第15話「そして、反撃の狼煙が上がる」
-作戦開始二時間前-
「それじゃ、最後の確認を始める」
無量の貌攻略戦開始まであと二時間を切った。
部屋に設置された時計の表示は[ 01:59 ]。これが[ 00:00 ]になった瞬間に作戦開始。ダンジョン化させた無量の貌へ突入するための転送ゲートが開かれる。
作戦時間は二時間。一度カウントダウンを終了した時計が再度[ 02:00 ]に切り替わり、[ 00:00 ]になるまでカウントダウンする仕組みになっている。
「実時間で二時間が経過した時点で作戦は終了。クーゲルシュライバーへの強制帰還を行う。また、冒険者のバイタル異常が一定以上確認されても、こちらから個別に強制脱出を行わせる。仕組み上再突入は可能だが、特殊な精神汚染が原因である以上、ダンジョン攻略の復帰は困難と考えてくれ」
二時間というのは、事前のテストからダンジョン内部での活動限界を大きく見積もったものだ。
内部で発生する簒奪効果からバイタルダメージを想定し、主力となるBランク冒険者が耐え得るであろう限界が一時間、そこに予備時間を一時間加えたものである。
内部で常時発生する精神ダメージに加えて涅槃寂静などの敵性体との戦闘、方法すら未確定な救出作業、長時間接触した事による無量の貌からの干渉なども含まれるとなると、万全な状態で活動を行えるのはやはり一時間程度。それ以上になると予測すら不可能なほどに懸念要素が増えてしまう。
ただし、二時間というのはあくまでダンジョン外での計測時間だ。内部での体感時間はアテにならない。それこそ実際のダンジョン攻略よりも長い体感時間になる可能性だってある。
実のところ、一時間五十分が経過した時点で更に長期の活動が可能と判断した場合は延長する可能性はあるし、各グループリーダーに伝えてもいる。俺の消耗についてもさほどではない。しかし、これはあくまで保険としての手段である。予備の一時間でさえ、本当に予備として考えたほうがいいだろう。
「バイタルデータを含め、参加冒険者の簡易情報はグループリーダーを通して共有している。チーム内から脱落者が出た場合、パーティとして機能させる事が困難になった場合は適宜再編。リーダーが脱落した場合は、極力他グループと合流する事を目指してくれ。共有情報には各グループの位置も含まれるが、内部構造が不明である以上参考程度に留めて欲しい」
今回作戦に参加するのは、紅葉、サイガー、ロベルト、ガルディス、グルジカ、フラファジヤ、オーギルの7名と、彼女らがクーゲルシュライバーに残っていた冒険者から選抜した100名。選抜者は概ね実力順に上から100名という形に落ち着いた。そもそも総人数的に選択肢がなく、100名の内下位の参加者も戦闘力に不安が残るメンバーと言わざるを得ないのだが。
かろうじてパーティとしての体裁は整えたが、チーム内の実力差も激しい。元々、同時にダンジョン攻略するような実力差ではない。そういった意味では以前実施した四神練武のような形に近いといえるだろう。
ただし、装備や使用アイテムの面は最大限考慮した。通常のダンジョン・アタックならば論外ともいえる規模で上級冒険者から余剰アイテムを供出してもらい、下位の冒険者まで配布。素材などもオーギルたち職人部隊を総動員して、武具やアイテムを作成してもらった。
万全とは言い難いが、俺が簒奪対策として用意した指輪以外にも、精神耐性を主とした各種装備を用意できた。これらの準備は多少なりとも攻略に影響してくるはずだ。
また、気休め程度の意味しかないかもしれないが、< 黒老樹 >を小さく裁断、キューブ型に加工したものも配布している。万が一でもオトリに使えればラッキーなくらいのお守りだ。精神的なものが大きく関わってくる中では本当に気休めでも意味はあるだろう。
■グループA
グループリーダー、及び作戦部隊の全体リーダー:紅葉
グループ構成:4パーティ(A1-A4)、24名
■グループB
グループリーダー:サイガー
グループ構成:1パーティ(B1)、6名
■グループC
グループリーダー:ロベルト
グループ構成:3パーティ(C1-C3)、18名
■グループD
グループリーダー:ガルディス
グループ構成:3パーティ(D1-D3)、18名
■グループE
グループリーダー:グルジカ
グループ構成:3パーティ(E1-E3)、18名
■グループF
グループリーダー:フラファジヤ
グループ構成:3パーティ(F1-F3)、18名
■予備グループ
グループリーダー:オーギル
グループ構成:5名
以上の107名に別働隊であるユキ、ベレンヴァール、ガウル、空龍、摩耶、キメラ、クラリスの7名を加えた114名が作戦参加メンバーとなる。
基本的に1パーティ6名の構成は崩さず、それぞれの第一パーティにグループリーダーを置き、可能な限り所属が同じクラン、あるいは交流のあった者同士でパーティを編成した。
また、職人であるオーギルと4名に関しては他グループの支援、内部でのアイテム補給や修理を担当してもらう。作戦開始直後は参加せず、ダンジョン内部が職人の活動できる空間である事が分かった時点で投入する予定だ。もちろん、構造次第では参加すらしない可能性もある。そういった意味でも、戦力的な意味でも予備の扱いだ。
『すまんな、俺の予想でこんな配置になって。特に紅葉には苦労をかける』
そんな中、サイガーから通信が送られてきた。
作戦参加メンバーはすでにゲート設置予定場所で準備中であり、この確認作業も通信を通じたものになる。
全体指揮用に用意したこの部屋も俺とセカンド、ラディーネ、顔だけのボーグ、そして見学人であるゲルギアルのみという少人数だ。……あ、あと眼の前に鎮座する紫トマトもか。異様な存在感を放つのについ人数として数えるのを忘れてしまう。
『全体リーダーである以上、大した差はありません。サイガーさんの予想が正しければ、そこが最もキツイ配置ですし』
それに通信越しで返答する紅葉さん。
ほとんどの冒険者がクーゲルシュライバー内の転送装置から参加する中、サイガーのグループBは別の場所からの攻略開始を予定している。この通信もその開始予定場所からのものだ。その場所とは、ダンジョン化した世界間回廊の端。龍世界との接続ポイントである。
内部構造が不明なダンジョンである以上、安全性を考えるなら極力同じ場所から同時に挑戦すべきなのだが、それに待ったをかけたのがサイガーだった。
理由としては、こんな巨躯をダンジョン化する以上、ある程度現実の法則が適用されているのではないかというものだ。以前、ガウルたちがテストとして行ったのはあくまで涅槃寂静の一体を切り離してダンジョン化したものであり、無量の貌の本体、末端の顔が接続された状態でのものではない。天体規模で存在している無量の貌の中には涅槃寂静が点在していて、それは現実世界とリンクした位置にいるのではないかと。
根拠としてはただの勘でしかないが、ありえない話ではない。予想が合っていたとしてもバラバラに開始するのはリスクが大きく、クーゲルシュライバー近辺にも涅槃寂静は大量にいる。しかし、試せるならば試したいという提案で、サイガー班のみが場所を変えての作戦開始となったのだ。
元々、サイガーさんには紅葉さんに次ぐ規模のグループリーダーを務めてもらう予定だったが、役目を考え少数精鋭となる1パーティ6名構成とした。選抜したメンバーも先行偵察特化。予想が合っていれば強行して内部偵察を行い、情報を共有する。単に場所だけが離れたとしても単独パーティのみで活動できるようにという考えである。
そして、ついでのようにウチから参加するメンバーもそれに便乗させてもらった。現在、龍世界の入り口近くにはサイガー班6名とユキたち7名の計13名がスタンバっている。指揮権は一応独立しているものの、基本的にはサイガーさんの指示に従う形になるだろう。
「サイガーさんの予想が正しければ、そのままクーゲルシュライバー発着場を目指し、遺跡内部の簒奪地点……特に一般人が多くいたシェルターを攻略目標とする。内部がまったくの別物である場合は、調査を行いつつ可能であれば紅葉さんたちと合流」
『おう。完全に孤立した場合でも、最低限の働きはしてみせるぞ』
頼もしい限りである。冒険者に実年齢による差はそれほど意味を成さないが、長く人生を生きている分の経験はやはり馬鹿にできない。ランクはそれほどでなくとも、貫禄があるというかなんというか。
……その理屈でいくと、俺の後ろにいる爺さんが最も頼りになってしまうのだが、これほどアテにならない頼もしさもないだろう。
「共有情報にも不備はないか?」
今回、作戦を遂行する部隊は全員がディルクの《 情報魔術 》で情報を共有している。HPなどの冒険者としての基本情報に加え、脳波などに異常があった場合に即時表示されるようにしている特別設定のものだ。
術者であるディルクは現在、治療用のポッドの中。昏睡状態で治療中というわけではなく、現在のダメージが残った状態では不安が残るという事でとった処置である。作戦に参加できないセラフィーナも、本人の希望で隣に陣取っている。
普段であればこの人数程度の同時処理は問題ないらしいが、内部で発生する時間差を考えると、どこまでリアルタイムに共有できるかは分からない。
とはいえ、現時点で不備を訴える声はなかった。事前の慣熟訓練では色々大変だったらしいが。
「次に作戦内容についてだ。突入後、内部の環境調査が済んだ段階で、簒奪された者を解放するための手段を探して欲しい」
内部に転がった顔と名前を拾い集めるとか、情報を保持している涅槃寂静を倒すとか、そういう推測はいくつか考えられても、内部の情報がない以上その手段の見当はつかない。そもそも、解放の手段などないという可能性だってある。
作戦開始前に用意できたのは、対象が解放されたかどうかの確認手段だけだ。
「事前に配布した抜けだらけの乗員リストに名前が戻れば、おそらくは解放完了……最低でも因果改変を邪魔する楔は取り除かれた事になる。一部の乗員と龍に関してはリストを作れなかったが、それに関しては俺の体感で確認可能だ」
用意できたのは乗員の記憶を頼りに作り上げたリストと、歯抜けになっていたクーゲルシュライバーの乗員リストの差異を利用したものだ。上手く仕組みが動けば、解放と同時に歯抜けが埋まる形になる見込みである。
解放したところで、それだけでカオナシから戻るわけでない以上絶対機能するとは言い難いが、そこは出たとこ勝負である。
また、因果改変を行う都合上、どの程度の楔が打ち込まれているか《 土蜘蛛 》を通じて感覚的に分かる"ようにした"。分かるのは俺だけではあるが、因果改変を行う俺以外が知ったところで大した意味はないだろう。
「可能であれば、救出した対象の位置をこちらに報告。ネームレスが用意した隔離用の領域へ転送する。なんらかの状況で位置が把握できない場合は名前、あるいは魔力情報だけでも多少時間はかかるが対応はできる。ただし、これは予めリスト化している者だけなので、極力位置情報で把握したい」
救出が成功したとしても、ダンジョン内は常時簒奪の影響がある。加えて、再度簒奪を狙う顔や涅槃寂静がいないとも思えない。対象を保護しつつ、作戦続行というのはかなり厳しい。その点、安全領域……隔離エリアに転送できれば再度簒奪される危険はなくなったと考えていいだろう。
転送が上手くいく保証も実績もないが、これに限った話でもない。実行するのがネームレスというのが一番の不安材料ではあるが。
「事前確認は以上、健闘を祈る。開始までの残り時間はグループ内、チーム内のブリーフィングに当ててくれ」
と、全体通信を切って一息つき、そのまま新たに個別の通信を繋げる。
「ユキ、ベレンヴァール、聞こえてるか?」
『ああ、聞こえている』
『聞こえてるよ』
どこまで効果があるのかは分からないが、事実上無量の貌の呪いを無効化しているのがこの二人だ。
「基本的にはガウルたちと一緒に前線の遊撃担当として動いてもらう事になるが、もしもチャンスがあって、それで状況が好転する可能性があると判断した場合は……」
『分かっている。自己判断で無量の貌の更に奥を目指す』
『必要ないのが一番なんだろうけどね』
内部での救出作業が滞りなく進むのならまったく必要はない。意味があるかどうかも分からないし、それによる影響も予測できない。しかし、より深部へ進まないと活動自体が困難であったり、存在すると予想される涅槃寂静よりも上の単位への干渉が必要となった場合は二人に率先して行動を起こしてもらう。そう依頼していた。
問題があった時に通信ができるとは限らない以上、即座に行動に移せる者が必要だという考えである。
そうして、作戦開始前の一時間が過ぎていく。モニターしている作戦参加メンバーも個別のブリーフィングは終了して、待機状態にあるようだ。
事前にやれる事はやったはずだ。無量の貌が突然襲来した時のような唐突さとは比べるまでもなく、闘争の準備を整えられた。
とはいえ、それは準備段階での事。ここからが本番で、苦しい展開になるのは容易に予想がつく。特に俺に課せられたハードルは高い。失敗すればあとがない。取り返しの付かない上に勝率の低い大博打。しかし、博打には持ち込めた。
全員救助して大団円といきたいところだし、理想ではあるが、それは事実上不可能だろう。
対象の精神性によって差はあるが、簒奪の進行状況は一定じゃない。特に冒険者ではない者は厳しいと思われる。どれだけ覚悟を決めようが、慎重になろうが、絶対に取り零しは出る。そして、救出に向かう者たちからも犠牲が出る確率は高い。それは呑み込まなければならない。
この作戦はすでに発生してしまったマイナスを取り戻してゼロにするものではなく、"ゼロに近付けるためのもの"だ。失われたものを無理やり奪還するための反則技であり、これらはすでに一度取り零してしまったものという事を忘れてはいけない。
「作戦開始一分前。十秒前からカウントダウンを開始します」
セカンドが報告する。
俺がやるべき事は全体の戦況把握と指示。あとは無量の貌をダンジョン化させる事。
カウントダウンが始まる。
失われたものを取り戻すための、有り得ざる作戦が始まる。
モニターに映る冒険者たちの顔は真剣そのもので余裕が見られない。
気負うなと言いたいところではあるが、そもそもそんな余裕など俺たちにはないのだ。
意識を背中の《 土蜘蛛 》に集中。アクションスキルとして、世界の改変を行う。
――Action Skill《 土蜘蛛 》――
反則技を使ってようやく博打。そんなふざけた作戦が始まる。
-117/117 [ 02:00 ]-
無量の貌攻略戦は静かに始まった。
意味不明な構造とはいえ、体をダンジョン化し、接続するという事は停止した時間が動き出す事と同義である。天体規模に広がる巨躯のすべてが動き出したわけでないにせよ、その影響は免れない。
体をダンジョン化されるなど無量の貌にとっても初の体験だろうが、そのまま気付かず何もせずというのは考え難い。体内に侵入した異物に対しどの程度の反応を見せるか、どの程度の速度で対処してくるのかが攻略の鍵を握っているのは間違いないだろう。おそらくは、時間経過に合わせて影響は広がっていくはずだ。
何もかもが未知。前例のないダンジョン・アタック。ここからは手探りと予測で突き進む。
『こちらサイガー班。ビンゴだ。ダンジョン内部は現実世界とほぼ同じ構造が広がっている』
作戦開始直後に朗報が届いた。
『現実との差異としては、色彩が斑だ。おそらく侵食率の高い部分が現実世界に近く、低い部分は色が薄くなっているのだろう。侵食によって取得している情報の差か何かか……色の薄い部分は見えているだけで移動できんな。未侵食の場所は視覚的に補完しているのか。……とりあえず、救出活動に影響はなさそうだ』
移動は限定されるが、そもそも侵食されていない部分に涅槃寂静がいるとは思えない。サイガーさんの言うように問題はないだろう。
「周りに敵影は?」
『……おらんな。涅槃寂静どころか、現実世界には大量にいた顔すらおらん。ワシたちは情報収集しつつ、予想されていた救出ポイントへ向かう。とりあえず、発着場まではそちらのメンバーも同行してもらうがいいか?』
「構いません。……濁流のように顔がいた場所なんで気をつけて」
通信が途切れる。同行していたウチの連中からも特に補足はなかった。現実とリンクしているにも拘らず、あの大量の顔がいないのは気になるが、一応は好材料だろうか。
発着場は全体を見渡しても顔の多かった場所だ。ティリアとサージェス、そしておそらく銀龍がそこで簒奪されている。ひょっとしたらヴェルナーが陣取っている可能性もある。
「セカンド、用意していた立体マップを表示。各グループの現在位置と分かる限りの簒奪ポイントを重ねてくれ」
「了解しました」
そのままである保証はないが、現実世界とリンクしているのなら通常のマップをそのまま流用できる。
宙空に表示されるのは回廊から龍世界の3Dマップと簡易的な2Dマップ。それぞれに冒険者の現在位置を示す光点が表示される。
元々クーゲルシュライバーが取得していたデータを元にした地図のため、無量の貌出現後に崩壊した部分は反映されていないが、これでも十分だ。事前に聞き取り調査した簒奪ポイントは参考データにしかならないが、ひょっとしたらここに救出者がいるかもしれないという目安にはなる。これも各リーダーを通じて共有する。
そして、サイガーさんに遅れて紅葉さんから通信が入った。
『全体確認が遅れました。A、並びにC-F班全員が無事ですが……』
「……何か問題が?」
『突入時の環境変化か、低ランクのメンバーが数名ショック状態に陥りました。すぐに復帰できましたが、想定以上に精神へのダメージがあります』
連絡が遅れたのはそれか。懸念していたとはいえまだ序盤も序盤、涅槃寂静と接触すらしていない状態でコレは先行きが不安になる。
ディルクが共有する情報を見れば、確かに脳波に異常が見られる者が見られた。
現在は安定し始めているようだが、特に危険なのがE3とF3に一名ずつ。そこまでいかなくとも、やはり低ランク、それも精神系異常の耐性を持たない者や魔術適性の低い者への影響が大きい。影響を受けているというだけなら、ほぼ全員だ。
例外はユキとベレンヴァールだが、それでも皆無ではない。ギフトとしての影響を受けなくても、精神ダメージ自体は存在している。
「離脱の判断は任せます。こちらに信号を送ってもらえれば緊急脱出処理を行いますんで」
危険域と判断されれば自動的に脱出する仕組みになってはいるが、それだけに任せるわけにはいかない。精神ダメージが危険域でないから活動できるかといわれれば、当たり前だがノーだ。むしろ、足手纏いになりかねない。
「他に気になった事はありますか?」
『現実世界と構造がほぼ一致しているのはこちらも同じですが、侵食率の関係か、サイガーさんの通信にあった風景の斑はほとんど見当たりません。あとは、今のところ事前情報にあった体感時間の差が感じられませんね。共有情報の時間経過と比べてもほぼ一致……いえ、わずかに差があるか……』
やはり、クーゲルシュライバー周辺は高密度で侵食されていたというわけだ。
時間感覚の差は誤差程度。なら、活動時間の見直しが必要になるかもしれないな。
「……若干だが、B班との通信速度に遅延が発生している。距離の問題か、侵食率の問題か、それ以外の要因かは分からないが」
合わせて、ラディーネの報告。体感時間の差は不明瞭なところが多いな。
『周りに涅槃寂静の姿が複数。ただ、涅槃寂静のみで顔はいません』
サイガー班同様、ダンジョン化した体内に無数の顔はなし。涅槃寂静がいるという事は、それが体内における最小単位なのかもしれない。……それなら、多少は楽になるか?
『では、A4を涅槃寂静に接触させますので、外部からのモニタリングをお願いします』
「了解……だが、接触といっても」
『まったく反応していない個体がありますので、直接触ってもらいます。体感時間がそのままという事は時間がないので』
「……分かった。簒奪には注意して下さい」
大胆だが、確かにそうだ。極端な精神汚染を受けるかもしれないが、紅葉さんや行動するパーティが認識していないはずもない。そのまま涅槃寂静の接触テストへ移行する。
『全チーム、A4を周囲の涅槃寂静から防衛! 近付けさせるなっ!! A4、接触カウント5、4、3……』
通信の向こうが戦闘状態に移行する。かなり急いだカウントダウンだが、A4のメンバーもスムーズに動いているようだ。
「A4の情報を注視! 最悪ノータイムで強制脱出処理を行う準備だ」
ラディーネとセカンドに視線を送ると、二人とも頷いた。
『……0! A4、涅槃寂静に接触』
「何か変化は?」
『まだ何も……いえ、接触した者の動きが止まった? A3、C2とスイッチっ!! 遠距離型の涅槃の指を優先して殲滅っ!!』
くそ、もどかしい。俺がダンジョン化をしている以上どうしようもないのは分かっていても、その場にいない、直接手が出せないのがこうも負担になるのか。ぶっちゃけ性に合わん。
「対象の脳波に異常。二名が危険域に突入。バイタルにまで影響してます。このままでは心停止も……」
セカンドの平坦な報告。対象のステータスを見れば、あらゆるバイタルサインが危険な状況に突入している。このまま放置すれば死ぬ。
『緊急脱出用に設定したバイタルの閾値をカットして下さい。このまま続けます。緊急脱出はさせません』
「しかし……」
『たかが死ぬだけ。最悪、廃人になろうが呑み込んでもらいます。ここにいるのはそういう覚悟の元に参加している者たちです。……これは現場総指揮官としての判断なので、責任は私に』
非情ともいえる判断だが、それでわずかにでも情報を掴めるなら……。
確かにこれはダンジョンだ。死のうがそれで終わりではない。廃人になろうが、《 土蜘蛛 》で改変を行えば元の通りだ。
だが、それを呑めというのか。
「……セカンド、閾値カットだ」
「了解」
これで命綱の一部が切り離された。現場の判断という隠れ蓑で気を使われてしまった。
「閾値なしで活動する以上、第一に懸念すべきは精神ダメージで動けない状態で簒奪される事だ。可能な限り個人の状況をリアルタイムで把握。集団で行動している今はいいが、単独で行動し始めたら要注意」
閾値を解除しても強制脱出処理ができないわけじゃない。万が一に備えて、いつでも対応できるようにしておく必要はある。
「接触したA4の内、一名が心停止。冒険者の復活処置に移行します」
早くも一名が脱落した。復活処理は正常に動作しているから、最悪とは言い難いが……。
「紅葉さん、何か情報は」
『ちょっと待って下さい。意識が戻りました……はい……はい』
接触した者に聞き込みを開始したのか、通信が断続的になる。
ならば、とリストを確認してみれば、それまで空欄だった場所に名前が追加されていた。
『どうやら救出に成功したようです。隔離処理をお願いします』
「ああ……ネームレス」
「りょーかい」
あっけないというべきか、一人救出するために多大な被害を出したというべきか。……いや、少なくとも救出できるという実績は作れたのだ。ここはプラスに考えるべきだろう。
隔離部屋をモニタリングしてみれば、確かに男性が一人転送されて来た。意識を失っているが、死んではいないように見える。もちろん実体ではなくカオナシも別にいるのだろうが、転送されて来た体にはちゃんと顔はあった。
そして、それを追うようにして危険域だったもう一人の冒険者が死亡した。これで脱落者は二名。
『これではっきりしたのは、救出対象が涅槃寂静の中に取り込まれていた事。少なくともこの被害者に関しては顔や名前が欠けてはいない事。救出自体は可能だったという事。接触した直後、精神世界のような場所へ移動したようですが、内部活動の詳細は不明。ただし、体感時間は一日や二日程度ではないという事で一致しています』
つまり、ガウルたちが体験した世界はあくまで涅槃寂静の内面世界であるという事か。
「ワタナベ君、時間経過と共にダンジョン全体で時間の流れが歪み始めている。音声に関しては自動で同期させているが、体感的にはやり取りで時間差を感じているはずだ。また、先行しているB班との通信は更に遅延が見られる」
「距離と時間経過で時間の流れに差が生まれているって事か」
「あるいは、無量の貌がどれだけ反応しているか、か……どのみち、時間が経過するほどに実時間と乖離していくと考えるべきだろう」
少しずつ状況が推移する。とりあえずだが、救出のきっかけは掴めた。脱落者は出たものの、出だしとしては上々……。
『各パーティ散開! 反応しない涅槃寂静を探索し、位置情報を共有! パーティ単位で行動し、涅槃寂静に触れる際は必ず複数名で当たれ! 渡辺さん、精神世界に突入した者から情報提供がありました』
急に行動指示を始めた紅葉さんだったが、どうやら何か特別な情報を入手したらしい。
『精神世界内で涅槃寂静そのものと会話したそうです』
-115/117 [ 01:45 ]-
目まぐるしく変化する情報を注視しつつ、状況を見守る。報告がなくても可能な限り情報を見落とさず、即座に対応、指示を出せるように。
精神世界で涅槃寂静そのものと会話したというA4のメンバーからは極めて有益な情報が得られた。
・涅槃寂静は内部に数百~数万の意識を内包し、統括している
・彼らは内部で簒奪した情報を処理し、無量の貌に取り込む下準備を行っている
・本人も認識していないが、おそらくこの処理中は活動が行えない
・顔と名前は一つでセット。一つの魂として認識させるには同時に取り込む必要がある
・バラバラに簒奪された場合も回収され、単一の個体で処理が行われる
・涅槃寂静の単位で取り込めない魂の場合は、最低限の処理のみを行ったのち、より上の単位の元へ送られる
・基準は不明だが、強い魂は涅槃寂静の権限では取り込めない
・無量の貌の目的は膨張。魂とそれに紐付いたギフトを組み込む事で成長する事。全体意思はそれで統一されている
・大量の顔は無量の貌から漏れ出した末端。簒奪のみを行う老廃物のようなもの
・明確な意思を持つ最低単位は涅槃寂静だが、極少数の例外を除き、涅槃寂静は自動的に行動している
・基本的に涅槃寂静単位では簒奪対象を敵として認識していない
・内面世界へと潜った冒険者もただの異物程度にしか扱われなかった
・内部の涅槃寂静を殺した直後、実体が崩壊し、内部から対象が救出された
彼らはいうなれば人体の細胞のようなもの。予め定められた行動をとっているに過ぎず、意思があるように見えるのは内包する魂が表面化しているだけで、活動を大きく左右するものではない。内部に乗り込んで来ても、冒険者は敵として見做されているわけではなく、ただ反応として排除を行うべく行動しているだけという事か。
俺たちが最初に出会った涅槃寂静……ティリアを回収に来たという個体で誤解させられていたが、彼らはもっと自動的で、もっと大きな単位の行動に従っているだけという事なのかもしれない。内部で会話が成立したのもそのためで、嘘をついたり、誤魔化したりするという考えさえ持たないらしい。内部で戦った際にも、ほとんど戦闘行動は行わないまま殺されたという話である。
紅葉さんが急ぎ出したのは、現在も内部で簒奪処理が継続中という事が原因らしい。外界の時間停止による影響は別として、少なくとも作戦中の今は処理が進行している。どういう形でかは分からないが、処理が完了して取り込まれたらアウト。より上位の個体へ処理が移管されていても救出は困難になるという事からの判断である。
つまり……《 名貌簒奪界 》の終了を待たずとも簒奪は完了する。簒奪すべてが完了するのが《 名貌簒奪界 》の終わりかもしれないが、それ以前の段階で救出不可能な者は出てしまっている。
思えば、リストを作成している段階で違和感はあったのだ。誰も知らないというには不自然な空白がいくつかあった。
俺が《 因果への反逆 》を使って無効化できるのはあくまで簒奪が完了していない者の記憶だ。特異点という限定的な空間でのみ通用する特別ルールに過ぎない。覚悟はしていたつもりだったが、完全無欠の大団円など有り得ないと突きつけられていた。
「なるほど。過去の事例と照らし合わせてみれば、納得できる話ではあるな」
その話を聞いて、ゲルギアルは一人で納得していた。
「……あらゆる情報から補完して全体の状況を把握、取捨選択、咀嚼、予測した上で全体を動かすのは指揮官の役割だ。自分の存在を投影し、そこにいるのと同じ感覚を掴めれば現場に近い判断もできるだろう。それをすべての局面で行うのが理想だ」
言っている事が指揮官の心得のようなものというのは分かるが……どういう風の吹き回しだ?
「……アドバイスか?」
「先達の助言と思い給え。私の知る因果の虜囚ならそんな事を考える必要はないが、お前は今後必要になるだろう」
意図が掴めない。単に味方としてのアドバイスだとしても、何故その内容なのか。その選択に意味がないとも思えないが。
「在り方の問題だ。……おそらく、お前はそういう風にできているのだろう」
「まあ、助言というのならありがたく受け取っておくよ」
別に間違った事を言っているわけではない。今のこの状況、戦況把握は必須に近い。
どこで何が起きているのか、どういう環境にあるのか、ディルクの理想とする全体指揮には届かなくても限界まで情報を把握して判断材料を積み重ね、判断し、伝え、動かす。足りない情報があろうと、暗中模索するのが指揮官だ。それに比べれば過多ともいえる情報が揃っているこの環境は恵まれている。
しかし、自分の手でそれを行えない事、人にそれを託す事がどれだけ不安で苦しい事か。どうしても俺がその場にいればと考えてしまう。
『こいつぁやべえな……』
紅葉さんがクーゲルシュライバー周辺での救出活動に移行する中、再度サイガーさんからの通信が入る。
『発着場の地下部分に涅槃寂静が山積みになってやがる。これを掘り起こすのは骨が折れそうだ』
発着場自体が埋まるほどでないにせよ、山積み。予想していた事ではあるが、現実世界での激戦地はダンジョン内でも激戦地だ。顔が雪崩のように押し寄せ、地下道から地上近くまで浸透していた発着場ならそれも当然なのかもしれない。
空龍の《 虚無へ還る撃咆 》で空いた大穴にも涅槃寂静の姿が確認されているようだ。
「ユキとベレンヴァールを軸に救出活動をお願いします。その二人なら簒奪の影響が薄い。精神ダメージを無視して救出できるかも……」
『いや、それは無理らしい。たった今、紅葉のところみたいに無反応の奴に触れてはもらったが、二人は内部に潜れなかった』
くそ、そこまで無効化してるって事か。接触によって発生するのが簒奪処理の一種という扱いなのか、それなら簒奪可能な者でないと意味がないというのも分かるが。
「ユキ、ベレンヴァール、とりあえずサイガー班の活動を優先。以降は自己判断で行動しろ」
『ああ、了解し……』
そこで通信が切断された。妨害か何かかと思ったが、時間差による影響で同期が不可能になったらしい。
「全体的に時間の流れが不安定になっている。以降は波のようにやって来る同期のタイミングでしか通信できそうにないな」
「分かった。不安定になっている事を《 情報魔術 》を通じて伝達。時間差があるだろうが伝わりはするはずだ」
時間差があろうが、掲示板のような役割なら問題ないだろう。電子機器が使えればもっと楽だったんだが。
本格的に内部との時間差が生まれている。現時点では大して差のない時間感覚だが、最終的には内部でどれくらいの体感時間を過ごすのか。長時間のダンジョン・アタックに慣れている冒険者だとしても、事前情報なし、休憩をとれるかどうかすら分からない中での活動は未体験のはずだ。
-102/117 [ 01:20 ]-
作戦開始から四十分。
ブリーフィングルームは静寂に包まれている。作業音と、定期的に更新される情報群だけが時間の流れを感じさせた。
時間差があるから、内部の状況を知るのは《 情報魔術 》から共有される値によるものが主になる。通信は断続的に繋がるが、その頻度も激減している。数少ない報告によれば、内部時間は現時点でさえ数倍に膨れ上がっている。涅槃寂静の内部に入る場合は更に数十倍、数百倍になるだろう。
救出状況だけはほぼリアルタイムで観測できた。涅槃寂静から解放された者が出た直後にその位置情報を入力、それを認識した時点でネームレスが転送を開始する。時間差のせいでこちら側からはタイムラグを感じるが、内部からは位置情報を入力した直後に転送されているように感じるはずだ。
今のところネームレスは特に不満も言わず、真面目に作業をこなしていた。素直なのは不気味だが、今はそれが助かる。
作戦開始から四十分時点で、救出者は五十七名。……おそらく、多いのだろう。内部での奮闘ぶりを窺わせる人数だ。
一方で脱落者も出ている。最初の二名と合わせて十五名。どれも低ランクの冒険者である。原因のほとんどが涅槃寂静との接触によるものだが、一部は戦闘によって死亡した者もいるらしい。
救出者や脱落した冒険者、ダンジョンから脱出した者のほとんどは昏睡状態。中には意識が残っている者もいるが、そのすべては会話すら困難なほどに錯乱、あるいは発狂状態にある。薬や魔術で治療しても、大した効果は見られない。
放置するのもまずいという事で個別に転送、隔離しているが、帰還した者たちから情報を得るのは難しいと考えるべきだろう。どちらにせよ、聞き取り調査をやっているような時間はないのだが。
予備部隊だったオーギルたちはすでにダンジョン内に突入し、紅葉さんの部隊に合流を果たしている。
各種アイテムの補給、脱落したメンバーの補充としても活躍しているようだが、物資の消費が予想以上に早い。武装の類はそれほどでもないが、特に大量に用意したはずの精神治療用のポーションが異常な速度で減少している。
現場でもそれを感じているようだが、常時精神ダメージを受けるような環境で使用を惜しむのも自殺行為だ。
……人的、物的共に、リソースが削られ始めていた。
-71/117 [ 00:55 ]-
更に時間が経過する。まるで、ブリーフィングルームまで時間が遅れているかのように感じるほどに長い数十分。
その癖、俺の感情の大部分を占めるのは焦りだ。
救出者の数は増えている。結果だけを見れば順調に見えなくもない。しかし、数値の上で伝わってくる作戦参加者の消耗具合が想定以上だ。内部で多くの戦闘が発生しているのか、HPやMPなどの比較的上下し易い値でさえ反応が鈍い。
時々繋がる通信では誤魔化しているように感じるが、怪我や疲労なども限界が近い。おそらくは消費アイテムでさえ底を突きかけているのではないか。あるいは、回復する間をとれないほど頻繁に戦闘が発生しているのか。
内部での体感時間はゆうに数ヶ月を超えているだろう。その間、まともな休息がとれているかも怪しい。
おおよその活動限界と判断した一時間は過ぎている。この時点で半数以上が奮闘しているのは僥倖といえなくもない。しかし、同時に非常にまずい状況だ。どこか一箇所が決壊した時点で全体が崩壊するような、そんな状況が予測される。
一体、あとどれくらい保つ? どれくらい救出できる? 無量の貌がカウンターを仕掛けてはこないのか?
予想すらしていない事故が起きたりはしないか? そもそも、開始前にできる事はまだあったんじゃないのか?
不安と焦り、葛藤ばかりが脳裏を支配していく。
帰還者の中で意識を取り戻した者も現れ始めているが、比較的状態が安定している者でも会話は難しい。
……情報が足りない。これだけの膨大な情報に囲まれて尚、現場を感じる事ができない。
どれだけの苦境にあろうが、俺がそこにいれば引っ繰り返してやると言いたいのに。今になって、最初にゲルギアルからかけられた言葉を痛感していた。
落ち着け。冷静に、冷酷に、情報を把握して判断し、指示を伝えろ。それが今俺にできるすべてだ。
-35/117 [ 00:30 ]-
ガルディスのグループD、フラファジヤのグループFが完全に脱落。グルジカのグループEもほぼ壊滅。他のグループも半壊し、現場では再編を繰り返す。ここまでも脱落、再編は行われてきたが、それが顕著になって来た。部隊としてはそろそろ機能するか危うい状況だ。
奮闘していたサイガーのグループBも残り三名。おそらく最激戦区である事を考慮すれば、最年長の意地を感じさせる。
適性か、経験による慣れかは分からないが、ウチの連中は全員が無事だ。数値だけ見れば決して無視できるダメージではないが、奴らはそれに慣れている。俺の権限による特別参加。ランクは他の冒険者よりも低いが、しぶとさなら圧倒しているぞ。
しかし、時間的にも消耗的にもそろそろ限界だ。現時点の生き残りである三十五名だって、ウチの連中を含めいつ脱落してもおかしくはない。
救助の人数も伸び悩んできた。比較的救助が楽な対象は回収し終えたのか、紅葉さんたちも再編の上で深部へと向かっている。
救助の中で簒奪処理が完了した者も確認されている。すでに思い出す事はできない。誰なのかは分からない。しかし、記憶とリストの空白がそれを物語っている。
また、作戦に参加した冒険者の中からも簒奪された者が現れた。名前も分からない三名が、新たに簒奪されてしまった。
一体どういう状況で簒奪されたのかの情報はない。その場にいた者を含めて誰も覚えていない。完全に取り込まれたとは限らない。涅槃寂静から得た情報を信じるなら、より上位の単位へと処理が移行した可能性だって十分に有り得る。しかし、もはやそれが誰なのかを確認する事すらできないのだ。
不甲斐ないと罵るか。散っていった冒険者は情けないか。こんな地獄のような状況の中、内部で奮闘を続けている冒険者たちにもっと頑張れと言うのか。
……言うしかないのだ。それを呑み込んで、被害を呑み込んで、直接手を出せない屈辱を呑み込んで、尚指示を出し続けるのが後方指揮官なのだから。
容易に損切りができる戦場ではない。負ければそれで終わりだ。
もういい、諦めろと言えない事がこれほどまでに苦しい。頑張れと応援する事がこれほどまで苦しい。
-24/114 [ 00:15 ]-
状況は終焉に近づいている。
残った冒険者はわずか二十四名。その二十四名でさえ、限界を超えているとはっきり分かってしまう。
残る主な戦場はクーゲルシュライバー発着場とシェルター。この二つの攻略がどうしても進まない。
現実世界で濁流のように押し寄せていた顔に埋もれていた涅槃寂静はそれほどまでに多かったという事だ。
数だけの問題でないのはシェルターのほうだ。こちらはそもそも辿り着けてさえいない。
立ちはだかる涅槃寂静の群れに加え、シェルターという構造が物理的に道を阻んでいる。簒奪された者がいる以上、侵入するルートはあるのだろうが、それを探索する余裕がない。
ここまでで当初の予定であった半数以上の救助には成功した。この作戦における最低限はクリアしている。
冒険者はもちろん、参加していた一般人も多く救出している。龍の救助は予測されていた総数から見れば少ないが、それでも半数だ。
特異点に打ち込まれていた楔の大部分は取り除かれ、このままでも《 土蜘蛛 》の因果改変には足りる。
しかし、ここで作戦を止める事などできはしない。無謀か無茶か、それは分からないが、今尚奮闘を続ける者たちは最後まで抗い続ける。それこそ、すべての救助を終えるまで止まらない。作戦途中で簒奪された者でさえ助けようとするだろう。この作戦に参加しているのはそういう者たちなのだ。
犠牲を許容できない。失われた存在を取り戻したい。それが、この作戦以降は失われる記憶、元々なかったものとして扱われるものだとしても受け入れられない。……いや、だからこそ受け入れられない。そんな自分がこの道の先にいる事が許せない。
しょうがないと切り捨てられるなら、自分の身を危険に晒してまで参加などしない。自分を誤魔化して参加したとしても、作戦の途中で投げ出すだろう。準備段階でほとんど関わる事のなかった者たちだが、彼らは疑う余地もなくこの作戦でより良い結果を求めている。叶うならば、最上の結果をと。
俺にそれを止める権利はあるか。資格はあるか。
そんな事を考える事すら罪ではないのか。そもそもの原因は俺なのだから。
眼の前にある眩いものに照らしつけられ、今にも崩れそうな、俺を支える砂上の楼閣が顕になった気がしていた。
-23/114 [ 00:14 ]-
また一人脱落した。預かっていたグループが崩壊し、紅葉さんのパーティに組み込まれたグルジカだ。
もはや、パーティとしての形を保つ事すら困難な状況だろう。こんな状況で、この先どれだけの戦果が上げられるというのか。数値だけ見ても冒険者たちの状況は最悪に近い。踏み止まっている者の多くはいつ精神崩壊を起こすか分からないような有様だ。あきらかに物資も底を突いている。
本当の意味で、当事者の気力だけが現場を支えていた。
ここまでの救出者の中に俺の見知った顔は極端に少ない。
このまま終われば、サージェスもティリアもおっさんもヴェルナーもリグレスさんもグレンさんも戻っては来ない。
銀龍も、刃龍も、豪龍も、人龍だって失われたままだ。
美弓だって、前世の記憶を失ったままで人格を保てるか。
個人的な感傷ではある。簒奪された者たちの中で、一切深い関係を持たなかった者がいるとも思えない。しかし、それでも身を切るような苦しさが俺を襲っている。
時間延長はできる。先の期待ができるなら、そんなコストは些細なものだ。
しかし、本当にこれ以上の戦果が期待できるのか?
これ以上無理した先にあるのは、更なる被害ではないのか。影響を無視できるユキやベレンヴァールは別としても、ガウルたちや紅葉さんが簒奪されないという保証はない。そんなもの最初からありはしないが、限界を超えて尚その危険を呑み込めるのか。
ここが限界なのか。
俺なら、俺が現場にいればどう答える。……当然、まだやるというだろう。誰かが止めないと、倒れるまで突き進むだろう。ならば、憎まれてでもそれを止め、終わりを決めるのが後方指揮官の役割ではないか。
どうする。どうする、渡辺綱。
ここまで食い散らかした犠牲は許容できても、目の前の仲間は許容できないのか?
そんなに多くを望めるほど上等な人間なのか?
そもそも、それはすでに一度手から溢れ落ちたものだというのに。
「……くそ」
口から漏れるのは、それだけ。
諦めるしかない。ここが限界の戦果だ。ここまでで十分上等だろう? 決断を下すなら早いほうがいい。
-22/114 [ 00:13 ]-
そんな葛藤を続ける中、もう一人、ここまで奮闘していたロベルトさんの脱落が確認された。この状況で更に二人救助した上での脱落には脱帽しかできない。
……終わりだ。ここで止めるべきだ。俺はただ、その一言を伝えるだけでいい。
「…………」
しかし、言葉が出なかった。やらなければいけない、果たさなければいけない責任があまりに重く口を閉ざしていた。
「ここで……」
だが、それをするのが責任をとる者だと……歯を食いしばる。
『こちらグレンだ。聞こえるか、渡辺君』
作戦の終わりを告げる正にその瞬間、通信の向こう側から有り得ない声を聞いた。
反応して顔を上げるが、思わず思考が停止していた。
一体どういう事だ。何故、グレンさんがそこにいる。どういう理屈でそこにいて通信している。確かに簒奪された者の一人ではあるが、何故離脱もせずに内部に留まっていられるのだ。
『どうした、繋がってると思うんだが』
「あ、はいっ!! ……ちょっと混乱してて」
幻聴すら疑ったが、通信で聞こえてくる声は確かにグレンさんのものだ。俺だけでなく、ラディーネも目を見開いているのが分かった。
冷静に考えれば有り得ない話ではない。ここまでやらかして来た無茶苦茶に比べれば十分有り得る話ではあった。
簒奪された救助者は死んだわけではない。極度の精神ダメージは受けていて、活動ができなくなっていただけだ。
精神ダメージに強い者であれば……上級ランクのような強者であれば、簒奪されたあとでも自我を保っている可能性はあった。解答に至っても無茶苦茶だとは思うが、現にグレンさんはこうして話しかけている。
『サイガー殿に救助してもらった。不甲斐ないとは思うが助かった。近くに豪龍も一緒にいる』
「よ、良かった。グレンさんと豪龍だけでも……救助者用の隔離エリアがあるんで、そこに転送を……」
『断る』
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
グレンさんは作戦に参加している冒険者とは違う。肉体はカオナシとなって龍世界にいて、その関係性は絶たれたままだ。
無事なまま作戦を終え、因果改変を行えば元のまま生き返るだろう。だからこそ、救助者用の隔離エリアを用意したのだ。
もし、この状態で死ねばどういう結果になるのか想像もつかない。なのに、避難を断る?
『私はまだ先達としての責任を果たしていない』
何を言っているのか。いや、ここまで言われれば次に何を言われるのかの予測はつく。だが、それを許容していいのか。
『私はこのままシェルターの相当エリアへ向かう。同じように、虎や吸血鬼にも責任を果たさせないとな。豪龍も衛星へと向かうそうだ』
「しかしっ!!」
受け入れていいはずがない。せっかく掬い上げた失われたものをわざわざ捨てにいくようなものだ。
すでに3/4が脱落しているような現状で、一人二人加わったところで簡単に好転するとも思えない。
だが、だがしかし。
『転送は断じて拒否だ。私と豪龍は勝手に作戦に参加させてもらうぞ。情報を共有してくれ』
通信越しに伝わってくるグレンの声、途方もない安心感を与えるものだ。指揮官とはこうあるべしというイメージを突きつけられているようにも感じるほどに。
俺の判断を待たずラディーネが操作したのか、《 情報魔術 》のステータス一覧にグレンさんと豪龍のものが追加された。
ラディーネに視線を向ければ、こちらを振り返る事なく手をヒラヒラと振っている。言葉はなくとも『やらせてあげたまえ』とでも言いそうな雰囲気だ。
「なんだ、やるじゃないかグレン君」
ボソリと、俺にしか聞こえないような声で目の前のネームレスが呟いた。
『なに、君にはまだ巨大な仕事が残っているのだろう? ここは"私たち"に任せたまえ』
グレンさんの通信に被さるように、咆哮が聞こえる。それはおそらく、豪龍の雄叫びだ。
無数の龍たちを束ねるべく期待される五龍将の本来在るべき姿だといわんばかりの声だ。
-24/116-
『行くぞ、作戦は続行だ』
……そして、反撃の狼煙が上がる。
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