第5話「顔」




-1-




 無量の貌。天体にも等しい範囲に存在し、目視では到底把握できない規模で顕現した化物。

 決して幻ではない。顔一つ一つから発せられる気配は実体以外の何者でもない。

 この顔すべてが同一の存在であるとするならば、もはや怪物なんて言葉では言い表せない超常だろう。

 スケールの違いを感じる存在と相対した経験はこれまでに数多くある。ダンマスたちや眼の前にいるゲルギアルは同じ人型の身でありながら、はっきりと格の違いを感じた。ネームレスは異種族故に理解し難い部分もあって、別方向で違う存在といえる。皇龍は分かり易く、ただただスケールがでかい。

 そして、この無量の貌はそれらすべてと比較しても異質なスケール感を以て出現した。これはもはや理解さえ不可能な領域だ。

 こんな化物が因果の虜囚……俺と同じ存在だというのか。

 こんな化物と張り合わないといけないのか。

 こんな化物が勝てない相手を滅ぼすつもりなのか。

 同じ虜囚らしい龍人ゲルギアル、そして皇龍にも圧倒されたような雰囲気は感じない。この場では俺だけが圧倒的格下だ……くそ。


《 チち■ョウuウぅウダdaイィ 》


 膨大な数の顔、そのすべてから一斉に放たれる声は統一されていない。

 おそらく大量の言語……いや、言葉でさえない何かも含めてすべてが自動翻訳されているのだろう。奏でる言葉は天文学的な不協和音となり、脳が処理し切れずに悲鳴を上げる。ただ喋らせるだけで災害。発せられる度に気が狂いそうだ。こいつに喋らせているだけで俺たちは全滅する。

 いや、喋らずとも、これだけの気配に囲まれているというだけで精神が摩耗していく。

 こいつは……これまで出会った超常の中で最も唯一の悪意に近い在り方をしている。


「……もう一度だけ問うぞ。邪魔をするつもりか、無量の貌」

《 いひ、イヒッ、手テてダさナい。舞台にハナをソソえる 》


 あきらかに不機嫌なゲルギアルがその剣を一閃すると、地面にあった無数の顔が弾け飛んだ。その下にあった床も裂け……おい、そんな適当な一閃でどこまで斬れてんだよ。


《 イた、痛痛痛痛痛いた痛ィー! 》


 絶叫にも聞こえる声が天体に響き渡るが、斬られた顔はすぐに再生している。再生した顔が同じものかは分からないが、ダメージがあったようには思えない。そもそも、天体規模に存在する顔の内、百や二百を吹き飛ばしたところで意味があるのか。これだけの物量の前では、細胞を一つ破壊する程度の意味すらないのではないか。

 ……そうだ。この化物の強みは圧倒的物量。命を無数に持つ……いや、分かり易くいうなら俺たちが持つステータスが顔の数だけ存在するようなもの。そういう類の化物だ。

 何故だか確信がある。……俺はこの情報を知っている。あやふやで漠然とした情報だが、俺の中のどこかに刻まれているのが分かる。それを、少しずつ思い出している。

 焼けるような高負荷を伴い、浮上して来る情報の奔流に脳が悲鳴を上げる。その流れを辿った先は左腕。微かながらも、《 因果の虜囚 》との繋がりを感じている。……これは、唯一の悪意が創り出したシステムだ。


「ここは我が戦場。我らが死地。故に過度な干渉は許さん。そもそも、檻を破っていない虜囚に手を出さぬ事は我ら共通のルールのはずだ。要らぬ事をすれば、鬼の右腕に食われるぞ」

《 鬼。おに。オニ。イバラのオニ。自己矛盾の塊。奴は苦手。嫌い。怖い。近寄りたくない。食われる。美味しそう 》


 ……鬼? イバラ……茨?

 それが先ほどゲルギアルが言ったのと同一の存在を指している事はすぐに理解できた。こいつも俺の対存在を知っている。

 いや……おそらくだが、因果の虜囚はお互いの情報を持っている。それが段階的に、必要に応じて呼び起こされるのだろう。皇龍がステージを上がった事で対存在のシステムを思い出したように、俺もまたそれに近しい現象が発生しているのだ。

 だが、まだ完全ではない。大量に存在する情報の一端が流れ込んで来ただけのようなものだ。俺はまだ、条件を満たしていない。……しかし、その条件に近付いてはいるのだという認識があった。

 左腕の向こう側で死が……イバラの鬼が手招きしているのを感じる。


「……すまんな。どうやら、いらぬ客を招いてしまったようだ」

「邪魔極まるから追い返して欲しいものだが」


 皇龍はこの場にあって感情の揺れを感じさせない。眼の前の幻影はもちろん、裂けた天井から覗いている巨大な瞳もそうだ。大きく反応したのは、おそらくゲルギアルが現れた時くらいだろう。


「アレは顔や名前さえ存在すればどこにでも現れ得る災害だ。私が追い返したところですぐに戻って来るだろうよ。排除するには、それこそ天体を駆逐する手間がかかる」

「龍を妾の手足と呼ぶのに、その手足に被害がもたらされる事を許容すると」

「アレの介入は遺憾ではあるが、関係ないな。知ったことか。条件は揃ったのだ。この状況でこうなったのも運。手足を満足に使えなかろうが、これもまた因果という奴なのだろうよ。……まあ、貴様を斬ったあとに討伐する優先順位は上げておいてやろう」

「…………」


 皇龍とゲルギアルの間に介入する事は許されない。ならば大人しくこの場を去るべきなのだろう。そうするべきだと《 因果の虜囚 》から流れ込んで来る何かが訴えている。

 この際、それはいい。唐突に過ぎるが、皇龍だって納得はしている。これは、対の因果の虜囚が挑むべき聖戦だと。

 ……問題は無量の貌だ。こいつはこの星……いや、世界に出現した大規模災害と言ってもいい。大人しく脱出させてくれるとは思えない。因果の虜囚の不文律があるにしても、俺に手を出すかどうかだって、はっきり言って未知数だ。どういった思考で動いているのか理解不可能な以上、過信はできない。加えて、俺以外の連中にはそういったささやかな枷も存在しない。

 さっきから一切発言していないのは、全員が全員怯えているからだ。声を出すだけでも困難な恐怖に呑まれている。

 ……見られている。言葉では言い表せないほどに大量の視線と感情が俺たちへと向けられている。

 そのすべてで、俺たちを値踏みしている。


「始めるとしようか、愛しき宿敵よ」


 ゲルギアルの言葉が口火となった。

 皇龍の幻影が消え、衛星が振動する。至近距離で皇龍の本体が動き始めたのか。


――Action Skill《 我が剣はすべてを切り裂く刃である 》――


 ゲルギアルが剣を振るう。

 ただ上空に向かい一閃しただけの何の変哲もない剣が、無量の貌の大量の顔を両断し、衛星の隔壁を両断し、空間を両断した。

 その先にある皇龍の体にも届いてるが、切り裂かれた場所は過程も経ずに再生した。

 皇龍は一度だけこちらを見た。そして、ゲルギアルに対処するのではなく強烈な振動を伴って移動を開始する。


「なるほど、やはり私の知る劣化龍とは随分と違うらしい」


 そうしてゲルギアルも俺を一瞥し、消えた。いや……皇龍を追っていったのだろう。

 残されたのは俺たちと無量の貌。助力の望めない状況にあって、最悪の境地に立たされた。

 皇龍を責めるのはお門違いだ。あの超人相手に余裕があるとも思えない。しかし、どうすればいい。


《 さア、さあ、サア!! 食ラウ、飲み込む、一つになる、満たセ、同志、歓迎、増えヨウ、世界を飲み込み、悪意へと至るタメニ!! 》


 耳が壊れるような不協和音の大合唱。ノイズが宇宙を振動させる。宇宙規模の殺人コンサートだ。



――Action Magic《 名貌簒奪界 》――



 その瞬間、世界が顔で溢れた。




-2-




 俺たちを囲んでいた無数の顔が、盛り上がり、膨れ上がり、何かの生物の形をとる。顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔……頭、胴体、手足、すべてが顔で構成された怪物の形を。

 それらは俺たちを包むように膨れ上がり、顔の波となった。たいして離れてもいなかったのに、全員が分断される。

 大きな音がする。おそらく、この人工衛星は崩れかけている。皇龍が移動した余波、ゲルギアルの斬撃の影響が大きいだろうが、最大の要素は顔だ。すべてが顔へと変貌しつつある。


《 ォォォおおぅおおおオぇああああああああっあああァァアアッッ!! 》


 俺を取り囲む無数の顔。それは、状況だけ見ればいつか体験したモンスターハウスのそれに酷似しているようにも感じられた。

 凶悪なモンスターと比べてさえ、醜悪極まる怪物ではあるが。……ジェノサイド・マンティスが懐かしい。

 安全領域の存在しない危険地帯。上下左右、どこをみても危険しかない。そりゃ、美弓だって右往左往する。


――――Action Skill《 強制起動:飢餓の暴獣 》――


 同時に湧き上がる強烈な飢餓感。素のままの俺では到底切り抜けられないと、早々に内なる獣が判断した。

 ……ああ、そうだろう。この状況において、危機を感じない事はないだろうよ。死地なんてものじゃない。周りはすべて、一瞬でも気を抜けばあっという間に飲み込まれかねない暴虐なのだから。


 だが、この場に至り、俺は極めて冷静だった。《 飢餓の暴獣 》が引き起こす強烈な感情の発露や身体能力の向上はあるが、それよりも強烈な既視感が俺を支配している。

 俺は、これを知っている。この地獄は、体験している。

 唯一の悪意がもたらす際限なき負の感情はない。カオナシは今の段階では発現しない。アレは結果として生まれるものだ。周りにいるのは異形ではあるが、単一種と言ってもいいだろう。色々と状況は違う。この地獄は、前世で見た本物の地獄を切り取ったものだ。……そう、それだけのものに過ぎない。

 しかし、これだけでも容易く俺たちを滅ぼし得る暴虐には違いない。

 動けるのは俺だ。周りの連中はグレンさんを含め完全に呑まれていたはず。


――――Action Skill《 強制起動:念話 》――

――――System Alert《 強制起動によりスキルレベルにマイナス8の修正 》――

――――《 呑まれるなっ!! こいつらの一体一体は大した事はないっ!! 》――


 無理矢理 念話 を発動させる。それができるという確信があった。

 おそらく、《 魂の門 》で魔術的素養が向上した事によるものだろう。消費MPは莫大、距離も精度も悲惨なものだが、この場にいる連中になら届く。状況に呑まれかけているところに活を入れる程度は可能だ。


――――《 え、ツナ!? ど、どういう事? 》――

――――《 まずは合流だ。周りの顔を薙ぎ払うぞ!! 注意すべきは手だ。決して触れるな。顔と名前を奪われないように注意しろ! 》――


 《 念話 》を通してではあるが、全員が息を飲み、意識を切り替えたのを感じた。

 周りを囲む顔から白い手が伸びてくる。

 はっきりと危険を感じるコレが無量の貌が無量の貌足り得る力だ。奴はコレによって相手の顔と名前を奪い、同化する。

 顔と名前を奪われた者はカオナシとなり、奪われた顔と名前を求めて彷徨い、他者の顔と名を奪うという連鎖が発生する。それを、"思い出した"。

 ……ああくそ、こういう仕組みかよ。なんて悪辣、極めて効率的な手段だ。

 これは一度奪われたが最後、元の持ち主に戻る事はない。殺した相手の顔か名前を取り戻す仕組みと思っていたのも、再度奪っていただけ。

 人間が奪ったところで、他者の顔や名など定着するはずがない。そういう性質を持つモノにしか扱えない。俺が伊月の名を覚えているのも、俺が保持して死んだ事で回収されなかっただけの事なのだ。

 無量の貌が発動した《 名貌簒奪界 》はそれらをまとめて回収するためのものだ。この《 世界魔術 》が終了するまでに奪われた顔と名前は無量の貌と同化し、二度と戻らない。転生システムの輪からはずれ、魂すら取り込まれる。

 名前と顔、どちらが欠けても魂が成立しない。どちらかが回収された時点で無量の貌の部品と成り果てる。


「っざけんなぁああああっ!!」

――――Action Skill《 瞬装:魔鋼の大剣 》-《 ストライク・スマッシュ 》――


 切り裂く。大した手応えはない。これらは物量と悪辣なスキルを除けばそこらのモンスターと大差ない存在だ。それぞれはHPすら持たないかもしれない。これはただの回収システムの一端だ。


 体の奥から激情が溢れ返る。

 コレを許してはいけない。コレを滅ぼさなければならない。コレは俺たちの世界を食らった悪意の一つ。

 確信した。この無数に存在する顔の中に、俺たちがいた地球の人間が含まれている。輪廻の輪に入る事もなく、囚われたまま。

 判別はできない。見ても失われた記憶は戻ってこない。だが、存在しないはずがない。顔も名前も思い出せない懐かしき人々は、こいつの一部と化している。あの地獄で戦ったカオナシどもは、魂が欠けた残骸なのだ。


――――《 もう一つ! 決して《 看破 》はするな!! 情報の波に脳を焼かれるぞっ!! 》――

――――《 ……そういう類のモノか。悪辣極まる 》――


 ベレンヴァールが反応した。ここまでの制限された情報だけで本質を読み取ったのか、その声に怒りの色を感じさせる。

 この化物は顔一つ一つが独立した存在ではなく、それぞれが人間でいう頭や手足などの部位……いや規模からいえば細胞のようなものだ。

 無数の顔と"名前"、そして意思から構成されるが故に、ステータスも基本的な部分だけで天文学的な情報量となる。

 これらはすべて過去に奪い取ったもの。存在そのものを血肉と化し、己の一部として取り込み、一体化し、際限なく膨張する。それが無量の貌の正体だ。

 呆れるほどの外道。呆れるほどの凶悪。どれだけ歪めばここまでの負の存在が生まれるというのか。


――――《 ミユミが動けません!! これじゃ身動きが…… 》――


 各自、自分の周囲に対応し始めたが、状況確認すらままならない。


――――《 そもそも位置関係が分からん。幸い脆い連中だ。まとめて吹き飛ばす! 全員ショックに備えろ!! 》――


 グレンさんが合流のための手を打つ。


――――Action Skill《 聖光環裂刃 》――


 それは、《 魔装剣技 》で確認されている上位スキルの一つ。光属性を付与した剣から放たれる範囲攻撃によって、周囲の顔をまとめて吹き飛ばしていく。触れた瞬間に斬撃が発生する光は、使用者の技量により任意で効果対象を除外できるらしいが、ここまでの密度で対象が存在している場合はどうしても副次的な影響が出る。対象から除外されているはずの俺たちにかかる衝撃も並ではない。

 だが、これで顔の壁が崩れた。ドーム状に開けた中心点がグレンさんだ。向かうのはその方向。


「ベレンヴァール! クラリスたちの回収を!!」

「了解した!」


 確認できた位置関係の中で、美弓とクラリスがもっとも遠い。しかも、美弓を抱えているために動きの取り難い二人を回収するため、ベレンヴァールに走ってもらう。距離が近い事もあるが、こういった不安定な環境はあいつが一番得意としている。放射状に衝撃が発生しているようなこの状況にはうってつけだろう。実際、美弓とクラリスを軽々と回収して来た。

 そして、顔の壁が崩れた事で確認できたが、かなりの速度で崩壊が進んでいる。留まっていられる時間が少ない。

 《 聖光環裂刃 》が切り開いた状況が元に戻る前になんとか合流はできたが、状況は悪い。顔の群れとその手は途切れる事なく俺たちへ向かって来る。


「《 念話 》はこちらで受け持つ! 全員、密集して顔を近付けさせるな!!」


 枯渇しかねない速度で急速にMPを消費する《 念話 》をグレンさんに移管する。

 こうしているうちにも顔はそれぞれの形をとり、こちらへと無数の手を伸ばしてくる。合流するまでで数秒。その間攻撃を続けていても、たった数秒で俺たちの周囲は顔で埋まっている。


「グレンさん、指揮を……」

「任せる。今は君のほうが適任だろう」


 この中で最上位の権限、実力を持つグレンさんをこの臨時パーティのリーダーに据えようとしたが、ぶん投げられた。

 いや、本人がいいのならそれが正解なのだろう。純粋な指揮能力、冒険者としての知識、経験、それらを鑑みても今この場は俺の死への嗅覚や謎知識のほうが指針になりそうだ。

 ならば……どうする。

 さっき、グレンさんのスキルで一瞬だけ顔が晴れた時に見えたが、皇龍とゲルギアルはすでに戦闘に入っている。無量の貌が動き出した時よりもあきらかに離れた距離は、こちらへの影響を鑑みての事だろう。……つまり、皇龍の助力は期待できない。


「ユキッ!! 予備の宇宙用装備をグレンさんたちに」

「え……あ、分かった!!」


 まず、ユキ一人の手が止まってでも回避しなければいけないのは、ここが崩壊した影響。

 未だ辛うじて環境調整が効いているようだが、いつ宇宙空間に放り出されるか分からない。少しなら耐えられるだろうが、そんな状態で戦闘など不可能だ。この白い手相手には一瞬の油断が命取りになりかねない。

 周囲の顔と、そこから伸びた無数の手を切り裂きながら思考する。

 ……落ち着け。無量の貌の特性を考えろ。アレは無数の意識の集合体であって、統一した命令の元に行われているわけじゃない。半ば自動的な状態で曲りなりにも行動を統制するには、条件付けが必要なはずだ。そこに何らかの活路を見出だせないか。


「グレンさん、さっきみたいに顔を吹き飛ばして道を作れますか?」

「問題ない。維持は難しいだろうが、数秒程度ならどうとでもなる」

「おそらく、こいつらは顔と名前を持つ存在に引かれてます。今これだけ密集しているのは俺たちが固まっているからで、移動すれば多少はマシになるかもしれない。気休め程度でも態勢を整える時間が欲しい。先頭はグレンさん、殿は……俺だ。最悪、囮に使ってくれていい。おそらく、俺が一番優先度が低いはず」

「……それは」

「何かあったら、そのままグレンさんが指揮を」


 対存在を持つ虜囚に手を出さないという不文律を信じるなら、あいつの狙いは"俺以外のすべて"だ。正確にいえば、《 因果の虜囚 》以外を狙っている。こんな天体規模の意識を統率できるわけがないから、どれだけ期待できるかは分からないが、わずかな気休め程度にはなるだろう。

 こんな絶望的な状況では、そのわずかが明暗を分ける。


「分かった」


 少ない情報でもある程度読み取ったのか、反対意見はない。

 この場から移動すれば戦力のあてもある。無事でいる事前提だが、空龍と五龍将は衛星にいるはずだ。どちらにせよ、撤退するには地上に降りる必要があるのだから転送ゲートまでの移動は必須だ。


「タイミングを計ってこのホールから脱出。目的地は転送ゲート。可能なら五龍将と合流。最悪でも空龍は確保しないとまずい。地上に降りたらクーゲルシュライバーまで後退する」


 ……くそ、そのどれもが無事である保証はない。その上、地上だって無事ですんでいるかどうか……。

 全員がそれを理解している。ここが死地である事は間違いないが、他の場所だって無事で済んでいるはずがない。

 あとの問題は……動けない美弓だ。気絶しているのか本能で動けなくなっているのか判断は難しいが、支えてるクラリスと合わせて実質二人分の戦力が使えない状態である。こんな危機的状況なら、こいつの本能に期待したいところなのだが……。


「……本、当に」

「ミユミ?」


 ピクリともしなかった美弓から声。それは、不気味なほどに冷静なものだった。


「……本当にいたんだ」


 スッとクラリスの手を離れる美弓。混戦の中、手を止めるわけにはいかないが、良い兆候……なのか?


「……センパイ」

「なんだ」


 しかし、返答への反応はない。


「センパイ、センパイ、センパイセンパイセンパイ……ウヒッ!! ひひひひヒヒヒヒヒヒッッ!!」

――――Action Skill《 トマト・キャノン 》――


 その顔が歪む。恐怖に狂ったか、それとも無量の貌に何かされたのかを疑ったが、これは……そのどちらでもない。

 直後、周囲に展開される無数の光の弓矢。それ自体はかつて見た《 トマト・キャノン 》だが、数は十を超えている。


「殺す」


 全周囲に向かって放たれる光の矢。尋常でない威力が込められたそれが、顔を貫き、吹き飛ばし、無差別に穴を作り上げていく。

 狂気に歪んだ美弓を取り巻くのは圧倒的な無量の貌への敵意だ。


「アレは敵だ。私の敵、私たちの敵、すべてを奪い去っていったモノ」

「おい、美弓!! 落ち着け」


 しかし、俺の声は届かない。

 その間にも光の矢はデタラメに乱射を繰り返す。確かに強力だが、こんな使い方がまともであるはずがない。MPどころか、あっという間にすべてのリソースが枯渇する。


――――Action Skill《 HP変換 》――

――――Action Skill《 能力値変換 》――

――――Action Skill《 能力値変換 》――

――――Action Skill《 能力値変換 》――

――――Action Skill《 能力値変換 》――

――――Action Skill《 能力値……


 必要なもの以外のすべてを注ぎ込んて放たれる後先のない攻撃。


「やめろっ!! 何やってんだ!!」

「……せんぱい、センパイ。あそこに、あそこにいるんですよ。名前も、顔も思い出せない大切なものが」


 不意に。

 涙の浮かぶ美弓の視線の先を……見てしまった。


 そこには顔があった。


 この無数に存在する顔の中で一瞬だけ覗かせた顔。視界の中では点にも等しい大きさでしかないその顔から、"何故だか"目が離せなかった。

 知らない顔。見た事もない顔。だけど、それは確実に俺の中の何かを刺激している。

 思い出せない。そもそも忘却ですらないのだろう。あえていうのなら、これはスキル名と同様の"簒奪"。

 それが大切なもの、大切だったもの、そうかもしれないもの、どんなものであったか存在情報ごと奪われたものだという事が分かる。分かってしまう。

 アレが、かつて簒奪された、大切だったものだと。


「ぁああああああああっっーーー!!!!」

――――Action Skill《 魂の一……


 それは捨て身の一撃。ダンジョン内の使用でさえ多大な後遺症をもたらす、命を乗せた一撃。

 こんなところで使えば死ぬ。ダンジョンではないのだから、生き返りなどしない文字通り命を捨てるスキルだ。

 止めなければいけない。無理矢理でも殴ってでも止めないといけない。激情に任せた自殺など何の意味もないと。


 しかし、俺の中に湧き上がる何かがそれを止められずにいた。

 理性は叫んでいる。状況的にも心情的にも美弓を失うわけにはいかない。こんな無謀を放置していいはずがない。なのに、俺の手も声もそこには届かない。

 あまりにも共感してしまうから、理解できてしまうから、それを止める術を持たない。それが、復讐者の限界――


――パァンッと乾いた音が響いた。


「馬鹿っ! おバカッ!! 何やってんのっっ!! ここダンジョンじゃないのよっ!! 私たち置いて死ぬ気!? ふざけんなっ!!」

「あ……」


 クラリスの放ったただの平手と甲高い声で喚き散らされる罵倒。ただそれだけで暴威は止んだ。


「バカじゃないのっ!? バカでしょっ!? お前はバーーーカーーーーだっ!!」

「あうあうあう……」


 クラリスに襟を掴まれ、前後に激しく揺さぶられる美弓。

 おそらくクラリスは理解していないだろう。この激情を理解できるのは、きっと俺たちだけだ。

 しかし、それでも美弓は止まった。……いや、だからこそだ。目の前にいるのが、すべてを失った自分が一から積み上げたものだからこそ……美弓は、同じように捨て去る事はできない。


「ごめ……」


 美弓が倒れ込む。閉じられる寸前に見たその目は正気に戻っていた。

 状況は変わらず最悪だが、不幸中の幸いか美弓が乱射した攻撃で出口の位置は把握できた。


「撤退だ!!」


 全員、すぐに反応した。グレンさんが先頭、続いてユキ、クラリス、ベレンヴァールは何も言わず美弓を担いで走り出す。

 俺は最後尾につき、グレンさんが切り開いた道を閉じさせないように剣を振るいつつ追いかけた。


 今は逃げるしかない。それすらもままならない。

 美弓がやっていなかったら、俺が似たような事をしていた可能性もある。

 冷静になれ。冷静に、冷酷に、あいつへの憎しみを研ぎ澄ませ。いつか、それを叩きつけるために。




-3-




 脱出した先も変わらず地獄。顔が立体となり、通路にひしめき合っている。もはや、元の光景を思い出せないほどに別世界と化している。

 しかし、隙間すら見当たらなかったホールの中よりはマシな密度だ。まだ移動はできる。

 危機的状況を抜けたからか、《 飢餓の暴獣 》の効果も消えた。そもそも長時間発動するにはリスクの大きいスキルだ。長丁場になるだろう撤退戦中ずっと発動するわけにもいかない。あっという間にミイラになって死亡だ。


 剣を振り、襲い来る白い手を薙ぎ払う。幾度となく繰り返したが、こいつらは対象が俺でも関係なく襲って来た。その一方で、俺を無視して先行するグレンさんたちへと向かう手もあった。

 《 因果の虜囚 》から得られた断片的な知識では判断が難しいが、やはりこいつらは意思の統一がされていない。同一の存在であるにも拘らず、複数の意思が同居して勝手に動いている。最上位の命令が優先されてはいるものの、細かい判断は各自で行っているとみるべきだ。

 つまり、何割かは俺の対存在である"鬼"を恐れて手を出してこないが、完全に無視しているわけでもない。殿、囮としては理想的だな。


「らァッ!!」


 ここまでのわずかな時間で何百回と追手を薙ぎ払った。いや、千を超えたかもしれない。

 一気に駆け抜けられればいいのだが、それも難しい。グレンさんが前方だけに集中し、道を切り開く事はできても、それは一時的なものだ。それを長時間維持する事はできない。必然として、進んではいるものの、その速度は牛歩のそれになる。

 進んで、止まって、態勢を整えて、再度進む。その繰り返しだ。

 ただし、この歪極まる寄せ集めパーティも、一応は機能し始めている。


「ユキさん、フォローお願いしますっ!」

「了解!!」

――――Action Skill《 ストーム・ピアサー 》――


 射程の短いクラリスがそれをカバーするために放ったスキル。その直後のわずかな硬直時間をユキがフォローする。

 手に触れた瞬間に簒奪されるわけではないが、コレを相手に接近戦を挑むのは狂気の沙汰だ。ユキも《 クリア・ハンド 》をメインに据えて戦闘を行っている。……ただし、《 クリア・ハンド 》ですら簒奪の対象である危険は残る。

 更に、そのフォローと俺に続く後続の道を確保するのがベレンヴァールの役目だ。


――Action Skill《 ペイン・ザッパー 》――

――Skill Chain《 ストラグル・ザッパー 》――


 美弓を抱えているため行動は制限されるものの、特に問題もなく戦っている。《 両手剣技 》を放つ時は一瞬だけ美弓を放り、発動、すぐさま回収と、完全に荷物扱いである。


――Skill Chain《 刻印術:火矢の弩砲 》――


 更に、ベレンヴァールは技後硬直時のフォローもいらない。先の見えない状況では残弾の不安も残るが、《 刻印術 》がもたらす自己完結能力は個人戦闘における最大の弱点を克服している。伊達にソロを続けていたわけじゃないって事だ。

 正直、あの時引っ張って来て正解だったと言わざるを得ない。


――――《 グレンさん、気配か魔力かの探知はできますか? 》――

――――《 やっている。ただ、空龍殿の魔力は直接感知できない 》――


 最後尾から先頭のグレンさんに向けて《 念話 》を飛ばす。

 元々指揮官役な以上、そういった感知スキルは習得していると思っていたが、そんな落とし穴があったか。……透明な感知不可の魔力を持つ空龍の特性がここに来てマイナスに働いている。


――――《 しかし、反応は弱いものの《 気配探知 》のほうには引っ掛かった。近くに魔力反応を感じるから、おそらく五……龍将なんだが…… 》――


 ……その発言に妙な違和感を感じた。


――――《 なんだが? 》――

――――《 数が合わない。そして、どうにも交戦中なんだ。状況を見る限り、顔ではなく魔力反応持ち同士で 》――

――――《 まさか 》――

――――《 そうだ。すでに奪われている可能性がある。……いや、奪われている。現に、思い出せない…… 》――


 冗談だろ……。しかし、言われて記憶を辿れば五龍将全員の名が出てこない。

 界龍、霊龍、星龍は覚えている。しかし、二体分の記憶がぽっかりと抜け落ちていた。

 おそらくは、"五"龍将という呼び名のおかげだろう。サラダ倶楽部の野菜同様、五体の龍がいたという記憶は残っていたから気付けたのだ。


――――《 二体は確実にやられている……くそ、通路が寸断されてる。この道はダメだ 》――


 切羽詰まった状況の中で、記憶を掘り返す余裕はなかった。

 もし、五龍将の内二体がカオナシになっているのだとしたら……空龍たちが戦っているのはその二体という事になる。

 間違いなく、空龍たちの側も危機的状況だ。龍の亜神二体と戦闘なんて冗談じゃないぞ。


――――《 ユキ、予備ルートの選定はできるか? 》――


 ユキはスーパーボーグに乗って衛星内を移動していたはずだから、この中では一番詳しいはず。


――――《 ……多分、エレベーターの筒を抜けるルートが早いよ。環境設備なしだけど……急がないと 》――

――――《 仕方ねえ。最低限の装備で突っ切るぞ 》――


 ほとんど宇宙空間に飛び出すようなものだが、背に腹は代えられない。これだけボロボロならどんなルートを辿っても、どこかでその選択は迫られるだろう。なら、最初から織り込んで移動したほうがいい。


――――Action Skill《 瞬装:魔鋼の長槍 》――


 武器を切り替える。ロクに習熟もしていないが、この状況で必要なのはリーチだ。追ってくる顔を振り払うだけなら槍で事足りる。

 ……美弓の意識があれば、トマトちゃんズ使えるんだがな。火力的にはアレくらいで十分なのだ。むしろ手数が欲しい。


 そうして、別の道を進む。

 後ろで殿を務めている俺は向かう先が把握できていない。ただ、わずかに距離を開けてベレンヴァールの後ろをついていくだけだ。

 大量の顔に襲われつつ進んでいると、床が見えないのもあって、ここが人工衛星内である事を忘れそうになる。足元の顔を斬ったら下に何もありませんでしたって事態は避けたいが、確認しようもない状況だ。ユキの方向感覚に頼るしかない。

 しかし、環境的な問題はあるものの、段々と戦闘に余裕ができてきた。時間的なものか距離的なものかは分からないが、あれだけ大量にいた顔の量が減りつつある。余裕がある状況というわけではないが、少なくとも一瞬で埋もれるような状況ではなくなっていた。


――――《 な……んだと 》――


 そんな中、グレンさんの声が聞こえた。《 念話 》を通したものではあるが、本人たちとの距離もそう離れていない。

 ……どういうわけだか、俺以外の全員が立ち止まっていた。


「おいっ!! どうした!」


 いくら数が減ったとはいえ、手を止めるのはまずい。

 顔を切り払いつつ、そのわずかな距離を詰めると……その原因が目に入った。

 大きく裂けた人工衛星の床部分。……そこから、目指すべき地上が"見えなかった"。


「……冗談だろ」


 嵐で見えないのではない。むしろ、どういうわけだか嵐は止んでいるように見える。

 しかし、その代わりに……地上は数え切れないほどの顔で埋め尽くされていた。




-4-




 それは想定して当然の事であるし、実際に懸念していた。

 しかし、こうして眼下に広がるおぞましい光景を突き付けられて、冷静でいられるはずもなかった。

 先ほどから襲撃の頻度が低下したと感じていたが、当たり前だ。奴らは砂糖に群がる蟻の如く、地上にいる人間や龍へと簒奪に向かった。この人工衛星以上に美味しそうなエサが大量にあるのを見過ごすはずがないのだ。

 あまりの絶望的状況に折れそうになる。このまま膝を付いて諦めてしまいたくなる。

 ……だが、ダメだ。そんなわけにはいかない。


「ッらぁ!!」


 剣を振る。今は考えるな。諦める事を忘れろ。でないと、死んで転生したほうがマシと考えてしまいかねない。

 死ぬわけにはいかない。その死の先に最悪の予感を感じる。

 誰もが平静でいられるはずはないが、今はまだみんな動けている。まだ大丈夫。

 このまま空龍や界龍たちと合流して地上へ向かう。クーゲルシュライバーは発進済みかもしれないが、それでいい。

 予備の小型艇は何台か残す予定だったからそれに乗って帰還すればいい。小型艇が無事でない可能性は高いから、その場合は最悪世界間の穴を走って抜ける。クーゲルシュライバーでさえ数日かかる道を徒歩で踏破できるとは思えないが、活動はできると聞いている。足を踏み入れて即死ぬような環境ではないはずだ。少しでも迷宮都市に近付けば、その分ダンマスと合流する可能性は高まる。通信は途絶えてしまったが、こちらの異常には気付いたはずだ。

 あの規格外の塊のようなダンマスだったら、無量の貌に対抗する事だってできるかもしれない。

 ……くそ。

 なんという楽観的思考。なんという他力本願。そんな上手く行くはずはない。そんな都合のいい展開なんてない。

 《 因果の虜囚 》が引き寄せるものはそんな優しいものでない事は知っているだろう。

 すでに犠牲者は出ている。思い出せもしない五龍将。地上だってどれだけの犠牲が出ているか分からない。俺たちはその犠牲を認識すらできない。


『はっきり言っておくが、今回の件を放置して全員が避難してめでたしめでたしって上手い話はない』


 いつか言っていたダンマスの言葉が今になって突き刺さる。

 あれは星の崩壊に対しての対策の話だ。話の流れは違うものの、あれは真理だ。何をするか、何をしたいか、何をしたか。どんな手段を選ぶにせよ、世界規模の問題に立ち向かうのなら犠牲はあって当然なのだ。

 たとえ、このあとすべてが上手く行って解決したとしても、発生した犠牲がなくなるわけじゃない。

 先に進むのなら、唯一の悪意が待つ無限の先へ向かうのなら、それをすべて背負ってでも立ち続ける覚悟が必要なのだ。

 無量の貌によって発生した犠牲は俺が手を下したわけではない。あいつが直接俺を狙って来たわけでもない。

 しかし、それを無関係と言い、目を背ける事は許される事なのか?

 ……そんなはずはない。

 この因果は繋がっている。どこか深い場所で、絡まり合って解けないほどに複雑に結びついている。


――だが、まだ早い。お前にはその資格はない――


 因果の獣は言った。


――臆病者の渡辺綱。目を閉ざし、過去を忘れたフリを続ける渡辺綱。お前は現実を直視できるほど強くない――


 ……アレは、きっとそういう事なのだ。

 そのものではない。因果の獣が隠しているのは別の事で、きっとそういった覚悟よりも遥かに重いモノ。

 そのすべてを背負い、進めなければ資格はないと言っているのだろう。

 そして、俺はその領域に至っていないと。




 不意に、何かが崩れる音がした。

 俺と先行するベレンヴァールの間へ瓦礫が降り注ぐ。それはおそらく様々な余波を受けて崩れた人工衛星の瓦礫だろう。

 これくらいなら直撃を受けてもなんとかなるが、危険な事に変わりはない。……まずいな、全体が崩壊し始めている。


「おいツナっ、大丈夫か!? ……これは」

「ああ、大丈夫だ。これくらいなら飛び越えられる」


 別に瓦礫はどうという事はない。進行の妨げになるようなものではない。だが、それと一緒に落下して来たモノに目を引かれた。

 ……それはカオナシだ。とはいえ、すでに死んでいるから危険はないだろう。……気になるのはその正体だ。

 それが、元々はなんであったのか。


「これは……龍なのか?」


 それは人の形をしていた。人の形でありながら、異常の部位が多く見られる"謎の生物"。

 身長は大きく、おそらく三メートル~四メートルほど。欠損部が大き過ぎて元の形が掴めない。顔か、それともカオナシと戦ったのか、この欠損はその際に受けた被害なのだろう。何故ここにいるのか分からないが……。


「何を……言っているんだ」


 顔を上げれば、ベレンヴァールが信じられないものを見る目をしていた。


「……知ってるのか?」

「何を言っている!? ■■だろうっ!?」


 思い出せない。ベレンヴァールが何を言っているのかも伝わってこない。


「……まさか、これがカオナシという奴なのか……?」


 ベレンヴァールには見えている? 顔はそこに在って、俺が見えていないのか? どういう事だ……。


――――《 綱君、どうし……まずいっ!! その場を離れろっ!! 》――


 立ち止まった事で距離が開いてしまったグレンさんから悲鳴じみた《 念話 》が届く。

 とっさにその場を離れた直後、俺たちがいた床部分が顔とともに弾け飛んだ。それは周囲の床まで巻き込み、広大な部分を粉砕していく。

 転がるようにその場を離れ、顔を上げると、そこには顔のない龍がいた。

 その体躯は無数の刃に覆われている。加えて、その周囲にも刃物のような何かが浮かんでいた。


「……■■」


 ベレンヴァールが何かを呟く。やはり、何かが見えているのか。

 顔のない龍は大気を震わせながら雄叫びを上げるような動作を見せる。こちらの存在に気付いたのか、その直後にその巨体で突進して来た。


「く、そっ!!」


 天井、床、壁、サイズなど関係ないと、すべてを削り取りながら向かって来る。

 その動きに精細さは見当たらない。当たり前だ。コレはすでにカオナシ。簒奪された自分の存在証明の代わりを求め、無差別に顔と名前を奪いに来るモノだ。

 激突の瞬間、とっさに槍を振るうが、体を構成している刃で両断された。俺自身は巨大な刃部分は避けたものの、遅れて飛来した刃が体を掠めていく。


「ツナっ!!」


 ユキが投げたロープが俺の眼の前まで飛来した。気がつけば俺とユキたちの間の床がない。突進だけで構造物がバラバラにされたのか。幸い、距離はそこまででもない。最悪、落ちても対岸にフックのかけられたロープがあればなんとかなる。俺はロープを掴み、その場からユキたちのいる方向へ跳躍した。


「すまん! ベレンヴァールは?」

「崩れた時に下の層に……うわっ!!」


 はぐれたかと思われたベレンヴァールだが、何事もなかったかのように戻って来た。崩れた瓦礫を這うようにして登って来たようだ。美弓抱えたままなのに、まったく問題にならないらしい。登攀ってレベルじゃないんだが。


「まずいな……完全に狙われているぞ」


 グレンさんの視線の先には宇宙空間を飛行する顔のない龍。それが、方向を調整してこちらへと向かいつつある。

 だが、あんな全身刃物みたいな奴とまともに戦ってはいられない。


「幸い、周りにいた顔も粗方吹き飛んでいる。一気に駆け抜けるぞ」


 俺たちは撤退を選択した。こんな場所で戦ってはいられないし、戦う理由もない。アレは半ば自動的に獲物を求めているだけだ。

 ただ、一度ターゲットされた以上、簡単に振り切る事は難しいらしい。移動する俺たち目掛け、構造物を無視して幾度も突進を繰り返して来た。通り過ぎた場所は完全に崩壊し、宙に浮かぶデブリと化している。

 理性のない暴走状態で、ただ暴れているだけのようなものなのにとんだ怪物だ。このままだと人工衛星が丸ごと崩壊しかねない。


「グレンさん、探知対象との距離はっ?」

「もうかなり近い。向こうもこちらに向かっているようだ。……いや、一つ反応が離れた」


――――《 渡辺様っ!! ご無事ですかっ!? 》――


 そのタイミングで空龍との《 念話 》が繋がった。


「いたっ!!」


 同時にユキが姿を確認したらしい。距離的に目視は困難と思われたが、すぐに分かった。

 断絶し、瓦礫に埋もれかかってはいるが、通路の向こう側に空龍を乗せた界龍の巨体があった。

 宇宙空間でも問題なく活動できる界龍には通路の断絶など関係ない。そのまま大きく跳躍し、俺たちと合流する。


「状況がさっぱりだ。何がどうなっている」


 やはり空龍も界龍も状況は把握できていないらしい。


「説明したいのは山々だが、カオナシの龍に追われてる。それに転送ゲートまで向かわないと……」

「アレは霊龍が対処しにいった。何者かは分からんが、暴走するだけならどうとでもなる……」


 やはり、界龍も覚えていない。これが正常な反応なのだ。ベレンヴァールに何が起きているのかは分からないが、現状答えが出るとは思えない。

 その直後、どこからか雄叫びのような地響きのような振動が伝わってくる。併せて、先ほどから断続的に聞こえていた破壊音も止んだ。おそらく霊龍さんがカオナシ龍と交戦状態に入ったのだろう。


「渡辺様、転送ゲートは使えません」

「……え?」


 間の抜けた声を上げたのはユキだ。俺はただその言葉を呆然と受け止めていた。他のみんなも似たようなものだ。


「え、えーと、壊れたとか? いや、こんな状況なら仕方ないのか……ってどうすんのさ」

「界龍お兄様が守ってくれたので、無事ではあるのですが……」

「地上側が機能していない。それで、まずはお前との合流を優先したというわけだ」


 ……まずい。地上への道が絶たれては撤退も何もない。

 転送ゲートは最低でも二つ、双方向で機能していないと動作しない。地上ゲートが機能していなければ、こちらだけが無事でも意味はない。

 不具合というのは考え難い。考えられるとすれば、物理的な損傷の可能性が高いだろう。

 ここに残る? いや、そんな選択肢を選んでたまるか。何も状況が好転しない上に、無事な保証だってない。悪手もいいところだ。


「この人工衛星ももうじき崩壊する。加えて地上の結界が破られかけている。再度展開し直さんと揃って全滅だ」

「な……」


 脳裏に蘇るのは、つい先ほど見た惑星を覆い尽くす無数の顔。あれが、嵐を防いでいる結界を破壊したと。

 だが、だからといって移動手段がないのでは……。


「あまり時間の猶予はない。あの顔の群れを突っ切るのは気色悪いが、地上まで運んでやる。……乗り心地は保証せんがな」




-5-




 ほとんど生身のまま軌道降下する事になってしまったが、転送ゲートが使えない以上、選択の余地はなかった。

 惑星の大きさもあって、静止軌道から地上までの距離は地球のそれよりも遥かに遠い。そんな中を界龍に抱えられた状態でダイブする。

 しかも、惑星を覆うほどに大量の顔を突き抜けていくという、目を覆いたくなるような降下作戦だ。

 そんな不安極まる提案だったが、実際のところそこまで無茶な話ではなかったようだ。


――――Action Skill《 龍の封域 》――


 界龍を中心として円状に光の膜が張られた。これは界龍の得意とする《 領域魔術 》だ。抱えられてというシチュエーションは不安だが、おそらくなんとかなるのだろう。

 全員が結界内に入ると、界龍は俺たちを抱えて人工衛星を飛び立った。

 宇宙空間では速度は体感し難いが、あっという間に遠ざかっていく残骸と化した人工衛星を見る限り、相当なスピードが出ているはずだ。結界で守られているのか、特に負荷は感じない。視覚以外は快適と言える。


――――《 降下するまでに説明を頼む 》――


 この速度なら地上までそう時間はかからないだろうと、《 念話 》を通じて界龍と空龍に簡易的な状況説明を始めた。

 皇龍とゲルギアル、因果の虜囚と対存在、そして乱入して来た無量の貌。出現した顔の特性やカオナシの正体まで。

 以前までに分かっていた事は共有しているので、説明するのは今日の事だけだが……列挙するとすさまじい密度の情報量だ。体験して来た俺たちでさえオーバーフローしそうなのに、話しただけでは十分な理解は得られないだろう。


――――《 ぬう……母上がこの宙域を離れたのは、そういうわけか 》――


 とりあえず状況は理解したようだが、界龍は唸るばかり。空龍も無言で考え込んでいた。

 ただ黙っているだけよりはと、界龍たち側の動向も確認させてもらった。

 とはいえ、基本的にはなんの情報もないまま無量の貌の出現に巻き込まれ、界龍と霊龍は比較的近くにいた空龍と合流したらしい。

 簒奪された残り二体の五龍将については一切の記憶が抜け落ちている。状況的に人工衛星内にはいたのだろうが、分かる事といえばそれくらいだ。残り一体……星龍については、この宙域を離れているらしい。安否は分からないが、記憶が残っている以上、無事ではあるのだろう。

 当たり前かもしれないが、俺とベレンヴァールが見たカオナシの死体の話は出なかった。

 一応、ベレンヴァールに聞いてみると、本人は更なる困惑に襲われている。話が通じない。認識阻害のようにも感じるが、それよりも広範囲で口に出した情報が抜け落ちる。原因に心当たりはないかと聞いてみると。


「■■が言っていた異世界出身故の現象かもしれん。とはいえ、関連情報のほとんどを伝える事ができないのでは意味はなさそうだが……」

「いや……意味はある」


 今はさっぱりだが、これが何かのきっかけになるかもしれない。少なくとも、簒奪された存在を記憶している者が一人でもいるというのは、本質を知る者としては救われた気持ちだ。

 しかし、ベレンヴァールの言を信じるなら、顔も名前もそこにあるままという事だ。では、簒奪された情報はそのものではないのか? ……まさか、簒奪されたあとで助ける方法も存在するのだろうか。相手があれほどの超常である以上、特異体質や閃きでどうにかなるレベルとは思えないが……。


「かなり近付いたが、この距離でも地上と通信できないか?」

「無理っぽい。応答がまったくない。システムが壊れているのか、遮断されてるのか。……遮断してるとしたら……アレだよね?」


 ユキの目線の先には近づくほどにおぞましさが増していく顔の群れがある。……状況的に考えるなら、原因はアレだろうな。


「《 念話 》も通じません。無差別でも対象指定でも反応がないですね」


 《 念話 》については空龍が試しているが、これも上手くいかない。

 原因が同じかどうかはともかく、地上とは連絡がつかない状況だ。ディルクあたりならまた違った結果になるのかもしれないが、この場に専門家はいない。降下後に何が待ち受けているか分からないから、少しでも情報が欲しいところなんだが。


「……お母様」


 空龍が呟くのが聞こえた。

 それは皇龍の安否を気にしているのか、自分だけを逃がせと言った事の真意を考えているのか。


 ……口に出せはしないが、皇龍とゲルギアルの戦いに関して、俺は皇龍が勝つ見込みは薄いと考えている。

 もちろん、どちらが強いかなんて分からない。普通に考えるなら、いくら劣化したとはいえ龍が人のスペックと比較になるとは思えない。それが、龍の因子を受け入れ龍人と化した存在であっても。

 しかし、あんな超常の存在同士の戦闘が単純な戦闘力で決着するはずがないのだ。

 加えて言うのなら、そんな確実に勝敗が決するようなものが次のステージへ至るための試練などであるはずがない。

 どちらにも不確定要素は存在する。勝敗の天秤は間違っても一方的なものではない。


――Action Skill《 我が剣はすべてを切り裂く刃である 》――


 特にアレだ。……アレは《 宣誓真言 》じゃないのか?

 同じものかは分からない。ただ、少なくとも同質のものである事は目の前で見て感じた。

 そんな概念すら書き換えるようなものが当たり前に繰り出される世界に、確実な勝敗など存在しないだろう。


 しかし、それ以外の要素で見た場合……皇龍の敗北が定められているかのように見える。

 ダンジョンマスターである皇龍が死ねば、根幹であるこの世界も崩壊する。同様に俺たちの世界にも星の危機は迫っていて、ダンマスは対策を打とうとしてはいるものの根本的な解決には至っていない。

 美弓が感知した危険がこれらを指しているのだと考えるなら……双方の世界は崩壊へと向かっているのではないか。

 神がかってはいるが所詮は個人の勘のようなものだ。大局的な判断材料として使うにはふさわしくない。しかし、一方で俺はこの力の確かさも知っている。

 この二つはおそらく連動した事象だ。一見関連性は薄いが、根底の部分で繋がっている。

 それを繋げているのは……きっと俺なんだろう。そして、俺の対存在だという鬼なのだろう。

 それぞれがどんな因果関係かなど分からない。おそらく、それを解明したところで解決には繋がらない。


 俺の死が近付いて来るのを感じる。俺が近付いて行くのを感じる。対となった死が惹かれ合うように。


 その中で、俺は自分の歩く道を感じている。

 それは暗い一本道だ。最初は何もない道を歩いていたようで、先に進むにつれて少しずつ形が見えてくる。はっきりと克明に、それが分岐のない行き止まりだと。


――汝が分かっているからだ。これから起こるすべて、これまで起きたすべて、起こらないすべてを知っているからだ。渡辺綱が起点となる事象で認識できぬ事などない。我々はそういうものだ――


 因果の獣はこれから起きる事を知っていると言った。他ならぬ俺が知っていると。

 それは予知の類なのか、それとも運命と呼ばれるものなのか、未だ分からない。しかし、今になって言葉の意味を痛感し始めている。

 俺は今、どうしようもなく既視感を抱いている。

 ……そうだ、俺は知っている。この先のない袋小路を知っている。正解のない答えを探している。

 これは破滅への道だ。決して抗う事のできない、罪深き者へ課せられた煉獄。


 この袋小路から抜け出す術があるのだとしたら、それはやはり俺の死と向かい合う事なのだろう。


 俺は決断しなければいけない。俺は立ち向かわなければいけない。

 ここは通過点。月の龍も、原初の龍人も、無量の貌も、鬼へと至るために用意された煉獄の一端だ。


 その一端は目の前に迫っている。まずは……眼下に広がるおぞましき光景を乗り越えないといけない。




――――《 突っ込むぞっ!! 通過時に何が起こるか分からん! 全員備えろ!! 》――


 魔力を通して聞こえる界龍の声は、きっとその始まりなのだ。















――――《 観測者の眼 》――


 観測の終わりは、近い。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る