第19話「宿敵」




 我と彼は同じものであり、対なるものである。

 我と彼は互いに天敵であり、争う事を魂に刻まれたものである。

 我と彼は抗えぬ死そのものであり、存在を許容できないものである。


 それは用意された試練であり、冗長系。我と彼は一つの席を奪い合うものである。




-1-




 眼の前に立つのは渡辺綱の死そのもの。

 一般人なら、視界に入れるだけで体の全機能が停止するのではないかと思うほどの圧倒的威圧感。ここまで冒険者として鍛え上げてきた俺でさえ、無条件に平伏してしまいそうなほどに暴力的な威容。

 呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、筋肉の動かし方を忘れてしまったかのように、神経が伝達する事を忘れてしまったかのように、俺の存在が悲鳴を上げているのが分かる。

 イバラという存在は、ただそこにいて俺と対峙しているだけで死を感じさせるものだった。

 だからといって、ただここで死ぬわけにはいかない。あのクソピエロのせいか、そもそもそれが俺たちの宿命だったのか、本来すでに終わっていたはずの世界改変は始まってもいないのだ。ここで死ねば、ここまでにやらかしてきた無茶も、簒奪された人が戻ってくると信じて戦った冒険者たちの奮戦もすべてが水の泡。迷宮都市世界も龍世界も崩壊し、無量の貌は変わらず数多の世界を簒奪し続け、ゲルギアルはつまらぬ観劇だったと失望する。あのピエロの狙いなど分からないが、そんな結果なら間違いなく表に出てくるはずだ。その先にある未来が在るべきだった世界よりも良いものである保証はない。むしろ、よりロクでもない結果が待っていると考えるほうが自然だ。

 絶対に負けられない戦いとは正にこの事だろう。なんの理由もなく対峙しただけで殺し合う事が定められているはずなのに、あまりに多くのものを背負ってしまっている。


 それらすべてが不純物。目の前にある闘争こそが我らのすべて。


 思わず共感してしまいそうになるほどに深く、強く、近く感じる。それがイバラの意思であると伝わってくる。

 ……ああ、これがゲルギアルの言っていた対存在というやつなのだと理解した。強制的に理解させられて、納得してしまった。

 どこまでも遠く、どこまでも近い。

 同じものであるのに、まったく違うもの。

 どこまでも深く理解し合えるのに、どこまでも噛み合わない。

 邂逅は交差するこの一瞬のみ。

 我々は、ただお互いを滅ぼし高め合うために存在している。そう望んでいる。


 絶対的な破壊者であり、討ち滅ぼすべきものであるのに、憎悪は湧かない。なのに殺したい、滅ぼしたい、消し去りたい。

 それこそが尊重であり敬意。それらを以て殺し合う。

 これ以上ない理解者であるのに、決して同じ場所に存在できない二律背反。

 我々は、俺たちはどこまでも対なのだ。



 戦いは言葉もなく始まった。

 この空間に引き摺り込まれ、体勢の整わないままの俺に対して、イバラはその巨躯を以て肉薄する。稲妻の如き速度は、接近を悟らせる間もなく絶命に至らしめる死の暴威。

 意識を加速させる。人間の限界、冒険者の限界を超えて、脳のすべてを焼き切る覚悟で全身の感覚を研ぎ澄ませる。過去に体験した何よりも鋭く、この空間のあらゆる情報を見逃さぬよう。そうして戦闘状態へ移行すると、己の感覚が未踏の領域へと至るのを感じた。

 ただ強者と対峙したというだけでは有り得ない成長。急速に生物としての格が引き上げられていく。

 これこそが、対存在との邂逅というものなのだ。


 拡大する知覚に翻弄されつつ、迫るイバラを観測する。

 ただ速いだけではない。イバラの動きはそうしてようやく視認できるほどに流麗で、その巨躯からは想像も付かないほどに無駄のないものだ。たった今右腕を失ったばかりだというのに、確認できる筋肉の動きはすべてが理に適っていて、人型の動きの究極を突き詰めたような精密性を備えていると分かった。

 それは、凡庸な才ではどれだけ積み上げても辿り着けない領域。フィジカルな才能を兼ね備えた上で途方もない量の修練を超えた上に身につくものだ。初めから期待してはいなかったが、間違っても単純な腕力特化の馬鹿ではない。

 俺を見下ろす体躯は、以前エリカから見せてもらった映像よりも大きく見える。……おそらくは、実際に一回りか二回り大きいだろう。鋼のような分厚い筋肉も、それを包む甲冑も、左手に持つ体躯よりも長い大太刀も、あの映像のものとは差異がある。一見して違いがないのは、左肩から手にかけてを覆う甲冑と不揃いな腕甲くらいだ。成長したのか、進化したのか、ここにいるイバラがエリカたちとの戦いを経ていないという可能性はもちろんあるが、未来でS6を一蹴した時よりも強いと考えるべきだろう。

 ただし、それでもここに取り込まれる直前に見た腕の巨大さにはほど遠い。俺を鷲掴みにした手はもっと巨大だったはずだ。アレはまた別のスキルか何かなのだろう。

 正しく鬼そのものである凶悪な面構えは表情に反して怒りや憎悪という感情は感じられない。……その理由は俺にも良く分かる。……いや、俺だからこそ分かる。俺たちの間にそういう無駄なものは存在しない。あるのはただ、対としての在り方そのもの。

 俺たちはそういうふうにできている。


「うおおおおおおっ!!」


 萎縮しかけた身体を奮い立たせるように吠える。

 躊躇する余裕はない。判断する時間もない。一切の油断なく決めに来ている絶対強者に対して、圧倒的格下である俺がそんな甘えを持つ事は許されない。初手から敗北寸前の俺に全力以外の選択はない。

 あの速度には反応が間に合っても体が追いつけないと、ほぼ反射に任せて《 土蜘蛛 》を発動させる。掠っただけで致命傷、まともに喰らえばそれだけでバラバラにされかねない一撃。限界まで加速した俺の思考はイバラの初手を回避不可能と即断し、その未来に至る因果を否定する。反則じみた《 土蜘蛛 》がなければ、その時点で手がなかった。

 眼の前でイバラの左腕に握られた大太刀が振るわれる。随分と立派なものだが、それが太刀である必要などない。その膂力でその質量を振るえば、俺程度軽く塵にできるはずだ。

 攻撃を受ける直前に、そこにいた渡辺綱を否定し、イバラの死角へと可能性を移し替える。視界に映るのは、大太刀を振り下ろしたイバラの背。完全に不可避であったはずの斬撃が空を斬り、イバラは不可解な違和感を味わっている事だろう。

 こんな超常の一合ですら挨拶代わり。こちらはいきなり切り札を切る事を強制されたにも拘らず、イバラのほうは全力どころか力の一端ですらないかもしれない。そういう絶望的差を感じさせる初手だった。

 これ以上は有り得ないと想定していた評価を更に上方修正。こいつは……小細工なしでゲルギアル・ハシャでさえ仕留めかねない実力を持っている。どちらが上かなんて分からないし、比較するようなものでもないが、少なくともその土俵に上がっているというだけで俺にとっては絶望的な差になる。

 俺側に有利な点があるとするならば、奇襲で右腕を叩き落とした事と奴の弱点となる< 髭切 >、そして俺自身が奴の天敵であるという事。天敵云々は双方向の性質ではあり、相殺される類のものではないし、克服できるようなものでもない。どこまでいっても俺たちはお互いに天敵なのだ。

 死角に存在していた俺が抜き身の< 髭切 >を一閃。全力ではあるが、ただ振るっただけの一撃は浅く、擦り傷のようなものではあるが、甲冑のわずかな隙間からイバラの右脇腹に傷をつけた。

 HPをぶち抜いてのクリティカルを任意で手繰り寄せての直接ダメージだ。もちろん致命傷でもなければ行動を阻害できる深手でもないが、攻撃が通る事は証明した。あまりに重要な収穫を得た。

 そうして剣を振るった直後、斬りつけた周囲の甲冑が動くのが目に入った。


――――Form Change《 鬼鋼甲冑 》――


 甲冑が形状を変える。受動的ではあるが、ロッテの鎌のような直接の対処を目的としたものではなく、より効率的に防御能力を引き上げる類のものだろう。おそらくアレは戦闘する相手に合わせて自律進化する防具。下手をすれば、素材そのものが攻撃に合わせて変質している可能性すらある。

 あの甲冑がどういった出自のものかは分からない……が、単純に武具としてのそれだけではない事を識った。あの甲冑も、大太刀も、左腕の腕甲もだ。奴が纏う武具はどれもが本人の格に劣らぬ一級品だ。


 俺に武具の鑑定技能などない。それなのにそう判別できるのは、自分が意識した以上に研ぎ澄まされていく感覚によるものだ。目に入るものすべての……いや、感じるものすべての情報が自然と理解できる。

 対存在であるイバラと対峙して引き上げられているというだけではない。きっとそれは俺が……因果の獣が元々兼ね備えていたもので、ここに来て輪郭がはっきりとしただけのものなのだ。

 少し考えれば当然だ。因果を改変する。在るべき可能性を引き出す。それらは対象を理解している事が前提となる現象なのだから。俺が少し見ただけのスキルを物真似してきたのも、その能力の一端なのだろうと思い至った。

 だから、少し注意して観察すれば見えてくる。ディルクの《 情報魔術 》のように詳細ではないし数値化されたものでもないが、それらの本質が読み取れる。

 ただし、その結果は芳しくない。結論として、イバラのように強烈な個が確立されてる存在に対し、直接の因果改変は不可能。イバラ自身どころか、奴の甲冑や大太刀、右腕の腕甲すら干渉は不可能。下手をすれば、スキルへの干渉も……特にイバラ由来のユニークスキルは制限されるとみたほうがいい。俺自身やその行動は別としても、《 土蜘蛛 》で干渉可能なのは奴が起こした現象を間接的に改変するのがせいぜいだろう。

 端からムリと分かっている分、探る必要がなくなったと捉えるべきだ。


 あまりに長い数秒の時間で濃密なやり取りがあった。

 ここまでが第一手。俺の収穫は奴の右腕とわずかな掠り傷、そして大量の情報とその解析、評価。

 対して奴が得たものも同じく情報。そして攻防に際して発生した俺の消耗だ。……膨大な差が存在する中でではあるが、その差をわずかに埋める成果を得たと考えていいだろう。




-2-




 滞空したまま、抜き身の< 髭切 >を構える。普通に考えるなら、少しでも情報が欲しい。出方を窺いたい。しかし、悠長に観察している余裕はない。相手の情報を探るのはあくまで戦闘の最中であるべきだ。

 この、脳を焼くような高速の情報処理は《 土蜘蛛 》由来のもの。対存在と対峙した事で、あきらかにオーバークロックで動いている感はあるが、それでも俺固有のものだ。ならば、少なくともこの場において、情報戦は俺に分があると捉える。実際のところは知らないが、そんなわずかな利点がある"かもしれない"と捉えるべきだ。問題は、その利点は時間を追うごとに失われていくという事。

 どれだけ未知の脅威が待っていようと俺には攻める以外の選択肢が存在しないのだ。


 形状変化の影響か、別の理由か、反撃を加えた俺に対してイバラはアクションを取らなかった。わずか一秒にも満たない間隔ではあるが、それは続けて攻撃を放つには十分な時間だった。


――Action Skill《 旋風斬 》――


 そのまま空中で横へ一回転。再度加えた斬撃は即座に反応され、その軌道からイバラの身体がズレた。

 アクションスキルではないが、奇妙な動きだ。注視している中で筋肉の動きが確認できないまま、移動が行われた。おそらくは何かしらのパッシブスキル。正体は分からないが、それは今はいい。今はこの攻撃を当てる事が重要だ。


「ああああっ!!」


 イバラがズレた分、俺が存在していた座標を移動。そのまま、刀を振り切った。もちろん、HPに仕事などさせない。

 "当たる事にした"俺の一撃は甲冑に阻まれたものの、それは当初の狙い通り。むしろ、< 髭切 >による《 旋風斬 》だけでも甲冑に傷を付けられる事が分かったのは僥倖。

 さすがの理不尽にイバラの眼に困惑の色が微かに見えた。一瞬にして元に戻るが、その反応で《 土蜘蛛 》の詳細を把握していない事を察する。

 そしてもちろん、このまま終わるはずはない。当てたのなら続けられる。これは元よりそういう使い方をするスキルであり、一撃目は威力確認が目的だったのだから。


――Skill Chain《 旋風斬・二連 》――


 これまでの経験にない超速回転で放つ二撃目。本来、同じ軌道を描く追撃スキルだが、軌道ズラしはとっくの昔に体得済。加えて、今の俺なら自在に軌道を操れるだろう。

 狙うのは首。甲冑と面当てに阻まれ、わずかな隙間しかないそこをピンポイントで狙う。

 可能であれば、このまま首を落とす。正直、できるとは思えないし、首を落としたところで死ぬとも限らないが、ここまでの感触からして決して無視できないダメージにはなる。

 もちろん、《 旋風斬・二連 》の威力だけでそれが成せるとは考えていない。本命は、この場においておそらく最大のダメージソースとなるスキルだ。


――Skill Chain《 鬼神撃 》――


 インパクトの瞬間に合わせ、威力と鬼特攻の効果を上乗せする。

 威力そのものは《 鬼神撃・腕断チ 》のほうが上だが、アレはあくまで腕に限定するからこそ出せる超火力。つまりこれが、今の俺がまともに出せる対イバラの最大火力……。


「チィッ!!」


 だが、結果は不発。首を落とす事はおろか、肉を切る感触すらない。最大威力の確認もさせてもらえないらしい。

 HPを無視し、首周りの甲冑を粉砕し、首に届いたはずの< 髭切 >は、イバラの歯によって止められていた。

 止められたのは刃ではなく鎬地部分だ。攻撃自体が成立していないが故に特攻効果が乗らなかったのか。まさか、効果が乗った上で止めたとは思いたくないのだが……。

 とにかく対処方法としては最悪のケース。攻撃を防がれた事自体もそうだが、《 土蜘蛛 》で直接干渉できない方法で、というのが問題だ。

 回避されていたら、一撃目同様に因果を捻じ曲げて無理やり当てる事もできた。理解しての事かどうかはともかく、コイツは完全正答に近い対処を行ったのだ。

 最初に打ち合った時点で、イバラは《 土蜘蛛 》に対応できていなかったという確信がある。なのに、最中に即応するだけの分析を行い、最適化した。それはつまり……コイツもまた今の俺と同等かそれ以上に戦闘の中で急速な進化を続けているという事。

 冗談じゃねーな、オイ。


 最悪の対処を行われた事で一瞬の迷いが生まれる。このまま、< 髭切 >を押し込むか、仕切り直しに移行するかの判断が遅れた。

 正答は仕切り直し。刃はイバラの歯によって完全に止められている以上、ここから続く行動など今の俺にあるはずがない。

 しかし、その回答に至るまでの一瞬で、イバラは< 髭切 >を噛み砕くべく力を込め始めるのを感じた。《 不壊 》ではなく《 不滅 》の能力が備わっているはずの< 髭切 >を破壊しようと試み始めたのだ。

 今の俺が絶句するほどの異常行動。自分の弱点であり天敵であるソレを、決して滅しないと定義されたソレを、問答無用で粉砕する何かがあるというのか。

 その力の根源の解析は……不可能。だが、< 髭切 >の耐久値が減るのを感じてしまった。

 一体全体、何でできてんだよ。その歯はっ!?


――Action Skill《 瞬装 - 紅 》――


 《 土蜘蛛 》でスキルの技後硬直を否定。< 髭切 >をより小さい< 紅 >へと切り替え、奴の歯から逃れさせる。

 わずかに距離が離れた直後、イバラの左腕に握られた太刀が斜め下から振り上げられる。解析……回避可能。今の俺でも対処可能な斬撃。これはただの牽制だ。

 人体の可動限界を超えた領域ではあるが、俺は無理やり身体を捻じ曲げ、後方へと脱出。ほんの数メートルの距離を離して着地。追撃は……ない。

 着地の瞬間、回避の際に発生したあまりの負荷に全身の骨が軋みをあげ、筋肉が断裂しかかったが、それでも許容範囲。牽制を避けるだけでこの有様なのは今更だ。痛みなど感じている余裕はない。




-3-




――Action Skill《 瞬装 - 髭切 》――


 再び、< 髭切 >へと切り替える。

 相手と状況に合わせた即応戦術が俺のウリの一つではあるが、奴に通用しそうな武器がこれしかない以上、選択肢がない。他の武器では特攻効果が乗った状態でも牽制程度にしかならない。

 そして、当たり前だが体勢を整える時間を得たのは俺だけではない。


――Action Magic《 回帰する茨肢 》――


 俺が斬り落とした右腕から無数の茨が伸び、腕を形作り、鬼の腕へと変化していく。

 見えたのが植物である事に驚きつつ、同時に納得もしていた。

 イバラの元イメージとなった茨木童子の茨は地名のはずで、その地名の由来があったとしても直接の縁はないだろう。なのに、こうして植物の茨を体現しているのは俺が文字から連想したイメージが元になっている可能性が高い。< 地殻穿道 >でイバラが封印されていたフロアが植物で覆われていたのも、それが原因なのかもしれないと。


――――Form Change《 鬼鋼甲冑 》――


 そこへ、伸びるように甲冑が復元されて右腕は完全に元通り……というわけでもないようだ。

 《 暴食の右腕 》の気配を感じない。完全に存在ごと断ち切れたのか、単に復元に時間がかかるだけか、とにかくあれはあくまで間に合わせの代用品に過ぎない。

 その新しい右腕を加え、両手で大太刀を正眼に構えるイバラ。奴も《 豪腕 》を持っているのかもしれないが、そりゃその武器の本来の持ち方はそうだろう。

 合わせるように、俺は< 髭切 >を鞘に収め、前傾姿勢をとる。俺が< 髭切 >で打てる最速の攻撃である《 瞬閃 》の準備だ。奴も居合い系統のスキルである事は簡単に読めるはず。

 場面だけ切り取れば、まるで剣豪同士の試合であるかのような印象を受けるだろう。必殺の一手で決まりかねないという意味では近いものがあるが、これは人間の領域を遥かに超えた超人同士の死闘。間合い一つをとっても、刀のリーチ以上に身体能力に依る比重が大きい。この数メートルはすでにお互いの射程圏内。……どちらにせよ、リーチも体格も膂力も速度を生み出す筋力もイバラのほうが上なのだが。

 受けに回れば即座に押し切られる確信がある。可能であれば先手をとりたい。だが、感じ取れるイバラの気迫と隔絶した武器の技量差に踏み込む事ができなかった。

 脳内シミュレーションした結果はどれも瞬殺。《 土蜘蛛 》を使っても有効な攻撃機会を得られないと判断した。だが、手を拱いている暇などないのも確か。最初に想定した通り、加速的に俺の利点が消えていくのを肌で感じていた。

 俺たちの間にはここまでの情報で分かる限りでも比較できないほどの実力差があり、戦術の引き出しの数も違う。観察する事で得られる情報は重要だが、それ以上に《 土蜘蛛 》の特性を看破される危険が高い。根幹に据えられた《 土蜘蛛 》が通用しないのでは、戦術の土台が崩壊する。かといって出し惜しみできる相手じゃないのも明白。

 故に切り札の正体を看破させ切らない段階で決着を付けるのが俺の唯一といってもいい勝ち筋……だったのだが、最初の《 鬼神撃 》を止められたのが致命的に過ぎる。

 アイツの解析能力を考慮するなら、あと数手で俺の引き出しが尽きるだろう。求められるのは、そこまでの決着。もちろん、俺の勝利によってのだ。


――Action Skill《 瞬閃 》――

――Action Skill《 両断の踏み込み 》――


 先をとるべく俺が動いた直後、それまで存在した間合いが消失した。

 ほぼ同時に発動したイバラのスキルは移動のためのもの。攻撃を行うために最低限必要な間合いではなく、完全に両断する事を目的とした至近距離。この限界を超えて引き伸ばされた知覚の中にあって尚消えたと認識するような超速移動を経て、イバラが俺の眼の前に出現する。


――Skill Cancel――


 発動体勢に入っているにも拘らず、間合いを崩され、不発となる事が確定した《 瞬閃 》を無理やりキャンセルするも、イバラの大太刀はすでに目の前。

 キャンセルする事で発動モーションや技後硬直を無視できるとはいえ、そのために行った行動のすべてがなくなったわけではない。受けに回るにはあまりに不安定な体勢。イバラにしてみれば絶好の隙だ。


――Skill Chain《 阿吽連刃 》――


 放たれるのは大太刀による切り下ろし。だが、ただそれだけのスキルであるはずがないとスキルの本質を看破する。

 これは……大太刀による切り下ろしと切り上げによる矛盾した同時攻撃。あるいは、剣筋の逆方向から同じ剣撃を発生させるものだ。単純に回避すれば逆方向の攻撃によってカウンターを喰らう、《 夢幻刃 》に似た性質のアクションスキル。ただし、威力の分散する《 夢幻刃 》とは違い、これは双方がまったく同じ威力の剣撃となる。極めてタチの悪い初見殺し。

 当たり前だが、どんな攻撃だろうと迎撃は考慮の範囲外。同時に防御する術も技量も存在しない。こうして本質さえ読み取ってしまえば回避自体は可能だが、その方向・手段は限られる。おそらくイバラはそれを見越してスキルを使っている。これは相手の行動を狭めるための一手だ。回避すれば、それこそ致命的な一撃が待っていると確信する。

 高速でこの場における最善手を導き出し、即座に行動へと移行。……再度、《 瞬閃 》の発動体勢を整える。

 目視する事も回避する事も困難。迎撃できるような膂力差ではない。その上、回避すれば致命的な追撃が待っている。

 ……ならば、斬られてやる。お望み通り、両断されてやろう。


 上下二方向からの斬撃が俺の身体を切り裂いていく。鋭敏化した感覚は骨や臓器が切断される感覚をダイレクトに伝えてくる。

 そして、そんな痛みがどうとかいう次元を飛び越えて、触れただけで死に至るような気配が体内に充満した。

 文字通り、肩から股にかけて真っ二つにされた。見れば、誰もが決着がついたと確信する光景。なのに、イバラはわずかにも油断が見られない。残心も、ここまでくれば異常だ。そりゃ確かに俺が大人しく斬られるのは不自然だ。こんな状況からでも俺が何かしでかすと確信しているのだろう。

 このまま両断された状態を維持すれば即座に死ぬ。《 土蜘蛛 》を使って、その結果を否定しなければならない。だが、それをする事で貴重な反撃の機会が失われる。

 だから、俺は両断された半身のまま反撃を行う事を選択した。両断されるまでに、発動に必要な準備は整っている。あとは右手を振り抜くだけ。


――Action Skill《 瞬閃 》――


 < 髭切 >の刃がイバラの腹部を切り裂く。真っ二つにされる事を前提としてようやく成立する狂気のカウンターだ。

 だが、こちらは身体を両断されてるのに、そっちはただ浅く斬られただけってのは割に合わねえよなぁっ!!


――Skill Chain《 鬼神撃 》――


 今度こそ捉えた。右腕だけで放たれた勢いだけのものだが、確実にダメージとなる一撃を叩き込んだ。

 せいぜい腹部で止まるはずだった< 髭切 >の刃はイバラの甲冑を、胴体を大きく切り裂き、後方へと抜けていく。

 ……ここが限界点。これ以上の追撃は俺の死を意味していた。


「っぅちぐもおおお゛っ!!」

――Action Skill《 土蜘蛛 》――


 死に至る手前で、俺が両断された結果のみを否定する。この極限まで研ぎ澄まされた中で発動に発声を要するほどに深いダメージを受けつつ、俺の反撃は成った。

 《 土蜘蛛 》によって俺の損傷は否定され、< 髭切 >を振り抜いたイバラの背後で再構成された。無傷ではあるが、とてもそんな気がしない。斬られた感覚や幻痛はそのまま残り、体内を死の気配が駆け巡っている気がしてならない。

 代償は大きい。消費コストもそうだが、そう何度もとれる手ではない。イバラの対応能力を見る限り、二度は通用しない捨て身の奇策だ。

 俺の手札を考慮するなら、もう猶予はない。ここは畳みかけるべき――


――Action Magic《 茨鬼道縛鎖 》――


 しかし、そう考えていたのは俺だけではない。胴体を半ば両断された状態にも拘らず、俺が身体を翻すわずかな時間でイバラは次の手に移っていた。

 これはとっさの判断ではない。それが魔術である事を考慮するなら、俺を斬ったタイミングで準備を始めていないと間に合わない。俺がそういう行動をとると想定した上で、詰めに来たのか。


「くそっ!!」


 それはトゲのある植物の蔦だった。意思を持つかのように伸び、俺の足元を中心に円状に展開されていく。

 即座に、これはイバラの身体と同じものであると看破した。つまり、これ自体を改変する事は不可能。もしできたとしても、個別に存在している蔦すべてを対象にとる事はできない。

 これが、わずか数合のやり取りの中で導き出したイバラの最適解。この上なくシンプルで有効な《 土蜘蛛 》対策だった。

 ああ、大正解だよ、こんちくしょうっ!!


 < 髭切 >を振るい、足に絡みつこうとする蔦を切り裂き、逃れるように跳躍した。

 ……紛れもない悪手だ。しかし、分かってはいても対応しないわけにいかなかった。最悪の中でのマシな選択を選ばされた。足を止められたら、それこそ終了なのだから。

 イバラの追撃がくる。不安定な空中戦。俺が飛んでいても巨体のイバラは地に足をつけたまま、次の一手が放たれる。


――Action Skill《 鬼神撃 》――


 イバラから放たれたそれは、見間違いかと思うほど見覚えのあるものだった。

 対鬼用のスキルをお前が使うのかよ。《 刀技 》である以上、使える事自体は不思議ではないがどんな選択だ。まさか、俺が< 暴虐の悪鬼 >だから効く要素があるのか? そんなアホな。

 場の緊張にそぐわぬ思考が頭を駆け巡る中、俺は《 土蜘蛛 》の改変により、剣筋から予測される安全地帯へと座標変更。しかし……


「な……」


 イバラはその移動先すら先読みして、次なる一手を放っていた。そこに居た事自体を否定するのだから、動きから予測など立てられない。もし、それができるとすれば、対象の思考を知り尽くした上での勘しか……。


――Over Skill《 鬼神撃・綱断チ 》――


 ヤバイ。

 それを見た瞬間、全身から死の気配が噴き上がった。思考にリソースを割く余裕すら失われるほどの脅威が、今目の前で繰り出されている。

 アレは、俺を殺すモノ。俺を……渡辺綱を殺すためだけに用意された専用スキルだ。

 斬られてはいけない。決して触れてはいけない。太刀筋を視認する事さえ危険な代物。

 分析不能。迎撃、防御、回避すべて困難で非現実的。《 土蜘蛛 》の発動は可能だが、そこからとれる手が更に限定される。これだけの即応を見せてきたイバラに対し、それは致命傷という他ない。足元の茨はその範囲を更に広げ、イバラの予測は俺の想定を遥かに超えて精度を上げている。繰り返せばどう足掻いてもジリ貧で、勝利が遠のくのが目に見えていた。

 突き付けられた選択に対し、俺がとった行動は攻撃。迎撃ではなく攻撃だ。

 決して喰らってはいけない致命的な特攻スキルに立ち向かう事こそが最善手と判断した。スキルを放たれても、完全な形で成立させなければいい。どこまで減衰させられるかなど分からない。そもそも、どういったスキルかも不明だが、ここで前に出なければあとがないのも事実なのだ。

 恐怖で動けないなんて贅沢は許されない。ただ前方にある勝利に向かって、極限の綱渡りを成立させろっ!


――Over Skill《 鬼神撃・腕断チ 》――


 振り下ろされるイバラの大太刀を避けるように、< 髭切 >を振るう。狙いは左手首。たとえダメージが浅くとも、スキルを中断させられるかもしれないという思惑があった。

 期待する効果も、当たるかどうかも、そもそも振り切れるかどうかも、何もかもが願望じみた賭け。当たったとしても、そのままスキルが決まれば俺は死ぬ可能性が高い。

 しかし、そんな浅はかな博打すらイバラは読んでいた。


――Skill Cancel――


 発動途中の《 鬼神撃・綱断チ 》が中断された。それは俺の手によるものではなく、イバラの意思によるもの。

 あまりの驚愕に反応できないまま、俺が振り下ろした< 髭切 >が空を切った。そこにイバラの右手首はなく、大太刀は左手のみで振るわれてる。

 なんだ。一体何が起きた。イバラの思惑が読み取れなかった。こいつには、俺へ致命傷が狙えるスキルをキャンセルしてまで行う次の手があるというのか。

 理解できない展開に思考が錯綜する中、俺の目に入ってきたのはイバラの拳。岩のように固く握られた左手が、俺に向けて振るわれる光景だった。

 単純な拳撃にまさか、と思いつつ悟った。

 防がなければいけなかったのは、< 茨の大太刀 >ではない。

 真に警戒すべきだったのは《 暴食の右腕 》などではない。

 《 鬼神撃・綱断チ 》すらもが魅せ札。

 これこそが……この左腕自体が、俺の最も恐れる死そのもの。その根源だと。


――Action Skill《 渡辺綱の左腕 》――


 すでに選択は成されたあとだ。《 土蜘蛛 》の発動は間に合わない。

 改変も回避も、なけなしの防御すら叶わず、剥き出しの巨大な拳が俺の身体を直撃した。




-4-




 それは、決定的といってもいい一撃だった。

 イバラの拳……《 渡辺綱の左腕 》は本来の威力だけで俺の身体に極限のダメージを与え、吹き飛ばした。

 バラバラになっていないのは遅れて発動した《 土蜘蛛 》を体内に向けて発動し、必死に繋ぎ止めているからに過ぎない。そうでなければ、今ごろは塵になっていただろう。

 背中から壁に激突し、そのまま崩れ落ちても何も感じない。感じられない。完全に機能停止した五感の代わりに、《 土蜘蛛 》が認識させる周りの状況だけがやけに鮮明に感じ取れた。


 絶対に喰らってはいけない一撃だった。

 あまりに差が隔絶していて、どんな攻撃だろうが致命的ではあっただろう。掠っただけで大ダメージ、まともに喰らえば致命傷、そんな状況ではどんな攻撃だって喰らうわけにはいかない。

 だが、それらの致命的要素を差し置いてでも尚優先して対処すべき鬼札を喰らわされた。

 四肢の一つや二つなら立て直す事はできる。現に身体を肩口から真っ二つにされても反撃を決めてみせた。極論、死ななければリソース次第でどうにでもなるのが《 土蜘蛛 》だ。発動時間、因果の解析、対象の理解、物質の抵抗など色々考慮すべきものは存在するが、それでも一撃、二撃ならば取り返しはついたはずだ。

 しかし、コレは違う。威力があるだとか、耐えられないとか、そういう次元ではない。

 コレは正真正銘対渡辺綱用の特攻装備で、渡辺綱を根刮ぎ滅ぼすためのモノ。その"渡辺綱"という枠に、イバラへ対抗し得る数少ない手札である《 土蜘蛛 》ごと含んで、存在ごと滅ぼし尽くすモノだ。

 見た目は鬼の腕だが、その正体はその名の通りイバラの起源となった前世の渡辺綱の腕そのもの。それをそのまま自らの左腕として使っていたのだ。

 イバラが俺にとっての死そのものであるなら、あの左腕はその更に根源。イバラはあの腕より生まれ、俺はあの腕によって殺されたのだから。


 微かに残った《 土蜘蛛 》の残滓で必死に繋ぎ止めているが、リソースが残っていても本体がボロボロなら役立たず。ダメージを否定する事さえできない有様だ。

 こうしている間にも、渡辺綱が崩れていくのを感じる。回復する事が可能だとしても、一体どれくらいの時間が必要なのか分からない。その見込みがあるのかさえ分からない。

 何よりイバラが距離を詰めてくるまでに一体何秒の余裕があるというのか。いくらかダメージは与えたものの、奴は万全に近い。俺が与えた腹部へのダメージだって、左腕を丸々再生したように回復しているとみるべきだ。少なくとも行動を阻害するようなダメージはない。奴の慎重さを俺基準として考えるならば、初めて使ったはずの《 渡辺綱の左腕 》の威力を測り兼ねている可能性はあるが、それだって最大級に警戒して数秒というところだろう。アイツなら、間違っても俺が死んだふりをしているなどという判断はしない。


 どうする? これ以上何ができる?

 ……俺は、負けたのか? いくら実力が隔絶していたとはいえ、いくら同じ特性を持つ因果の虜囚だったからとはいえ、お互いに最悪の相性である対存在だからとはいえ……こんな、絶対に負けられない場面で。


――冗談ジャナイ。


 こんなところで諦めるのが渡辺綱なものか。イバラの対存在というのなら、最後まであいつに立ち向かえ。

 どんな窮地でも踏み止まり、抗い続ける。存在そのものが崩壊しかかっていたとしても変わらない。そんな相手だからこそ、討ち滅ぼせば次のステージへと至れる対存在なのだ。

 このままではあまりに不甲斐ない。あまりに情けない。俺は、俺こそがお前を滅ぼす者だと胸を張って立ちはだかるべきなのに。


 しかし、魂が、渡辺綱で在る事そのものが砕け散る寸前で、何ができる。

 全身の骨が粉砕し、筋肉が千切れ、神経が寸断し、内臓はほとんどが破裂したか停止状態。元よりそんな才能はないが、魔力で無理やり動かすのも不可能。

 しかし、思考はまだ働いている。心臓が止まり、酸素供給ができない状況で、スペックをフルに使っての思考など長く保つはずはないが、まだ俺は諦めていない。この極限にまで引き伸ばされた数秒……あるいはコンマ秒で、この窮地を抜け出す方法を掴み取らないといけない。

 なにか……なにかあるはずなのだ。それが限りなくゼロに近い可能性だとしても、それがあると信じなければゼロから転じる事などないのだから。



 そんな絶望の中にあって、前世の渡辺綱の顔を見た気がした。それはきっと、唯一の悪意が見せる嘲笑なのだろう。

 絶望的な状況にあって、外道極まる手段を使って創り出した活路が潰えようとしているのを見て嘲笑っているのだ。


 一体何が足りない。ここまで膨大な代償を支払って、何も得られないほどに俺は足りてないというのか。ならば、あと何を差し出せば奴に届くというのか。人間が鬼に勝とうというのがそもそもの間違いだったというのか。勝利の可能性があるからこそ、この舞台へと辿り着けたのではないのか。

 そもそも、これは本当に勝てる戦いだったのかと思う。

 イバラとの実力は隔絶していて当然。お互いに相性が悪く天敵である事も、戦闘の一要素ではあっても絶対的アドバンテージにはならない。《 土蜘蛛 》という切り札は用意した。< 髭切 >だって、あいつの弱点としては至上のものだ。実際、戦闘の形にはなっていた。ダメージを通す事はできていたのだ。

 しかし、あまりにも揺らぎがない。イバラは一切油断する事なく、俺に対して過大評価も過小評価もせず、執拗に、詰め将棋でもするかのような緻密さで俺を追い詰めていった。そうして進んだ盤面がこの結果だ。

 自分が格上殺しである事は自覚している。多少の差など跳ね返してみせる自信はある。しかし、その相手がまったく同じ性質を持ち、かつ絶望的な実力差があるとなれば話は別だ。そんな相手のどこにつけ入る隙があるというのか。

 鉄壁で、一切の揺るぎがなく、ただひたすら愚直に、渡辺綱の敵で在り続ける孤高の鬼。それは、俺が唯一の悪意を滅ぼすために必要だと感じた在り方そのものじゃないのか。

 そんな理想を前にして、俺は対存在でいられたのか? いくら俺の死そのものとはいえ、パンチ一つで存在自体消されかかっている俺など、糧にすらなれていないのではないか?

 むざむざ糧になってやるつもりはない。しかし、その糧にすらなれていないのはあまりに情けない。

 それは、あいつに対してあまりに不実ではないのか。


 今なら分かる。

 意図して用意された舞台かどうかは分からないが、俺とイバラが邂逅するのはここでなかったはずだと。

 人間という種は脆弱に過ぎる。たとえ資格を持っていたとしても、理想として具現化した暴力の塊に近づくためにどれだけの修練が必要だというのか。

 おそらく、本来想定されていた形は何度も転生を繰り返した上での邂逅。

 繰り返し、繰り返し、人生で積み上げたものを根本から崩され、それでも己を磨き続けた先にこそ存在する舞台。

 そうやって渡辺綱を壊し、復元し、まだ足りないとイバラが世界を壊す。そういう練磨の果てにあるのが、渡辺綱とイバラの決戦。

 ……そうなるはずだった。


 俺がこうしてここに在るのはイレギュラー。在るべき世界を壊して得られるものは、俺を壊すための手順の一つにしか過ぎなかった。

 それを受け入れられなかった俺は、本来有り得ない外道の活路を見出し、ここに至ったのだ。……至れてしまった。

 なのに、なんて不甲斐ない。なんて情けない事だろうか。俺は大勢の人や、たくさんの世界を犠牲にして、イバラの対存在である事すら果たせず、ただ無意味に滅びるだけの存在だというのか。

 世界を滅ぼした責任をとるどころか、何も果たせていないじゃないか。




――いくら世界を喰らおうが、因果を改竄する力を手に入れようが、汝は所詮一人の人間でしかない――


 声が聞こえる。それは、ここに至るために俺が食らった因果の獣の声だ。

 だが、それは有り得ない。もういないあいつが語りかけてくる事はないし、そもそもが俺そのものなのだから、これは自分自身の問いかけに過ぎない。これは俺の潜在意識の代弁だと分かる。

 ……だが、あれだけ見たくないものから目を逸らしていた俺ならば、まだ目を向けていない真実があるのではないかとも感じ、耳をすませた。

 そこに、この詰んだ状況を打開する術があるのではないかと。

 罵倒なら受け入れる。批判だって受けて当然。それでも、その中にわずかな見落としがあるというのなら、と。


――今の汝ではイバラの対たる資格を持たない――


 そんな事は分かっている。俺が弱者である事など百も承知だ。弱いが故にここまで事態を悪化させたのだ。

 今更、そこから目を逸らすつもりはない。


――足りていないのは自覚だ。イバラの対存在たる渡辺綱は何者であるかの定義を明確にしなければならない――


 俺は俺だ。俺が渡辺綱だ。あいつの対は俺でしか有り得ない。

 対存在であるからこそ、ここにいるのだから。


――そう、汝は渡辺綱だ。では我はどうだ――


 その問いに即答できなかった。答えが分からなかったわけではなく、問いの意味するところが理解できなかった。

 因果の獣が俺であるか。それとも、潜在意識を俺に含むのか否か。いや……そうじゃない。


――イバラは何故世界を滅ぼす。天体を埋め尽くす顔はどこまでが無量の貌なのか。龍人ゲルギアル・ハシャは、皇龍の子である龍たちをどう扱ったか――


 何故、俺は一人で戦っている。


――因果の虜囚が個でなければならないという条件などない――


 そもそも、俺はどうやってここに至った?


 特異点を覆すため、冒険者たちの助けを借りた。

 敵だったはずのゲルギアルにさえ助力をもらった。

 邪魔をするピエロの足止めをしたのはユキだ。

 セカンドは、俺をここに届けるために限界を超えて墜落した。

 この一連の流れだけではない。俺はいつだって誰かに背を押されてきた。そんな事は自覚しているし、理解している。……していたつもりだった。


『どうせ、世界の命運を賭けた勝負なんだから腹括りな。関係者全員巻き込んで戦うほうがよっぽど確率は高い』


 リアナーサはそう言って無限回廊虚数層から俺を送り出した。


『私の知る因果の虜囚ならそんな事を考える必要はないが、お前は今後必要になるだろう』


 対無量の貌の作戦を進める俺にゲルギアルはそう言った。

 それらは、どちらも俺の本質を見抜いた上での言葉ではないのか? 個ではなく、周りのすべてを巻き込んで道連れにして、その上で戦えと。

 渡辺綱とは、渡辺綱個人だけではなく、その周りのすべてを含めてようやく成立するものだと。


 空龍たち龍の子は皇龍の牙であり爪だ。唯一の悪意を滅ぼすために振るわれる皇龍の力の一部だと自覚し、皇龍もそれを認めている。

 無量の貌を構成する無数の顔や名前は元々本人が持つものではなく、誰かから簒奪したものだ。そこには別の人格すら存在し、涅槃寂静なんて独立した意識すら存在する。

 イバラが星を滅ぼすのも、そこに俺が積み上げたものがある事が前提だ。たとえ俺一人が奴に殺されるとしても、ここまで足掻き続けたりはしない。自分一人ならと、どこかで死を受け入れてしまうだろう。

 冒険者が振るう武器や防具は本人の力ではないのか。スキルはどうだ。力を得るために経てきた環境が自分一人で創り上げたものだと言い張れる奴がいるのか。

 誰も、生まれ持ったそのままの力だけで戦えなどとは言っていない。

 もちろん、唯一の悪意もだ。……そもそも目的のためにそんな拘るような存在ではない。どんな形でも自らを滅ぼしてくれる相手なら歓迎するだろう。


 俺はこの状況を乗り切れるならどんな卑怯な手でも使うと言っていた。なのに心のどこかではイバラとの決着は俺一人でつけないといけないと認識していた。

 実際、この舞台に誰かを連れてくるというのは難しかっただろう。仮にセカンドと共に辿り着いたとしても、ここへ引き摺り込まれるのは俺だけだったはずだ。俺が渡辺綱であり、その中核である以上、優先されるのは当然。

 ここに至るまでの経緯に間違いがあったとは思っていない。間違いは俺の認識。己は比類なき許されざる咎人であるからと、誰に背負えと言われたわけでもない罪まで抱え込み、その重さで潰される。そんなものが正しいはずはないのだ。

 どこまでが自分の罪であるのか、その切り分けができていない者に贖罪など叶うものか。俺はここに至っても自分の罪のカタチすら見えていない愚か者だった。

 足りなかったものは自覚だ。俺が先に向かうためにどう在るべきか。


 それを認めた事が理由かは分からないが、《 土蜘蛛 》の知覚範囲が広がったのを感じた。




-5-




 知覚が広がった事で認識に飛び込んできたのは、世界の姿。視覚ではなく《 土蜘蛛 》を通した独自の感覚を通して膨大な情報を知覚する。

 既視感を覚えるそれは情報の波であり、人の身では捉えきれないものだ。当たり前だが、無限回廊虚数層に格納されている、あるいはそれすらも飛び越えた範囲の情報など扱い切れるはずもない。

 今見るべきなのはもっとミクロな視点。いずれ知るべきものだとしても、それは今じゃない。今は俺が知るべきものだけでいい。


 その範囲は決戦場たる広場を超え、< 地殻穿道 >を超え、世界を繋ぐ回廊を超え、クーゲルシュライバーを超え、龍世界や無量の貌の体内へと至る。その情報を、視覚ではなく知覚で認識する。


 そこにはリグレスさんと戦うガウルの姿があった。

 無数のカオナシを背に戦う孤高の虎へ、それが虚構である事を叩きつけている。ただただ真っ直ぐに。


 大量の涅槃寂静を相手に戦う摩耶とティリアの姿があった。

 簒奪に抗い、一切引かず、そこに立つ自分は不動の要塞であると、かつて自分には扱えないと言った巨大な盾を構える。


 理不尽の体現である簒奪に未だ抗う冒険者や多くの龍、そしてそれを指揮するグレンさんの姿があった。

 かつて自分の胸を埋めていた存在は未だ取り返せていない。しかし、それは手の届く距離にまで近付いている。


 人の身では行動制限を多く受ける環境を縦横無尽に駆け巡り、脱落者が出るのを食い止めようと奮闘するキメラの姿があった。

 大きく精神性が異なる存在では精神世界へ踏み入る事はできない。ならば、ただやれる事をやるのが自分の役目だと自覚していた。


 銀龍と再会し、涙を流す空龍の姿があった。

 そこに辿り着くために困難があった。しかし、それよりも浮き彫りになった自身の無力さを悔やんでいる。


 崩壊した人工衛星を背に、宇宙空間で刃龍と戦う豪龍の姿があった。

 あまりに無様な姿を晒した自分。未だ無様を晒し続けている同胞。界龍はその身を以て成すべき事を成した。ならば、次に五龍将の在り方を示すのは自分だと咆哮を上げる。


 サージェスとヴェルナーは……うん、まあそのなんだ。


 懐かしき校舎を目指し、失われた記憶のカケラを掻き集めるクラリスの姿があった。

 ぬるま湯のような思い出に浸かり切った少女の周りにいるのは、無数のカオナシ。


 救出はされたものの、己の無力さに打ちひしがれているトカゲのおっさんの姿があった。

 日和見だと吐き捨てた。自ら役目を放棄したくせにこんなはずじゃないと醜態を晒し続けた。心の奥に隠れていたのは、変える事のできない惨めな自分。変わろうと足掻き続けた結果、かつての自分と何も変わっていない事を突き付けられた。


 単身、無量の貌の深部へと足を進めるベレンヴァールの姿は追う事ができなかった。

 しかし、そこへ向かう足取りは確かで、揺るぎない正義の意思を感じさせた。


 俺が離脱したあとの脱落者が皆無という異常な結果に戦慄を覚えていた。決して全体を通して被害がなかったわけではないのに、未だ誰一人として諦めていない。

 これらの情報はただの確認作業ではなく、《 土蜘蛛 》による世界改変の精度に直結するだろう。

 あやふやだった特異点の情報が鮮明になる事。それは即ち対イバラに使える余力を増やす事に繋がるはずだ。

 奮闘する者たちの姿は決して無駄ではない。無駄にするわけにはいかない。


 一方で、セカンドはやはりあの回廊に伏したまま、ユキとピエロは未だ戦い続けている。

 無量の貌攻略戦を外部から見守るラディーネとボーグ、ディルク、セラフィーナ。ついでにネームレスも自分の役割を果たしている。

 その部屋の片隅にいた、本当に最後の最後まで味方のつもりを貫いたゲルギアルと目が合った気がした。


 < 地殻穿道 >に、やはりダンマスはいない。

 そして那由他さんは……じっとこちらを視認してきていた。勘違いではない。

 ……それは有り得ないはずの異常な感覚。《 土蜘蛛 》を通して認識している知覚を覗き返している。

 那由他さんやゲルギアルだけではない。それと同じように、別の超常の視線を感じているのを感じる。何者かが、俺のこの体験を凝視していると。おそらくそれは、剥製職人や無量の貌。そういった、超常の存在が持つ知覚なのだ。

 それに加え、巨大な……皇龍の気配らしきものすら感じていた。それは、皇龍が未だ滅びていない事の証拠でもあった。

 ……これが、真に超常と呼ばれる者たちの知覚力だというのか。


 そして、最も近くにいる超常……イバラは……。






 意識が……戻った。

 ぼんやりと視覚に映るのは、さきほどまでイバラと極限の死闘を演じていた決戦場だ。

 進行する魂の崩壊に《 土蜘蛛 》の復元が追いついたのか、動けないまでも周囲を把握する事は可能になっている。全身の感覚は未だないも同然で、動かせもしない。しかし、瞼を開き、目を見開く事ができた。その時点ですでに奇跡を体験している気分だった。

 それよりも驚嘆すべきは時間だ。数秒どころか数十秒経過しているだろうにも拘らず、俺がまだ生きているという事実に困惑する。

 何故、俺は生きている。

 イバラが動けない相手にトドメを刺すのを躊躇するわけがない。そんな無意味で馬鹿にした事を行う奴でない事は、何よりも俺が良く理解している。

 俺が無意識に何かをしたというのは考え難い。もしそうなら、《 土蜘蛛 》の知覚に引っかからないはずはない。ならば、俺が知覚していない未知の要因があるはず……。




 鋭い剣撃の音が木霊し、未だ感覚の戻り切っていない俺の耳を打つ。最初は遠く、意識が戻るにつれて近く。何度も、何度も。

 それはイバラが鳴らす戦闘音だ。……誰かと戦っている。


 俺の前に何者かが立っているのに気付いた。その周りをクルクルと黒い何かが旋回している。

 それは黒い、黒い影。俺が認識できないのではなく、実際に黒い影のようなものが人の形をとっているのだ。


「……え」


 有り得ないものを見た。正しく認識して尚、目に映るものが幻覚にしか見えないような異常事態。


 黒い影は合計で六つ。

 俺を護るように立ちはだかり、イバラと剣劇を演じているのは見た目の通り黒い影そのもの。

 その内の一つ……杖らしきものを持ち、魔術で援護を行う影と目が合った気がした。


「……S6」


 シミュレーターを通してのみ現れるはずの、データ上だけの存在が、イバラと戦っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る