第18話「嘲笑う道化師」
『結構前から、大体一〇〇〇層を超えたあたり……正確な時期は分からないが、その頃から幻覚を見るんだ』
『幻覚?』
『状態異常とかじゃない。心理学的に見て意味がある事かどうかも分からない。当たり前だが実体があるわけじゃないし幽霊でもない。ただそこに立ってじっと見ているだけの不快な存在。……俺が精神的に弱ると、視界の隅にピエロが現れる』
『……そらまた随分はっきりした幻覚だな』
『これは極度にまで磨り減った精神を保持するために、俺が創り出した幻覚なんだと思ってる。俺が辛い時、苦しい時、悲しい時、あいつは唐突に現れて負の感情を呼び起こして増幅させるんだ。そうする事で、不安定な精神を一旦負の方向に寄せて揺らぎを作る。そういう"安全装置"なんだろう』
『…………』
『お前の因果の獣のようなものなのかもな。別に話もしないし、見てて不快なツラしてるから消し飛ばしたくなるけど』
『……自分自身の一部だって事か?』
『そう。俺の嫌な部分だけを凝縮した< 負の道化師 >ってところだ。タチ悪そうだろ?』
それは、クーゲルシュライバー出港前にダンマスから告げられた事だ。良く覚えている。
-1-
ビビッドカラーと呼ぶのもあまりに強烈で鮮やかな色合い。まるで絵画の経験のない子供が絵の具を原色そのままで塗りたくったような、趣味の悪い色彩。そんな目眩のしそうな光景の中にあって尚派手な出で立ちのピエロが、セカンドを小脇に抱えて俺の眼の前に立っている。
クーゲルシュライバー出港時にダンマスの背後に現れた道化師そのままの姿だ。
俺自身が反則じみた事をやっている自覚はあるが、それと比較してもあまりに理不尽な盤面外からの不意打ち。
記憶の片隅に残ってはいたものの、今回の事件との関連性が希薄過ぎて"もしも"の想定すらしていない、奇襲を受けたらどう対応するかなんて考える余地もないほどに情報の不足した相手が乱入してきた。
これ以上ないほどに致命的で、最悪も最悪のタイミング。一分一秒でも早く動きたい時を狙ったように、ここしかないという場面で足を引かれた。
「ドーうしたんダイ? 笑いなヨ、渡辺綱。ここは君たちのために創り出した楽しい楽しい遊技場。陰気なピエロさんも思わずニッコリ嘲笑うほどに愉快なアトラクションばっかりサ。入園客は君たちだけ、職員はいないしマスコットもボク一人だけどネ。寂しいっていうなら分身もできるヨ。イッヒッヒ」
邂逅直後、俺の持つ情報からすれば言葉すら発しないはずのピエロから放たれる流暢な挨拶。
これが一切言葉を発さないのなら相手の意思を確認する事もできないわけだが、幸いといっていいのかどうか……このピエロはお喋りらしい。つまり、その言葉から得られる情報は多い。
分かるのはまず、俺を知っているという事。少なくとも名前は知っている。セカンドから得た知識という可能性はあるが、元から知っていたと考えるほうが自然だろう。
次に、この空間は俺を呼び込むためにこいつが創り出した空間という事。距離を切断した通路の途中なんて前提条件がある以上、元々存在したわけではなく、なんらかの能力によって新規に創造されたものであり、相手にとって有利に働くフィールドであるのはほぼ確実。この場合重要なのは座標的な事ではなく、予め用意してあったという事だ。
そして、俺の命を直接狙ったものではなく、第一の目的は遅滞行為という事。タイミングを考えるなら、これもほぼ確実。となればここだけ時間の流れが緩いとか、そういう事は期待できない。むしろ逆さえ有り得るだろう。ただし、作戦の破綻が目的かどうかは微妙だ。あれだけの好機があって直接俺の命を狙ったわけでもなく呼び込んだだけ。セカンドもおそらく生きている。そこに何かの意味がある。
友好的振る舞いではある。あくまで表面上のもので、それは擬態に特化したピエロのものではあるが、少なくともいきなり戦闘に移行したわけではない。何かしらの交渉を求めているのか? それとも時間消費が目的なのか?
問題は……これがあきらかに故意的で、こいつは明確な意思の元にこの行動を起こしているという事だ。ここでの邪魔がどういう意味を持つのかが分かっている。それがこいつ独自の意思か、ダンマスに影響されてのものかは分からない。そもそも、こいつが現時点で< 地殻穿道 >にいるはずのダンマスとどういう関係なのかも分からない。
ならば情報の少ない今、目に見える情報はまやかし……迷彩と考えるべきだ。こいつは一個の独立した存在と仮定する。
「……負の道化師」
「負、だなんてひどいな。杵築新吾が正そのものみたいじゃないか。マ、その通りなんだけどネ。そうサ、ボクは杵築新吾が切り離した負の感情からできている」
返ってきたのは肯定。
悠長に相手をしている暇はない。貴重な時間を割く余裕はない。だが、ただこの場を離れるのが難しいのは一目瞭然。こいつの実力は分からない。多重に偽装され、無駄な情報で塗り固められた流動性のある嘘の塊であるかの如く、それを判断するすべてが偽装されている。一見緩そうに見える所作に実のところ隙はなく、隙があるのをないように誤魔化しているような印象さえ抱かせる。それがピエロの本質とでも言うかのように。
最悪、ダンマスと同じだけの強さを持っていたとしてもおかしくはないが、それなら完全に詰みだ。《 土蜘蛛 》のすべてを使い果たしたとしても手の出る相手じゃない。つまり、それは端から捨てるべき想定。
「……そのピエロさんの目的はなんだ? なんのためにこんな事をする」
「キミの邪魔」
おちゃらけて言葉を濁すかと思えば、はっきりと言いやがった。そして、どうやら問答無用というわけではなく一応話は通じるらしい事も分かった。
「困るんだよネー、ダヨネー。せっかく表に出られたっていうのに、その事実ごと書き換えられたりしたら。ま、キミが何してるのか知らないケド、やろうとしているのはそういう類のモノなんだろう? 違う? チガワないヨネ?」
このピエロがどこまで把握しているのか分からない。こいつが持つ情報がダンマス基準のものなのか、そこから制限された情報だけなのか、俺たちに近い情報を持っているのか……あるいはそれ以上か。どれも有り得るが、無駄に情報を渡す事は避けたい。会話をするにしても、慎重に行うべきだ。
本音を言うなら会話などしたくはないが、こいつの存在を無視するには危険過ぎる。
こうして対峙し、会話しているだけでも、文字通り絶大な代償を支払って稼ぎ出したアドバンテージが無駄に削られていくというのに。
「それは目的じゃなく手段だろ。ちゃんと答えろ、A.杵築新吾の暴走、B.那由他の死亡、C.星の崩壊、D.因果の虜囚への干渉、E.ただの暇潰し……どれだ」
「フムフム、ナールほど、思ったよりも冷静ダ。ちゃんと相手に合わせて会話を試みてる。嘘が看破不可能と判断し、相手の情報を制限する手ダネ」
解説するんじゃねーよ。恥ずかしいだろ。
「答えろ」
「ソレに答える義務はなーい……とイってもイイけど、ここはノってあげよう。お客さんは大切にしないといけないし、大サービスさ。答えは……Fのその他……なーんて無粋な事は言わナイ。D以外の全部ダヨ。ア、選択肢にその他がないから、それ以外に目的がアッても答えられないヤ。ゴメンね」
極めて意外ではあるが、答え自体は驚愕するほどのものではない。ABCはどれも連結した事象ではあるし、こいつが因果の虜囚でない事は俺自身が感じている事だ。加えて、『その他』にしても、こいつは最初から『表に出る』という事を目的にしている節がある。
「なんダイ? ボクとしては問題ナイけど、問答だけで時間を潰していく気カナ? なら、セッカクだから何かアトラクションに乗っていきなヨ。スグにタイムリミットがクルヨ」
「冗談じゃない。お前に付き合っている暇なんかない。ここから出せ。それとセカンドを返せ」
「イ、ヤ、だ、ね」
想像していた答えではあるが、一文字ずつポーズをつけて煽ってくるのはムカつく。ダンマスなら普通にやりそうなのがまたムカつく。
「というか、コレはそもそもボクのモノなんだけどね。セカンド?はなんなのか知らないケド、二番目のエルシィって事カナ?」
「ダンマスならともかく、お前のモノじゃねーだろ」
「ダンマスはボク。ダンジョンマスターではないけど、それが杵築新吾を示す言葉ナラ、ソレはボクさ。イコールではナイ。杵築新吾はボクではないケド、ボクは杵築新吾。誰ニモ否定はデキなーい」
意味が分からない。わざと分からないように言ってる可能性は大だが、少なくともダンマスの単なる別人格ではないように感じる。ところどころで匂わせる雰囲気はあるものの、まるで別の存在だ。いくら深層意識で破滅願望があったのだとしても、こいつの存在は説明がつかない。
「力ずくでは逃げられないって言いたいのか?」
「試してみるカイ? お客さんが望ムなら、暴力だろうが楽しませルのが陰気なピエロさんの役目だシね」
「ダンマス……杵築新吾だっていうなら、いつもみたいにゲーム形式にでもしろよ。お前を倒せば開放されるっていうなら遊んでやるよ」
「ナンデ? キミは逃さないヨ。別に一生ここにイロってわけじゃナイ。ほんの一、二時間でイイんだ。マーもっと遊んでいっても構わないケド。ソレならピエロ冥利に尽きるネ」
その一、二時間が致命的なんだよ。数十分ですら危険域なんだよ。こうして不毛な問答続けてる時間すら惜しいんだよ。
「あ、デモ、コレは君にあげよう。いつまでも小脇に抱えてるのはレディにシツレイだしネ」
「は?」
突然、ピエロが抱えていたセカンドをこちらに放ってきた。
……なんだ、コレは。なにかの罠か。相手の行動を縛るのは戦闘における常套手段だ。俺が抱えた瞬間、襲いかかってくる事も有り得る。
しかし、受け止めないという選択はない。こうしている内にも放られたセカンドの体がピエロの姿を隠して……いや、違う。
「BAN」
セカンドの体が弾けた。
-2-
弾けた中身は血と肉と臓物ではない。アンドロイドの擬体らしく機械とオイルでもない。
舞ったのは鳩だ。セカンドの体が無数の鳩に変わり、バサバサと飛び立っていく。
「アルェー、イラナイの? どっか飛んで行っちゃったケド」
「……なんのつもりだ」
これはタダの手品だ。セカンドが鳩に化けたわけではなく、最初からアレは鳩の詰まった人形だったのだろう。……バカにしてくれる。
「怒るナヨ、渡辺綱。陰気なピエロさんの小粋なジョークじゃないか。ボク、手品得意ナンダ。失敗も多いケドね」
「……セカンドはどうした」
「アソコ」
答えが返ってくる事は期待していないかったが、ピエロは左方向を指差した。そこにあるのはド派手なショッキングピンクのペンキをぶち撒けたような斑の色彩をした超巨大な観覧車だ。縮尺が分かり辛いが、目算でも数百メートル。全高キロにも届こうかという化け物観覧車。その癖、ちゃんと回っているのが分かるという事は、恐ろしく高速で回転しているという事になる。あのカゴのどこかにセカンドが囚われてるというのか。
「マ、三十分もすれば地上に戻ってくるんじゃないカナ。こう見えてもピエロさんは紳士だからネ。危害は加えてないヨ。安心シタ? ネエ、安心した?」
「うるせーよ」
どうする。薄情なようだが、セカンド自体はただの擬体だ。最悪、クーゲルシュライバーでバックアップから復元する事は可能。本人からもそう聞いているし、エリカからそれをしたという前例も聞かされている。だから、俺一人で脱出できるなら必ずしも回収しなければならないわけでもない。だが、そもそもの脱出手段がない。セカンドに世界の解析をさせて、弱い箇所をぶち抜いて逃げるのが理想的なんだが……。
《 土蜘蛛 》を使うか? 確かに余裕はあるが、この空間の強度が分からない以上、脱出にかかるコストが見込めない。
確実なのは、範囲を絞った上で再度時間停止させる事だ。ピエロ自体をどうにかできるわけではないし、脱出も別途行う必要はある。それだって多大な消費であるが、直接の阻害がない限りは、コストの見積もりは立てられる。
懸念は……どう考えても目の前のピエロだ。ここまでは手を出してこなかったが、《 土蜘蛛 》の発動を黙って見ているだけというのは考え難い。最低限、数秒程度でも発動に必要な時間を確保できれば……。
……どの道やり合わないという選択肢はないという事だ。
――Action Skill《 瞬装 - 不鬼切 》――
手に< 不鬼切 >を持つ。いつもの抜き身ではなく、鞘ごとだ。金属製の鞘に木刀を収めているというアホな仕様は元々である。
「オ、ナンだい、やるのカイ? ピエロさんは平和主義者ダケど、暴力もキライじゃないヨ」
――Action Skill《 瞬装 - ピコピコハンマー 》――
対して、同じように《 瞬装 》でピエロが用意したのは、いかにもオモチャなピコハン。ふざけているが、見た目通りのオモチャと油断はしない。ピエロもそうだが、ダンマスが用意したとしても油断などできるはずがない。それが星を割るピコピコハンマーだとしても不思議ではないのだ。
極自然に《 瞬装 》を発動した事は別段不思議な事でもない。最悪、ダンマスと同じ事はできる可能性すら考慮する必要がある。
「サア、頑張るんダ。ボクを倒したら、ひょっとしたらこの世界も消えたりなんかしちゃったりシテ」
ピエロは相変わらずふざけた口調でこちらを煽りつつ、ピコピコハンマーを空中に放り投げた。
思わず反応してしまったが、放り投げられたピコピコハンマーは再度ピエロの手へと戻る。気付けば、逆の手には別のピコピコハンマーが握られていて、そちらも空中へと放られた。二つに増えたハンマーが放られるごとに増えて行き、あっという間に大量のピコピコハンマーによるジャグリングとなる。
……何やってんだ、こいつ。
「アレ、こないのカナ? ボク、ジャグリング得意じゃないから落としちゃうカモっとッ!!」
無数のハンマーの内一つがこちらに向けて放り投げられた。見た目はただのでかいピコハンだが、普通であるはずがない。
こんな怪しいモノ、受ける事はおろか、迎撃だって悪手。次弾に備えつつ、回避。ピエロとの距離を詰める。その直後、背後から間の抜けた音がして……。
「な……に」
巨大な破砕音を鳴らしながら、ピコハンは地中深くへと"落ちていった"。まるで地面を通り抜けるかのように、どこまで続いているか分からない大穴を残しつつ。
この空間に正常な物理法則が働いているという前提ならば、一体何トンの重量があればそんな事が起き得るのか。
「アー、モー持てなーい。全部投げちゃエ」
続いて、追うようにして大量のピコハンが投下される。対象は当然の如く俺。しかも、ハンマーはそれぞれが別の軌道を描き、回避させないよう、尽く逃げ道を塞ぐように落下してくる。
駄目だ。一つだろうがこれに触れるわけにはいかない。こんな超重量物相手に迎撃など成立しない。
「ッ!」
雨のように落下するハンマーを、わずかな隙間を潜るように回避し続ける。計算され尽くした落下速度と軌道は、俺の回避方向すら制限し、追い込むように降り注いでくる。あきらかな誘導だ。
そのすべてが超重量というわけでもないのか、ピコハンの落下地点における現象は様々だった。同じように大穴を開けて落ちていくもの、単に極小のクレーターを造るだけのもの、かと思えば普通のピコハンのように地面にまったく影響のないものもある。そのすべてがまったく同じ。たとえ、軽いモノが混ざっているとしても、迎撃はロシアンルーレットのような博打になるだろう。
ピエロとの距離が縮まらない。たとえこのまま回避を続けて距離を詰めたとしても、それは詰めさせられただけ。あいつに一撃を与えるには、迎撃などで道を切り開く事が前提だ。近付くだけで博打。そんなギャンブルを突き付けられている。
……ンなモン、乗るわきゃないだろ。
極小の極小で《 土蜘蛛 》を起動。ピエロに奇襲可能な位置にいた可能性を手繰り寄せる。次の瞬間、数歩でピエロに手が届くという位置に存在していた。武器を振るには最適な距離だ。
袈裟懸けに一閃。< 不鬼切 >を全力で振り抜いた。手応えは……ない。
「ウワーヤラレター」
袈裟懸け……肩口から斜めに振り下ろしたのに、ピエロの体が頭から真っ二つに裂けた。どう考えても俺の攻撃の結果ではない。
そもそも感触がおかしい。何もない空洞というわけでもなく、不気味な液体をすり抜けるような感覚。元々そうだったのか、このタイミングでそうなったのか分からないが、そこにいてそこにいないような不完全な状態にある。適当なやられ台詞など関係なく、これでは物理ダメージなど通るはずもない。
裂けたピエロから弾け飛ぶように無数のトランプが舞い散る。それは直接的な攻撃ではないが、俺の勘は明確な危険信号を伴って危機を伝えていた。
そして後ろへと飛び退いた瞬間、上空から巨大な何かが落下し、先ほどまで俺のいた場所へと突き刺さる。
空中に舞っていたピコハンではない。それは四辺が鋭利な刃物で作られた巨大トランプだ。ピエロの中から飛び出たトランプが巨大化したとでもいうのか。
幸いピコハンは消えたのか、俺は開けた空間へと距離を取る。
無差別なのか、俺を狙っているのか、五十二枚どころではなく次々と降り注ぐトランプが積み重なり見上げるばかりのトランプタワーを形造っていった。単純な三角形を合わせたものではなく、もっと立体的で不気味なオブジェクトだ。
良く見れば、トランプの表面は絵ではない。本物なのかマネキンなのか分からないが、人間のようなものが磔にされている。絵柄に合わせたのか、色合いや服装は主に四種類。ジャック、クイーン、キングはその他に比べて派手な出で立ちをしているのが分かった。
くそ、なんだコレは。意味不明過ぎる。ピエロはどこにいった。いつか美弓に邪魔されたから、今度はちゃんと建ててみましたとでも言うつもりか。
「オッと、ナゼかこんなところに団扇ガー」
どこからともなく響いてくるピエロの声。いつかの美弓を真似たのだろうが、団扇などどこにもない。ただ、その直後強烈な突風が吹き荒れた。俺は為す術もなく、大量のトランプと共に嵐のような風に吹き飛ばされる。
ざけんな。無茶苦茶にもほどがある。あいつはスキルもなしにこれだけの現象を引き起こしているとでもいうのか。空間そのものにギミックがあるにしても異常極まるだろう。
風は止まない。全身を引き裂くような風が絶え間なく襲いかかり、空中に放り出されたまま大渦にでも巻き込まれたかの如く上下左右も分からない状態が続く。そんな中、俺と一緒に巻き上げられたトランプは、その四辺の刃を以て俺へと襲いかかった。
――Action Skill《 瞬装 - 魔鋼の長槍 》――
無理な体勢から、無理やりトランプの一枚へと槍を突き刺した。硬質な手応えはあったものの、素材自体は薄いのか槍は貫通する。
全力で槍を引き込み、舞うトランプへと足をつける。直後、無数のトランプが引き寄せられるように集まって来ているのに気付いた。風の物理法則などないかのように集まっているそれは、俺を圧殺でもしようというのか。
――Action Skill《 瞬装 - 紅 》――
ユキのような超人じみたバランス感覚があるならともかく、とてもじゃないが剣を振れるような状況じゃない。
閉じ込められてはかなわないと、紅を展開し、トランプを振り払う。だが、一枚一枚が俺の背丈以上の重量物だ。それが大量に集まってくるような状況では焼け石に水だ。
「……タスケテ」「クルシイ」「タスケテ」
磔にされた人間が呟く。幻覚か、そういう仕組みで発声しているのか、あるいは本物って事も有り得るが俺の知った事か。
振り払うよりも集まる速度のほうが早い。周囲すべてを囲まれた事で風に影響される事はない足場はできたものの、すでに逃げ場はない。前後左右上下すべてがトランプに覆われた牢獄が完成した。
「だあらっ!!」
――――Action Skill《 瞬装:魔鋼の大剣 》-《 ストライク・スマッシュ 》――
磔にされた人型のナニカごと、全力で剣を叩きつける。それ自体に大した強度はなく、切り裂く事さえ容易だが、その裏にはやはりトランプが重なって分厚い壁となっていた。
無心でトランプを斬りつけていく。剣を振るごとに怨嗟と嗚咽が鳴り響く。どんな設定だか知らんが悪趣味極まる。設定じゃなく、本物の人間ならもっと悪趣味だ。
斬っても斬っても外が見えない。時間を取られ過ぎている。トランプを脱出したら出口というのならともかく、これはピエロの一手に過ぎないのだ。
「……くそ」
駄目だ。どう足掻いても、短時間でこの領域を脱出する手がない。
……時間を再停止させるべきだ。元々停止した時間を維持するならともかく、再停止となると消費コストも現象を構成する時間も桁違いに跳ね上がるが、四方を囲まれた状態なら即座の介入は難しいはず。
ピエロはこちらの行動を認識しているかもしれないが、発動さえしてしまえば因果が固定化され、干渉は困難になる。最悪、俺が排除されればキャンセルされるだろうが、そうなったらどの道終わりだ。
警戒すべきは発動までのわずかな時間。邪魔させる余地など与えないよう、可能な限り短時間で発動できるよう集中する。
――Action Skill《 土蜘蛛 》――
自分を中心に現象の書き換えを実行。範囲はこの遊園地一帯。空間そのものを把握していない以上、どうしても定義は曖昧になるが、戦闘に必要な範囲に絞って外部から切り離し、時間の流れを遮断させる。
大丈夫だ。ここまでくれば邪魔なんて……。
「ザァーんねん」
……ナニカが切断されるのを感じた。
-3-
俺の背後に一際鋭利な裂け目が発生し、突如トランプの牢獄が崩壊した。
バラバラに崩壊したその外側にはすでに嵐はなく、俺はトランプと共に地面へと落下する。
着地には成功したものの、俺は困惑を隠せずにいた。顔を上げれば、ここまで見なかったジョーカーの札が地面に突き刺さっていて、その横に変わらず不気味な笑顔を浮かべたピエロが立っている。
「……何をした」
発動し、事象の改変が始まっていた俺の《 土蜘蛛 》が途中でキャンセルされた。改変は失敗し、消費コストも失う空撃ちにさせられた。
発動前に邪魔されるのならともかく、途中で干渉し、改変途中で完全に霧散させられるなど、一体全体どういう方法ならそれが可能なのか理解が及ばない。
ピエロの右手には見覚えのない日本刀が握られているのが分かる。ここまでのふざけた武器ではなく、ちゃんとした武器だ。アレで干渉したというのか。
「コレ、< 膝丸 >っていうんダ。もちろん本物じゃないけどネ。説明いるカイ?」
「……いらねーよ」
……最悪だった。
源頼光が土蜘蛛を斬ったとされる源氏の名刀。ダンマスの手によって作られたなら、決してそのものではない模造品だが、そう在れと名付けられたものならば、同じく土蜘蛛と名付けられた存在への特攻武器と化すだろう。名付けという定義は、その存在を固定化させ、強固にする反面、弱点を持ち易くなる。それが由来の存在するものであれば尚更だ。
< 土蜘蛛 >の弱点を挙げるならば、討伐を行った源頼光や四天王、そしてそれを行ったとされる< 膝丸 >だ。< 蜘蛛切 >の名さえ持つ刀なら、対土蜘蛛の武器としてこれ以上のモノはない。
こいつは、コレで< 土蜘蛛 >のもたらした影響そのものを斬ったのだ。
「自分由来の力とはいえ、そんな名前をつけたのは感傷カナ? ボクは一部とはいえ、杵築新吾そのものだ。《 土蜘蛛 》なんて、そんな名前を冠したものならどうにでもなるヨ。イヒッ」
「……うるせーよ」
因果の獣を喰らい、これまですべての罪をなすりつけてきた存在を失った時、なんらかの形で残したいと思ったのは事実だ。それが俺の感傷である事は否定しない。それが弱点となった事も確かだろう。
だが、これは俺が選択した道だ。背負って行くと決めたモノだ。誰だろうと否定はさせない。
「やっぱり感傷だったんダ。イイね、いいネ、人間臭くて実にイイッッ!! あいつとは違うって事ダネ」
「……あいつ?」
「弱くて愚かな杵築新吾さ。あいつは自分に不要なものって言い訳を作ってボクを捨てた。負の感情が存在意義のようなキミとは真逆ダネ」
ここまで対していても、このピエロが何一つ分からない。
杵築新吾の負の感情より生まれたもの。別人格のようなものではなく、別個の個体として成立しているかのような振る舞いと言動。その癖、ダンマス由来と思われる力を使い、自分は杵築新吾であると言う。あの仮面の下には何があるのか。ダンマスの顔がそのままあるのか。
そもそも、この場に現れた事自体が意味不明だ。こいつが実体を持ってここにいて、じゃあ< 地殻穿道 >にいるはずのダンマスはどうなっているのか。二重に存在しているのか。こんな力を持ったヤツが分裂して二人になっているというのか。
「……ダンマスを恨んでるのか?」
「ナンで?」
なんでって……自分を捨てた相手だから邪魔をするんじゃないのか?
「アッチはボクの事を毛嫌いしてるけど、ボクは大好きサ。愛してると言ってもイイ! もちろん、アイツが愛した存在も等しく愛おしい」
それは理解不能な感情の発露だった。唐突に、欺瞞に満ちた雰囲気が解け、これこそが真実であると言わんばかりの熱が立ち上がる。
「愛しているから苦しめたい。愛しているから憎まれたい。苦悶に悶える表情なんて、ナニモノにも代えがたい幸福を感じさせる。自業自得で前にも後ろにも進めない姿なんて滑稽過ぎテ最高ダヨ。無限回廊一〇〇一層で那由他が発狂した時はこれ以上に愚かで面白い存在はナイと断言したほどダネ。ダーレも理解できない。自分自身でさえも。アイツの苦悩を真の意味で理解しているのはボクだけなんだ!」
「…………」
狂っている。それとも、負の具現化というのならこれが正常なのか。
「因果の虜囚である渡辺綱、負の感情を糧に復讐の道をひた走るキミなら理解デキるはずサ。コノ黒い歪んだ熱情コソが人ガ人タル根源ナノさ」
「バカか。それだけであるはずはない。お前は根源がソレしかない、ソレしか知らないからそう感じるだけだろ」
確かに俺は負の感情を土台にし、それを支えにして歩いている。それは認めざるを得ない。
無限回廊を進む上でダンマスがコイツをいらないモノと判断し、切り捨てたのは理解できる。それが人の弱さである事もだ。結果としてそれは間違いだったのだろう。大体傍迷惑だ。
しかし、それだけがすべてでは決してない。マイナスにしか振れ幅のないヤツが成立するはずはないんだ。
結局、コイツはダンマスと……杵築新吾と表裏一体なのだ。どれだけ歪んでいようが単体で成立し得ない。ダンマスが向かい合わないといけない、自分自身の問題が形になって現れたモノに過ぎない。
そんなモン、コッチに押し付けられても困るんだよ。
ああ、今起きている問題のほとんどは俺が原因だろうさ。諸悪の根源は俺で、そこから無数の問題が派生した結果が今だ。在るはずだった未来……那由他さんが死ぬのも、ダンマスが暴走するのも俺が元凶なのは間違いない。だが、コイツの事など知った事か。
「杵築新吾、テメエの不始末はテメエで片付けろ。ソレは俺の向かい合うべき問題じゃない」
「イイ事言うネ。ソレは是非本人に聞かせてアゲたい言葉ダ」
「いいや……。クソピエロ。お前は杵築新吾だ。お前に言っている」
「ソーダよ、ボクは杵築新吾サ。弱い弱い人間の成れの果て、愚かにも無駄でアルと破棄された有用な部分の集合体ナノさ」
「それができないとは言わせない。それはあんたが無限を超える前に片付けるべき問題なんだ。ただ地球に戻って、那由他さんと一緒に死ぬ事でめでたしめでたしなわきゃねーだろうが」
「アー、コレだから話の分からないヤツって」
「てめえに言われたくはねーよ、ピエロ」
決めた。こいつの事なんか知るか。解決できるとしても、それは俺のやる事じゃない。無視だ、無視。
……とはいえ、どうするか。こいつが邪魔しようとしているのは変わらない上に、時間は刻一刻と減り続けている。せめてセカンドがいたら、この空間を解析する事だって可能なはずだが……。
――――《 渡辺綱、今から指定する場所へソレを誘導して下さい 》――
……なかなかいいタイミングじゃねーか。
絶好のタイミングでセカンドからの《 念話 》が届いた。どういう状態かは分からないが、それができる状態までには回復したって事だ。
悟らせるな。当然、コレが罠って事は有り得るだろう。この《 念話 》自体、あのピエロの仕業って可能性もある。だが、そんな化かし合いに付き合う気はない。これはセカンドだと断言する。その上で、あいつに悟られずに要求を完遂する。
《 念話 》の返答もしない。ディルクのように《 偽装 》できない俺では悟られる可能性が高い。
「……つまり、お前との問答は無意味だ。根本からして欺瞞しかないのなら、それはもう会話じゃない」
「ダカラといってどうスルの? 力で押し通るっテ? 無理ムリむり、ボクは杵築新吾と同じ事がデキるんダヨ。力の差は味わったはずだよネ。キミの切り札っポイ《 土蜘蛛 》だって、ボクには効かナイ」
「欺瞞だな。お前がダンマスと同じ事ができるって以外は嘘だ」
「根拠はあるノ?」
「勘」
「…………」
どーすんだよ、コイツって目で見られてる気がするが、多分正解だ。《 土蜘蛛 》対策だって完全じゃない。
――Action Skill《 瞬装 - 不鬼切 》――
「まーた、ソレ? 芸がナイなー」
「そうでもねーよ、お前はコレを知らない」
「……ナンか面白い事ヤルのかナ?」
知るはずがない。ダンマスはもちろん、今回の件に関わった連中だって知らない俺の切り札の一端なのだから。
下手な小細工は必要ない。放つのは当然、《 刀技 》。この武器で使えるアクションスキル。
――Over Skill《 流水の断刀 》――
鞘に収められた本体を滑らせるように一閃。居合いによる攻撃を放つ。
木刀では決して発動できない居合いの《 刀技 》。ダンマスだろうが初見の、俺だけのオーバースキルだ。
「へッ?」
鞘から放たれる刀身は木刀ではなく日本刀。< 不鬼切 >ではなく、< 不鬼切 >だった別の可能性を持つモノ。
銘は< 髭切 >。今は存在するはずのない、いつか辿り着く、この刀の在るべき姿。
不定形のモノを断つ斬撃がピエロに襲いかかる。剣撃を飛ばしているわけではなく、このスキルは最初から広範囲に渡るモノだ。
流水とは言っているものの、対象は空気でも不定形の体でもいい。俺とピエロの間に存在する空間ごと斬った。同時に< 髭切 >を顕現させるための《 土蜘蛛 》が無効化されなかった事も証明してみせたぞ。
続いて俺がとる行動は追撃……では当然ない。極自然に見えるよう、真っ二つになったピエロから距離をとり、走る。向かう先は巨大観覧車だ。
「イイネ、いいね。何がナンだか分からない。意味不明ダ。今度は追いかけっこカナ? 鬼じゃなくてピエロだけどネ」
「バーカ! 誰がテメエの相手なんかするか、ハーレム野郎っ!! ドロドロの後宮劇に巻き込まれて胃ぃ擦り減らしやがれっ!!」
「イヤ、ボクに言われてもネ」
ちなみに本音である。
後ろを警戒しつつ、駆ける。当然のように追撃するピエロ。謎の球体が飛来し、何もない空中で跳ね返るのを避けつつ目的地へと走る。
あいつは相手を追い詰めるのに最初から全力を出さない。ジワジワと手数を増やす戦法で追い立てる。それは相手の右往左往する姿を見て愉悦する以上に確実性を求めた戦法なのだろう。真意は知らないが、そういう傾向があるのは確かだ。
おそらく《 流水の断刀 》のダメージはない。驚きはしただろうが、それだけのビックリネタだ。だが、他にも何かあるかもしれないという警戒は呼び込めたはずだ。
ここで、俺が目的地とするのは観覧車以外有り得ない。絶対ではなくとも高確率でそうだと判断する。
結果、あいつの追撃が最高潮に達するのは大観覧車を目的とした地点になる。つまり、その手前までだったらどうにでも対応できる程度で済む。
予測困難な、空中で跳ね返り続けるスーパーボールをひたすら回避し続ける。銃弾と変わらない増え続けるソレを、人間の反応速度の限界を超えて避け続ける。観覧車まではまだまだ距離はあるが、目的地は近い。少し開けた赤い水の噴水のある広場。そこが指定場所だ。
あと少し……ここだ!
「ン? ……アピョっ!?」
大観覧車の反対側、俺とピエロが背を向けた方向から極大の光線が放たれた。気付いていなかったのか、あえて無視していたのかは知らないが、それはピエロに直撃し、地面ごと削り取るような爆発を引き起こす。
それだけでは終わらない。先ほどまでのスーパーボールの意趣返しといわんばかりに、四方八方から光線が飛んでくる。……いや、実体弾も含まれてるな。
「オオ? クーゲルシュライバーか。……オカシイな。まあイイけど」
連続爆撃の中心でピエロが言うのが聞こえた。相手を不快にさせる声は空気を伝わる音ではないのかもしれない。
空を見上げれば、そこにはフル武装のセカンドが浮かんでいるのが見えた。
「ようは劣化エルシィ。コレじゃ牽制にしかならナイヨ」
地形の変わるほどの爆撃を浴びながら、ピエロの声色は変わらない。ダメージだってあるかどうか分からない。少なくとも決定打にはなり得ない。
「……牽制ですから」
「アルぇ?」
その瞬間、合わせるようにピエロの直上から高速で飛来する影があった。
――Action Skill《 トルネード・スピン 》――
ホバーボードに乗り、突進するかの如く高速回転しながらピエロへの一撃を加えたのは、ここにいるはずのないユキだった。
-4-
牽制だろうが、強襲の一撃だろうが、それだけであの化物が仕留められるならここまで苦労はしていない。だが、倒す必要がない相手なのだから問題はない。重要なのはそれ以外の部分。セカンドに加えて現れた援軍だ。
ピエロに打撃を加えたユキは追撃を行わず、反動でそのまま俺の眼の前へと着地した。
「お前……どうして」
「強襲の目処は立ったから、ベレンヴァールに任せて抜けて来たんだ」
時間がない事を理解しているのか、ユキは端的に説明を投げてきた。
「想定以上の時間が経っても用意した回廊を抜けていない事に気付いたゲルギアルさんが警告をくれた。ここへ直接道を斬って繋いだのもそう。伝言だけど、『貸しにしておいてやる』ってさ」
「……マジかよ」
あいつがこれ以上肩入れする理由などない。しない理由もないが、ここまでだけでも十分な協力はしてくれていた。
それがこの窮地において、ファインプレーかつサービス過剰ってレベルじゃねーぞ。味方のつもりっていう枠なんか飛び越えてる。
俺が真っ先に裏切りを警戒した相手なのに、ひたすら紳士的に契約通りに味方で在り続けやがった。だが、今はただただありがたい。
「オっかしーナ、コノ空間に事前の予兆もなしに割り込ンデくるとか、杵築新吾でもデキないンだけドネ。ナーんか、知らないチカラ働いてるね、コレ」
煙の向こうでピエロが立ち上がったのが分かる。しかし、シルエットが確認でき、声がして、気配があったとしても、そこにいるとは限らない。
ユキもそれを分かっているのか、広範囲に渡って警戒しているのを感じる。……ある程度の情報共有はセカンドからされたのだろうか。
「で、アレってもしかしなくてもアレだよね?」
「お前の想像通り。だが、知覚可能なすべてが偽装。言葉だって欺瞞ばかり。加えて、ダンマスほどの力がなくても同じ事はできるっぽい」
「……冗談」
だが、手はある。……手ができた。
「ユキ」
俺が手を伸ばす、ユキは黙ってその手を握り返してきた。
「大体三分くらい。全力でも一分は保つはずだ。……悪いが任せる」
「了解」
それは事前にできると伝えてはいたものの、使用する予定のない切り札の一つだった。
そこに可能性が在るというのなら、《 土蜘蛛 》がそれを引き寄せ、引き出すのは容易。ユキの負担を無視するならば、極小のコストで剥製職人の観測器を再現できる。
こうして直接接触しているなら< 膝丸 >の割り込みもない。それは< 髭切 >で確認済みだ。
「ンーーー? ま、イッか。元々、予測してたのはキミたち二人ダシね。ある意味予定ドーリって事ダネ。というか、コッチのほうが都合イイシ」
煙の中から、特に反撃するでもなく歩いてくる道化師。見た目の状態は埃一つない万全。セカンドのビームとユキの強襲でどれくらいのダメージがあったのかは分からないが、ノーダメージって事はない。ないと断言しないと行動がすべて封じられる。
情報は足りない。確定に至るピースは歯抜け状態で、どこにもない。しかし、仮定ではなく断定する。するべきだ。それが、あの化物と対峙する前提条件。
こいつは未知の塊であるダンマスとほぼ同じ手札を持ち、意識の違いによってダンマスが行使しないであろう手も躊躇なく使う極めて合理的な怪物だ。
一方で、ダンマスほどの出力が出せない。10%か、1%か、とにかくそういう制限の元で動いている。いわば、ミニ四駆のモーターを積んだフルオプションのスーパーカーに等しい。そんなスペックでも俺を無条件で圧倒できるのがダンマスの化物っぷりを表しているが、とにかく一切合切手が出ないなんて事はない。一切消耗せず、ノーダメージに見えるのもすべて欺瞞だ。そういう断定を前提とする。
ユキが頷いた。"切り替わった"のと同時に俺たちは別方向へと駆ける。
――Action Skill《 オーバードライブ 》――
立ち上がりに合わせ、ユキの動きが観測器のそれと同様のモノへと変貌する。いくらピエロ相手とはいえ、時間稼ぎには十分なはず。そうでないと、俺の離脱は成立しない。
ピエロの情報をほとんど渡せなかった事に不安は残るが、ユキならば直感でそれを埋められるはずだ。少なくとも俺よりも相性はいい。
「セカンドっ!!」
俺が叫ぶと同時に、手を伸ばしながらセカンドが飛来した。その手を掴み、空中へと離脱する。
射撃で牽制を行いつつ、セカンドは上昇。高度と距離を稼いでいく。
「必要なら、あいつの手が届かないところまで行って《 土蜘蛛 》を起動させるが、脱出の案はあるか?」
「脱出の目処は立っています。この空間の解析は終了しました」
どうやら、このまま脱出する方針らしい。
「この空間はゲルギアル・ハシャの創り出した回廊を含め、少しずつ膨張し続ける特性を持つようです。空間の強度自体はさほどではありませんが、高度な多重偽装と境界が常に移動し続ける事で照準を合わせ難いよう、巧妙に調整されています」
性格の悪い事だ。やってみなくちゃ分からないが、《 土蜘蛛 》で脱出するにしてもコストばかりが嵩む構造になっている。
「その計算は?」
「終わってます。あとは照準を合わせて……」
ピエロとユキが交戦する場所からかなり距離を置いた何もない場所。そこでセカンドは動きを止め、対空状態に入る。
肩と腰、そして背部に展開された砲塔が空の一点へと向けられた。
「巨大出力で穴を穿てばいい」
戦艦の主砲か何かと見間違えるような高密度のエネルギーが放出され、空が割れる。
ぽっかりと不自然な形で開いた穴の向こうは、ここに来る前に見た回廊のものだった。
-5-
「アーア、逃げられチャッタ。ま、イイか。マタのご来園を心ヨリお待チシておりますーッテね」
詳細は分からないけど、ダンマスの……おそらく負の部分が具現化したであろうピエロは、特に執着も持たないかのように言った。
直接確認できてはいないけど、多分ツナとセカンドの脱出は成功しただろう。
「それで、新しいお客サンはドーするノ? 何で遊んで行くんダイ? 超高速絶叫観覧車? 首無し馬のメリーゴーランド? ネズミはいないけど、著作権的にヤバそうな乗り物もアルアルよ」
「……んなもんに乗らないアルよ。おっかない」
「残念アルね」
何考えてるんだか分からないけど、ダンマスの知識の下敷きがあるのは確実だよね、コレ。
「ジャア、結果出るまでノンビリしてくといいヨ。来た時みたいに自力で出られるなら追ってもイイし、しばらくすればこの世界も消えるシ」
「邪魔するんじゃないの?」
正直、ツナが脱出できた時点で、ボクがここに来た目的は果たされている。あとはひたすら時間稼ぎでもしていれば、結果は出るだろう。ツナの世界改変が起きればどこにいようが変わらないし、死んでいても生き返る。もっと根源的な魂を侵すような改変を加えられるのは避けないといけないけど。
「シないよ、面倒臭い。モウ目的は果たしタしね」
「もう、ツナが間に合わないって?」
普通に考えるならそうだろう。でも……違うだろうね。おそらく、このピエロにはもっと別の目的がある。
「サア? 間に合わないかもネ。でも、間に合うんじゃないカナ? 渡辺綱だし」
どこまで本気で言っているのか分からない。……このピエロ相手に情報収集は無意味だ。言葉、所作、雰囲気、どれもが欺瞞に満ちている。だから勘だけで判断するなら、それはおそらく真実。このピエロは本気でそう考えている。本気で、どっちでもいいと思っている。
かといって、ツナへの奇襲が気まぐれだとかそういう風には考えられない。少なくともただの愉快犯ではない。
……おそらくは、この場に顔を出しただけで完遂できるような、そういう類の……。
「アァーヤダヤダ、キミみたいなタイプは陰気なピエロさんの欺瞞が通じ難いから困るンだよネ。クーゲルシュライバーはモチロン、渡辺綱みたいに思考を優先するタイプならいくらでも騙せるのにサ」
ボクが考えている事を見通しているような、そんな反応だった。
「ボクが馬鹿みたいに聞こえるんだけど」
「バカでもイーじゃなイ。バカ最高ダヨ。実際、馬鹿ならいいんだけどネー。もっとタチが悪いモノさ。同類、ドールイ」
同じにしないで欲しい。
「ナンなら当ててみるかい? ボクの目的」
「……目立つ事」
「アッハッハッハ、確かに陰気なピエロさんでもピエロは目立ってナンボだしネ」
「ボクとツナに対する印象の強調だ」
「……マジでタチ悪ぃナ」
半ば確信めいたボクの口調に対し、一瞬だけピエロの雰囲気が変わった。
……そうだ、セカンドはおそらくイレギュラーで、こいつのターゲットはボクとツナの二人だ。おそらく、起点はクーゲルシュライバー出港時に姿を現した事。何故ボクたちなのかは分からないけど、結論だけ言うならそういう事なのだ。
「当てられチャッタから、ネタばらししてあげるヨ。……ボクの目的は印象操作さ。杵築慎吾しか認識してイなかったボクの存在を拡張する事。ボクがここにいるって事を知らしめる事」
……そして、ピエロはネタバレしても問題がないと判断している。何故ならば、ネタばらしは自分のデメリットになり得ない。……いや、利になるとさえ考えているから。
「ここ一番のタイミングで顔を出せば、それだけで目的は達成できる」
「ソウ。邪魔されたら、ムカつくジャナイ? じゃない? 嫌われるってステキだよネ。それダケ印象に残っテるって事ダし」
とりあえず、そうやって小さく首を傾げる姿はキモいから印象的だけど。これも全部印象操作なんだろう。外見のピエロではなく、中身がダンマスであると考えるなら……もっとキモい。
「誰にも邪魔されたくない大一番、唐突に現れて意味不明な邪魔をする愉快なピエロはさぞかし印象的ダロウ? それだけでボクの勝利は確定シタのサ。コイツの目的はなんだ。言ってる事は信用デキナイ……ナーンテ疑心暗鬼に陥ってクレレば最高。キミたちが鎬を削って宇宙規模の盤面で戦っている中で、ボクはボクと杵築慎吾だけしかいない盤面で勝利を得タ。キミたちの盤面がどう転ぼうが損はナイ。アイムウィナーさ」
「ボクとツナの印象を強くしたところで、ツナが負けたら意味がないと思うけど」
ツナの敗北はイコール死だ。那由他さんを救出した時点で星の崩壊は止められるかもしれないけど、イバラとの戦闘を回避するのは不可能なんだろう。少なくともツナはそう確信していた。
……ああ、だから保険がいるのか……ボクだ。結果として正解でも、このピエロにとってボクの介入はメリットにしかならない。
「その時は杵築慎吾の人格が崩壊するのを見計らって、ボクが表に出れる。邪魔なアレインとメイゼルは情報さえ与えなければ簡単に殺せるし、異常なまま正常でいるエルシィの長い長い苦悩も楽しめるってわけサ。改変されなければ、ソーなるハズだった」
当初の予定では、< 地殻穿道 >に到達後、イバラによる那由他さんの殺害を阻止、《 土蜘蛛 》で世界改変を行ったあと、避けられないであろうイバラとの戦闘に突入という流れだった。
しかし、ここまで時間をとられた以上、ツナに時間的な余裕はないと考えたほうがいい。救出に成功したとしても、そのまま世界改変に移行できるとは限らない。そうして改変できずに終われば、その場しのぎにはなっても強固な因果を保つ特異点に引っ張られて似たような結末が訪れるっていうのがツナの解説だったはずだ。
……ダンマスがピエロ化する事が本来の歴史であるならば、元々がこいつの望み通りの結果だったわけだ。
話を聞いていて、不自然なほどにアレインさんたちの存在の影がなかったのは、全部こいつが始末をしていたと。
「逆にツナが勝ったらその目論見は全部ご破産じゃないの?」
「何言ってるんダイ。分かってるンだろうケド、この邪魔はそっちのための保険ダヨ。それに、ソッチのほうが面白いじゃないか。内部にこんなプリティで陰気な爆弾を抱えたまま、杵築慎吾は戦い続けないといけない。その苦悩はまた違った幸福をボクにくれるダロウネ。むしろ応援してアゲてもイイよ。タダだし」
多分、このピエロは元々大した力を持っていなかった。今でもそうなんだろうけど、ボクたちの前に現れた時は、本当に現れるだけが限界ってくらいの影響力しかなかったんだろう。
それがこの特異点が発生した事によって激変した。表の世界に対し強い干渉力を得た。
そうやって、多くの認識が生まれるほど存在が確立されていく。言っている通り爆弾そのものが大きくなっていくのだ。
「キミは気付いてるケド、対策を立てるためにボクの事を誰かに伝えれば伝えるほど印象が強くなるシね。詳細に気付いていない杵築慎吾に伝えたところでそれは同じサ」
かといって、ツナやダンマスに伝えないという手はない。極めてタチの悪い存在だね、まったく。
つまり、コイツはもはやここで戦う意味などない。たとえばボクが脱出しようとしても、愉悦目的程度にしか邪魔はしない。
この盤面はすでに勝敗が決している。今更何をどうこうしても結果は変わらない。
「つまり、ボクはどういう結果になっても一人勝ちってワケさ。いいネ、勝ち逃げ」
「うん、そうだね。ボクにはどうしようもないし、どうこうする気もない」
「ダロウ?」
「でも、気に入らないからぶん殴るね」
――Action Skill《 ソニック・アクション 》――
不意打ちのように再度強襲をかけ、全力でその顔面へと拳を叩き込んだ。グーパンだ。
「あ、アルぇー?」
「人の名前で遊んだ報いは受けてもらうから」
「ソレはボクじゃなくて……」
「おんなじだよ。ボクの勘はそう言ってる。……ここのところロクな事がなかったから、とりあえず時間制限一杯、憂さ晴らしさせてもらう」
ただの感情的な衝動に身を任せる。おそらくそれがこのピエロの苦手とするところだと感じていたから。
それが正解だったのか、ピエロの仮面から覗く目にわずかな感情の揺らぎが見てとれた。
-6-
「セカンド、もっとスピードは出ないのか!」
「これが限界速度です」
遊園地は抜けたが、拡大する空間の特性は回廊全体に広がっているらしく、元々残り数メートルだった距離は遥か彼方まで伸び切っていた。セカンドの飛行速度ならばその距離も縮まっているが、それでもまだ足りない。
そして、俺の勘はこのままでは間に合わないと感じている。まだイバラは復活していないし、那由他さんも殺されてはいないが、それはまだというだけだ。
あのピエロにかけた時間が長過ぎた。余裕すらあった時間はそのすべてが削り取られ、《 土蜘蛛 》の余剰リソースだって危ういだろう。
感覚的に、特異点の楔は回廊突入前よりも抜かれていると感じるものの、決して余裕はない。特にあの時間停止の空撃ちが致命的だ。
「ラディーネから持たされた欠陥品のブースターがあります。私の巡航速度に上乗せする形で飛び出せば、距離は稼げます」
「欠陥……デメリットは?」
「速度調整が効かない上に、使用後は爆発四散します。私が限界まで速度を稼いだあとに押し出しますので乗って下さい」
危険だけど乗りますか、とかじゃなくてもう決定事項なのか。そりゃ乗るけどさ。
聞く時間もないが、欠陥品と言ったってセカンドが持っている以上はなんらかの意図あっての事だろう。
何かの電子データが実体化でもしたようなエフェクトと共に、セカンドの兵器群の脇に色合いの違う機械が出現した。サーペント・ドラゴン戦で距離を詰めるのに使ったものと良く似ている。
アレと同様、使用者が捕まるための取手があるので、セカンドの手からそれに持ち変える。
「前方防護用の皮膜ありきの装備ですが、コレは欠陥品なのでありません。空気抵抗はなんとか受け流して下さい」
ずいぶん無茶言われてる気がするが、選択の余地はないのだから文句を言う事もない。なにせ、平坦なセカンドの口調から焦りが見えているのがはっきり分かってしまうからだ。
「五秒後に私の飛行機能をオーバーロードさせますので、最高速度が保てる限界までのカウントダウンを開始、タイミングを合わせて下さい」
「りょーかい」
次の瞬間から、ボトボトと装備していた兵器が落下していく。どれだけ意味があるのかは知らないが、それらは速度を出すために不要なデッドウエイトなのだろう。
予告したタイミングから、急激に速度が上がる。
「10、9、8、7、6……」
カウントダウンが始まった。出口までの距離が急速に縮まっているのを感じるが、この残り時間では絶対に届かない。
おそらく、この加速は他のすべてをかなぐり捨てたものだ。"俺が"目的地に辿り着けさえすればいい、という類の捨て身のはずだ。
「セカンド、助かったよ」
「……いえ、ご武運を」
カウントダウンの途中だったが、もう数える必要はなかった。セカンドを置き去りにするような形でブースターが点火。俺の体を前へ前へと加速させる。
後ろは振り向かない。おそらく、セカンドは限界を超えて墜落している。そんな事は分かりきっているから前だけを見る。
ある程度防護の効いていたセカンドの周辺とは異なり、ダイレクトに襲いかかる空気抵抗と重圧。腕が引き千切れそうになるが、耐えられないと泣き言は言えない。
出口には届く。もう距離はわずかだ。とんだ邪魔をされてしまったが、あそこにイバラとの決戦場がある。
時間は……おそらくギリギリ。那由他さんに説明などする暇もないだろう。周りを確認する余裕さえないかもしれない。事前準備だって、今がその時なのだ。
腰には< 髭切 >がそのまま佩いてある。あのピエロの言った事ではないが、対イバラを考えるならこれ以上の武器は有り得ない。そもそも、これは最初から使う予定で順番が狂っただけだ。
回廊を抜ける。抜けた先がどうなっているのかが分からない以上、直後に軌道修正は必須だ。コンマ以下の精度で力技の軌道修正を行う心構えはできている。
集中、集中、集中。
凶暴な空気抵抗が、回廊を抜けた直後暴風へと変わった。あきらかに閉鎖された場所へと移動した事が分かる。
場所は……おそらくドンピシャで< 地殻穿道 >内部。植物で覆われた大部屋の中心に謎の球体が光り輝き、視界の大部分を占めている。
目標である那由他さんとの距離はわずか……だが、足りない。ブースターから手を離し、体を入れ替えるようにしてその機体を蹴り飛ばした。
弾丸のような速度で飛んでくる俺に気付いたのか、那由他さんと目が合った。何も感じていなかったような空虚な瞳にわずかな驚愕が見える。
ダンマスは……確認できない。そんな余裕もない。何故なら、今正に那由他さんの"死角となる後方"で宙空に穴が空き、そこから巨大な鬼の手が飛び出してくるのが見えたからだ。
アレが《 暴食の右腕 》。以前、エリカから見せられたものとはあきらかに縮尺が合わないが、開かれた掌の中央に口のような何かがある。おそらくはアレで捕食を行うものなのだ。
ギリギリなんてレベルじゃない。ほんのタッチの差で間に合った。
「うぉおおおおおらぁああああっっっっ!!!!」
――Over Skill《 鬼神撃・腕断チ 》――
< 髭切 >を使い、勢いのまま一閃。鬼の腕を斬る事だけに特化した、これだけのために用意した切り札だ。
相手がイバラであり、俺が渡辺綱であり、使用したのが< 髭切 >であり、対象が腕という部位である事はあらゆる面での相乗効果を生み出す。
超常の存在が用意した防御を貫通し、飲み込む腕だとしても、そんな事は関係なしに断ち切ってみせる。
< 髭切 >から腕を斬り落とした感触が伝わってくる。ちょうど肘から先を丸々叩き斬った。
棒立ちのままこちらに視線を向ける那由他さんだったが、ここに続けて奇襲があったとしても対応できるだろう。ダンマスと同等という事はそういう事なのだ。
特異点における巨大な楔が取り除かれたのを感じる。しかし、このまま《 土蜘蛛 》の発動に移行する事はできそうもなかった。
俺はコンマ以下の感覚でも超スピードと分かるような速度で大絶賛墜落中の上、《 鬼神撃・腕断チ 》の影響で多大な技後硬直が発生している。加えて、決して俺を逃すまいと追撃のように出現した左腕への対処が間に合っていない。
「ガハッ!」
巨大な左腕に掴まれた。抵抗すらままならないまま、どこかへと引き摺り込まれようとしている。おそらく、その先にはイバラが待ち受けているのだろう。
戦闘が始まれば世界改変を行う余裕など作り出せるとは思えない。ピエロの奇襲に始まった邪魔は巡り巡って、最も重要な時間を失う事になった。
ああ、くそ。あるいはこれがそもそもの筋書きだったとでもいうのか。
イバラを倒す事が、世界改変の前提条件だというのか。
景色が切り替わる。謎の発光体が鎮座する植物で構成された部屋から、何もない殺風景な広場へと放り出された。
受け身は間に合った。転がるようにして着地。すぐさま、追撃を警戒して顔を上げる。
そこには、俺を見下ろす右腕を失った巨体の鬼の姿。
俺にとっての死そのものが、立っていた。
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