第10話「在るべき世界」




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 ここは平行世界だ。以前ダンマスから聞いた、俺が一人で迷宮都市へとやって来たというユキのいない世界。

 リリカやフィロスたちとパーティを組み、多少優秀ではあるものの、大きく逸脱はしていない程度に冒険者をやっている世界。

 もちろん間違っている可能性は高いが、ここまで分かった範囲で情報を照らし合わせるだけでも、ほとんどの部分が一致する。

 あまりの急展開、超展開ではあるものの、ここまでの体験と比べれば前後の脈絡がない程度の印象しか湧かない。有り得るかもしれないと思う程度には、俺は無茶苦茶な展開を潜り抜けて来ている。


 それが分かったが、何故俺がこんなところにいるのかは分からない。

 直前の記憶はゲルギアルに殺された瞬間。あの細剣が振り下ろされた直後、ここへとやって来た。

 ……そのはず、だ。

 ゲルギアルに殺されてから、一体何があればここに来るというんだ。まさか最後の一撃がただの斬撃ではなく、なんらかのスキルが付加されたものだとでも……。

 まさか、死んでいないとか? あいつは空間を切り離したから自殺は無意味だとか言っていたが、ダンジョン内で死んだのと同じように……いや、それにしたって不自然極まるだろう。死亡時にどこへ転送される設定になっていたか分からないが、こんな意味不明な場所へ飛ばされる事はないはずだ。……まさか、これがダンジョンで死亡した際に体験するという復活までの流れとか……もしくは単に走馬灯のような。


 左腕は……ある。腹を擦ってもヘソまで裂けるような傷はない。服が血塗れという事はないし、その服も何故か小綺麗なスーツだ。


「どうしたの? 何か探しているとか」

「あ、いや……」


 リリカには、俺が自分の体を弄っているのが何かを探してるように見えたらしい。


「……ステータスカードはどうしたっけ?」


 何かそれっぽい言い訳をしようととっさに思い至っただけだが、カードを見れば色々確認できるかもしれない。


「そりゃギルドだけど」

「……ああ、中級昇格したんだから、更新処理するのが当然だよな」


 そうだ。確か九月の時も同じで、翌日の新中級冒険者向け講習会で再配布されたんだったか。

 ……リリカの視線が疑惑に満ち始めている。そんな、当たり前の事も分からないなんて不自然極まるだろうな。


「普通忘れないと思うけど……何かあったの? 突然、様子がおかしくなったけど」


 ……さて、どうする。別に正直に話してもいいんだが、信じてもらえる要素が皆無だぞ。

 これが何かのエフェクトと共に現れましたとかならまだ信じられるかもしれないが、この様子から察するに前兆などなかっただろう。今まで話していた奴がいきなり平行世界人ですとか言い出しても困惑するだけだ。

 なんというか、エリカの苦労が偲ばれるな。エルシィさんに説明した時といい、信じてもらうためのハードルが高過ぎる。


「あー、その、なんだ……俺自身めっちゃ困惑してるんだが……とりあえず記憶喪失って事で納得してはもらえまいか」

「どうしよう……また何か変な事を言い始めた」


 どうやら、こっちの俺はまたとか言われるくらいには変な事をしているらしい。正直、今は助かるが。


「記憶喪失っていっても、自分が誰だか忘れてるようでもないみたいだけど」

「まあ、思考実験か何かだと思ってくれ。俺、渡辺綱ダッシュ。似て否なる者だから。OK?」

「お、おーけー?」


 よし、性格にそこまで違いはなさそうだから、このまま押し切ろう。

 リリカなら、良く分からない事で捲し立てられるのは苦手なはずだ。こういう場合、避けなければいけない地雷は身長と魔術の話題だけである。


「……それで、思考実験って何するつもりなの?」

「記憶喪失……って設定だからな、現状認識から始めたい。まず、今日の日付は?」

「三月十五日だけど」

「何年の?」

「迷宮歴〇〇二五年。王国歴なら確か七百……」

「いや、王国歴はいいや」


 王国で使われてる暦なんて知らないし。

 二五年三月十五日って事は、俺の認識から見て時差はほとんどない。セカンドの報告を見た限り、ゲルギアルに殺されたタイミングがほぼ現時刻であると考えて良さそうだ。


「じゃあ、次に……私は誰?」

「ツナ君。迷宮都市の冒険者をやってる渡辺綱」

「あなたは?」

「リリカ・エーデンフェルデ。えーと……同じく冒険者。あと魔術士」


 なんで言い淀むんだろうか。


「ここはどこ?」

「冒険者の中級昇格式典。この四半期で中級昇格の条件を満たした人が出席するパーティ。もっと広い意味なら、迷宮都市?」

「クーゲルシュライバーって知ってるか?」

「くーげ……何? 知らないけど」


 ……ふむ。ここまではおおよそ、想像通りの答えが帰ってきたな。

 これにフィロスたちとパーティ組んでる事を加えたら、以前ダンマスから聞いた平行世界の話と一致する。……ああいや、隣接世界とかいうんだっけ?


「っ……!!」


 頭に鋭い痛みが走る。なんだこれは。頭痛なんてレベルじゃなく、もっと強烈な……。


「え、ちょ……どうしたの?」

「……いや、なんでもない」


 これは……魂の門で過去を思い返そうとした時に走ったのと同様の痛みだ。

 ……俺は今、何を思い出そうとした? 隣接世界? いや、それ自体は覚えていて当然の……いや、変だ。何かが間違っている。何か、大きな前提条件を忘れているような……。


『おそらく、そのエリカって子は知らないんだろう。ダンジョンマスターが生まれた世界の可能性は収束し、分岐しなくなる。在り得た可能性として観測する事はできるが、この世界以外に俺がダンジョンマスターとして存在し得る世界は存在しないって理屈だ』


 そうだ。確かダンマスはそんな事を言っていたはずだ。

 隣接世界は可能性の世界。そういう可能性が在り得たというシミュレーション結果を観測しているに過ぎないと。

 俺がダンジョンマスターなわけでも直接観測したわけでもなく、ダンマスやリリカに聞かされた話でそういう世界があるって認識になってしまっていたが……ここは平行世界として存在しないはずの世界なはずだ。ダンマスがいないというなら話は辻褄は会うが……。


「リリカってダンマスと会った事あったっけ?」

「ダンジョンマスター? ツナ君に会いに来た時に同席してたのと、魔術士ギルドでも一度。字はパッと出てこないけど、キツキ・シンゴだっけ?」


 俺も、ダンマスの名前を漢字で書けと言われたら自信はないが、これで実は字の違う別人でしたって事はないだろう。少なくともダンジョンマスターは存在する。つまり、ここは存在しないはずの平行世界という事で……くそ、意味が分からなくなってきた。

 ダンマスは実際に隣接世界に足を踏み入れたわけじゃないだろう。なら存在し得ないというルールだって絶対ではない。しかし、少なくともダンマスとネームレス、皇龍の間では共通してそういうルールだと認識されているものだ。

 これがまるっきり間違いという可能性はそう高くないだろう。何かがおかしいんだ。何かがズレている。


「……くっ」


 再び頭痛。より強い、鈍器で叩かれたような痛み。この状況を深く理解しようとするほど、脳が悲鳴を上げている。


『決断しろ、渡辺綱。決断して、俺を殺す道を切り開けよ。お前にはもうあとがないんだから。さあ!』


 薄れゆく意識の中で、語りかける誰かの姿を見た。

 それは前世の俺と良く似ていて、俺が決してしないような酷薄そうな表情で俺を煽り立てる。しかし、どうしてかその表情は自然なもので良く似合っていると思わせるものだ。

 そうだ。……俺は死んでからここに来るまで、あいつと出会っていた。

 アレは前世の渡辺綱を象った唯一の悪意。すべてにおいて優先して憎悪すべき悪意の象徴。

 あとがない。死んだんだから当たり前だ。しかし、俺は何故かこうして良く分からない場所にいる。まさか、ここも含めてあとがないとでもいうのか?

 情報が流れ込んでくるのを感じる。この渡辺綱が持っていた記憶と元の渡辺綱が持っていた記憶が不整合を起こし、致命的なエラーを引き起こしているかのようにぶつかり合う。

 ここはダンマスの言う隣接世界に間違いはない。それは良く知っている。なにせ、元々はこちらが先に在ったのだから。だが、同時に俺が因果の虜囚として戦った世界も存在する。……すぐ近くの背後に。


『元々、渡辺綱に先へ向かうための道などなかった。絶対に勝ち筋の存在しないゲーム盤だ。そこで諦めればよかったのに、多大な代償を払って無理やり勝ち筋を創り出そうとした。その結果がお前の追想した世界。改変され、歪んだ裏側の世界だ』


 ここは本来在るべき表の世界。俺がいたのは在らざる裏の世界。

 存在し得ないはずの隣接世界が在るのは、二つの世界は同じ軸に存在するもので、裏の世界が改変途中で終わっているから。

 俺の行き止まりはゲルギアルに殺害された瞬間。その行き止まりは改変世界の行き止まりだ。改変者である俺が存在しない以上、観測者なき世界はその先が存在しない。先が存在しないから……俺は本来在るべき場所へと還ったというのか?


「す、すいませんっ!! 誰か!」


 リリカの声が遠く聞こえる。周りを包み始めた喧騒も、間に壁があるような距離を感じる。

 立っていられない。意識を保っていられない。

 ひょっとしたら平行世界の俺はそこまで痛みに強くないのかも、なんて他愛もない事を考えたりもしたが、こんなもの元々の俺でも耐えられないだろう。



 意識が消える寸前、騒ぎを聞きつけて来たのか、冷たい目でこちらを見るフィロスが視界に映った気がした。




-2-




 目を覚ましたのは病院だった。クーゲルシュライバーの病室ではなく、変わらず平行世界のものと思われる病院の一室。内装はユキが入院していた時のものと良く似ている。察するにダンジョンで死亡した冒険者が転送されてくる病室ではなく、通常の病院なのだろう。


「……ここのところ、意識を失う展開が多いな」


 こうも意識が途絶すると、現実と夢が曖昧になる。いや、言っても仕方ない事なんだろうが。


 患者用の服に着替えされられているようだが、式典で着ていたスーツも備え付けの籠に畳まれていた。

 個室だったあの時とは違って六人用の相部屋だが、他に患者はいないらしい。そもそも、迷宮都市で入院するような事態はそうそうないような気もするから、おかしくはないのかもしれない。

 元の世界に戻っている事を期待したりもしたが、看護師に聞いた話によれば、昇格式典で倒れて運ばれて来たという状況はそのままだった。


「脳波などに異常は見られませんでしたが、念のためと検査入院の手続きを進めていたところです。さきほどまで恋人さんが付き添ってたんですが、入院になるなら準備が必要だろうと自宅に戻ったタイミングで……」


 恋人って誰やねんという感じではあるが、状況的にリリカの事を誤解したのだろうと思い至る。

 入院手続きという事で、すでにほとんどが記載された書類に名前だけ記入する。今日はとりあえず安静にして、明日から軽く検査を行う予定らしい。早ければそのまま退院する事も可能だとか。

 似たような病室ばかりで迷いそうになったが、とりあえず自分の寝ていたベッドまで戻り、腰を降ろす。

 ……さて、脳に異常はないとの事だが、俺自身も別段不調は感じない。倒れたのは短時間に大量の情報が流入した結果、脳が処理できなかったからなのだろう。あんなもん誰でも倒れるわ。説明しても理解不能だろうから、医者や看護師には言っていないが。


「……覚えてるな」


 ここまでの俺だったら都合良く大事な事を忘れてるって展開になりそうだが、幸か不幸か覚えている。

 この世界に来た直後は忘れていたようだが、悪意と邂逅した事も、そこに至るまでの流れもおおよそ把握している。


 まず大前提として、俺……渡辺綱はゲルギアルに殺された。あいつの言う通り、あそこは俺の行き止まりで、紛れもなく死んだ。

 直後、俺は唯一の悪意と邂逅した。そこで俺は選択を迫られた。過去を見つめ直し、目を逸していた原罪を受け入れるか否か。

 俺の認識はここで一度途絶し、俺が生きてきた半生……そこに至る過去を追想した。それは唯一の悪意が見せた走馬灯のようなもので、俺に選択をさせるために突き付けられたものだ。

 俺が体験した中でちょくちょく既視感を覚えていたのはそのせいだ。獣が起こる事を知っていると言ったのも、俺の認識による改変なんだろう。追想している俺が既視感を感じたところで、起こった事が変わるはずもないのだが。

 そして追想は終わり、俺は存在しない道から弾き飛ばされてここにいる。

 この体は元々の在るべき世界にいた渡辺綱のものだろう。部分部分で抜けはあるが、ここまでに体験した事も思い出せる。なにかとてつもなく重大な部分が抜けているような気もするが、そのほとんどは一般的な冒険者のものと言っていいだろう。


 あの時突き付けられた選択は、まだ答えを出せていない。俺の原罪とやらは分からないままで、これは俺が目を逸し続けている証拠なのだろう。それともまさか、選択できずにすべてが終わってしまったとでもいうのだろうか。

 ……俺はここからどうすればいい?


 大人しく寝る気もなかったので、病院の中をウロウロと歩いてみた。褒められた事ではないかもしれないが、出歩く事を止められているわけでもない。

 患者があまりいないように感じていたが、こうして歩いているとそこそこ入院患者らしい人とすれ違う。一番人が多かったのは待合室で、そこでは大型テレビも点けられていた。流れているのはニュースだ。

 何気なしに待合室のソファに座り、近くにあった新聞をとる。

 当たり前だが、クーゲルシュライバーの記事はない。無限回廊第一〇〇層に挑戦中の話題もなければベレンヴァールや空龍など異世界関連の話題もなかった。迷宮都市らしい奇天烈なニュースは大量にあるものの、あまりに平穏な日常が綴られている。

 この世界では何も起きていない。いや、これが本来あるべき世界の在り方なんだろう。

 それを実感して、俺はたとえようもない感情に襲われていた。嫉妬なのか、羨望なのか、あるいは憎悪なのか。唯一の悪意の言う事が正しければ、これを捨てて改変したのは他ならぬ俺であるはずなのに。

 たとえば、俺がこのままここで過ごす事になったら……それは納得のいく人生になるだろうか。

 記憶に関しては色々と不都合はありそうだが、どうにでもなりそうな範疇である。リリカやフィロスたちにはバレるだろうし、説明も必要だろうが、少なくとも冒険者として生きていく上で問題はなさそうだ。

 一般的な視点から見ればかなりハードな職業である冒険者だが、才能や精神的な問題さえクリアすれば安全な職業ではあるし、中級ともなれば普通に暮らしていく分には何も問題はない。上を目指すならキリはないが、何か制限があるわけでもなく、妥協しなければ上級冒険者に届き得る。可能性だけならダンマスにだって手が届くかもしれない。ここまで俺が積み上げて来たものの多くは存在しないが、それだってこれから新しく作り上げていく事はできるだろう。

 しかし、俺の中で燻る情念はそれを許そうとはしない。あの世界であった出来事すべてを放り出す事もできそうにない。いっそ、記憶がなくなってしまえば当たり前のように過ごせるのだろうが、この俺はそれを知ってしまっているのだ。これまでのすべて放り出すような無責任な真似などできはしない。

 だが、だからといってどうする? 何をすれば元の世界に戻れる? そもそも、戻る世界は存在するのか?

 そんな自問自答を繰り返していた時、それは起こった。


「……地震?」


 建物全体が大きく揺れた。といっても、地震に慣れた元日本人の身としては多少大きく感じる程度の規模である。

 迷宮都市の住人は慣れていないのか、周りには多少パニックになっている者もいるが、被害が出るようなものでもないだろう。

 待合室のテレビで速報が流れる。最近微弱な地震は発生しているが、計測された数値は過去に例を見ないもので、震源の調査を行っていると。

 ゾワリと、強烈な寒気を感じた。


『それを裏付けられる情報かは微妙だが、向こうの世界のエルシィが崩壊前に複数回地震を検知したらしい。迷宮都市では直下の地殻を制御しているから震源地がよっぽど深くないと地震は起きないんだが、そのよっぽどが起きている』


 この地震は< 地殻穿道 >を震源とするものだ。星が砕かれる前、予兆のように発生していた地震。直接崩壊の原因となったのはダンマスのはずだが、この際それは関係ない。問題は、放っておいたらこの星は崩壊するという現実。

 俺はなんで悠長にこれから先の事なんて考えているんだ。迷宮都市もこの星も先などない。待っているのは崩壊する未来だけだ。

 どうする? 避難しようにも、それが可能なのは月だけだ。俺がそこに行く手段などない。避難誘導しようにも、この段階で信じる奴なんていないだろう。なら星の崩壊を止める? 止められるのか?

 ダンマスを止める。そのためには那由他さんの殺害を止める必要がある。それを実行したイバラの実力は知らないが、ダンマスたちと正面切って圧倒できる存在だとは考え難い。絶対ではないが、ここまで出会ってきた因果の虜囚と比べてもダンマスたちの実力は遥か上だろう。

 問題なのは、因果の虜囚はそれぞれ個別に対亜神用ともいうべき攻撃手段を保有している事だ。俺は持っていないし、皇龍がそういった手段を持っているかは分からないが、ゲルギアルの《 宣誓真言 》と無量の貌の簒奪は不死の亜神であろうとも無力化可能だろう。

 ならば危険視すべきは強襲。一切情報がない状態ならともかく、そういうものがあると警戒していればダンマスたちならどうとでもなる。


 そもそも、この世界の< 地殻穿道 >にイバラがいるのかは分からないが、ダンマスへ注意喚起を行う必要がある。

 いっそ、< 地殻穿道 >へ向かわせないという手も……いや、それはそれで悪手だ。イバラを包む発光体はそれだけで星を破壊する事が可能なエネルギー量を保有しているという話だった。放っておいて爆発されてもまずい。何かしらの対処は必要だ。


「電話……って、カードねーし」


 ステータスカードがなければ、そこに登録されているダンマスの番号も分からない。病院の電話を借りるにしてもダンマスとの連絡は不可能だろう。この場合直接連絡が可能そうなのは……ギルドか。

 幸い、冒険者ギルドは二十四時間営業だ。しかし、ギルドに行くにしても、検査をせずに緊急退院するのは可能なのか?

 リリカたちに伝えてもらう……にも、一から全部説明しないといけないし、そもそも信用してもらえるか分からない。ダンマスならそのへん柔軟だし、最悪、俺が知っているはずのない事を連呼すればおかしいとは思うだろう。ここは多少強引でも……。


 ……よし、抜け出そう。別に体調はなんともないんだ。あとでごめんなさいして許してもらう。




-3-




 着替えてから誰にも見つからないよう一階の窓から脱出し、冒険者ギルドへと向かう。幸い病院とギルドはそこまで離れていない。走っていけばあっという間である。病院側も、まさか俺が抜け出すとは考えないだろう。


「だ、ダンジョンマスターですか。……なにぶん忙しい方なので、アポがないとちょっと。伝言があるならお伝えしますが、返信が来るかどうかの保証はできかねますよ。というか渡辺さん、式典で倒れたって聞いたんですが……」


 しかし、入り口近くで捕まえた受付嬢さんにダンマスへ連絡が取りたい旨を伝えても反応は芳しくない。

 こちらの世界の俺の立場を考えるなら、受付嬢さんの反応は至極真っ当なもので、納得できるものではあるのだが。


 この世界の俺はそこまでダンマスと強固な関係を築いていない。

 トライアルの最短クリアをしたわけではないし、プライベートな空間でボーナスをもらったわけでもない。

 アーシャさんとの新人戦をセッティングされたわけでもないし、そもそもまだ出場すらしていない。

 ユキがいないのだから五つの試練だって影も形もない。< 鮮血の城 >が発生しなかった以上、フィロスだってダンマスの元で修行したりはしていないだろう。

 ラーディンとの戦争だって参加していないし、ベレンヴァール関連の依頼も受けていない。

 皇龍の来訪がないから年末の空龍たちとの邂逅もないし、当然四神練武もなかった。

 世界崩壊について一緒に対策を練ったりもしていない。

 もちろん、日本で生きた前世を持ち、養子である美弓の先輩という立場から顔繋ぎはしている。この名前だってダンマスから名付けられたものという事実はこちらでも同じだ。ある程度の関係はあるといっていいだろう。

 しかし、それ止まりだ。緊急の要件で直接連絡をとれるような関係には至っていない。

 そう考えると、以前ダンマスにもらった緊急用の電話番号を覚えていたとしても、そもそも登録されていない可能性が高い。アレはおそらく俺に渡すために用意した専用の番号だろう。どちらにせよ、どこかを通して接触する必要があったという事だ。


「ちなみに、返信があるとしたら最短でどれくらいかかるでしょうか?」

「フットワークが軽い方なので早い時は早いですが、今はちょっと……」

「直接じゃなくても、エルシィさんやアレインさん経由とか」

「そちらも伝言なら可能ですが、おそらく結果は同じかと」


 くそ、本来はこれが当たり前なんだろうが、面倒臭い。

 エルシィさん、俺を監視してたとか言ってたよな。こちらの世界で面識はないが……監視してるなら、こちらから連絡すれば反応が期待できるかもしれない。……どんな理由で監視してたとかは聞いてないから、こちらでも同じとは限らないが。


「ダンマスとアレインさん、エルシィさん向けに手紙を書きますので渡してもらっていいですか? 無理言ってすいませんが、可能な限り見てもらえるような方法で」

「は、はあ。それならば、専用の書式がありますが……中身が検閲される可能性はありますけど、よろしいですか?」

「あんまりな内容なんで、それが理由で破棄されたりしなければ」


 そうして、ギルドのロビーで手紙を書き始める。

 報告書のようにテンプレートが決まったもので、迷宮都市上層部向けにメッセージを送る目安箱のようなものらしい。

 中身は確認されるし、ギルドに記録を残されるが、よほどの問題がなければ宛先には届く。……その分時間がかかるのは問題だが、中級冒険者の立場とダンマスの知己である事、前世日本人というステータスで多少は早める事ができるかもしれないと受付嬢さんは言う。


 内容は単純に< 地殻穿道 >深部に星の崩壊の原因となるものが眠っている事と、その対処について相談がしたいというものだ。

 わずかでも信憑性を高めるため、アレインさんが攻略交渉に当たっていた< 地殻穿道 >、エルシィさんが攻略した< 月の大空洞 >への避難計画を提案したいなど、あからさまに本来知るはずのない情報も織り交ぜておく。ついでに、ダンマス宛のものには不自然なレベルで『道化師』という単語を混ぜておいた。見る者が見れば、即座に破棄される事はないはずだ。ダンマスには殴られるかもしれんが。

 専用の封筒に入れて、封印をしたらそれで終了。あとは受付嬢さんに委ねるしかない。


「……差し支えなければ、概略を聞かせてもらっても? 個人向けの中傷などが含まれていると問題ですので」

「この星が崩壊する危険性について」

「あ、はい」


 そう生返事をする受付嬢さんの目は馬鹿を見る目をしていた。表情を崩さないのはさすがプロといえるだろう。


「頭おかしい事を言ってるのは理解してますんで……< 地殻穿道 >を舞台にしたゲームの企画とでも注釈をつけてもらえれば」


 < 地殻穿道 >という言葉に受付嬢さんが反応したのを感じたが、特にツッコミはない。


「……そうですね。私の所見欄に記載しておきます」


 どうやら、手紙一つ渡すだけでも色々書類が必要になるらしい。この分だと、届けるだけでも数日なんて可能性もあるだろう。どれだけ時間があるか分からない以上、これは予備案としてしか機能しないと思ったほうがいい。となると、他に何か打てる手はないか。さすがにこのまま病院へ戻るわけにはいかない。


 今回の件で連絡が取れそうな関係者は限られる。内容も内容だが、俺が元の世界ほど交流関係が広くないというのが最大の問題だ。迷宮都市上層部はほとんど面識すらないし、< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >とも未接触、アポをとるのも苦労しそうな状況である。四神も論外に近い。商業区画の神社だったらティグレアがいる可能性はあるが、それもひょっとしたらというレベルでしかない。

 美弓ならなんとかなるかもしれないと電話をかけてみるが、留守電だ。メッセージを残しても、今の状況では折返しを受け取れない。くそ、肝心な時に役に立たねえ。

 他に誰かいないか。この俺が面識がない場合でも接触できそうで、迷宮都市上層部に顔が利く存在……。

 ……水凪さんとラディーネ、あとはディルクか。会うだけならどうにかなりそうではある。

 現在の時刻はもう深夜に差しかかっている。水神宮を訪問しても水凪さんと会える可能性は低い。ディルクが住む学校の寮も、さすがに部外者が訪問して取り次いでくれるような時間ではないだろう。

 ラディーネなら……研究室にいる可能性は高いから、まずはそこから当たるか。


『ハイ、ドチラサマデショウカ?』


 ラディーネに電話したら、何故か聞き覚えのある機械音声が応対してきた。……なんでボーグが電話対応してんだよ。


「えーと、ボー……アンドレさんですか? 私、中級冒険者の渡辺綱というものですが」


 本人ではなくボーグが出たのに、そのボーグの本名で挨拶されればイタズラ電話とは思わないだろう。


『何故ソノ名ヲ……』


 いや、お前冒険者登録名はボーグだが、本名はそのままだろうが。とっさに出てくるかはともかく、ちょっと調べれば分かるぞ。


「ちょっと緊急でラディーネさんに用事がありましてね。お取次ぎ願えないでしょうか」

『プロフェッサーハ只今来客中デス。ゴ用件ガアレバ伝言承リマスガ。モシクハ明日研究室ノ方二……』

「緊急です。さっき発生した地震について至急会って直接話がしたいと」

『……ハイ、承リマシタ』


 ボーグは元々機械的な対応を好むが、それを加味しても他所向きの対応だ。分かっていた事とはいえ、結構堪えるな、これ。


『あー、替わりました。冒険者のワタナベ・ツナさんだったかね?』

「どうもはじめまして、ラディーネ・グラッセリエーナさん」

『……その名は名乗っていないはずなんだが、ダンジョンマスターにでも聞いたのかね? 前世が日本人なワタナベ・ツナ君』


 当然の事のように俺のパーソナルデータは調べられているようだ。

 そんなラディーネでも、俺が前世のフルネームを知っている事は意外だったらしい。


「いいや、ラディーネさん本人から直接。といっても、あなたじゃないですが」

『……良く分からんが、地震についての話ではなかったのかね?』

「全体的に見るとどうしても怪しい話になるんで、少しでも信憑性が増すような事を言っておこうと思いましてね。知らないはずの事を知っているぞと」

『単刀直入に聞くが、君の目的は?』

「この星の崩壊の回避」


 沈黙が訪れた。


『……話をする相手を間違っているのではないかね? もっと上の権力者か、もしくはゴシップ誌のライターか』

「ゴシップ誌の伝手はないな。ダンマスはどうもすぐに捕まりそうにない。直接動けそうな権力者も軒並み。この状況で信用できて、かつ中央への伝手を持っているのはラディーネ……さんか、あと数人しかいない」

『イタズラ電話にしては手が込んでいるようだが、どういう人選だか分からんな』

「ともあれ、かなり込み入った話になるから直接会って話がしたい。なんなら護衛としてボーグやキメラを同席させて構わない」


 相談相手として頼りになるかどうかは置いておいて、こっちの認識ではあの二人だってクランメンバーなんだ。

 変な持ちネタで話を脱線させたりしなければ、別にパンダがいたって構わない。


「ついでに、すぐに連絡がとれるのなら、エルシィさんに地震について聞いてみてくれ。おそらく現時点でも調査はしているはずだ。震源が< 地殻穿道 >だって言えば無下にはされないはず」

『……分かった。とりあえず話は聞こう。知るはずのない事を知ってるようだしな。ワタシの研究室の場所は分かるかね?』

「行った事がある」

『どうやら、想像以上のトンデモネタを聞けそうだな』

「それは期待してもらっていい」


 想像以上のトンデモっぷりを約束しよう。聞かなきゃ良かったと思うかもしれんが。


 ギルド備え付けの電話を切り、移動を開始する。移動してる途中、ステータスカードを持ってないので交通機関が軒並み使えない事に気付き、徒歩での移動になってしまったが、時間的にはむしろ早くなったといえるだろう。

 多分 アイテム・ボックス の中に財布が埋もれてるんだろうが、現金が入っているかも分からんし、すぐに見つかるかどうかも怪しい。


 どこかの狼さんに負けない全力疾走で冒険者学校までの道のりを踏破し、深夜受付の警備員さんに話を通すとちゃんと中に入れてもらえた。

 ラディーネは電話で話を合わせただけではなく、ちゃんと話を聞く気があるようだ。聞いてませんとか言われたら無理やり強行していたかもしれない。

 深夜の建物故に人も灯りも少ないが、特に道に迷う事もなく研究室まで辿り着く。


「どうぞ」


 ノックをすると、中からラディーネの返事が聞こえてきた。

 ……うわ、やべえ。電話の時はそうでもなかったのに、なんで泣きそうになってるんだ、俺。これから無茶苦茶な話を信じさせないといけないのだから、平常心を保たないと。

 一度だけ深く息を吸い、ドアを開ける。


 中にいたのはラディーネとボーグ、あと妙に威圧的だが変なポーズのキメラだ。……あいつ、何やってるんだろう。

 いや、正直キメラよりも意外な人物がいて、そちらのほうに気を取られてしまった。


「……ディルク」


 名前を出したわけでもないのだが、数少ない相談できそうな相手が追加されていた。


「自己紹介した覚えはないんですが、それもこれからする話と絡んでるんですかね?」

「ああ、正直いてくれて助かる。……あと、キメラは何遊んでるんだ?」

「名前を知っていても、初見なら威圧されると思ってね。……どうやら意味はなかったようだが」

「初見じゃないからな」


 ドッキリネタで試されたようなものか? こっちとしてはキメラのトンデモ生態っぷりは慣れたものだから今更なんだ。むしろ、ちょっと高ぶっていた感情が落ち着いたほどである。キシャーとか言われても、俺にとっては今更だ。




-3-




「お互い把握はしてるみたいだが、自己紹介から始めようか。今日、中級冒険者に昇格したらしい渡辺綱だ」

「大陸の南部、ドルギア山脈の名もない村出身。前世は地球の日本でダンジョンマスターと同じらしいですね」

「それで合ってる。冒険者の登録情報には含まれてないはずだが、情報局所属のお前ならいくらでも調べられるだろ」


 牽制のつもりなのか、普通なら知らない情報を出してくるディルク。だが、こいつならいくらでも調べられるだろう。


「その情報部の僕でも、あなたの急変ぶりは把握できていなかったんですが」

「それは今から話す内容に含まれるな」

「まあ、とりあえず座りたまえ。コーヒーでいいかね? ミルクと砂糖は……」

「お前と同じブラックでいいよ」

「……ふむ。ディルク君、どうやらお手上げっぽいぞ」

「みたいですね。どう調べても渡辺綱が先生や僕の事を調べていた履歴は確認できませんでしたし、趣味・嗜好を知っているはずがない……中身でも入れ替わったのかな」


 いい勘してるな、お前。大正解だよ。


 俺にとっては無意味な自己紹介をしてソファに座る。

 ラディーネとボーグとキメラは俺と関係なしに九月に昇格しているし、ディルクは学生のまま、概ね想像通りである。


「そういやディルクは嘘発見器じみた能力持ってるはずだよな? いくらでも調べていいぞ。でも、セラフィーナ嗾けるのは勘弁な」

「……なんだこの人」


 意趣返しみたいなもんだ。実際、嘘発見器使ってもらったほうが助かる。ここで《 宣誓真言 》でも披露すれば完璧なんだろうが、生憎自在に使えるわけでもないし。


「それじゃ早速本題に入ってもらってもいいかね? 生憎、こちらも地味に忙しいんだ」

「ああ。正直なところ俺にも全貌は良く分かっていないから、あくまで主観的なものになるが……」


 そうして、ここまで俺が体験したものを説明する。

 この体の記憶によれば大きな違いが生まれたのは迷宮都市に旅立つ直前、ユキとの邂逅からだ。

 それ以前にもおそらく《 因果の虜囚 》の有無で《 飢餓の凶獣 》が《 飢餓の暴獣 》になったり、習得したスキルの数が増えているくらいの違いでしかない。

 ユキと出会ってからの流れはまるで違う。トライアルの最短攻略。アーシャさんとの新人戦。< 鮮血の城 >。九月の中級昇格やそこで出会ったラディーネ。臨時講師として招かれた際にディルクやセラフィーナと出会った事。討伐指定種との戦い。ラーディンとの戦争への遠征とネームレスとの戦い。皇龍や空龍たちが迷宮都市に接触して来た事や四神練武。そして、クーゲルシュライバーによる異世界交流まで。

 ディルクなら俺の経歴も調査済みだろう。それと照らし合わせれば違いは歴然だ。


「……いや、トンデモな話を聞かされるとは分かっていたが、想像以上に無茶苦茶な話だったな」


 途中からコーヒーに手も付けずに話を聞いていたラディーネが呟く。


「つまり、君の主観ではワタシやディルク君はワタナベ君のクランの一員で、それなりに交流があったという事か」

「セラフィーナやそっちのボーグやキメラ、パンダ三匹もな。クラン員じゃないが、他のパンダもクランハウスに住んではいた」

「あの、なんで僕が渡辺さんのファンなんですかね?」

「それは聞いてないから知らんが」


 分かってはいたが、容姿に惹かれてとかではなかったという事だ。セラフィーナは安心していい。


「で、ここからが本題なんだが……」

「すでにお腹いっぱいなんだが、そこまでなら君がここにいる理由にはならないからな」


 そうだ。問題は皇龍の世界に行ったあとの事である。

 掻い摘んで説明すれば、皇龍の世界に二体の因果の虜囚が現れ、天体規模の戦闘へと発展、クーゲルシュライバーは撤退戦に入る。無量の貌の簒奪、ゲルギアルとの死闘、そして、そこで俺が死んだ事で< 地殻穿道 >に眠るイバラを目覚めさせ、星が崩壊という流れだ。

 より詳しく、可能な限り詳細まで含めて説明する。《 宣誓真言 》を使っての戦いも含めたから、少しくらい信憑性は上がったと思いたい。


「ワタナベ君は、殺された直後にその体で中級昇格式典の場に立っていたと。……まあ、話自体は理解できたが」

「ああ。ただ、ダンマスやネームレス、皇龍の話じゃダンジョンマスターのいる世界は可能性の閉じた世界だとかなんとかで、同じようにダンジョンマスターが存在する世界は生まれない仕組みらしい。なのに、何故か俺はこうしてここにいる。ダンマスたちの認識が間違っているのか、まったく違う要因なのかは分からないが。……無限回廊の開発者としてはどういう意見なんだ?」


 ディルクへと視線を向ける。今更無限回廊の開発者だとバレていても驚きはしないだろう。


「いや、ほとんどが今初めて聞く仕組みです。何かしら知識を持っているなら、ダンジョンマスターに話していないとも思えませんし。……元々、無限回廊は自律進化型のシステムなので、世界の概念に触れて学習する内にそれが最適だと判断したという事なんでしょう」

「自律進化型ってのは初めて聞いたな」


 そういう代物なのか。なら、ディルク以上に開発の中枢に携わる者がいたとしても全貌は把握できないって事だ。


「それで、ここまでスケールの大きい話を我々に聞かせて、君は何をしろと?」

「第一はダンマスや迷宮都市上層部に連絡が取りたい。この世界にイバラがいるかどうかは分からないが、エリカの話じゃ平行世界すべてが崩壊するはずなんだ。対策をとれるとしたらダンマスたちくらいだろう。ラディーネはエルシィさんと友人だったよな? 最悪、避難計画だけでも進めないと……」

「まあ、連絡するのはやぶさかじゃないんだがね……」


 何か歯切れの悪い返事だった。


「完全に信用されてるとは思っていないが、どれくらい時間があるかも分からないんだ。それで問題が起こったらペナルティを受けたって構わない」

「前世でダンジョンマスターの同郷だった君なら、イタズラだったとしても厳重注意くらいのものだろう。渡辺綱本人である事はワタシたちも分かっているんだからね」

「なら……」

「連絡は取れません」


 返事はディルクからだった。


「こっちもなりふり構ってられる状態じゃないんだ。条件があるなら……」

「いえ、渡辺さんの信用以前の問題なんです。連絡を取らないではなく、取れない。現在、迷宮都市上層部との連絡手段が途絶しています」

「は?」


 ……なんだそれは。


「僕がここにいたのもその相談をするためだったんですよ。例の地震があまりに異常な数字を示していたんで連絡をとろうとしたんですが、一切が不通。情報局全体で個別に持っている連絡手段を当たっているところなんです」

「なら、領主館へ……いや、四神宮殿に繋がるゲートは? 最悪、水凪さん叩き起こしてでも……」

「四つすべてが沈黙しています」


 ……やべえ。どうすんだよ、これ。何が起こってんだよ。


「君の話にあった月への避難は技術局のほうでも立案されている。これを推し進めるように働きかける事なら可能だが……」

「それも必要だが、それだけじゃ根本的な解決にはならない」

「他に避難場所は……惑星自体が崩壊するならそれ以外に逃げ場はないな。一応、無限回廊に潜るという手はあるが」

「ダンマスから、何が起こるか分からないから最終手段だって言われてる」

「確かに、根幹地ごと壊れた場合は何が起こるか分かりませんね」


 ディルクの言った自律進化云々の話を考えるなら、そこは開発者でも分からない部分だろう。

 あるいはエリカだったら知っていたのかもしれないが。


「タイムリミットは楽観的に見ても四月いっぱいって話でしたよね?」

「そうだが、エリカは平行世界によって時差があるって言ってた」


 正直、この直後に崩壊したって不思議ではない。

 くそ、せめてあいつがいた世界で崩壊が発生した日付を聞いていれば。……いや、それだって解決に繋がる話じゃない。落ち着け……何かやれる事はないのか?


「ラディーネ、迷宮都市からの外出許可をすぐに出せるコネは持ってないか?」

「数時間もあればなんとかなるだろうが……行き先は?」

「< 地殻穿道 >に向かう」

「……正気かね?」

「正確な場所は……ディルク?」

「分かりますが、山ほど問題がありますね。外出許可やこの情報の公開に伴う権限はなんとでもなりますが、移動時間と手段、魔の大森林自体も危険地帯ですし、守護している亜神相手にどう話をつけるか、なにより< 深淵の大洞穴 >と< 地殻穿道 >を攻略できるかどうか」


 ダンマスは数日で攻略完了に近いところまで行っているが、あの人を基準にしても意味はない。

 辿り着いたところで攻略手段もないんじゃ……しかし、それくらいしか……。


「元々ダンマスが攻略する予定だったはずだ。もしかしたら現地で接触できるかもしれない」

「外出許可は片手間でできるし、とりあえず車の手配くらいはしておこう」

「先生はこの人の話を信じるんですか?」

「状況を鑑みれば大した労力じゃない。そのまま車を盗まれても困りはしない。さすがに一緒に行くのは無理があるけどね」

「助かる」


 平時だったらこんなスムーズにはいかないんだろうが、幸か不幸か、状況が味方してくれた。


「代わりといってはなんだが、いくつか確認したい事があるんだが、いいかね?」

「ああ、なんでも聞いてくれ。あまり話に出さなかったがお前ら自身の事とか? ディルクはセラフィーナと同棲中だぞ」

「え、ちょ……」

「いや、そんな事はどうでもいい」


 ディルクが捨てられた子犬のような目をしているが、どうも好奇心ではなく本題に近い部分の確認らしい。


「まず、今この状況において、君は本来の渡辺綱とは違うイレギュラーと考えていいのかね?」

「……エリカにも崩壊時の詳細は聞かされていないが、おそらくはそうだ」

「こんな特異な状況と世界構造では関係ないのかもしれんが、タイムパラドックスの危険は念頭においてほしい。君が行動した結果、月への避難もできませんなんて事になったら最悪だ」

「……それを回避するために行動してるんだが、そうだな。忘れるべきじゃないな」


 良かれと思って行動した事が裏目になる事なんて日常茶飯事なんだ。


「それを前提として、こっちが本題だ。……< 地殻穿道 >に眠るという君の対存在の目的はなんだと思う?」

「は?」


 想像していなかった質問だった。それがラディーネの口から出る事もそうだが、俺自身が考えていないという意味で。

 イバラの目的? 因果の虜囚の存在理由は唯一の悪意の討滅だが、そういう意味じゃないだろう。対存在としては俺を殺す事になるんだろうが……。


「聞く限り、イバラの存在は矛盾している。君を殺さないといけないのに、君が死なないと目覚めない。これではどちらも次のステージとやらには上がれない。何故そんな面倒な構造になったのか。唯一の悪意のシステムがエラーを起こしたのか、それとも意図的なものなのか。意図的なら誰の意図なのか」


 誰の意図……。思い至るのは俺だ。


「イバラはなんのためにこの星を崩壊させる? この星が崩壊したところで因果の虜囚である君を殺せるわけじゃないだろう? まあ、この世界にいる君は死ぬかもしれんが、そんなものが因果の虜囚の試練なのかね?」

「……違う。そんなはずはない」


 そんな試練でもいいのなら、わざわざ対存在など用意する必要がない。ならば、あいつは何故星を壊すんだ?

 良く考えろ。あいつの目的は俺を殺す事だ。しかし、その時点で俺は死んでいる。戦うつもりならば、まず俺と戦うための舞台を用意しないといけない。

 矛盾を超えてその舞台を整えるための行動が星を壊す事? いや、違う……あいつは……俺に見せつけているんだ。ここがゲームオーバーだと。すべてを滅ぼされたくなければ止めてみせろと。滅ぼされたくなければ、自分のところに来て殺し合えと。

 だが、どうやって? この世界でもやはり< 地殻穿道 >にあいつがいて、俺に出向いて殺せというのか?


「車を手配するとは言ったが、ワタシとしては< 地殻穿道 >に行くのは無駄足になるんじゃないかと思っている」


 そうだ。そんなところにあいつはいない。


『改変の結果、あの特異点にはあまりに多くの存在が干渉し、絡み合い、通常ならあり得ないほど強固な因果が発生した。強すぎる因果はあの世界だけに留まらず、本来在るべき世界、そしてその平行世界へと流れ出す。そうして、どの世界でも星が崩壊する因果が定着してしまった。見事な因果の逆転現象だ』


 この世界の、この星を壊すのはあくまで副産物。流出した因果がもたらした結果に過ぎない。

 根本的にこの世界の、いや無数の平行世界に跨る星の崩壊を止めるなら、俺が改変したという世界のイバラを止めないといけない。


「君の話がすべて真実であるという前提で話そう。この世界におけるイレギュラーは君だけ。ならば、そんな中であり得ない事を起こす事ができるのは、やはり君だけなんじゃないのかね? ダンジョンマスターや領主殿は強い。強くて頼りになる。だが、彼らではこの状況を覆せないのではないか。そんな気がしている」


 すでに因果は定着している。それは、ダンマスや那由他さんがいる事が前提で、それでも覆せないという形で固定されているんじゃないのか? あまりにも急な迷宮都市上層部との連絡途絶は、その影響ではないのか?


「とりあえず君の外出手続きと車の手配は行っておくが、認可が降りるまで数時間は必要だ。その間だけでも考えてみたまえ。自分が何をすべきかをね」

「……ああ」


 おそらく、ラディーネの推測は正しい。だからといって、俺にどうしろというんだ。

 外に出ようとするが、上手く歩けない。


「ああ、その……なんだ。ワタナベ君、ワタシから君に一つ激励を贈ろう」


 そんな俺を見かねたのか、ラディーネが呼び止める。


「激励?」

「君の世界ではワタシはクランメンバーの一員だったんだろう? そのワタシなら、今の君を見てこう言うはずだ」


 そう言うラディーネの目は、どこかで見たような力を感じさせるもので……。


「オトコノコなら世界くらい救ってみせろ」


 表裏の違いこそあれど、やはりラディーネはラディーネなんだなと思わせた。


「前に似たような事言われたよ。……でもまあ、助かった」


 さすがにこんな大スケールの話じゃなかったがな。




「あの……できれば、さっき言った事についてもう少し……」

「本題と関係ない事を聞くのは止め給え」


 ……いや、すまんな、ディー君。




-4-




 迷宮都市を出る準備が整うまでは約二時間ほど。< 地殻穿道 >に向かうつもりがあれば、指定された場所に向かって車を受け取ればいい。どんな行動をとるにせよ、ラディーネへの返事はいらないそうだ。

 ありがたいが、今はもう外へ向かうつもりはなくなっている。< 地殻穿道 >に向かったところで何も解決しないという考えはすでに確信に近い。ならばどうする。


 歩いても目的地などない。今、病院に戻れば身動きがとれなくなりそうだし、ギルドでも同じ事になりそうだ。無断で出てきてしまったからリリカたちには一報くらい入れないといけないと思いつつ、フラフラと深夜の町中を歩く。

 そういえば、こっちの俺はどこに住んでるんだったか。……寮だっけ? 帰る場所も分かんねえのかよ。

 そうして気付けば、知らない場所にいた。適当に歩いて来たからか、住宅地のど真ん中に入り込んでいたらしい。人通りは皆無だ。大通りはどっちだろうと遠くを見遣ったところで、人影が視界に入った。


「ツナっ!!」

「……フィロス」


 俺を探していたのか、息を切らせながら近寄ってくるフィロス。冒険者でそこまで疲れるのはよっぽどだぞ。


「悪い。ひょっとして探してたか?」

「探した。まったく、君の無軌道ぶりを忘れてたよ。……こんなバカみたいな事で間に合わなくなるところだった」

「……なにか用事があったのか?」


 こっちもそれどころではないんだが。


「すごく重要な話だ。……とりあえず、リリカを呼ぶから」

「ああ」


 と言ってフィロスは電話をかける。おそらく相手はリリカだろうが、ここの場所を伝えるのが難しいのか二人して移動する事になってしまった。大通りに面した公園で落ち合うのだという。


「……さて、リリカと合流する前に話しておく事がある」


 フィロスは歩きながらそう切り出す。


「そういえば式典でリリカも何か言いたそうだったが、それの事だったりするのか?」

「……聞いてないのか。……ああいや、それも重要ではあるけど、僕のほうはそれとは別件だ」


 なんだか分からんが、リリカにあったらそれも聞かないといけないな。


「僕の話は、この星の崩壊と君の選択についてだ」


 あまりに唐突な話題に足が止まった。


「な……に……?」

「この世界におけるイレギュラーは君だけじゃないって事さ。とはいえ、博打みたいなものだったけど」

「ちょっと待て、お前何を知っているっ!?」

「君が体験した事はおおよそ把握している。それ以外にも色々と……とりあえず合流地点までは行かないか?」

「……あ、ああ」


 そういうフィロスの態度はあまりにも平静で、極々平凡な雑談でもしているかのように見える。むしろ、俺を見つけた時のほうが焦っていたようにさえ感じるほどに。

 合流地点らしい深夜の公園までやって来るが、まだリリカはいない。


「リリカが探していた場所からはちょっと距離があるから、少し時間があるね」

「ならさっきの続きだ。お前何を知っている? ……いや、それ以前にお前はフィロスなのか?」

「僕は僕だよ。ただ、君の知っているフィロスでもある。< 赤空のコロッセオ >で決闘したのも僕だ」


 それはつまり……どちらの世界も知っているという事なのか?

 いや、それだけじゃ説明付かない部分も知ってそうな感じではあるが。


「やっぱり思い出してはいないようだけど、実は元の世界でも君には色々と話をしているんだ。星の崩壊の原因や剥製職人について」


 そう言いながらフィロスは缶コーヒーを手渡して来た。

 俺、さっきコーヒー飲んだばっかりなんだけど。しかもブラック……いや、飲むけどさ。


「剥製職人って……ユキの言っていた」

「そう、因果の虜囚の一人。多分その中でも唯一の悪意にかなり近い場所にいる、とびきりの外道の事さ」

「とびきり外道ってお前……」


 比較対象が無量の貌とかなんだけど。まさか、アレと比べてもって事じゃないよな?


「名前があるのか知らない。剥製職人っていうのも、ただその行動から呼ばれるようになったあだ名みたいなものだ。悪意に触れ、汚染され、その存在を無に還すべく力を持った存在。長い時間の中で目的を見失ったあの女は、ただ尊きものを収集し保管するだけの剥製職人と化した」

「女……なのか?」

「人間ではないし、性別という意味ならどちらでもないんだけどね。そう在ろうとしている。実は何かこだわりがあったりするのかもしれない」


 よく分からんが、女言葉で話す無量の貌を想像してしまった。


「アレは基本的に直接手を出す事はしない。気に入った存在がいれば近くに観測用の器を用意して間接的に介入する」

「ユキがそれだと?」

「そう。といっても、干渉するのは最低限。最低限で最も効果的な干渉を行うのがアレのやり方だ。君が行おうとした世界の改変を加速させ、助力となるような存在を創り出して放り込んだんだ。ユキが干渉を受けたのだって前世の記憶の操作くらいのものさ。それ以外はこの世界で王都にいるユキトと変わらない。それだけで最大の影響を生み出している」

「何故そんな事を?」

「因果の虜囚に限らないようだけど、美しい魂を研鑽し高みへと導いた上で剥製にして飾りたいらしい。それを行う行動原理は不明だ。ひょっとしたら意味なんてないのかもしれないけど」


 なんだそりゃ。つまり、そいつは俺を剥製にしたくて、下準備のためにユキを放り込んだと?


「まあ、剥製職人の思惑はともかく、その介入でユキという君の助っ人が誕生した。その結果、一人分の因果を改竄した事によって不要だと弾き飛ばされた存在が僕だ。ひょっとしたらリリカも似たようなものかもしれない」

「確かにこっちでは固定パーティみたいだが……ゴーウェンは?」

「あっちのゴーウェンはただ僕に付き合って離脱しただけだよ。少なくとも、本人は何かの思惑で動いてはいないと思う」

「そうか」


 何考えてんだか分からない奴ではあるが、そういう裏はなさそうだと。


「そこまでなら、僕はただ本来の立ち位置から弾かれただけ。単に君の歩む道からフェードアウトするはずだった……だったんだけどね。ライバルがいたほうが君が輝くと思ったらしい剥製職人は、不要になったはずの僕に干渉した。結果、《 因果への反逆 》なんてギフトを植え付けられて、君の糧となるよう誘導されている。一人の冒険者として人間として君に並び立ちたいと思った僕の意思を丸ごと利用されたわけだ。ふざけるなって話さ」


 おどけて話しているように聞こえるが、この言葉の奥には強い憤りを感じる。


「大量の関連知識を流し込み、体験させるのは剥製職人の力の一端。君の糧となるべく、周りの因果を誘導するのも剥製職人の力の一端。こうして平行世界を観測するのも剥製職人の力の一端。すべてがあいつの手の内。本命である君には過度な干渉はしなくても、操り人形にはそういう配慮は必要ないらしい。ユキも似たようなモノじゃないかな」

「……こうして、剥製職人の思惑を伝えるのも?」

「実はそれだけは違う。僕が必要になるのは後々、君が成長したあとの予定だったんだ。……でも、その手前で君の限界が訪れた。どれだけ最適な行動をとっても先が存在しない袋小路。行き止まり。ゲルギアルの手による死は避けられず、渡辺綱は終焉を迎える。そう判断して剥製職人は興味を失い、観測を止めた。ユキが使った超常の力は、隠蔽も偽装も誘導も必要なくなったが故に許された最後の権限行使だったわけだ」

「…………」

「在り得ない蛇足の時間。この場、この一時だけは剥製職人の手は及ばない。気付いてすらいない。だからこそこうしてペラペラと正体まで話せるってわけさ。……でなければ、これまで何度もあったように話したそばから忘れるだけだ」


 まるで似たような事が何度もあったような口ぶりだが、事実それはあったのだろう。

 俺の失われた記憶の中で、フィロスは何度も警告していたのかもしれない。


「剥製職人は君に見切りをつけた。因果に囚われた虜囚たちが戦う遊技盤は壊れ、その上で踊る君や僕は舞台ごと消滅するのが結末で、世界の答えだと。この先に道はなく、可能性は最初から潰えていた。……だけど、僕はそうは思わなかった。君が……渡辺綱がそこで終わるはずはないと。……だからこうしてここにいる」

「これ以上、何をしろっていうんだ」

「僕らの前に道などなく、あるのは壁だ。そこにはどんな小さい抜け道も存在しない。だけど、そんな壁は爆破してでも通り抜けるのが渡辺綱のはずだ。……極論、道がなければ創ればいい。その方法……そこに至る道を君はもう知っているし、それが唯一の可能性である事も理解している。僕ができるのは後押しと少しの手助けだけだ」

「……俺が目を逸しているだけだと?」

「そうだツナ。君は再び《 魂の門 》をくぐり、呪われた原罪と向き合わなければならない。これが最初で最後。唯一残された可能性の欠片だ。門の先でエリカ・エーデンフェルデと因果の獣が待っている」


 それが俺が目を逸し続けた結果、残された最後の手段。

 気付いていた。分かっていた。この後に及んで、ただ目を逸していただけ。フィロスの後押しがなければ、俺は何もせずに世界の終わりを迎えたのかもしれない。


「……そろそろ、リリカもここに来る。だけど、そこへ至る前に、君にはもう一つ選択肢がある」

「なんだ?」

「ギフト、祝福、加護、呪い。色々呼び名はあるけど、ギフトっていうのは自分よりも上位格の存在からもたらされる力だ。一見、誰の意思も関係なさそうに見えるものでも、無限回廊システムが存在に合わせて付与したものだったりするらしい」

「……そうなのか?」


 いきなり話が飛んだように感じるが、このタイミングで関係ない事なんて言わないだろう。

 フィロスの言い出した事は少しだけ考えていた事だ。明確にそうだという確証はなくとも、獣神の加護を持つガウルなどは似たような事を考えていた。


「唯一の悪意の《 因果の虜囚 》や無量の貌の簒奪も似たような仕組みを利用している。自分よりも格下の存在のみに作用する呪いとして」

「《 因果の虜囚 》は分かるが、簒奪も?」

「そうだ。ベレンヴァールが簒奪の影響を受けないのもこのルールによるものらしい。確実ではないけど、そこに無量の貌の突破口はある」


 そうだとしても、それでは結局ベレンヴァール以外は手が出せない事になる。

 だが、わざわざ切り出すという事は、それに付随する何かがあるという事だろう。


「僕が植え付けられた《 因果への反逆 》も同じものだ。これは《 因果の虜囚 》への不完全なカウンターであるのと同時に、それに近い格を持つ剥製職人の呪いでもある。これを持つ事で簒奪の影響下からは抜け出せるはずだ。確実ではないけど、簒奪自体も受けなくなると思う」

「……ちょっと待て、まさかそれを俺に渡そうとかいうんじゃないだろうな」


 そんな事ができるのかは分からんが、今の話の流れはそういうものだ。


「渡すというか、コピーだけどね。条件に合致しているなら、ほとんどそのままをコピーできる。君と、多分ユキは条件に合っているはずだ。剥製職人の観測下にない今だからこそできる反則技でもある」

「つまり、それは剥製職人の影響下に入るって事じゃないのか?」

「どれくらい影響受けるかは剥製職人次第。多大なデメリットではある。だけど、無量の貌への対策や、《 因果の虜囚 》の影響を受け辛くするというメリットもある。だから強制はしない。君の意思に任せる」

「……少なくとも簒奪の影響下からは抜け出せるんだな?」

「ああ。事実、僕は君が忘れているであろう存在の記憶がある。たとえば、この世界における僕たちのパーティには六人目がいたのを君は忘れているはずだ」

「六人目?」


 ……俺とリリカ、フィロス、ゴーウェン、ガウルの五人じゃないのか? まさか、向こうの世界で簒奪された影響がこちらにも及んでいると?


「あの簒奪は本来平行世界の住人には影響しない。だけど、ここは表と裏で言ってみれば同じ世界だ。その影響で色々と歪み始めてもいる。……まあ、今すぐというわけじゃない。これを渡しておくよ」


 そう言ってフィロスはスキルオーブらしき球体を二つ手渡して来た。《 アイテム・ボックス 》から取り出したのではなく、今創ったと言わんばかりに手の平から直接出現したものだ。……使うかどうかは自分で選択しろと。

 二つなのは……ユキの分だとでもいうのか。




「……リリカが来たみたいだ」


 振り返れば、公園の入り口に未だドレス姿のリリカが立っているのが見えた。あいつ、あの格好で走り回ってたのか?

 だが、こちらへ来る気はなさそうだ。俺とフィロスの話に割り込まないように気を使っているのかもしれない。

 フィロスも動こうとしない。その目はリリカの元へ一人で行けと言っているようだ。


「ツナ。僕は君に張り合うと宣言した。良き好敵手で在りたいと願った。それは今この時は存在しない未来で、始まってもいない。始まらずに終わるのは冗談じゃない。そんな結果は認めない。それは君の隣に立つユキの役目でも、目的を見失った剥製職人の役目でもない、僕だけの立ち位置だ」


 間に挟まれて困っているところで、フィロスが語り出した。

 それはフィロスの宣言。こう在るという再度の決意の現れだ。あるいは、こいつなりの激励なのかもしれない。


「在るべき立場から弾き出された? そんな事は関係ない。僕はどんな場所だろうと君と張り合い続けるよ。それは決して隣で戦う相棒ではないし、支え合う仲間でもないけれど、常に同じ方向を向いた同志だ。僕が君の味方である事は変わらない。……とりあえず、傍観者気取りの剥製職人は僕が斬る。そのためにも君には新しい舞台を用意してもらわないといけない」


 この先は俺一人で向かうべき道。リリカの手を借りて《 魂の門 》へ潜る必要はあるが、それも入り口までだ。

 フィロスがこうして語るのは、これ以上は一緒に行けないという意味でもあるのだろう。


「さあ、もう行きなよ。この星の崩壊まではまだ時間はあるけれど、それでも恋人を待たせるものじゃない」

「……恋人?」

「見ないふり、気付かないふりは見苦しいよ。勘のいい君が気付かないわけないだろう? エリカ・エーデンフェルデの正体だって気付いていたはずだ」

「……それは」


 フィロスはそれだけ言うと、こちらに背を向けて別の出口へと向かった。

 俺はそれに背を向けるように反対側へと向かう。リリカは、ただこちらをじっと見て俺を待っている。




 この一歩一歩が選択だ。

 自ら創り出してしまったどうしようもない現実と向き合うため、目を逸し続けた事を精算するための選択。

 向き合うため、あるいは決別するため、何かを捨て、何かを得るための選択が目の前に迫っている。



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