第6話「涅槃寂静」




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 星を覆う顔の群れに突入した事で速度が落ちたのか、それとも想像以上に厚みがあったのか、地上到達までには若干の時間を要した。

 界龍の展開した障壁に弾かれ、いとも簡単に消滅していく無数の顔。球状になった障壁の外側すべてが顔で埋め尽くされる。いっそ何かの魔術的精神攻撃と言われたほうが納得できるほどに非現実的な光景。心の弱い者なら、見ただけで発狂するだろう。それは単におぞましい光景による視覚効果だけではない。顔は俺たちを見ている。無数の、狂気のみで彩られた簒奪者の視線が物理的な質量を持って飛んで来るのだ。

 その密度は、俺たちがここまで切り抜けて来た人工衛星内のそれと比べても遥かに濃く、もはや地中を掘り進んでいるのと変わりない。界龍の障壁が解かれてしまった場合、俺たちは為す術もなく飲み込まれ、すべてを簒奪されるだろう。

 これらすべてが悪夢のような連鎖が生み出す犠牲者であり、加害者。一体どれだけの数の顔が存在し、この惑星を、宇宙を覆い尽くしているというのか。そして、この光景を実現させるために、無量の貌は一体どれだけの世界を滅ぼしたというのか。

 顔の群れに突入してからの時間が異常に長く感じられる。あるいは実際に長いのかもしれないが、距離感が一切掴めない。地上までが遠い。


――――《 まずいな。すでに大結界が収縮を始めている 》――


 しかし、どうやら界龍にとってもこの長さは異常事態だったらしい。


「分かるのか?」

――――《 すでに大結界内に入ってもおかしくない距離なのに、結界の魔力反応が遠い。顔のせいで阻害されているにしてもだ。このままだと破壊されるのも時間の問題かもしれん 》――

「あの……もしも結界が壊れた場合はどうなるんでしょう。嵐が止められなくなるのは分かりますけど」


 その疑問を口にしたのはクラリス。何かあると想定して動いていた俺たちとは違い、美弓から事情を聞かされただけの彼女は最悪の事態が想定できていないのだろう。


「頂いた資料で把握している限り、無事に済むのはクーゲルシュライバーだけです」


 その疑問に答えたのは空龍だった。


「現在、地上には二重の結界が張られています。超高気圧の嵐を遮断する大結界と、その内側の遺跡周辺で人間が生活可能な環境を調整するために迷宮都市が用意した小結界。このどちらが欠けても人間の活動できる環境ではなくなるのですが……そもそも内側の結界は外側の大結界ありきのものなので……」

「外側の結界が破られた時点でクーゲルシュライバー以外は全滅って事……?」


 その言葉に空龍が頷いた。

 この想定は俺たち人間だけではなく、地上の龍すべてにも当てはまる。嵐の中で生きていける存在は龍の中でも極わずかなのだから。


――――《 地上に降りたら我が大結界を張り直す。それでとりあえず最悪の事態は免れるはずだ 》――


 最悪でないだけで現状すでにその一歩手前くらいではあるのだが、それを口にする者はいない。


――――《 大小どちらの結界も遺跡の中心に行って張り直す必要がある。我が守護していれば、どちらかだけが壊れる事はあるまいよ 》――


 界龍の言葉は現状認識以外の意味を持たない。とりあえず、別々に考える必要はないという話がしたいだけかもしれないが。


「通信や《 念話 》が通じないのは十中八九あの顔のせいだ。結界に入るなり、どこか開けた空間に出るなり、とにかく顔の群れを抜けたら空龍は全方位に向けて《 念話 》。可能だったらセカンドかディルク、ヴェルナーと連絡を取ってくれ。ユキは例の掲示板宛てに通じるか定期確認を頼む」

「反応があったらアラート鳴るようにはしたよ」

「……はい」


 ふと、顔を向ければ空龍は何か考え事をしているような表情だった。


「何かあったら口に出しておいたほうがいいぞ。界龍の障壁に囲まれてる今はいいが、ボーっとしてたらあいつらの餌食だ」

「すいません。……何故、お母様が私に逃げろなどと言ったのかが気になっていて」


 普通に考えるなら後継者を残し、一族を絶やさないため、なんて理由になるのだろうが、龍の生態や在り方を元に考えるならそれは考え難い。龍の根源にあるのは種の繁栄などではなく唯一の悪意への復讐に他ならないからだ。そして、それは皇龍が果たすべき事であって、他の龍はその手足となるべく創り出されたに過ぎない。言ってみれば、皇龍在りきの種族なのである。

 母親として、せめて子供は生かしたいという感情が……微塵もないとは言い切れないが、それにしては空龍だけというのも不自然だろう。


「意図は分からんが、何か意味はあるんだろうな」


 目的に沿わない、まるっきり無駄な事をわざわざ提案してくるとは思えない。

 俺の近くにいれば、間接的に目的が果たされると思ったとか。……いや、ない。俺たちは他の虜囚に対して代わりに討ち果たして欲しいなんて感情は抱かない。加えて、やはり空龍である必要もない。

 同じ立場の者として考えるならば、やはり因果の虜囚としての目的が最優先だ。となれば、空龍に皇龍の代わりとなる要素があると考えたほうが自然だろう。……死んだら空龍の体に乗り移るとか、因果の虜囚そのものが継承されるとか……いや、死んだ場合にどうこうなんて博打が、良く分からない攻撃手段を以て挑んで来る奴ら相手に保険になるとは思えない。殺せない者を殺そうというのだ。概念や存在そのものを掻き消されるような状態で、次に繋がる事を期待するのは馬鹿げている。

 おそらく、ゲルギアルの切り札は《 宣誓真言 》。あるいはそれに近しいものだろう。その精度はおそらくディルクたちのそれとは比較にならないほど高度なものだ。自在に概念の書き換えを行うような相手なら、それらすべてを切り裂いてくるかもしれない。

 ……となれば、皇龍の生死に関わらず、空龍はその意味をすでに持っている?


――――《 地上が近い。この反応だと、あまり時間が…… 》――


 界龍の《 念話 》が止まった。

 いや、止まったのは《 念話 》だけではない。俺たち全員が、その異様な光景に絶句していた。

 この危機的状況にあって界龍が停止してしまったが、無理もないと思えるほどに。


――――《 どういう事だ? 》――


 その問いに答えられる者はいない。

 惑星全体を覆い尽くすような顔の群れを見て、俺は……いや、俺たち全員が地上も似たような状況になっているだろうという認識でいた。楽観的に見るにしても、皇龍が張っていた結界が壊れていないから遺跡周辺はまだ無事かもしれないという程度のものだ。

 しかし、分厚い顔の渦を越え、いざ地上近くまで来てみれば、そこに待っていたのはまるで想像と異なる光景だった。

 界龍が滞空しているのは、地上と天の狭間。おそらく、獲物が存在しないために発生した空白部分。おそらくは大結界の外で、本来嵐が吹き荒れているべき場所だ。

 地上を埋め尽くす顔はいる。いるが、その密度は薄い。一部とはいえ、露出した地面が見てとれるほどだ。一方で、空を埋め尽くす顔は隙間がないほどで、ここに至ってあの吹き荒れていた嵐が顔の群れを遮っていた事が理解できた。嵐はやんでなどいない。ただ、顔の密度が高過ぎてやんでいるように見えただけだ。では、本来地上を埋め尽くしているはずの顔はどこにいるのか。


「……黒老樹」


 空龍が呟く。

 ……そう。惑星全体を覆う嵐の中で、倒れもせずに点在する謎の樹。おそらくは、それらがあったと思われる場所に顔の群れが集中している。中身は見えないから確認のしようもないが、その光景はまるで天空まで伸びる塔のようでもあり、無数の顔で作られた竜巻のようでもある。

 起きている事は分かるが、何故そうなっているのかはまったく理解できないという状況だった。


――――《 良く分からんが、最悪よりは少しだけマシな状況らしいな。身動きとれんというほどでもないらしい 》――


 界龍はそう言って移動を開始する。

 向かう先は、同じように顔の群れがドーム状に形を作っている場所。中は確認できないが、おそらくあの中心部が遺跡だ。

 飛行する界龍に顔が群がってくるものの、視界が埋まるほどではなく散発的なものだ。理由は分からないが、やはり黒老樹に引きつけられているのだろう。


「ダメだ。やっぱり繋がらない。クーゲルシュライバーがすでに発進してるのかも」


 ユキがアクセスしようとしている掲示板は、クーゲルシュライバーを経由しての通信だ。サーバとしての役割を果たすクーゲルシュライバーがなければ当然繋がらない。……発進して迷宮都市に帰還中ならばいいのだが、完全に破壊されているというケースも有り得る。


「《 念話 》のほうは?」

「ダメです。対象の特定すらできない状況で……」


 界龍とは《 念話 》で繋がっているのだから、距離的な問題だろうか。しかし、空龍ならこの距離でもクーゲルシュライバーと繋がるはず。となれば、やはり阻害されていると考えるべきか……。


「いえ、ちょっと待って下さい。……繋が……った? はい。はい! 渡辺様、ディルクさんと《 念話 》が繋がりました! そちらに繋ぎます」


 見込みのなさそうな中で、歓喜に満ちた空龍の声が上がる。朗報だが、わざわざ個別に繋ぐのか?




-2-




――――《 良かった。これで繋がらなかったらどうしようかと。無事ですか? 》――


 脳内に聞き慣れたディルクの声が響く。


――――《 無事は無事だが、状況は最悪に近い。そっちは今どうなってる? 》――

――――《 すいませんが、僕も昏睡状態なんで詳細までは把握できてません。クーゲルシュライバーのネットワークだけで情報収集している状況で…… 》――

「は?」


 良く分からない言葉に思わず《 念話 》ではなく声を出してしまった。

 こんな状況において素に戻らざるを得ないほど、ディルクの発言は意味不明だった。昏睡状態ってどういう事だ? 話せてるだろ。

 ……いや、今はそれよりお互いの情報交換の方が優先すべき事項だ。いちいち突っ込んでいられない。


――――《 じゃあ、こちらから手短に状況を説明する。因果の虜囚が二体出現して、皇龍はその内一体と交戦に入った。救援は見込めないどころか、以前お前が言っていた世界消滅の危険すらある。そして、もう一体のほうがこの状況を引き起こした張本人だ 》――

――――《 やっぱり、あの顔と名前のない存在は……渡辺さんの言っていた 》――

――――《 俺の前世にも介入してたらしき因果の虜囚の一体、無量の貌。無数に存在する顔すべてが同一の存在で、デカさは天体レベル。あらゆる存在の顔と名前を奪い、自分の一部とする化物だ 》――

――――《 冗談……いや、そういう事か 》――


 ただ説明しただけで受け入れられるような情報ではない。天体を覆う姿を見ていた俺たちとは違い、地上にいた者は全体像を見ていないのだから。

 ディルクは何か納得した風ではあるが。


――――《 ……渡辺さんたちの現在位置と状況は? 》――

――――《 界龍の助けで人工衛星から降下して来た直後だ。現在位置は大結界外で今から遺跡に向かう。同行者はグレンさん、ユキ、ベレンヴァール、美弓とクラリス、空龍と界龍がいる。確認できている犠牲は五龍将の内二体。霊龍がその内一体の対処中だ 》――

――――《 ……五。そうか……これは簒奪の痕って事ですか。数が合わない 》――


 理解が早くて助かる。理解はしても納得はできるようなものではないが、今はそれでいい。


――――《 そうだ。簒奪された者の記憶は失われる。関連する情報すべてが失われるわけじゃないが、そこにいなかった事にされる。奪われた者はカオナシとなり、ただ他者の名前と顔を簒奪する亡者と化す。誰が犠牲になったのかすら正確に把握できない 》――

――――《 対処方法のアテは…… 》――

――――《 ……おそらく、ない。特にこの《 世界魔術 》が終了した時点で回収されたら、完全に奴の一部となる。奴らが出現してから《 因果の虜囚 》を通じて情報が流れ込んで来ているが、その中に対処法らしき情報はない 》――


 この情報流入は体験した本人でないと理解が難しいが、ディルクならどういうものかくらいは汲み取ってくれるだろう。


――――《 とりあえず、合流を目指すべきですね。……こちらの状況ですが、まずクーゲルシュライバーは機関トラブルで発進が遅延中。予備に切り替えを行いながら、可能な限り人員を収容している最中です 》――

――――《 顔とカオナシの被害は? 》――

――――《 甚大、としか言えません。影響範囲が大き過ぎて把握し切れない状況です。ネットを通じて回収した情報からは、顔のない人型と龍のような何かに襲撃を受けていると 》――


 やはり冒険者や龍も犠牲になっているか。

 記憶がなくなればソレがどこから来たのかも把握できず、突然出現したように感じるだろう。それが、すぐ近くにいた友人であったとしても。


――――《 船体のダメージは主に外壁。内部も結構な部分が損傷してます。出港時には外壁を切り離す事も検討されてます 》――

――――《 船外にいた者の収容状況は? 》――

――――《 数だけで判断するなら、半数以上は収容できています。ただ、現地滞在者用のシェルターに取り残された人が多くて、その収容にヴェルナーさんとリグレスさんが向かっているらしいです 》――

――――《 ウチの連中。それとある程度情報を把握している人たちへ展開する事は可能か? 》――

――――《 セカンドさんとラディーネ先生を通じて展開してもらいます 》――

――――《 ……お前は動けないのか? なんか良く分からん事になってるみたいだが 》――

――――《 ちょっと厳しいです。文字通り無量の情報を持つ存在を看破した事で、安全機能ごと僕の脳が焼かれました。今、最低限の機能を残して修復中なので動けない状態でして 》――


 どういう事なの……?


――――《 ただ、念話含む通信障害の原因はおおよそ掴めました。理論上でしか想定されていない話ですが、周囲の情報が膨大過ぎて、対象に接続できない状態に陥ってる状態と思われます。まともに繋げるためには、今のようによほどの高出力で魔力を飛ばすか、至近距離まで接近するか……あるいは、一定量の顔を吹き飛ばせば…… 》――

――――《 そういう理由かよ 》――


 原因は顔。ただ、それ自体が何かをしているわけではなく、膨大な数故に発生した問題という事だ。

 という事は結界内でもまともに《 念話 》や通信ができていないという事だ。この通信だって、常識外の離れ業で実現したものなんじゃないだろうか。


――――《 それと、結界や環境調整用の機器が損傷を受けている可能性があります。このままだと、クーゲルシュライバー以外全滅の可能性が…… 》――

――――《 それはこっちで対応する。界龍が降りて来た本来の目的もそれだ。俺たちもどこかで降ろしてもらって、カオナシの対応にあたる 》――

――――《 すいませんが、しばらく連絡がとれなくなります。何かしら手段は検討してみますが 》――

――――《 分かった。すまないが頼む 》――


 そうしてディルクとの《 念話 》は切れた。


 直後、界龍が咆哮を上げた。

 ブレスではなく衝撃波のような現象が発生し、大結界に張り付いていた顔が一斉に吹き飛ぶ。その隙間を抜けるように結界内へと侵入した。

 どうやら無条件で外側からの侵入を阻むわけでなく、選別も行っているらしい。




 結界内はここまでの道中よりははるかにマシな状況といえた。大量に侵入はされているようだが、地面は確認できる程度には密度に余裕もあった。

 空を見れば、隙間なく蠢く結界に阻まれた顔の群れが目に付く。質量によるものか、あるいはそういう能力を持っているのかは分からないが、結界へダメージを与え続けているように見えた。

 奴らの生態はさっぱり分からないが、おそらく、結界内の顔もここで出現したもの。おそらく、出現したあとは物理的な障害で阻めるという事だろう。結界がダメージを受けている以上、絶対ではないが。


――――《 このまま中心部へ向かう。お前たちは途中で…… 》――

「お兄様っ!! 下っ!?」


 空龍の悲鳴のような叫びと共に、界龍の飛行する真下の地面から巨大質量が出現した。

 噴火のような地面の隆起。土砂に阻まれて正体は確認できないが、その大きさは龍のもの。界龍の体躯と比べても大きく、岩のような肌から伸びる四肢や尾は不格好なまでに太い。山の如き存在が跳躍し、一瞬で界龍との距離を詰めて来た。

 ……そして、俺たちの視界を遮って余りあるその巨大質量には、顔がなかった。




-3-




 当然の如く見覚えなどない。普通なら、こんな存在感を忘れるはずがない。


「■■……いや、五龍将だっ!!」


 ただ一人、相手の正体を認識できるベレンヴァールが叫ぶ。……つまりはそういう事なのだ。

 眼の前のカオナシ龍は簒奪された五龍将の二体の内の一体。一体どういう能力なのかは分からないが地中を進行して来た。

 その体躯に翼はない。実際、滞空能力はないのかもしれない。しかし、背中から強烈な魔力を噴射する事によって界龍へ猛烈な強襲を仕掛けて来た。


――――《 お、のれっ!! 》――


 前方に展開される追加の防御結界も、その勢いを止めるには至らない。

 何より、手に俺たちを抱えたままでは極端に行動が制限される。かといってここで放り出されれば、超重力で潰されて死ぬ。狙ったわけではないだろうが、襲撃のタイミングとしては最悪だ。


「界龍! 迷宮都市の結界が及ぶギリギリでいい。俺たちを降ろせ!! このままじゃただの足手まといだ!」

――――《 しかし……いや、分かった! 少々荒っぽくなるぞ! 》――

「グレンさんっ! 空龍っ! ベレンヴァールっ! なんでもいい、とにかく離脱の援護だ」


 すさまじい速度で猛追し攻撃を仕掛けてくるカオナシ龍から全力で離脱する界龍。

 その攻撃に合わせるように、グレンさんや空龍の魔術、ベレンヴァールの《 刻印術 》を叩き込むが、まるで意に介した様子はない。

 カオナシ龍の攻撃が止まらない。効いていないわけではないのは見れば分かる。しかし、どれだけ攻撃を当てても、どれだけ部位を破壊しても構わずに突っ込んでくる。

 常時が捨て身の戦法だ。


――――《 ベレンヴァール、アレの能力や戦闘スタイルを覚えているなら、教えてくれ。このままではキリがない 》――

「分かった。……同じ五龍将である界龍に説明するのも妙な話だが」


 そんな事を言われても仕方ない。ここに至って、アレが五龍将だった事を認識しているのがベレンヴァールしかいないのだから。


「奴の空中移動手段は魔力噴射による加速だ。速い分、直線的で方向転換が難しいと聞いている。逃げの一手に徹するなら、追撃を回避する事自体は容易なはずだ」


 旋回能力は低い。空中静止は得意ではない。ただし、直線の速度と突進力だけはピカイチ。その特性はこれまでの攻撃にも現れている。攻撃の度に距離を詰め、それが命中しなければわずかな静止の後に方向転換。スキルを使ってこない事もあって、パターンは単純そのものだ。

 問題は、それが音速を超え、光と見間違うかのような速度で繰り出されてくるという事。界龍ならともかく、俺たちでは発生するソニックブームさえ防げるかどうか。


「特筆すべき能力は物理攻撃力、そして粉々に砕いても戦闘続行可能なほどに強力な再生力だ」


 ただし、その速度も奴の真骨頂ではないという。

 ここまで何度も攻撃が直撃し、体躯を粉砕してきたが、直後にはまるでダメージなどなかったかのように復元し、そのまま攻撃を行う。


「見かけによらず、HPや防御力はないはずだ。あの体躯は脆く、破棄を前提に作られている。攻撃中にその部位を破壊しようが即座に再生、構わずに攻撃を続行する。動きを止めようと拘束しても、拘束した部位を破棄して再生させる。奴を仕留めるなら、一撃ですべてを消滅させるか、ヴェルナーのように再生能力ごと無効化させるしかない」


 つまり、ダメージは受ける事前提。どれだけ体を破壊されようが攻撃だけは通す純物理アタッカー。殴りつけてくる拳や腕を失おうが止まらない。

 とんでもない猪突猛進ぶり。俺の《 飢餓の暴獣 》やロッテの《 鮮血姫 》を更に攻撃へと純化させたような能力とスタイルだ。

 つーか、ヴェルナーはこんな化物も封殺してのけるのかよ。


 ベレンヴァールも空龍も、おそらくはグレンさんも、直撃させればそれだけでトドメをさせる一撃は持っている。しかし、移動中という事を差し置いても、あのカオナシに対する有効打には成り得ない。当てる事が困難な上にダメージを無視されるのでは時間稼ぎにもならないのだ。

 無論、再生力にも限界はあるのだろうが、それを試す余裕も時間もない。

 行動パターンがシンプル故に、本来ならタンクである界龍との相性は悪くないのだろうが、現状はただ不利に働くばかりだ。


――――《 ……まずい 》――


 界龍に焦りが見える。その原因は俺たちも把握していた。

 大結界の縮小が目に見えて早い。内へ内へと向かっているにも拘らず、結界に阻まれた顔の壁との距離が開かない。

 更に、新たな問題として複数のカオナシ龍が確認できた。今は無視して移動できているが、その数は遺跡周辺に近いほどに数を増していく。中心部に向かうためには強行突破するしかないだろう。


「そろそろ小結界……迷宮都市の結界範囲だ。界龍、俺たちを降ろせば遺跡まで突破できるか?」

――――《 できるが……別の問題がある。このままアレを放置すれば、迷宮都市の結界を破壊されかねん 》――


 最大の問題は今も尚猛攻を続けるカオナシの五龍将。俺たちのお守りが必要なくなっても、界龍がアレを仕留め切れるとは限らない。それ以上にその時間もない。

 二手に分かれて俺たちが引き付けるという手もなくはないが、クーゲルシュライバーへ向かう事が困難になる。あんなものを連れて行って破壊されたら目も当てられない。


――――《 元々あったものを再展開するだけだから幾分かは簡略化できるとはいえ、大結界の発動時間を捻出する必要もある。そんな隙をアレが見逃してくれるかどうか…… 》――


 これだけ執拗に追撃されているのだ。そんなはずはない。何かしらの対処は必須だ。


「……私が同行して護衛につこう。仕留めるのは難しそうだが、術式発動中の時間くらいはなんとかなるだろう」


 グレンさんの提案は、おそらくこの状況で最も理に適ったものだった。単独で五龍将を倒せないといっても、無防備な界龍を護り、時間を稼ぐくらいはできる。


「それなら俺たちも……いや、足手まといですね」


 そして、それだけなら一人でも十分だ。手が多い分、楽にはなるだろうが、わざわざ俺たちまで同行する事に大した意味はない。


「なんだかんだで戦力にはなるだろうが、君の場合はクーゲルシュライバーに向かう事を優先すべきだろう。この一連の問題に一番関係が深いのは君だ。何ができるかは分からないが、何かができるとしたら君だ」


 ここに至って、俺に何ができるかなど分からない。しかし、俺が何かをしなくてはならないと感じているのも確かだ。


「空龍君を逃がす役割を請け負ったのは君だしな」

「それはそうですが……」


 皇龍が俺だけに言ったのは、それをするのが因果の虜囚である必要があるからかもしれない。

 もちろん、俺が死に辛そうだとか、同類であるから単に信用されただけという理由もあるが。


――――《 ……反応せずに聞いてくれ 》――


 そうしたやりとりの合間で、グレンさんが《 念話 》を飛ばして来た。


――――《 先ほどから、強烈な喪失感を感じている。正体は分からないが、私は何か大切なものを失ったんだろう 》――


 それは……これまで無数に感じていた簒奪の爪痕。その一つがグレンさんの大切な何かを奪い取った。

 《 アーク・セイバー 》の誰かか、この遠征に参加していた冒険者か、それとも職人の中にそういう存在がいたのかもしれない。

 元々グレンさんは駐在大使のような役割だ。あるいは、"グレンさんの家族が同行していた"可能性もある。

 だが、それが何かは分からない。グレンさん本人にも分からないだろう。あるのはただ、ぽっかり空いた心の穴だけだ。


――――《 感傷が含まれてる事は否定しない。だが、やれる事があるのならやるべきだと言われているような気もするんだ。事実、私が最適なのも確かだ 》――


「……ツナ?」


 極力、表情に出さないつもりだったが、ユキは何かを感じ取ったらしい。誤魔化すように、なんでもないと首を振る。


「……分かりました。お願いします」

「まあ、死ぬつもりはないがね。ウチの誰かと連絡ついたら応援求むと伝えてくれ」

――――《 助力、感謝する。付き合わせてしまって、すまん 》――

「なに、一応冒険者の代表だからな。それに騎竜戦闘は慣れているから相性はいいかもしれないぞ」

――――《 乗り物扱いされるのは困るが、今は置いておこう 》――


 リンダと違って鞍も手綱もないが、飛行生物に乗っての戦闘経験値があるのも確かだ。乗っているのがグレンさんだけなら、界龍も全力戦闘が可能かもしれない。


「では、まずは指定のポイントまで飛んでくれ」




-4-




 グレンさんたちと別れ、俺たちは地下へと進んでいた。

 遺跡地下に造られた地下道。シェルターとの連絡通路として使う以外に、今後の開発計画に先駆けて用意していたものの一つらしい。

 一度地下に降りるため移動距離は長くなるものの、結果的にはこちらの方が早いと判断した。

 閉鎖空間故の危険もあるが、地上では空を飛べるカオナシ龍に対応できない。地下道も龍が入るスペースはあるが、それでも空間が開けているよりはマシだ。


「美弓、大丈夫か?」

「……あんま大丈夫じゃないですけど、走るくらいなら」

「戻ったら全員で反省会だから。覚悟しときなさい」

「はは……」


 ベレンヴァールに担がれていた美弓は一応意識を取り戻していた。MPは枯渇し、それ以上に《 ステータス変換 》の影響が大きいのか戦闘は厳しそうだが、ベレンヴァールの片腕が空くのは大きい。それに、意識があるだけでも美弓にできる事はある。


「……なんでトマトちゃんが」


 初めて見るトマトちゃんズの容貌にユキは驚いていたが、見た目を気にしなければ窮地にもたらされた援軍だ。

 トマトちゃんたちが周りの顔へ機関銃を乱射する。威力はさほどでもなく、特に狙いは定めずにバラ撒くだけだが、ただの顔相手ならこれでも十分な戦力と言えた。無駄に統率のとれた行動が容姿と合わせて不気味極まるが、今は頼もしい。自身を顧みない自爆攻撃にも敬礼を返したくなるほどだ。


「ベレンヴァールっ!! 後ろの奴は任せた! 空龍とクラリスはフォロー!! ユキっ、正面の奴を片付けるぞ!!」


 行く手を阻む最も大きな障害はカオナシの龍と人型。

 隙あらば顔と名前を簒奪しようと手を伸ばしてくる顔を警戒しつつ、それらを無力化する。人型は一般人と冒険者が混在しているのか戦力はバラバラだが、龍は総じてハイスペックだ。スキルはほとんど発動してくる様子はないので俺たちでも対応できているが、素の状態でも十分脅威である。

 しかし、壁だろうが天井だろうが平気で足場にするベレンヴァールはもちろん、ユキも閉鎖環境での戦闘は得意とする。閉鎖……と呼ぶには少々広いが、何もない地上よりは有効的な戦闘が可能になっている。

 動きの鈍い美弓を護り、トマトちゃんで対応できない大物を仕留めるのは空龍とクラリスの役目だ。人工衛星での戦いからそうだったが、クラリスは即席のパーティでも問題なく実力を発揮している。元々の才能なのか、ベテラン冒険者としての経験によるものかは分からないが、突発的に状況が推移する今、むしろ美弓&トマトちゃんズより戦力として数え易い。

 ダンジョンではなく現実、しかもありえないほどに悪質な敵に囲まれている状況だが、この部分だけ切り取ってみれば六人パーティでダンジョン・アタックしているのと大差はない。つまり、パーティとしての実力を発揮する事が、この苦境を切り抜けるために必要な事といえた。


 グレンさん曰く、この地下道はクーゲルシュライバー発進基地まで一本道だ。正確な現在位置は把握できていないが、かなり距離は縮めたはず。このまま何もなければ辿り着ける。


 ……しかし、戦況が安定するにつれて違和感を感じていた。本当に、これだけなのかと。

 無数の顔や簒奪する白い手は確かに脅威だ。初見殺しとしては最悪極まる存在で、奇襲を許せばどんな強者ですら無力化される。

 戦闘力を見た場合はカオナシが主力だろう。元の存在に依存する部分が大きいものの、冒険者や龍がカオナシとなれば強力極まる兵となる。しかし、元のスペックが高くとも戦闘経験値は残らないのか、カオナシの戦闘は力押しがほとんどだ。スキルもほとんど発動せず、まるで幽鬼か亡者のように顔と名前を求めて襲いかかる。行動パターンは単純そのもので、慣れてしまえば多少の実力差は軽く引っ繰り返せるだろう。

 もちろん五龍将のような規格外が出てくれば話は別だが、それ以外となるとカオナシになったところで警戒すべき存在は少ない。カオナシ化されてやばいのはヴェルナーとセカンド、リグレスさんあたりだが、名前を覚えているという事は無事であるという事だ。そして、そこが最高戦力だと認識しているという事は、最悪でもそれ以上はありえないという事。各クランの幹部や主力がカオナシになった場合も脅威ではあるが、その能力を活かせない状態ならどうにもできないという事態には陥らないだろう。少なくとも、カオナシが連携して行動する事はないのだから。

 それだけではなく、不安要素は他にもある。

 皇龍が負けた場合。その場合は世界の崩壊までどの程度のタイムラグがあるのか。そうなったとして、ゲルギアルは警戒しなくてもいいのか。宇宙で戦っている霊龍が負けた場合に彼と戦っていた五龍将は地上に降りて来ないか。界龍とグレンさんが結界を張れずに失敗しないか。クーゲルシュライバーだって安全とは言い難い。……しかし、これらはどれもが現在対応中の問題に過ぎない。

 今恐れるべきは完全な未知。


 ここは戦場であってもダンジョンではない。

 ダンマスが冒険者を鍛え上げるために用意した試練もなければ、場を盛り上げようと用意したサプライズもない。

 あるいは楽しむためにネームレスが用意した[ 静止した時計塔 ]の演出も必要ない。

 どこかを攻略するわけでもなく、条件が提示されているわけでもない。もちろん、ボスを配置する必要などない。

 そういった演出は必要ない。もし何かがあるとすれば、それには現実的な意味があると考えるべきだ。


 その場合、最も警戒すべきなのは……無量の貌だろう。あれほど意味不明な存在もないのだから。

 そもそも、俺たちは顔やカオナシと戦っているが、これは奴の一部分に過ぎない。全体から見れば一部分どころか一細胞にも満たないかもしれない存在だ。つまり、無量の貌に関しては行動の余地がいくらでもある。

 奴に関して情報は少ない。《 因果の虜囚 》から伝わってくる情報は表面的なもので、行動を予測できる類のものではない。

 辛うじて参考になりそうなのは前世の記憶。

 俺は地球でカオナシと戦った経験がある。そのどれもが元はただの人間であり動物であり虫だったはずだ。それらは冒険者の力がなくとも十分に対抗できる存在だったし、生物としての機能を失えば沈黙するだけの存在だった。俺が生きていられた理由の一つでもあるだろう。

 記憶が混濁している状態では正確な事は分からないが、少なくとも出現から数日後……最長でも俺が東京に向かった時にはカオナシの姿がなかったはずだ。それを元に考えるなら、《 名貌簒奪界 》の発動時間は数日程度と予測できる。もちろん術者の意思や状況によっても違うだろうが、少なくともあの世界ではそれだけの期間しか発動していなかったという事は確かだ。無数の異形や、悪意によって変質した怪物どもの印象で薄らいでいるが、無量の貌の介入はせいぜいそれだけだったのだ。

 そもそも、あいつは何故顔や名前を簒奪する。さすがに愉快犯ではなく、何かしらの意味はあるだろう。最低でも存在の一つ一つは意思を持ち、壁となっている。膨張し、巨大化すればそれだけ死に難くはなる。……しかし、それだけなのか?

 アレの同類とは認めたくないが、俺たちの敵は唯一の悪意だ。ステージを上がるために用意された試練や、最終的な席を奪い合う関係である因果の虜囚はいるが、最終的な目標は共通している。

 理解し難い超常。亜神となった者の中で最も真の神に近い存在。どうすれば滅びるのか現時点で見当もつかないが、それは天体レベルとはいえ膨張しただけで果たせるものなのか? 簒奪する行為には副次的な意味があるのではないか? それは、奴を強化するための儀式なのではないか?

 顔と名前とは言っているが、アレが行っているのは存在そのものの簒奪だ。魂と言い換えてもいい。

 そこに含まれるものがあるとすれば……真っ先に浮かぶのはギフトだ。いつか聞いたが、アレはスキルと同様の扱いではあってもより深く魂に根付いたものだ。魂の形を構成する要素の一つといえる。

 あるいはそれにスキルやステータスも含まれるかもしれないが、そうやって無数の能力を簒奪しているのならば、膨張の果てに唯一の悪意へと辿り着く可能性もあるだろう。奪い、己の一部として膨張し、成長する。個として自身を鍛え上げるよりも、よっぽど手っ取り早く効率的だ。才能なんて限界も感じる事なく強くなれるはずだ。

 そして、それが正解だとすれば……浮かび上がってくる一つの危険がある。

 俺たちは今、簒奪に対して抵抗している。自衛の手段を持たない者なら……地球の生物なら、ロクに抵抗できない現象にも抵抗できている。

 相手の力を簒奪する事が目的だとすれば、本来優先すべき対象は龍や冒険者のような強者だ。そういう意味では、地球にあったのは数だけといえる。

 意味がなかったから、必要以上の介入を行わなかった?

 もし、この推測が正しいとすれば、無量の貌の介入はこれで終わりじゃない。

 そして、仮説に次ぐ仮説は《 因果の虜囚 》から流れ込んでくる知識によって確信に近いレベルで補強されている。

 これで終わりではない。この介入には間違いなく続きがあると。


 剣を振る。切り裂いたカオナシの傷に既視感があった。初見のはずなのに、まるで在るべくしてあったもののように。俺は今を知っている。

 予知ではない。未来を見通したわけではない。すでに通過した経験をなぞっている。どうすれば最適な行動が取れるか理解している。

 今の俺はレベルや経験に見合わない動きをしているように見えるだろう。

 俺はこれまで歩んで来た道が《 因果の虜囚 》によって歪められたレールのようなものだと思っていたが、それは間違いだ。ここに来て、それに気づく。いや、思い出しかけている。

 この道を用意した存在はまったく別の者だと確信している。


「ツナっ!! 危ないっ!!」


 ユキが叫ぶのとほぼ同時に、跳躍する。

 先ほどまで立っていた通路が崩落した。崩落した通路の下には空間があり、そこから多数のカオナシ龍が侵入してくる。一体二体ならどうとでもなる相手でも、これだけの数となると厳しい。瞬殺される事はないにしても、かなりの時間を要するだろう。

 通路に飛び出すと同時に複数のカオナシ龍が俺へと肉薄する。

 しかし、何故か焦りはなかった。……いや、焦っているが、同時に冷静な俺が同居しているのを感じた。

 もう一人の俺は、まるでその様子を俯瞰しているように、ただ状況だけを認識している。


 何故なら、この後に続く道を知っているから。


「おぅらあアッッ!!」

――――Action Skill《 襲爪連牙 》――

――――Skill Chain《 円環爪蹴 》――


 突如飛び込んで来た影がカオナシ龍に肉薄し、後ろの個体ごと吹き飛ばした。

 両手両足に金属爪を装着し、舞うように無数の爪痕を残していく姿はあまりに見慣れた仲間のものだ。


「ガウル……」

「あんまり遅えから迎えに来たぞ。といっても四人……三人と一匹だけだがな」




-5-




 振り返れば、ティリアと摩耶が参戦しているのが見えた。その向こうにはカオナシと比べても異形の姿……キメラがいる。いや、そりゃ人として数えるのはアレかもしれんが、わざわざ言い直す事はないだろうに……。


「ん? なんか驚いてねえな。ディルクから《 念話 》届いてたか?」

「あ……いや、なんでもない」


 どこか、別の世界に飛びかけていた意識がはっきりとした。

 戦いの最中だというのに、あまりに虚ろな感覚の中で滞留していた事に気付く。危険極まりない。


「お前ら、どこから来たんだ?」

「職員用の連絡通路が別にあるんだよ。人間用だから狭いが、逆に良い方向に転がった」


 どうやら、この通路に沿うように別の通路があったらしい。完全に職員用で地図にも載っていないが、セカンドから情報をもらって通って来たそうだ。見れば、壁の一部が開いている。……確かに、これなら龍の巨体は通れない。

 とはいえ、床を破壊してくるような龍ばかりの場所では、狭さは一方的な優位性を持たないだろう。


「一度集まれっ! このカオナシ龍を無力化してから移動するっ!!」


 勝手知ったるなんとやら。スタンドプレイの多い連中ではあるが、ここまでずっとパーティを組んで来たメンバーなら連携もとり易い。

 それでなくとも、単純に手数が増えた事は戦力の強化に繋がる。純タンクのティリアが加わった事で空龍やクラリスが前に出られるようになったのも多い。地下から這い出るカオナシ龍も、わずかな時間で打ち止めとなった。


「リーダーさん。殿に就きますんで、先頭はお願いします」


 カオナシ龍の団体がいなくなっても、顔が蠢き、カオナシが途切れる事なく現れる状況に違いはない。

 ティリアが連絡通路の入り口に陣取り、退路を確保。俺が先頭になって通路を進む。


「ラディーネ先生からこれを預かって来ました」


 と、一段落したところで、俺の後ろについていた摩耶から何かを手渡された。


「耳栓?」

「高出力の通信機です。一応耳用ですが、どこにつけても送受信に増幅がかかります」


 どうやら、通信ができない状況に対応するために引張り出して来たものらしい。シェルターへ救援に向かっているヴェルナーたちにも別働隊が向かっているそうだ。確かに通信機ならディルクしか使えなそうな《 念話 》よりは汎用性がある。


『こちらラディーネだ。無事みたいだな』

「ああ。クーゲルシュライバーまで結構近いところまで来てる。ディルクから情報共有は受けているか?」

『信じ難い話だが、おおよそは。そろそろ、そのディルク君も復帰できそうだ』


 ……あいつは本当になんなんだろうか。脳焼かれて数時間で復活するなよ。いや、復帰自体はありがたいんだが。

 それならと、グレンさんの状況を含めて現状までの補足を行う。


『そのグレン氏もだが、シェルターで保護している者たちも回収は不可能と判断された。時間経過で被害も拡大している現状、回収を待っていては発進自体できなくなる恐れがある。無理してでも即座に折り返して来る予定だが……』


 薄情ともいえる判断だが、それが仕方ない事だとは理解できる。

 楽観的な考えだが、ヴェルナーとリグレスさんなら往復に必要な数日間は耐える事は可能だろう。ダンマスもこっちで何かあった事は把握してるはずだから、すでに向かって来ている最中かもしれない。数日の間に《 名貌簒奪界 》の効果が切れる可能性もある。

 今の状況なら、数日耐える事だけなら難しくはないだろう。……このままの状況が続き、皇龍が敗北しないという前提だが。


『クーゲルシュライバーの発進準備はあと三十分ほどで整う。個別に待つのは厳しそうだが……間に合うかね?』

「あんまり余裕はなさそうだが、無理じゃなさそうだな」


 これまで同様の密度で敵がいるとしても、なんとかなる距離と時間だ。


『保険として、ボーグ以外の小型艇は全機降ろしてある。最悪の場合はそれに乗って回廊に突入したまえ。実績がないだけで、理論上は迷宮都市に辿り着けるはずだ』


 できれば避けたいが、保険があるだけで助かる。最悪、生身で移動する事も想定していたのだから。

 世界を繋ぐあの回廊はダンジョン同様にほとんど時間経過がない。早く突入できれば、その時間以上に迷宮都市への連絡が早まるだろう。


「……悪い。ラディーネ、間に合わねーかも」


 しかし、こうして話している内に"何か"が起きてしまった。


『何があった、おいっ!!』


 人間用の通路。龍が行動できるようなスペースはないが、決して狭いわけではない。俺たちが横に並んでも五人分くらいの空間はある。圧迫感があるのは壁一面のほとんどが顔の群れに埋もれているからだ。その顔と、そこから伸びてくる白い手を切り裂きながら進んでいた。

 そんな中、不自然にも目の前に開けた空間がある。床も壁も天井も、むき出しのままだ。

 その中心に、俺たちを待ち構えるようにして顔の集合体のようなナニかがいた。


『は、はは、ハジメマシテ? コンニチワ? コンバンワ?』


 相変わらず発声元は不明だが、そのナニかは最初に無量の貌がしたように言葉を放っている。対象はもちろん正面にいる俺たちだろう。

 問答無用というわけではない。言葉で戦闘を回避できるなら助かるが、それを許してくれる相手とも思えない。

 最大限に警戒し、いつでも戦闘に入れるよう態勢を整える。耳栓から聞こえてくるラディーネの声に反応するのは後回しだ。しかし、謎の異形は俺たちの反応と関係なく言葉を続けた。


『ワタシ、無量の最小単位、いと小さきモノ、涅槃寂静、その一体。ワタシ、お前ニ興味アル』


 カオナシのように無差別に相手に襲いかかるわけではなく、俺たちという存在を理解して相対している。

 ああ、分かってしまう。これは特別製だ。無数の顔とは別に、無量の貌の一部分と呼べるような個体なのだろう。

 その証拠に、俺は恐怖している。カオナシの五龍将などよりも、よっぽど怖い。体の芯から凍りつくような寒気が浸透し、体中の体温を奪い去っていくようにも感じる。


「……簒奪の第二段階ってわけか」

『イヒッ、イヒヒ、主の一部なる栄誉を理解できない愚カモノを直接回収スル、スルスル』


 無視して通してはくれそうにない。全員それが感じとれているのか、囲むように戦闘態勢に入った。

 異形が膨張する。内側から張り裂けるように、閉じ込めていた万の顔を解放するかの如く。


『ワタシ、お前を知ってイル。主のイケニエになり損ネタ食べ残シだ』

「……対存在のいる因果の虜囚に手を出さないって不文律があるらしいぞ」


 一応、はったり混じりに口に出してみるが、こんな意味不明な奴がルールに則って動いているとは思えない。俺だけ見逃すとか言われてもゴメンだが。


『お前、ワタナベツナ、虜囚、知っている。興味ナイ』

「は?」

『興味アルのはソレ……そのタベノコシ……名前、ナマエ、なまえアル。残ってル。顔、残っテル』


 俺じゃない? だが、こいつらに関係がありそうなのは俺くらいしか……。




『ソウ、確かティリア。ティリアティエル。お前、回収スル』



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