1がやったように虚空を鞘に見立てる一閃は抜刀であり納刀。光の如き速度で放たれる八連抜刀。

 刻む。イバラの身体へと刻みつける。俺こそがお前の天敵だという意思をそのまま叩きつけるように。

 八条の光はイバラの体躯を深く傷つけるが、動きを止めるには至らない。s6の作り出した奇跡の刹那を取り戻すかのように、イバラは死を体現すべく襲いかかる。


――Skill Chain《 強制起動:夢幻刃 》――

――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス■の修正 》――


 重ねるように発動するのは《 夢幻刃 》。いつかベレンヴァール相手に使った時のような出来損ないではなく、《 剣皇結界 》による空間支配の元で繰り出される剣閃の雨。

 俺が放つ事の可能なありとあらゆる斬撃を、その空間内に可能性として発現させ、留め置く。


――Skill Chain《 強制起動:旋風斬・禍津風 》――

――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス■の修正 》――


 《 夢幻刃 》によって無数に発生した可能性の刃。そのすべてで放つ《 旋風斬・禍津風 》。

 イバラは両手に持つ二刀で行ったが、これは複数の刃でさえあれば実現できるものと解析していた。よって、理屈の上では繰り出した《 夢幻刃 》の刃すべてで繰り出す事も可能だと断定する。実際にどうだとかは関係なく、そういうものだと魂レベルで思い込み、信じさせる。

 吹き荒れる刃の嵐はイバラにとっての禍津風となり、防御の叶わぬ悪夢の連閃を描いた。


 それに対し、イバラは更に踏み込む。その身をそのまま投じ、すべての攻撃を直撃させる事を選択する。それはこの場、この瞬間においての最善。わずかでも遅れれば《 鬼神撃・綱断チ 》の発動自体が、ヤツにとっての必殺の一撃が潰されるのだから。

 たとえ全弾直撃させても、俺に対する特攻効果を持つ《 鬼神撃・綱断チ 》を相殺し、上塗りする事などできない。その一撃と打ち合うべきは、やはり対となる一撃であるべきなのだ。


――Over Chain《 鬼神撃・腕断チ 》――


 全力で< 髭切 >を振るう。極限を超えた、理不尽の塊ともいえるスキル連携の中、有り得ぬはずの流麗な剣閃を描く。

 ……そう。異形の太刀へと姿を変えてはいても、それは元々俺の腕そのものだ。ならば、《 鬼神撃・腕断チ 》の最大威力を発揮できる。

 狙うはイバラの体躯ではなく、振り下ろされる< 渡辺綱の左腕 >。その中央部に微かに存在する亀裂。おそらくは、覚醒直後に俺が付けたもの。その一点だけを狙い、最短距離を振り抜いた。


 そうして交差する二つの斬撃。

 ここまでの連携で限界まで威力を高めた《 鬼神撃・腕断チ 》だったが、《 鬼神撃・綱断チ 》の剣閃とぶつかり合う瞬間、それでも足りないと理解する。

 この一撃ではイバラを滅ぼせない。それに至る事は叶わない。拮抗はしていても、そこが限界。決定的な一撃でなければ、次の一手を許してしまえば、それは俺の敗北を意味する以上、このまま振り抜くわけにはいかないと。


 《 鬼神撃 》は斬撃の命中に合わせて発動するスキルだ。続けて放つスキルがあるならばともかく、一刀の元にこれ以上の威力を上乗せするスキルを俺は持っていない。

 ならば、このまま振り抜くのが正解なのか。そんなはずはない。決定打にならないと確信しているものを、ただそのままぶつける事が俺のすべてのはずはないのだ。

 次はない。ここで決める。この一刀に俺のすべてを乗せ、俺のすべてで、イバラの天敵であると宣言する!

 俺が、俺こそが、お前の対たる渡辺綱であると!




「《 我が名は渡辺綱である 》っっ!!!!」

――Skill Chain《 我が名は渡辺綱である 》――


 瞬間、イバラのすべてを凌駕する感覚を得た。

 それは対イバラ専用の《 宣誓真言 》。それは渡辺綱がイバラに対する天敵であり、死である事の宣誓。渡辺綱より生まれたイバラであるからこそ通用する宣言。

 発動させるための前文などいらない。わざわざ発動準備などしなくとも、それはただ俺が俺であるというだけの単純極まる宣言に他ならないのだから。

 だからこそ、その宣言は連携として成立する。《 鬼神撃・腕断チ 》の斬撃を補強し、イバラの《 鬼神撃・綱断チ 》ごと斬り裂き滅ぼすものとして。




 極限の一撃がぶつかり合う。

 渡辺綱とイバラ。お互いにとっての死を体現する一撃は、正に決着の一撃となった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る